デニス・ラッセル・デイヴィス。ちょっと通好みの指揮者である。彼が 2013年の年末の第九以来、読響の指揮台に返ってきた。
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曲目は以下の通り。

ブラームス : ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
ホルスト : 組曲「惑星」作品32

D・R・デイヴィスの名前は、昔 FM でライヴ録音をせっせとエアチェックしているときに、主に現代音楽の分野でよく耳にした。もう 30年以上前であろうか、20世紀最高のピアニストのひとり、アルフレート・ブレンデルがベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏した際、ライヴ録音でディスクとして発売されたのは、レヴァイン指揮シカゴ交響楽団がバックであったが、もうひとつ、ベルリン・フィルとの連続演奏で指揮者を務めたのが、この R・デイヴィスであった。その頃以来、息の長い活躍である。

ブラームスの 2人のソリストのうち、ヴァイオリンのダニエル・ゲーデはもとウィーン・フィルのコンサートマスターで、今はこの読響のコンマスを務める。ただ、正直言うと、今の読響でのポジションの前任に当たるのだろうか、元ロンドン・フィルのコンマスであったデイヴィッド・ノーランほどには貢献しているようには見受けられない。一方のチェロのグスタフ・リヴィニウスは、ドイツ人のソリストだ。このブラームスの演奏は、もちろん一定レヴェルではあったものの、聴衆を熱狂させるには至らなかった。

ところが、後半の「惑星」は、まさに鬼才 R・デイヴィスの面目躍如。大変面白かった。この曲、その際立った色彩感でクラシック音楽の人気曲目のひとつであるが、存外生演奏に接する機会は多くない。そのひとつの理由は、50分の大曲のうち、最後のほんの数分だけのために女声合唱 (今回は児童合唱であった) が必要だという経済的理由もあるだろう。だが、雄大なドラマ性を持つこのような曲こそ、生で聴く価値がある。もしかすると通なクラシックファンからは過小評価されているのではないだろうか。そんな曲を通好みの指揮者が振るという、なんとも逆説的な楽しみ (笑)。第 1曲、作曲者が迫りくる第 1次大戦を予感して書いたと言われる「火星、戦争の神」は、ゆっくりとしたテンポで始まり、怒涛の音楽の奔流を築いた。また、最も有名な第 4曲「木星、快楽の神」は、逆に早めのテンポで飛び交う音の線をくっきりと描き出した。いやなんとも、見事な音楽の描き分け。またそれを見事に音にする読響。素晴らしい演奏であった。このクラスの指揮者が入れ替わり立ち代わり指揮台に立つ日本のオーケストラ、やはりこまめに聴きたいものであるとの思いを新たにした。

ところで、読響の首席チェロ奏者、毛利伯郎が今回の演奏会をもって引退したのだが、彼のインタビューがプログラムに載っていて、その「惑星」について、「かつてロリン・マゼールの指揮でやったことがあるんですよ」と語っているが、はいはいそうでした。マゼールらしい切れ味の鋭い演奏だった。プログラムはすぐ出ますよ。あれは確か 10年くらい前・・・ややや、1992年とある。実に 23年も経っている。うーむ。竜宮城で鯛やヒラメの舞踊りを楽しんだ記憶はないのだが、いつのまにそんなに時間が・・・。
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# by yokohama7474 | 2015-07-27 23:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)

夏休みということもあり、家族連れで楽しめ、かつ少し納涼も期待できる展覧会ということだろうか、魔女についての展覧会が名古屋で開かれている。既に大阪、新潟を回り、このあとは浜松と広島を巡回する予定である。名古屋での会場は、名古屋市博物館。いささか古めかしいと言ってもよい建物だが、この展覧会の入り口はお化け屋敷風に設営され、さて一体何が見られるのかと、訪問者をワクワクさせる。
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魔女というと日本では、昔からアニメにもキャラクターがあり、最近は美魔女などという言葉もあって、人を魅了する魔法の使い手として、なにか可愛らしく不思議な存在というイメージであるが、この展覧会は一味違う。2009年にドイツ・プファルツ歴史博物館が企画開催した展覧会がベースになっているという。それを聞いて私は、この展覧会の性質になんとなく思い至った。主催者の方々を邪魔する意図は毛頭ないが、これは家族用の企画ではない。人類の歴史の暗黒面について考えさせられる、大変に重い内容の展覧会だ。

プファルツ地方は南ドイツ、ライン川沿い。シュパイヤーという街が中心。そう言えば随分以前に、このシュパイヤーの大聖堂でゲオルク・ショルティが珍しくシュトゥットガルト放送響を指揮したブルックナー 2番を NHK が放送していた。また、セルジュ・チェリビダッケがライン・プファルツ管弦楽団なるオケを指揮したバルトークの映像も手元にある。ドイツの中でも、この地域には一般に知られた観光地があるようには思えず、重苦しい音楽の似合う地域という勝手なイメージがある。ただ、どんな地域であるかは全く知識がなかったので、あれこれ思って調べてみると、なんと、魔女という言葉は南ドイツで生まれていて、なおかつ驚くべきことには、欧州では 15世紀半ばからの 300年間で実に 6万人 (!) が魔女として処刑されており、その半分以上がドイツ (当時の神聖ローマ帝国) の領域内で起こったということを知るに至った。宗教裁判といえば、反宗教改革としてカトリック圏、特にスペインで行われた火あぶり等を思い浮かべるが、なんのことはない、プロテスタントのお膝元であるドイツが最大の悲劇の舞台だったとは。自国で発生した残虐事件については、ナチスでもう手一杯かと思われたドイツが、独を、いや毒を食らわば皿までと企画したのがこの展覧会であろうか。ことほどさように、とてもとても家族で楽しく見られるような内容ではない。

展示品には様々な神秘的なものがある。最初は魔除けの処方箋やお守り、人形やメダルなどだ。これは、ランツフートという場所で発行された「飲むお守り」。この聖母像を一体ずつちぎって水で飲んだという。邪悪なるものを追い払いたいという人間の切なる願いを知ることができる。
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それから、錬金術についての展示がある。大規模なペストの流行や相次ぐ戦争で人心が動揺し、形容しがたい不安が欧州中を覆った時代についての展示がある。ここで鑑賞者は気づくのだ。生きることが困難であったからこそ生じた、人知を超えた不可思議な力への憧れと畏れ、またそれゆえにこそ生じた社会の中でのスケープゴートの必要性を。これこそが欧州が魔女を生み出した原動力とするならば、それは人間が万能ではなく弱い存在である以上、歴史の中でいついかなる時代にも生まれる狂気の産物こそが魔女なのだ。

そこに追い打ちをかける発見があった。ルネサンス 3大発明のひとつと言われる、印刷術だ。そういえば、この時代に生まれたグーテンベルクの印刷術。その発明はどこで生まれたか。ドイツではないか。ルターの宗教改革を支えた印刷術はまた、人々が求めるスケープゴートのイメージの流布に大きく貢献したわけだ。デューラーのような叡智に満ちた人物さえ、このような魔女のイメージ (1500 - 1503年) で、人々の恐怖心を煽ったのであろう。
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展覧会はまさにクライマックスで、拷問道具や魔女が着せられたシャツの複製、また死刑執行人のマスクなどが登場する。なんとも身震いする展示品だ。罪もない多くの人々が自白を強要され、無実を訴えながら処刑されていった。
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最後に執行された魔女の処刑は、1795年ポーランドでのことらしい。近代文明の発展とともに魔女狩りは姿を消したと言ってもよいわけだが、我々はその後の人類の歴史において、ナチスによるホロコーストはもとより、戦後ハリウッドでは赤狩りが、スターリン時代には粛清が、毛沢東時代の中国では文化大革命が起こったことを知っている。魔女狩りこそは人間の本性にひそむ、本当の魔であることに思い至るのである。

それにしても、さすがドイツの歴史博物館、自分たちの歴史のダークサイドを直視する勇気はすごい。現代の我々は、このような展覧会を見る機会によって、そのことを肝に銘じる必要がある。なので、名古屋のお父さんお母さん方、そこんとこ、よろしくお願いします。

# by yokohama7474 | 2015-07-27 22:50 | 美術 | Comments(0)

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元来、演劇に分類される伝統芸能 (能、文楽、歌舞伎) には興味のある方である。しかしながら、最近は特に日本のオーケストラを聴きに行く機会が増えたこともあり、残念ながらこちら方面にはなかなか足が向かない。今回、大阪訪問の機会に是非文楽を見たいと思いたち、久方ぶりに渇望を癒すことになった。調べてみると、前回の文楽鑑賞は、東京の国立劇場で平成 24年だから、実に 3年ぶりの文楽ということになる。

周知の通り、文楽 (人形浄瑠璃) は近年、橋下大阪市長の方針により、厳しい環境に置かれている。種々議論はあるだろうが、効率的な興業マネジメントの観点は、いかにユネスコ文化遺産であろうと必要であり、昨今の経緯によってさまざまな自助努力がなされたのなら、それは意義のあることだ。ただ一方で、1つの人形に 2人も 3人も人形遣いが必要で、かつ習熟にこれだけ時間のかかる人形劇というものも世界に例がないと思われ、要するに商業ベースに乗ることなど所詮は無理ではないか。オペラも大変な金食い虫なので、本場イタリアの歌劇場でも予算削減が深刻な問題になっている。経済のないところに文化はなく、もちろん人間の生活が最優先とはいえ、人間たるもの、文化なくしては生きて行けないのもまた真実。金額的なインパクトを冷静に考えながら、かけがえのない文化遺産を守って行きたいものだ。

さて、伝統文化の継承には、その時代時代の観客にアピールすることがいちばん。大阪で文楽を見るのはかなり久しぶりではあったが、劇場も雰囲気が明るくなり、字幕導入をはじめとする様々な工夫により、客席はほぼ満員の大盛況だ。劇場には小さいながら資料館も併設されていて、なかなかためになる。
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また、客席に向かうエスカレーターを昇る際に、今回の演目「生写朝顔話 (しょううつしあさがおばなし)」の主要登場人物の写真が、垂れ幕として大きく展示されている。
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今回は、夏休み期間中に 3つの演目が上演されているうち、第 2部だけを見たのだが、上演時間は、2回の休憩を挟んで 3時間半近い。それでもこの「生写朝顔話」の、恐らくは半分程度の上演であろう。第 3部で続きが上演されるものの、最後の段がいくつか省略されるし、今回の第 2部も、その前の部分を省略しての上演だ。これはワーグナーも真っ青、全編上演は、文字通りまる一日仕事ということだ。もちろんそれだけ長い話なので、あれこれ複雑ではあるのだが、かいつまんでストーリーを説明すると以下の通り。儒学者 宮城 阿曽次郎 (みやぎ あそじろう) は、武士の娘 深雪 (みゆき) と出会い、扇に朝顔の歌をしたためて愛の証とする。ところがこの 2人、運命の波に弄ばれ、なかなか再開することができない。深雪に横恋慕する医者 萩の祐仙や、人買い 輪抜 吉兵衛などの脇役が聴衆の笑いや怒りを買うが、朝顔の歌が二人を結びつけるよすがとなり、曲折を経て最後は結ばれるというもの。飄々とした笑いの場もあり、まさに断腸の思いで登場人物たちが呻吟する情念の場もあり、まさに人生の様々な感情が凝縮された芝居である。どうやら中国の物語に想を得ているということらしいが、同じ題材による読本、歌舞伎の成立のあと、1832年 (天保 3年) に文楽として初演されたとのこと。

この日の上演のクライマックスは、浜松小屋の段である。矜持ある武士の娘たる深雪が人買いにさらわれ、郭に出ることを拒んで脱出するが、つらい運命に悲嘆の涙を流しすぎたあまり (!!) 失明し、子供たちからもいじめられる落ちぶれた境遇。そんな彼女をようやく探し出した乳母の浅香が、折から深雪を追ってきた人買いの輪抜 吉兵衛と刺し違えて絶命するのだが、その表現がすごい。吉田 蓑助の操る深雪の細微な動きから流れ出る情念たるや、尋常ではない。人間の演じる哀しみの表現とは異なり、ここにはより純化した感情が立ち現われていると思う。リアリティを越えた何かがあって、人の心の奥深くにそのまま食い込んでくる。私の周りでは何人もの人が、この場面でハンカチを目に当てていた。このような並外れた Emotion を表現できる演劇形態が、世界にどのくらいあるであろうか。まさに文楽、恐るべしである。

このブログをご覧の方で、もしまだ文楽経験のない方がおられたら、是非一度ご覧頂くことをお奨めする。人生変わるかもしれません。

最後に、文楽人気向上にかけた関係者の努力の例を 2つ。ひとつはこれ。大阪名物、くいだおれ人形である。なぜこんなところに、と思ってあとで調べてみると、なんとこの人形、文楽人形製作者の二代目由良亀 (淡路島出身で、谷崎の「蓼食う虫」の中にも登場するらしい) の手になるものらしい。なんとまあ、こんなところにも大阪の文楽の伝統が生きていたのだ。
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そして、次がこれ。ちょうど今公開されている、「ターミネーター 新起動」のパロイディだ。画面の反射で見にくくなってしまっているが、ターミネーターのポスターに書いてある文句を逐一パロディとしていて、なかなかに凝っている。
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このような前向きな発想によって、日本の誇るすばらしい伝統芸能が、より一層発展しますように!!

# by yokohama7474 | 2015-07-26 22:45 | 演劇 | Comments(0)

テレマン室内オーケストラは、指揮者 延原 武春 (のぶはら たけはる) によって、実に 1963年 (半世紀以上前だ!!) に大阪で設立された。今日では古楽器専門オケとして著名な存在だ。実際、一般に知られている日本の古楽オケは、バッハ・コレギウム・ジャパンと、このテレマン室内オーケストラくらいではないか。両方とも関西の組織であることには、何か意味があるのだろうか。

指揮者の延原 武春は、1943年大阪生まれの 72歳。以前大阪フィルを指揮した演奏会を聴いたことがあり、そのコテコテの難波のオッサンぶりと、演奏する音楽のペダンティシズムのギャップがすごかったので、いつか手兵であるテレマンとの演奏を聴きたいと思っていた。ましてや、その演奏を大阪倶楽部で行っているのを NHK BS で見て、思いは募るばかりであった。その間、武原とテレマンのベートーヴェン交響曲全曲の CD を購入したし、中野順哉著の「小説・延原武春」も読んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8

延原のことをコテコテの難波のオッサンと書いたが、よく見ると財界人のようにも見える。伊藤忠商事の岡藤社長 (やはりコテコテの難波のオッサンらしい) と比べてみよう。上がマエストロ延原。下が岡藤社長。なんとそっくりではないか。
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さて、今回の演奏会は、大阪を代表するモダニズム建築として重要文化財に指定されている、中之島中央公会堂だ。株式仲買人であった岩本 栄之助の寄付をもとに、岡田 信一郎の案を、明治時代を代表する建築家、辰野金吾が実質的に率いて 1918年に完成した。その頃の大阪は、未だ東京を寄せ付けない日本最大の経済規模を誇る都市であったはずだ。
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1999年から 2002年の間に保存・再生工事がなされたとのことで、建物内部には資料館があるのみならず、各所に当時の建築技法を紹介する説明板が設置されている。最も興味深かったのは、土台となっている杭であった。ちゃんと詳しい説明もある。へー。まるでヴェネツィアかサンクトペテルブルクだ。大正モダニズムの技術恐るべし。
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さて、寄り道も楽しいものであるが、今回の演奏会について触れよう。曲目は以下の通り。

モーツァルト : 交響曲第 29番イ長調 K.201/186a
ハイドン : ピアノ協奏曲ニ長調
ベートーヴェン : 交響曲第 3番変ロ長調作品55 「英雄」

会場となった中会議室は、レトロ感覚満載だ。
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まるでヨーロッパの宮殿のような優雅な雰囲気。実際、音響効果も素晴らしく、なかなか味わうことのできない雰囲気だ。

初めて生で聴くテレマンは、コンサートミストレスの浅井 咲乃率いる弦楽器がニュアンス満点。管楽器は時々苦労が見られたが、元来が音程の取りにくい古楽器で、しかも湿気の多い時期ということで、むしろミスも微笑ましいと言ってもよいだろう。全体として、どの曲も大変勢いのある演奏であった。
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メインのエロイカは、ベートーヴェンのメトロノーム記号に忠実に則った演奏とのことで、モダンオケではなかなか難しい快速テンポであったが、なんとも胸のすく快演であった。第 1楽章コーダ手前の、例のトランペット行方不明の箇所 (オーケストラ全体が盛り上がって、本来ならトランペットが高々と英雄のテーマを奏でるはずのところ、後半突然トランペットが抜けてしまい、木管のリズムを刻む音が妙に耳につく箇所。昔の指揮者は構わず英雄のテーマを最後まで吹かせたが、原典ばやりの昨今、それをやれば指揮者のインテリジェンスが疑われるようなことになっている) は、当然オリジナル通り、行方不明の演奏であったが、近代オーケストラの、音量が大きく輝かしいトランペットではなく、このように当時を彷彿とさせる楽器での演奏だと、この「行方不明」はさほど目立つこともない。ベートーヴェンの真意が、当時の楽器の技術的限界による妥協か、それとも何かほかにあるのか分からぬが、当時の楽器であれば、それなりに音楽が流れて行く箇所であることを確認できた。

ところで、この指揮者とこのオケは、東京公演はあまりないものと思うが、関西では大変活発な活動を行っていることを知り、驚いた。会場で配布されていたチラシで分かる範囲での延原の今後の予定は以下の通り。

7/25 (土) 池田市 バッハ : コーヒー・カンタータ
8/7 (金) 大阪フェスティバルホール スメタナ : わが祖国
8/23 (日) ザ・シンフォニーホール メンデルスゾーン : オラトリオ「聖パウロ」
8/29 (土) 川西市 ヴィヴァルディ : ヴァイオリン協奏曲「ムガール大帝」ほか
8/30 (日) 羽曳野市 音楽絵巻 羽曳野戦記中、バロック音楽の演奏
10/10 (土) いずみホール バッハ : マタイ受難曲
12/19 (土) ザ・シンフォニーホール 第九及びバロック名品集

実に多忙である。大阪の方は、このうちのどれかでもお聴きになってはいかがだろうか。よろしおまっせ。

# by yokohama7474 | 2015-07-26 01:55 | 音楽 (Live) | Comments(0)

東京と比較して大阪は、意表を突く建築が多いと思う。なんちゅうかその、エライこっちゃーという感じの、トラブルを楽しむ難波気質がそこここに充溢している。実は私自身、生まれは大阪。この感覚は分からなくはない。ただ、その大阪でも、この建築には度肝を抜かれた。
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梅田スカイビル。ふたつの高層ビル (= タワー) を結ぶ中間に、何やら基地のようなエリアが。これは一体何事か。建築家 原 広司の設計により 1993年に完成したビルだ。地上 173m だから、高さでは東京スカイツリーには及びもつかないけれど、その姿のユニークなことは類を見ない。事実、英国を代表する新聞 The Times が 2008年に、世界を代表する建築 20選 (ほかにはパルテノン神殿やタージマハール、ローマのコロッセオなど!!) のひとつに選んだとのこと。設計者の原 広司は、もちろん日本を代表する建築家だが、一般によく知られているほかの代表作は、JR 京都駅だろう。今回、彼自身の代表作である梅田スカイビルで、建築家自身が書き写した古今の書物の一部が展示されている。
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うーむ、表示がほとんど英語なのは、何か意味があるのだろうか。そういえばこのビル、最近外人観光客がうなぎ上りだそうだ。
http://matome.naver.jp/odai/2138435364131654801

この展覧会では、建築家自身「写経」と称した、手書きの原稿が展示されている。古くはホメロス、ウパニシャッドから、アリストテレス、法華経、鴨長明から道元、はたまたダンテやデカルトを経て、最後は大江 健三郎 (この建築家の近しい友人らしい) に至る。面白いとは思ったが、私個人にとっては、他人の写経を見るよりも、自分で書物を読みたいと思い、早々にその場を離れて、このビルの売り物である空中庭園へ。上記の通りこのビルは、東西二つのタワーの真ん中を、空中でつなげている部分があるのだ。下から見るとこんな感じ。私にとっては今回が二度目の訪問。
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うおー、あの上までどうやって昇るのか。エレベーターで一挙に 35階へ。シースルーのエレベーターなので、高所恐怖症にとっては、なかなかにハードルが高い。35階から屋上の空中庭園につながる 40階までは、上の写真でも見える、空中を渡るエスカレーターに乗るのだ。おー、こわ。
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あー、もうチビリそう。ただ、頂上までたどり着くと、ちゃんと防護柵もあり、それほど危険な感じはない。通ってきた、また帰りには通るエスカレーターも、余裕で見下ろすことになる。
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大阪中を見渡しても、ニューヨークでエンパイア・ステイト・ビルから見るような絶景はない。ただ、アベノハルカスをはじめとする大阪のユニークな建築群を、その中でもとりわけユニークな場所から見る快感は、なかなかのものだ。もしまだこの景色をご覧になっていない方がおられたら、是非一度行かれることをお奨めする。おもろいでー。

# by yokohama7474 | 2015-07-26 00:41 | 美術・旅行 | Comments(0)