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鹿島 茂著 : 蕩尽王、パリをゆく 薩摩治郎八伝_e0345320_22584471.jpg
このブログでもいくつかの記事でご紹介している通り、近代日本の実業家には、桁外れの巨大な富を美術品の収集や、何らかの文化的事業のパトロネージュに費やした人たちが沢山いた。今我々が享受できる民間機関による文化遺産の豊かさを思うと、日本が近代化して行く過程で営まれたそのような行為には、深く感謝する必要があるだろう。今では企業の価値は時価総額で計られ、成長と凋落は頻繁に入れ替わり、オーナー社長の裁量は限られ、大企業の経営者にもサラリーマン化現象が見られる。従って、いかなる企業にも、昔日のごとき内容の文化事業への支援 (まあそれを道楽という言葉で置き換えてもよいケースも多いわけだが) は不可能になっている。時代の趨勢で致し方ないのであろうが、だがそれでも、その遺産に触れることで、文化と経済の関係について思いを馳せることには大いに意味があるだろう。

さて、この本で扱われているのはひとりの実業家で、しかも文化をこよなく愛した人。だが、彼は美術品の一大コレクションは残さなかった。なぜから、彼は蕩尽しつくたのである。祖父から自分までの三代で築いたその膨大な財産を。上に写真を掲げたこの本の帯にある通り、現在の貨幣価値にして 800億ともいわれるその財産を一代で使い切り、しかもそこには明確な美学があるという稀有な人物の名は、薩摩治郎八 (さつま じろはち 1901 - 1976)。
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この本は、その薩摩の破天荒なパリ生活をはじめとする生涯の事績を克明に追った伝記なのであるが、著者は有名なフランス文学者である鹿島茂。鹿島の著述活動 (や収集活動) は、いちフランス文学者の枠内にとどまるものではないが、このようなユニークな人物の伝記を、丹念に史料を追いながら面白く纏める手腕は、なかなかのものだ。実は、薩摩の伝記は現在では何冊か出ているが、この本のあとがきによると、もともとは鹿島が誰よりも早く手をつけたところ、リーマンショックのあおりで、連載していた雑誌が廃刊となったため、仕上げの部分が中断して数年が経過してしまううちに、ほかの人の本が出てしまったとのこと。そのあたりの人間的なところが憎めないし、何より、そのような「ウサギとカメ」式の顛末を語る口調が全く恨めしく響かない点、ノンフィクション作家としての資質を感じさせるのである。

薩摩治郎八は、東京、神田駿河台の木綿商店の息子として生まれ、1920年に英国オックスフォード大学に留学、1922年にはパリに移り、その地における狂乱の 20年代に、その莫大な資金を惜しみなく消費することで、ダンディな東洋人として名を上げた。その後一旦帰国するが、血筋のよい美女と結婚してまたパリに戻り、様々な芸術家・文化人とも交流しながら、一貫して大いなる散財をすることで (?)、パリで最も有名な日本人となる。第二次大戦の勃発時には、戦火が拡大するかの地から引き上げてくる日本人たちに逆行して 1939年にフランスに渡り (その前に薩摩商店は閉鎖に至ったにもかかわらず)、1951年まで滞在。その後は軽めの雑誌などに、古きよきフランスでの豪遊生活の思い出などを執筆していたらしい。この伝記には、その時代の様々な文化人たちの名前が出て来るので、いちいち書いていてはきりがないが、例えば、薩摩は作曲家モーリス・ラヴェルとは親友であり、また藤田嗣治の現地パリでのパトロンであったらしい。薩摩の回想によると、ラヴェルとともに藤田の個展に出かけて、後ろ姿の裸体画を見たとき、ラヴェルはこう言ったという。「こんなに海の感覚を出している画はないね。それでいて裸体の線だけなんだがね」・・・これはつまり、海が描かれているのではなく、裸婦像なのだが、そこに波のような旋律美があったということのようだ。これが藤田のどの作品を指しているのか判然としないが、イメージとしては例えば、このようなものではなかったか。それにしても、音楽で海を描いたのは、ラヴェルではなくドビュッシーであったはずだが、面白い比喩を使ったものである。
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その他にも多くの芸術家との交流が語られるが、面白いのは、今年 1月15日付の記事で、秋山和慶指揮東京交響楽団がその代表作「サロメの悲劇」を指揮した演奏を採り上げた、作曲家フローラン・シュミット。あの後期ロマン派風の耽美的な曲を書いた作曲家は、自宅に風呂がなく、徒歩圏内に住んでいた薩摩の家にまで、よく風呂を借りに来たという!! そんな趣味だったのか。これぞまさに、風呂ーラン・趣味ット (笑)。
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この本の中では、薩摩が回想録で語っている数々の思い出の信憑性をほかの資料で検証したり、若き日のランデブーの相手が誰の奥さんだったかなどについても、かなり立ち入った調査がなされている。正直、少しうんざりするような細かすぎる部分もないではないが、鹿島という人は一旦こだわると、どこまでもとことん食い下がる人なのであろう。その点では明らかに大変な労作であり、文化的な事柄、特に 1920年代パリが大好きな私のような人間にとっては、実に面白い本なのである。まあそれにしても、華やかなりし頃のパリとは、なんという衝動的パワーに満ちた活気ある場所だったのであろう。もともと芸術家たちは、様々な国からやってきていて、貧乏でも志高くドンチャン騒ぎをしていたわけだ (?)。そんな中、欧州の貴族でもなく、いやもちろん日本においても貴族ではなかった薩摩のような人が社交界の頂点の一角を占めたとは、なんとも興味深いこと。現在のパリでは、移民問題の深刻さが様々な緊張を生み出していることを思うと、この薩摩のようなスケールの大きい東洋人がこの時代のパリにいたことは、幸運なことであった。薩摩の晩年の写真はこちら。
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一見普通のおじいさんのようにも見えるが、不鮮明な画像からも着ているものの高級感は感じられるし、何よりもその福々しい顔から、育ちのよさと、そして、様々な幸せな経験をした人だけが持つ落ち着きを見て取れるように思う。もちろん、彼のような豪遊ができる人はほとんどいないし、ましてや上記の通り、その蕩尽は現代ではまず不可能なことなのであるが、せめてこのような先人がいたことを学び、精神的な貴族に少しでも近づければよいなぁ、と思うことである。

# by yokohama7474 | 2017-04-11 22:35 | 書物

シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年 4月 9日 東京芸術劇場_e0345320_11345612.jpg
この週末は、桜が満開だというのに、土曜も日曜も東京ではあいにくの天気。あぁ、今年も絶好の花見時を逃してしまった。だが、これも巡り合わせというもの。また来年を楽しみにしよう。来年の今頃桜が咲くことは、これはもう、まず確実なこと。なので、それを楽しめるように、まずは何よりも体調と、それから気持ちの余裕を持ち合わせるべく、来年に向けて準備しよう。春は必ずまた巡り来るのである。

そんな週末は、仕方がない。オーケストラでも聴きに行くか。あ、まぁ、どんな週末でも大体オーケストラを聴いているのが私の日常なのであるが (笑)。東京のオーケストラには、いわゆる日本の年度に合わせて 4月から新シーズンのところと、欧米に合わせて 9月から新シーズンのところがあるが、今回私が聴いた読売日本交響楽団 (通称「読響」) は前者。従って、4/8 (土)・9 (日) の 2日間に亘って行われた同じ曲目によるコンサートが、今シーズンのこのオケの開幕であったわけだ。指揮を取ったのはもちろん常任指揮者のシルヴァン・カンブルランで、曲目は以下の通り。
 ハイドン : 交響曲第 103番変ホ長調「太鼓連打」
 マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」
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どこかの宣伝で、このコンサートの曲目を評して、「交響曲の最初と最後」とあるのを見たが、なるほど、番号付だけで 104曲の交響曲を書き、交響曲を器楽曲のメジャーな分野に押し上げたことで「交響曲の父」と呼ばれるハイドンと、19世紀末の頽廃の匂いを纏いながら、オーケストラ芸術の極限を実現し、伝統的な交響曲形式を破壊したマーラー。その意味では、確かにハイドンとマーラーは、交響曲の最初と最後ではあるのだが、さらに面白いのは、この「最初」のハイドンは、103番と、彼のほとんど最後の交響曲、「最後」のマーラーの方は 1番で、彼の最初の交響曲ということだ。だから「最初の最後と、最後の最初」という表現が正しい。

フランスの名匠カンブルランのレパートリーは広く、昨シーズンも今シーズンも、これぞフランス音楽の神髄という曲目も多い一方で、今回のようにドイツ系の音楽を振らせても、その鋭い切り口はそのままで、説得力のある音楽を聴かせるのである。そもそも、ハイドンの交響曲は、オーケストラの基礎となるべきアンサンブルを必要とする音楽であり、このようなレパートリーを愉悦感とともにきっちり弾きこなすことは、どのオケにとっても非常に重要なことであると思う。絵画に例えて言うならば、マーラーのような後期ロマン派の音楽が、色彩溢れる大作の油絵だとすると、ハイドンの交響曲はデッサンと言ってもよいだろう。画家が大作油絵をものするには、細部のデッサンが欠かせない。ともすると大作に圧倒されがちな鑑賞者ではあるが、その作品の裏にしっかりとしたデッサンが描かれているか否かによって、その大作への評価も変わって来ようというものだ。その意味で今回のハイドン、今の読響の充実を物語る、なんとも小股の切れ上がった素晴らしい演奏で、聴いていて本当に楽しかった。この曲はティンパニ (マーラーで使用されたそれとは異なる古いタイプのもので、サイズも小さく、バチも硬いもの) の連打で始まるために「太鼓連打」というあだ名があるのであるが、冒頭で太鼓だけがドコドコ鳴る部分は、なんとも祝祭的なイメージだ。これはシーズン開幕の祝砲であったのか。だが序奏では深いところで何かがうごめくような音楽になり、それがゆえに、主部に入ったときの溌剌感が強調される。すなわち、低音の充実が重要であるのだ。その点、チェロが 4本であったので普通なら 2本となるはずのコントラバスが 4本いて、しっかりと低音を支えていた。さすがカンブルラン、才気走っているようでいて、基本をきっちり抑えているのである。全 4楽章、読響の優れたアンサンブル能力がフルに発揮された、素晴らしい演奏であった。交響曲の最初と最後という観点でも、何か発見がないかと思って聴いていたのだが、この曲の終楽章には、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の大詰めの音楽に似た個所が現れる。また、第 1楽章の序奏では、ベートーヴェンの交響曲第 1番を思わせる部分があり、主部の勢いのある部分は、例えばシューマンの 2番を連想したくなる。うむ、そうなると、第 2楽章アンダンテはブルックナーの緩徐楽章に、第 3楽章メヌエットはマーラーのスケルツォ楽章に、つながっているような気がしてくるのである!!・・・まあさすがにちょっとそれは盛り過ぎですな (笑)。これが、「パパ」と呼ばれたハイドンの肖像。
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前半の演奏の充実になんとも楽しい気分になり、15分の休憩の後、後半のマーラーに入った。このような大作では、指揮者の持ち味が様々なところに出るものであるが、カンブルランの指揮は、決してオケを煽り立てることなく堅実に弾かせながらも、いざというところではテンポを落として溜めを作る。その自在な緩急が音楽に強い説得力をもたらしていたと思う。読響の音はここでも非常にクリアで、金管にほんのちょっとの課題が残った以外は、誰もが認める名演の域に達していたであろう。私はこれを聴きながら、昨今の東京のオケの充実に改めて思いを致していた。終楽章のコーダでスコアの指定通りホルン (と、トランペット、トロンボーン各 1人ずつ) が起立したのも、音の流れに乗った自然な行為と思われた。それを見ながら、日本のオケで日常的にこんなレヴェルの音楽が聴けるようになったことを改めて感じ、音の奔流に鳥肌が立ったものである。もちろん、この曲のクライマックスで鳥肌が立たなければ困るわけであるが (笑)。恐らくは西洋音楽の歴史において、少なくとも器楽曲の範疇でそれまでに達成された最大音量の記録を更新したであろうと思われるこの曲には、若きマーラーの青春が燃え立っているわけで、クライマックスに至るまでの長い長い道のりは、そのまま青春の炎なのである。私は今まで、実演及び録音・録画メディアを通して、何百回この曲を聴いたか分からないが、かれこれ 38年くらいに亘るこの曲とのつきあいの中で、控えめに見て年間平均 20回聴いたとすると、実に 760回!! ということになる。その中で、印象に残っているものそうでないもの、いろいろあるが、改めて今回の演奏に耳を澄ませてみると、演奏の達成度の高さが、曲の冗長さを排除しているように思う。思えば、朝比奈隆はブルックナーだけでなくマーラーにも造詣が深く、ほぼすべての交響曲を採り上げたが、唯一この「巨人」だけは採り上げなかった。その理由として、「いかに偉大なマーラー先生の作品とはいえ、終楽章が全くまとまっていない」という趣旨の発言をしていた。またクラウディオ・アバドは、ベルリン・フィルの音楽監督就任披露コンサートでこの曲を採り上げた際のリハーサルで、クライマックスで立ち上がったホルンに対し、確か「19世紀ではあるまいし、起立は不要」というような言い方で、着席での演奏を命じていた。だが時代は移り、ここ極東の地、日本では、聴衆はどんなに長くても終楽章の盛り上がりを楽しみに待っているし、ホルンの起立に鳥肌立っているのである。カンブルランもそのあたりの客席からの反応は、充分に感じていることだろう。これは若き日のマーラーの写真。
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さて、今回の演奏会の成功に重要な貢献をした人がいる。この 4月から新たに読響のコンサートマスターのひとりに就任した、荻原尚子 (おぎはら なおこ) である。
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私はこのコンサートに行くまで彼女のコンマス就任を知らなかったが、読響の 3月22日付の発表によると、これでこのオケのコンマスは、彼女と小森谷巧、長原幸太の 3人体制となり、日下紗矢子は、特別客演コンマスになった。この荻原さん、ベルリンやハンブルクで、豊田耕兒やコーリヤ・ブラッハーに師事、マーラー・チェンバー・オーケストラのメンバーを経て、2007年からケルン WDR 響のコンマスを務めたという。と書いていて、何か記憶の底がモゾモゾするので (笑)、自分のブログの過去の記事を調べてみると、おぉ、なんと、2015年12月 5日の記事で、オスモ・ヴァンスカ指揮の読響の演奏会で彼女が客演コンサートマスターを務めていたと書いていた。なるほど、しばらく準備期間を置いての就任であったわけである。もちろんこのオケの他の 2人のコンマスも素晴らしい人たちだから、刺激を受けることもあろう。思い出してみれば読響は、30年くらい前は弦楽器奏者は全員男性ではなかったか。それが今や、日下に続いてこの荻原のような才能豊かな人が率いることになっているのも、東京のオケの進化と言ってよいだろう。

このように、大変気持ちのよい演奏会であったのであるが、ひとつだけ不思議な現象を経験した。私の席はステージに向かって右側の方だったのだが、後半のマーラーの演奏中、ずっとどこかからほかの音楽が小さな音で響いていた。独唱や合唱が声を張り上げており、ひとつだけ判別できたのは、「グリーンスリーヴス」であった。私の周りの人たちは、もしかして自分の携帯から音が漏れているのかと、しきりにカバンを覗いていたものである (笑)。それにしてもあれは一体何であったのか。別の場所のリハーサルの音声だったのかもしれないし、ラジオのようにも聴こえた。いずれにせよ、熱演に水を差す忌まわしき雑音であって、聴衆としては許してはおけないものだ。もし関係者の方がご覧になっていれば、事実確認をお願いしたい。

カンブルランと読響の演奏、来週末も、もうヨダレが垂れそうな素晴らしい曲目を聴きに行くことになる。そのときにもしまたあのような騒音が聞こえれば、私は大声でわめいてしまうかもしれませんよ!!

# by yokohama7474 | 2017-04-10 00:12 | 音楽 (Live)

クリスティアン・アルミンク指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : クリスティーナ・オルティーズ) 2017年 4月 8日 オーチャードホール_e0345320_00035358.jpg
このブログでコンサートをご紹介するときには、なるべくそのコンサートのチラシまたはポスターの写真を掲げることにしているが、今回、前代未聞のことが起こってしまっている。つまり、このチラシに写っている指揮者と、実際に演奏した指揮者とが違う人物なのだ。今回、予定されていた指揮者グスターヴォ・ヒメノが個人的な都合によって来日できなくなり、代役としてクリスティアン・アルミンクが登場することは、事前に発表された。しかし、チラシやポスターの摺り直しをする時間がなかったのであろう。指揮者アルミンクの名前を印刷したチラシは、ついに作成されることがなかったのだ。だが、曲目は同じであり、さらに、直前になってから発表されたことには、このコンサートのコンサートマスターは、とある有名なヴァイオリニストが務めるという。代役の指揮者、ソリストを含め、充分に聴く価値ありと期待して会場に出かけた。

もともと出演が予定されていた指揮者グスターヴォ・ヒメノは、上のチラシにある通り、2015年11月にオランダの名門、王立コンセルトヘボウ管弦楽団の来日に際してその指揮を取り、ソリストがピアニストのユジャ・ワンであったことにも助けられ、ツアーを成功させた人。私はその際に名古屋と東京で同じ曲目のコンサートを聴くことができ、大変面白い事件に遭遇したこと、そして、その事件に関連した発見が、その後見たコンセルトヘボウ管に関するドキュメンタリー映画の中にあったことなどを、かつて記事にした。詳しくは、2015年11月10日と14日、そして 2016年 2月 7日の記事をご参照。

そして、今回の指揮台に立ったアルミンクは、2003年から 2013年まで、新日本フィルの音楽監督を務めたことは記憶に新しい。1971年生まれで、このような端正なルックスも人気の秘密であろう。実物はもっと男前かもしれない。
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最近の新日本フィルについての記事は、いろいろと書いているが、それはすべて、彼が音楽監督の座を退いてからの演奏。昨今のこのオケの充実は目を見張るものがあるが、それはもちろんアルミンク時代の習練によるところ大であろう。ところが、私が経験した彼自身の指揮する新日本フィルの演奏会は、正直なところ、あまり感心しないものが結構あった。なんと表現すればよいのだろう。音の緊密度とでも言おうか、その点に課題があると思うことが多かったと記憶する。私が聴けたコンサートではたまたま巡り合わせが悪かったのかもしれないが、指揮者とオーケストラの関係は非常に不思議なもの。10年も音楽監督を務めたにも関わらず、私の記憶では、それ以降アルミンクは新日本フィルを振っていないのではないか。2011年に東日本大震災が発生したときに「ばらの騎士」をキャンセルしたことでオケとの関係が悪くなったという噂もあるようだが、実際のところはどうなのだろう。ほかのオケでは、音楽監督や首席指揮者を退任してもそのオケを振りに時々戻って来ることが多いが、どうやらアルミンクと新日本フィルの関係は、そうではないようだ。だがこのアルミンク、NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の指揮台には最近何度か立っているはずだ。但し、定期演奏会ではなく、ほかの機会である。今回の演奏会も、渋谷のオーチャードホールで開かれる、いわゆる「オーチャード定期」であって、またしても、N 響が毎月 3プログラムで行っている正規の定期演奏会ではない。だが、その相性を聴くには興味深い機会であろう。今回の曲目は以下の通り。
 ブラームス : ピアノ協奏曲第 1番ニ短調作品 15 (ピアノ : クリスティーナ・オルティーズ)
 リムスキー = コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品35

まず紹介したいのは、客演コンサートマスターを務めたライナー・キュッヒル。天下のウィーン・フィルの文字通り顔と言える元コンサートマスターであり、先の東京・春・音楽祭における「神々の黄昏」でも N 響を率いてコンサートマスターを務めていたが、それに続いての登場。しかも今回、後半の曲目は、ヴァイオリン・ソロが縦横無尽に活躍する「シェエラザード」だから、期待もひとしおだ。
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さて、1曲目のブラームスでソロを務めるのは、ブラジルの女流クリスティーナ・オルティーズ。
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もう随分以前には世界第一線のピアニストとして活躍していた人で、最近あまり名前を聞かなくなった印象だが、私の経験では、そのような音楽家は、久しぶりに聴くことで新たな発見があることも多い。これはたまたまなのであるが、割と最近、彼女が、母国の作曲家ヴィラ=ロボスのピアノ協奏曲全集やピアノ・ソロの作品を録音した CD 3枚組がタワーレコードのヴィンテージ・コレクションで発売されたので、購入して手元にある (名前の表記はオルティーズでなくオルティスである)。
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ところが今回彼女が弾くのは、お国物ではなく、ブラームスのコンチェルトだ。ブラームスは 2曲のピアノ協奏曲を書いているが、いずれも 50分を超える大作 (2番に至っては、通常の 3楽章制ではなく 4楽章である)。これは興味深いことなのであるが、歴史的に女流ピアニストがブラームスのコンチェルトを弾くことは稀である。例えば、現代最高の女流であるマルタ・アルゲリッチや、ドイツ物をレパートリーの中心に据える内田光子も、ブラームスのコンチェルトを弾いたとは聞いたことがない。ちょっと考えてみよう。昔の人では、ブルーノ・ワルターと録音しているマイラ・ヘスがいるが、ほかの女流は思いつかない。既に世を去った大女流ピアニストでは、アリシア・デ・ラローチャ。ベテラン組では、アンネローゼ・シュミット、エリザベート・レオンスカヤ、日本人では、朝比奈隆と協演した伊東恵。海外の若手現役では唯一、エレーヌ・グリモーの名が挙がる。もちろん調べもしないで書いているので、ほかにもまだまだいるかもしれないが、いずれにせよ、ブラームスのピアノ協奏曲を、しかも 1番を、女流の演奏で聴くことは極めて珍しいのだ。そしてこの 1番のコンチェルト、ブラームス 20代のときの若書きだが、私にとっては 2番以上に大好きな曲であり、その燃えたぎえる情熱 (緩徐楽章の第 2楽章だって静かな情熱の音楽だ) には、何度聴いても胸がカッと熱くなるのである。老年の髭面からは想像しにくいが、青年ブラームスはこんな美男だった。そんな青年の燃える思いが、音楽の中でメラメラしている、ピアノ協奏曲第 1番。
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今回、オルティーズはドレス姿ではなく、上下とも黒のパンツルックで現れた。1950年生まれなので既に今年 67歳ということになるが、技術的な衰えは聴かれず、音楽の流れに乗り、オケ・パートで炸裂する音をよく聴きながら、自分の音を紡いで行く。素晴らしい。ただやはり、この曲では強い打鍵が必要で、そうでなければオケと張り合うことができない。その点にこそ、女流が敬遠する理由があるのだろうか。だがしかし、女性でも強い音を出す人はいるし、男性でも弱い音しか出せない人もいる。21世紀の今日、男女で打鍵の強さを云々するわけにはいかないし、それこそユジャ・ワンなどはいずれこの曲を弾くのではないか。そして、もし彼女がこの曲を弾いたら・・・と想像すると、残念ながらオルティーズは少し分が悪いかもしれない。彼女の持ち味には、強い音でバリバリ弾きこなすというイメージがあまりなく、時として弱音部で美麗な音を聴くことがあっても、オケ・パートでブラームスの若い情熱が極度の盛り上がりを見せたときには、どうしても音量が不足してしまう。もしかすると、指揮者としても伴奏が難しいのだろうか (そう言えばカラヤンは、2番は演奏したが、この 1番は演奏しなかった)。アルミンクは強靭な音を N 響から引き出すことには成功していたが、ピアノを浮き立たせるようなオケの鳴らし方は難しいのかもしれない。ともあれ、オルティーズの演奏は自らの持ち味を出したものであり、演奏後、「ワーオ」と声を出して、大変な曲であったことを聴衆に訴えて笑いを取ったのも、本人としては精いっぱい弾いた解放感があったからだろう。そして彼女が弾いたアンコールは、今度は母国ブラジルの作品。フルトゥオーゾ・ヴィアナ (1896 - 1976) の「コルタ・ジャカ」という曲。1931年の作で、サンバのリズムすら思わせる軽快な曲でありながら、きっちりとまとまった曲で、ここではオルティーズの千変万化するピアノの音が大変に効果的。新たな作曲家との出会いであった。

そうして後半の「シェエラザード」であるが、ここでは、私が以前アルミンクの演奏において課題と感じることもあった音の緊密さも申し分なく、胸のすく快演となった。考えてみれば N 響は、2月末から首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィとともにヨーロッパへの演奏旅行に出かけ、帰国してからは超大作「神々の黄昏」に取り組むといいった、大変に充実した演奏活動を継続しているわけであり、今回の演奏はその流れを感じさせるものであった。この曲は冒頭の重々しさが全体のトーンを決めるようなところがあるが、今回のアルミンクと N 響は、充分な音量、かつその中に細かいニュアンスも含む、大変にいい音で演奏を開始した。そして、いきなりキュッヒルのソロ・ヴァイオリンが美麗の極致を聴かせる。まさに独壇場。面白かったのは、何度も出てくるヴァイオリン・ソロの表情はその時によって違っていて、少し早めであったり、逆にゆったり歌ったりと、自由自在である。また、彼の存在によって (前半のブラームスもそうであったが) 弦楽器全体がうねりを伴って音を響かせており、さすがだと思ったものだ。アルミンクはもともとスリムな人だが、登場したときには一層痩せたように見えてちょっと心配だった。しかしながら、指揮台では充分精力的に指揮をして、彼の長所である明晰さを持ちながらも、腹に響くような重々しさも聞かせるという成果を見せた。オケは全員一丸となってこの難曲を楽しんで演奏したと言ってよいと思う。そして、アンコールとして演奏されたブラームスのハンガリー舞曲 1番も、湯気が沸き立つような名演で、会場は熱気に包まれた。

今回のプログラムにキュッヒルのインタビューが載っているが、N 響のことを褒めている。東京・春・音楽祭での 4年間の「指環」演奏のほか、2011年には尾高忠明の指揮で「英雄の生涯」のコンサートマスターも務めたが、オケのメンバーと早くコンタクトが取れ、やりやすかったと。もちろん N 響はウィーン・フィルと奏法が違うし、それが当然なので、あるときは自分が合わせたり、曲目によってはウィーン風のやり方を伝えるようにしているとのこと。そして、N 響は継続してよくなっていると発言している。うーん、そういうことなら、このような特別興行的な関与ではなく、期間限定でもよいから、N 響でコンマス業務を続けて頂けないものだろうか。奥様は日本人だし、N 響には昔、もとウィーン・フィルメンバーのウィルヘルム・ヒューブナーというコンマスがいたという実績もある。・・・と思って調べてみると、なんとなんと、今年の 3月31日付で N 響が、4月からキュッヒルの客演コンマス就任について発表している。
http://www.nhkso.or.jp/news/17582/

なるほどこれは大変な朗報だ。どの程度の割合で演奏してくれるのか分からないが、パーヴォ・ヤルヴィとも早く N 響で協演して欲しいものだと思います。東京の音楽界から、また目が離せなくなりましたよ。

# by yokohama7474 | 2017-04-09 02:14 | 音楽 (Live)

ジャッキー / ファーストレディ最後の使命 (パブロ・ラライン監督 / 原題 : Jackie)_e0345320_22113158.jpg
ジョン・F・ケネディは言うまでもなく、アメリカ合衆国大統領として歴史上最も高く評価されているひとりであり、その悲劇的な暗殺事件は、50年以上経過した今でも、数々の陰謀論とともに未だに世の人々の間で語られる。それに加え、ケネディ家の抱える闇や、大統領自身の私生活のダークサイドも様々なことが知られるようになっており、興味深いとともに、ゴシップネタには少々うんざりすることもある。だがしかし、いずれにせよケネディ暗殺は 20世紀最大の謎のひとつ。私もこれまで、その件に関するいろいろな映画 (「JFK」のようなメジャーなものだけでなく) や書物、テレビ番組を体験して来た。だが、今回採り上げるこの映画は一風変わっていて、その未亡人、ジャクリーンを主人公としたもの。ジャッキーとはもちろん彼女の愛称である。ここでジャッキーを演じるのは、ナタリー・ポートマン。なるほど、ついこの間リュック・ベッソンの「レオン」でデビューしたと思ったら、もうこんな役を演じるような年になったわけだ。・・・いやいや、「レオン」は 1994年の作品。あれから既に 23年も経っているのだ。彼女は既に「ブラック・スワン」でアカデミー主演女優賞も受賞し、名実ともにハリウッドを代表する女優のひとりである。尚、上のポスターに、アカデミー賞 3部門ノミネートとあるが、主演女優賞は、別項で採り上げた「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンが受賞した。ちなみにこれが、1961年、大統領就任式の際の JFK (家族内での愛称は「ジャック」だったそうだ) とジャクリーン。
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映画は、1963年11月22日のケネディ暗殺から葬儀までの過程をジャーナリストに語るジャクリーンを軸に、ホワイトハウスでの回想シーンを織り交ぜている。ほとんどジャクリーンの一人芝居に近い内容であり、まさにナタリー・ポートマンの存在感と力が、真正面から試されていると言ってよいだろう。その衣装や髪型、喋り方まで、我々のイメージするジャクリーン像をうまく表現しているとは言えるように思う。だがその一方で、映画全体として、もうひとつ何か印象に残るものがないような気がするのも事実。一体何がそう思わせるのだろう。ダラス到着時、未だこれから起きる悲劇を知らないふたり。ケネディを演じるのはキャスパー・フィリップソンという俳優。
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そして数時間後、ケネディの棺とともにワシントンに帰るエアフォース・ワンの中では、ジョンソン副大統領の大統領就任の宣誓が行われ、夫の血を未だ衣服につけたままのジャクリーンもその場に呆然と居合わせることとなる。ジョンソン役はジョン・キャロル・リッチという俳優。
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やはり後に暗殺されるロバート・ケネディもここでは重要な役回りだ。ゴシップによると JFK 死後、ジャクリーンとあまりにも親密であったとも言われるが、真実は分からない。ロバートを演じるのはピーター・サースガードという俳優。
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ここではまず、ダラスにおけるケネディ暗殺という歴史的事件の再現が行われていて、それ自体は緊迫感もあって、なかなかよくできている。だが、なんと言えばよいのか、圧倒的に大きな黒い歯車が回っているというような感じはしない。それもそのはず、この映画の主眼は、この事件の裏に潜む陰謀に迫ることではなく、ジャクリーンがファースト・レディとして、あるいはひとりの妻として母として、いかなる運命に立ち向かったのかということを、彼女の心の裏側からの視点も含めて、詳細に描き出すことであるからだ。もちろん、あの明るい笑顔の裏に様々な葛藤や努力があったことは想像に難くないが、この映画では、どうもジャクリーンの不安と不満に必要以上に観客が追い込まれて行くように思える。画面に形容しがたい不安を与えるひとつの要素は、音楽であろう。キュイーンキュイーンとグリッサンドでうねる弦楽器の音色が何度も出て来て、明るいシーンの印象まで薄くしてしまったような気がする。その音楽を担当したのは、ミカ・レヴィという女流作曲家。調べてみると 1987年生まれの英国人で、もともとロンドン・フィルの楽員。アーティストでもあり、音楽プロデュースも手掛ける才人であるらしい。映画音楽の分野では、「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」という映画で、評価されたらしい。あっ、この映画は、去年公開していた、スカーレット・ヨハンソン主演のエイリアン物だな。見に行かねばとチェックしてあったのに、結局見ることができなかったものだ。そんなに音楽が面白かったとは、見逃して悔しい。これが作曲者のミカ・レヴィ。
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ともあれ、私が課題と感じてしまったのは、ジャクリーンを、数々の困難を乗り越えた意志の人と描くのか、ある場合には夫に裏切られながらも愛し続けた献身的な妻と描くのか、あるいは、2人の子供を持ち、ほかに 1人を流産で、もう 1人を生後すぐに亡くしてしまった母として描くのかが、どうももうひとつ明確ではないということだ。というのも、ジャーナリストに話して聞かせるジャクリーンは特に傲慢ささえ漂わせ、一度喋ったことをメディアに載せるなと命令したりする、あまり優雅でない女性として描かれているからだ。そんなことをせずに、時系列に沿って、暗殺の悲劇と過去の回想だけにした方が、感動的な仕上がりになったのではないかと思うが、いかがなものだろうか。また、描かれている期間は限定的で、彼女がその後オナシスのもとに走ったことは描かれておらず、ジャクリーンという人間性にとことん肉薄するという作りにはなっていない。主役を取り巻く役者陣も正直、それほど印象的ではないが、ただひとり「これは」と思ったのは、神父役を演じたジョン・ハートである。
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もちろんあの伝説的な「エレファント・マン」で知られる英国人俳優であるが、最近はハリー・ポッター・シリーズなどにも出ていた。ここでの彼は、ケネディ死後の相談役として、ジャクリーンに対して率直かつ優しさに満ちた語り掛けをしている。実は私は知らなかったのであるが、彼はこの映画出演後、今年の 1月に 77歳で亡くなっている。癌だったそうだが、既に撮影のときには病に侵されていたのであろう。痛ましい話であるが、これまた知らなかったことに、彼は 2015年には Sir の称号まで得ていたのだ。素晴らしい役者であった。

監督は、1976年チリ出身のパブロ・ラライン。これが初の英語作品とのことである。私の上記の感想からもう一度考えてみれば、演出が少し詰め込みすぎかなぁ・・・という気もするが、様々な場面に見える創意工夫は、評価に値するだろう。
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さて最後に、クラシック音楽ファンのためのオマケをひとつ。ホワイト・ハウスでチェロの大巨匠、パブロ・カザルス (1876 - 1973) が演奏するシーンが出てくる。これは劇中、カザルスのチェロに聴き入る JFK 夫妻をはじめとする人々。
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この 1961年の演奏はライヴ盤として、今でも手に入る。これだ。ジャケットを見ても、映画の中のように、カザルスがひとりで「鳥の歌」だけ演奏したかのように思ってしまいそうだが、実際には、ピアノのホルショフスキー、ヴァイオリンのシュナイダーとのトリオであった。
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音楽に興味のない方は、このカザルスがいかに偉大なチェリストであったかイメージがないであろうから、ひとつの例を挙げよう。これは昨年私がバルセロナに出張したとき、空港のラウンジで撮影したもの。通常はパブロ・カザルスと呼ぶが、彼の故郷カタルーニャの言葉では、パウ・カザルスという名前になるらしい。ラウンジの一角がこのような彼を記念するコーナーになっている点、今でもいかに深い尊敬を集めているかが分かろうというものだ。
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このように、カザルスがいつどの都市を訪れたかを示すプレートが飾られている。
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よく見ると、1961年にケネディの前で演奏したと確認できるが、面白いのは、その前に日本とイスラエルも訪れている。またケネディからは、2年後に叙勲もされている。
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そんなわけで、数多い JFK 物の中では少し異色な作品であり、今後人々の心にどのくらい残るかは正直分からないが、様々なピースを組み合わせてみると、ジャクリーンという、やはり 20世紀を彩ったイコンのひとりの人生について、また、彼女が経験した時代の雰囲気について、考えるヒントになる映画とは言えるであろう。ナタリー・ポートマンも、これから演技の深みをさらに増して行ってもらえるものと、期待している。

# by yokohama7474 | 2017-04-08 23:48 | 映画

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河鍋 暁斎 (かわなべ きょうさい 1831 - 1889) については、このブログでも何度か言及してきたし、特に、2015年 8月 2日付の記事では、三菱一号館美術館で開かれた彼の展覧会を採り上げた。暁斎は幕末から明治にかけて活躍した絵師で、その流れるがごとき筆さばきで貪欲なまでに展開した制作活動は、実に自由闊達で迫力満点。どの作品を見ても飽きることがない。浮世絵と狩野派を習得し、時に西洋画の技法も取り入れるという、大変なエネルギーの持ち主であったようだ。その暁斎の展覧会が開かれてえいるのを知ったとき、「まぁ暁斎はもうよく知っているからな」と不遜にも思ってしまった私なのであるが、実際に足を運んでみてびっくり。この展覧会で展示されているのはすべて、英国人コレクター、イスラエル・ゴールドマンの所蔵になるもので、初公開の作品を多く含んでいるという。展覧会の副題に「世界が認めたその画力」とあるのはその意味であって、海外からの里帰り展覧会なのである。但し、正直なところ、私はこの「世界の」という形容詞が嫌いなのであって、その理由は、日本のものがもともと世界水準に劣っている、あるいは劣っていなくても充分に知られていないということが前提になっていて、いじけた島国根性 (?) を思わせるからである。これに対して、当のコレクター、ゴールドマン氏の発言に注目してみよう。彼は 2002年にやはり自身の暁斎コレクションを日本で展示した際に、「なぜ暁斎を集めるのですか?」と訊かれて、「暁斎は楽しいからですよ!」と答えたという。そうなのだ、画力が世界に認められたか否かは関係ない。暁斎は楽しい。その極めてシンプルな理由だけで、蒐集するにも鑑賞するにも、充分な理由になるではないか。文化を楽しむとは、そういうことなのだと私は思うのである。

ゴールドマン氏が暁斎作品の蒐集に目覚めるきっかけとなった作品が最初に展示されている。「象とたぬき」(1871年以前)。
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小さなタヌキに鼻を差し伸べる象のユーモラスな姿を、ささっと描いたもの。ゴールドマン氏は 35年ほど前、この作品をオークションで入手したが、翌日別のコレクターに譲ってしまい、それを後悔して、その後何年も懇願してまた買い戻したという。現在では彼の自宅の寝室に飾られているという。この象には紐がつけられていることから、1863年に行われた象の見世物興行の際にスケッチされたものと推測されているらしい。舶来の大きな動物と、土着の小さな動物の出会い。

実際、暁斎はなんでもできた人であるのだが、やはりこのような動物の姿をユーモラスに描いた作品が楽しい。これは「鯰の船に乗る猫」(1871 - 79年)。この髭のはえた鯰は、明治政府の役人を揶揄しているのだとか。
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同じ一連の作品から、「カマキリを捉える子犬」。ここにはあまり風刺的な毒は感じられず、ただ子犬の可愛らしい仕草が活写されているのであるが、ただ、やっていることには残虐性もあって、ただ可愛いだけではない点、やはり暁斎の個性であろう。
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暁斎はまた、鴉を多く描いた。絵師としての日々の習練の象徴であったらしく、海外にも多く輸出された。フランスの作家エドモン・ド・ゴンクールは、パリの町を自転車で走る人の姿を、「暁斎の掛物にある、飛び行く鴉のシルエット」のようだと評したとのこと。うーん、詩的な表現だ。以下、「枯木に鴉」と「柿の枝に鴉」。
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これは「月下猛虎図」。墨だけで描かれた白黒の中、目だけが黄色くて不気味である。芦雪の飄々とした味わいの虎とは違って、文明開化を経た時代のリアルな怖さを持っていると言えるのではないか。
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これは、「虎を送り出す兎」(1878 - 79年)。明らかに「鳥獣戯画」のスタイルを模したものであろう。暁斎の腕なら鳥羽僧正 (が「鳥獣戯画」の作者なら) に、決して負けてはいない。
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ユーモラスなだけではない暁斎の動物絵画は、このような面白い作品も含む。「月に手を伸ばす足長手長、手長猿と手長海老」。足の長い老人が手の長い老人を肩車しその先に手長猿が、またその先に手長海老がいて、月を取ろうとしているようである。かたちの面白さだけで、見ていて飽きない。まるでジャコメッティの彫刻のようではないか (笑)。
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このような暁斎の奇想の数々は、暁斎漫画なる出版物 (1881) における数々の図版にも存分に表れている。北斎漫画に匹敵するほど、多彩で勢いがあるのではないか。
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これは、「天竺渡来大評判 象の戯遊 (たわむれ)」(1863年)。この記事の最初に掲げた墨絵について述べた通り、この年に江戸の両国橋西詰で象の見世物興行があり、それを題材にしたもの。同様の図が何枚もあるが、本当にこれだけ多様な芸を象にさせたのであろうか。幕末の異様なエネルギーを思わせて、圧倒的だ。
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この作品など、ヨーロッパ人はどのように見るのであろうか。「五聖奏楽図」。五聖とは、磔になりながらも扇子と鈴を持っているキリストに加え、それぞれ楽器を持ったり手拍子と歌で盛り立てる、釈迦、孔子、老子、神武天皇。明治政府によるキリスト教の解禁は 1873年。この絵はその頃の様子を表したものであろうか。破天荒な発想だが、やはり「楽しい!」という感想を誰もが持つであろう。
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暁斎はまた、明治に入る頃から亡くなるまでほぼ毎日、絵日記を書いていたらしい。ただ彼はそれを手元に残さず、欲しがる人に譲ったため (ほ、欲しい!!・・・)、散逸してしまっているとのこと。ゴールドマン・コレクションには、あの有名な英国人建築家、ジョサイア・コンドル (最近ではコンダーとも。1852 - 1920) が暁斎に弟子入りして修業している頃のことが書かれているとのこと。このような落書き同然のものであるが、いかにも暁斎らしくて、やはりなんとも楽しい。現代でも、例えば山口晃のように抜群の技量を持つ画家が似たようなことをしているのが嬉しい。
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これは版画で、「蒙古賊船退治之図」(1863年)。以前も「ダブルインパクト」という興味深い展覧会についての記事でご紹介したことがある。元寇の際に、迎え撃つ日本側が、何やら爆発物で元軍を撃退している場面。この誇張された爆発の様子や大荒れの海に、やはり幕末の鬱積したエネルギーを感じることができる。
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これも暁斎らしい「鍾馗と鬼」(1882年)。よく見ると、振り上げた右手は少し小さいように見えるが、不思議と全体のバランスは大変よい。また、鬼のユーモラスなことも暁斎の持ち味だろう。
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暁斎の描いた魑魅魍魎たちの中に、幽霊も含まれる。このブログでは以前、幽霊画の展覧会もご紹介しているが、私にとっては、格調高い芸術的な絵と同等に、幽霊画はや妖怪画は強い興味のある分野であり、その分野における暁斎の存在感は揺るぎない。これは「幽霊に腰を抜かす男」。幽霊の姿は、そのゴワゴワの髪と、うっすらとした後ろ姿の輪郭だけで表されており、素晴らしい表現だと思う。これはもしかして、リアルな幽霊というものではなく、腰を抜かしている男の内面の恐怖心がかたちを持って現れているだけかもしれない。
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だがこちらの方は、リアルこの上ない幽霊だ。「幽霊図」(1868 - 70年)。おぉ、怖い。その痩せ方やほつれ毛、恨めしそうな目など、どれも本当に怖いが、右半分に行灯の光が当たって白く浮かび上がっているところがなおさら怖い。光が当たるということは、何らかの物質がそこに存在しているということであるからだ。物質的な存在であれば、何か危害を加えるかもしれないという、人間の根源的な恐怖に呼びかける。
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これは、展覧会のポスターにもなっている「地獄太夫と一休」。室町時代の遊女である地獄太夫が、一休の教えを受けて悟りを開いたという伝説をテーマにしたもの。太夫の着物は非常に手の込んだ描き方になっており、彼女の左横にいる三味線を弾く骸骨と、その頭の上で踊る一休、それに加えて踊り狂う多くの小骸骨たち。なんと不気味で謎めいて、でも楽しい、暁斎流であることか。
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これは、多くの妖怪たちが跋扈する「百鬼夜行図屏風」。暁斎にしては丁寧に描いている方だろう (笑)。明治期は大きな価値観の転換期であり、人々の間に戸惑いや不安もあったに違いなく、異形の存在である妖怪たちに、リアリティがあったのではないか。だがここでも、暁斎の描く妖怪たちは楽しそうで、決して怖くだけではない。その意味では、上で見た幽霊画とは少し性質を異にする。
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なんでもできてしまう暁斎は、仏教的な題材も扱っている。これは「龍頭観音」(1886年)。観音の衣の描き方などはさすがだが、どうしても龍の存在感に目が行ってしまうのは私だけか。
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このように、個人のコレクションとは信じられないほど多彩で質の高い作品群で、どんな人でも楽しめること請け合いだ。実はこの展覧会には、世界初公開となる暁斎の春画の数々も展示されていて興味深い。ネット上で春画の画像を公開するのは教育上よろしくないし (笑)、私自身は春画の芸術性自体にそれほど確信が持てずにいるので、ここでご紹介はしないが、ひとつ言えることは、暁斎の春画はどれも非常にユーモラスで、思わずくすっと笑ってしまう。それは、露わな人間性の発露がそこにあるから、ということは言えると思う。その一方、今回改めて気付いたことには、これだけの画家にして、未だ重要文化財指定の暁斎作品がないということだ (私の認識違いでなければ)。上の作品群にも制作年が定かでないものが多く、画鬼という異名を取っただけあり、まさに日々生きることすなわち描くこと、という人であっただけに、絶対的な代表作が少ないということだろうか。例えば上記の「地獄太夫と一休」など、もし日本にあれば重文指定後補になってもおかしくないように思うが、在外作品であるので、そうはならないわけである。暁斎については恐らくこれからますます再発見が進むと思われ、その楽しさを多くの人たちが味わえるよう (「世界が認めた画力」という押しつけ型の認識ではなく、人々が本当に楽しめるよう)、いずれかの作品の重文指定を待ちたいと思う。
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# by yokohama7474 | 2017-04-08 12:57 | 美術・旅行