オッコ・カム指揮 ラハティ交響楽団 2015年11月29日 東京オペラシティコンサートホール

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驚くべき演奏を体験した。これは東京のコンサート史上に残る名演奏であったと思うし、首都圏のクラシックファンでこれを聴き逃した方には、地団駄踏んで悔しがって頂こう。フィンランド人指揮者オッコ・カムの指揮するフィンランドのオーケストラ、ラハティ交響楽団が、フィンランドの作曲家シベリウスを演奏した。上記のポスターの通り、3日間で 7曲の交響曲すべてを番号順に演奏し、ヴァイオリン協奏曲を間に挟むという内容。前日のオスモ・ヴァンスカ指揮の読売日本響の記事にも書いたが、シベリウスの生誕 150周年を祝ってのチクルス演奏だ。私はかろうじてその最終回にだけ行くことができたのだ。

会場には、前日読響を指揮してなんとも素晴らしいシベリウスを演奏した指揮者、オスモ・ヴァンスカその人の姿もあった、と思う (そっくりさんを見間違えたのでなければ・・・)。私としては、是非そうであって欲しいのだ。それは、このフィンランドの小都市、ラハティのオーケストラ (創立は 1910年と古いのだが) を世界一のシベリウスを演奏する団体に変えてしまったのは、ほかならぬヴァンスカであるからだ。このヴァンスカとラハティ響のコンビはシベリウス演奏のレコーディングで名を上げ、1999年に初来日して、そのときもシベリウスチクルスを演奏した。私も一部を聴いたが、よい演奏ではあったという記憶はあるものの、詳細は忘れている。そのオケが今回、違う指揮者とともに、今までに聴いたこともないような最上質のシベリウスを東京で鳴り響かせることになろうとは!! その場に、今ではこのオケの桂冠指揮者となっているヴァンスカが居合わせている必要が、やはりあるだろう (そっくりさんだった場合はゴメンナサイ)。

指揮者のオッコ・カムは、私の世代にとってはおなじみというか、むしろ懐かしい人と言ってもよい。第 1回カラヤン指揮者コンクール優勝者として名が知られ、ベルリン・フィルを指揮してシベリウスをドイツ・グラモフォンに録音していた。その後、日フィルを振りに来たり、渡辺暁雄と指揮を分け合って、日本の数都市で行ったヘルシンキ・フィルによる日本初 (だったと思う) の素晴らしいシベリウス・チクルスもあった。ところが最近はメジャー・オーケストラでの活躍はあまり伝えられず、あのラハティ交響楽団の首席指揮者に就任しているとは、今回の来日で知った次第。1946年生まれだから未だ 70になっていない。カラヤン・コンクール優勝は 1969年だというから、彼がまだ 23歳の頃だ。以下は、最近の写真と、若い頃 (あまり若く見えないが 笑) のベルリン・フィルを振ったレコードのジャケット写真。
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つくづく思うのだが、音楽家はその時々の環境によって演奏の充実度や、曲の解釈も変わることがあるのだろう。いろんな巡り合わせで栄枯盛衰が決まって行く。有名だから幸せとは限らず、成功しているからと言って本人が納得しているとも限らない。今日の演奏を聴いて、この指揮者の過去の栄光や、きっと続けていたであろう地道な努力といったものを少し考えてしまった。フィンランドで最も権威のあるオケは、当然首都に所在するヘルシンキ・フィルであろう。実は、シベリウスの 7曲の交響曲中 6曲をこのオケが初演している。ヘルシンキ・フィルは文字通りフィンランドの No. 1 オケである。カラヤンの名を冠した権威あるコンクールで優勝し、世界一のベルリン・フィルと録音もし、フィンランド一のオケの首席指揮者であった (ついでに、もともとはそのオケの楽員でもあった) 人が、60代も後半になって、かつて後輩指揮者が訓練して有名になった小都市の「新興」オケの首席指揮者に就任したということは、人によっては都落ちと見るかもしれない事態だ。フィンランド人のメンタリティーはよく分からないし、就任の経緯も知らないが、プライドが高い指揮者なら嫌がるかもしれないポストだ。だが、そこで最大限の結果を出せば、指揮者にとってもオケにとっても、大変結構なことであって、今回の演奏はまさに余計な雑音や好奇心を忘れさせてくれるものであった。

今回演奏されたシベリウスの交響曲は、以下の 3曲。
 交響曲第 5番変ホ長調作品82
 交響曲第 6番ニ短調作品104
 交響曲第 7番ハ長調作品105

演奏開始前にステージを見ると、これらの交響曲で使用されないはずの、ティンパニ以外の打楽器、具体的には、大太鼓、タンバリン、シンバル、トライアングルがあって。はっはぁこれはアンコール用だなと思ったのだが、タンバリンはともかく、シンバルやトライアングルを使ったシベリウスの作品と言えば、ま、まさか、あの曲か??? 私の予感が当たったか否かについては、また後で。

シベリウスの作風は、初期のロマン派風で平明なものから、徐々に抽象的で凝縮されたものに移って行った。まさに、先に見たモネの画風のようなものだ。実は人生の最後の 30年くらいは一切作品を発表しなかった彼であるが、その沈黙の真意は分からぬものの、交響曲に関して言えば、ある意味では究極のところにまで至ってしまって筆を折ったとも思われる。従ってこれら、最後の 3曲の交響曲は、シベリウス芸術の精華なのである。だが、それはマーラーの晩年のような、人生への惜別という痛々しい様相を呈するのではなく、フィンランドの美しい自然、その神秘的な森と湖のイメージを散りばめたような、繊細で夢幻的な曲になっている。今日の演奏では、5番の冒頭のホルンから、7番の最後で弦が中空に消えて行くまで、まさに音楽の美ということ以外、いかなる雑念も入らない絶美の世界が現出した。音が正確だとか、テンポが適正だとかいう次元ではなく、なんというか、楽譜に書かれた特殊な言語を、もともとその言葉の秘密を知っている人たちが目と目を合わせて、呼吸だけでコミュニケーションを取って、ともに語り続けるような、そんな感じ。あぁこの音はこんな風に鳴るのかと瞠目した瞬間が何度あったことか!! こうして書いていても、言葉の無力を感じる。ラハティ交響楽団、以前のヴァンスカ時代よりもさらに進化しているし、これだけのシベリウス演奏は、世界的に見ても、未だかつてそれほどなされていないだろう。カムは椅子に座っての指揮であったが、丁寧に楽譜を繰りながら、大げさな身振りなく、オケと呼吸を合わせていた。誠に稀有の名演であった。

そして、アンコールが 3曲演奏された。いずれもシベリウスの作品で、まずは、「アンダンテ・フェスティーヴォ」。弦楽合奏が祝祭的でたおやかな演奏を聴かせ、最後に少しティンパニが入る。私にとっては懐かしい曲で、それは、シベリウス自身の指揮の録音を FM からエアチェックしてよく聴いていたからである。2曲目は、「ある情景のための音楽」。ここでタンバリンが登場した。さて、そして 3曲目、私の予感が的中した。シベリウスの若い頃の作品ながら、最もよく知られた曲、「フィンランディア」である。この日初めてカムが暗譜で振る。久しぶりにコンサートで鳥肌が立ちまくった。金管の分厚さも申し分なく、かといって鈍重にはならない。シンバルもトライアングルも、きっちり鳴っている (笑)。弦楽器は、なめらかというよりも、何か中身のしっかり詰まったような音だ。そうだ、これは、木を叩いたような音だ。シルクとか黄金に例えられる弦楽セクションを持つオケはあると思うが、木に例えられるオケとは、フィンランドならではだろう。IKEA の家具か。おっとあれはスウェーデンですな (笑)。ともあれ、この通俗名曲を聴いてこんなに感動したことはない。有名な祈りのようなメロディでは、奏者たちがハミングしているのかと思ったが、そうではない。森にハミングがこだましているような音を、弦楽器が出していたのだ!!

大歓声の中、ふと思い出したことがある。音楽誌のインタビューであったろうか。このオッコ・カムが、「シベリウス以外でお好きな作曲家は?」と訊かれて、「おや、私がいつシベリウスのことを好きだと言いましたか?」と返していたのを読んだことがある。それは、フィンランド人であればなんでもかんでもシベリウスに結び付け、世界のどこに行ってもシベリウスを演奏させられることへのささやかな反抗と皮肉であったのであろう。私もそれはよく理解できて、フィンランドのオケがドイツ物やフランス物を演奏するのを聴いてみたい。いわゆるお国もの偏重はおかしいと思う。だが。だがである。今回のような特別な演奏を聴くと、音楽の根底に位置する、理屈ではない国民性のようなものは、やはり存在するのだなと思った次第。なので、これはこれで、本当に貴重な機会であった。であるがゆえに一層、あれだけの音が出せるオケなら、次回の来日ではドビュッシーかラヴェルなど聴いてみたいものだ。尚、帰宅してから調べて分かったことには、今回の 3回の演奏会では、それぞれ日によって違うアンコール曲が、毎回 3曲ずつ演奏された模様。いやいや、オケの方々、お疲れさまでした。

今日もまた終演後にサイン会があるというので、このコンビによるシベリウス全集を購入し、サインをもらった。これだけのレヴェルの生演奏を聴くと、CD を聴くのがちょっと怖いような。
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このような演奏を作曲者が聴いたら、驚くとともに喜ぶだろうなと思う。彼が早い時期に筆を折った事情について興味があるのだが、よく知らない。なんとなく私の中にイメージがあるのであるが、まずは世の中に出ている本で、機会があれば調べてみようと思う。というわけで、今回は老年のシベリウスの写真でお別れです。
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# by yokohama7474 | 2015-11-30 01:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

オスモ・ヴァンスカ指揮 読売日本交響楽団 (ヴァイオリン : エリナ・ヴァハラ) 2015年11月29日 東京芸術劇場

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以前、ピエタリ・インキネン指揮の日フィルの記事で触れたが、今年はフィンランドの国民的作曲家、ジャン・シベリウス (1865 - 1957) の生誕 150年である。これを受けて東京で活発にシベリウスの演奏があちこちで行われたかというと、実は今年の前半から半ばまではそのようなことになったというイメージがない。だが秋のシーズンに至り、全 7曲の交響曲のチクルス演奏が 2回開催され (ひとつはまだ進行中)、それに加えてこの読響の演奏会と、一気に百花繚乱状態。指揮はいずれもフィンランド人指揮者で、世代を異にする彼ら指揮者のこの三つ巴は大変に興味深い。まずチクルスのひとつは、ハンヌ・リントゥ (1967年生まれ) と新日本フィル、フィンランド放送響の分担。もうひとつは、オッコ・カム (1946年生まれ) 指揮のラハティ交響楽団。リントゥ指揮の演奏会はひとつも聴いていないのでなんとも論評しかねるが、カムとラハティは明日出掛けるので、追って記事にすることになろう。

さて、もうひとりのフィンランド人指揮者、オスモ・ヴァンスカ (1953年生まれ) は読響を指揮して、シベリウスの 7曲の交響曲のうち、3番と 4番を除く 5曲を演奏する。上のポスターでの曲目には 2番が含まれていないが、その曲は既に 11月20・21日に演奏済だ。もう一度この 3人のフィンランド指揮者を生年順に整理しよう。
 オッコ・カム (1946年生まれ) : 1971 - 1977 にフィンランド放送響の音楽監督。2011年より現在までラハティ響の首席指揮者
 オスモ・ヴァンスカ (1953年生まれ) : 1988 - 2008 にラハティ響の首席指揮者
 ハンヌ・リントゥ (1967年生まれ) : 2013年からフィンランド放送響の音楽監督
なんのことはない、2つのオケのポストは、これらの指揮者の間でぐるぐる回っているのだ (笑)。

と書いてから、慌てて訂正しよう。フィンランドは彼ら以外にも多々名指揮者を出している国 (現存者だけでも、セーゲルスタム、サロネン、サラステ、オラモ、マルッキ等々) で、それぞれの個性があるが、今回再確認したことには、このヴァンスカはその中でも、これから巨匠の域に入って行くことは確実だ。素晴らしい指揮者だとは知っていたが、なお進化を続けている。これからも彼のコンサートには可能な限り出掛けたい。
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こういう言い方をしてみようか。クラシックを聴かない人はよく、指揮者が何をやっているのか分からないとおっしゃる。そのような人には、このヴァンスカの演奏を聴いてみて頂きたい。この身ぶりからこんな音が出るのか、ここではこういう表情を強調したいのか、ここのテンポはこのように指示されるのか。そう言ったことが彼の指揮からは大変明瞭に伝わってくるのだ。また、その長身の立ち姿がなんともよい。音楽を体の中に貯めて、オケに対して解き放つような、そんな印象だ。ちゃんと指揮棒を持ち、ヴァイオリンの左右対抗配置も取らない。流行とは関係ないところで、音楽の本質に肉迫することのできる稀有な指揮者である。この人、上記にも名前が出てくる (私が明日、カムの指揮で聴きに行く) フィンランドの地方都市のオケ、ラハティ交響楽団を一躍世界の檜舞台に押し上げた名トレーナーであり、その後も大植英次の後任として名門ミネソタ管弦楽団を最近まで率いていた。読響でも、ベートーヴェンとかニールセンのシリーズをかつて手がけ、いずれも素晴らしかったのである。このオケには今回、3年ぶりの登場。

上記の通り、曲目はすべてシベリウス。

 カレリア組曲作品11
 ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47 (ヴァイオリン : エリナ・ヴァハラ)
 交響曲第 1番ホ短調作品39

最初の 2曲は、聴いてみると意外に構成上の共通点が多い。いずれも 3つの部分または楽章からなり、開始部は森の雰囲気、中間部は静かで緩やか、最後は行進曲調だ。ヴァンスカの指揮は実に効果的にオケのパートごとの強い音を引き出し、見事の一言だ。ソリストのヴァハラは聞きなれない名前で、もしかしたら室内楽はともかく、ソリストとしては初来日かもしれないが、ヴァンスカの秘蔵っ子のような存在らしい。
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フィンランド人で、母国シベリウスのコンチェルトを弾きますというと、あたかも 1発屋であるかのように思うが、なんのなんの、その歌い回しの細かいニュアンスといい、安定した技術といい、世界クラスの音楽家であることは間違いない。アンコールには「ドウモアリガトウゴザイマス」と挨拶してからバッハのサラバンドを演奏したが、これも気品あふれる名演奏であった。ブラームスあたりも素晴らしく弾くに違いない。

メインの交響曲 1番は、テンポは速めであったが、音響のまとめ方が実に堂に入っており、読響が気持ちよさそうに演奏しているのが伝わってきた。冒頭のクラリネットソロや、結構活躍するティンパニ、いざというところで厚く鳴り響く金管も、目立ち過ぎずにしかも充分な表現力だ。ヴァンスカと読響の相性は非常によいと思う。来週はシベリウス・シリーズの第 2弾で、5番・6番・7番という技術的にも難易度の高い 3曲だ。今から大変楽しみだが、読響はこの指揮者とさらに活動を広げるべきだ。場合によっては、現常任指揮者カンブルランの後釜をお願いするというのはどうでしょうか!! そのためには、できればマーラーとかブルックナーのような大曲をヴァンスカの指揮で聴いてみたいものだ。読響の方、もしご覧になっていれば、よろしくお願いします。シベリウスも賛成してくれよう。
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# by yokohama7474 | 2015-11-29 00:20 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展 東京都美術館

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振り返ってみるとこのブログで美術についての記事を書くときに、なぜか日本美術を採り上げることが多いように思う。このブログの趣旨は、東京を中心とする日本でその時々に開かれている文化イヴェントを紹介することにあるので、日本美術の記事が多いということは、たまたま日本美術の展覧会をよく見ているということだ。いかなる文化のジャンルであれ、展覧会やコンサートや劇場上映を離れ、過去の名匠巨匠を採り上げて私なりの独断と偏見で論じてみるのも、まあできないことではないものの、残念ながら時間がありません (笑)。そんな中、ようやくというべきか、王道と呼べる美術展を見てきたので、今回はそれを採り上げよう。印象派を代表する画家、クロード・モネ (1840 - 1926) の展覧会である。

もちろん私はモネのことを嫌いではない。それどころか、「へぇー、美しいねぇ」と思うことも当然ながら多い。しかしながら、では例えば、パリに出掛けた際にジヴェルニーまで足を延ばして彼の旧居を見たことがあるかというと、否である。南仏のシュヴァルの理想宮とか、ノストラダムスの旧居なんかには嬉々として出かけているのに、ジヴェルニーに行ったことがないとは何事か、と正当派美術ファンに怒られるかもしれない。それに対する私の答えは、「だって私ごときが行かなくてもそこには既に多くの観光客が行っているから、いいじゃないですか」というもの。一言で言うと私は混雑が大嫌いで、その性向はしばしば、「皆が好きなもの」にあえてソッポを向くというひねくれた態度となって結実する。あ、但し、エクス・アン・プロヴァンスのセザンヌゆかりの場所には行きましたよ。それは私が、この画家を近代絵画の神と崇めているからだ。ということは、私はモネには同様の尊敬の念を持っていないということか? だとすると、そのことに誤りはないか。今回のような大規模な展覧会によって、既によく知っているつもりの画家についても何か発見が期待される。さて、この展覧会、いかがだっただろうか。

展覧会名にある通り、パリにあるマルモッタン美術館のモネ・コレクションによる展覧会だ。世界最大のモネ・コレクションを持つ美術館だが、正式名称が、マルモッタン・「モネ」・美術館だとは知らなかった。このコレクションはモネの遺族から贈与されたものであるゆえ、その正当性と作品の質という点で、確かにモネに関しては世界一の内容であることは間違いない。今回も、いくつも有名な作品が来ているが、上のポスターにある通り、以下の 2作が目玉になろう。まず、1874年の第 1回印象派展 (このときはその名前の展覧会ではなかったが) に出品され、「印象派」という名称のもととなった、「印象、日の出」という作品。
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それから、1877年の作、「ヨーロッパ橋、サン・ラザール駅」。
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この展覧会は 9月19日から始まっており、会期は12月13日までと 3ヶ月近くあるため、途中で展示替えがあって、「印象、日の出」は既に展示期間は終わっている。もっともこの展覧会は東京のあと、福岡、京都、新潟を巡回するので、より混雑の少ない環境で改めて鑑賞するという作戦も有効かもしれない。ただ、上のポスターには、「『印象、日の出』、21年ぶりの東京」とあるので、ピンと来て調べてみると、1994年秋に国立西洋美術館で開かれた「1874年 パリ [第 1回印象派展] とその時代」展に出展されていて、ちゃんと図録にも載っているので、私はその時に見ているはずだ。へー、つい最近だと思っていたけど、もう 21年も経っているのか・・・。

ともあれ、これらの印象派を代表する絵について、私がここでとやかく講釈する必要はあるまい。ひとつ言えるのは、「印象、日の出」は、水や空や太陽という自然と、あまり時代と関係のない手漕ぎの舟という要素によってできているので、人間の力も自然の一部として、外部から人の目に入ってくる情景を Impression として表現している柔らかい絵であるのに対し、「サン・ラザール駅」の方は、鉄道という近代の産物がもうもうと蒸気を上げているという、当時の Contemporary な情景を力強く描いているという違いがある。一言で印象派とくくってしまうと、画家たちが描こうとした情景の多様性を単純化しすぎるような気がする。

さて、このような大規模な回顧展のよいところは、代表作だけではなく、その画歴を辿ることで、その画家のメンタリティや発想の根源に関する理解が深まるところだ。モネというと、上記の作品や睡蓮の連作によって、もっぱら風景画家というイメージがあるが、実は家族の肖像なども描いているのだ。今回の展覧会には出ていないが、有名なボストン美術館の「ラ・ジャポネーズ」(先般ジャポニズム展で日本にもやってきた) のモデルとなっている最初の妻カミーユはまた、若くして亡くなっていて、その死の床の様子を生々しく描いた作品もあり、妻の肖像ひとつとっても、喜ばしいもの悲痛なもの、様々の顔を見せるモネである。相当に家族を愛していた人であるようだ。以下は 2枚ともカミーユとの間の子供の肖像画で、左が長男ジャン、右が次男ミシェルだ。
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また、今回初めて知ったことには、もともと彼は若い頃、生地ル・アーヴルでカリカチュアを描いて近隣で評判となり、結構な金稼ぎまでしていたらしい。そこで得た世間の評価が、若いモネをして絵画の道に進む決心をさせたものであるようだ。以下、18歳のときに描いた劇作家と、20歳のとき (既に絵を学ぶためにパリに出てきていた) に描いた俳優のカリカチュア。これがあのモネの手になるものだとは、全く驚きだ。だが、このようなユーモアのセンスは、終生残らないわけがない。
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これらのカリカチュアを見て、「あなたに才能があることはすぐ分かる。しかし、ここに留まらないことを期待する。見ること、そして色彩で描くことを学びなさい。デッサンをしなさい。そして風景画を描きなさい」とアドバイスをした画家がいる。モネの師のひとりとなるウジェーヌ・ブーダンである。私がこの画家の名前を知っているのは、しばらく前に渋谷の Bunkamura で、「ブーダンとオンフルールの画家たち」展を見たからだ。ブーダン自身の絵は少し線が細い感じがするが、屋外の風景を描いて印象派のひとつの源泉となった。ええっと、今その展覧会の図録を引っ張り出してきて見ているが、1996年開催とある。うーむ。ついこの間だと思ったのだが・・・。いずれにせよ、そのブーダンの助言を入れてモネの描いた初期の油絵がこれだ。1862-63年、モネ 22-23年の「女性の頭部」。まだここには、後年の驚くべき風景画家の片鱗は見えないように思う。
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いかなる天才も、先人たちの影響なしには新たな芸術の地平を拓くことはできない。この展覧会には、モネが所蔵していたあれこれの絵画・彫刻作品も展示されている。直接の接点があったかなかったかに関わらず、モネがいかなる芸術を身近に感じているかを知ることは興味深い。師のブーダンや、仲間であった同世代のルノワールとともに、フランスロマン主義の巨星、ドラクロワの作品があるのが面白い。ロマン主義と印象派には、なんらかの水脈があると思うのだが、以下の虎の絵はともかく、海の情景などには、モネの先駆的な要素を見て取ることは容易だろう。
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それから、23歳年下の後輩にあたるシニャックの水彩なども本当に美しいのだが、新印象派と呼ばれることになる後進の感性を、モネはどのように見ていたものであろうか。
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モネがジヴェルニーに邸宅と庭を購入したのは 1890年、50歳の年であったが、それまでには素晴らしい色彩を作りだす手腕を身に着けるとともに、同じ対象でも違う時間帯や違う光の当たり方による様々なモチーフを試すのを常にしていたらしい。以下は 1885年の作品だが、印象派誕生の頃より 10年を経て、より鮮烈なイメージを追い求めているように思われる。
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これは1889年、ジヴェルニー前夜。何やら色彩の密度が増してきたように思われる。
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モネが目に異常を感じ始めたのは 1908年、68歳の頃からだと言われている。その前後から睡蓮の連作に取り組むが、1912年には白内障と診断される。彼はその後もさらに 14年間生き続け、最後まで活発な活動を続ける。ここで私が興味深く感じるのは、視覚に衰えが出てから、彼の絵は一層色彩豊かとなり、色と形の境界さえあやふやになってくることだ。これは 1917 - 19年に描かれた睡蓮。ここでは余白も意図的に残され、あとは色が左右に、また上下にたゆたうばかり。決して情念的ではないが、既に視覚による Impression を超えた世界に入っていることは明らかだ。
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最晩年の作品を見てみよう。以下の 2点はいずれも、1918年から 24年に亘って、白内障の手術による中断を経て描かれた「日本の橋」。彼が何度も描いたジヴェルニーの自宅の庭にある日本風の橋なのだが、さて、色彩の重なりの多寡はあれ、これを風景画としてよいものか。ことによると、抽象画と言った方が説得力があるのではないか。ここまで来ると、Impressionism の対極にあるはずの Expressionism、すなわち表現主義に接近していると言ってもよいだろう。
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ここで私が思い出すのは、モネとはある種全く正反対のタイプの画家、少し年長のギュスタヴ・モローも、晩年は色彩の実験を繰り返し、死後のアトリエからは、ほとんど抽象画と呼ぶべき作品が多く見つかったことだ。彼らの生きた時代は、ヨーロッパが戦争に明け暮れ、そして世界大戦に入って行き、どの国も大きく傷つくという時代。モネもモローも、政治的なメッセージを作品に託すタイプではなく、芸術至上主義と言えるであろうが、晩年に向かって行った世界には驚くほど共通点がある。彼らが見たかった美しい世界は、もはや彼らの内面にしかなかったということか。そうなると、印象派 = Impressionism という言葉の空虚さに思い至る。画家にレッテルを貼って都合よく分類するのはもうやめにしないか。モネの芸術に少しでも迫るなら、印象派などという言葉は邪魔なだけではないか。

この展覧会の最後の部屋には、これら最晩年の作品とともに、モネの遺品が展示されている。パレットやパイプはともかく、この眼鏡が面白い。1923年、死の 3年前にモネは右目の水晶体を取り除く手術を行い、術後には右目だけ青が強く見えるようになり、それを矯正する特殊な眼鏡をかけたらしいのだ。これだけ鋭敏な色彩感覚を持った人がその色彩のバランスを失い、結果として上のような最晩年の作品が生まれたとは、なんとも興味深い。彼の目にはこの色彩がどのように見えていたか、彼にしか分からず、またこの作品を見る現代の我々にとっても、人によって見え方が違うことだろう。
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混雑した会場から出てほっとすると同時に、展示作品を思い返してみて、いかに有名な大画家であっても、その画業を辿ることで新たな発見があるものだと実感した。便利なイメージ以外の画家の本質に、これからも注目して行きたい。あ、印象派の客観的な評価モネ。

# by yokohama7474 | 2015-11-28 22:54 | 美術・旅行 | Comments(5)  

バトルフィールド (演出 : ピーター・ブルック) 2015年11月27日 新国立劇場中劇場

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このブログでは、度々 30年近く前の私自身の経験や、それに関する書類などが出てくるので、「コイツは一体何なんだ」と思われる方もいらっしゃるものと思う。まあそのような疑問に長々と答えるよりも、シンプルに、文化に関する趣味を続けるには 30年は別に長い時間ではないし、知れば知るほどに自分の無知を知るのだということを申し上げておきたいと思う。なぜに今回こんな話で始めるかというと、今回鑑賞したこの芝居こそ、私の 30年間に亘る悔しさを癒してくれるものであったからだ。あるいは、30年なんて短いものだと思わせてくれるものと言ってもよい。

ピーター・ブルック。今年 90歳の世界的演出家だ。
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前回の記事では 91歳の指揮者、サー・ネヴィル・マリナーを採り上げ、残念ながら来日中止になった 92歳のピアニスト、メナヘム・プレスラーに触れた。また最近の報道では、9月 5日に伝説の女優、原 節子が 95歳で死去していたことが明らかになった (9・5 に 95 で逝去という偶然。もっとも、60歳の誕生日、すなわち還暦の日に逝った小津 安二郎ほどのインパクトはないが)。90代の芸術家たちそれぞれの生きざま、死にざまを考えることは誠に興味深いが、この世界的演出家の新作は、つい先だって、9月にパリで世界初演されたばかりの舞台の世界ツアーの一環であり、新国立劇場の中劇場で、11月25日 (水) から 29日 (日) まで 6公演が開かれる。これは、ブルックの演出としては日本では最も有名な「マハーバーラタ」(あの有名な古代インドの叙事詩に基づくもの) の続編をなすもので、上記のチラシにも、「あの伝説の舞台から 30年、現代演劇界の巨匠 ピーター・ブルックがふたたび『マハーバーラタ』に挑む」とある。これは一体どういうことか。

今を去ること 30年。1985年、バブルに向かう好景気の日本には、様々な文化的イヴェントが溢れていた。文化面でのひとつの中心はセゾングループで、映画館シネ・ヴィヴァン六本木や CD ショップ WAVE に、芸術書を揃えた書店 アール・ヴィヴァン、また、クリムトの「接吻」を含むウィーン世紀末の大々的展覧会をはじめとして意欲的な企画が目白押しであったセゾン美術館、そして演劇では、パルコ劇場やホテル西洋銀座にあった銀座セゾン劇場など、まさに東京の文化の牽引役であったのだ。その銀座セゾン劇場で、当時から巨匠演出家と言われたピーター・ブルックが、あの「マハーバーラタ」を上演する、しかも、休憩を入れて 9時間にも及ぶ超大作であると知って、絶対に行きたいと思ったのだ。その際にもうひとつ決め手となったことがあって、それは、脚本をあのジャン・クロード・カリエールが書いていることであった。「あの」と言っても知らない人の方が多いとは思うが、スペインのシュールレアリズム映画監督ルイス・ブニュエルの代表作の数々 (「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」とか「欲望のあいまいな対象」とか) の脚本を書いた作家である。当時からブニュエルに強く心酔していた私としては、このことはまさに、この芝居を観なければならない決定的な要因であった。ところが、チケットが取れない!! 当時はインターネットはないので、人気公演は、発売日にダイヤル式の電話で何時間もトライして、ようやくつながったときに売り切れであれば、もうあきらめるしかなかったのだ。ネットオークションも掲示板もなかったのだ (それでも、コンサートの場合は音楽誌に載る「譲ります」コーナーという最後のよりどころはあったが)。この公演もそのような事態に陥り、絶望していたところ、なんという幸運か、学生席は当日発売で、必ず一定数あるというではないか!! そこで私はカリエールが書いたこの芝居の脚本 (もちろん今でも手元にある) を読んでバッチリ予習し、ある日の朝早く、開演時間の何時間も前に、いそいそと劇場に向かったのであるが、そこで発見したのは、徹夜で並んで学生券を求める人々の姿!! 結局そんなわけで、時既に遅し。この芝居を観ることはできずに涙をのんだのである。

その後ピーター・ブルックの演出は、1991年に同じ銀座セゾン劇場でシェイクスピアの「テンペスト」を観ることができ、その簡素な舞台に大変感動した記憶がある。ミランダ役は、その後映画でも活躍した (その頃はまだ文字通りフランス人形のように可愛らしかった) ロマーヌ・ボーランジェ、キャリバンは、フォルカー・シュレンドルフの名作「ブリキの太鼓」で主役の少年を演じたダヴィッド・ベネントであった。

そんなわけで、今回、ピーター・ブルックが 90歳で健在だということも分かり、30年ぶりの「マハーバーラタ」の続編 (しかも脚本には今回もジャン・クロード・カリエールも参加) ということで、気合を入れて見に行くことになったのであるが、今回の上演時間は、なんとわずかに 70分!! これは老巨匠の枯淡の境地であるのだろうか。あらすじとして紹介されている文章を転用しよう。

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バラタ家の一族は 2つの勢力に引き裂かれた。
それは 5人兄弟がいるバンダヴァ家と、
ドリタラーシュトラ王の百人の王子がいるカウラヴァ家であった。
どちらも恐ろしい手段を使って戦いを繰り広げ、
ついにバンダヴァ側の勝利で終わった。

戦場となった大地は、何百万もの屍体で覆われていた。
バンダヴァの長兄ユディシュティラは、大量殺戮によって勝者となったものの、
悔恨や罪悪感に苛まれていた・・・。「この勝利は敗北だ」と。
そして、過去の行為に疑問を持ち、自らの責任を解き明かそうとする・・・。

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なるほど、前作の激しい戦闘のあとの世界を描いているわけだ。舞台はこのように質素なもの。
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登場する役者は、男性 3名女性 1名の計 4名。使用言語は英語。そこに、昔からブルックの芝居で音楽を担当する土取 利行 (つちとり としゆき) が、ジャンベという太鼓をひとりで叩いて伴奏するのだ。プログラム (今回の公演用に特別に編集された内容満載の本) に掲載されている役者の写真、それから、ジャンベとはどういう太鼓かというイメージは以下の通り。
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登場人物たちはそれぞれに役柄があるのだが、見ているうちにそれはどうでもよくなってくる。というのも、これは恐らく原典の「マハーバーラタ」に含まれているのであろうか、あれこれの逸話、説話を役者たちが再現するシーンが続いていくからで、誰が誰を演じているのか分からない入れ子構造が次第に明らかになって行くからだ。役者たちは、決して普通の意味で演技力があるという感じもせず、終末観溢れるセリフ、あるいは残虐なシーンを述べるセリフであっても、淡々としたものだ。ただ時折、感情の爆発や激しい動きがないではない。そのような局面で芝居の流れをリードするのは、必ず土取のジャンベであるのだ。古代の神話の世界を扱った演劇で、しかしその世界を操る神のような存在はたったひとつの太鼓であると思われてくる。もともとジャズ奏者の土取は、既に 40年近くブルックの劇団とともに活動しており、1985年の「マハーバーラタ」と今回の「バトルフィールド」の両方に出演している唯一の人物だ。
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70分という短い上演時間であるにもかかわらず、ストーリーが抽象的であるせいか、結構長く感じる。役者たちの簡素な動きの中に、美しいバランスが形成され、見ていてなんとも清澄な気分になる。その一方で、結構笑いを取るシーンや観客を巻き込むシーンもあって、簡素な意外性が観客を飽きさせないのだ。
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そして最後、4名の役者たちはこのように集まって座り、世界を操る神たるジャンベ奏者、土取の方を見る。そうして激しくまた情緒豊かに鳴り響くジャンベの演奏で、全編が終了する。
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この作品を、人類永遠のテーマである平和の尊さであると素朴に決めつけてしまうのは避けたい。ここで描かれているのは、殺戮のあとの世界、単純化してしまった世界の中で、人間だけではなくあらゆる生命がその役割を持っているということではないだろうか。人間同士の戦いの良し悪しというよりももっと高い次元の話だと感じた。そして、それゆえにこの芝居は単純なのだ。すべて偉大なるものは単純である。

上述の通り、劇場で売られている特製プログラムには、様々な関連情報満載だが、せっかくなので、ピーター・ブルック自身の言葉を引いておこう。高齢のために今回、さすがに来日はしていないが、現地パリでの最新インタビューを読むことができるのは嬉しい。

QUOTE

(聞き手の、「あなたの仕事はシンプルだと形容されますね」という問いかけに対し)
私にとってレッテルを貼るというのは、何かを固定してしまうということです。私は人生すべてが動きであると思う。動きには、ゆっくりしたものも素早いものもありますが、すべて音楽のようでしょう。何の動きもない音楽など考えられないし、あるとすれば無音ですよね。音がたった一つだけある瞬間があるとすれば、それはもう音ではない。音とは、何かその前にあるもの、その後にあるものとの間で活かされるものなのです。レッテルを貼るということは、飛び回っている蝶々をつかまえてピンで留めようとするものです。蝶々は死んでしまう。私にとってこれはとても大事なことなのですが、「シンプリシティ」(注 : 単純さ) という言葉を頻繁に耳にし過ぎる。若い人たち、若い演出家たちが、それで「ああ、ピーターのメソッドがわかったぞ!」と思ってしまうのは、とても困ったことだと思います。私は 60年間、70年間を経てこの地点に辿り着いたわけですが、最初の頃は混沌としていましたよ。人生の楽しみ、苦しみ、何もかもを味わいました。ありとあらゆる料理も食べましたし、重い食事、ドイツ料理、日本食、何でも。ほんの少しずつ、自分自身で理解するために。ですから他の人には自分の道筋を通ってほしい。私にとって少なくとも 60年間、あるいはそれ以上の時間がかかったように。

UNQUOTE

うーん。簡単に単純化云々と書いてしまったが、その単純化できる境地に達するまでに、長い時間と人生経験を要した結果であって、誰でも真似できるものではないということだろう。芸術分野でなくとも、我々が生きて行く上で経験するあらゆる分野についてあてはまる、含蓄深い言葉だと思う。あ、それから、30年前に見ることができなかった芝居の敵討ち (?) をしたからと言って喜ぶのはまだ早い。その倍、60年かけて初めて物事が見えてくると、ブルックは語っているのだから (笑)。まだまだ修行が足りません。

さて最後に、とっておきの本をお奨めしておこう。この記事で何度も名前を出した脚本家、ジャン・クロード・カリエールが、あの「薔薇の名前」の原作者ウンベルコ・エーコと対談した、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」という本だ。もちろんこの本は、今のところ (発行された 2010年時点では) 紙の書物だが、もしかしたら今では電子書籍で読めるかもしれない (笑)。まあしかし、真の知性同士の驚くべき対話に、ページを繰るごとに気持ちが高揚するという経験は、電子書籍でも味わえるものなのだろうか。いずれにせよ、ピーター・ブルックの芝居でも観ようという知性と感性の持ち主の方には、人生における必読の書として強く推薦しておこう。
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# by yokohama7474 | 2015-11-28 03:01 | 演劇 | Comments(0)  

ネヴィル・マリナー指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : ゲルハルト・オピッツ) 2015年11月26日 サントリーホール

183歳。なんの数字だかお分かりであろうか。答えは、もともとこの日に共演が予定されていた指揮者とピアニストの年齢の合計だ。むむ、指揮者は 1人だろうから、ピアニストは 2人なのか? そうでないと、数字が大きすぎる。いえいえ、そうではない。指揮者も 1人、ピアニストも 1人。今年 91歳のサー・ネヴィル・マリナーと、92歳のメナヘム・プレスラーとの驚くべき初共演が、ここ東京で予定されていたのだ。残念ながら数週間前にプレスラーの体調不良による来日中止が決定。この日の N 響定期は独奏者を替えて開かれたが、11月28日 (土) に予定されていたリサイタルは中止となった。チケットを買っていた私はその払い戻し金 8,000円を、1回分の飲み代に充てるということに相成ったわけだが、コンサートを聴けなかったのは大変残念だ。さすがにこれだけの高齢だと、頻繁な来日を期待するのは酷かもしれないが、できれば改めて来日して、その滋味深い音楽を聴かせて欲しい。

この日の指揮者、サー・ネヴィル・マリナーは、クラシック・ファンなら知らぬ者はいないであろう有名な存在である。
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もともとロンドンのフィルハーモニア管弦楽団やロンドン交響楽団で第 2ヴァイオリンのトップを弾いていたが、1959年にアカデミー室内管弦楽団 (The Academy of St.-Martin-in-the-Fields) を結成してその指揮者となる。その後、ミネソタ管弦楽団やシュトゥットガルト放送交響楽団などの名門オケ (編成の小さい室内管弦楽団ではなく通常サイズのオーケストラ) を率いるが、アカデミー室内管との活動はその後も継続しており、やはりマリナーと言えばアカデミーという印象が強い。一般の方々でも接点があるとすると、やはり映画「アマデウス」のサントラが、このマリナーとアカデミーのオリジナル演奏であったということではないだろうか。このマリナー、既にサーの称号も得て充分な実績を残しており、その長いキャリアを通して実に膨大なレパートリーを録音してきた。1980年代初頭、未だカラヤンの新譜が続々と出ていた頃に、実はカラヤンよりもマリナーの方が年間の録音点数が多いという記事を見た記憶がある。調べたわけではないが、もしかすると、指揮者として最も多くの録音をして来た人かもしれない。少なくとも、歴史上最も多くの録音をしてきた指揮者のひとりということは間違いない。レコーディング歴の最初の頃の写真はこんな感じ。当時既に 40前後だろうか、決して非常に若い年齢ではないが、なかなかにダンディだ。
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そのマリナーが初めて N 響の指揮台に登場したのは 1979年であったが、その後はしばらく時間が空いたものの、2007年に再び指揮して以来、2010年、2014年に続いて今回ということになる。曲目は以下の通り。

 モーツァルト : ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491 (ピアノ : ゲルハルト・オピッツ)
 ブラームス : 交響曲第 4番ホ短調作品98

実は、もともとプレスラーが弾くはずであったのは同じモーツァルトのピアノ協奏曲でも、17番であったが、代役のオピッツは 24番を弾くこととなった。
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東京というところはすごい街で、プレスラーが来日中止になっても、オピッツのような一流ピアニストがもともと来日中で、平然と 2回のコンサートの代役を務めることができるとは!! これで指揮者とピアニストの年齢の合計は 153。ということはええっと、オピッツは 62歳か (って、分かっていてマリナーの年と足し算しているくせ 笑)。逆さにしても顔になる絵のひげのオジサンのようだと茶化してはいけません。ドイツを代表するピアニストで、以前 NHK ではピアノの教育番組シリーズも持っていたはずだ。この人、ドイツ人だけあって、ベートーヴェンをはじめとするドイツ物に定評があるのだ。私は以前この人の弾く、あろうことかバルトークのコンチェルトを聴いたことがあるが、残念ながら客席からブーの出る、東京では珍しくもかわいそうな事態となってしまったのを目撃して、次は是非ドイツ物を聴きたいと思っていたのだ。もしモーツァルトをドイツ物と言うならの話だが・・・。というのもこの日の演奏、またまた残念なことに、つい1ヶ月半ほど前に聴いて未だに耳に残っているペライアとハイティンクの演奏と同じ曲であったために、正直なところ、あまり印象に残らないものになってしまった。オピッツのタッチは大変きれいなのだが、全体の音楽の流れが平板に聴こえてしまった。24番という短調の曲では、もう少し研ぎ澄まされた感覚が欲しい。音楽を聴くにもめぐり合わせというものがあって、私にとってオピッツはあまりめぐり合わせのよいピアニストではないのかもしれない。だが、アンコールに弾いたシューベルトの 3つのピアノ曲D.946の第 1曲には、遅いテンポでの壮絶な孤独が感じられ、彼の本領を垣間見た気がした。この作品はシューベルト晩年の曲で、彼らしい歌はあるのだが、ちょっと大げさに言えば、地球の終わりにひとりで歌う歌という感じがあって、大変に孤独な作品なのだ。シューベルトはピアノ協奏曲は書いていないので、今度オピッツを聴くときは、ドイツ物のリサイタルにしよう。

さて後半のブラームス。天下の名曲を老巨匠の手で聴くとどうなるか。結果は、残念ながらこれまた平板な印象。ここで私は改めて気づく。前半のコンチェルトも、ことによると指揮の平板さが関係していたのではないか。ここで白状すると、私は最近でこそマリナーの演奏会があればなるべく聴くようにしている。何を隠そう、ニューヨーク在住中にも、カーネギーホールとかエイヴリー・フィッシャー・ホールというマンハッタン内のメジャーなホールでなく、ハドソン川を渡ったニュージャージー州でしか彼のコンサートがないと知ると、わざわざ車で出かけて行ったものだ。だが、彼の膨大な録音を聴いて血沸き肉躍るという経験は、ほとんどしたことがない。いやもちろん、あの世紀の名ピアニスト、アルフレート・ブレンデルの伴奏として録音したモーツァルトのピアノ協奏曲など、大変よい演奏だと思ったものだが、単独のオーケストラの録音では、そのような経験はあまり思い出せない。今回、ブラームスの 4番という、磨き抜かれた音と最上の構成感を必要とする曲においては、時折白熱する部分が出てくると流れがよくなるのだが、N 響という、ドイツ物の演奏では並のドイツのオケよりも実績があるとすら思われるオケを前にして、その白熱を充分に昇華できなかったきらいがある。91歳にして未だに立ってかくしゃくと指揮をするこの名指揮者については、なるべくよい部分を聴きたいと思いながらも、ある意味で多くのクラシックファンの持っているであろう疑問、「なぜマリナーはこれほどの数の録音を残せるほど成功しているのか」という疑問を抱かざるを得ない結果となってしまった。

実は先日、N 響の年間定期会員に配布される CD が送られてきたのだが、ちょうど 1年ほど前に演奏されたマリナー指揮のブラームスの 1番であった。私もこの演奏を聴いたが、細部はあまり覚えていない。いずれにせよ、1番、4番と来て、もしかすると、ブラームスの残る 2曲、3番と 4番も、N 響で演奏してくれるのではないか。
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と書いていて思い出したのだが、去年のマリナーは、レナード・スラトキンの来日中止に伴う代役だったのだ。去年 90歳の彼が、代役で元気に登場。そして今年は 91歳になって、1歳年上のピアニストの来日中止を尻目に元気に登場。この調子で来日を続けて欲しい。「なぜマリナーはこんなに成功しているのか」を考える材料がもっと欲しいので!! 来年 4月には、もともとの手兵であるアカデミー室内管との来日が予定されているので、まずはそこで再会ということになろう。

ところで、もうひとつの感想。N 響をサントリーホールで聴く機会は貴重なのである。というのも、すべて定期会員によって満席になっているからだ。今回久しぶりにサントリーホールでの N 響を聴いた率直な感想として、弦楽器はともかく管楽器の精度やニュアンスの豊かさが、ほかの東京のオケに負けている場面があると感じたことを挙げておこう。関係者の方がご覧になるとお気を悪くされるかもしれないが、長らく日本の No. 1 オケである N 響が、あの巨大な体育館のような NHK ホールをメインの会場としている間に、サントリーホールや、あるいはすみだトリフォニーホールやミューザ川崎を本拠としているオケに追いつかれ、ある場合には追い越されている事態が発生しているのではないか。パーヴォ・ヤルヴィという時代の寵児を首席指揮者に迎えていることをはじめ、その指揮者陣の質や定期会員の数においては未だに他の日本のオケに冠絶する N 響ではあるが、客観的にその響きの精度をライヴァル楽団たちと聴き比べることは必要であろう。定期会員の方には、昔から日本のオケと言えばなんと言っても N 響という前提で聴き続けておられる高齢者が多い (地方からわざわざ聴きに来る人たちも一定数おられるようだ)。将来の高齢者である我々中年世代の動向が、今後のこのオケの主要な聴衆であるわけだが、我々には様々な選択の余地があるということを、こんなネットの海の片隅ではあるが (笑)、率直な思いとして書いておきたいと思う。

# by yokohama7474 | 2015-11-28 00:11 | 音楽 (Live) | Comments(0)