宮川香山 眞葛ミュージアム

7月25日の記事で、名古屋のヤマザキマザック美術館で開催されていた宮川 香山 (1842 - 1916) の超絶的な焼き物をご紹介したが、彼の作品を集めた美術館、宮川香山眞葛 (まくず) ミュージアムに出掛けてみた。この美術館が建っているのは、横浜駅からさほど遠からぬ、横浜ポートサイド地区。過去 10年くらいの間に再開発されたエリアで、このようなモダンなタワーマンションが林立している。目指す美術館はその一角にさりげなく佇んでいる。
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まずはひとつ、香山の作品を見て頂こう。
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焼き物の壺なのであるが、そこから鳥が飛び出している。この感覚、ほかの日本の焼き物にあるだろうか。寡聞にして私は、少なくとも江戸時代にこれに類する焼き物が多く焼かれたという印象はない。ということは、明治期になんらかの理由によってこのような造形が頻繁になされたのであろうか。これまでにいくつかの記事でご紹介した明治時代の工芸品の凄まじい職人芸には、何か原動力があったはずだ。

日本人はもともと、自分たちの持っている実力について客観的な評価を下すことを得意としていないように思う。しばらく前に「日本辺境論」という本を読んだことがあるが、日本人はその長い歴史の中で、他国を牽引するような発想を持たずに、何かほかの中心的な存在から離れたところにいるという感覚で暮らしてきたという趣旨の本で、大変興味深かった。外圧を受けると恐れおののき、外国から見ても恥ずかしくないものを作ろうとする、そのようなメンタリティーが日本人には宿っているような気がする。日本の芸術もしかり。浮世絵の価値が海外で認められると分かると、それまで国内では見向きもされなかった浮世絵が、世界の芸術になる。黒澤明がヴェネツィアで賞を取ると、突然世界のクロサワになる。長らく海外で活躍していた小澤征爾がウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任すると、あるいは、大江健三郎がノーベル賞を取ると、慌てて文化勲章を授与する (あ、大江健三郎は拒否したのでしたね)。なんとも可笑しい限り。自分たちのやっていることを自分たち自身で評価できない、憐れな日本人。

明治時代は確かに、日本が海外に目を開き、がむしゃらに先進文明に追いつこうとした時代。そんな頃、欧米で数年おきに万国博覧会が開かれ、日本政府も国の威信をかけて美術・工芸品を出品した。その流れがあるのか否か、同時代の素晴らしい工芸品の数々が輸出用に作られ、国外で評価を高めることとなった。この宮川香山は、そのような時代に活躍し、空前絶後の作品を数々作った人だ。もともと京都の生まれで、若い頃は絵を描いていた。池大雅の弟子の息子に学んだとのことで、このような文人画を描いているが、題材は中国の陶磁器窯だ。若い頃から窯に興味があったものであろうか。
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そして、早くも明治 3年 (1870年)、横浜に輸出用の陶磁器を作るために眞葛窯 (まくずがま) を開いた。これは香山の生まれた京都の眞葛ヶ原に因んだものだろう。彼の作品を集めた美術館が横浜にあるのは、それゆえだと思われる。これは当時の窯の様子を描いたもの。古いですねー。
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当時、香山の作品は、欧米で大層もてはやされたらしい。この美術館が所有する、その華麗な作品の数々を見てみることとしよう。嬉しいことに、ここでは写真撮影が自由となっている。
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見れば見るほどに素晴らしい。だが、このような手法、高浮彫 (たかうきぼり) は、手間に比して経済性はよくなかったのであろう。香山は途中で作風を一変し、釉薬を研究し、清朝の磁器に倣った作品を作るようになった。この美術館には、そのような時代の作品もあれこれ並べられている。
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しかし、香山の遺作というのがこれだ。ここでは質素ながらも一匹の蟹が高浮彫として表されている。制作コストや作品の売れ行きという実務上の課題も多々あったであろうが、やはり香山が目指したのは、ただの焼き物ではなく、そこに命の息吹が存在する高浮彫であったのだと思う。
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このような作品は、フランス世紀末、アールヌーヴォーを代表する工芸家、エミール・ガレに直接影響を与えたのであろう。ガレが模倣したジャポニズムは、江戸時代の美術ではなく、最近まで忘れられていた宮川香山のような同時代の日本の芸術家によるものではなかったか。以下にガレの作品を二つ掲げておく。
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調べてみると、ガレは 1846年生まれ。香山のわずか 4歳年下。完全に同世代である。そのように思うと痛快ではないか。ヨーロッパの先端美術の霊感の源泉が、同時代の日本美術であったとは。日本がこれから成熟国家として存在感を示すには、まずは自分たちの文化的な伝統に気づくことではないか。このような美術館の開館により、我々日本人自身が、自らの文化に目を啓かされることになっている。ほんの小さな美術館ではあるが、リゾート地のガレの美術館に行かれるのであれば、是非横浜のこの美術館にも足をお運び頂きたいと願う次第である。その感覚があれば、「世界のナントカ」と言った表現はなくなって行くはずで、日本が文化国家として胸を張るためには、そのような風潮を醸成する必要があるだろう。頑張れ、ニッポン!! (あーあ。このような掛け声が辺境だっつぅの)。

# by yokohama7474 | 2015-10-18 22:47 | 美術・旅行 | Comments(2)

針とアヘン ~ マイルス・デイヴィスとジャン・コクトーの幻影 (作・演出 : ロベール・ルパージュ) 2015年10月11日 世田谷パブリックシアター

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東京、三軒茶屋にある世田谷パブリックシアター。世田谷区の公共施設であるが、なかなかオシャレな場所である。佇まいはこんな感じ。
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キャロットタワーと名付けられたこのビルには行政機能も備わっており、「住民票はこちら」などと書いてあると、ふと世田谷区民のふりをして、受付にいそいそと出かけて行きたくなる (笑)。だがそこをぐっとこらえて、今回は演劇鑑賞だ。以前にもここで芝居 (蒼井優主演の「サド侯爵夫人」、もちろん三島由紀夫のあれだ) を見たことがあり、今回が二度目になる。13時開演ということで、直前にランチをしようと思ったところ、どうやら最上階の 26階に展望レストランがあるとのことだったので、早速行ってみることに。その名もレストラン スカイキャロット。広々としたお店でメニューも豊富、しかも気の効いたことに、窓際のテーブルには 2名で並んで座り、眺望を楽しむことができる。この見晴らし、なかなかです。真ん中に東京タワー、左のずっと奥の方に、見にくいが東京スカイツリーも見える。落ち着いて過ごせる、いいお店です。推薦しておきます。
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さてこの芝居。一風変わった題名である。"Needles and Opium"、つまり「針とアヘン」、副題が「マイルス・デイヴィスとジャン・コクトーの幻影」だ。スタイリッシュなチラシとともに私の興味を惹いたのは、作・演出のロベール・ルパージュという名前。うーん、どこかで聞いたことがある。でもなんだか思い出せないぞ。まあしかし、この手のパフォーマンスは、ピンと来たら 110番。すぐにチケットを購入したのである。その後も結局、ルパージュの名前をどこで聞いたのか思い出せなかったものの、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで最近、あのワーグナーの「ニーベルングの指環」4部作を演出していて、その映像作品がディスクでも出ていることが分かった。その内容を見たことはなく、ほとんど事前情報はなかったのだが、それでもピンと来た自分の勘を信じよう。・・・そして勘は見事的中。大変面白い作品であった。チラシの宣伝文句にルパージュのことを映像の魔術師と形容していて、この手の呼び名は眉唾なことも多いのであるが、今回ばかりは正真正銘、映像の魔術師の称号に偽りはない。

マイルスとコクトーの接点についてはすぐには思い当たらなかったが、なるほど、「針とアヘン」、つまりドラッグだ。この作品、1949年に米国人マイルスがパリに出て人気を得、歌手のジュリエット・グレコと恋に落ちたことと、同じ年にフランス人コクトーがニューヨークを訪れ、LIFE 誌の取材を受けたりした、それら歴史的事実に、カナダのケベック州から傷心のままパリに来てテレビ ? のナレーターを務める俳優ロベールの、まるでドラッグ中毒のような幻想を織り交ぜた、極めて夢幻的な作品だ。登場人物はほぼ 2名で、白人と黒人だが、そのうち黒人の方は、マイルスのイメージを演じるだけで台詞はなく、喋るのは専ら白人俳優のみ。もともと1993年に上演された独り芝居であったものを、最新の映像技術を駆使して再構成したものだということらしい。

まず舞台には立方体を斜めに切った半分、つまり 3つの面がそれぞれ垂直に交わっている構造体があって、結局すべてはそこで進行する。最初にアヘン中毒のときのコクトーの自画像を思わせる光の線の往復が男の上に走り、コクトーの米国訪問に関する独白が始まる。
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しばらくすると俳優は宙に浮き始め、あっと思う間もなく、宇宙空間の中にいるように、くるりと背中から一回転する。吊っているのは分かるのだが、その浮遊の自然さに、あっと息を呑む導入だ。それから調子に乗ってぐるぐる回るかというと、さにあらず。もう一度見たいと思う観客を裏切るように、回転は一度だけ。
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私はもともとコクトーが大好きで、あれこれ映画も見たし、自宅の書棚には彼の展覧会のカタログや著作が何冊も並んでいるのであるが、その中から、その名も「阿片」という作品を取り出してみよう。この芝居の冒頭シーンは、この著作の以下の部分を思わせる。訳は堀口 大學である。

QUOTE

阿片を喫む者は、熱空気球 (モンゴルフィエール) のようにゆっくり上昇し、ゆっくり身体の向きを変え、ゆっくり死んだ月の上に降りる。一度降りてしまうと、月の引力が弱いながらも作用するので二度と上昇できない。立ち上がっても、ものを云っても、仕事をしても、交際をしても、外見上生活していても、その身振り、そのもの腰、その肌、そのまなざし、その言葉はすべて、別の薄明と別の重苦しさの法則に左右される生活の反映にしかすぎない。

UNQUOTE

この印象的な冒頭から、件の立方体の半分は、様々な場面の映像を照射され、またそれ自身が回転することで、まさに千変万化である。ドアやベッドも、90度回転してその姿を消したり現したりするのだ。これは、コクトーが窓から身を乗り出しているところ。
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これはマイルスの演奏のイメージ。
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これはパリのホテル。
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それがこんな風に傾いて行く。
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トランペットを組み立てるマイルス。手元のイメージが立方体に投影される。
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時には立方体から下り、トランペットを吹くイメージを示す。
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そして、巨大な注射針に身を投げ出すマイルス。
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実に驚くべき鮮烈なイメージの連続だ。それでいて、時折ユーモラスなシーンもあり、客席から大きな笑いも起こる。幾分高踏的でもあり、一方で人物描写も簡略で的確、パリのイメージやニューヨークのイメージをうまく使いながら、錯綜する時の中にたゆたう居心地のよさを観客に与える。こんな演劇、そうそうあるものではない。

改めてコクトーのことを考えてみる。終生ダンディだった彼は、疑いのないマルチタレントであったが、その洒脱に見える作風の裏には、どうしようもない厭世観が存在しているように思う。戦争という社会的悲劇を体験し、最愛のラディゲを若くして失うという個人的悲劇を体験した近代人として、既に洒脱一辺倒では生きて行けなかった男の、複雑な心理によるものだろう。この芝居の中で、このようなシーンがある。多才ぶりを自ら揶揄するようなシーン。
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これは、よく知られている以下の写真がもとになっている。今回初めて知ったが、実際に 1949年の渡米時に LIFE 誌の求めに応じて撮影されたもの。
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一方のマイルスであるが、マイルスマイルスと、通ぶって知ったように呼んでいるが (笑)、実はそれほど彼の音楽を聴いているわけではない。ただ、有名な "Bitches Brew" ほか何枚かアルバムを持っているし、ある時古本屋で手に取って無性に興味を覚えて購入した、中山 康樹著「マイルスを聴け!」増補改訂版 (あらゆるマイルスの録音を延々紹介した本)、全 640ページも読み通した。あ、そうだ、この芝居にも出てくるルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」でのマイルスの即興演奏、あれには痺れましたね。うーん、やはり、マイルスマイルスと、通ぶった呼び方をしてしまいます (笑)。ジャズってそういう気取りのある音楽なのかもしれない。
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このようにこの芝居には、本当に脱帽した。いずれルパージュ演出になる MET の「指環」のディスクも買って、じっくり鑑賞してみたいとは思うが、またド M になるかと思うと少々癪なので、代わりと言ってはナンだが、久しぶりに「死刑台のエレベーター」でも見ようかなという気になっている。次回のルパージュ演出作品の日本での上演は、2016年 6月下旬から 7月上旬、東京芸術劇場プレイハウスほかにて、「887」なる作品とのこと。見逃してなるものか!!

# by yokohama7474 | 2015-10-18 00:26 | 演劇 | Comments(0)

ブルガリア国立歌劇場来日公演 ボロディン : 歌劇「イーゴリ公」(指揮 : グリゴール・パリカロフ / 演出 : プラーメン・カルターロフ) 2015年10月11日 東京文化会館

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まあそれなりの年月、オペラを聴いてきている身としては、一般に名の知れたオペラ作品で未だに生の舞台で見たことがない演目は、それほどないと言える。だが、もちろん奥底の知れないクラシック音楽の世界、聴けども聴けども未知の作品は数知れず。実は今回も、生まれて初めて生の舞台を経験する作品だ。演奏頻度はそれほど高くないが、知名度は高い、そんな作品、ボロディンの「イーゴリ公」である。

ロシアの作曲家、アレクサンドル・ボロディン (1833 - 1887) は、19世紀ロマン派の時代に活躍した、いわゆるロシア五人組のひとり。五人組とは、このボロディン以外に、バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、そしてリムスキー・コルサコフだ。ほぼ同世代のチャイコフスキーが西欧的な洗練を目指したのに対し、よりロシア的な情緒を大事にした (とはいえ、チャイコフスキーだってロシア情緒溢れる曲も沢山あるわけだが)。五人組のもうひとつの特色は、もともと音楽の専門家ではないことで、武官だったり船乗りだったり数学専攻だったりと様々だが、中でもこのボロディンは、化学者兼医者という変わり種だ。特に化学者としては国際的な実績を残した人らしく、自らも「日曜作曲家」と称し、作品数はそれほど多くない。オペラの分野では、この「イーゴリ公」のみが知られるが、中でも、「ダッタン人の踊り」というバレエシーンの伴奏曲が非常に有名だ。サイモン・ラトルとベルリン・フィルの演奏はこちら。様々にアレンジされることもあり、誰もが聴いたことのある曲だと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=Uq984sKqokI&list=RDUq984sKqokI#t=0

今回この公演に出掛けるに当たり、20年以上前に BS から録画したヴィデオテープから焼いたブルーレイ・ディスクを見た。演奏は、最近の記事で採り上げた、ベルナルト・ハイティンク指揮する英国ロイヤル・オペラだ。ディスクを再生しようとしてびっくり。なんとこの曲、4幕からなり、演奏に 3時間半近くを要する超大作なのだ!! うーん、随分以前のインタビューでハイティンクは、共感できない作曲家としてこのボロディンを挙げていたが (「タクトと鵞 (はね) ペン」という本に所収されているバーナード・ジェイコブスンによるインタビュー)、この演奏の頃までには考えが変わっていたものであろうか。

わざわざハイティンクの話を持ち出したのには意味があって、確かにボロディンの作品は、シンフォニーにしてもそうだが、ロシアの土臭い雰囲気をそのまま持っていて、恐らくロシア人以外にはとっつきにくい要素があるように思う。その点、今回来日したブルガリア国立歌劇場は、民族的にも歴史的にもこの作品の根源に近い (と言っては語弊があるかもしれないが、政治的な点を抜きにして考えればやはり事実であろう) だけに、ちょっと見てみたいと感じたものだ。

ところが会場に着いてプログラムを見ると、今回の演奏は 2幕構成で、演奏時間も正味 2時間半くらいになっている。これはどうしたことかと訝っていると、開演前にプレトークがあるという。出てきたのはオペラ研究家の岸 純信と、この歌劇場の総裁で演出家のプラーメン・カルターロフだ。
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このプレトーク、岸の投げかける日本語の質問をブルガリア人通訳がカルターロフに伝え、カルターロフの回答を通訳が日本語にして喋るという方法で進められたが、通訳の日本語が充分にこなれていないため、「これこれこういうことですね」と解きほぐして岸が言うと、それをまた通訳がカルターロフに対して訳して説明する (= 本人にしてみれば、自分の発言がぐるっと回ってまた返ってくるということ) という堂々巡りになってしまった (笑)。とはいえ、理解できた演出家の意図は以下の通り。
・この作品は作曲者の死によって未完成に終わったものを、友人のバラキレフとリムスキー・コルサコフが断片を集めて完成させた。作曲者自身がいかなるエンディングを考えていたのか不明。
・主人公のイーゴリ公は実在の人物で (12世紀にモンゴル人と戦争をして、このオペラの筋書き通り捕虜になっている)、その手記が残っているが、それによると本人は、モンゴル人との戦争は感情に任せて鍛錬のできていない兵士を大量に投入し、多くの犠牲を出してしまったと後悔している。よって、通常の版における演出のように、彼を英雄視するエンディングには疑問がある。
・このオペラのテーマは異民族との友愛であり、有名な「ダッタン人の踊り」を婚礼の宴としてラストに持ってきて盛り上げることで、メッセージがより明確になる。

ということで、不要な 1時間をバッサリとカットし、後半の曲の順番を入れ替えた、新たな「カルターノフ版」をこの劇場では採用しているということらしい。なるほど、その成果やいかに。ところで、プレトークの進行役の岸さん、舞台上でこの「イーゴリ公」の大きなスコアを取り出し、「ではカルターロフさんにサインして頂きましょう」と言ってその場でサインをしてもらったので、てっきり終演後に抽選で聴衆にプレゼントかと思いきや、そんな話は微塵もなく、ちゃっかりご本人のコレクションに入った模様。先の通訳堂々巡りとあわせ、会場のそこここで聴衆のハテナマークがポコポコ浮かんでいたのが、5階客席にいた私からはよく見えた。

ところで、実はこの作品、驚くべきことに台本も作曲者自身が書いているのだ。なんと、ロシア版ワーグナーか?! ところが調子が悪いことに、明らかにドラマとしての流れが悪い。例えば悪漢として描かれる后妃の兄ガリツキー公。女を街から強奪するなど好き放題して、「がっはっは」と高笑いをしているところに「敵が攻めてきた」という知らせが入って、そして・・・そのまま出てこなくなるのだ。おいおいおい、悪い奴はどこかで成敗されるのがお決まりのパターンでしょう。これ、尻切れトンボです。きっとボロディン、化学者としての活動が忙しくて、悪い奴のキャラクターを描くのが面倒だったのではないか。写真は、戦に赴く前のイーゴリ公と、見かけ倒しの悪漢くずれ、ガリツキー公。
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ことほど左様に、確かに話の流れはブツブツ切れ、音楽も、印象に残るドラマティックなメロディーはないこともないが、やはり流れがよいとは決して言えない。もともと弱点の多いオペラなのだ。ただ、有名な「ダッタン人の踊り」だけは、渦巻くエネルギーが凄まじく、名曲の名に恥じないものだ (但し洗練はされていない)。この曲、実は第 2幕の冒頭とラストをつなげたもので、主人公のロシア側から見れば敵方の、モンゴル人陣営での踊りの音楽だ。ちなみに、ダッタン = 韃靼とはタタールのことで、厳密にはこのオペラの敵方はタタール人ではなくポロヴェッツ人と呼ぶのが正しいらしく、この音楽も、「ポロヴェッツ人の踊り」という呼称も増えてきているようだ。うーん、まあでも、こういうことを言うと怒られるかもしれないが、我々日本人にとっては、正直ダッタン人と呼ぶ方がゴロもよいし、曲のイメージにぴったりだと思うのだが・・・。

さて今回のカルターノフ版だが、まあ確かに最後にダッタン人の踊りを持ってくることで、大団円の盛り上がりにはなったものの・・・正直私にはしっくり来なかった。なぜならば、これはバレエ音楽なのだ。オペラなのに大団円がバレエということは、あまりオーソドックスとは思われない。つまり、少しお手軽に盛り上がりを演出したという印象を免れないのだ。たとえ粗削りではあっても、ドラマ構成やラストの説得力に問題はあっても、作曲者に近い人々がまとめた通常版を尊重するのが筋ではなかろうか。そのアマチュアリズムこそが、裏を返せばボロディンの魅力なのだと評価すべきではないか。実際、この大詰め以外の箇所についても、今回の再構成によって、ポンと膝を打つような流れのよさは実現されたとは思えず、やはり台本の弱さは覆いようもない。因みに大団円はこんな感じ。スキンヘッズ軍団がグルグル回ってオペラは終わる。
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このブルガリア国立歌劇場は、同国の首都ソフィアにある。私も一度だけソフィアに出張したことがあるが、普通のオフィスビルの入り口にセキュリティゲートがあって、まあそれだけなら驚かないものの、このマークには驚いたものだ。
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いやいや、そりゃ当たり前でしょう。「お、そうかそうか。銃は禁止ね。しゃーねーな。じゃ、ここに置いておこう」というビジネスマンがいるのだろうか??? ただ、街中は特に怖い感じもなく、なかなかいいところでしたよ。劇場の前も通ったが、残念ながら演奏は体験できなかった。今回初めて知ったのだが、この歌劇場の来日引っ越し公演は、2000年以降の 15年間で実に 6回目になるそうだ!! 日本には明治ブルガリアヨーグルトという力強いスポンサーがいるおかげだろうか (あ、冗談ではなく本当です。以下写真参照)。それとも、超一流どころのオペラハウスの引っ越し公演に比べれば安い価格で見ることができるからだろうか。
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今回の日程を見ても、この「イーゴリ公」を東京以外では西宮と名古屋で、「トゥーランドット」を東京、福岡、福井、三原、岡山で演奏する。「トゥーランドット」と言えば、この国出身の大歌手ゲーナ・ディミトローヴァ (2005年に死去) の当たり役で、この歌劇場の引っ越し公演の初期から日本では取り上げられていたらしい。ところが意外なことに、この歌劇場の来日公演としては、ロシア物の上演は初めてで、これまではすべてイタリアオペラだったという。

今回の演奏自体については、オケも歌手も、正直、それほど感銘を受けることはなかった。ただ、后妃ヤスラーヴナを歌ったガブリエラ・ゲオルギエヴァだけは、スラヴ人らしい力強い声に繊細さも持ち合わせていて、大器の片鱗を見せた。既にウィーンや MET やチューリヒで歌っているらしく、今後の活躍を期待しよう。
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内容についてあまりホジティブには書かなかったものの、遠く東欧から頻繁に日本を訪れて、地方都市でまで公演を行ってくれること自体は、大変に貴重である。そのような体験から日本のオペラ需要がより高まり、ブルガリアヨーグルトの売上も伸びれば、こんなに素晴らしいことはありません!!

# by yokohama7474 | 2015-10-17 11:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)

早坂文雄 没後60年コンサート 大友直人指揮 東京交響楽団 2015年10月10日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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東京交響楽団の「現代音楽の夕べシリーズ第 18回」と題されたコンサートは、作曲家 早坂 文雄 (1914 - 1955) の没後 60年を記念する演奏会。この生没年を見て気づくのは、昨年生誕 100周年だったということだ。同年生まれで同じ北海道で育った作曲家に伊福部 昭がいるが、昨年は伊福部の生誕 100年関連イヴェントはいろいろあったのに、早坂に関するイヴェントは思い当たらない。長命であった伊福部と、若くして亡くなった早坂。同様に映画音楽を手掛けたとはいえ、大衆にアピールする「ゴジラ」を書いた伊福部と、黒澤、溝口といった巨匠監督に曲を提供した早坂。この違いはいかんともしがたい。従って今回のような機会は、早坂という作曲家の真価を考える上で、大変貴重なものであった。また演奏の質も特筆すべきもので、昭和時代の日本の文化遺産の価値を再認識する機会ともなったのである。

以前何かの本で読んだか、あるいはテレビで見たのかもしれないが、早坂の早すぎる死を巡って、黒澤明と溝口健二の間で諍いがあったと記憶している。今、記憶を辿りつつ、西村 雄一郎の名著「黒澤明・音と音楽」や、黒澤、溝口それぞれの作品を紹介する本を書棚から持ってきてひっくり返しているのであるが、どうも該当の情報が見当たらない。黒澤の「七人の侍」が (ちょうど伊福部が音楽を担当した「ゴジラ」と同じ) 1954年の公開。黒澤の次作「生き物の記録」(1955) の制作途中で早坂は亡くなっているが、その前後に早坂は、溝口の映画では、「近松物語」(1954)、「楊貴妃」(1955)、「新・平家物語」(1955) と立て続けに担当している。確か黒澤が、「近松物語」で溝口が早坂を酷使したので早坂が死んでしまったとなじったという話ではなかっただろうか。もっとも、なじられた溝口自身も、早坂の翌年、1956年に世を去っているのであるが。

もしこれらの邦画にイメージのない方が読んでおられれば、チンプンカンプンの話かもしれない。その場合は、このように認識されたい。日本映画の黄金時代、天才監督に従って音楽・音響設計をしたこの作曲家は、映画音楽の一時代を築いたのみならず、絶対音楽の分野でも傑作を残したものの、結核に侵されて41歳でこの世を去ったのだと。また、この時代には、分野を超えた芸術家たちの高度な共同作業があったのだと。それから、日本が生んだ最高の芸術音楽の作曲家とみなされる武満 徹が、音楽を独学で習得したと言いながら、実は唯一師と仰いだのがこの早坂文雄なのだと。

この日演奏された曲目は、すべて早坂の作品で、詳細は以下の通り。
 映画「羅生門」から 真砂の証言の場面のボレロ
 交響的童話「ムクの木の話し」(アニメーション映像付き)
 交響的組曲「ユーカラ」

最初の「羅生門」の音楽は、この映画を見たクラシックファンなら一度見れば忘れないと思う。You Tube にも音声のみながらアップされているので、ご興味ある方はご一聴を。明らかに、有名なラヴェルのボレロの模倣である (この頃、著作権は大丈夫だったのか???)。
https://www.youtube.com/watch?v=1y_-0r5cgBM

ご承知の通り、「羅生門」(1950) は黒澤の代表作のひとつで、真砂というのは、この映画で京マチ子の演じている役柄。こんな感じだった。
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黒澤明という監督の音楽の趣味は後年に至るまで明らかで、いわゆる西洋の名作への敬意が如実であると思う。いや、音楽だけではなくて、文学の上でも、シェイクスピアやドストエフスキーという歴史上のビッグネームを発想の源泉にしているケースが多い。いわゆる名作主義とでも言おうか。映画マニアの武満徹が「乱」で黒澤に映画音楽を提供したとき (これが初めてではなく、その前に「どですかでん」で組んではいるが、「乱」とは全く毛色の違う作品だ)、マーラーの「巨人」の第 3楽章の葬送行進曲に似た音楽を強要されて困ったという話も、いかにも理解できる。ただ、早坂と黒澤の関係は、まさに火花散る芸術家同士の格闘であったのだろう。これは以前テレビで見たことを明確に覚えているが、「七人の侍」の中で、旗が強い風にはためいてバタバタバタと強烈な音を立てるシーンは、早坂の発案によるものだったという。映像と音楽のせめぎあいについて、鋭敏な感覚を持った作曲家であったようだ。
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今回は横道にそれてしまうことが多いが (笑)、ここで本来の話題に戻そう。2曲目に演奏されたのは、終戦後間もない 1946年に東宝教育映画部が制作したアニメーション映画第 1作、「ムクの木の話し」に早坂がつけた音楽だ。大変珍しいオリジナルの白黒アニメーション映像 (20分程度) が後方客席に設置されたスクリーンに投影され、それに合わせて生演奏がなされるという趣向。戦時中の言論統制を批判した内容で、森の中のムクの木の回りの豊かな世界が、怪物によって一面の氷と化してしまうが、女神が光を放ってその氷を溶かすというもの。当日のプログラムには、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を思わせるとあるが、同じ作曲家のほかのバレエ音楽、つまり「火の鳥」と「春の祭典」を連想させるシーンもあり、それから、露骨にラヴェルの「マ・メール・ロワ」の模倣も聴かれた。当時としては演奏困難なスコアだったのではないか。実は、本編のクレジットに記載された演奏者は、上田 仁指揮の東宝交響楽団 (つまり、この映画は無声映画ではないところ、この演奏会では映像だけの投影を行ったということだ)。おっと、このオケはその名の通り、映画会社の東宝の専属のオケか。そうなのであろうが、より大事なことは、この東宝交響楽団が、今回の演奏団体、東京交響楽団の前身なのだ。しかも、このオケは、この映画の制作と同じ1946年の設立であるようだ。この映画はまさに、戦後すぐに新たな文化的挑戦がなされたときの記念碑的な存在であったのだろう。興味は尽きない。

そして、この日のメイン、交響組曲「ユーカラ」。ユーカラとゆーからには、もとい、言うからには、早坂が幼少の頃を過ごした北海道におけるアイヌの伝説をテーマにしているのであろう。実際その通りなのであるが、そのような標題は実はあまり重要ではなく、この 50分を要する大作において渦巻く音響に虚心坦懐に耳を傾けることこそが重要だ。なにせ、冒頭のプロローグではクラリネットソロが 3分以上、全く無伴奏で演奏するという異例の事態に始まり、メシアンを思わせる神秘的な音響が随所に聴かれるのだ。この曲は 1955年に日比谷公会堂で、やはり上田 仁指揮の東京交響楽団によって初演されたらしいのだが、その演奏に聴衆として居合わせた武満徹は、「これは早坂さんの遺言のようだ」と言って、声を出して泣いたということだ。果たして、病弱な体をおして過酷な創作活動を続けた早坂は、その 5ヶ月後にこの世を去ることになる。

この「ユーカラ」、上記の通りの名曲で、何度も聴き返すだけの価値があると思うのに、なかなか演奏機会に恵まれない。ところが私は以前にも一度、この曲の生演奏を聴いていて、それは今ライヴ CD にもなっている、1986年の山田 一雄指揮日本フィルの演奏だ (前座でベートーヴェンの 5番が演奏され、山田が熱狂のあまり指揮台から平場のステージに落ちてしまったことを鮮明に覚えている 笑)。今回の演奏会前にその CD を引っ張り出して予習して行ったのだが、この録音時から約 30年、日本のオケの進歩は顕著であると、つくづく思う。今回の東響の豊麗な演奏を聴くと、山田のライヴ録音は、残念ながらどこかにすっ飛んでしまうと思う。指揮者の大友も、永遠の爽やか青年のようなイメージだが、これまでに何度も素晴らしい生演奏に接している私としては、さらにアグレッシヴな活躍を期待したいと思ってしまうのだ。
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今回の演奏会でもうひとつ興味深かったのは、客演コンサートマスターを迎えていたこと。なんと、長らく東京フィルのコンサートマスターを務める荒井 英治だ。
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昔から変わらない人である。最近ではモルゴーア・クァルテットという弦楽四重奏団を組織し、自身大好きであるらしいプログレ (ッシブ・ロックです。念のため) の編曲物も、バリバリにこなしている。このジャケット、ご存じだろうか。
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そう、キング・クリムゾンの「キング・クリムゾンの宮殿」のジャケットのパロディで、このモルゴーア・クァルテットのメンバーたちの顔写真のパーツを組み合わせて作っているのだとか。私も持っているが、大変に面白いアルバムだ。ご存じない方は少ないと思うが、念のため、オリジナルのジャケットは以下の通り。ちょっと視線の向きが違いますな (笑)。
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ええっと、何の話でしたっけ。そうそう。客演コンサートマスターだ。面白い試みだと思うので、東京のオケの水準をますます高めて行くためにも、これからも見てみたいし、日本の文化遺産の価値を日本人自身が再発見することにつながればなお結構。次の機会を楽しみに待っています。


# by yokohama7474 | 2015-10-17 00:22 | 音楽 (Live) | Comments(0)

プラハ散策

チェコ共和国の首都、プラハ。中世の街並みをそのままに残す、世界遺産の美しい街だ。私はもう 10年以上前に出張でここを訪れ、たまたま (いやホントウです!!) 週を越えてヨーロッパの別の都市に移動することとなったので、土曜日に街を歩き回ったものである。営業担当者における出張とは、自分を通常と違う環境に置いて、まさに相手方と相対して商談を行う勝負の場。心地よい緊張感をもって充実した仕事を達成するには、その街の空気を吸い、その街の歴史を知り、その街の文化に触れることだ。気楽な観光とは一線を画する、そのような異国の街との真剣勝負、それはよりよい仕事のために絶対に必要であると信じる (なんだかしつこいな 笑)。

今回、業界の国際会議 (Conference) に参加するためにこの街を久しぶりに訪れた。重要な打ち合わせがいくつも設定され、夜の会食もビジネスの機会。ホテルに帰ってからも、容赦なく入ってくるメールへの対応。年とともにひどくなる時差ボケに苦しみながらほぼ業務日程をこなし、最終日、余った 2時間ほどを利用して、同僚とともに街を散策した。プラハのランドスケープと言えば、まずこのカレル橋だろう。
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音楽好きの方は、チェコ音楽の父と言われるスメタナが作曲した交響詩「モルダウ」をご存じだろうが、このモルダウというのは川の名前で、現地ではヴルタヴァ川と呼ばれる。この川、ここプラハではかなりの川幅であり、水量も多い。このカレル橋は、そのヴルタヴァ川にかかるいちばん大きな橋で、実に 1402年の完成というから、既に 600年以上経っているわけだ。両側には 30体の聖者たちの彫刻があり、日本人にもおなじみのフランシスコ・ザヴィエルもある。ご覧の通り自動車は通行止めで、涼しくなってきた初秋の気持ちよい気候の中、ここを行き交う人たちは誰もが楽しそうだ。遠くの丘の上に見えるのがプラハ城。もし「モルダウ」をご存じない方は、このカラヤンの演奏で、水源の水の滴りが大河へとうねって行く情景を思い浮かべてみては如何。あるいは、この後の記事を、これを BGM として読んで頂くのも一興かと。
https://www.youtube.com/watch?v=k0DjWBmsYPs

さて今回、私にはどうしても見ておきたい場所があった。それは、旧ユダヤ人墓地。前回の滞在では、定休日 (= ユダヤ教の安息日) である土曜日に当たったために見ることができなかった。そして今回は・・・残念ながらやはり Closed。なんでも、ユダヤ教の祝日に当たっていたようだ。よくよくついていない。ただ、鉄の扉に開けられたガラス窓から、写真だけは撮ることができた。この墓地は 15世紀にできたらしく、現在ではさすがに使われていないが、ユダヤ教では墓地の移転が認められていないことから、狭い敷地内に折り重なるように墓石が建てられたという。なんともすさまじい雰囲気だ。
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私がこの墓地に興味を覚えたのは、子供の頃に読んだ妖怪図鑑に、ユダヤ教の伝説であるゴーレムという土人形が載っていたからである。ゴーレムと墓地を結び付ける要素が何であったか覚えていない。だが、鬼気迫る雰囲気に奇妙なノスタルジアが漂う独特の空間であり、折り重なった無言の墓石たちのそれぞれがゴーレムのように見えてくる。この写真は、無声映画「巨人ゴーレム」から。
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そう。プラハは土人形の街であり、錬金術の街であり、ヴンダーカマーの街であり、不条理の街なのだ。チェコは、芸術的なアニメ映画の伝統を持ち、特に巨匠ヤン・シュワンクマイエル (私は以前から大ファンだ) を生んだ国。また、世界で初めてロボットという言葉を使った作家カレル・チャペックを生んだ国でもあるのだ。命ないものが動く神秘がこの街にはふさわしい。

そのようなプラハの雰囲気において欠かせない有名作家がいる。ほかでもない、フランツ・カフカだ。街中で彼の生家を見かけた。
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この家は、街の中心地である旧市街広場の近くにある。旧市街広場は 13世紀に作られたものらしく、チェコ人が誇りとする宗教改革の先駆者、ヤン・フス (1369 頃 - 1415) の大きな銅像が立っている。
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この広場は大変賑わっており、面白い見世物もある。これ、どういう仕掛けだか分かりますか。360度回って確かめたが、上の人物は明らかに宙に浮いています。おぉ、さすが神秘の街プラハ。ジロジロ見てみると、下の人物の右手は作り物で、棒が地面にまで達して固定されている様子であることが分かった。上の人物は、支柱の上に据え付けられた座面の上に座っているのであろう。ただそれにしても、よくできている。無遠慮にカメラを向ける私に、下の人物が鋭い視線を投げかけて威嚇したので、ちゃんとチップをあげました。ただこれ、このまま静止しているときはいいけど、仕事を終えて帰るときはどうするのだろう。よっこらしょと着物をまくるとカラクリ丸出しではないか。ま、長い布をまとっているのは、その際にカラクリを隠すためなのかも。
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これは街中にデーンと存在する旧火薬庫。1475年建造。下の部分を普通に自動車が通っています。
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それからこれは、ルドルフィヌム (芸術家の家)。この中にドヴォルザーク・ホールがある。立派な建物だ。プラハにはもうひとつ、スメタナ・ホールを擁するやはり美しい建物、市民会館があるが、あの有名な音楽祭「プラハの春」に一度行ってみたい。バイロイトのようなド M なイヴェントとは違って、大変にたおやかで健全な音楽祭であろうと思う。
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プラハ散策の最後は、坂道をせっせと登ってプラハ城へ。門の前からは見晴らしのよい風景が広がっている。
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城内に入るとすぐ目の前に屹立するのが、聖ヴィート大聖堂。14世紀から建てられ始めたが、完成は実に 20世紀とのこと。壮麗な建物で、チェコ出身でパリでポスター作家として一世を風靡したミュシャ (チェコ語ではムハ) も一部装飾に関与しているらしい。ヨーロッパの教会はどこもそうだが、異教徒でも敬虔な思いにさせるこの空間はすごい。
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さて、歩き回って少し疲れたので、再びカレル橋近辺に戻り、ヴルタヴァ川に浮かぶ船がレストランになっている場所へ。少し汗ばんだからだに、チェコ名物ピルスナービールのうまいこと!! 船の先端部分、カレル橋を臨む屋外の席で、疲れ切った日常で蕩尽したエネルギーの充電に励むのは、なんとも素晴らしい体験だ。ぷはー。
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かくして、ヨーロッパ文明におけるこのような意味深い充電が、我々ビジネスマンの明日の活力となり、ひいては日本経済に貢献することとなるのである。けだし、出張に出ては街の空気を味わえ。しつこいって。笑

# by yokohama7474 | 2015-10-16 00:09 | 旅行 | Comments(0)