N響 JAZZ at 芸劇 (ジョン・アクセルロッド指揮 NHK 交響楽団) 2017年 8月19日 東京芸術劇場

e0345320_09455082.jpg
今夏の東京の気候は、全く気が滅入る。ひっきりなしに雨が続き、ちょっと晴れ間が出たかと思うと夕方にはものすごい雷雨に見舞われる。もちろん私とても、夏休みの間ずっと東京にいたわけではないが、かといってずっと旅行していたわけでもない。うだるような暑さも決して楽しいものではないが、それが昔からの夏というもの。もちろん、近年の暑い夏はそれはもう、昔はなかったような異常な暑さになるのであって、そのこと自体は「昔ながら」ではないという言い方もできるものの、夏は日差しがギラギラしてセミが鳴いて入道雲が沸き起こるもの。それゆえ、今年の夏のような事態は、本当に気が滅入るのである。

そんな中、ちょっと楽しい演奏会に行って来た。もちろん帰りには雨に降られたものの、「雨に唄えば」ではないが、音楽を口ずさみながらの帰途は、雨でも楽しいものだ。この「N 響 JAZZ at 芸劇」は、文字通り NHK 交響楽団 (通称「N 響」) が池袋の東京芸術劇場 (通称「芸劇」) で、ジャズなど、通常のクラシックのようなお堅い音楽でないレパートリーを演奏するというもの。私は今回初めて聴くが、今年が 3回目で、毎年夏に開かれているそうだ。今回の曲目は以下の通り。
 ショスタコーヴィチ : 二人でお茶を (タヒチ・トロット) 作品 16
           ジャズ組曲第 1番
 チック・コリア : ラ・フィエスタ (ピアノ : 塩谷哲)
 バーンスタイン : 「オン・ザ・タウン」から 3つのダンス・エピソード
         「ウエストサイド物語」からシンフォニック・ダンス

なるほど、確かにこれは肩の凝らない楽しい曲目である。もともと N 響というオケは、技術的には優れていても遊び心がないというイメージがあったことは否めないが、最近はそのような枠を超えた演奏をすることも多く、首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィもその柔軟性を高く評価している。オーケストラというものは不思議なもので、この種の軽めの音楽 (どうも気に入らない表現だが、一般的にそのように思われているタイプの音楽) を鑑賞するには、大変に腕が立つ団体でないと楽しめないのである。その意味でも、N 響が得意とする重厚なブラームスやブルックナーを離れて、このようなレパートリーを演奏してくれることに期待が高まる。そしてこのシリーズで毎回指揮をしているのは、1966年生まれの米国の指揮者、ジョン・アクセルロッド。
e0345320_00301615.jpg
この指揮者の名はどこかで聞いたことがある。経歴を見ると、指揮をレナード・バーンスタインとイリヤ・ムーシンに学び、ハーヴァード大学を卒業している。これまで、ルツェルン交響楽団・歌劇場の音楽監督、フランス国立ロワール管の音楽監督を歴任、現在は王立セヴィリア響の音楽監督とミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響の首席客演指揮者を兼任している由。現代音楽も頻繁に取り上げているらしい。なかなかの実力者であるようだ。外見は上の写真よりも髪がクリクリで、体格ももう少しよかったと思うし、メガネをかけていた。加えて、衣装の具合もあり、ちょうどフランスの名指揮者ステファヌ・ドゥネーヴとそっくりのような気がした (笑)。

さて今回の演奏であるが、一言で言えば、いや実に楽しいものであった。最初の「二人でお茶を」の冒頭など、金管、特にトランペットに一層の磨きが欲しい点はあったが、木管は自発性に富み、またいつものように弦楽器の厚みとニュアンスは最高で、響きのよいホールで聴くことのできる N 響は本当に素晴らしい。最初のショスタコーヴィチの「二人でお茶を」は、米国の軽快なミュージカルナンバーの編曲なのだが、作品番号がついているということは、作曲者としてはよほどの自信作だったのだろう。1928年、22歳のショスタコーヴィチが、指揮者ニコライ・マルコ (あのムラヴィンスキーの師である!!) にそそのかされて、ラジオから聴こえて来たこの曲を、たったの 45分で大編成のオーケストラ曲に編曲したものと言われている。真偽のほどは分からないが、学生の頃から天才の名をほしいままにしたショスタコーヴィチが、未だ後年の政治に翻弄される前の自由な時代にのびのびと筆を取ったことが感じられて、私は好きなのである。続くジャズ組曲 1番は 1934年の作。当時ソヴィエト・ジャズ委員会に属していた作曲者が、ジャズの普及を目的として書いたという。私の感覚では、ジャズなど、戦後のスターリニズムにおける社会主義リアリズムと真っ向から対立する音楽だが、これもロシア・アヴァンギャルドの流れの最後の輝きであたのだろうか。この組曲は、いわゆるバンド音楽なので非常に編成は小さいが、バンジョーやハワイアンギターが入る。前者を弾くのは、あのアンサンブル・ノマドのリーダーである佐藤紀雄。後者は田村玄一という人であったが、組曲の最後の曲ではギターを膝の上に横にして、まるでツィターのように弾いていたのが面白かった。

実はそのジャズ組曲にもピアノを弾いて参加していた塩谷哲 (しおや さとる) が、次のチック・コリアの曲でソロを弾いた。彼は指揮者アクセルロッドと同じ 1966年生まれのピアニスト。東京藝術大学作曲科を中退してピアニストやプロデューサーとして活躍しているようである。ピアノのレパートリーは、いわゆるクラシック系よりは、ラテンやジャズやポップスがメインということになるようだ。この N 響 JAZZ at 芸劇のような企画にはふさわしいアーティストと言えるだろう。
e0345320_01142397.jpg
大編成のオケを前にして、最初はちょっと緊張気味かとも思われたが、音楽が流れ出すと全く心配不要。叙情性あふれ、また即興性も備えたピアノは、大変に美しいものであった。チック・コリアはもちろん有名なジャズ・ピアニストであるが、この「ラ・フィエスタ」という曲は、アルバム「リターン・トゥ・フォーエヴァー」の中のナンバーらしい。もちろんこれは、コリアが率いるグループの名前であることくらいは知っていて、アルバムも昔聴いたことがあると思うが、この曲を聴いた記憶はなかった。半分ほどはピアノソロで、時折オケがそれをかき混ぜるような曲であり、正直なところそれほどの名曲とは思わないが、演奏者が全員真摯に取り組んでいることで、充実した音楽として響いていたと思う。塩谷はアンコールとして、自作の "Life with You" というナンバーを演奏。これまた大変抒情的で、楽しめる音楽であった。

さて後半はバーンスタインの 2曲。ここでオケは本領発揮である。私が第一に感じたことは、楽員の面々が本当にこれらの曲 (特に「ウエストサイド」) を愛しているということ。そうでなければ、あんなに弾けるような音は出ないだろう。今やバーンスタインの音楽は、素晴らしい音楽として我々が受け入れられるものであり、「指揮者」バーンスタインの音楽ということではなく、「作曲家」バーンスタインの音楽として楽しめる時代が来たものと思う。実は、冒頭で指を鳴らすところや、「マンボ」の中で「マンボ!!」と叫ぶところなど、誇り高い N 響の楽員さんたちがちゃんとノリノリでやってくれるだろうかと思ったのだが、それは全くの杞憂であった。それどころか指揮者は「マンボ!!」の合いの手を客席に求めたのであったが、残念ながら舞台と客席が同時に熱狂して叫ぶということにはならなかった。かく言う私は、大好きなこの曲に参加しないことはあり得ないと思って参加したのだが、調子はずれの声で「まんぼー」と小さく呟くにとどまってしまった (笑)。いやそれにしても、この「ウエストサイド物語」のシンフォニック・ダンスは、本当にいい曲だ。先般ミュージカル全曲を久しぶりに鑑賞したこともあり、改めてこの曲がどの場面をつないでいて、どのような流れになっているのかを再確認することができた。ミュージカルの顔である「マリア」と「トゥナイト」を欠くこの組曲は、若者たちのエネルギーが悲劇にひた走る、その運命を扱っているのだ。「マリア」のメロディは「チャチャ」に出て来るし、「トゥナイト」がなくても「サムフェア」や「出会いの場面」で叙情性は含まれている。これは大変によくできた組曲であり、今回のような高いクオリティの演奏で聴くことで、聴衆はますますこの曲に引き込まれて行くのである。アクセルロッドの指揮は大変にストレートであり、大きなジェスチャーでオケを鼓舞する指揮ぶりは情熱的だ。面白かったのは、「ウエストサイド」の冒頭や「スケルツォ」でオケのメンバーが指を鳴らす場面で、何やらちょっと違う、何かを叩く音が混じっていたので、打楽器でも使っているのかと思ってよく目を凝らし耳を澄ますと、なんとそれは、指揮者が口の中で舌を鳴らす音であった!! このあたりも指揮者の持ち味が出ていると思う。また、アンコールでは「マンボ」が再度演奏され、まあ客席からの声は相変わらず「まんぼー」という感じではあったが、オケはプロフェッショナルに盛り上がっていましたよ!! 作曲家バーンスタイン、万歳!!
e0345320_01475301.jpg
ところで今回演奏されたうちの「オン・ザ・タウン」であるが、これはミュージカルの題名なのである。実は私はこの曲を学生時代に作曲者の自作自演で何度も聴いていて、ある日ジーン・ケリー特集だか何かで、劇場に「踊る大紐育」というミュージカル映画を見に行くと、題名が "On the Town" だったので、「あ、これ、バーンスタインの『オン・ザ・タウン』だったのか!!」と、ユリイカ状態になったのであった。そう、まさか「踊る大紐育」が「オン・ザ・タウン」だとは思わなかったもので (笑)。この映画 (1949年) における水兵 3人組は、ジーン・ケリー (スタンリー・ドーネンとともに共同監督を兼ねる) に加え、フランク・シナトラと、ジュールズ・マンシンだ。楽しい映画だった。
e0345320_01535562.jpg
鬱陶しい 8月を吹っ飛ばす、大変に楽しい演奏会でした。

# by yokohama7474 | 2017-08-20 01:55 | 音楽 (Live) | Comments(0)

タイ 仏の国の輝き 東京国立博物館

e0345320_09521722.jpg
前項の記事でも書いた通り、私の文化体験の原点は仏像なのであるが、仏像仏像とうるさく唱えている割には、日本以外のアジア諸国の仏像や仏教遺跡を見に行った機会はさほど多くない。韓国の慶州とか、カンボジアのアンコールワット (これは仏教とヒンズー教が混在)、インドのアジャンターやエローラには行ったことがあるが、恥ずかしながら、インドネシアのボロブドゥールとか、中国の敦煌や雲崗、龍門、あるいはスリランカには行ったことがない。そしてタイについては、一度だけ出張でバンコクを訪れた際に黄金仏をかろうじて見ることができた程度。スコータイやアユタヤという仏教遺跡には是非とも行ってみたいのだが、未だに果たせていない。そんな私にとって、タイの最高レヴェルの仏像に対面できるこの機会は非常に貴重なものである。日タイ修好 130周年を記念する特別展で、既に九州国立博物館で開催された後、現在東京国立博物館で開催されているもの (8/27 (日) まで)。以下、この展覧会の印象を徒然に書いてみよう。

まず会場に入ると、このような美しい仏さまが出迎えて下さる。展覧会のポスターにもなっている「ナーガ上の仏陀坐像」である。12世紀末から 13世紀の作とされていて、シュリーヴィジャヤ様式。シュリーヴィジャヤとは、7世紀からマラッカ海峡を支配して東西貿易で重要な地位を占めた海上交易国家である。この仏陀が乗っているのは大きな蛇であるが、よく見るとこの大蛇、ぐるぐるととぐろを巻いて仏陀の台座になっていると同時に、7つの鎌首をもたげて光背ともなっている。これは、瞑想する仏陀を龍神が風雨から守ったという説話によるもので、ここでは水と関係する蛇の神ナーガがその役を負っている。この造形の面白さは東南アジアならではである。
e0345320_09532994.jpg
e0345320_10275148.jpg
会場はいくつかのコーナーに分かれているが、まずは「タイ前夜 古代の仏教世界」である。日本に住んでいると、我々の国以外のほとんどの場所では、様々な文化・文明が混じり合い、時に融和、時に対立して様々に変容していったというダイナミズムを忘れがちであるが、このような展覧会からそのようなことを学べる。これは 5世紀末から 6世紀前半の作とされる仏陀立像。マレー半島東側のウィエンサという場所での出土とのことだが、一見してこれはインド風である。実際にグプタ朝のものであり、インドに渡った修行僧や商人が持ち帰ったものと考えられている。
e0345320_10334229.jpg
これは 7世紀の仏陀立像。青銅製で高さ 20cmの小さなもの。やはりインドからの請来品であるようだ。このような、両肩を覆い (いわゆる「通肩」)、体の線を浮き出させる衣の着方は、日本の仏像にはない。小金銅仏ということなら、この時代には日本には既に大陸・半島から沢山入ってきており、多分日本でも作られたと思うのだが、この作品とは随分違った造形になっている。この時代にして既に、南アジア・東南アジアの美意識と東アジアの美意識が違って来ていることは興味深い。これは風土・気候にも関係しているのだろう。
e0345320_10465400.jpg
これは 7~8世紀、ドヴァーラヴァティ様式の仏陀立像。説法印 (これは日本にも入ってきた) を結んでいるお姿はなかなかに神々しい。指の表現など、非常に力強く表情豊かで、印象に残る。
e0345320_10530424.jpg
これも 7~8世紀、ドヴァーラヴァティ時代の法輪頂板。この上に法輪 (釈迦の教えを広めるための車輪状の法具) を載せたのであろう。ここで浮彫された容貌魁偉の怪物たちは、握った手の中の植物から唐草が勢いよく出ていて、生命力に満ちている。インドでヤクシャと言われる自然神に由来すると見られているらしい。
e0345320_11024509.jpg
ところで寺好きなら誰しも、これを見て連想するものがあるだろう。そう、奈良の薬師寺の本尊、薬師如来の台座に描かれた巻毛の鬼神たちである。よく日本がシルクロードの東の終点であることを示す好例と言われるその鬼神たちは、こういう姿をしている (もちろんこのタイ展には出品されていません)。これ、日本にあると信じられない人もおられようが、上古の文明のダイナミズムを感じることができるではないか。実際これも 7~8世紀の作であろうから、上のドヴァーラヴァティ時代のタイの作品と同時代の作なのである。
e0345320_11133987.jpg
これもまた 7~8世紀のドヴァーラヴァティ時代のもので、マカラ像装飾背障。マカラとは、インドの想像上の怪物。背障とは、玉座の背もたれのこと。つまりこれは玉座の背もたれの一部であるが、その先端にはマカラが大きく口を開け、そこから何か別の生き物が飛び出している。
e0345320_11174242.jpg
先端のアップがこちら。ちょっと分かりにくいかもしれないが、これは牛の角を持った獅子であるとのこと。両方の前足を上げているのがなんとも愛嬌があるが、全体としては異形の者たちの印象が強烈で、なかなかにワイルドだ。
e0345320_11305735.jpg
ドヴァーラヴァティ時代の作品が続くが、これはやはり 7~8世紀の舎衛城神変図 (しゃえじょうじんぺんず)。仏伝の中から、釈迦が異教徒の挑戦を受けてそれを神通力で撃退する場面。中央に聳えるのはマンゴーの木らしい。素朴だが力強い作品だ。
e0345320_12444415.jpg
これらもドヴァーラヴァティ時代のもので、ともに菩薩立像。壁面に嵌め込まれていたものであろうか。特に左のものは、からだを大きくひねっていて面白い。会場で間近に見ると、壁面から崩れ落ちたものが未だに強い生命力を保っている様子が伺われて、感動的だ。
e0345320_12501727.jpg
この地域には多くの民族がいて、様々な文化・文明が混淆したわけであるが、宗教の面においては仏教とヒンズー教は入り混じっており、東の果ての日本においてもその名残り (主として明王、天部の造形において) があるくらいだから、ましてやこの東南アジアにおいては大らかな混淆ぶりが面白い。これはそんな中でも大変に変わったヒンズー教の神像で、アルダナーリーシュヴァラ坐像。なんでも、男神シヴァとその妻の女神パールヴァティーが一体になった姿とか。右半身が男、左半身が女である。この写真では少し分かりづらいが、確かに左側にだけ胸のふくらみがあるという特殊な姿なのである。造像の時期については 6世紀から 9世紀まで諸説あるらしい。
e0345320_12541376.jpg
これは 8世紀の菩薩立像。タイ風というよりはカンボジア風に見えるが、この記事でこれまでご紹介した作品にはなかった多臂像であり、そのスラリとした長身はなかなかに美しい。腰ひもを結んでいるのが印象的 (これも日本にはない東南アジアテイストだ) だが、それ以外に一切衣をつけていないのが不思議な気がする。もしかして本物の衣類を着せたりしたのでは? と勝手に想像するのも楽しい。
e0345320_13002365.jpg
これは 12~13世紀の人物頭部。北部タイに存在したハリプンチャイ王国で作られた彫刻であるが、タイトルとして「人物」としているのは、神像・仏像の類ではなくて王族の肖像かもしれないということだろうか。明らかに微笑を浮かべたこの表情はなんとも清廉で、もしかすると民衆から慕われていた王の顔なのかもしれない。
e0345320_13053205.jpg
これもまたカンボジアのアンコール風の作品で、12世紀末~13世紀初期の観音菩薩立像。アンコール・トムのバイヨン寺院を建造したジャヤヴァルマン 7世の時代に、そのアンコール・トムで制作させてタイに運ばれたものと考えられているらしい。非常にがっしりしたモデリングであり、いわゆるタイの仏像のイメージとは異なっているが、クメール文明はそれだけ周囲に対する影響力があったということか。現在でもカンボジアとタイの国境周辺の遺跡の性質 (どちらの国に優位性があったか) を巡って、両国民の間で意見の相違があると聞いたことがあるが、文化的にはそれぞれの個性があり、それらが混じり合うことこそが面白いのである。
e0345320_13090339.jpg
さて、これは 15世紀の仏陀坐像。スコータイ時代のもので、これぞタイの仏像というイメージである。大らかで、堂々たる体躯。
e0345320_13162483.jpg
タイと言えば遊行仏 (ゆぎょうぶつ) である。仏陀が歩いて説法する場面を表したもの。これも 14~15世紀のスコータイ時代のもので、仏陀遊行像。独特のからだの曲線がなんとも面白い。
e0345320_13192179.jpg
これも遊行仏であるが、台座の銘文から1481年という制作年が判明するもので、ラーンナータイ様式。上の遊行仏よりも前のめりで、足元に視線を投げておられる。
e0345320_13215496.jpg
それもそのはず、この仏陀が歩を進める先には、彼以前に悟りを開いた先達たち (過去仏) の足跡が、仏足跡として刻まれているのだ。なんともユニークな造形ではないか。
e0345320_13244827.jpg
これはスコターイ時代、15世紀のハリハラ立像。仏教の像ではなく、ヒンズー教のもので、シヴァ神とヴィシュヌ神が合体した姿。何やら異様な迫力のある像で、吸い寄せられるように見入ってしまう。だが指先の柔らかさなどは、やはりタイ独特のものだと思う。
e0345320_13273151.jpg
これは 15世紀初頭、アユタヤー時代の金象。高さわずかに 15.5cmの小品だが、この造形は見事なもの。ミニチュアながら、背中には貴人の乗る輿が据え付けられている。
e0345320_13303286.jpg
これもアユタヤー時代、15世紀の金ぴかの仏陀坐像。ワット・マハータート遺跡の仏塔の地下から出土したものである。いかつい容貌の仏陀だが、いわゆる上座部仏教 (もともとは日本等に伝わった大乗仏教に対して小乗仏教と呼んだが、蔑称的なので最近ではこのように呼ばれる。簡単に言うと、大衆救済ではなく、出家による個人の悟りを中心とする仏教) のタイでは、慈悲の表情よりもこのような表情の方がふさわしいのだろうか。
e0345320_13380523.jpg
会場にはまた、タイと日本の古いつながりを示す資料も多く展示されている。江戸時代初期、日本ではシャムと呼ばれた当時のタイに移住した人物といえばこの人、山田長政だ。これは 19世紀に描かれたもので、所蔵するのは私も先般訪れてその建築の素晴らしさに驚愕した、静岡浅間神社。山田は静岡出身とされているらしい。
e0345320_13404593.jpg
長政が作った日本人町は、最盛期の人口 1,000~1,500人だったとされていて、商人のみならず浪人たちも多く移住してきたらしい。タイで国王の義勇兵としても日本人が働いたということだ。この 1918年の「カティナ (功徳衣) 法要図」には、なぎなたを持った剃髪の日本人義勇兵が描かれていて、大変興味深い。
e0345320_13580345.jpg
さて、会場の最後の方のコーナーでは、写真撮影が許されているので、私自身がその場で撮影した写真をご紹介する。バンコクのワット・スタットテープワラーラム仏堂というところの大きな扉の実物と、本尊の写真が展示されている。この寺院はラーマ 1世 (在位 1782 - 1809) の命によって着工され、1847年に完成したもの。本尊は 1366年にスコターイで制作された 8mの大仏で、1808年に水路バンコクへと運ばれた。今回展示されている大扉は高さ 5.8m、表面には様々な動植物の浮彫、裏面には壁画がほどこされた見事なものであるが、1959年に線香の香炉から火が出て損傷してしまったらしい。バンコク国立博物館で保管されていたが、経年劣化が進んだため、住友財団の支援を受けて、2013年から修理が始められ、九州国立博物館が協力したという。今回の展覧会では、修復なった扉を展示することで、日・タイの友好関係を深めようという趣旨であるらしい。素晴らしいことだ。
e0345320_14031339.jpg
e0345320_14032408.jpg
e0345320_14033434.jpg
このように、歴史的な変遷を含めてタイの彫刻・工芸の逸品の数々に触れられる貴重な機会である。日本の仏教美術との違いからも、様々なことを考えるヒントが得られるので、広い視野で古美術を見たいと思う人には必見の展覧会と言ってよいであろう。

# by yokohama7474 | 2017-08-19 14:19 | 美術・旅行 | Comments(0)

正木晃著 : 仏像ミステリー

e0345320_23310760.jpg
親譲りの仏像好きで、小供の頃から得ばかりして居る。などと漱石を気取るのはやめにして、この本について語ろう。私が仏像の美に目覚めたのは、小学校 5年生のときの、忘れもしない 5月 5日、小供、いや子供の日。たまたま両親が奈良に行くのに、参加を予定していた親戚がキャンセルしたので、急遽半ズボンの私がピンチヒッターとして参加したのである。40年以上前のその日は、私にとっては早すぎる人生の転換期で、奈良の古寺の数々の存在感に、まさに雷に打たれたような衝撃を覚えたものだ。今、多少は人生の機微を分かっているつもりの私は、その日に本当に感謝している。なぜなら、仏像の神秘に触れて以来、この世界には何か奥深いものがあるのだと察知し、それから美術全般、音楽、文学、映画・・・と、文化全般に私の興味は広がって行き、明らかに私の人生は豊かになったからだ。そんな私であるから、これまでの人生で日本の代表的な仏像のほとんどは見尽くしているし、まだ見ていない仏像のリストは、いつも頭の中にあるのである。そんな仏像マニアの私も、この本は大変面白く読んだ。本のオビにある宣伝文句は以下の通り。

QUOTE
美しいオモテの顔のウラに怨霊鎮魂 & エロス 阿修羅、弥勒菩薩、薬師如来...有名仏像の "真実"
UNQUOTE

これはなかなかによくできたコピーであり、上に掲げたこの本の表紙も、なかなかよくできている。この仏像は、言うまでもなく、東大寺三月堂の本尊、不空羂索 (ふくうけんじゃく) 観音。天平時代を代表する仏像で、その長身の美しいことは筆舌に尽くしがたく、冠に嵌め込まれた数多くの宝石とともに、まさに日本の歴史上有数の素晴らしい造形なのである。この表紙では、その不空羂索観音の写真を掲載しているのかと思いきや、これはイラストなのだ。そして、右上には何やら少女マンガめいた女性の顔が描かれているが、おっと、この女性の右半分は真っ黒で、ただならぬ気配。これは一体どういうことか。もともとこの仏像が安置されている東大寺三月堂には、いろいろな謎があるのだが、この威風堂々たる本尊がいかにして発願されたのか、はっきりしたことは分からない。だが、どうやら藤原広嗣の乱 (740年) が勃発した際に、その乱の平定を祈って建てられたという説があるらしい。この例で分かる通り、上代の仏像にはしばしば呪術的な要素があり、この女性像はそれを象徴している。これは光明皇后なのか、その娘の孝謙天皇 = 称徳天皇であるのか分からぬが、美しい仏像の裏に秘められた血塗られた歴史を表しているのだろう。これが、神々しい不空羂索観音のお姿。左右にいるのは日光・月光 (がっこう) 菩薩である。もちろんすべて国宝だ。私はこれらの仏像に、恐らくは 20回ほど対面しているが、この東大寺三月堂は、何度行っても飽きることのない場所で、まさに世界の宝である。
e0345320_00294706.jpg
この本では冒頭に、日本にいかに多くの仏像が伝来しており、そのクオリティがいかに高いかが強調されている。これは別に愛国的な偏った記述ではなく、客観的な事実である。そんな前提において、この本においては以下のような仏像 / 人物 / 古寺についての興味尽きない言説が述べられている。

・法隆寺 救世観音
・東大寺 不空羂索観音
・興福寺 阿修羅
・広隆寺 弥勒菩薩
・神護寺 薬師如来
・三井寺 黄不動画像
・三十三間堂 千手観音群像
・良源
・安陪晴明
・祐天上人
・飛鳥寺
・成田山新勝寺
・平等院鳳凰堂
・天龍寺
・出羽三山

この中のいくつかについてはこのブログでも採り上げているが、だが私はそれぞれの項目について、必ずと言ってよいほど、この本に教えられるところがあった。知れば知るほどに自分の無知に気づく、それこそが文化の奥深さであろう。例えばこの中で、祐天上人を採り上げてみよう。この人の名前を知っている人はほとんどいないであろうし、私自身も知らなかった。だが、東京在住の人で、目黒の祐天寺という駅名を知らない人は稀であろう。そう、祐天上人 (1637 - 1718) は、この駅名の由来となっている祐天寺を開いた僧なのである。この本によると祐天上人は、幼い頃に家から勘当されている。その理由は、物覚えが極端に悪かったことらしい。勘当されて寺に入った祐天はやはり、経文を暗記することが全くできなかった。なんでも、70日かかっても一字も覚えられなかったというから、それはひどい (笑)。そして哀れ祐天は、彼が修行していた増上寺の門前まで当時迫っていた海に身を投げようとした。そこを通りかかった兄弟子に救われた祐天は、増上寺の開山堂にこもって不眠不休の断食修行をすれば、智慧を授かり、名僧になれると聞かされ、その修行に入った。その修行の中で、祐天の目の前に白髪の老人が現れ、「お前のバカさは前世の因縁でどうしようもないが、成田山新勝寺で 21日間の断食修行をすれば、必ずや智慧を授かるであろう」と告げた。成田山に辿り着く途中も追いはぎに遭い、修行中にも様々な幻影が現れて修行をやめさせようとしたが、祐天はそれらの難をすべて退けた。そしてついに祐天の前に、猛火に包まれた身の丈 3mの不動明王が現れ、「智慧を授かりたいなら、我が剣を呑め。長い方がよいか短い方がよいか」と尋ねた。祐天が迷わず「長い方を」と答えると、不動明王は容赦なく長い剣を祐天の口に突き刺した。祐天はあまりの痛みに悶絶し、全身血まみれとなった。この話は歌舞伎にもなっているようだ。
e0345320_00593359.jpg
血まみれで倒れているところを発見された祐天は、その後、経文を一度聞いただけで一字一句間違えることなく覚えるようになったという。それからも祐天の苦労は続いたようだが、江戸を代表するいわばゴーストバスターとして、数々の怨霊を退治したらしい。目黒の祐天寺は、そんな祐天が晩年に過ごした庵を寺にしたものだという。この逸話を現代に置き換えると、学習障害を持つ子供でも、本人の決意と周りの理解さえあれば、立派な業績を残せるということを意味しているのではないだろうか。現在の祐天寺には、数々の登録有形文化財があるという。そのうち一度出かけてみたいものだ。
e0345320_01091627.jpg
この本にはその他、先に採り上げた出羽三山に関する部分もあるし、とにかく、寺好き、仏像好きにとってはもう面白すぎるのだ。著者の正木晃は、1953年生まれの宗教学者で、専門は密教学とチベット密教であるらしい。その分野で、ほかにも面白そうな本を沢山書いている。この「仏像ミステリー」のよいところは、盛り沢山の情報を、誰にでも分かりやすい平明な言葉で綴っていることで、これはなかなか困難なことであるはず。だから私はこの本を、仏像好き以外の方々にも、広くお薦めしたいのである。

# by yokohama7474 | 2017-08-19 01:13 | 書物 | Comments(0)

いなごの日 / クール・ミリオン ナサニエル・ウエスト傑作選 (柴田元幸訳)

e0345320_20585015.jpg
よく書いていることだが、私は本屋をブラブラするのが好きな人間で、昨今のネットでの書籍の購入は、もちろん頻繁に利用はするけれども、本当の意味でのワクワクするような本との出会いは、やはり本屋でなければ得られないなぁと、いつも思っているのである。この本もたまたま本屋で手に取ってみて、なかなか面白そうだったので読んでみることにしたものだ。新潮文庫の村上柴田翻訳堂というシリーズ、つまりは翻訳も手掛ける作家村上春樹と、翻訳の専門家柴田元幸の二人が面白いと感じる英米文学を新訳・復刊で紹介するものだ。全 10冊であるが、そのラインナップを見てみると、有名作家無名作家を取り混ぜて、なかなか面白そうである。その中で私の目に留まったこの本。ナサニエル・ウエスト (1903 - 1940) の作品集で、新訳である。この作家の名前、何かどこかで聞いたような気がするが、気のせいかもしれない。米国の作家でナサニエルというファースト・ネームを持つ人は、もちろん「緋文字」で有名なホーソーンがいるが、彼はこのウエストよりも 100年も前の人。特に両者の間に関係はないようだ。そもそも名前の綴りが、ホーソーンの方が通常の "Nathaniel" であるのに対し、ウエストは "Nathanael" であり、訳者柴田元幸の解釈では、あのドイツ・ロマン派の幻想作家 E・T・A・ホフマンの「砂男」の主人公の名前を取ったのではないかとのこと。なるほど、そっち系の作家であれば、私の好みにもバッチリ合うはず。実はナサニエル・ウエストの本名はネイサン・ワイスタインといって、ユダヤ人である。この本のふざけた表紙が彼の肖像かと思いきやそうではなく、こんな人だったようだ。
e0345320_22420897.png
彼の生まれはニューヨークだが、大学をひどい成績で卒業して (おっ、親近感が湧くぞ)、家業の建築事務所を継がずにふらっとパリに渡ったらしい。1927年に帰米し、ホテルの夜勤マネージャーとして小説を書き始める。だが生前には結局どの小説も出版には至らず、困窮するが、1930年代後半からハリウッドに出入りし、何本もの映画の脚本に関わったことで経済的には救われたらしい。ヒッチコックの「断崖」も、第 1ヴァージョンのシナリオは、ウエストともうひとりの脚本家による作であったらしい。「華麗なるギャツビー」(最近では「グレイト・ギャツビー」という方が多いかな) のスコット・フィッツジェラルドは一貫してウエストの擁護者であったらしいが、奇しくもフッツジェラルドが心臓麻痺で死亡した翌日の 1940年12月22日、ウエストは猛スピードで車を走らせ、対向車に激突して、新妻とともに 37歳の短い生涯を終えた。このように伝記的なことを書いているだけでも、何やら教養主義や人道的な考えとはちょっと違った、風変わりで破滅的な作風を想像するが、その作品を読んでみると、やはり風変わりで破滅的なのである (笑)。この本には最後の作品である「いなごの日」と「クール・ミリオン」という 2つの中編、「ペテン師」と「ウェスタンユニオン・ボーイ」という 2つの短編が収められているが、私が実に面白いと思ったのは、「クール・ミリオン」だ。大志を抱いて旅に出る青年と、その周りの人たちが、波乱万丈の運命に翻弄される荒唐無稽な話だが、いやその話のブラックであること。私がこれを読みながらずっと思い出していたのは、ヴォルテールの「カンディード」である。バーンスタインによるミュージカル「キャンディード」の原作としても知られるこの小説は、18世紀フランス啓蒙主義者の作とは思えない、強烈に面白い内容であり、実にブラック。「クール・ミリオン」において容赦ない残酷な目にこれでもかと見舞われる主人公やその恋人の姿は、本当にカンディードと恋人クネゴンデの姿そのままではないか。この「カンディード」、岩波文庫で簡単に手に入るので、バーンスタインによるミュージカルをご存じの方もそうでない方も、是非一読をお薦めする。
e0345320_23363765.jpg
もちろん、ウエストがヴォルテールを模倣したのか否か、私には分からない。だがここには明らかに、「カンディード」と同じ精神が流れている。笑いの要素を越えて、残酷なまでに人間の本質を暴きたてずにはいられない作家の情熱と言ってもよい。もちろん、米国の社会の中に今も昔も存在する差別意識や、その裏返しの協調性も、物語の重要な要素としてそこここで出て来る。全くとりとめなく話は展開して行くので、とても緻密な計算のもとに書かれたものとは考えられないが、作者の創り出したいトーンはよく理解できる。

それに比べると、もう 1編の中編「いなごの日」の方は、もうひとつインパクトに欠けると思う。ハリウッドで夢を追ったり、破れた夢を抱えながら生きて行く人たちが描かれており、ウエスト自身のハリウッド体験が反映されているらしいが、ブラックさという点では「クール・ミリオン」には及ばない。ただ、登場人物のひとりひとりは、こちらの方がよく描かれているとも言えるだろう (村上春樹はこの本の巻末の柴田元幸との対談の中で、「クール・ミリオン」よりもこちらの方が、小説としてはるかにまとまっていると評価している)。ちょっと細部に入ると、私が感嘆した点は、ここで言及される芸術家たち。例えばピカソ、フアン・グリス、ガートルード・スタインは、この作品が書かれた 1930年代にはバリバリの現役であったはず (調べてみると、実際にはグリスは 1927年に亡くなっているが)。パリで多感な 20代の一時期を過ごしたことで、新たな芸術の潮流を存分に浴びたことが推し量られる。だが、さらに驚いたのは、歴史的な画家の名前が列挙されている箇所。まず、サルヴァトル・ローザ、そしてフレンチェスコ・グアルディ。私は恥ずかしながら両方とも知らなかったのだが、前者は 17世紀ナポリの画家で詩人。リストの「巡礼の年」(村上春樹ファンにはおなじみだろう --- 私は特にそうではないのだが) 第 2年「イタリア」の中に、「サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ」という曲があることでも知られているらしい。また後者は 18世紀の画家で、カナレットに続く世代としてヴェネツィアを描き続けた画家。なるほど、渋い 2人の画家が選択されている。だが真の驚きは、その次に出る名前である。モンス・デジデリオ。私はその名を、軍艦島を訪問した際の記事において言及したが、かつて三島由紀夫も愛した 17世紀イタリアの画家であり、巨大な廃墟がなぜか理由もなく崩れ落ちて行く、まるで世界の終わりのような底知れぬ虚無感漂う神秘的な作品を描いた。国内で紹介されているのは、このトレヴィルの画集だけだと思う。一時期は確か絶版であったと記憶するが、今調べると、幸いなことに復刊されているようだ。これまた、大のつくお薦め美術書である。
e0345320_00044924.png
このように、ナサニエル・ウエストの興味の中には古今の芸術があったわけで、これは単なる雰囲気作りとか教養主義といったものとは一線を画しているものと思う。小説そのものの評価については人それぞれであろうが、少なくとも、生き急いでいたようにしか思えないこの作家の心の中の深い部分に、人間の深層心理に迫る高い芸術性が潜んでいたことは間違いないだろう。その意味では、短編ながら「ペテン師」という作品に、彼の指向が凝縮して入っているとも言えると思う。これ、本当にブラックなので、相当覚悟して読む必要がありますよ。

生前は作家として認められなかったウエストであるが、戦後になってブラックユーモア作家たちの先駆者として再発見されたらしい。実は「いなごの日」は、1975年にジョン・シュレシンジャー監督、ドナルド・サザーランド主演で映画化されている。私は見ていないが、さて、面白いのだろうか。
e0345320_00202163.jpg
そもそも「いなごの日」とは、聖書の黙示録に、いなごの大群が世界の終わりに発生するとの記述があることに由来し、終末的な意味合いがある。確かにこの小説のラストには、終末的なイメージが存在するのだ。なるほど、ここでモンス・デジデリオとも共通性が出てきましたな。まぁ、この小説をモンス・デジデリオ的と表現することはできないとは思うものの。いずれにせよ、いろいろなイメージを持つことができるので、ブラックなものがお好きな人は、試しに読んでみられては如何。

# by yokohama7474 | 2017-08-18 00:25 | 書物 | Comments(0)

ヒトラーへの 285枚の葉書 (ヴァンサン・ペレーズ監督 / 英題 : Alone in Berlin)

e0345320_09572271.jpg
荒唐無稽のストーリーの娯楽大作にも映画の面白さはもちろん大いにあるものだが、その一方で、歴史的な事実に材を採った社会的なメッセージを持つ映画に接することもまた大事であろうと考える。あえて言えば、そのように様々な違ったタイプの作品に接することで、映画という表現分野の持つ力の多様性を実感できるし、見る方の鑑賞の幅も広がろうというものだ。この作品など、そういう問題意識のある人には、かなり興味をそそられるタイプの作品であると思う。題名の示す通り、第二次大戦中のドイツを舞台にした物語。ストーリーは分かりやすい。戦争で我が子を失ったドイツ人夫婦が、それを機会にナチ政権を非難する匿名のカードをベルリンの街中にばら撒き始める。当然ながらゲシュタポ (秘密警察) が犯人を探し求めるが、なかなか見つけることができない。夫婦が街中に配って歩いたカードの数は、実に 285枚。だが、果たしてナチの手から逃げおおせるのか・・・というもので、実話に基づいていることもあり、いかにも重いテーマを扱っている。私個人はしかしながら、この作品が、映画としてそのテーマを充分に咀嚼し、歴史に残るような水準の作品になっているかと問われれば、残念ながら否定的な答えになってしまうだろう。以下、徒然に印象を綴ってみよう。

ここで夫婦を演じているのは、アイルランド人俳優のブレンダン・グリーンソンと、英国出身のオスカー女優、エマ・トンプソン。
e0345320_23122940.jpg
私がこの映画に注目したのは、まず第一にはエマ・トンプソンの出演であったのだが、なぜかここでの彼女は、時にかなりパターン化された演技をしているように思われてならない。もちろん、期待通りの非凡なシーンもあるが (ナチ親衛隊中佐の夫人を責める箇所など)、どうだろう、ちょっと遠い目をしているシーンが多すぎないか。ここでの彼女の役回りが、無謀な試みを始める亭主に対して、彼を咎めながらも同調する忍耐強い女性の姿であることは分かる。そしてその裏に、この夫婦の堅い絆があることをこの映画が示そうとしていることも分かる。だが、それでもやはり私は納得しない。例えば、昔を思い出して二人だけの時間に慰めを見出そうというシーンは、ちょっとこの映画の趣旨に反するのではないか。戦争下、愛する息子を失いながらも必死に生活を送る夫婦に、甘い慰めを考える余裕があったか否か。もしかすると作り手の意図は、悲惨な現実を描きながら、観客に癒しを与えたいということなのかもしれないが、もしそうなら、それはやはり映画の基本トーンに沿わないように思うのだ。一方のブレンダン・グリーンソンは、これまで数々の映画に出演しているものの、主演映画は少ないようだ。いわば彼の地味さが、この父親役に適しているとの判断による起用であろうか。確かに、寡黙で不器用ながら、心の中には強いものを持って決然たる行動に出るという人物像は、よく出ている。だが、やはりここでも、何かが足りないもどかしさを否定することができない。それは恐らく、普通の人に潜む狂気のようなもの、それが出て来ていないからではないか。実はほかにもう 1人、重要な役柄の登場人物がいる。この人だ。
e0345320_23254655.jpg
ドイツ人俳優、ダニエル・ブリュール。ここでの役柄は、主役夫婦を追い詰めるゲシュタポの警部である。タイプとしては、彼の名を一躍高めた「ラッシュ / プライドと友情」における天才レーサー、ニキ・ラウダに近いものがあると言えるだろう。つまり、優秀な能力を持ちながら、他人とのコミュニケーションには問題があり、その行動が冷徹一辺倒に見えながらも、実は人間性もあるという点においてである。だが大きく違う点が一つある。それは、ここでは彼は現場をすべて任されているわけではなく、メンツを重んじる党 (親衛隊) からの強いプレッシャー、しかも人の命にもかかわるようなものの下にいるという点だ。そのつらい立場と、一方で妥協のない強い信念をよく表現しており、私は彼こそがこの映画における最大の功労者であると思う。

と書いていて、ひとつ頭をよぎったことがある。それは言語。この映画はドイツを舞台にしていて、登場人物の役柄も全員ドイツ人である。にもかかわらず、使われている言語は英語なのだ。これは些細なようでいて、やはり大きな問題であるように思う。戦時下のドイツをリアルに描くなら、ドイツ語の響きでなければ、本当の意味の切実さは出ないのではないだろうか。これは私が音楽好きで、オペラにおける原語主義に毒されているということもあるのかもしれないが、でも、「ハイル・ヒトラー!!」と敬礼する人たちが英語で会話しているなんて、大いに違和感があり、やはりおかしいと思う。実はこの映画、英・仏・独の合作映画であり、世界での公開を前提にするなら、商業上英語が最も有利という事情があったのかもしれない。だが。だがである。こんなことを言ってもせんないと思うが、例えばメル・ギブソンがこの映画を撮るとしたら、やはりドイツ語で撮ったと思うのである。言語の選択はひとえに、作り手の信条の問題。この監督には違った信条があったということだろう。これについては後述する。

ここで話題になった本作の監督は、実は自身で脚本も書いているのだが、その名はヴァンサン・ペレーズ。どこかで聞いた記憶があると思ったら、この人でした。
e0345320_23443416.jpg
そう、あのパトリス・シェロー (もちろんオペラファンにもおなじみの名前) 監督の「王妃マルゴ」で、あのイザベル・アジャーニ (最近活動を聞かないですねぇ、でも素晴らしい女優) と共演していたあの俳優なのである。この映画を見たのはちょっと前と思っていたが、調べてみると 1994年。もう 23年も経っているかと思うと空恐ろしいが、スイス出身のこのヴァンサン・ペレーズは現在 53歳。まだまだイケメンの面影は充分ですな。
e0345320_23492715.jpg
この作品で彼が描きたかったのは、特別な英雄ではない普通の夫婦が、恐ろしいナチス体制下で自分たちの声を発したということで、その意義は現代に我々にも響くものだと思ったからだという。また、ドイツ人とスペイン人の血が流れている自分のルーツを探ると、ドイツ人の叔父が戦死していたり、スペイン人の祖父がファシストに銃殺されていたりという事実が分かったことが、本作の制作を後押ししたようだ。実はこの映画には原作があり、ハンス・ファラダというドイツの作家が 1946年、死の 3ヶ月前に発表した「ベルリンに一人死す」(邦訳も出ているようだ) である。本作の原題、"Alone in Berlin" は、その原作の英題と同じなのであろうか。この「ベルリンに一人死す」という小説は、ファラダがゲシュタポの資料に基づいて、つまりは現実に起こったことを題材として、命を削るほど凄まじい勢いで書き上げたものだが、2010年になってようやく英訳が出版され、ベストセラーになったらしい。ペレーズがこの映画を英語で撮ろうと思ったのは、それが理由だとのこと。これが原作者のファラダ。ナチから睨まれ、精神的葛藤から極度のアルコールと薬物依存に走ったらしい。
e0345320_00044332.jpg
確かに、この作品が突きつける重いテーマは、我々ひとりひとりに、独裁制のもとで自らの意見を明確にする勇気が果たしてあるか、という問いであろう。もちろんそこには命の危険があり、そう軽々に「自分でも同じことをやっただろう」と言える人は、まずほとんどいないであろう。その一方で、追いかけるゲシュタポにも様々な人間の確執やメンツ、階級制があり、決して一枚岩ではなかったこともここで描かれていて、興味深い。なにせ、泣く子も黙るゲシュタポの警部がこんな顔になってしまうのだから、世の中複雑なのである。そして結末では、もっと複雑なことが起こってしまうのである。
e0345320_00202837.jpg
映画の内容については厳しいことを書いてしまったが、この映画のテーマの重さ自体には異論の余地はない。なので、事実としての重みは、充分受け止めたいと思う。どの時代を生きるにおいても、歴史に学ぶことほど大切なことはないのだから。

# by yokohama7474 | 2017-08-17 00:25 | 映画 | Comments(0)