クリスティアン・テツラフ 無伴奏ヴァイオリンリサイタル 2015年11月14日 紀尾井ホール

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クリスティアン・テツラフは、フランク・ペーター・ツィンマーマンと並んで、ドイツ人ヴァイオリニストを代表する存在だ。私の感覚では、二人とも若手という感じだが、このテツラフは 1964年生まれ、ツィンマーマンは 1965年と、もはや若手とは呼べない年代だ。つまりは、私と同世代。おー。気づかぬ間にオッサンになっているのですなぁ。

実際、このテツラフのもともとのイメージと言えば、ハリー・ポッターだ。
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いやいやそっくり。それが今やこんな風なひげを生やし、一部の映画におけるオーランド・ブルームのようだ。
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まあいずれにせよ、ロマン的な情緒に溺れることなく、仮借ないまでに曲の本質に肉薄するタイプのヴァイオリニストだ。私が生で聴いた中では、1998年、エサ・ペッカ・サロネン指揮のフィルハーモニア管弦楽団をバックにしたリゲティのヴァイオリン協奏曲が極めて鮮烈な記憶として残っている。早いもので、あれからはや 17年。今回の来日では、1回のコンサートで、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全 6曲を演奏するという、極めて意欲的な試みだ。30分の休憩を挟んで、16時に始まったコンサートは 19時頃まで続いた。曲目詳細は以下の通り。

 バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
  ソナタ第 1番ト短調BWV.10001
  パルティータ第 1番ロ短調BWV.1002
  ソナタ第 2番イ短調BWV.1003
  パルティータ第 2番ニ短調BWV.1004
  ソナタ第 3番ハ長調BWV.1005
  パルティータ第 3番ホ長調BWV.1006

BWV というのは、バッハ作品番号である。ご覧頂けるように、この 6曲はもともとワンセットになっているわけだ。バッハの自筆譜が残っていて、その年代は 1720年。実に今からほぼ 300年も前である。但し、この自筆譜は浄書であることから、当時バッハが務めていたケーテンの宮廷ではなく、その前のワイマール時代に書かれたという説もある。いずれにせよ、今聴いても目眩がするような音の乱舞であり、演奏は至難である。バッハの生きていた頃、これらの曲を自由に弾きこなすだけの技量を持ったヴァイオリニストがいたであろうか。そもそも、ヴァイオリン 1丁で演奏する機会が、宮廷にどの程度あったのだろうか。もっとも、無伴奏のヴァイオリンのために曲を書いたのはバッハが最初ではない。日本を代表するバロック・ヴァイオリニストである寺神戸 亮の CD に、「シャコンヌへの道」というアルバムがあって、バッハ以前の無伴奏ヴァイオリンの曲を集めてある。バルツァー、ヴェストホフ、ビゼンデルという聞いたこともない作曲家に、ビーバーやテレマンの作品が録音されている。つまり、バッハがこの 6曲の無伴奏曲を書いた背景には、それだけ多くの先例があったということになるが、それでも恐らく、バッハが作り上げたこれらの作品に、作曲者自身が比類ない自信を抱いていたものではないか。一体いかなる思いでバッハがこれらの曲を書いたのか、考え始めると何やらワクワクする。

さて、テツラフの演奏は、一言、見事としか言いようがない。ヴィブラートを最小限に、推進力を強く押し出したバッハであった。それはあたかも祈りのように響き、居合わせた聴衆はそれぞれに崇高な思いを抱いたことであろう。東京以外では世界でもなかなかないような、まんじりともせずに音楽に聴き入る姿勢は、このような演奏にふさわしいだろう。もっとも、私の席の近くでかすかないびきが聞こえたような気もしたが (笑)。いや、それも含めてバッハがこの世にもたらした天国的な時間の象徴であろうか。

テツラフは既に 2度、この 6曲を録音しているはずで、既に充分自家薬籠中のものとしたレパートリーであるはずだ。それにもかかわらず、2曲目に演奏したパルティータ第 1番だけ、なぜか譜面を開いての演奏であった。とはいえ、その譜面に目をやることはほとんどないように思った。だがしかし、私の耳が悪いのでなければ、この曲でほんの数十分の 1秒、音楽の流れが停まったような気がした。テツラフはその曲の演奏が終わると、自ら譜面台をステージの袖に片づけてしまった。実際のところは分からぬが、譜面台が返って邪魔で、それがない方が集中できると思ったということか。

6曲の中の白眉は、パルティータ第 2番の最後に置かれた、有名なシャコンヌだ。この日の演奏でも、このパルティータ 2番が抜きんでていたように思う。あとは、最後のパルティータ 3番の奔放な雰囲気も素晴らしいものがあった。もちろん生演奏のことだから、数回、ほんの少し音がかすれる等の若干の不備はあったものの、その強い集中力は尋常ではなく、現代を代表するヴァイオリニストとしての面目躍如といったところであった。たった一人で舞台に立って、リズムも自分で刻まねばならないし、大きなミスがあればとりかえしのつかないことになる、その緊張感はいかばかりか。ハリー・ポッターから脱皮したテツラフは、まさに魔法を使わず自力で人々を遥かな高みに連れて行ってくれた。

このような演奏会であるから、アンコールは当然なしと思っていたところ、「パリの友人たちのために繰り返し演奏します」と舞台上からスピーチして、パルティータ 2番のアンダンテを演奏した。「パリの友人たち」とはもちろん、9/13 (金) 夜にパリで発生した同時多発テロにおいて犠牲となった、130人以上の人々のことだ。これは本当に痛ましい出来事であり、今後の世界の秩序に対する不安も煽られるのであるが、せめて音楽の力で人々の心をつなぐ機会を持てたことを幸いとしよう。

今回もまた、終演後にサイン会があった。テツラフが 2007年に録音した、今回の曲目と同じバッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲の CD を購入し、そこにサインをもらった。
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サイン会場は撮影禁止とのことだったが、オバチャンたちが入れ替わり立ち代わり写真を撮っていて、ようし私も、と思った瞬間、スタッフの人の「写真撮影はご遠慮下さい!!」という強い言葉が出たので、そこは大人の対応ということで、カメラモードにしたスマホをカバンにしまうこととした。うーん、本当は魔法の杖で写真を撮りたかったのだけれど、あるいは「ラミパスラミパスルルルルル」と唱えてテツラフがハリー・ポッターになるのを見たいと思ったけれど。あ、この呪文は日本製でしたね。もしやっても、通じなかったね。

# by yokohama7474 | 2015-11-15 01:32 | 音楽 (Live) | Comments(0)

メイズ・ランナー 2 砂漠の迷宮 (ウェス・ボール監督 / 原題 : Maze Runner The Scorch Trials)

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このブログを始めて間もない頃、6月 6日の記事で、このシリーズの 1作目、「メイズ・ランナー」を採り上げて絶賛し、しかも余計なことに (笑) 何度も同じ予言を繰り返した。今回、シリーズ 2作目を見て、私の予言が当たったか否かはさておき (ご興味おありの方は是非映画をご覧頂きたい)、今回も私にとっては Thums Up! な映画なのである。

世の中の 2作目の苦労は、1作目のヒーローやヒロインの活躍をいかに新鮮味を持って続けるかということや、新たな展開にどのくらい説得力があるかという点にあると思う。想定を拡散しすぎてリアリティを失うものや、とってつけたような展開で観客を白けさせる映画がいかに多いことか。その点、幸いなことにこの映画は、そのような轍を踏む愚から逃れている。まあ、内容を詰め込み過ぎという批判をする人はいるかもしれないが、では、あなた自身がこれより面白い展開を考えつくだろうか。私は完全に脱帽だ。これは一言、面白い。

前作の感想とオーバーラップするが、有名俳優を一切使わない中で、それぞれの役者の顔が本当に生きている。脱出する若者たちに関しては、前作で、沈思黙考する黒人リーダーや、いかにも鼻っ柱の強い白人や、そのとろくささが同情を誘う太っちょは、既に亡い。すなわちここで生き残っているのは既にして Best & Brightest のみである。
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うーむ、これでは優等生のみになってしまいはしないか? そんな私の危惧を嘲笑うように、この映画では次々と新しいキャラクターが登場する。しかも、なんと徹底したことか、顔を見たことのある俳優は皆無なのである!! これは非常に有用な方法だ。コストを抑えつつ、これで成功したら次のステップがあるというモチベーションを役者に与えつつ、もしこれでブレークする俳優が出てくれば、この映画自体の歴史的評価が上がるわけだ。これは、製作 / 監督によほどの自信があってのことであろう。

演出は今回も素晴らしいと思う。劇中で、主人公トーマスの、「もう走るのはうんざりだ (I'm tired of running)」というセリフがあるが、それは観客にとっても全く同じ感覚。とにかく、これだけ主役たちが走りまくると、見ているこちらも息切れするのだ。それゆえ、こんな目に遭っても、もしかしたら走らずに済むと思うとほっとするかもしれない (笑)。
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例えば狭い通路を主人公たちが逃げるシーン。カメラは手持ちで主人公たちを追いかけながら、しかもズームする。次のカットは切り返しで、追われる方から後ろを見る。この組み合わせによって、遠近を行ったり来たりということになり、なにやら分からぬが大変な目に遭っているのだということを、観客は肌で理解する。実に巧みな演出だ。

巧みな演出のもうひとつの例として、細部へのこだわりを挙げておこう。主人公たちが砂漠を逃げて彷徨い歩くとき、食事はどうしているのだろうという思いが頭をかすめるが、それへの答えは劇中に一切出てこない。それなのに、窓ガラスを割って逃げるシーンでは、窓枠に残ったガラスの破片で怪我をしないようにと、わざわざ窓枠に毛布をかけるのだ!! 多分人間は、本当に追われているときには、そんなことを考える余裕もないはず。だからこれは映画の嘘だ。嘘が嘘としてスムーズに流れるか否かが、よい映画を判断するひとつの条件。よって私はこのシーンを見て快哉を叫んだのだ。

まあそれにしても、これだけ変化の激しい展開をよくぞ一本の映画に押し込めたものだ。もともと三部作のこの映画、次回が最終編となり、この映画は露骨にそれを予告して終わる。さて、前回予言をしたこの私も、この後の展開は分からない。分からないながらも、適当に考えてみようか。主人公たちは敵陣に乗り込み、なんとか仲間の復讐を果たすが、そこにはまた新たな真実が。その真実とは・・・。うーむ。どうしよう。地球そのものが何者かの支配を受けており、疫病の蔓延もそれからのサバイバルも、絶対者の思うがまま、というのはどうだろう。今回はあまり自信はないが・・・。

# by yokohama7474 | 2015-11-14 23:45 | 映画 | Comments(0)

エベレスト 3D (バルタザール・コルマウクル監督 / 原題 : EVEREST)

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私は山登りをしない人間ではあるが、そこそこの山であれば、「あぁ、登頂すると気持ちいいだろうなぁ」と思うことはある。とはいえ、まだ記憶に新しい御嶽山の噴火や、それほどの規模の悲劇でなくても、それなりの頻度でニュースになっている山での遭難のニュースを耳にすると、なんとも暗い気持ちになるものだ。人間が自然を御することは所詮不可能であり、一旦自然災害が起こってしまえばなすすべもない人間の身の危うさを思い知るからだ。特に、このエヴェレストのような、普通に考えて命を危険にさらすような無謀なことを、巨額の資金をかけてでもやろうという人がいることを、私は全く理解できない。この映画の冒頭にある通り、1953年にエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが初登頂を達成して以来、最初の頃はプロの登山家でも 4人に 1人が命を落としたという。うーん。理解できない。と言いながら、なぜかこの究極の登山には心惹かれるものがある。もう 10年以上前になるが、「そして伝説は残った」という本を読んだことがある。副題は、「伝説の登山家マロリー発見記」とあって、ヒラリーとテンジン (と普通言うが、なぜファーストネームとファミリーネームの組み合わせなのだろう?) よりも先、1924年にエヴェレスト登頂を目指して消息を絶ったジョージ・マロリーの遺体が 75年ぶりに発見されたことに関するドキュメンタリーであった。ここで私を惹きつけるのは、極限の世界で生還を目指すことのロマンということは多分できそうだ。

そんなわけで、久しぶりに劇場で見た映画がこれである。1996年に実際に起きた遭難事件に基づいており、3D の威力もあって、その描写はかなりリアルだ。この時代だからほぼ全編 CG で作ったのだろうと思いきや、実際にエヴェレストやアルプスで大々的なロケを敢行しているという。いやー、3D カメラを抱えたスタッフの皆さんは大丈夫だったのだろうか。

この映画、登山の話だから、登場人物の顔が分かりにくいだろうと思ったら、ある程度思った通りであったが、そのキャストは非常に豪華だ。主役の登山会社の経営者には、先に「ターミネーター 新起動」でのジョン・コナー役をご紹介したジェイソン・クラーク。その妻役はなんとキーラ・ナイトレイだ。但し彼女は登山をしないので、ほかの俳優よりも安いギャラだっただろう (笑)。主人公を助けようとする仲間に、「アバター」の主役を務めたサム・ワーシントン。ベースキャンプでの頼りになる女性スタッフに、名女優 (最近あまり見なかったが) エミリー・ワトソン。その他、ジョシュ・ブローリンやジェイク・ギレンホールなど、充実の顔ぶれだ。但し、この映画の難点は、まさにその設定にある。山に登ってしまえば、顔や姿がよく分からないので、登山服の色などで人物を識別するしかなく、また、迫真の演技をしようにも、こんな吹雪の中では、見ている人に分かるように撮影するのは極めて難しい。おー、さむ。
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実際、このような高峰にとってみれば人間など、蟻んこのようなちっこい存在であり、いかに通信技術や装備が発達し、天候予報の精度が上がろうと、何千年何万年と当たり前のように起こり続けているちょっとした吹雪によって、人間の体力も知力も、あっという間に吹っ飛んでしまうことの絶望感。急峻な峰を辿る人々の姿を上空からとらえたカットは、そのような絶望感を存分に表現していて、それだけでもこの映画の価値はあると思う。ただ一方で、多くの登場人物がいる中で、その個人的な背景が描かれるのは 2人だけだ。主要キャストで唯一山に登らないキーラ・ナイトレイが、電話での会話という難しいシチュエーションで、なかなかの演技を見せてくれる。この映画でほぼ唯一の、人間の愛を描いたシーンだ。
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但し、改めて思うと、いわゆる実話に基づく壮絶なストーリーを持つ映画 (最近でいうと「アメリカン・スナイパー」とか) に比べると、この映画はもうひとつドラマとしての迫力に欠ける面がある。それは、登山における遭難には、もちろん人間の判断ミス等々の微妙な要素もあるものの、上に書いたような自然 vs 人間の、最初から話にならない無謀な対決が描かれてしまうと、ドラマ性を加えるのは所詮無理であるからだ。なので、この映画を見る際に、気の利いたストーリー展開を期待してはいけない。ただひたすら、自然の驚異と、微々たる力でそれに立ち向かおうとする人間の営為を見るしかない。

これから冬に入って行くので、雪山に登る皆さんはこの映画を見て、勇気ある決断が生死を分けるということを再認識されてはいかがでしょう。ご無事を祈ります!!

# by yokohama7474 | 2015-11-14 09:59 | 映画 | Comments(0)

グスターヴォ・ヒメノ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (ピアノ : ユジャ・ワン) 2015年11月13日 サントリーホール

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既にこのブログでもご紹介した、9/11 (月) に名古屋で聴いたコンセルトヘボウ管弦楽団を、東京でも聴いた。しかも、曲目は全く同じ。
 チャイコスフキー : ピアノ協奏曲第 2番ト長調作品 44 (ピアノ : ユジャ・ワン)
 リムスキー・コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品 35

さて、いかに私がオーケストラコンサートが好きと言って、同じ内容のものに 2回出掛けるのは稀だ。いや、もしかしたら初めてのことかもしれない。実情を明かすと、月曜の名古屋での演奏会は、某所のご厚意で会社に招待状が数枚来たうちの 1枚を私が首尾よくせしめた、いや、厳正なる抽選の結果私が権利を頂いたものであったが、この 9/13 (金) のコンサートは、もともと自分でチケットを購入していたものであった。しかし、よくしたもので、このような高水準の内容のコンサートにもなると、2回聴いても全く飽きることがないどころか、様々な発見があった。従って今日は、前回との比較を主に書き留めたいと思う。

と言っても、演奏自体の違いには、特に書くことがない。なぜなら、今回もユジャ・ワンは完璧だし、その銀色で背中の大きく開いたドレスまで前回と同じだ。オーケストラは相変わらず美音で鳴っているし、弦も管も、なんとも鮮やかでたおやかで、かつ迫力もある。もともとこのオケの楽員であった指揮者、グスターヴォ・ヒメノは、やはり楽員との強い信頼関係に基づいて、堂々たる指揮ぶりだ。これ以上何か書くことがあるとすると、この日私が改めて思ったことと、実際に見たことということになろうか。

ユジャ・ワン。このスーパー・ピアニストについては、前回絶賛しつくしたので、今さら贅言を付け加えることはない。
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ただ、この日のチャイコフスキーのコンチェルトの第 2楽章を例に、その表現力の幅を考えてみたい。この楽章には、途中でピアノが連綿と抒情的なメロディを歌う箇所がある。ここで彼女はピアノという楽器における最大限の抒情を、強いタッチで描き出す。何か別の次元に上がって行くような陶酔感があるが、決して感傷的とは言えない。まさにピアノソロが音楽全体を引っ張っている。その一方で、この楽章のユニークな特徴として、ヴァイオリンとチェロのソロが活躍する部分がある。これらの弦のソロが現れるとき、最初はピアノは沈黙するのだが、ふと気づくとそこにそっとピアノが絡んでいて、まるで、弦楽器のピツィカート伴奏つきのピアノ三重奏のようになるのだ。その部分でのピアノは全く控えめで、全体の中に埋没しているとすら言える。室内楽の場合はお互いに目を合わせる位置で演奏するわけであるが、この場合のピアノとヴァイオリンとチェロは、その位置関係から、誰も目を合わせることができない。それにもかかわらず、お互いの音を聴きあうことで、なんとも素晴らしいハーモニーが浮かび上がるのだ。両端楽章ではもちろんバリバリ弾くことが求められるのは同じ作曲家の有名な 1番のコンチェルトと同じだが、そのような派手な箇所だけでなく、この特異な第 2楽章においても、この超絶的ピアニストの本領が発揮されているという点、改めて感じ入った。

この日のアンコールは実に 4曲。実は私の席はステージに向かって右側の RA ブロックで、出演者の出入り口の正面だったのでよく見えたのだが、彼女はステージから下がると汗をふいたり飲み物を飲んだりしながら、何やら考えながらウロウロしている風情だ。スタッフと何か相談しているようにも見える。聴衆のしつこい拍手に応えてアンコールを弾こうか否か思案していたようにも見え、実際、ステージに出てきてからも思案顔であった。究極のプロでありながら、職業で淡々とピアノを弾いていますという感じとは異なる自然さというか、あえて言えば初々しさのようなものを感じる (そういえば、なんともぎこちないあのお辞儀にしてもそうだ)。この不思議な自然さが、彼女の演奏にもよく表れていると思う。この日のアンコールは、まず、シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」、次にポピュラーナンバーの「二人でお茶を (Tea for Two)」、それから例のヴォロドス編曲のトルコ行進曲があって、最後はグルックの「精霊の踊り」であった。シューベルトとグルックでは、ここでも感傷的にならずに情緒を丁寧に描き出してみせ、前者などあたかも上品な演歌の雰囲気だ。もうなんでもできてしまうのである。

コンサートからは離れるが、彼女の演奏を未だお聴きになったことのない方のために、手頃な映像で、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」をご紹介しよう。
https://www.youtube.com/watch?v=OJRfImhtjq4&feature=player_embedded

ネット上ではインタビューなどを含む彼女の動画が沢山見つかるが、興味深いのは、中国時代のものもいくつかあることだ。1987年生まれの彼女は 15歳でフィラデルフィアのカーティス音楽院に入学したとのことなので、これらはその前の映像だろうが、前者のショパンのエチュードはどう見ても 10歳くらい。後者のクレメンティのソナチネは、渡米直前くらいだろうか。でも驚くのは、10歳くらいの演奏でも、今日の片鱗があることだ。衣装はちょっと今と違うが (笑)、まさに栴檀は若葉から芳し、である。といっても、まだほんの 10数年前だから、ついこの間でもあるわけですが。おそるべし。
http://nicogachan.net/watch.php?v=sm16021947
https://www.youtube.com/watch?v=zUfF4UMl20c&feature=player_embedded

さて、後半の「シェエラザード」、今回も本当に鮮やかな名演であった。前回ご紹介した第 2楽章のファゴットのミスであるが、今回は奏者がその箇所の少し前に楽器を手入れしていると思ったら、前回音の抜けた箇所に来ると、ほんの一瞬早く出るくらいの周到さで見事に切り抜けていた (笑)。終演後のカーテンコールでは、指揮者はしばし思案したのち、今回もファゴット奏者を最初に指名。前回と同じようにファゴット奏者は指揮者を指差して大笑い。名古屋での椿事をご存じないほとんどの聴衆には、なぜファゴットが最初に指名されたのか全く分からなかったであろう (笑)。尚、今回のコンセルトヘボウ管の来日公演は全部で 6公演あるが、「シェエラザード」の演奏は、名古屋とこの日の東京の 2回だけであった。従って、この指揮者とファゴット奏者のやりとりは、名古屋での前編と東京での後編の 2回。私は幸運にも両方とも見て聴くことができたわけだ。そしてこの日のアンコールは前回の名古屋と同じ。まずはマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」前奏曲と、リゲティのコンチェルト・ロマネスク (ルーマニア協奏曲) 第 4楽章であった。

さてここで、またまたコンサートを離れて、このグスターヴォ・ヒメノという指揮者について考えてみよう。
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スペイン人で、もともとこのコンセルトヘボウ管弦楽団の首席打楽器奏者であったとのこと。音楽監督マリス・ヤンソンスにその才能を見出され、副指揮者となったほか、ハイティンクやアバドといった大指揮者の補佐も務めたらしい。今、私の手元には、過去のコンセルトヘボウ管の来日公演のプログラムがあるが、最初が 1986年 (あのオイゲン・ヨッフム指揮の素晴らしい演奏!)、それから1991年、1993年、1996年、2000年、2004年、2010年、2013年と、今回を含めて合計 9回だ (加えてこのオケは、本拠地アムステルダムのほか、ニューヨーク、ロンドンと、なぜかロッテルダムでも、ズービン・メータ指揮で聴いている)。そうすると、必ずこのヒメノが打楽器奏者として参加したコンサートも聴いているはずだ。調べてみると来日公演には必ずメンバー表が載っていて、2004年に彼 (Gustavo Gimeno) の名が登場する。Percussion の上から 2人目だ。この後、2010年も、さらには指揮者としてデビューしているはずの 2013年にも、メンバー表に載っているのだ。
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この、オーケストラの打楽器奏者というものがいかに指揮者から遠いか、ひとつのサンプルをお見せしよう。このオーケストラが綺羅星のごとき名指揮者陣と演奏したマーラーの交響曲全曲のブルーレイ・ディスクが手元にあって、その中で打楽器がすぐ出てきそうな 3番の交響曲 (2010年の演奏。ほんの 5年前だ!!) を視聴してみた。すると、いたいた。ここで大太鼓を叩いている。
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うーん。このパート、100分間の全曲の中で、一体何秒出番があるだろうか。もう少し映像を引いてみるとこんな感じ。
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あちゃー、もう完全に「その他大勢」のひとりである (笑)。本当に、このせせこましい大太鼓の場所から、あらゆる音響をひとりで牛耳る華麗なる指揮者の居場所は、限りなく遠いと思われる。指揮者にも様々なパターンがあって、もともと何か楽器をやっている人が多い。あのサイモン・ラトルも、もともと打楽器奏者だ。しかし、名門オケとはいえ、これだけ集団に埋没したところからこれだけ早く出世した、このヒメノのようなケースは珍しいのではないか。打楽器の場所から限りなく遠いはずの輝かしい指揮台へ、コンクール優勝歴も何もなく数年で到達するとは、本当に才能があって、たゆまぬ努力をして、かつそれが認められたということなのだろう。大変いい話、勇気づけられる話ではないか。

終演後、指揮者とソリストのサイン会があったので、参加した。若い頃はよく演奏家のサインをもらったものだが、最近は面倒くささが先に立って、ほとんどその習慣がなくなっていたところ、ブログを書くようになってから、ネタ探しのためにその習慣が復活しつつある (笑)。前回のチェコ・フィルのときと違い、今回は撮影禁止とうるさく言われたので、残念ながらその場の写真はないのだが、ユジャは、とても私服とは思えない、肩を出し、胸を締め付けて谷間を強調した黒い服に、長い黒革ブーツといういでたちで現れたが、その笑顔はなんとも人なつっこいもので、サインを求める年輩の人たちが何人か、なぜだか英語なり中国語で話しかけるのにも、いやそうな顔もせずに、よく喋りながら応対していた。そして、驚きの発見。その右の肩ひもの下には、なんと湿布薬が (白いものではなく、よくある濃いめの肌色の小さいもの)!! 言ってみれば、野球のピッチャーが登板後に肩をアイシングするようなものなのかもしれないが、せっかくファッショナブルに決めているのに、これでは台無しである。見せたくなければちょっと何か羽織ればよいのだから、きっと本人は気にしていないのだろう。さすがスーパー・ピアニスト。余裕です。大物なのだと思います。

せっかくなので、お二人に頂いたサインを披露しましょう。
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さて、最後にもうひとつ感想を。今回はスペイン人の指揮者、中国人のソリスト、オランダのオケという組み合わせであったわけだが、アンコールを含めて取り上げられた作曲家は、ロシア、オーストリア、ドイツ、イタリア、ハンガリーと、実に様々。演奏者の母国の音楽は皆無だ。このあたり、ロシアのオケがチャイコフスキーばかり演奏したり、チェコのオケがドヴォルザークばかり演奏するのとは一線を画している。このオーケストラが真に国際的な存在であることを再認識した。次回は新音楽監督、イタリア人のダニエレ・ガッティとの来日になるのだろうか。この指揮者にはいささか複雑な思いがあるが、ロンドンでこのコンセルトヘボウを指揮したチャイコフスキー 5番は、素晴らしい演奏であった。来日を期待しましょう。あ、それから来年のユジャ・ワンのリサイタルも、今から待ち遠しい。


# by yokohama7474 | 2015-11-14 01:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)

改めてありがとうございます

この 1ヶ月ほどの間にヨーロッパ、アメリカ、アジアと出張が入り、その間に最愛の飼い犬の急逝という悲しい事態に襲われ、そして (私のことを個人的にご存じの方はお分かりのように) 仕事の面でも大きなイヴェントがあったりと、なんとも慌ただしい日々であった。そのために映画館や美術館に行く時間と気力がなく、相変わらず本を読む時間も不足していて、まあかろうじてコンサート通いだけは続けていたわけであるが、その間にも、おかげさまでこのブログをご覧頂く方の数は増えてきております。ブログを始めて 5ヶ月だが、気が付くと訪問者数は既に 5,000 を超えており、最近始めたランキングでも、「音楽」と「アート・デザイン」という 2分野で登録しているところ、大抵はそれぞれの分野の上位 1/10 くらいには入っており、大変励みになります。ご覧頂いている皆さま、誠にありがとうございます。

驚いたのは、バイロイト音楽祭での「トリスタン」についての記事のアクセスが異様に多いことで、やはりこの国のドMぶり、いや、ワーグナー愛好ぶりは大変なものなのだなぁと実感します。この上演が BS で放送された日には 200 以上のアクセスがあり (この日のランキングは、それぞれのカテゴリーで約 1,500 ブログ中11位及び、約 1,800 ブログ中15位)、この記事の総アクセス回数は既に 1,000 を余裕で超えております。そこで、どんなことを書いたかなと思い、自分でもその記事を読み返してびっくり!! なんと、悪口ばっかりではないか!! (笑) うーん、演出家の方はドイツ人だから、この記事を読んで気を悪くされることはないと思いながらも、記事を書くにあたっては、あまり軽はずみな表現は避ける必要あるなと、改めて自分を戒めた次第。まあもちろん、書いているこちらとしては、軽口叩いてはいても、それなりに自分の思ったことを率直に表現しているつもりなので、違う考えの方も当然沢山おられるだろうと割り切っておりますが、読んで頂く方が不愉快になるようなことだけは避けたいと思っています。

どうせなら、こんな感じで頑張って参りたいと思う今日この頃であります。引き続きよろしくお願い申し上げます。
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# by yokohama7474 | 2015-11-13 00:02 | その他 | Comments(0)