地球日本史 2 鎖国は本当にあったのか 西尾幹二責任編集

どこかで読んだのだが、日本人ほど自国論が好きな国民はいないそうである。確かにその種の本はいろいろあって、ベストセラーも多く、また自分自身や、自分の周辺を考えてみれば、日本人の発想や社会のシステム、組織の意思決定方法等々につき、欧米やアジア各国との比較において、いろいろな議論をすることが多い。その理由はいろいろ思い当たることもあるが、人によって意見は様々。議論しているうちに、なぜ我々は日本人論を戦わせるのかという方向になることもある。こうなってくると、「日本人論」ではなく「日本人がなぜ日本人論が好きか論」になってしまい、厄介なので深入りしないが (笑)、まあ興味深いことではある。

今回読み終えたのは、「地球日本史」という 3冊シリーズのうちの 2冊目、「鎖国は本当にあったのか」という題名のついたもの。因みに 1冊目は「日本とヨーロッパの同時勃興」と題されており、これは数ヶ月前に読んだ。3冊目の「江戸時代が可能にした明治維新」も購入済だが、読まずに積んだままになっている本の多さに鑑みて、実際に手に取るのは少し先になるであろう。
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大体私はいい加減な人間であって、古本屋で 1冊目を手に取り、面白そうだと思ったので、買ってきてそのままにしており、随分と時間が経ってから、全く別の古本屋で 2冊目が売られているのを知って、「あ、シリーズ物だったのか」と初めて気づいて購入。そうなってくると 3冊目も購入しようと思い、ネットで古本を購入。つまり私の手元で仲良く並んでいる 3兄弟は、生まれも育ちも別々な者同士が、縁あって集まってきたというわけだ。

さて、このシリーズはもともと産経新聞の連載をまとめたもの。ドイツ文学者で評論家の西尾幹二が責任編集となっているが、様々な分野から総勢 30名程度だろうか、専門の執筆者を集めている。この西尾幹二は、一般的には保守の論客と言われていると理解しており、私はこれまで、大部な「国民の歴史」なども、シリーズの「国民の芸術」とともに、その前提で面白く読んだことがあるが、それよりもなによりも、最初に彼の著作を読んだのは、いや、読まされたのは、中学生のとき学校の国語の教材であった「ヨーロッパの個人主義」だ。今でも探せばその本は本棚の奥から多分出て来ると思うが、ヨーロッパのことなど何も知らなかった当時の私にとっては、この簡潔な題名が大変印象的で、漠然としたヨーロッパのイメージ作りの基礎となったように思う。今調べてみると、その著作は 1969年のもの。この「地球日本史」シリーズは 1998年からの刊行であるから、その間に 30年近い時間が経過している。地球日本史というからには、日本の歴史的事象を地球規模で見て、それがいかに同時代の世界において優れたものであったかを、手を変え品を変えて主張しているのが本書である。

著作家にはそれぞれの立場があり、読む側としては本を選ぶ権利があるのであるから、ちゃんとどういう立場の人が発言しているのかを念頭に置いて読むことが肝要であると私は思っている。歴史認識については特にそうで、それは何も日本に限ったことではなく、アメリカでもヨーロッパでもアジアでも同じであろう。書かれていることを真摯に考えることだけでなく、それ以外の可能性も常に念頭に置いておかないと、あらぬ方向に自分自身の考えを導いてしまう恐れがあると、私は思う。また、書かれた時代という要素も大きい。本書は前世紀に書かれたものであるゆえ、世界の秩序とか、新興国の状況、またインターネット社会という観点からは、多少なりとも Out of Date な面があることは否めない。

この本には、各項目の筆者についての短い紹介が載っていて、皆さん立派な学者さんだが、いかんせん、年齢層はびっくりするほど高い。生年は軒並み 1930年代か 1940年代、中には 1920 年代の人すらいる!! (今日現在未だ存命であるか否かは調べておりません) その意味でこの本は、気鋭の若手学者が通説に挑むということではなく、酸いも甘いも知り尽くしたベテラン学者の方々が、ふがいない若手学者に喝を入れるといった風情だ (笑)。

ただ、ひとつひとつの項目を見てみると、素人目にもいささか乱暴な議論が多いと思う。まあ、学術書ではないので、それでもよいのかもしれないが、本当にこれらの主張を通したいなら、きっちりとした学問的議論も必要なのではないだろうか。と言いつつも、本当に面白い議論があれこれ入っていて、興味は尽きない。ごく一部を以下のご紹介する。

・日本は 17-18 世紀、ちょうどヨーロッパが「世界史」の体現者として振る舞い始めたほぼ同時期に、世界的レベルでの先端を行く「有力文明」の一つに達していた。その意味で、奇しくもユーラシア大陸の東の端と西の端が同時に世界を引っ張った。
・ヨーロッパ人はアジアに来て、銀の流通量に驚いた。16世紀の最大の銀の供給源は日本であった。当時世界一の経済大国であったスペインは、植民地で産する金銀の量に依拠しており、そのために略奪を働いた。その点日本は、自国内で産する銀によって、スペインをも凌ぐ世界一の経済大国であった。
・秀吉の朝鮮出兵は、征服欲によるものではなく、拡大する西欧への対抗措置としての東アジア経営を考えてのものであった。
・16世紀後半の日本は、世界最大の鉄砲の生産・使用国になっており、ヨーロッパのどの国にもまさる軍事大国であった。しかるに日本はその後の江戸時代に、鉄砲の制限・縮小に向かって行ってしまった。

まだまだあるが、このあたりでやめておこう。私はこれらのポイントについての検証を行う能力はないので、それらが正しいか否かを論じる立場にはない。ただ、日本人が正しく自分たちの歴史を知って、評価すべきは評価し、批判すべきは批判するという態度は、国際社会の中でしかるべき責任を果たすために必要であるように思う。その観点から、この本に学ぶところは多い。あ、でも、どさくさまぎれに、写楽は北斎であったという説も入っているが、それは鵜呑みにしないようにしよう (笑)。


# by yokohama7474 | 2015-09-17 01:42 | 書物 | Comments(4)

英国ロイヤル・オペラ来日公演 モーツァルト : 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(指揮 : アントニオ・パッパーノ / 演出 : カスパー・ホルテン) 2015年 9月13日 NHK ホール

英国のロイヤル・オペラ (所在地の名を取ってコヴェント・ガーデンともいう) が、5年ぶり 5度目の来日中である。今回の演目は、この「ドン・ジョヴァンニ」(東京で 3回、兵庫で 1回) と、ヴェルディ中期の傑作「マクベス」(東京で 4回) だ。昨日の「マクベス」による幕開けに続き、今日が「ドン・ジョヴァンニ」の初日。ちょうど昨日の午後、広上 淳一の指揮で N 響の定期演奏会がこの NHK ホールで開かれたので、その終了後に舞台がしつらえられたのであろう。ホールの入り口には、このような装飾が。
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海外オペラの引っ越し公演には莫大な費用がかかり、もちろんチケット代だけで賄えるわけもないので、企業からの寄付金が絶対不可欠なのであるが、日本も好況の片鱗が見えたかと思うと暗雲が立ち込めるという状況が続いているので、なかなかこの規模のオペラハウスの引っ越し公演は、難しくなってきているのではないだろうか。それでも、行ってみると大概満席になっていて、喋っている来場者たちの会話に耳を傾けてみても、なかなかのオペラ通が沢山集っていることが分かる。ヨーロッパでオペラを見る楽しみは、その劇場にいる瞬間だけではなく、その前後にもあるわけで、この巨大な体育館のような NHK ホールで見るオペラの味気無さには毎度毎度、忸怩たる思いを抱くのであるが、まあそれでも、ヨーロッパから中身がやってくること自体は、大いに意味のあることであり、なるべく足を運びたいと思う。

さて、コヴェント・ガーデンでの「ドン・ジョヴァンニ」は、1962年以降、6つのプロダクションが制作されており、私は今回そのうちの 3つめのプロダクションを見ることになる。1992年に現地で見た、ヨハネス・シャーフの演出 (ハイティンク指揮、トーマス・アレン主演。尚、同じ年の日本公演でも同じプロダクションが上演された)。2007年にやはり現地で見た、フランチェスカ・ザンベッロの演出 (パッパーノ指揮、アーウィン・シュロット主演。このウルグアイ出身のバリトン歌手は、あのスーパー・ソプラノ、アンナ・ネトレプコとその後結婚するのだが、私が見た日、ネトレプコはドンナ・アンナ役で出演していたにもかかわらず、第 1幕終了時に降板して代理が歌ったのをよく覚えている。もしかして妊娠していたのか?!)。今回のプロダクションは、昨年初演されたばかりの新しいもの。演出家のカスパー・ホルテンは、1973年コペンハーゲン生まれのデンマーク人で、2000年から2011年までデンマーク王立歌劇場の芸術監督を務めたとのこと。指揮のアントニオ・パッパーノは、2002年からこのオペラハウスの音楽監督を務める名指揮者だ。両親はイタリア人だが英国で生まれている。知らないうちに Sir の称号をもらっていたようだ。今や名実ともに英国を代表するイタリア人指揮者だ (?)。正直言うとこのコヴェントガーデン、格式の高いオペラハウスの中では、オーケストラが必ずしも上質とは言えないのだが、私の経験では、このパッパーノが指揮するときだけは、いい音で鳴るのである。
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今回の主役は、イルデブランド・ダルカンジェロ。日本での知名度は高くないが、この「ドン・ジョヴァンニ」は当たり役のようで、ザルツブルク音楽祭でエッシェンバッハが指揮した演奏の DVD もあれば、ネゼ・セガン指揮のマーラー・チェンバー・オーケストラの CD でも歌っている。確かに今日の演奏でも、歌い込んだ、危なげのない感じは分かったが、さて、何か新たなドン・ジョヴァンニ像に気づかせてくれる次元まで達していたかといえば、ちょっとクエスチョン・マーク。ただ、この容貌なので、この役のイメージには合っているとは言えそうだ。
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ほかの歌手では、ドンナ・アンナのアルビナ・シャギムラトヴァ (ひえー、長くて覚えられないよ。ウズベキスタン出身)、ドンナ・エルヴィラのジョイス・ディドナート (アメリカ出身) はなかなかに表現力があると思ったが、ツェルリーナのユリア・レージネヴァ (ロシア出身) だけは、声は出ているものの、およそ可憐なツェルリーナ的ではなく、何やら情念が感じられる歌いぶりで、私としてはちょっと敬遠させて頂きたい。それから、忘れてはならないのが、ドン・オッターヴィオのロランド・ビリャゾン (メキシコ出身) だ。
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もともと、偉大なる 3大テノールに続く存在として大きく期待を集めた歌手であったが、その彼が、ドン・オッターヴィオという、このオペラで最も存在感の希薄な役柄を歌うとは、実に嘆かわしい!! 小柄ながらドミンゴに似た声質の彼の舞台は、かつて MET やこのコヴェントガーデンで何度も接したものだが、確か声帯にポリープができたとかで療養していた期間があるので、少し芸風が小さくなってしまったのか。今回の舞台では、声は確かにヴィリャゾンの声で、大きな不満もないと言えばないのだが、やはり本来であれば王道を行くべき人。このような役を歌っていると、それに慣れてしまうのではないか。是非、テノールの大役での活躍を期待したい。

さて、今回の演出は、大変に凝ったものであった。舞台には 2階建ての建物が 3棟、密着して建っているが、両端が離れて、真ん中の部分が回転するようにできている。それですべてのシーンを賄うという点では、経済的かもしれない。ユニークなのは、この建物自体がスクリーンのようになり、そこに様々な色や文字 (ドン・ジョヴァンニの女性リストであるらしい)、また模様などが表れ、意表を突く。
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プログラムに記載されている演出家のメモによると、ドン・ジョヴァンニは想像力豊かな人物であるがゆえに、自らの悪行に恐れをなしており、妄想を抱いたり、彼が征服した女性たちを幽霊として幻視したりする。以下のシーンではドン・ジョヴァンニの独白が歌われるが、そのイメージはなかなかに強烈だ。
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この映像は決して音楽を邪魔することはなく、演出としては嫌味なしに見ることができた。もし議論の余地があるとすると、やはり最後のシーンではないか。ここでは騎士長はドン・ジョヴァンニを地獄に引きずり込むことはなく、閉ざされた壁を前にドン・ジョヴァンニはひとり取り残されてうずくまってしまい、そのまま舞台に残っている。そして、ほかの登場人物たちのアンサンブルによる最後の曲は、舞台の真ん中にドン・ジョヴァンニを残したまま、両袖で歌われるのだ。これについて演出家は、ドン・ジョヴァンニのような人間にとって究極の罰は孤独であって、舞台にひとり取り残されたドン・ジョヴァンニを見せる方が、地獄の炎を赤々と示すよりもずっと意味のあることだと語っている。なるほど一理ある解釈だが、いずれにせよ、終曲で周りの人たちが能天気に歌うように音楽ができている以上 (これも世の中では評判悪いのだが)、ちょっと無理があるような気がする。このあたりがオペラ演出の難しいところである。

さて、最後にパッパーノだが、自らフォルテピアノ (チェンバロより一歩ピアノに近づいた楽器) を弾きながらの指揮で、特に早い場面での音楽の煽りが充実していた。オケの編成はコントラバス 2本の小さなものであったが、迫力に不足する場面は特になかった。本当に優美な音が出ていたかといえば、その点は若干不足があったかもしれないが、モーツァルトでもこの作品にはデモーニッシュな雰囲気が必要であるので、その点はまあよいのではないだろうか。

総じて、なかなかに楽しめた公演であった。


# by yokohama7474 | 2015-09-14 00:41 | 音楽 (Live) | Comments(0)

村野藤吾の建築 目黒区美術館

この展覧会が開催されていることは知っていた。だが、なかなか都合がつかずに、半ば以上諦めていた。というより、既に意識の中からほとんど消えていた。ところが、世の中には不思議な巡り合いというものがある。ほんの 2日前、金曜日の夕方近くのこと。仕事で日本橋を訪れ、面談先のオフィスを探すのに若干手間取り、迷っているうち、なぜか気になる古いビルが目についた。そこでそのビルにいそいそと近づいて、そこに出ていた説明板を読んだのだ。そこには、「近三ビル」という建物名と、その設計者、村野 藤吾の名前があった。・・・おお、そういえば!! このビルのことは知らなかったが、村野が日本を代表する建築家であることくらいは知っていて、青天の霹靂のようにこの展覧会のことが脳裏をよぎった。ようやくこの展覧会を訪れることができた今日は、奇しくも東京での展覧会の最終日。まあ別に、村野の魂に導かれたなどという大げさなことを言うつもりはないが、街中でも常にアンテナを張り、捨て目を利かせることの重要度を思い知るとともに、ちょっとした情報収集、また、頭の隅に引っかかった記憶というものの組み合わせが、文化の諸相を味わうためには意義を持つのだということを再認識した。
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村野 藤吾 (むらの とうご、1891 - 1984)。その名前は、例えば丹下健三や黒川紀章や磯崎新や、はたまた安藤忠雄ほどの知名度はないかもしれないが、数多くの庁舎やホテル、デパート、オフィスビル等々を手掛けた、文字通り日本を代表する建築家である。
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長命であったこともあってか、彼の手がけた作品は数多く、この展覧会では、その一部について模型が展示されている。東京に現存する建物のうち、知名度の高いものの模型を 3つご紹介しよう。まずは、旧日本興業銀行本店、現在のみずほ銀行だ。写真の右端下部の曲線が大変有名である。
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それから、有楽町駅のすぐ横にある読売会館。もとそごうで、今はビックカメラになっている。ご存じの方も多いはず。
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これは日本生命ビル。以前このブログで、ロッシーニのオペラ「ランスへの旅」(おお! そう言えばまさに今日このあとすぐ、BS プレミアムで放送だ!! なんという偶然!!!) の記事で触れた、日生劇場を含む。
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村野の作品の中には、戦後の建築物として初めて (丹下健三設計の広島平和記念資料館と並んで) 重要文化財に指定された、1953年築の広島の世界平和記念聖堂も含まれる。私は行ったことがないが、写真で見る限り、ヨーロッパ的な造形感覚も感じさせながら、コンクリート打ちっぱなしのモダニズムも併せ持つ、興味深い建築だ。
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一方、私がたまたま発見した近三ビルであるが、正式名称は森五商店東京支店といい、1931年の竣工で、村野のごく初期の建築のうちのひとつ。このような、現在の目から見れば何の変哲もないように見えるビルであるが、逆に言うと、既に築 80年以上を経て、未だ街中に溶け込んでいる点にその先進性が感じられる。何より驚くべきなのは、あのドイツ人建築家ブルーノ・タウト (日本に何度も滞在し、桂離宮の簡潔さの美を大絶賛してその世界的な再評価を実現した人物) が、たまたま通りかかって (私と同じではないか!! 笑) このビルを褒めたということ。より正確には、「婦人の友」誌における「ブルーノ・タウト氏と東京を歩く」という企画の中で、このビルのことを「日本の伝統と現代的価値との驚くべき融合」と述べた由。うーむ、昔の女性雑誌の特集ってそんなに高級だったのか・・・。

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村野の年譜を調べてみると、1933年にはタウトの来日記念講演会で、「日本に於ける折衷主義の功禍」という講演をしているので、世のタウトブームも、彼の知名度向上には大いに貢献したのではないか。また、このビルは今も現役で、このようなサイトもあって興味深い。
http://www.sanko-e.co.jp/read/memory/kinsan

さて、あれこれの村野の作品群を見ていて思ったことがひとつ。我々の国には、1300年も前からの建造物が幾つも残っているものの、近世に至るまでは、社寺建築のみ現存しているわけで、それ以前の宮殿や民家は時代を乗り越えられなかった。もちろん、木造で建造物を作り、これだけ天災の多い国であるし、戦国時代もあったので、やむないことではあるものの、では将来に目を向けて、現代建築は何百年も残るのだろうかと考えたとき、建築自体の強度は古い木造建築よりは強いはずでも、オフィスビルや大規模ホテルなどが何百年残るとは思えない。村野の作品でも、例えば私が直接知っていた、そごう大阪店だとか、磯子の丘の上に建っていた横浜プリンスなどは、今はない。前者は老朽化によって、後者は再開発によるマンション建設によって、取り壊されてしまったわけだ。確かに、そのような規模の建築を、本来の実用目的から離れて文化財保存することは、現実的に考えて無理だろう。では、その一部のみを移築し、明治村よろしく昭和村とか平成村とか称して保存するような日が来るのであろうか。さらに視野を広げると、既に 100年以上の歴史を持つニューヨークのエンパイア・ステイト・ビル、クライスラー・ビル、ロックフェラー・センターなどは、この先一体どうなるのであろうか。私がここで心配してどうなるものでもないのだが、芸術の一分野としての建築の評価とは、「かつてこんな建物がありました」というかたちで継承されるのか、あるいは偉大な建築家たちの業績も風化して行ってしまうのだろうか。

せめて近三ビルは、当分の間現役で頑張って欲しい。その説明板を見ることで、ある文化の一側面に気づく人間が、ほかにもいるであろうから。

# by yokohama7474 | 2015-09-13 23:30 | 美術・旅行 | Comments(0)

ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 2015年 9月12日 サントリーホール

別項の広上淳一指揮 NHK 響のコンサートのあと、こちらのコンサートにハシゴすることとなった。東京で起こっている文化的イヴェントを少しでも理解するため、時にはこのようなダブルヘッダーも辞さない覚悟が必要だ。なぜなら、これは必聴のコンサート。既に何度もご紹介しているイギリスの名指揮者ジョナサン・ノットと手兵東京交響楽団が、マーラーの大作、交響曲第 3番ニ短調を演奏するからだ。このオケのシーズンは 4月からなので、今回の演奏会はシーズン冒頭ではないが、どのオケにとってもこのような大曲の演奏には特別な思いが込められるものだ。会場に到着すると、以下のようなチラシがプログラムに挟まれている。
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なんと、2025/26 年シーズンまでというと、これから 10年先ではないか!! このクラスの指揮者を日本のオケがそこまで長期に亘って確保するというのは異例の事態だ。オーケストラ側としては、なんとかノットを確保したかったのであろうし、それを指揮者自身が受け入れないと、こういうことにはならないだろう。チラシには、ノットの言葉として以下が掲載されている。

QUOTE
モーツァルトを指揮していて、なんと素晴らしい演奏なのかと、本当に大きな喜びを感じた。
この関係はもっと長く続け、深めていかなければならない。
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これは、9月 7日に行われた記者会見での言葉のようで、だとすると、ここで言及されているモーツァルトの演奏とは、以前このブログでもご紹介した、9月 6日のモーツァルト・マチネでのものであろう。私ごときが大絶賛しても眉唾に思う人もおられようが (笑)、指揮者自身がこのように発言するということは、やはりあの演奏には相当に満足したということであろう。いやそれにしても、ノットはバンベルク交響楽団に加え、もうすぐ名門スイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督にも就任するはずだ。そんな中、東京交響楽団とも長期に亘る関係を続けることになったことは、誠に喜ばしい。これによって、10年計画で、例えばレパートリーの拡充とか、海外演奏旅行とか、そういった重要事項を考えることができる。それなども、以前は有名な先生にお願いして「振ってもらっていた」日本のオケが、今や積極的に指揮者とともに音楽を作って行くという状況にあっていることの証左であろう。

さて、このマーラーの 3番、演奏に 100分を要する。冗談でもなんでもなく、ギネスブック認定の、歴史上最も演奏時間の長い交響曲だ (今の版では消えているらしいが、以前の記述は私も確認したことがある)。正確に言うと、実際には英国のブライアンという作曲家に、さらに長い交響曲 (交響曲第 1番「ゴシック」) があるが、それは特殊なレパートリーであって、一般的なレパートリーの中ではマーラー 3番が最長と、そのように書いてあったはず。因みにこのブライアンの交響曲、今でこそ CD もあるが、私はもう 30年前から、この曲のアナログレコード (巨匠エイドリアン・ボールト指揮) を持っている。どんだけマニアやねん。大したマニアでもないか。

この曲にはアルト独唱と女声合唱、児童合唱が入るが、今回のソリストは、日本が誇る名歌手、藤村 実穂子だ。バイロイトの常連でもある。この写真は若干お笑い系のようにも見えるが (笑)、大変素晴らしい歌手だ。児童合唱は、東京少年少女合唱団。
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冒頭、ホルン 8本によるファンファーレのようなテーマ演奏によってこの曲は始まるが、意外とテンポが遅く、合いの手で入る弦や打楽器が、念を入れるようにズシンズシンと重い感じであったのを聴いて、ノットの気合の入れ具合を感じることができた。ただ、その後全体的に感じたことだが、この日の演奏は金管に比して木管の精度がもうひとつで、時にもどかしい思いがしたのが残念であった。ノットの指揮も、もともと爆演系ではなく、非常に知的で緻密な方であるので、このマーラーの 3番は、ブルックナーよりは相性はよいとは言えようが、マーラーを振るために生まれてきたようなインバルの演奏に慣れている東京の聴衆には、まだまだ改善の余地があるように響いたと言わざるを得ない。

しかしながら、ノットの持つ美意識がよく発揮された箇所もある。それは終楽章、あの天国の音楽のように美しい 30分の緩徐楽章だ。音楽は粘らず、弦の音も深く呼吸するというよりは美麗に流れる。そこに立ち現われた音楽は、マーラーから新ウィーン楽派を経て現代音楽に連なる系譜を思わせるもの。いわば抒情的現代音楽のような様相であったが、それはそれで、なんとも純粋で、かつ感動的であったのだ。私はいつも、この曲の大詰め、ティンパニ 2台がそれぞれに鳴り響き、最後の最後に巨人の両足のようにドン、ドンと音を合わせるところにぐぐーっと胸を締め付けられるのだが、この日の演奏では、巨人は大音響で足を踏み鳴らすのではなく、あたかも間違えて人や動物を踏みつけないようにしようという気遣いを持っているかのように思わせるものであった。その意味では、臓腑をえぐるマーラー、世界苦に呻吟して救いを求めるマーラーではなく、音楽の美しさそのものを追い求め、音と音の絡み合いから純度の高い流れを作り出す、そしてその結果、人間の感情にも訴えかける、現代的なマーラーであったといえようか。

藤村は、第 2楽章と第 3楽章の間で舞台に登場し、第 4楽章、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」からの一部を歌詞とする音楽を、深々と聴かせた。余談だが、ルキノ・ヴィスコンティの名作映画「ベニスに死す」は、同じマーラーの交響曲第 5番の第 4楽章アダージェットで有名だが、実はそれだけでなく、この 3番の第 4楽章も使っているのだ。夜の神秘が霧の中を漂い、人間の孤独がひしひしと感じられる音楽だ。そしてこの後に続けて演奏される第 5楽章は、一転して、児童合唱と女声合唱による「ビム・バム」という鐘を模倣する明るく可愛らしい音楽なのだが、女声合唱団が最初からステージ奥の客席 (P ブロック) に陣取っているのに対し、児童合唱団の姿は全く見えない。第 4楽章が静かに終わったとき、「あー、児童合唱団、キューを忘れたのか、舞台に入って来なかったよ。どうなる!!」と手に汗握ったところで、指揮者がくるりと後ろを振り返って指揮を始めたのだ!! 児童合唱団は客席の中、RB ブロックの後ろの方に陣取っていて、事なきを得たのだ (笑)。この曲の実演にはこれまで多分 15回かそれ以上触れているが、このようなやり方は初めてであった。

これでこの記事を終わりにしようかと思ったが、プログラムに、この交響曲についてのノットのインタビューが載っているのを今見つけた。興味深い発言がいろいろあるが、終楽章についての発言を抜粋しよう。

QUOTE
(やはり美しいアダージョである第 9番の終楽章と比較して) 第 3番の終楽章は、転換をもたらす出来事が何も突発しないまま進んでゆきます。ティンパニや鐘の音がつくる響きも、見せかけのもの、仮象にすぎないように思われます。いつか確認が得られるのではという希望を抱いたものの、それは結局のところ叶わないのです。そういう、本当に悲しい音楽です。・・・深い憂愁を帯びた幕切れです。そもそも作品全体がショーペンハウアー流の行方も定まらぬ盲目の意志との闘いです。この作品でのマーラーには、自分で自分の主張に確信がもてないようなところが、いやそれどころか自分で自分を中傷するようなところがあります。
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なるほど、最後に巨人がドンドンと地響きを立てないのは、そのような感覚があったからなのだ。ただ、彼のこのような知的な分析を東響が完璧に音にするようにできるには、もう少し時間がかかるかもしれない。10年計画、楽しみにしています!!



# by yokohama7474 | 2015-09-13 12:41 | 音楽 (Live) | Comments(0)

広上 淳一指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : ニコライ・ルガンスキー) 2015年 9月12日 NHK ホール

N 響のシーズン構成は欧米と同じく 9月からのようなので、2015/16 年度のシーズンが今月始まったことになる。このオケの 3種類の定期演奏会のうち 2つ (A、B プログラム) は巨匠ヘルベルト・ブロムシュテットが指揮し、C プログラムは広上 淳一の指揮である。
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今回の C シリーズ定期演奏会が、今シーズンの N 響の最初の演奏会となる。今シーズンからは新音楽監督として、あの世界中で大人気のパーヴォ・ヤルヴィを迎え、新たな意気込みが感じられる。例えばロゴもこのようなモダンなものに一新した。なかなかすっきりとしたデザイン。今日び、凝ったデザインを入れて、たとえそれがオリジナルであっても、たまたま運悪く世界のどこかに似たようなものがあれば、パクりだと糾弾されかねない時代。むしろこのようなシンプルなものがよいと思う。
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さて、今回のプログラムは以下の通り。
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 3番ニ短調作品30
 ドヴォルザーク : 交響曲第 8番ト長調作品88
ピアノは、ロシアの中堅、ニコライ・ルガンスキーだ。大変長身のピアニスト。
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今回の演奏会、まずは元気印の広上の指揮が、大いに楽員の士気を盛り上げ、成功したと言ってよいであろう。いつもながら、あの小柄な体を一杯に使い、飛び上がってはニコニコとオケに「いいね」サインを出し、山あり谷あり、楽あれば苦あり、ピンチのあとにチャンスあり、人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろの、どんな楽曲も、最後まで導いて行くその献身度には感銘を受ける。N 響は在京オケの中でも、国際的な指揮者陣の顔ぶれからすれば常に No. 1。日本人指揮者としては、定期演奏会に登場の機会に聴衆に印象づけることが大事である。

さて、ラフマニノフのピアノ協奏曲第 3番である。よく、歴史上のピアノ協奏曲の中で最も演奏が難しいと言われる。昔、「シャイン」という映画があったが、ジェフリー・ラッシュ演じる実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットがその演奏に脅迫観念を抱いているのがこの曲だった。話はそれるが私はこのヘルフゴットのリサイタルをロンドンで聴いたことがある。イメージ通りの繊細な人でしたよ。もう 17-18年前かなぁ。
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それはともかく、この曲、そのような余分な神経症的印象を持たされているせいだけではないと思うが、どうも私にはなじめないのだ。同じ作曲家のピアノ協奏曲第 2番は大変抒情的な曲で、そちらはすっきりよく分かるのだが・・・。今回、ルガンスキーは大変見事な演奏をしたが、私の中では、演奏どうこうよりも、この曲についての思いが巡っていた。歴史上のピアニストを思い返してみると、面白いことが分かる。例えば、ホロヴィッツはこの 3番を頻繁に演奏したが、どういうわけか 2番には手をつけていない。一方、ルービンシュタインはその真逆で、2番は演奏したが 3番は演奏していない。あるいは、リヒテルには 2番の録音はあるが、3番を演奏したとは聞いたことがない。ギレリスは奇妙なことにその逆で、3番しか録音していないはずだ。ロシア系以外に目を転じると、コルトーとかシュナーベル、あるいはE・フィッシャーやバックハウスがラフマニノフを演奏したとは思えないし、もっと後の世代のゼルキンとかアラウとか、あるいは現存のブレンデルやポリーニ、内田光子などを考えても然り。ツィメルマンは比較的最近 2番を録音したが、アルゲリチは 3番のみだ。・・・ということは、2番と 3番を両方レパートリーとしている一流ピアニストは、実は大変少ないのだと思う。これは興味深い現象だ。実は最初、ラフマニノフを録音していないであろう歴史的ピアニストとして、シュナーベルの代わりにギーゼキングと書いていたのだが、ある方からのご指摘により、彼はなんと、1940年代に 2番と 3番の両方を録音していたことを知りました!! これは例外中の例外であると実感するとともに、自らの無知を恥じた次第。

今回の演奏を聴いていて思ったのは、ピアニストが見事に弾き切っても、オーケストラの鳴り方がまとまりがないと、作品の曲折がつかみにくいのではないだろうか。その意味で、ピアノの向こうで、指揮台から広上の靴だけがピョンピョン飛び上がるのが見えることによって音楽的感興を味わうという、なかなか得難い経験をしたと言ってもよいだろう (笑)。確かに、終楽章の盛り上がりは異様な感じで、協奏曲 2番や、前日聴いたパガニーニの主題による狂詩曲の抒情性とは全く異なる悪魔的な音の渦を感じることができた。そのような瞬間は、ラフマニノフの作品でもそうそうあるものではないと思う。そういえば、ルガンスキーはアンコールに、同じラフマニノフの前奏曲嬰ト短調作品 32-12 を弾いたが、これは晩年のホロヴィッツが愛奏した曲だ。異形のものが漂うような、そんな曲だ。

後半のドヴォルザークは、演奏が始まる前に、広上ならどんな感じで指揮するか想像してみたのだが、実際に聴いてみると予想通りの演奏であり、隅々まで音が鳴りきった、素晴らしい演奏であった。このような演奏は、できそうでなかなかできないもの。N 響のレヴェルの高さも改めて実感することができた。

今シーズンの N 響、大いに期待しています。ただ、最大の課題はホールであろう。あの巨大な NHK ホールでの演奏がメインとなると、最高の音質で演奏を楽しむことができないので、本当にもったいないし、ほかのオケとの競争上、不利だと思う。一方で、あれだけのホールを満員にする動員力を維持するとなると、2,000人級のホールでは賄いきれないというジレンマがあることは自明。現実的には、例えば NHK ホールのステージをもう少し前にせり出して反響板をつけるとか、そんなようなことでもできないものだろうか。・・・と、心を悩ませるファンがここに 1名。

# by yokohama7474 | 2015-09-13 11:31 | 音楽 (Live) | Comments(0)