京都 霊山護国神社、霊山歴史館、清水三年坂美術館、高台寺、圓徳院、赤山禅院、曼殊院、圓光寺

10月 3日の土曜日、京都に遊んだ。私にとっては、幼少の頃より足繁く通い、今でも毎年訪れる、庭のような場所・・・などとうそぶいているが、この街の懐はとてつもなく深い。行けども行けどもまだまだ知らないところが目白押し。1ヶ月くらい滞在して毎日ほっつき歩けば少しは「京都をよく知っています」とでも言えるようになるのだろうが、まだその機会は訪れず、やむなく、単発で訪れる度に、今まで行っていないところを含めるくらいが関の山だ。

今回のメインの目的は、追ってアップ予定の京都コンサートホールでのコンサート鑑賞。開始が 15時だから、あまり時間がない。駅前でレンタカーを借り、ものも言わずに走り出した (ひとりだから、ものを言っているとちょっと不気味だったかも)。

まず、東山の高台寺方面に向かう。かなり急な斜面を持つ山の上に、未だに訪れたことのない場所が。それは霊山 (りょうぜん) 護国神社。その隣の霊山観音には、確か中学生の頃行ったことがあるが、この神社は初めてだ。ここに、一般にもよく知られた墓がある。これである。
e0345320_22332031.jpg
歴史好きの方ならすぐお分かりであろう。ここ京都で凶刃に斃れた、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓である。この神社、明治維新が成った直後の 1868年 (明治元年だが、この神社の設立の時点では未だ慶応 4年だった)、明治天皇の命で、維新目前で命を散らした志士たちを祀るために建てられたもの。山口、高知、福井、鳥取、熊本等の人たちが葬られている。そんな中、この龍馬と慎太郎の墓は、墓地エリアの入り口に近いところにあって、京都を見渡すことのできる眺望のよい場所で、明らかに特別扱いだ。明治維新の評価は最近ではいろいろあって、中でも圧倒的な人気を誇る坂本龍馬が、果たして一般に流布しているイメージのようなカッコいい人であったのか否かは分からず、司馬遼太郎が作り上げた偶像に過ぎないという説もあるようだ。そうすると、この墓の特別扱いも昭和に至ってのものか? その点はよく分からぬが、ま、歴史の浪漫を感じるにはそのような現実的な詮索をしない時間があってもよいだろう。少し坂を上ったところにある、維新ミュージアム 霊山歴史館には、いろいろと興味深い明治維新関連の展示があり、その中には、実際に龍馬を斬ったと伝わる短い刀もある。さて、歴史の真実やいかに。

次に向かったのは、今回最も行きたかった場所、京都三年坂美術館だ。きっかけは去年、三井記念美術館で見た、この展覧会。
e0345320_22472478.jpg
以前このブログでも、今年見た同様の展覧会をご紹介したし、数年前にも東京国立博物館で、明治時代に日本が欧米の万国博覧会に出品した美術工芸品を集めた展覧会を見て、その展示物の精緻さや豪快さに、まさに驚天動地の経験をしたことがあった。上記の三井記念美術館での展示物は、最近京都にできた三年坂美術館の所有物であることから、今回の目的地として真っ先にピックアップしたのだ。三年坂といえば、京都有数の観光地、清水寺に上って行く坂道だ。大変賑やかで、はて、こんなところにそんな渋い美術館があるのかと思ってキョロキョロしていると、あ、ありましたありました。こんな、和菓子屋や漬物屋かと見紛うような門構え (笑)。
e0345320_22504412.jpg
中に入っても展示スペースは決して広くはないが、そこに展示されている明治工芸の超絶技術!! 見ていて飽きないし、また、身動きもせずに作品に見入っている人もいて、なにやらそこは、職人のこだわりが空気中を漂うような、濃密な空間だ。作家の名前としてひとり挙げておくと、安藤 緑山 (あんどう ろくざん)。その生涯は詳しいことが分かっておらず、極めてリアルな象牙彫刻の数々を残したが、記録がないためその製法は長らく謎とされてきた。近年の研究で少しずつ解明が進んでいるらしいが、同じものを作るのは至難の業だろう。例えばこの筍と梅。象牙と信じられる人がどのくらいいるだろうか。
e0345320_23023402.jpg
さて、その後は、きっと混んでいるであろう清水寺には向かわず、高台寺へ。ここは秀吉の菩提を弔うため、正室の北政所ねねが創建した寺である。家康からの寄進もあり、一時は広大な伽藍を誇った。その後度々火災に見舞われたとはいえ、数々の秀吉ゆかりの重要文化財建造物が残っている。
e0345320_23070035.jpg
e0345320_23071311.jpg
史跡・名勝に指定されている庭園は、小堀遠州作。
e0345320_23072545.jpg
また、千利休の意匠による傘亭・時雨亭も非常にユニーク。傘亭は、外見は茶屋風の檜皮葺の建物で、大きくは見えないが、中を覗くと、傘の骨を張ったような構造になっており、なんとも洒脱である。
e0345320_23074238.jpg
e0345320_23075206.jpg
境内を回っての帰り道、ふと横を見ると、霊山観音が。なんだかシュールな感じ。
e0345320_23080420.jpg
高台寺に付属する掌 (しょう) 美術館を見て、その隣の圓徳院へ。ここは北政所が、秀吉との思い出深い伏見城の御殿とその前庭を移築して移り住んだ場所で、彼女はここで 77歳で没したという。この日は大変天気がよく、木洩れ日も情緒がある。
e0345320_23153841.jpg
この庭が伏見城からの移築になるもので、大きな石が多く、桃山時代らしい豪快な作り。お寺の人の解説によると、それらの石は秀吉が全国の大名から寄進させたもので、裏には寄進した大名の紋が刻まれている由。もともと池泉回遊式であったものを枯山水に作り替えている。
e0345320_23154820.jpg
高台寺の近くに、日本画家 竹内栖鳳 (猫の絵で有名) の旧居を発見。今はイタリア料理店になっているらしく、結婚式でもあったのか、貸切で入れなかったものの、この門構えに痺れましたよ。
e0345320_23222838.jpg
さて、コンサートまで残りわずかだ。そろそろ北上した方がいい。適当な寺に立ち寄るのでもいいのではないか? だが、生まれつき観光に関しては貪欲な私は、地図を眺めつつ、これまで行ったことがなく、以前から行きたかった寺を発見、車を転がすことにした。このお寺だ。
e0345320_23254930.jpg
大明神とあるが、一般的には赤山 (せきざん) 禅院と呼ばれている。京の都の鬼門、つまり東北の方角を守るために、慈覚大師円仁の命を受けて 888年に創建された。京都でも有数のパワースポットとして知られる。京都は風水思想に基づいて設計されたことはよく知られているが、ここはそのひとつの表れ。実は観光の対象となるものは何もないが、なんともいえない神秘的な雰囲気のあるところだ。大体、天台宗の寺のくせに「禅院」として知られていたり、「大明神」と名乗ったりする。かつ、境内には七福神もあるのだ。うーむ、このごった煮感には、整備された宗教よりはアニミズムの匂いがする。この寺を象徴するのが、拝殿上にある猿の彫刻だ。猿、つまり申は西南西の方角で、鬼門の逆であることから、邪気を封じる力があると信じられている。なんでも、昔暴れて人々を困らせたので、金網の中に入れられたという。
e0345320_23352425.jpg
さて、少し南下して、次は曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき) へ。ここは数ある京都の紅葉の名所のひとつでもあり、国宝、黄不動画像でも知られる。私も何度も来たことがある。もちろん紅葉はまだ影も形もないが、京都らしい情緒はいつでも味わうことができる。
e0345320_23403758.jpg
e0345320_23404761.jpg
私が心から尊敬する谷崎潤一郎が寄贈した鐘というのもある。
e0345320_23405785.jpg
それから、ここでも今回、思わぬ収穫が。京都三名席のひとつ、重要文化財 八窓 (はっそう) の茶室の中に入れるというのだ。特別拝観料 1,000円は決して高くない。私ひとりのために若い坊さんがついてくれ、中で一通り解説をしてくれた。なんとも贅沢な時間。八窓というだけあって、天井にあるものを含めて八つの窓があり、外からの光の反射の繊細なこと。江戸時代初期に建てられたようだが、詳しいことは分かっていないらしい。それにしても、このような極限的に質素な美的空間で茶の湯を立てた人たちは、戦乱の日常を忘れて感性を磨いたことだろう。
e0345320_23482034.jpg
さて、いよいよ時間がなくなって来た。近隣でもうひとつどこかに行くから、やはり詩仙堂だろう。これまた風流を極めた場所だ。だがしかし、ナビに従って細い路地を進む私の目に、知らない寺院の名前が・・・。圓光寺。よし、こっちにしよう!
e0345320_23560052.jpg
この説明板にある通り、家康の開基による寺院だが、足利学校から禅師を招いた学校であったようだ。そういえば門構えも学校のようで、身の引き締まる思い (あ、それは学生時代勉強しなかったから緊張しているだけなのかも?)。
e0345320_23561138.jpg
奔龍庭という、まさに龍が天空を駆けるような豪快な現代的庭園もある。
e0345320_23562132.jpg
またこれは、十牛之庭。こちらは近世初期のものらしい。
e0345320_00021738.jpg
毛氈の赤の反射も、木洩れ日も、すべてが美しく、静けさが日常の垢を洗い落としてくれる。
e0345320_23572357.jpg
e0345320_23571413.jpg
さて、コンサート前の京都観光はここまで。行く度に新しい発見のある京都で、今回も発見がてんこもりだ。

・・・あ、発見といえば、ほかにもありました。高台寺から清水寺界隈で、やけに和服の人を多く見かけ、中には季節外れの涼しげな浴衣の人もいるではないか。ほーっ、そういう趣味の人って結構いるんだねぇと思っていると、その方々は皆さん、我が国のお隣の大国からおいでの方々だったのだ。そういえばちょうど国慶節。日本への観光客が増えていると聞いてはいたが、なるほどそうだなと納得した次第。日本滞在を楽しんでもらえるなら、こんなに素晴らしいことはない。とそこに、向こうから芸妓さんが歩いてくるではないか。おー、これは京都らしい、と思ってカメラを向けたのだが、むむむ、なにやら指南をしている人が。なんだろうと思って見れいると、芸妓さんたちの口からは、はんなりした京言葉ではなく、お隣の大国の言葉が!! なんと、これも観光のサービスのひとつであるらしい。これ、メイクにも着付けにも相当時間がかかると思うが、それでも体験したいという異国の女性たちが多いということでしょうね。遠いとこ、よぉおこしやす。
e0345320_00083808.jpg
まこと、京都は訪れる度に発見のある街だ。


# by yokohama7474 | 2015-10-14 00:12 | 美術・旅行 | Comments(0)

御礼、お詫び、そして今回だけ感傷的なこと

しばらくブログの更新が止まっておりました。10/4 (日) からヨーロッパ出張に行っていたことも一因ですが、記事にするネタはいくつかあるにも関わらず、手つかずになっておりました。更新を楽しみにされている方には、大変申し訳ありませんでした。

その間、まさに私が出張に出たその日に、訪問者数が 3,000 を超えました。ブログ開設以来、最初の 1,000人まで 85日、次の 1,000人まで 24日、そしてさらに次の 1,000人までわずか 14日であったことになります。ご覧頂いて本当にありがとうございます。

さて、このブログは、私の趣味の事柄を徒然に書き綴っているので、あまり感傷的な話題にはそぐわないのですが、今日だけは感傷的に書いてしまいます。お気に召さない方もおられるでしょうから、その場合には飛ばして頂き、また次の記事にご期待下さい。

2015年10月 8日(木)は、わが家の愛犬、ルルの命日となりました。17歳と 8ヶ月の生涯でした。犬としては天寿をまっとうしたと思います。ルルはメスのビーグル。あのスヌーピーの犬種で、とにかくいたずら大好きで手のかかる猟犬です。垂れ耳で暴れん坊で、きかん気で、でも実は人間が大好きで。ビーグルの場合、飼った人でないと分からない愛着があると言います。手がかかるだけにいとおしい、そんな犬種です。

あれは 1998年。家人と二人で、犬でも飼おうということになり、犬を飼うならやんちゃなビーグルがいいよねと言ってペットショップに行ったのですが、売り物になっているビーグルは、どうもイメージにそぐわないおとなしい子ばかり。そんな中、まだ売り物になっていない後ろのガラスのショーケースから、ピョンピョン飛び跳ねる赤ん坊ビーグルが。その元気が気に入って、店の人の「まだ売り物になっていないんで」という言葉を無視して、試しにショーケースから出してもらうと、私の腕にすがりついて、セーターについていたボタンをガリガリかじり始めました。店の人も驚いて、「こんなことを誰にでもするわけじゃないので、相性がいいということですね」とのコメント。これがルルとの出会いでした。

本当は、犬を飼ったらカエサルという名前にしたかった。でもこれはオスの名前だからメスには使えない。幼くして家族になったこの犬の名前をどうしようと考えて、ルルにしたのですが、決して風邪薬の名前ではありません。これは、ベルクのオペラ「ルル」にもなっている、ヴェデキントの小説「地霊」「パンドラの箱」を原作とする無声映画、ゲオルク・ウィルヘルム・パプスト (私も以前ウィーンで墓参りしたことがある) の 1929年の作品、「パンドラの箱」の主演女優、ルイーズ・ブルックスに因むものなのです。
e0345320_22044282.jpg
このボブカットがビーグルの耳そっくり。それから、ウチの姫は、この戯曲や映画やオペラのルルのようなワルい女かも、という意味でした。加えて、唄うように陽気な性格にもぴったりで、いい名前をつけることができたと自画自賛しております。

・・・その最初の出会いから、横浜 → ニューヨーク → ロンドン → 東京と、我々の転居に伴い、18年近い時間をともにすることになったわけです。思い出はそれこそ星の数こそあって、困ったことにその分の涙をそそるのですが、ウチに来てまもない頃 (生後 2ヶ月) の写真がこれ。既にして段ボールなどをバキバキに破壊しています。
e0345320_23343965.jpg
少し成長すると、そのいたずらは限界を知らずにヒートアップ。バキバキにしたソファーの上で、これまたビーチサンダルをバキバキに。この視線の底知れぬいたずらぶりをなんとしよう。
e0345320_23345288.jpg
これは、ニューヨークの家で笑っているルル。若いかといえばさにあらず、既に 8歳でした。でも、住居近くのハドソン川沿いやセントラルパークはもちろん、5番街も闊歩したし、メトロポリタン・オペラの開幕日 (ナタリー・デセイ主演の「ルチア」でした) に、並み居るセレブを尻目に我々の腕の中でライヴビューイングもしました。メッチャメチャ元気で、散歩の途中、いろんなニューヨーカーの人たちから声をかけられました。なので、いわば親善大使のように、国境を越えて実に多くの人に笑いを与えた犬でした。そう考えるとまあ、魔性の女ではなかったわけですかね (笑)。マンションのエレベーターの中で黒人の人と乗り合わせると、きっと物珍しかったのでしょう、好奇心満々で無遠慮にジロジロ見て、ひやひやしたことも。
e0345320_22102587.jpg
それから、まあそれはそれは大変だった検疫手続を経てロンドンへ。この犬種の発祥は英国なので、その肌寒い気候を喜んだことといったら。庭付きの家で充分運動できるようにと郊外の住居(キツツキが鳴き、キツネが走りまわるような) を選び、英国中を旅行しましたよ。北は湖水地方を経てスコットランドとの境のハドリアヌス帝の長城まで。西はコーンウォール半島の先端、その名も Land's End まで。南はブライトン、セヴンシスターズ。それから、エクスターとか、作家ブラム・ストーカーが「吸血鬼ドラキュラ」の構想を練ったウィットビーとか、人間様でもなかなか行けないところにあちこち出かけました。あ、それから、入国すぐにはバッキンガム宮殿近くのホテルに宿泊し、宮殿の真ん前で思いきりオシッコしたりもしました。この写真は、ブロンテ姉妹の故郷、ハワースにて。ヒースクリフを待つキャサリンか。まあでもコイツの激しい気性はそんなところがありました。一生ヒースクリフとは縁がなかったし、本当は甘えん坊だったけど。
e0345320_22511473.jpg
11歳で日本に帰国してからも、元気のなんのって。今住んでいる川沿いの住まいも、広い土手で思う存分散歩できるということが選択の大きな理由のひとつでしたし、実際、近年まで本当にこの環境をエンジョイして、川沿いを延々散歩したものでした。よく我々夫婦は、ルルのテーマとして、ストラヴィンスキーの組曲第 2番の第 4曲、「ギャロップ」がぴったりだと話していました。以下のリンクで聴ける曲の後半に当たります。
https://www.muzikair.com/jp/player/track/83j23p-Stravinsky-Igor-Suites-No2-for-chamber-orchestra-III-Polka-V-Galop

思い出はきりがないので、延々書き連ねる気はなく、自分たちの心にしまっておきます。18年近い生涯で、最後まで歩くこともでき、目も耳も問題なく、人の言葉 (英語だって!!) が分かる犬でいてくれたことに、本当に感謝したいと思います。ここ 2ヶ月くらいでも、こんなに元気でしたよ。まあもちろん、年が年だけに、体は既に限界に来ていたのでしょうが、そんな顔ひとつしないあたり、コイツらしかったと思います。
e0345320_23102208.jpg
e0345320_23110718.jpg
この写真は、私がマグリット展に出品されていた作品のうち、画面奥に石が浮いているようにも、山に乗っているようにも見えるものがあったことを記事にした後でたまたま撮られたもの。後ろのバランスボール、浮いてる? 乗ってる?
e0345320_23120290.jpg
それからこれは、私がバイロイトから毎日記事を更新していた頃、その記事をパソコンで熱心に読んでいた様子 (笑)。ちょっと眠そうかな。
e0345320_23144171.jpg
親バカですが、やんちゃとはいえ、本当は実にデキた奴で、死ぬ前日まで散歩もしていたし、寝込むこともなく、ピンコロで逝ってしまいました。もちろん、最期には苦しむことにはなりましたが、私が10月8日(木)の朝に海外出張から帰るその瞬間までがんばって生きていて、昏睡状態に入る前に、一度しっかりと目を開けて私の顔を見ました。こちらはそれで死んでしまうとはその時点ではまだ思っていなかったけど、本人としてはサヨナラを言ったつもりだったのかもしれません。苦しいのに、よく頑張ったね。

ルルは今日、2015年10月10日朝、荼毘に付され、星になりました。今までありがとう。オマエと一緒にいられて、パパとママは本当に幸せだったし、オマエも幸せでいてくれたと思う。これから、当たり前にいるはずの存在がいなくなってしまったことの喪失感を免れることはできないけど、オマエが教えてくれた前向きな生き方を倣って、これからも生きて行くよ。さようなら。

10月 8日に本来なら行くはずだった、クリストフ・エッシェンバッハ指揮ウィーン・フィルの来日公演のチケットは、ルルの命日を刻んだ書類として、ずっと手元に取っておくことにします。
e0345320_23243932.jpg

# by yokohama7474 | 2015-10-10 23:39 | その他 | Comments(2)

東京二期会公演 リヒャルト・シュトラウス : 楽劇「ダナエの愛」(指揮 : 準・メルクル / 演出 : 深作 健太) 2015年10月2日 東京文化会館

e0345320_22420817.jpg
ドイツの後期ロマン派を代表する大作曲家、リヒャルト・シュトラウス (1964 - 1949) は、生涯で 15本のオペラを作曲した。この 15という数、例えばベートーヴェンの書いたオペラの数、1本 (! 笑) に比べれば多いと言えば多いが、ヴェルディのように 30本を超えているではなく、シュトラウスほどの重要な作曲家であれば、すべてのオペラが知られていてもよいような気もするが、実際によく演奏されるのはせいぜいが 5本くらいか。それも、比較的初期 (もっとも、40歳を過ぎてオペラの活動をメインにする前に、あの有名な傑作交響詩群をすべて作曲しているわけだが) のものばかり。初期の 3曲は除外するとしても、オペラ作曲家としての出世作、4作目の「サロメ」以降、「エレクトラ」「ばらの騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」。ここまでがポピュラーであるが、この後の円熟期に作曲された 8本の演奏頻度は、がくっと落ちるわけである。今回上演されたこの「ダナエの愛」は、実は第 14作目、つまり最後から 2番目の作品で、日本では 2006年になってようやく若杉 弘が演奏会形式で初演。そして今回が舞台上演としての日本初演である。

妙なところに話が飛ぶが、私が生涯で初めて見たオペラは (新国の「ラインの黄金」の記事で少し触れたが)、実は R・シュトラウスの最後のオペラ「カプリッチョ」。しかも場所はザルツブルク音楽祭で、ホルスト・シュタイン指揮のウィーン・フィルであった。なんちゅう大それたことか。でも、その後、シュトラウスの「サロメ」以降の 12作全部を見ることができたかというとさにあらず。今数えてみると、「無口な女」「平和の日」「ダフネ」の 3本をまだ見ていない。でも、そうであればこそ、この「ダナエの愛」を今回見ることができたのがいかに貴重であったかと思い知るのである。

まあそんな珍しい作品であったためか、あるいは金曜の 18時30分という開演時刻のためか、会場の東京文化会館は珍しく空席が目立ち、せいぜい 6割という入りであったか。事前にチラシの配布は盛んに行われていたのだが、さすがのマニアックなクラシックファンの多い東京でも、なかなかにハードルの高い挑戦だったわけである。だがしかし、二期会がやらねば誰がやる。今後も、ワーグナーとシュトラウスは、全作品上演を目指して頂きたい。というのも、今回の演奏も、なかなかに水準が髙かったからだ。私の見るところ、最大の功労者はやはりこの人、指揮の準・メルクルだ。
e0345320_23070237.jpg
1959年の生まれなので、今年 56歳。今まさに指揮者として油の乗り切った世代と言えようか。父がドイツ人、母が日本人で、ドイツやフランスの歌劇場やオーケストラで活躍の場を広げてきた。過去にはライプツィヒやリヨン等、いろいろなポストを歴任して来ているが、現在はどうやらバスク国立管弦楽団の首席指揮者という、ちょっと渋いポストに就いているのみだ。むむ、これは今後シェフを求める機会のある日本のオケにとっては、土下座しても来てもらいたい指揮者ではないだろうか。何せ今回の上演、私の席からは指揮者がよく見えたが、スコアにほとんど目をやることなく、オケに細かい指示を出していた。シュトラウスのオペラは、一旦始まれば、1幕の間ほとんど音が切れることなく流れて行くのだが、その複雑な音の奔流が完全に頭に入っている様子で、感嘆した。オーケストラは、なんと前日の新国立劇場での「ラインの黄金」と同じ東京フィルだ。このオケは以前、合併を経て巨大な規模を擁していることから、このような芸当ができるのかもしれないが、それにしても、ワーグナーとシュトラウスを同時期に公演するとは、なかなかに大変だ。今調べてみると、「ラインの黄金」は、10/1、4、7、10、14、17 の 6回。「ダナエの愛」は、10/2、3、4 の 3回だ。10/4 (日) は、両公演とも 14時開演だから、分身の術でも使わない限り (笑)、やはり楽員を二分し、かつ、少しはエキストラも入れているのであろう。楽団員の分け方は知るところではないものの、「ラインの黄金」よりもこの「ダナエの愛」の方が、正直よく鳴っているような気がした。

今回のもうひとつの興味は、映画監督として知られる深作 健太が、オペラを初演出することだ。まあ、ご本人としてはこの紹介はいやかもしれないが、避けて通れない (笑) 紹介としては、父はあの「仁義なき戦い」シリーズの名匠、深作 欣二だ。なんでも、健太という名前は、高倉 健と菅原 文太から一文字ずつ取ったという。それはまた、なんとも重い。でも、ご本人はこんな感じの童顔で、決してヤクザ役を背負っている雰囲気はない (?)。
e0345320_23254172.jpg
父親の欣二監督は、「仁義なき戦い」シリーズの超絶的な凄さもさることながら、「バトルロワイアル」(原作も好きで、作者、高見 広春のサイン本も持っている。本棚でなぜか、「日本の名著 平田篤胤」と並んでいる。笑) に絶賛を惜しまない私なのであるが、彼が志半ばで逝去し、完成できなかったその続編、「バトルロワイヤル II 鎮魂歌」を、この健太監督が完成させ・・・大変申し訳ないが、率直に申し上げて、とてもガッカリな出来だったと記憶している。なので、今回の演出には少し不安を覚えて臨むことになったが、結果的にはまずまず好感の持てるものであった。簡素な舞台装置ながら、作品を邪魔することのない演出であった。この作品は 3幕から成るが、第 1幕では、ポルクス王の宮殿という閉ざされた空間に債権者が殺到し、王は娘のダナエの嫁入りによって財政的な窮地を逃れようとする。
e0345320_23370259.jpg
ところが、ダナエに惚れたユピテルが、ダナエが憧れるミダス王 (例の、触るものみな黄金に変えてしまう王) の格好で入ってくる。私の見るところ、この空間はダナエの処女性を象徴しているのではないか。ギリシャ神話で知られる通り、ユピテル (ジュピター) は、黄金の雨に変身してダナエと関係を持つのだ。
e0345320_23393328.jpg
第 2幕では、ダナエが本物のミダスとユピテルの間で選択を迫られ、最後にはミダスを選ぶ。
e0345320_23432067.jpg
第 3幕は、この 2人がともに人間として駆け落ちすることで、既にミダスの黄金の魔法もなくなっているが、それでもこの 2人の間には愛が芽生えている。それと対照的に、ダナエを諦めきれないユピテルは自らの老いと向かい合って絶望感を抱くこととなる。
e0345320_23454880.jpg
このオペラ、実は 1944年に完成して、作曲者の生誕 80年記念にザルツブルクで初演されるはずが、さすがに戦局の悪化が著しく、関係者だけを招いた内輪のゲネプロ (総練習) の上演しかなされなかったらしい (その後 1952年に一般初演)。シュトラウスといえば、戦争中にドイツの帝国音楽院総統を務めるなど、ナチズムに屈服したという評価もあるし、未だにイスラエルではワーグナーとシュトラウスの演奏には多大な困難がつきまとうわけだが、実際にこのシュトラウスの創作活動を追うと、全く政治には興味がなかったのだなと思う。この「ダナエの愛」もそうだが、最後の作品、「カプリッチョ」は、オペラにおいて音楽が先か台詞が先かというテーマを扱っているのだ!! おいおいおい、ドイツが壊滅の危機を迎えていた戦争末期にそんなに悠長でいいんかい。本当に爽やかなまでに政局に興味がなかったのだなと思う。もっとも、凄惨な戦争の継続に嫌気を差して、ひたすら清澄な世界を求めたということなのかもしれないが。

今回出演した歌手たちは、それぞれに大健闘であったと思う。特に、ダナエの林 正子と、ミダスの、日本を代表するテノールであり続ける福井 敬には、大きな拍手を送りたい。

さて、このように見応え充分、考える材料充分の、価値ある公演であった。歌手も演出家も全員日本人。オケも多分ほぼ全員日本人。指揮者も、半分日本人。一国でこれができる国はそうそうあるものではない。もちろん、見る方は、日本人だからどうのということではなく、海外の演奏に接するのと同じ水準で評価すればよい。シュトラウスの残りの作品も、是非是非お願いします!! 作曲者もあの世からそう願っているに違いない。
e0345320_00083702.jpg

# by yokohama7474 | 2015-10-04 00:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ワーグナー : 楽劇「ラインの黄金」(指揮 : 飯守 泰次郎 / 演出 : ゲッツ・フリードリヒ) 2015年10月 1日 新国立劇場

東京、初台の新国立劇場。言うまでもなく、日本で唯一のオペラ専用劇場である (より正確には、大、中、小劇場とあるうちの大劇場、いわゆるオペラ劇場がそれである)。今日が今シーズンの開幕で、演目は、おっとまた出ましたね、ワーグナーの 4部作「ニーベルングの指環」の最初の作品 (序夜と題されている)、「ラインの黄金」だ。会場入り口には、この公演や今シーズンのラインナップについての展示がある。
e0345320_00041557.jpg
e0345320_00042449.jpg
現在の音楽監督は、ワーグナーの聖地バイロイトで助手を務めた経験があり、日本における現存指揮者の中ではワーグナーの第一人者とみなされている飯守 泰次郎。
e0345320_00071705.jpg
昨年の就任時には、いきなり名刺代わりの一発としてワーグナー最後のオペラである「パルシファル」を採り上げ、昨シーズン中にはもう一本、「さまよえるオランダ人」も指揮。そして就任 2年目にして、早くも超大作「ニーベルングの指環」である。なんとまぁ、徹底したワーグナー攻勢だ。考えてみればこの新国立劇場、1997年にオープンして 19シーズン目に入ったわけだが、その間に既に「指環」のツィクルスが既に 3度目!! この「指環」は、今年の夏のバイロイトの記事でも散々採り上げたが、演奏に 15 - 16時間を要する超大作で、そうおいそれと 4部作のツィクルスを組めるわけではない。世界広しと言えども、20年に満たないのに 3サイクル目という歌劇場は、ほかにないであろう。それだけ日本人が異常なワーグナー好きということだ。全く、1億総活躍社会ならぬ、1億総ド M 社会なのか、このニッポン!!

過去 2回のツィクルスは、英国のキース・ウォーナーによる、いわゆる「トーキョー・リング」と言われたポップなもの。私は最初のツィクルスを 4年がかりで見たが、大変面白かった。そして今回、飯守音楽監督の指揮、東京フィルの演奏になる新ツィクルスは、なんとなんと、今は亡きドイツの名演出家、ゲッツ・フリードリヒの演出によるものだ。かつてベルリン・ドイツ・オペラで現代的演出を手掛け、日本ではとりわけ、4部作の一挙上演として日本初演となった「指環」の演出で知られる。これは、時を表すトンネルが常に背景にあることで、「トンネル・リング」と呼ばれ、日本でも有名となった。その実演は 1987年のこと。当時学生であった私は、人生初のオペラ体験を、あろうことかザルツブルク音楽祭でするという大それたことをやった年であったが、「指環」の全曲は録音でもまだ聴いたことがなく、もちろん経済的にも余裕がなくて、「いやー、日本で指環ツィクルスを聴けるなんて、すごい時代になったねぇー。ぜってー行くだろ、オイ」と言う先輩を羨ましく思ったが、ぜってーと言われても、行くことが叶わなかった。実はこのフリードリヒ、人生で 3回、この「指環」を演出していて、このベルリン・ドイツ・オペラのものが 2回目。最初は英国ロイヤル・オペラであり、最後の演出が 1996年フィンランド国立歌劇場での公演で、今回日本で上演されるのは、この最後のものだ。つまり、亡きカリスマ演出家の遺産を日本で初紹介するということであり、飯守音楽監督の意気込みが感じられる。尚、この公演、入り口で SP が沢山いるなと思ったら、皇太子ご夫妻臨席の公演であった。私の安い席からは、お姿を拝見することはできなかったが、皇太子のオペラ・コンサート鑑賞は決して珍しいことではなく、会場では特に混乱もない。

さて、この演出であるが、極めてシンプルな舞台装置で、歌手の動きも多くなく、先のバイロイトの「指環」などを見てしまった身としては、むしろ保守的な演出とすら言ってもよいだろう。ちゃんと冒頭でヴォータンは寝ているし、アルベリヒは隠れ兜を被って大蛇にも蛙にもなる。また、フローラの背の高さに黄金が積まれるシーンもちゃんとあり、なんだかとっても安心するのだ (笑)。トンネル・リングを見ていない私としては、比較はできないものの、その後のベルリン・ドイツ・オペラ来日時に見た一連のフリードリヒ演出のワーグナー、「マイスタジンガー」「トリスタン」「オランダ人」「タンホイザー」などを思い出しても、とりわけこの「指環」はおとなしいような気がする。それにしても、今、1993年と 1998年の同オペラハウスの来日公演のプログラムを見てみると、演目も多いしスター歌手も沢山出ていて、プログラム自体も分厚く、「フリードリヒ」「フリードリヒ」と、この演出家についての記事があれこれ掲載されている。彼は 2000年に死去しているが、現在、これだけの知名度と人気のあるオペラ演出家は、もういないだろう。これは、私も面識のある音楽ジャーナリスト、寺倉 正太郎氏の記事。
e0345320_00462714.jpg
話が脇道にそれてしまったが、演出という点では、なにか枯淡の境地のような印象。残りの 3作では、どのように変わって行くのだろうか。尚、些細なことだがひとつ気になったのは、ファフナーに打ち倒される巨人の兄弟、ファゾルトが、その後神々がヴァルハラ城に入場する終幕まで、ずっと舞台で死に続けていたこと。これは正直、邪魔であった (笑)。このような演出家が死去している場合の細部の演出は、どのように行うのだろうか。ちょっと考えた方がいいと思う。それから、最近の演出では大詰めでも神々が城に入場しないケースもあるが、ここでは、神々がそれぞれ横に手を伸ばして、音楽に合わせて行進するのだ。とはいえ、舞台の奥行きの関係から、2歩進んで 1歩下がる。そして、奥の方まで行くとあまりスペースがないので、歩幅が狭まるというわけだ (笑)。むむむ、これ、どこかで前に見たことがあるぞ。多分、キース・ウォーナーのトーキョー・リング (確か、神々は沢山出てきて、被り物を被ったりしていた) ではなかったか。もしそうなら、キース・ウォーナーはフリードリヒ演出をパクった・・・いや、フリードリヒへのオマージュを捧げたのであろうか。

さて、歌手について簡単に触れておきたい。まず、ヴォータンのユッカ・ラジナイネンは、前回の新国立劇場の「指環」ツィクルスでも同じ役を歌ったらしいが、安定した歌唱で、なかなかよかった。さらに突き抜けた何かがあればもっとよかったが・・・。さらに、ローゲ役のステファン・グールドとエルダ役のクリスタ・マイヤー。この 2人には共通点があって、なんと、私もブログで取り上げた、今年のバイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」(10月25日深夜に NHK BS プレミアムで放送予定) で共演しているのだ。グールドがトリスタン役、マイヤーがブランゲーネ役。ただ、今回はグールドの方が若干ミスキャストではないか。トリスタンやジークムントを歌う人がローゲを歌ってよいものでしょうか?! 先入観もあってか、狡猾さがあまり感じられなかった。一方のマイヤー、エルダ役がなかなか向いていると思う。カーテンコールでもいちばん大きいブラヴォーをもらっていた。以下は、劇場で売っているゲネプロからの生写真。このオペラは今日が初日だったから、多分、ネットに上げている人はまだ少ないと思う。サービスサービス。
e0345320_01151336.jpg
この公演では、重要な役はすべて外国人で、脇を日本の歌手が固めていた。二期会のワーグナー公演を聴くと結構いいと思うのに、世界の一線で活躍する歌手と並んでしまうと、さすがに課題が浮き彫りになる。でも、それが日本のオペラ上演のレヴェルを上げて行くと信じたい。冒頭で黄金を守るラインの乙女の 3人は全員日本人。これは、オリンピックで金メダルを目指すシンクロ選手たちではありません。
e0345320_01153027.jpg
それから、2人の巨人にとらわれるフローラ。尚、巨人のうち、殺される方のファゾルトは、日本人のバスの第一人者、妻屋 秀和で、ファフナー役の外人が若干ガラガラした声であったのに比して、全く遜色ないどころか、むしろ上だったのでは。但し、上述の通り、殺されるシーンから最後までずっと舞台上でうつ伏せに寝ていなければならない点、負担だったであろう。以下の写真の右。
e0345320_01154854.jpg
あと、ローゲが地下でつながれたミーメをほどいてやる場面。この文字が私の席からだと、上の方が切れていて、 "Anger" と見えたので、何を怒っているのかと思いきや、"Danger (危険)" でした。
e0345320_01154031.jpg
あ、それから、これがアルベリヒの変身する大蛇。はっはっは。フリードリヒともあろう人が、なんと古典的な。
e0345320_01155608.jpg
最後にオーケストラに触れておこう。ワーグナーだから、相当強く鳴る必要あるわけで、大音響の場面は概してよかった。特に大詰め、神々のヴァルハラ城への入場は、大いに盛り上がっていた。しかし、残念ながら、この休憩なし 2時間半を超える長丁場の中で、特に管楽器にさらなる精妙さが求められるシーンがあちこちにあったことは否めない。飯守の指揮は情景の描き分けを充分に志向していたものの、結果的には少し物足りないような気がした。とはいえ、随所に手慣れた感じも出ていて、カーテンコールでブーが出ていたのはちょっと酷なような気がする。まだ初日なので、日を重ねてよくなって行って欲しい。日本のド M 軍団、耳が肥えているから大変ですなぁ。

# by yokohama7474 | 2015-10-02 01:29 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン交響楽団 (ピアノ : マレイ・ペライア、ソプラノ : アンナ・ルチア・リヒター) 2015年 9月28日 サントリーホール

昨日 N 響との協演を聴いたブロムシュテットは今年 88歳、そして今日ロンドン交響楽団との来日公演の初日を聴きに行ったベルナルト・ハイティンクは、今年 86歳。そのキャリアから言えば、現役指揮者でも最高の存在。もちろん、その音楽は世界中のファンから慕われている。
e0345320_22561640.jpg
つい先日まで、英国ロイヤル・オペラが来日中だったが、入れ替わりに英国を代表するロンドン交響楽団が来日しているわけである。今年は日本と英国の間に何か記念すべきことでもあったのだろうか。まさか、映画「キングスマン」公開記念ではあるまいな (笑)。

さて、このハイティンクはオランダ人の指揮者で、同国を代表する世界最高のオーケストラのひとつ、アムステルダム・(現在は王立) コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を、60年代から80年代まで 25年間務め、その間もロンドン・フィルの首席を兼任しながらベルリン・フィル、ウィーン・フィルを定期的に指揮し続け、英国ロイヤル・オペラの音楽監督も務めるかと思うと、これまた世界最強オーケストラコレクション (?)、ドレスデン・シュターツカペレ、シカゴ交響楽団の首席も務めた。加えて、ボストン交響楽団からは名誉指揮者の称号を得ている。改めて見てみると、すごいキャリアだ。現存指揮者ならずとも、もしかしたら歴史上最高かもしれない (ベームはどのくらい米国で活躍しましたか? カラヤンはどのくらいの数のオケを定期的に指揮しましたか? マゼールはひとつのポストに長期的に留まったことがありますか? ムーティは欧州一流オケのシェフを務めたことがありますか? ヤンソンスはオペラハウスの音楽監督を務めたことがありますか? )。また、一時期、全集魔という言葉もあった通り、膨大なレパートリーの交響曲を録音しているのだ。ただ、この華麗なキャリアに比して、カリスマ性という意味では、実はそれほどでもないのが不思議と言えば不思議。ある意味、あまりにとんがった個性の持ち主なら、これだけの一流どころに受け入れられることはないのかもしれない。

実は私にとってはこの指揮者、尊敬はするものの、もうひとつ熱狂的に支持しようというところまで行かない存在であるのだ。ひとつには、日本にある時期なかなか来なかったという理由が挙げられる。今回のプログラムに、このハイティンクの過去の来日公演の一覧が掲載されており、大変興味深いので、ご紹介する。まず、コンセルトヘボウとの初来日 (1962年) から第 2回来日 (1968年)。
e0345320_23265063.jpg
そして、1969年にもうひとつの手兵、ロンドン・フィルと来日。それから 5年後の 1974年に、コンセルトヘボウとの 3回目の来日。
e0345320_23280323.jpg
そして、1977年にコンセルトヘボウと 4回目の来日。この頃まではかなり頻繁に来日していると言ってよい。
e0345320_23291623.jpg
ところが、次の来日は 15年後の 1992年、しかもオーケストラではなく、オペラハウスの引っ越し公演だ。もちろん、英国ロイヤル・オペラだ。私が本格的にコンサートに通うようになったのは 1980年代だから、その頃、ハイティンクは充実した録音が続けて発売されるのに、実演を聴くことができない指揮者だった。音楽雑誌などを見ると、「若い頃に来日しても低い評価しか得られなかったので、日本が嫌いになったのだ」という論調が支配的であった。ところが、1997年以降はこんな感じで、急速に来日機会が増えた。今回を含めて18年間に 6回の来日は、有名指揮者としても多い方だろう。
e0345320_23335737.jpg
さて、このような歴史を経てきたハイティンクと日本であるが、私個人としては、ニューヨークやロンドンで彼の指揮に触れても、それほど大感動する機会がなく、80年代で「円熟」と言われ始めた頃の音楽そのままだな、という思いを抱いて来た。ところが今回、かなり違う世界を体験させてもらったのだ。昨日のブロムシュテットと共通するが、本当の円熟とは、これほど力が抜けた融通無碍なものなのか!! という素晴らしい感動である。

曲目の紹介を忘れていた。
 モーツァルト : ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491 (ピアノ : マレイ・ペライア)
 マーラー : 交響曲第4番ト長調 (ソプラノ : アンナ・ルチア・リヒター)

マレイ・ペライアは、1947年生まれなので、今年 68歳。ニューヨーク生まれのユダヤ系ピアニストだ。
e0345320_23445508.jpg
彼は英名高き名ピアニストで、録音も数々あるにもかかわらず、なぜかこれまで実演に接する機会がなかったが、知識として知っていた通り、大変リリカルな素晴らしいピアニストであることが確認できた。以前の記事でも触れたことがあるが、モーツァルトの時代の器楽曲で短調は非常に例外的。ピアノ協奏曲では、この 24番と 20番の 2曲のみだ。20番の方が少し劇的色合いが強いと思うが、それはつまり、24番の方がうまく聴かせるのが難しいとも言えると思う。今日の演奏では、ピアノもオケもピンと張りつめた緊張感の中、ある意味で大変静かな演奏がなされた。つまり、劇的な音楽を聴かせようという野心のない音楽。自然のまま淡々と流れ、そこに充分な感情も込められた音楽。これはなかなかできるものではない。ハイティンクの指揮のもと、ロンドン交響楽団は、特有の分厚い層の音を出していて、決して爽やかとは言えなかったが、これみよがしのパッションに頼るのではなく、大変に誠実な伴奏であったと思う。演奏後の拍手はいつもながら (私はこれがいやなのだが) アンコールをおねだりする長いものになったが、結局アンコールはなし。そこあたりの清々しさも、今回はよかったと思う。

さて、後半のマーラーであるが、これがちょっとないほどの名演奏であった。正直なところ、マーラーの交響曲でも、5番とか 6番なら是非とも聴きたいが、彼の交響曲中最も穏やかなこの 4番には、あまり食指が動かなかったのである。ところが、今この円熟のハイティンクを聴く曲としては最適であったとは、聴いてみて初めて分かったのだ。まず、テンポが終始緩やかで、冒頭、鈴とフルートでシャンシャンやってから弦が主題を歌い出すところで、ぐっと音楽が粘る。昔聴いたメンゲルベルクの録音の強烈なポルタメントとまでは行かないが、老齢のみが可能にする音楽の懐を感じさせる。その後もオケの各パートは実に丁寧に指揮について行き、楽団員の指揮者に対する尊敬がそのまま音に表れていた。その感動的なこと!! これは私が今まで聴いてきたハイティンクとは一味違う。滋味深いという言葉がぴったりで、聴きながら胸が熱くなったり、ワクワクしたり、深い情緒に浸ったり、まさにこの曲の持つ様々な要素が、力まずして耳に入ってくる。帰宅してから彼がベルリン・フィルを指揮した CD (1992年録音) を少し聴いてみたが、やはり今回、その録音よりもテンポはかなり遅くなっていることが確認できた。86歳にしてさらなる円熟!! 今回ハイティンクは、指揮台にストゥールを置き、座って指揮するには安定が悪いなと思ったら、楽章の間にちょっと腰かけるだけに使い、演奏中は一度も座ることがなかった。ただ、指揮者の顔がはっきり見える場所で聴いていたので、やはり楽章を追うごとに疲れは明らかに目に見えた。指揮者という音楽家の不思議なところは、そのような老いが、むしろ音楽を沸き立たせる力になることだ。この力こそが、派手なカリスマとはまた異なる、本当の音楽家のみに許される特権なのであろうし、これができるからハイティンクは世界の一流オーケストラから慕われるのだなぁと実感した。

このマーラーの 4番の終楽章ではソプラノ独唱が入り、「天上の生活」を歌うのだが、その独唱はドイツの若手ソプラノ、アンナ・ルチア・リヒター。
e0345320_00053258.jpg
先月にはルツェルン祝祭管弦楽団と、同じハイティンクの指揮のもと、このマーラー 4番を歌ったとのことで、落ち着いた様子で清浄な歌を聴かせてくれた。音楽を語るのに容姿のことを言うのは邪道とのお叱りもあるかもしれないが、でもやはり、天上の生活なのだから、天上から落ちて来そうな体重の歌手が歌うよりは、まぁ、それは、ねぇ (笑)。実際彼女の歌は、ただ清らかというだけでなく、後半では情念すら感じさせるようなものに昇華していた。素晴らしい才能だと思う。終演後、聴衆の拍手に応えて、指揮台に置いてある譜面を指差し、そして天を指差した。「(自分の貢献ではなく) 天上を描いたこのスコアが素晴らしいのですよ」という謙遜か。

同じ演奏家を何度も聴くことで得られる変化の楽しみもあれば、新しい演奏家によって与えられる新鮮な楽しみもある。今回の演奏会は、その一音一音に、様々な楽しみを見出すことができる貴重な体験であった。

# by yokohama7474 | 2015-09-29 00:14 | 音楽 (Live) | Comments(2)