Foujita (小栗康平監督)

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このブログではこれまでにも何度か、画家 藤田 嗣治 (ふじた つぐはる 1886 - 1968) について触れる機会があった。私にとっては、日本と西洋の関係を考える上でも大変重要な画家であり、まあそれほど構えずとも、その繊細な作風に心惹かれると単純に言ってしまってもよいであろう。この映画は、その藤田が署名にも使った Foujita という名前の表記を題名にしており、文字通り藤田の人生の二つの側面を描く作品で、主演はオダギリ・ジョー、脚本・監督は小栗康平だ。まずは、本当の藤田の写真、そしてこの映画におけるオダギリ・ジョー演じる藤田の写真をご覧頂こう。
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小栗の作品と言えば、高校生の頃、現国の教師に、「今晩テレビで放送があるから是非見るように」と薦められて見たデビュー作「泥の河」しか知らない。暗い内容であったが、そのセピア色の静謐な画面では人間の営みのやるせなさが淡々と描かれており、「貧乏くさいなぁ」と思いつつ (笑)、なんとも心に残る映画であったことは間違いない。だが、その後の「伽倻子のために」「死の棘」「眠る男」「埋もれ木」は見る機会なく、彼の 6本目の作品である本作は、私が初めて劇場で見る小栗監督の映画であるのだ。30年以上経っても未だにはっきりと記憶している「泥の河」で見られた静謐さが、この映画においても全編を貫いていることが印象深い。冒頭の数ショットは動きのない風景 (パリの藤田のアトリエ) であるが、かつての小津映画すら想起させる画面の安定感と静けさ、そして何よりも、いるべきものがそこにいない神秘感を感じさせるのだ。そして約 2時間の全編のうち、前半は華やかな 1920年代パリ、後半は何もかもが戦争に巻き込まれている 1940年代の日本が舞台である (従ってオダギリ・ジョーの台詞の半分はフランス語だ)。中間部ではパリの喧騒や軍部の焦燥感が描かれるが、最後の部分ではタルコフスキーすら思わせる水の流れが現れ、戦争を浄化するような、やはり非常に静謐な画面に回帰して終わる。ここで描かれているのは藤田の画業の全貌ではなく、その評価についての説教じみた箇所もなければ、画家自身がが独白で胸中を吐露するシーンもない。従ってこれは決して藤田の伝記映画ではなく、藤田という芸術家に対する小栗監督のオマージュと呼ぶべきだろう。

とは言いながら、やはり藤田の芸術を愛する者にとっては、映画を見ながらやはり藤田という画家がいかなる人であったのか、またいかなる思いで絵を描き続けたのかということを考えてしまうのもまた、無理からぬことだろう。11月22日の記事で藤田の戦争画について採り上げたが、この映画においては、戦時中の彼の行動が淡々と描かれていて、物事を考えるヒントになる。ひとつのシーンで藤田とともに出て来る画家は宮本三郎。彼は山下奉文がシンガポールを占領したときに英国の司令官パーシヴァルと講和交渉をした際の絵で有名だ。
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この絵は戦争画として最も有名なものであるし、この映画の中でも、模範的な戦争画として軍部から称揚される。だが劇中の宮本と藤田たち自身は、一体戦争画として何を描くのべきなかについて、心の奥底では迷っている状況で描かれている。その時代の画家たちにとって、戦争画との関わりは様々だが、一見時流におもねていても、実際には持てる技術の発揮の場という思いが強かったのではなかろうか。ちなみにこの宮本三郎の作品だけを集めた小さな美術館が、世田谷美術館分館として東急九品仏駅近くに存在している。そこへ行くとこの画家のより本質的な特色を知ることができるので、戦争画のみで宮本をご存じの方には、一度行ってみることをお奨めする。あ、上記の戦争画は近代美術館の保管であり、その美術館には展示していないので念のため。

さて、前半のパリの喧騒とは異なり、この映画の後半は、ひたすら沈んだ色調だ。室内でもライティングをせずに撮影しているシーンがほとんどで、暗さに段々目が慣れていくような気がする。そして舞台は、藤田が疎開する日本の郊外になる。史実では疎開先は相模湖近くの藤野村だそうだが、この映画ではどこか架空の村のような印象だ。ラスト近く、切り通しにおける奇抜なライティングの変化などを使って、小栗は藤田を幻想の土地に踏み込ませる。そこは現実か夢かも分からない霞のかかった山の中で、キツネが人をばかすのである。海外での盛名も画家としての矜持も、また巧まずして身に着けた処世術も、そこではただ霞の中でどこかに消えて行ってしまう。そこでの藤田は、なんとも幸福そうなのである。
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音楽を担当している佐藤聰明 (さとう そうめい) は、昔アジアン・テイストのレコードなど聴いたことがあり、いわゆる現代音楽の作曲家としても、堅苦しい芸術然としたものでない、むしろサブカルチャー的な前衛音楽の作り手というイメージがある。この映画では、武満徹を思わせる静謐な弦の響きが見事だ。大概この種の映画では、音楽に関して東京コンサーツという団体がクレジットに出て来るものだが、今回もあたりだ。これは音楽マネジメント会社のようですな。

このように、なかなかに手の込んだ作りであり、芸術的雰囲気は大変よいのだが、強いて多少の違和感を挙げるとすると、実在の芸術家を採り上げる際には、何かもうひとつ、その芸術家の精神に肉薄する方が感銘が深まるのではないか。藤田の目は狂乱の 1920年代パリをエトランゼとしてどう見ていたのか。戦争の歯車に巻き込まれる 1940年代の日本を当事者としてどう感じていたのか。この映画はそれらの点において語ることがなく、あまありにもイマジネーションに頼り過ぎのようにも思われる。それから、前半のパリのシーンに出て来る女優たち。私が大変興味を持っていて、以前伝記まで読んだことのあるキキの役にしても、藤田の伴侶たちの役にしても、残念ながら輝くものを感じない。プログラムを調べると、それなりに実績のあるちゃんとした役者さんたちのようであるが、やはり言葉の壁があったのか、それぞれの役柄に求められる個性を感じることができない。後半に出て来る中谷 美紀が素晴らしい出来なので、その対照でよけいそのように感じたのかもしれないが。

最後に、これぞ藤田という作品をご紹介しよう。この映画の中に製作風景の出て来る「五人の裸婦」(1923)。東京国立近代美術館所蔵である。
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これは藤田がパリのクリュニー美術館にある有名な一角獣のタペストリーからヒントを得て、五感のそれぞれを表す女性たちを描いたもの。このタペストリーについては、この映画の中でも、それを鑑賞する藤田が描かれるし、このブログでも 6月21日の記事で触れている。興味深かったのは、映画の中で藤田は、モデルを前にしながら、手元では歌麿の浮世絵を見ながら筆を走らせていたことだ。彼がパリで大人気を博したのは、西洋にはなかったこの女性の白い肌の表現によるところが大きい。もちろん日本的なイメージとしての浮世絵に倣うという作戦はしたたかだと言えるが、その乳白色をいかに出したかという点は長らく謎であったらしい。ところが、やはり藤田の作品を多く所蔵する箱根のポーラ美術館に行った際に、その色の秘密についての解説展示を見ることができた。どうやら、ベビーパウダーを絵の具に混ぜていたらしいのだ。さーすが、女性の美を追求する高級化粧品会社の美術館の展示であると感心したものだ (笑)。決定的な証拠は、あの偉大な写真家、土門 拳が撮った藤田の製作現場の写真に写っていたことらしいので、この藤田という人、自分の企業秘密に関して、神経質に見えて意外と大らかだったのかもしれない。まだまだ知らない藤田の顔が沢山あるので、この映画は映画として評価しつつも、藤田の絵画作品は絵画作品として坦懐に見ることで、自分なりの理解を深めたいと思う。

# by yokohama7474 | 2015-12-09 00:39 | 映画 | Comments(2)

リヒャルト・シュトラウス : 楽劇「サロメ」(演奏会形式) シャルル・デュトワ指揮 NHK 交響楽団 2015年12月 6日 NHK ホール

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昨日の「金閣寺」に続き、今日は「サロメ」を鑑賞。いくつもの共通点と相違点のある 2つの作品だ。共通点は、名高い文学作品を原作としていること。オリジナルの言語から翻訳されたドイツ語で書かれていること。内容的にも、主人公の美的な執着心という点で共通する要素がある。相違点は多々あれど、ひとつ挙げるとすれば、「金閣寺」の台本が原作の凝縮版だとすれば、この「サロメ」は、世紀末を彩る天才のひとり、オスカー・ワイルドの原作をそのまま台本にしている点だろう。原作と言っても、もともと演劇用の戯曲であるので、オペラへの転用はその点ではハードルが低いとも言える (もしこのオペラの創作に、強いてハードルが低いところを見つけろと言われればの話だが・・・)。作曲者リヒャルト・シュトラウス (1864 - 1949) は、その長い作曲家生涯において、40歳前後までは数々の管弦楽曲を書き、1905年に初演されたこの「サロメ」以降は、一貫してオペラを書き続けた。次の「エレクトラ」とともに、聖書・神話に基づいてヒロインの個性を強烈かつ血なまぐさく描く凄まじい内容で、世界のオペラ史に衝撃を与えた。私はこの作品を実演でも録音でも繰り返し体験しているが、何度聴いても戦慄する。永遠の問題作である。

そんな作品を N 響定期で採り上げたのは、このオケのかつての音楽監督で現在の名誉音楽監督、スイス人のシャルル・デュトワだ。
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この楽劇「サロメ」、2つの点でデュトワの通常レパートリーとは異なる。ひとつは、彼の得意分野はなんと言ってもフランス音楽で、そもそもドイツものを採り上げる比率は低い。もうひとつは、彼のこれまでの経歴に歌劇場の音楽監督というものはなく、もっぱらオーケストラを率いてきた。そんな彼がオペラを採り上げること自体が珍しい。ところが私は、このプログラムが発表されたとき、これは絶対聴きに行かねばと思ったのである。そもそもフランス音楽が得意とは言っても、当然ドイツものも手掛けるし、特にこの作品は、オペラと言っても通常のケースとは比べ物にならないほどオーケストラが重要だ。その色彩的なオーケストラ書法こそ、まさにデュトワの手腕の見せ所ではないか。N 響との継続的な関係を通して、既に披露していないレパートリーはないのではないかと思われたが、まだこんな大物が残っておったか (笑)。2003年には「エレクトラ」を採り上げており、干支が一回りして、R・シュトラウスの過激な姉妹のもうひとりに取り組むというわけだ。考えてみれば、これが「ボエーム」とか「トゥーランドット」の演奏会形式なら、デュトワの指揮ではちょっと違和感あるが、「サロメ」なら期待できようというもの。

オペラの演奏会形式と言っても、狭い舞台を作ったり少し歌手が演技したり、あるいは映像投影やライティングがなされる場合もあるが、今回は純然たる演奏会形式で、聴衆は正面から音楽に向かい合うこととなった。主要な役はすべて外国人、それ以外は二期会の日本人といういつものパターンではあるが、歌手は全員譜面なしでの歌唱であったので、そのまま舞台上演になってもバッチリ大丈夫だ。

主役のサロメは、ドイツ出身のグン・ブリット・バークミン。2000年にデビューしているとのことなので、まだ若手に分類できよう。
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ワーグナーやシュトラウスを得意のレパートリーとし、特にこの「サロメ」は当たり役で、ウィーン国立歌劇場でも歌っており、2012年の同歌劇場の来日公演 (私は見なかったが、当時の音楽監督、ウェルザー・メストが右腕の故障で来日中止となり、ペーター・シュナイダーが指揮した公演だ) でその役は既に日本でも披露済だ。このサロメ役は、実際の舞台では大詰め手前で 7つのヴェールの踊りを踊るという無茶な設定となっており、そこだけ代役のダンサーが踊るケースも多いが、演奏会形式の場合は、その箇所は大詰めに向けた体力温存の箇所となる (笑)。この歌手のドラマティックな歌唱はさすがであり、特に最後の独唱には大いに聴かせるものがあったが、ただ、ピットに入らない舞台上の大編成オケを従えての歌唱には、やはり無理もあり、NHK ホールという広い会場では、どうしてもオケに負けてしまうところが散見された。

私が今回とてもよいと思ったのは、ヘロデ王とその妃ヘロディアスだ。ヘロデ王は英国人テノール、キム・ベグリー。ヘロディアスは米国人メゾ・ソプラノ、ジェーン・ヘンシェル。以下の写真はいずれも過去の出演作だが、ベグリーの方は一見して「ニーベルングの指環」のローゲであろう。ヘンシェルの方は分からない。なんとも強烈だが (笑)、「ヘンゼルとグレーテル」だろうか?
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今回のこの 2人は、この凄惨なオペラの中での、悪役たちであるにも関わらずブラックな漫才のような掛け合いで笑いを誘うという難しいキャラクターを、阿吽の呼吸で演じていた。最後の方では自然と身振り手振りの演技まで出て、本当に舞台上演さながらだ。特にヘロデ王のベグリーの表現力は素晴らしく、テノールを絶対に英雄的な役柄で使うことのなかったシュトラウス (「ばらの騎士」の歌手役は、完全にパロディーであるが、シュトラウスの書いた唯一の英雄的テノール歌唱では?) がこの役に求めたものを充分に表現していて、また本人も楽しそうであった。経歴を読んでみると、上記の写真にあるローゲを得意としているらしく (今日のヘロデを聴けばそれも納得)、バイロイトでも歌っているとのこと。私が今年見たバイロイトの指環では彼ではなかったし、ティーレマンが指揮したその前のチクルスの CD が手元にあるので調べてみたが、そこでも名前は見当たらなかった。でもインターネットとは誠に便利なもので、戦後バイロイトで歌った歴代のローゲを紹介する記事を見つけ (いやー、そのマニアぶり、本当に頭が下がります!!)、彼の登場は 2000年に 1回だけだと判明。これはシノポリの指揮ですなぁ。ベテランだ。

ヨカナーンを歌ったのは、ラトヴィア出身のバス・バリトン、エギルス・シリンス。
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調べてみると、新国立劇場での「パルシファル」でのアンフォルタスや、東京・春・音楽祭でヤノフスキ指揮で行われている指環の演奏会形式上演においてヴォータンを歌っているなど、私も過去何度か舞台に接していることが分かった。力強い声で、立ち姿もよく、ヨカナーンらしい堂々たる歌唱であった。

デュトワの指揮は、やはりかなり器用にオケを操作していたと思う。この人はいつも、何か特別なことをするわけでもなく、情緒を纏綿と歌うということでもないが、ツボを心得た指揮ぶりには安心できるのだ。毎度同じことを書いていて申し訳ないが、NHK ホールという大きなハコで、細かいニュアンスを充分に聴きとることが絶望的に難しい環境では、まずはストレートな音作りのデュトワを信頼するしかないでしょう。怪しい炎のようなサロメ、ということではなかったが、オケに必要とされる機能性はまずまず発揮できていたと思う。・・・次回は「ボエーム」の演奏会形式にでも挑戦して頂ければ、また何か違ったデュトワを聴けるような気がする。いかがなものだろうか。

# by yokohama7474 | 2015-12-07 00:12 | 音楽 (Live) | Comments(0)

黛 敏郎 : 歌劇「金閣寺」(指揮 : 下野 竜也 / 演出 : 田尾下 哲) 2015年12月 5日 神奈川県民ホール

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これまで、機会があればなるべく日本人の手になるオペラを見るようにして来た。だが、日本のオペラを見れば見るほど、日本語が音楽に乗らないことに絶望的な感覚を抱いてきたものである。その点、黛 敏郎 (まゆずみ としろう 1929 - 1997) のオペラ 2作、この「金閣寺」と「古事記」はどちらもドイツで初演されているのでドイツ語で書かれており、私にとってはその事実だけでも、妙なくびきから離れて鑑賞できるオペラなのだ。

題名で明らかな通り、あの三島由紀夫の小説を原作としたオペラである。三島と黛は政治思想も近かったであろうし、実際に生前親交があったらしい。私にとって三島は文字通り特別な存在。学生時代にこの「金閣寺」をはじめとする新潮文庫の数々の三島作品を読んで驚愕し、文学を究極まで突き詰めると、ストーリーなどどうでもよくなってくるのだと感得した。今に至るも、例えば映画を見てもストーリーを二の次三の次と思うのは、多分この三島文学経験によるものであろうかと思われる。実際、ニューヨークとロンドンに在住していた際にも、日本から三島由紀夫全集全 36巻を携えていたのである。もっとも、谷崎潤一郎全集も一緒だったのであるが。ほとんど読めませんでしたがね (笑)。今でも本棚の、すぐ手が届くところに並んでいる。
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黛敏郎。戦後日本を代表する作曲家のひとりだ。生前はその右寄りな言動や、テレビ番組「題名のない音楽会」のスマートな司会ぶりが、むしろ実際の創作活動よりも知られていた。
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だが、日本の現代音楽を愛する人たちには常識に属する事柄として、黛は芥川也寸志、團伊玖磨とともに「三人の会」を結成し、それぞれにクラシック音楽の普及に尽力したのである。ジョン・ケージの影響を受けた初期の作品から、日本回帰を明確にした「涅槃交響曲」「曼荼羅交響曲」、いくつかのバレエ音楽まで、多様な作風で知られ、そして数多くの映画音楽 (金閣寺炎上をテーマにした市川 崑監督の「炎上」を含む) を作曲し、さらには終生ジャズを愛した人であった。そのような彼の活動の中でも、ベルリン・ドイツ・オペラの委嘱によって書かれ、1976年に同オペラハウスで初演されたこの「金閣寺」は、創作の頂点をなすと言ってもよいであろう。これまで日本では、岩城 宏之が 1982年に抜粋を演奏会形式で初演して以来、同じ指揮者がさらに 3回上演している。1991年、舞台上演としての日本初演。そして 1997年と 1999年に大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスが上演したもの。1991年の上演は CD になっており (今回の「金閣寺」上演に先立ってタワーレコードが限定復刻)、1997年の上演は NHK で放送された。私の場合、1991年上演の CD を聴き、1997年上演の放送を昔ヴィデオに録画したものを見、そして、1999年の舞台は実際に生で見ている。なので、今回日本で 5回目の上演となるこの作品については、それなりにイメージがあっての今回の鑑賞である。この上演は神奈川県民ホールのオープン 40周年を記念するもので、オーケストラは地元の神奈川フィル。指揮するのは、1969年鹿児島生まれの下野竜也だ。
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私は、小柄ながら精力的な指揮をする彼の音楽が大好きであり、その実演に接して期待が外れたことは一度もない。その明確な指揮ぶりは、今は亡き岩城宏之 (「初演魔」の異名を取るほど数々の現代音楽を日本に紹介し、この「金閣寺」の過去の上演をすべて指揮した人) にも共通するものがある。これからさらに一般的な人気を博して行くことであろうと思うし、この果敢な試みは大変に頼もしい。また、演出は、ドイツの名匠ミヒャエル・ハンペの弟子である田野下哲。昭和期の遺産を将来に受け継いで行く世代による意欲的な公演だ。会場である神奈川県民ホールの入り口にはこのような垂れ幕が。題字は人気書家、武田 双雲によるもの。今回は 2回のみの公演であるが、大変な金のかけようである。
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撮影禁止ということで写真には撮れなかったものの、会場ロビーには作曲者の自筆譜や今回の演出ノートが展示してあり、興味深かった。また開演前には、演出家の田尾下哲と舞台美術の幹子・S・マックアダムスが登場してプレトークを行った。この演出のコンセプトとして、美の象徴である金閣寺は展開するドラマにかかわらず常に舞台にあり、また、心理劇は金閣寺の中で行われること、コロスのような役割を果たす合唱団 (特に女声が重要) は、歌っている内容と舞台上で進行する劇を切り離すために舞台に登場せずに声だけを響かせることなどが語られた。また、会場で配布されたプログラムにも様々な情報が満載であり、演出家と指揮者の対談も掲載されている。
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この作品を見る際には、三島の原作にどこまで縛られるかという点がポイントになってくる。今般、本棚から原作 (三島由紀夫全集第 10巻) を引っ張り出してざっとオペラとの違いを検証してみたが、ストーリーの流れはほぼ原作を踏襲している。ただ、やはり三島の修辞的な文章にひとたび目を通すと、これを文学以外で表現することは全く不可能であることを思い知る。このオペラの台本は、ベルリン・ドイツ・オペラの当時の総監督、ルドルフ・ゼルナーの意を受けたスタッフであるクラウス・H・ヘンネベルクという人が英訳版から作成したもので、それなりに苦心した様子が伺える。この台本について、三島自身が目を通す機会はなかったのであろうか。黛自身が 1991年の上演に際して書いたメモの中に以下のような部分がある。

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(ゼルナーとの) 何回かの話し合いの末、結局「金閣寺」でいこうと決心したのは、1970年になってからのことである。
その年の夏、原作者の三島氏に会った私は、オペラ化の許可と、出来ることならリブレットの執筆もと依頼した。三島氏は、「俺はオペラといえば新派大悲劇調のイタリア・オペラが好きで、ゼルナー流の表現主義は性に合わないから、台本は勘弁してくれ。でも、初演の時は喜んで見に行くよ」といって許可をくれた。そしてこれが、私の三島氏に会った最後となってしまったのである。

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ご存じのことと思うが、三島の自決は 1970年11月25日だ。つまり、作家の最晩年になってこのオペラは始動し始め、その衝撃的な死のあと 6年経ってからドイツで初演されたことになる。

今回の演出は大変に手の込んだもので、演出家の思い入れのほどが随所から伝わってくる。原作よりも音楽を重視したものと言えるであろう。オペラと原作の最も顕著な違いは、原作では主人公の溝口は吃音という障害を持っていたところ、台本作家はそれではオペラにならないと思ったのであろう、右手が不自由という設定に変えている。そもそもの原作が溝口の複雑な心理を追って行く内容になっているため、オペラでも溝口はほぼ出ずっぱりで、溝口のモノ・オペラと言ってもよいくらいだ。原作でもこれまでの上演における演出でも、溝口はコンプレックスの塊で、内向的な恐ろしい人間という描き方であった。例えば、1999年の上演時のプログラムの写真をご覧頂こう。まるでアングラ芝居のチラシにようで (笑)、なんとも陰鬱だ。
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それを今回の演出では、溝口のキャラクターをもう少し逞しいものにしており、それなりに興味深い。これは父親とのシーンであるが、溝口は、まぁ爽やかとは言わないが (笑)、いろいろな場面で感情をきっちりと表に出す人間に描かれている。
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プレトークでも触れられていた通り、物言わぬ不動の美の象徴、金閣寺が、全編を通じて舞台奥に堂々たる姿を見せている。私の席は 3階であったので、この建物が黒い床に反映して揺るぎない美を創造していたのが見えて、なかなかよかった。因みにこの神奈川県民ホールは、横に長い構造であって、客席の最前列から最後列までの距離が短いので、3階のいちばん上の席でも、鑑賞には全く問題ない。私の席はたった 3,000円だ。なんというコストパフォーマンス!!
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さてこの金閣、四季折々の姿を見せるのだが、これがまた大層美しい。以下の 2枚で、見にくいかもしれないが、金閣寺のミニチュアを抱えたり掲げたりしているのは、この寺を建立した足利義満だ。幻想的で美しいシーンである。
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このオペラを予習していたとき、必ずカットされているシーンがあるのに気が付いた。それは第 3幕第 4景。歌が入らずオケだけの演奏で、京都の夜の人々の往来のシーンである。これまでの日本での演奏 4回ではすべてカットされてきた由。今回はその部分も演奏されていたので、見てみてカットの意味が分かった。ここでは沢山の人たちが鮮やかな衣装を身に着けて一斉に舞台に登場するのだ。相当予算がないとこのシーンは上演できないだろう。その一方で、今回演出家の意向でカットされたシーンがある。足の不自由な友人、柏木が尺八を吹いて、溝口にそれを渡すシーンだ。原作では、吃音という障害を持つ溝口が、実は尺八を器用に吹きこなすという設定になっているところ、このオペラでは障害は手にあるので、そもそもシーンの意味をなさない上に、ドラマの流れがここで停まってしまうと演出家は考え、カットする決断を下したという。プログラムに載っている指揮者と演出家の対談でもその点に触れられ、ドイツでの初演時には日本的なエキゾチックな要素が必要だったのでこのシーンが考えられたのかもしれないという点で両者の意見が一致している。なるほど一理ある。

この作品、聴いた感じはメシアンとオネゲルとベルクを足して 4くらい (?) で割った感じの曲だ。ただ、クライマックスに向けての盛り上がりは凄まじく、強い表現力が必要とされる。1997年の上演の際のインタビューで岩城宏之は、「オケと合唱団にはオイシイ箇所が多々あるものの、歌手の人たちはとにかく大変で、ワーグナーよりもきついかもしれない。特に出ずっぱりの溝口役の歌唱は拷問に近い」と語っていたが、まあその通りであろう。今回の歌手は二期会の人たちで、熱演ではあった。ただ、溝口役の小森 輝彦は、安定感があって立派な歌唱であったが、気の毒なことに時折オケに飲まれてしまっている感があった。また、演出家の意図によって合唱団は舞台袖で歌ったのであるが、そのせいで声がよく通らず、音楽本来の表現力が減じてしまったのはなんとも惜しいことであった。

そんなわけで、大変意義深い公演であると同時に、課題もあれこれあったと思う。是非また再演の機会を目指して欲しいものだ。

ところで最後に、このオペラとその原作で引用されている恐ろしい言葉に触れてみたい。それは、9世紀の中国の高僧、臨済 (禅宗の臨済宗の開祖) の言葉を集めた「臨済録」にある以下のような言葉だ。

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仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。

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大変に過激なこの言葉、世の中には絶対というものはなく、自らを形作るものをすべて打ち壊すほどの厳しい態度を貫いて初めて、真理を会得できるのだ、と解釈することは可能だ。だがこの言葉、自己陶酔にもつながる危険な言葉ではないだろうか。自己の弱さを転嫁する先として、永遠の美の象徴である金閣寺に火をつけるに至った溝口の心理を表していて、慄然とさせられる。また、自らの体を切り裂いてこの世を去った三島という作家の壮絶な人生感を思わせると同時に、そこにもやはり、絶望と表裏一体の自己陶酔がなかったと誰が言えようか。私は必ずしも三島の死が彼の文学の根本的な要素をなしているとは思わないし、残された作品を虚心坦懐に文学として味わえばよいと堅く信じるものの、文学の神髄には、危険な陶酔があると思う。でもそれは、文学といういわば絵空事での話。現実世界で貴重な文化財を傷つけるなど言語道断だ。守ろう文化財!!

# by yokohama7474 | 2015-12-06 00:27 | 音楽 (Live) | Comments(0)

オスモ・ヴァンスカ指揮 読売日本交響楽団 2015年12月 4日 サントリーホール

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ほぼ一週間前、11/28 (土) に、同じ指揮者、同じ楽団のコンサートに出向いた。今年生誕 150周年のフィンランドの作曲家、ジャン・シベリウスの作品を、フィンランドの名指揮者、オスモ・ヴァンスカが指揮するシリーズだ。今回の曲目は以下の通り。
 交響曲第 5番変ホ長調作品82
 交響曲第 6番ニ短調作品104
 交響曲第 7番ハ長調作品105

はて。最近何やら同じような曲目を聴いたような。とぼけるのはやめにしよう (笑)。11/29 (日) に、やはりフィンランドの指揮者オッコ・カムが本場フィンランドのオーケストラ、ラハティ交響楽団を率いて行った来日公演の一環、私が以前の記事で大絶賛したあのコンサートと、全く同じ曲目なのだ。このヴァンスカが天塩にかけて世界最高のシベリウスオーケストラに仕立て上げたラハティ響を、先輩指揮者であるカムが振り、ヴァンスカは以前から関係の深い読響で同じシベリウスを演奏する。これぞまさに現代最高のシベリウス対決。東京のクラシック音楽シーンはかくも活発なのである。

前回の記事でもご紹介した通り、ヴァンスカの指揮は大変明快で、その身振りがそのまま音になったような気がする。但し、今回は 2つの理由で、正直なところ前回ほどの感動はなかった。ひとつは、やはりやはり、カムとラハティ響の超絶演奏を既に聴いてしまったこと。もうひとつは、前回のような初期のロマンティックな作品とは異なり、後期の晦渋な作品であるので、明快な指揮ぶりだけではなんともならない複雑な響きが要求されることだ。ひとつめについては触れても仕方なく、音楽家にとっては、自らの骨肉となっている音の表現に関して、有無を言わせぬ神秘な世界があることを再認識した。しかしながら、音楽は国際的なものであり、何もお国ものばかりがよいとは限らない。その意味では、今回の演奏ならではのよさも随所に聴くことができたのもまた事実。ラハティ響の記事では、5番の冒頭から 7番の終結部まであたかも一貫した音楽のように記述したが、今回の演奏では、それぞれの曲の聴きどころ、例えば 5番の終楽章の羽ばたく鳥の群れのようなめくるめく音の重なり、6番の第 1楽章でハープがリズムを刻んで舟が海原に出て行くような感じ、7番の千変万化する凝縮したドラマ性、等々が曲の個性を演出しながら幻灯のように過ぎて行き、明らかに音の密度が高まる瞬間を何度も聴き取ることができた。やはり素晴らしい演奏であったと思う。その一方で、ヴァンスカの作り出す音の線は、明快であるがゆえに、パートごとにいい音が鳴っていても、複雑に溶け合う際に、時としてほんの少し作為が目立つということもあるような気がした。いや、それとても、作為のかけらもなく自然がそのまま鳴っているようなラハティ響を聴かなければ気づかなかったことであろう。

シベリウスの交響曲について改めて思う。最も人気のある 2番や、それに次ぐ人気曲の 1番、また、ヴァイオリン協奏曲や交響詩「フィンランディア」などの初期の作品の数々は、もちろん豊かな自然を思わせる部分もあるものの、人間感情を反映した劇的な部分があるので、なじみやすいとも言えるだろう。歴史的事実であるロシアの圧政とそこからの解放というイメージも、多かれ少なかれ初期の作品にはあるだろう。それに引き替え、今回の後期の 3曲には、もちろん劇的な部分もあるにはあるが、長い盛り上がりはほとんど聴くことができない。書かれたのは、5番が 1914-15年 (1919年に改訂)、6番が 1915 - 1923年、7番が 1924年である。つまり、第 1次大戦中から両大戦間、その間の 1922年には弟を失っている。そして、7番を初演した 58歳以降、シベリウスはほとんど作品を発表しないまま、1957年に 91歳で亡くなるまで、実に 30年以上の沈黙を守るのだ (だから、シベリウスの人生においては、これら 5番以降の交響曲の作曲時期を「後期」と呼ぶのは不適当なのである)。この謎の沈黙について、通説があるとは聞かないので、謎は謎のままだろうと思うが、私の勝手な思い込みでは、やはり 2度の世界大戦を経験したことが大きな要因ではないのだろうか。フィンランドは第一次大戦後に念願の独立を果たしてからも、決して平和に過ごしてきた国ではないようだ。若い頃はロシアからの解放という政治的なメッセージを込めた曲で人々を鼓舞した彼も、抽象的な音楽の世界で祈りや高揚を描いたものの、戦争の惨禍やその後の他国との関係の中で、次第にその先いかなる音楽を人々に発するべきかが分からなくなったか、あるいは美しい自然と裏腹の人間の行いに深い絶望を抱いたのではないか。こんな光景を見てしまうと、人間の争いなど無益に思えるのも道理だろう。
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ところで今回の演奏会、荻原尚子という女性ヴァイオリニストが客演コンサートマスターであったが、そのプロフィルはプログラムに掲載されていないので調べてみると、名門 WDR ケルン放送交響楽団のコンサートマスターを 2007年から務めているとのこと。抒情的であったり、切れ切れの盛り上がりであったり、突然の疾走であったり、様々な場面を乗り切る必要のあるシベリウスの後期の交響曲で、颯爽とオケを率いていた。最近海外の名門オケで活躍する日本人が昔より減ってしまったような気がするので、今後ますます頑張って頂きたい。
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ところでこのケルンのオケの首席は、ビシュコフ以来イメージがないなと思って調べると、今はユッカ・ペッカ・ラサステだ。彼はもうひとりのフィンランド人名指揮者。そして、なんとも面白いことに、彼も以前ラハティ響の首席であり、しかもその在任期間は、今回の読響の指揮者ヴァンスカと、今のラハティ響の首席であるカムとのちょうど間である。奇遇だなぁ。フィンランドシリーズの番外編エピソードでした (笑)。


# by yokohama7474 | 2015-12-05 01:53 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ラストナイツ (紀里谷 和明監督 / 原題 :Last Knights)

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あるとき映画館で、クライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンの写真を掲載した薄暗いポスターを発見。明らかにハリウッドの新作だ。近づいてみると、何やら漢字が書いてある。なになに、紀里谷和明? キリヤカズアキ? お、あの「新造人間キャシャーン」の監督ではないか。あれから随分時間が経ったが、ハリウッドのトップ俳優を使った映画を撮ることができるという大出世を果たしたわけだ。その間に撮ったという「Goemon」は、私が海外在住中の公開なので、どのような映画であるのか全く分からない。しかし、これはやはり見るべき映画であろう。前回の記事で採り上げた「コードネーム U.N.C.L.E.」は、もとマドンナの旦那が監督であったが、この映画は、もと宇多田ヒカルの旦那が監督だ。だからなんだと言われても困るのだが。

前回の記事に倣って、まず題名から行こう。「ラストナイツ」とは、きっと Last Night (昨夜) の複数形であろう。とすると、自堕落な生活を送っているプレイボーイが、様々な夜を過ごすものの、「昨夜のことは忘れたよ」とうそぶいて夜な夜な遊びまわるというストーリーだろう。なんちゅうけしからん映画だ。そもそもその内容なら、クライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンという役者は明らかにミス・キャストではないのか。・・・と思ってよく見ると、題名の後半は Nights ではなく Knights だ。つまり、ラストナイトは、「最後の騎士たち」ということだ。でも、このカタカナの題名を見ただけでは、とてもそこまで思いつかないですよ。それは、「ラストサムライ」や「ダークナイト」なら分かる。まあ公平に言えば後者は「暗い夜」と思った人がいたかもしれないが、バットマンのイメージがもともとあるので、タイトルの意味は想像できる。その点この映画は、観客は全く先入観ゼロで見るわけだから、この邦題は厳しいだろう。

で、タイトルの意味は分かったのだが、ストーリーについて何の情報もないまま劇場に入ったのだ。そして途中から極めて明確になるのは、これは日本人が大っ好きなある歴史的な物語の翻案であるのだ。年末にはちょっと早いが、大詰めのシーンでこんな感じの雪の中の攻撃となると、大概の方々にはもう明らかであろう。モーガン・フリーマンが義憤に駆られて殿中で刀を抜く役。クライヴ・オーウェンが昼行燈の役である。
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さてここで疑問を呈そう。この監督、自分の骨肉の中に、この仇討ちストーリーがどの程度入っているだろうか。何か日本的なものが作品を作る原動力になったのであろうか。この疑問に対する答えは、映像を見るだけではなかなか難しいものがあるが、どうやら原案が日本発であっても、世界のどこでも通用する物語を描きたかったようだ。プログラムに載っているインタビューによると、黒澤明がシェイクスピアを翻案して日本を舞台にした作品を作った、ちょうどその逆をやりたかったとのこと。なるほど。では、日本的なものを描きたいわけではないということで、ここは整理しよう。そもそも脚本はカナダ人によるものらしく、始まりからして大変インターナショナルな作品なのだ。実際、この映画の設定はどこの国でもない。登場人物も、様々な肌の色の人たちがいて、特定の国の特定の民族の話ではないということが大前提である。

さて、次に気になるのは映像である。上記ポスターや写真で見る通り、この映画は終始薄暗い空の下で進行する。監督の意図は、西洋絵画を意識した画を作ることであり、カラヴァッジオやレンブラントやフェルメール、あるいは西洋絵画的な小津安二郎の映画を念頭に置いたらしい。だがその点は正直、どの程度成功したかは疑問だ。絵画と映画は全く別物。それは、絵画と違って映画には、動きと、それ以上に時間が関係してくるからだ。画の作り方に凝った割には、見終った印象は残念ながら単調なイメージで、実際に屋内のシーンはもちろん、どんなに壮大な野外のシーンが出て来ても、あたかもすべては屋根の下で行われる室内劇という印象だ。小津の映画は、よく畳に腹ばいになって撮った映像が特徴と言われるが、屋外のシーンを含めて、実は様々なヴァリエーションがある。この映画はその点、画から広がりを感じることは、残念ながらあまりない。以下のようなシーンもその例に漏れない。
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だが、ストーリーにはいろいろ伏線もあり、なかなか面白い。主役の 2人以外は知らない俳優ばかりだが、唯一、クライヴ・オーウェンの敵役として、伊原剛志が頑張っている。ハリウッド映画の日本人俳優というと、渡辺謙がダントツで、真田広之や浅野忠信が時々出ているくらいであり、組合の制約だか何かがあるらしく、高い壁が存在している。ここでの伊原は、日本人という設定には必然性はなく、不気味な雰囲気を持った、いわば「敵ながらあっぱれ」な役柄であり、いい演技をしていると思うので、今後の活躍に期待したいものだ。ハリウッド第 1作かと思ったら、クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」で馬に乗るバロン西を演じていた。あれも印象に残る役であった。
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役者の演技では、まあやはりクライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンは大したものだ。前者は、昼行燈の状態から最後の討ち入りに向けてシャキッとするあたりの変貌ぶりが目覚ましいし、一旦シャキッとしてしまうと、この上なく頼もしい。男の理想ですなぁ (笑)。
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モーガン・フリーマンも、一本気に正義を貫徹する姿にリアリティがあり、素晴らしい存在感。こんな役者を使うことのできる監督は幸せだろう。
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ひとつ気づくのは、この映画、悪い奴は、かたきとなる大臣くらいしか出てこないことだ。下の写真の右端の人物。ただこの人物とても、過激な悪ではなく、保身に汲々としている弱い人間であり、決して積極的に悪を実行しない。極悪人なら、クライヴ・オーウェン役を野放しにして観察するのではなく、問答無用に暗殺するだろう。そのあたりが、この映画がもうひとつ臓腑をえぐる衝撃を与えてくれない理由かもしれないと思う。
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この映画のエンドタイトルを見ていると、チェコ人の名前と韓国人の名前が沢山出て来る。ロケは全編チェコの各地で行われたらしく、韓国資本に相当頼って製作されたことが原因のようだ。例えばラストシーンが撮影されたのは、チェコで最も美しいと言われるフルボカー城であるらしい。こんなところだ。おーなんと素晴らしい。行ってみたい!!
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あれこれ勝手なことを書きつらねているものの、もともと我々日本人のよく知っているストーリーでもあり、うるさいことを言わなければ結構楽しめる。少なくとも、夜な夜な遊びまわるプレイボーイの話かと思って見に行くと、意外な展開で面白いと思うこと必定 (笑)。頑張っている紀里谷監督を応援しよう!!

# by yokohama7474 | 2015-12-03 00:22 | 映画 | Comments(0)