ドイツ、バンベルク 大聖堂、新宮殿等

昨日、誕生日ということで痛飲したのだが、実質的には今回の旅行で出かけることができる最終日に当たったため、二日酔いをおして、頑張ってバンベルクに行って来た。バイロイトからだと、地図で見るとニュルンベルクよりも近そうだが、こちらの方が時間がかかったように思う。いずれにせよ、列車で所用 70分程度と、お手軽なエクスカーションだ。

今回は、バンベルク滞在が 3時間程度と短かったこともあり、街を見つくしたわけではないので、あまり無駄口を叩かずに、この世界遺産都市の風景や文化遺産の写真をお楽しみ頂きたいと思う。

このバンベルクという街、音楽愛好家にとってはもちろん、ドイツの素朴な味わいを残す名オーケストラ、バンベルク交響楽団でおなじみだ。もともとチェコからドイツに逃れた音楽家が結成したオーケストラだ。やはり土地柄として、チェコとの国境から近いということは、自然環境もチェコと似通ったところもあるのかもしれない。戦災に遭っていないらしく、中世の雰囲気を色濃く残した大変美しい街だ。歴史的には、領主司教と呼ばれる、いわゆる司教を君主とする制度を取り、実際にこの街には司教が君臨したが、街の基礎を築いたのは 11世紀初頭の神聖ローマ皇帝、ハインリヒ 2世だ。

駅から歩くこと 10分程度。レグニッツ川の豊かな流れに驚かされる。そこに立ち並ぶ家々。
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16世紀に建造された旧市庁舎が立っているが、なんと川の中州にあるのだ。これはちょっと見たことないですな。
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このあたりからあちこちに古い家が立ち並ぶ小道が伸びる。この家なんて、やはり 400-500年くらい経っていそうだけども、そこに雑貨屋さんが入っているのも、なんともオシャレ。
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石畳の道が少しずつ上りとなって、ついに大聖堂及び、新宮殿 (ノイエ・レジデンツ) の前に出る。
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まずは大聖堂に入ってみる。街の基礎を築いたハインリヒ 2世の時代には既に工事が始まっていたらしいが、その後火災などがあり、現在の建物は 13世紀の建造。ちょうどロマネスクからゴジックに移行する時代で、建築様式には両様式の混在が見られるという。
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この聖堂の中に、「バンベルクの騎士」と呼ばれる彫刻がある。13世紀初頭の作と言われているが、これだけの堂々たる作品であるにも関わらず、作者名も誰の像なのかも、未だ不明とのこと。いやー、凛々しいお姿です。
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そして目を引くのが、皇帝ハイリンヒ 2世とおの奥方の棺。亡くなった時代よりも後に作られた棺らしいが、生前の業績も側面に彫刻され、このお 2人がいかに人々に慕われていたかがよく分かる。
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ここの部分はロマネスク風の素朴な感じ。
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奥の方の向かって左側に、素晴らしい木彫りの彫刻がある。テーマはキリストの生誕で、1523年、ニュルンベルクの彫刻家、ファイト・シュトースの作品。先の記事でご紹介した、ニュルンベルクの聖ロレンツ教会にかかっている素晴らしいレリーフも彼の作品だった。調べてみると、ポーランドのクラクフの教会にも作品があって、それはゴシック期の祭壇彫刻としてヨーロッパ最大だとか。行ってみたいものです。
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また、次は隣で英語のガイドが説明しているのを聞きとがめて発見したちょっと珍しいもので、現地で購入したガイドブックにも載っていない。これです。
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これは、高い天井に描いてあるもので、どうみても悪魔のようだ。ほかにももうひとつあったが、そちらは光の加減でどうしても写真を写すことができなかった。これ、戯画のようにも見えるし、普通教会の天井に、こういう絵が描かないでしょう。なので、上から天井画を描くことを前提として、手すさびで絵師が描いた落書きではないのか。日本でも、唐招提寺に似たような例があるし、もしそうだとすると、中世の人々の生きた姿が、鮮やかに甦ってくる、なかなかに貴重な例だ。ガイドブックに載っていないこういう発見をすると、少し得をしたようで、嬉しくなる。

さて、次に大聖堂のすぐ前にある新宮殿を見てみよう。16世紀後半から造営されたもの。なかなか立派な建物だ。
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中もかなり広く、絵画のギャラリーは個々人で見るが、宮殿内はツアーに参加する。この手の宮殿のギャラリーは通常、あまりレヴェルが高くないので、ガランとした展示室をツカツカと歩いて行ったが、奥の部屋で足が停まった。なんとここにも、ハンス・バルデュンク・グリーンやクラナッハがあるではないか!! 素晴らしい!! これまた、お得な気分にさせてくれます。
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宮殿内のツアーで最初に通されるのが、皇帝の広間。絢爛たる色使いで、豪華に仕上げられている。ただ天井は充分高くないため、だまし絵 (トロンプルイユ) の手法で上階部分が描いてある。壁には主要な神聖ローマ皇帝の姿が描いてあるが、ここでも最初に描かれているのは、ハインリヒ 2世だ。
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さてその後も古い町並みをぶらぶらしながら、もう 1つ、どうしても行きたい場所があった。それは、E・T・A・ホフマン (イー・ティー・エーではなく、ドイツ語で、エ・テー・アーと正確に読みましょう。Ernst Theodor Amadeus のことらしい) の旧居である。E・T・A・ホフマンは、ドイツロマン主義の幻想作家として知られているが、実は結構多才な人で、ここバンベルクでは、劇場の指揮者として雇われたらしい (名前の A はアマデウス、つまりモーツァルトの名前から取っているわけだ)。ただ、今は博物館になっているその旧居は、なんとも小さなものだ。しかも、どうやら、15時から 17時までしか開館していない模様。えぇー、イタリアではあるまいし、ここはドイツなんだから、もっと働こうよー。因みに、この旧居のすぐ近くに、彼の名を冠した新しい劇場があった。ホフマンのバンベルク時代は、あまり恵まれていなかったようであるが、それでも後世の人たちがこうして彼を顕彰するというのは、素晴らしいことだ。だけど、もっと博物館、開けようよ (笑)。
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さて、このあたりで時間切れとなり、バイロイトに戻ったが、まだまだ街の雰囲気も味わいたいし、見たいところも沢山ある。できれば近い将来での再訪を期して、この素晴らしい街を離れたのでありました。


# by yokohama7474 | 2015-08-15 10:12 | 美術・旅行 | Comments(0)

バイロイト音楽祭 楽劇「トリスタンとイゾルデ」(指揮 : クリスティアン・ティーレマン / 演出 : カテリーナ・ワーグナー) 2015年 8月13日 バイロイト祝祭劇場

いきなり個人的な話で恐縮だが、まあそもそもブログなんて個人的なことをダラダラ書きつづるものだし、個人的なことを書いて何が悪いと開き直る手もあるのだが、最近、日によっては 3ケタのびっくりするような数のアクセスがあることもあり、一応世界の片隅であれこれ無責任にわめいていることがいろんな人に見られてしまうことを考えると、やはり少し断った方がよいかと思ったりもするのだが、要するに、2015年 8月13日は、私の 50回目の誕生日であったのだ。実は今回、バイロイトに行きたいと思ったのも、この人生の折り返し点 (もっと来ているって 笑) で、究極のド M 体験をしてみるのも何か新しい発見があってよいのではないか、ということもきっかけのひとつであった。何はともあれ、家族友人上司部下、先輩後輩、恩師 (ってあまりいませんが)、その他ご縁のあった皆々様に感謝して、これからも精進して参ります。

というわけで、8月13日である。今から 139年前のこの日、1876年 8月13日に、ここバイロイトで何が起こったかご存じでしょうか。実は、ルートヴィヒ 2世臨席のもと、ハンス・リヒターの指揮で「指環」の全曲初演の、まずは「ラインの黄金」が演奏された日なのだ。やはり私は、生まれながらにして指環と何らかのご縁があったのだ!! 因みに今調べてみると、この初演には、リストはもちろん、ブルックナーやチャイコフスキーも聴衆の中にいたらしい。ブルックナーがワーグナーの心酔者であることは周知だが、チャイコフスキーとワーグナー、また、チャイコフスキーとブルックナーなんて、言葉を交わしたのだろうか。

さて、今回は私の 50歳を記念して、バイロイト音楽祭が特別に新プロジェクトを用意してくれた (わけない)。現在の音楽祭総監督のひとり、カタリーナ・ワーグナー (御大ワーグナーのひ孫で、前総監督のウォルフガンク・ワーグナーの娘) が新演出した、「トリスタンとイゾルデ」だ。1978年生まれと、まだ若いカタリーナさんだ。
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そしてなんといっても、指揮が今や中堅の超カリスマとして押しも押されぬ地位を獲得した、クリスティアン・ティーレマン。
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今年のバイロイトでも抜群の人気を誇る公演で、チケットの争奪戦となった模様。そんな中、代理店が頑張って確保してくれたのは、なんとなんと、かぶりつきの席だ。正真正銘、最前列だ。最高の誕生日プレゼントになりました。ただ、バイロイトのチケットは記名式で、私のもらったものには、ザールブリュッケンに住むなんとかミューラーなんとかさんの名前が入っている。まあ、どうひいきめに見ても、私はザールブリュッケンのなんとかミューラーさんには見えないので (笑)、ちょっと緊張したものの、全く問題なかった。当然チケットの合法的な流通市場のある国なので、問題はあるわけないのだが、バイロイトはちょっとうるさいという話を聞いたことがあったので、若干の心配はあったものの、杞憂でした。

泊っているホテルの近所に映画館があって、この公演のポスターが貼ってある。どうやら、いわゆるライヴ・ビューイングで、劇場でリアルタイムで見られたようだ。確か、上映時間「360分」と書いてあったはず。さすがにこの長いオペラも、正味 6時間はなく、うち 2時間は休憩だ。でも実際、16時に始まって 22 時頃の終了だったのだが、映画館にいる人は、休憩の間どうしているのでしょうか。以下は恐らく、インターネット中継の宣伝でしょうか。
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まずは最前列ということで、オーケストラピットがどうなっているかをまじまじと観察。オケ自体は舞台下の穴倉のようなところに入っているが、客席に面して、かなり高さのある土饅頭のような形状の覆いがあって、それがゆえに、指揮者の姿も客席から全く見えないようになっている。そして、今回目撃できたことには、楽団員も (そして、モニターを見た人によると、指揮者も) T シャツ、短パンというラフな格好での演奏だ。そうでないと、暑さで参ってしまいますな。ピンボケながら、少しイメージを持ってもらえれば。
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同じツアーに参加している人たちも、「指環」の演出のあまりのひどさに、この「トリスタン」に期待する声が大きく、私も全く同感だったのである。

今回は趣向を変えて、3つの幕それぞれの舞台装置と、そこでの登場人物たちの動きからご紹介しよう。まず第 1幕は、垂直性を強調した可動式階段の組み合わせ。
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一見してエッシャーを連想したが、プログラムにはピラネージの牢獄の絵が記載されている。なるほど、それならそれで、迷宮のイメージとして、よいではありませんか。私はピラネージは大好きで、以前、マルグリット・ユルスナールの「ピラネージの黒い脳髄」など喜んで読んだことがある。まさか、「ピラネージなんて知らねーじ」とは言わせません。有名です。
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この第 1幕では、トリスタンとイソルデは青い服、それぞれのおつきであるクルヴェナルとブランゲーネは茶色か緑系の服という色合いで、4者があちこち動き回る。ただこれが、例の「指環」の演出ほどではないが、若干うるさい感じが否めない。また、この演出の特色は、主役 2人は、最初から明らかに愛し合っていて、あろうことか、薬を飲む前から抱き合ってチュッチュするのである。おいこら、まだ早いだろ、と思っていると、毒 (= 実は媚薬) を飲むはずのシーンは、これだ。
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おいおいおい、こぼしてどうするよ。もったいないなぁ。要するにこの二人、死ぬつもりが惚れ合う仲になるという本来の設定を離れ、自分たちの意志で愛を貫こうとするらしい。そのような設定変更によって、何か劇的な説得力ありますかね。ロマン性が薄れて、私はあまり好きではないですけどね。ま、「指環」に比べたらこのくらい、まだかわいいものだ。因みにこの日の演奏では、鳥だかコウモリだかがステージに紛れ込んでいて、時折舞台の上の方を横断するなど、偶然とはいえ、なかなか面白い効果があった。

第 2幕がまたユニーク。高い塀に囲まれた、どうやらこれも別種の獄のような場所で、上から監視されている中、トリスタンとクルヴェナル、イゾルデとブランゲーネがぶち込まれてくる。舞台上には、以下のような、何やら駅の近くの自転車置き場 (笑) のような金属の半円が。
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これが立ち上がったり、肋骨の部分が開いたりと、あれこれ動いて、例えばこんなふうに。
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うーん、これは何を表しているのだろう。この第 2幕、ひたすら夜の静謐で濃密な音楽が続くので、あまり小細工は必要ないように思った。因みにマルケ王はこんな人。
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そして第 3幕は、全編紗幕を下ろしたまま、非常に薄暗いシーンに終始する。そしてイゾルデを待つトリスタンの前に、このような幻想のイゾルデが三角形の中に次々現れる。
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あるイゾルデは、自分で首をもいだり、またほかのイゾルデは、全身が溶けてしまったり、あるいは顔から血を流したりと、これでもかとばかりトリスタンの抱くイゾルデのイメージが崩れて行く。ただこれも、一体どんなメッセージが込められているのか、今一つピンと来ない。そして最後、息絶えたトリスタンがストレッチャーのようなものに乗せられているのに、それを抱き起して、死体と並んで座って「愛の死」を歌うのだ。
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私には頑迷で乱暴なひとつの持論があって、オペラの演出家で紗幕を多用する人は、才能がないということなのだ。それはそうではないか。演出家には無限のパレットが与えられているのに、ただ薄暗くしたいというだけで紗幕を使うなんて、安易すぎる。ごく一部ならともかく、1幕を通してそれをやられると、観客は白けてしまう。実は日本にも紗幕を多用する演出家がいて、その人の舞台を何度か見たことで確立した持論である。今回、久しぶりにそれをやられてしまった。

そもそもオペラの演出とは、そんなに奇抜なことを考えなければならない業務だろうか。バイロイトの場合は、いろんなくびきの中での活動ということになるので、勢い奇をてらった演出になるのか。それとも、この程度では、奇をてらっているとは言えないのだろうか。

純粋に音楽面だけを見ると、やはり瞠目すべき演奏であったことは間違いない。オーケストラに至近の席であったため、足元に音による振動が伝わってきて、興奮した。ティーレマンの指揮はやはり只者ではなく、滔々と音が流れる中にもあれこれと起伏があって、大きな生き物のようなオケを自在に操る魔術師さながらの手腕であった。

主役 2人は、かなりの高水準を示したと思う。トリスタンのスティーヴン (ステファン?)・グールドは、ワーグナー歌いとして活躍の場を広げているが、そういえば新国立劇場での大野和士指揮の鬼気迫る演奏でも、トリスタンを歌っていた。今回も安定した歌唱であったと思う。一方のイゾルデ、エヴリン・ヘルリツィオスも、実は昨年の新国立劇場で飯守泰次郎新音楽監督が名刺代わりの一発で上演した「パルシファル」で、クンドリを歌っていた。クンドリはかなりよかったと思ったが、今回のトリスタンでは、ここぞというときに強い声は聴けたが、ややむらのある感じも否めなかった。それにしても東京は、バイロイトで歌う歌手が練習 (?) として歌う場なのだろうか。なんであれ、上り坂の歌手たちが東京で歌う機会が増えていることに感心する。ただ、とは言っても、同じ演奏家を聴くにも、やはりヨーロッパで聴くことには違った価値があるものだ。かぶりつきでカーテンコールを見ながら、日本とヨーロッパの実際の距離について、ぼんやりと考えていた。あ、それから、指揮者は T シャツ短パンだったはずなのに、いつ着替えたのか・・・ということ。
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ともあれ、結論は、課題は多々あれども、なかなかに凝った演出で、とてつもないオーケストラの音ともども、聴衆としてのよい経験となった。思い出に残る誕生日となった。


# by yokohama7474 | 2015-08-15 08:29 | 音楽 (Live) | Comments(6)

バイロイト音楽祭 ワーグナー : 楽劇「ジークフリート」(指揮 : キリル・ペトレンコ / 演出 : フランク・カストルフ) 2015年 8月12日 バイロイト祝祭劇場

「ニーベルングの指環」4部作のうちの 3作目、「ジークフリート」。正直に言おう。この公演の演出は、私がこれまでに見たオペラの演出の中で、文句なしに最悪のものだ。何がどうおかしいかを細かく書いてみようかと思ったが、やめておこう。私はこの演出、間違っていると思う。吐き気がする。前にも書いたが、こんなことをするくらいなら、オペラの演出なんてしないで、オリジナルの芝居の脚本を自分で書くか、映画でも作ればよい。終演後のブーイングも大変なものであり、聴衆の総意は明らかであるように思われる。ただこの種の演出家は、そんな悪評は一切意に介さない強靭さを持っているのが通常だが、さて、一体本人は、この演出に意義を見出しているのであろうか。「オレの演出、すげーだろー」などと思っているのだろうか。一度訊いてみたいものだ。パトリス・シェローとピエール・ブーレーズがバイロイトでこの「指環」を演奏したときにも大変なブーだったと聞いているが、当初から高く評価する声はあったし、今では伝説的公演となっている。それに引き換え、この演出はそうはならないだろう。どなたか、賭けをしませんか。

但し、ペトレンコの音楽の表現力だけは相変わらず凄まじく、大詰めでブリュンヒルデが目覚める前の音楽の高まりと、そこから持続した濃密な時間は大変なもの。ジークフリートのシュテファン・フィンケと、(「ワルキューレ」ではそれほど印象に残らなかった) ブリュンヒルデのキャサリン・フォスターの 2人も圧巻であった。

画像なしに悪口だけでは淋しいので、一応本作の舞台写真を使った現地発行の雑誌の表紙を掲載しておく。マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東。なんですかねこれは。
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# by yokohama7474 | 2015-08-13 08:19 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ドイツ、バイロイト エルミタージュ、新宮殿、フリーメーソン博物館

バイロイト滞在 4日目。現地で購入した英語のガイド小冊子を見て、行き先を決める。但し、昨日はオペラがなかったのでニュルンベルクで体力と気力の限界に挑戦したが、今日はそうはいかない。夜の「ジークフリート」に備えて、あまり無理はできない。ということで、街中から少し離れたエルミタージュと、街中でまだ行っていない新宮殿をメインとすることに決めた。

エルミタージュとは、サンクトペテルブルクの有名な美術館で知られる通り、庵とか隠れ家といった意味のある言葉。ここバイロイトにある同名の宮殿は、現地で購入した小冊子によると、18世紀初頭の辺境伯、ゲオルク・ウィルヘルムが 1715年に造営を始め、その後プロイセンの有名なフリードリヒ大王の姉、ウィルヘルミーネ (1709 - 1758) が当地のフリードリヒ辺境伯に嫁入りして、この宮殿を自由に使ってもよいとの許可を得て、大々的に造営したもの。バイロイト市街に新宮殿 (後述) が造営されると、それとの対比で旧宮殿とも呼ばれたらしい。これがウィルヘルミーネ妃。あんまりうまい絵ではないですが (笑)。
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因みにこのエルミタージュ、航空写真は以下の通り。かなり広大な土地だ。市街地からはバスで 15分ほど。
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この宮殿の造営は、まさにヴェルサイユ宮殿とほぼ同時期。ヨーロッパでは絶対王政の時代。美術では、ロココの時代だ。まあ、ドイツのヴェルサイユとまでは言わないまでも、ちょっと近いイメージあるでしょ。まあもちろん、豪華さにかけては勝負にはならないけれど・・・。
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また、この時代によくある、人工的に作られた廃墟やローマ式屋外劇場もある。
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さて、宮殿内はガイドツアーでのみの入場。所要時間は 45分で、私が訪れたときはドイツ語ツアーしかなかったが、まあやむない。
宮殿内にはいろいろ面白いところがあるが、極め付きは、これまたこの時代に流行ったグロッタ (人工的な洞窟) の中の仕掛け噴水だ。案内人が、まずはそのまま水を出すと、いかにも涼しげで、炎暑のことでもあるからお客は皆大喜び。その後、水の噴出口に被せ物をして、いろんな形を見せ、ときに水量を増してお客に水がかかるようにする。ザルツブルク近郊のヘルブルン宮殿を思い出した。
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宮殿内は、さほど豪華ではないが、いろいろ部屋があって、中でも面白いのは日本の間。こんな感じなのだが、ちょっと日光東照宮あたりを思わせると言えなくもないし、建物の描き方はそれなりに頑張っているが、題材はほぼ中国だ。もっとも、「太平洋に浮かぶ明太子形の国」と思われていたわけなので、しょうがないのでしょうが。
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帰りがけに、温室に付随する「太陽神殿」なる建物をまじまじと見る。てっぺんにアポロン像を冠しているが、これもグロッタ様の作り。なかなか面白い。

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さてそれから市内にとって返し、新宮殿へ。こちらもいろいろ部屋があるが、突飛なものは (ここでもやはり) グロッタくらいしかなく、まあ通常の宮殿という感じ。エルミタージュの方がユニークで見応えがあったなぁ。ここでは、ギャラリー、18世紀の食器の展示、2階の広間の写真を掲載しておきましょう。
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さて実は、この新宮殿は、むしろ建物を出てからの方が素晴らしい。背後一体に広がる広大な庭園 (Hofgarten) が、なんとも穏やかな気分になれる場所なのだ。この庭園、例のワーグナーの旧居、ヴァーンフリートのすぐ裏に展開していて、ワーグナーもよく散策を楽しみ、最後の作品「パルシファル」の構想を練ったとか。宮殿から庭園に続く門。夏の光があふれています。また、噴水彫刻もいい雰囲気です。
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さて、ここから、通常の日本のガイドブックには記載されていないだろう博物館に行きます。それは、フリーメーソン博物館。あの秘密結社のフリーメーソンだ。なぜこんなところにあるのか知らないが、ドイツで唯一のフリーメーソンについての博物館だそうだ。宮殿から Hofgarten に入り、ヴァーンフリートまでの距離の半分くらいの距離、向かって左手に存在している。こんな建物だ。
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入り口の上を見ると、おお、フリーメーソンの象徴、石工の記号が。
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なにか近づきがたい雰囲気。呼び鈴を押せと書いてあるので押してみたが、なかなか人が出てこない。しばらくしてあきらめよう (ちょっとほっとしながら 笑) とすると、音もなく扉がすっと開き、金髪碧眼の青年 (確かマントを着ていたかな?) が出て来て、何やらドイツ語で無愛想にボソボソ話しかけてくる。あぁ、違います違います。フリーメーソンが世界を裏で操る組織だなんて、そんな陰謀論、ちょっと面白いから少しかじっていますが、本気でそんなこと信じているわけないじゃないですか。だから勘弁して下さいよ、そんな青い目で冷たく見ないで下さいよ。本を何冊か、うーん、多分 10冊くらい、持っているだけで・・・。ひえー、寄らないでー!! と心の中で喚いていると、むこうも怪訝な顔をする。落ち着いてよーく聞いてみると、「ツヴァイ・オイロ」、つまり、「2ユーロです」と、入場料のことを言っていただけだったのだ。あぁ、冷や汗かいた。

展示品はユニークで、フリーメーソンの由来や、古い文書など。また、勲章がズラリ。なぜか大きな柱時計が For Sale となっていた。どこかに仕掛けがあって、コードを解読すると、世界が驚愕するような重要文書が出て来るのであろうか。でも、値段の表示がないけど、一体幾らなのよ。
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建物を出て帰ろうとすると、敷地内に何やら墓地のようなところが。うーん、この丸とか三角とか、まさかこの人たちの Remains もそういう形になっているんじゃないだろなぁ・・・。
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知られざるバイロイトの名所からの報告でした。

# by yokohama7474 | 2015-08-13 07:48 | 美術・旅行 | Comments(0)

ドイツ、ニュルンベルク その 2 : ドク・ツェントルム、ナチス党大会跡

さて、ニュルンベルクでどうしても訪れたいと思った場所、それはナチに関係する場所だ。ワーグナーとのつながりによる興味からも、正しい歴史認識のためにも、是非見ておきたい。ガイドブックを見ると、あの党大会の開かれた場所には、ドク・ツェントルムなる施設があるらしい。街の東南の方角だ。また、戦後のニュルンベルク裁判が行われた場所の見学もどうやらできるらしく、それは街の北西。さて、どちらに行くか選択をしなければ。暑さと疲れで朦朧としながらも、やはり党大会跡を優先しようと思い立つ。このような光景の舞台だ。
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ナチは、政権奪取前から党大会を何度か開いていて、ここニュルンベルクでも1927年に開かれている。その後1933年に政権奪取してからは、この地を「帝国党大会の都市」とすることを決め、その後 1938年まで毎年開かれたとのこと。その理由は、南北で見れば国のほぼ中間にあることや、既に見た通り、神聖ローマ帝国の主要都市として中世から繁栄した街であったこと、それから、ワーグナーの愛国的オペラの舞台になっていることも好都合であったのだろう。それにしても、すごい規模の集会だ。世の中には、ナチがクーデターで非合法的に政権を取ったと思っている人もいるかもしれないが、そうではない。初期の段階では手段を選ばすに活動したとはいえ、最終的にはドイツ国民の熱狂的な支持を受けて、合法的に政権を手に入れたのだ。思えばワーグナーも、もともとはドレスデン蜂起などで指名手配された、いわば国の不満分子であったわけで、それがバイエルン国王の庇護のもと (しかも、一度追放されてもまた戻って来て)、音楽界の巨匠に成り上がったことは、尋常なことではない。ワーグナーとヒトラーを短絡的に結びつけたくはないが、他の欧州主要国に比べれば新興国であったドイツでは、19世紀でも 20世紀でも、様々な要因によって、何か熱狂的なものが求められていたとは言えるであろう。

能書きはともかく、現地に到着してみると、このような表示が。日本語のガイドブックにも、「ドク・ツェントルム」と書いてあって、バック・トゥー・ザ・フューチャー (古いな) ではあるまいし、どういう意味かと思いきや、「ドク」とは Dokumentation、英語でいう Documentation だ。ツェントルムはセンターだろうから、ドキュメンテーション・センター、すなわちナチ勃興とナチズムについての証拠書類を集めた場所という意味なのだろう。この直截性がなんともすごい。「安らぎ」とか「繰り返さない決意」という情緒を含んだ言葉を選ばない点、ドイツのナチズムとの厳しい対峙姿勢が見て取れる。
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中に入ると、以下のような入り口に始まり、ナチの結成以来の歴史に関する詳しい展示が、様々な写真とともになされている。
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ところで、上の写真でも、何やら煉瓦のような構造体が見える。この建物は一体何なのだろうか。ずっと進んで行くと、屋外に続くガラス張りのテラスがあり、そこから見える光景はこんな感じだ。
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なんとも大規模な馬蹄形の建造物だ。実はこれ、未完成に終わった、ナチの大会議場なのである。この後地面に降りて、そこで見かけた説明版に、完成予想図がある。反射していて少し見づらいが、こんなものである。屋根もついて 50,000人を収容する巨大な施設になるはずだった。
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さらに言うと、このあたり一帯が、まさにナチの威容と権威を表す巨大施設の集合体となる予定であった。以下の写真で、左手前がこの大会議場 (黄色は実際には完成しなかったことを意味するので、屋根の部分だけが黄色だ)。その左奥に見えるグラウンド様の場所 (色がついていないということは、当時完成していたことを意味する) は、上記の大集会が開かれた Zeppelin Field だ。そして湖を突っ切って伸びる大通りが続く先は、結局は完成しなかった、巨大な March Field (軍事パレード用の土地) である。結局そこは計画で終わったので、全体が黄色く塗られている。
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この場所は 19世紀から、ニュルンベルクの人たちの憩いの場所であったらしい。このようなのどかな風景だった。
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この湖は今もあって、豊かな水を湛えている。係の人に尋ねると、例の Zeppelin Field までは湖沿いに歩いて行くことができ、その後湖を一周して大通りを通ってドク・ツェントルムに帰って来ることができるという。そこで、例の重い図録をコインロッカーにぶち込んで、炎天下の中、歩いてみる一大決心をしたのである。・・・だが、歩き出してすぐに後悔した。湖はかなり大きく、一周 3kmくらいはあるだろう。既にヘトヘトのこの体、果たして生還できるだろうか。いや、ここで斃れるわけにはいかない。歴史の真実をこの目で見なければ。というわけで、いささか大げさに自分を励まし、その割にはこまめに水を飲み、木陰と見ればいそいそとそこを通って、歩き出した。湖の反対側から見た大会議場。
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まず目指すのは、Zeppelin Field。
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あ、見えてきました。完全に廃墟と化して、雑草が生えている。正面の部分 (いちばん上の写真で、ハーケンクロイツが並んでいる列柱の真ん中にある、恐らくは要人席か) と左右の座席が残されているが、"Enter at your own risk" などと、つれない看板がある。特に維持保存処理をしているわけではなく、崩れても責任持たんぞということだろう。この場所の前は道路になっているが、通行止めだ。いわば昔のスタジアムの忌まわしさを断ち切るように、場所そのものが分断されている。
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それにしても、自分が今歴史の舞台にいることを、ダラダラ流れる汗とともに実感する。いや、でもこれは何百年も前の話ではない。たかだが 70年や 80年前の話だ。ただその頂点と崩壊が極端であったため、「つわものどもが夢のあと」という感覚を、痛切に感じることができる。残された正面の建造物は、上の方が崩れていて、よく見ると銃弾のあとのようにも見える。
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また、ヒトラーが立ったであろう、正面中心のバルコニーに立ってみる。ずっと向うに、反対側の客席が見える (最初から 2番目の写真で、ハーケンクロイツの幟が立っているところ)。炎暑にゆらゆら揺らめく映像が、「ハイル!! ハイル!!」という幻聴を呼び起こす。今は限りなく静かな場所だ。本当に何万もの人々が、ここで熱狂に身を委ねていたのだろうか。
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ただよく見ると、いや、よく見ずとも一見して明らかなのだが、この場所、今でもグラウンドとして使われているようだ。確かに、これだけの規模の敷地を無意味に放置するのはもったいない。過去は過去として、現代の人々が有効活用できる方がよい。但し、今残っている建造物自体も、全く手を加えなければいずれ朽ち果てるであろう。歴史を実際に体感できる場所として、できれば保存してほしいと思う。忌まわしさに目を背けることなく対峙しているドイツ人のこと、いずれそのようにするのではないだろうか。

そして、湖の横を通って、大通りへと出た。果てしない一直線だ。左を見る。
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そして右を見る。
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軍靴の音は聞こえない。人っ子ひとりいない。この虚しさはどうだ。まるでキリコの描くシュールな昼下がりという感じではないか。

それからドク・ツェントルムに戻る途中、面白いものを発見。ニュルンベルク交響楽団のオフィスだ。恐らくはナチの遺構である大会議場の一部を練習場として活用しているのではないか。いや、この入り口の雰囲気は、ただの練習場とかオフィスだけでなく、コンサートも開いているのかもしれない。ユニークな試みではあるが、大変有意義なことなのではないか。
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さて、なんとかドク・ツェントルムに生還することができた。あとは、ニュルンベルク裁判が開かれた法廷まで出かけるかどうかだ。時刻は既に 16時45分。多分もう無理だろう。またの機会にしよう、と決心し、重い図録を再び手に取って、ニュルンベルク駅に引き返した。

ハードな一日であったが、バイロイトのホテルに戻ってきて調べてみると、ニュルンベルク裁判が開かれた法廷は一般公開しているものの、火曜日は休みとのこと。この日はたまたま火曜であったので、夕方から無理して出かけて行っても、無駄骨になるところであった。やはり、危険なほど暑い炎天下に歴史遺産めぐりをする者に、まああまり無理すんなやという、天の声であったのかもしれない。よーし、次回は絶対行くぞー。地元でこんなマニアックなガイドブックも手に入れたし、次回は万全です。
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# by yokohama7474 | 2015-08-12 16:43 | 美術・旅行 | Comments(0)