オスモ・ヴァンスカ指揮 読売日本交響楽団 2015年12月 4日 サントリーホール

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ほぼ一週間前、11/28 (土) に、同じ指揮者、同じ楽団のコンサートに出向いた。今年生誕 150周年のフィンランドの作曲家、ジャン・シベリウスの作品を、フィンランドの名指揮者、オスモ・ヴァンスカが指揮するシリーズだ。今回の曲目は以下の通り。
 交響曲第 5番変ホ長調作品82
 交響曲第 6番ニ短調作品104
 交響曲第 7番ハ長調作品105

はて。最近何やら同じような曲目を聴いたような。とぼけるのはやめにしよう (笑)。11/29 (日) に、やはりフィンランドの指揮者オッコ・カムが本場フィンランドのオーケストラ、ラハティ交響楽団を率いて行った来日公演の一環、私が以前の記事で大絶賛したあのコンサートと、全く同じ曲目なのだ。このヴァンスカが天塩にかけて世界最高のシベリウスオーケストラに仕立て上げたラハティ響を、先輩指揮者であるカムが振り、ヴァンスカは以前から関係の深い読響で同じシベリウスを演奏する。これぞまさに現代最高のシベリウス対決。東京のクラシック音楽シーンはかくも活発なのである。

前回の記事でもご紹介した通り、ヴァンスカの指揮は大変明快で、その身振りがそのまま音になったような気がする。但し、今回は 2つの理由で、正直なところ前回ほどの感動はなかった。ひとつは、やはりやはり、カムとラハティ響の超絶演奏を既に聴いてしまったこと。もうひとつは、前回のような初期のロマンティックな作品とは異なり、後期の晦渋な作品であるので、明快な指揮ぶりだけではなんともならない複雑な響きが要求されることだ。ひとつめについては触れても仕方なく、音楽家にとっては、自らの骨肉となっている音の表現に関して、有無を言わせぬ神秘な世界があることを再認識した。しかしながら、音楽は国際的なものであり、何もお国ものばかりがよいとは限らない。その意味では、今回の演奏ならではのよさも随所に聴くことができたのもまた事実。ラハティ響の記事では、5番の冒頭から 7番の終結部まであたかも一貫した音楽のように記述したが、今回の演奏では、それぞれの曲の聴きどころ、例えば 5番の終楽章の羽ばたく鳥の群れのようなめくるめく音の重なり、6番の第 1楽章でハープがリズムを刻んで舟が海原に出て行くような感じ、7番の千変万化する凝縮したドラマ性、等々が曲の個性を演出しながら幻灯のように過ぎて行き、明らかに音の密度が高まる瞬間を何度も聴き取ることができた。やはり素晴らしい演奏であったと思う。その一方で、ヴァンスカの作り出す音の線は、明快であるがゆえに、パートごとにいい音が鳴っていても、複雑に溶け合う際に、時としてほんの少し作為が目立つということもあるような気がした。いや、それとても、作為のかけらもなく自然がそのまま鳴っているようなラハティ響を聴かなければ気づかなかったことであろう。

シベリウスの交響曲について改めて思う。最も人気のある 2番や、それに次ぐ人気曲の 1番、また、ヴァイオリン協奏曲や交響詩「フィンランディア」などの初期の作品の数々は、もちろん豊かな自然を思わせる部分もあるものの、人間感情を反映した劇的な部分があるので、なじみやすいとも言えるだろう。歴史的事実であるロシアの圧政とそこからの解放というイメージも、多かれ少なかれ初期の作品にはあるだろう。それに引き替え、今回の後期の 3曲には、もちろん劇的な部分もあるにはあるが、長い盛り上がりはほとんど聴くことができない。書かれたのは、5番が 1914-15年 (1919年に改訂)、6番が 1915 - 1923年、7番が 1924年である。つまり、第 1次大戦中から両大戦間、その間の 1922年には弟を失っている。そして、7番を初演した 58歳以降、シベリウスはほとんど作品を発表しないまま、1957年に 91歳で亡くなるまで、実に 30年以上の沈黙を守るのだ (だから、シベリウスの人生においては、これら 5番以降の交響曲の作曲時期を「後期」と呼ぶのは不適当なのである)。この謎の沈黙について、通説があるとは聞かないので、謎は謎のままだろうと思うが、私の勝手な思い込みでは、やはり 2度の世界大戦を経験したことが大きな要因ではないのだろうか。フィンランドは第一次大戦後に念願の独立を果たしてからも、決して平和に過ごしてきた国ではないようだ。若い頃はロシアからの解放という政治的なメッセージを込めた曲で人々を鼓舞した彼も、抽象的な音楽の世界で祈りや高揚を描いたものの、戦争の惨禍やその後の他国との関係の中で、次第にその先いかなる音楽を人々に発するべきかが分からなくなったか、あるいは美しい自然と裏腹の人間の行いに深い絶望を抱いたのではないか。こんな光景を見てしまうと、人間の争いなど無益に思えるのも道理だろう。
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ところで今回の演奏会、荻原尚子という女性ヴァイオリニストが客演コンサートマスターであったが、そのプロフィルはプログラムに掲載されていないので調べてみると、名門 WDR ケルン放送交響楽団のコンサートマスターを 2007年から務めているとのこと。抒情的であったり、切れ切れの盛り上がりであったり、突然の疾走であったり、様々な場面を乗り切る必要のあるシベリウスの後期の交響曲で、颯爽とオケを率いていた。最近海外の名門オケで活躍する日本人が昔より減ってしまったような気がするので、今後ますます頑張って頂きたい。
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ところでこのケルンのオケの首席は、ビシュコフ以来イメージがないなと思って調べると、今はユッカ・ペッカ・ラサステだ。彼はもうひとりのフィンランド人名指揮者。そして、なんとも面白いことに、彼も以前ラハティ響の首席であり、しかもその在任期間は、今回の読響の指揮者ヴァンスカと、今のラハティ響の首席であるカムとのちょうど間である。奇遇だなぁ。フィンランドシリーズの番外編エピソードでした (笑)。


# by yokohama7474 | 2015-12-05 01:53 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

ラストナイツ (紀里谷 和明監督 / 原題 :Last Knights)

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あるとき映画館で、クライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンの写真を掲載した薄暗いポスターを発見。明らかにハリウッドの新作だ。近づいてみると、何やら漢字が書いてある。なになに、紀里谷和明? キリヤカズアキ? お、あの「新造人間キャシャーン」の監督ではないか。あれから随分時間が経ったが、ハリウッドのトップ俳優を使った映画を撮ることができるという大出世を果たしたわけだ。その間に撮ったという「Goemon」は、私が海外在住中の公開なので、どのような映画であるのか全く分からない。しかし、これはやはり見るべき映画であろう。前回の記事で採り上げた「コードネーム U.N.C.L.E.」は、もとマドンナの旦那が監督であったが、この映画は、もと宇多田ヒカルの旦那が監督だ。だからなんだと言われても困るのだが。

前回の記事に倣って、まず題名から行こう。「ラストナイツ」とは、きっと Last Night (昨夜) の複数形であろう。とすると、自堕落な生活を送っているプレイボーイが、様々な夜を過ごすものの、「昨夜のことは忘れたよ」とうそぶいて夜な夜な遊びまわるというストーリーだろう。なんちゅうけしからん映画だ。そもそもその内容なら、クライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンという役者は明らかにミス・キャストではないのか。・・・と思ってよく見ると、題名の後半は Nights ではなく Knights だ。つまり、ラストナイトは、「最後の騎士たち」ということだ。でも、このカタカナの題名を見ただけでは、とてもそこまで思いつかないですよ。それは、「ラストサムライ」や「ダークナイト」なら分かる。まあ公平に言えば後者は「暗い夜」と思った人がいたかもしれないが、バットマンのイメージがもともとあるので、タイトルの意味は想像できる。その点この映画は、観客は全く先入観ゼロで見るわけだから、この邦題は厳しいだろう。

で、タイトルの意味は分かったのだが、ストーリーについて何の情報もないまま劇場に入ったのだ。そして途中から極めて明確になるのは、これは日本人が大っ好きなある歴史的な物語の翻案であるのだ。年末にはちょっと早いが、大詰めのシーンでこんな感じの雪の中の攻撃となると、大概の方々にはもう明らかであろう。モーガン・フリーマンが義憤に駆られて殿中で刀を抜く役。クライヴ・オーウェンが昼行燈の役である。
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さてここで疑問を呈そう。この監督、自分の骨肉の中に、この仇討ちストーリーがどの程度入っているだろうか。何か日本的なものが作品を作る原動力になったのであろうか。この疑問に対する答えは、映像を見るだけではなかなか難しいものがあるが、どうやら原案が日本発であっても、世界のどこでも通用する物語を描きたかったようだ。プログラムに載っているインタビューによると、黒澤明がシェイクスピアを翻案して日本を舞台にした作品を作った、ちょうどその逆をやりたかったとのこと。なるほど。では、日本的なものを描きたいわけではないということで、ここは整理しよう。そもそも脚本はカナダ人によるものらしく、始まりからして大変インターナショナルな作品なのだ。実際、この映画の設定はどこの国でもない。登場人物も、様々な肌の色の人たちがいて、特定の国の特定の民族の話ではないということが大前提である。

さて、次に気になるのは映像である。上記ポスターや写真で見る通り、この映画は終始薄暗い空の下で進行する。監督の意図は、西洋絵画を意識した画を作ることであり、カラヴァッジオやレンブラントやフェルメール、あるいは西洋絵画的な小津安二郎の映画を念頭に置いたらしい。だがその点は正直、どの程度成功したかは疑問だ。絵画と映画は全く別物。それは、絵画と違って映画には、動きと、それ以上に時間が関係してくるからだ。画の作り方に凝った割には、見終った印象は残念ながら単調なイメージで、実際に屋内のシーンはもちろん、どんなに壮大な野外のシーンが出て来ても、あたかもすべては屋根の下で行われる室内劇という印象だ。小津の映画は、よく畳に腹ばいになって撮った映像が特徴と言われるが、屋外のシーンを含めて、実は様々なヴァリエーションがある。この映画はその点、画から広がりを感じることは、残念ながらあまりない。以下のようなシーンもその例に漏れない。
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だが、ストーリーにはいろいろ伏線もあり、なかなか面白い。主役の 2人以外は知らない俳優ばかりだが、唯一、クライヴ・オーウェンの敵役として、伊原剛志が頑張っている。ハリウッド映画の日本人俳優というと、渡辺謙がダントツで、真田広之や浅野忠信が時々出ているくらいであり、組合の制約だか何かがあるらしく、高い壁が存在している。ここでの伊原は、日本人という設定には必然性はなく、不気味な雰囲気を持った、いわば「敵ながらあっぱれ」な役柄であり、いい演技をしていると思うので、今後の活躍に期待したいものだ。ハリウッド第 1作かと思ったら、クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」で馬に乗るバロン西を演じていた。あれも印象に残る役であった。
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役者の演技では、まあやはりクライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンは大したものだ。前者は、昼行燈の状態から最後の討ち入りに向けてシャキッとするあたりの変貌ぶりが目覚ましいし、一旦シャキッとしてしまうと、この上なく頼もしい。男の理想ですなぁ (笑)。
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モーガン・フリーマンも、一本気に正義を貫徹する姿にリアリティがあり、素晴らしい存在感。こんな役者を使うことのできる監督は幸せだろう。
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ひとつ気づくのは、この映画、悪い奴は、かたきとなる大臣くらいしか出てこないことだ。下の写真の右端の人物。ただこの人物とても、過激な悪ではなく、保身に汲々としている弱い人間であり、決して積極的に悪を実行しない。極悪人なら、クライヴ・オーウェン役を野放しにして観察するのではなく、問答無用に暗殺するだろう。そのあたりが、この映画がもうひとつ臓腑をえぐる衝撃を与えてくれない理由かもしれないと思う。
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この映画のエンドタイトルを見ていると、チェコ人の名前と韓国人の名前が沢山出て来る。ロケは全編チェコの各地で行われたらしく、韓国資本に相当頼って製作されたことが原因のようだ。例えばラストシーンが撮影されたのは、チェコで最も美しいと言われるフルボカー城であるらしい。こんなところだ。おーなんと素晴らしい。行ってみたい!!
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あれこれ勝手なことを書きつらねているものの、もともと我々日本人のよく知っているストーリーでもあり、うるさいことを言わなければ結構楽しめる。少なくとも、夜な夜な遊びまわるプレイボーイの話かと思って見に行くと、意外な展開で面白いと思うこと必定 (笑)。頑張っている紀里谷監督を応援しよう!!

# by yokohama7474 | 2015-12-03 00:22 | 映画 | Comments(0)  

コードネーム U.N.C.L.E (ガイ・リッチー監督 / 原題 : The Man from U.N.C.L.E.)

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ガイ・リッチーの新作と聞いて、何を置いても見に行こうと思ったのであるが、よく分からなかったのはこの題名だ。「コードネーム UNCLE」だと? Uncle とはもちろん、英語で叔父のこと。題名だけ見ると、なんのことやら分からない。そんなこともあってだろうか、11月14日に封切られたこの映画、それほどヒットしているようには思われない。私が見たときも、レイトショーとはいえ、観客は一桁の人数であった。どうも宣伝に問題ありではないかと思いつつ、今ここで私が騒いでもわめいても、時既に遅しなのであろうか。この監督の次回作、大丈夫だろうか・・・。せめてこの記事で、この映画の真価に少しでも迫りたい。

まず題名から行こうか。私も知らなかったのであるが、この U.N.C.L.E. は、邦題でもご丁寧にアルファベットの間にポツがついている通り、何かの略号だ。何の略号かというと、"United Network Command for Law and Enforcement"、つまり「法とその執行のための連合ネットワーク司令部」ということだが、まあ要するに悪と闘う陰の国際組織ということだろう。これは 1960年代のテレビドラマ、「0011ナポレオン・ソロ」のリメイクである。このドラマ、昔日本でも放送していたのは知っているものの、スパイ物という以上の知識は私にはない。今般改めて調べてみると、米国のエージェント、ナポレオン・ソロとソ連のエージェント、イリヤ・クリヤキンが、ともに悪と闘うという内容らしい。なるほど、こんな雰囲気でしたね。
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そもそも冷戦真っ只中の時代、米国とソ連がともに闘うという想定はなかなか大胆なものであったろう。あるいは、現実を描くのはあまりに過酷なので、少し夢物語調を追い求めてそのような展開になって行ったものか。いずれにせよ今は既に 2015年。ソ連崩壊から四半世紀を経て、そのような時代のドラマをどのようにリメイクすべきか。以前「キングスマン」の記事でも触れた通り、世界の大きな対立構図が消えてしまった今となっては、スパイが何を相手に闘うかという設定は非常に難しいものとなっている。この映画の脚本・製作・監督であるガイ・リッチーは、もともとのテレビドラマへのノスタルジーもあるのだろう、1960年代当時を舞台として設定した。そうすると、時代の制約によって、「キングスマン」や「ミッション・インポッシブル」に出て来るようなコンピューターハッキングや GPS や極小のハイテク器具などは使えない。そもそも携帯電話は世の中に存在せず、トランシーバーが主要な通信手段であり、部屋に仕掛ける盗聴器は虫みたいに大きいし、せいぜいが自動車に載っている巨大な移動電話が最新鋭機器だ。そんな設定で観客を楽しませるにはどうすればよいか。まずは演出、そして役者の演技、最後にストーリーということになろう。

ガイ・リッチーの名前が一般にどの程度浸透しているものかよく分からない。まあ、マドンナの元旦那ということで知られているとは言えるであろうか。だが、映画ファンにとっては、「ロック、ストック & トゥー・スモーキング・バレルズ」、「スナッチ」、そして、ロバート・ダウニーJr.とジュード・ロウのコンビによるシャーロック・ホームズ・シリーズによって、現代の最も注目すべき監督であるという認識がされているであろう。私も、上記の最初の 2作に完全にノックアウトされた口である。この監督の作品は、何が何でも見なければならないと思わせる、数少ない監督のひとり。今回の映画の映像においてまず注目すべきはその、昔のテクニカラーを思わせる若干毒々しい色彩であろう。一貫して何やらノスタルジックな雰囲気を作り出している。ただ、初期の 2作の強烈さに比べると、カメラワークや細部の演出の凝り方は少し大人しくなったかなと思う。彼の作品でおなじみの、人を食ったような超接写のスローモーションは、この映画ではあまり見られない。あるいは、マッドサイエンティストを倒す場面のとぼけたブラックさも、面白いけれども、かなりマイルドだ。もしかすると、そのあたりにこの映画の「中途半端さ」があるのかもしれない。

印象深かったのは、役者たちがいずれも性格の良さを感じさせる点で、ここにはスパイの非情な掟が取り返しのつかない悲劇を巻き起こすという事態は発生しない。主役のナポレオン・ソロは、このがっちりした爽やかさ (?) はどこかで見たと思ったら、現在進行中のスーパーマンシリーズの第 1作「マン・オブ・スチール」で主役を務めたヘンリー・カヴィル。来年は「バットマン vs スーパーマン」で、バットマンを演じるベン・アフレック (!) と対決する (?) らしい。考えてみれば、スーパーマンはこの映画のように銃を撃たないから、このような彼のショットは貴重かもしれない (笑)。
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イリヤ役のアーミー・ハマーは、本物のロシア人ではなくアメリカ人 (曾祖父がロシア系ユダヤ人とのこと) だが、ボソボソとロシア風の英語を喋り、その押し殺した感情の下から人のよさがにじみ出てくるキャラクターを演じて好感が持てる。
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この 2人のスパイと行動をともにするドイツ人女性、ギャビーを演じるのは、スウェーデン人のアリシア・ヴィキャンデル。初めて目にする女優だが、こんな感じなので、堅物のイリヤが心動かされるのも理解できるなぁ。カー・チェイスなどで実際の能力の片鱗を見せながらも、どこか初々しい役柄を巧みに演じている。
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そして、悪役であるイタリア人女性ヴィクトリア役は、オーストラリア人であるエリザベス・デビッキが演じていて、大変美しい。敵役はこうでなくてはと思わせるのだ。ところが、調べてびっくり。彼女は、「エベレスト 3D」で、ベースキャンプの心温かくも冷静な、髪を三つ編みにした医師を演じていた、あの女優なのだ。見ていて全く気付かなかった。さすが女優。化けています。あの名作、バズ・ラーマン監督の「華麗なるギャツビー」にも出ていたらしい。
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まあそんなわけで、それぞれにいい顔をした役者たちを見るだけでも、この映画には価値がある。ストーリーはどうかというと、私は結構面白いと思った。ノルタルジックな時代設定の中、趣向を凝らしたアクションが満載だが、敵をやっつけるのにそれほど奇抜なアイデアが出てくるわけではなく、素直に見ていればよいので、一般受けすると思う。ヒュー・グラントの役なども、別に驚くほどの内容ではないものの、嫌味もなく、ストンと落ちる感じ (?)。この方、ベテランの味が出てきましたね。これからが期待されますよ。
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この映画があまりヒットしなかったとするなら、なんとももったいない話。せめてこのブログでは、普通に見て面白いので、お奨めですと申し上げておこう。

# by yokohama7474 | 2015-12-02 00:02 | 映画 | Comments(0)  

オッコ・カム指揮 ラハティ交響楽団 2015年11月29日 東京オペラシティコンサートホール

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驚くべき演奏を体験した。これは東京のコンサート史上に残る名演奏であったと思うし、首都圏のクラシックファンでこれを聴き逃した方には、地団駄踏んで悔しがって頂こう。フィンランド人指揮者オッコ・カムの指揮するフィンランドのオーケストラ、ラハティ交響楽団が、フィンランドの作曲家シベリウスを演奏した。上記のポスターの通り、3日間で 7曲の交響曲すべてを番号順に演奏し、ヴァイオリン協奏曲を間に挟むという内容。前日のオスモ・ヴァンスカ指揮の読売日本響の記事にも書いたが、シベリウスの生誕 150周年を祝ってのチクルス演奏だ。私はかろうじてその最終回にだけ行くことができたのだ。

会場には、前日読響を指揮してなんとも素晴らしいシベリウスを演奏した指揮者、オスモ・ヴァンスカその人の姿もあった、と思う (そっくりさんを見間違えたのでなければ・・・)。私としては、是非そうであって欲しいのだ。それは、このフィンランドの小都市、ラハティのオーケストラ (創立は 1910年と古いのだが) を世界一のシベリウスを演奏する団体に変えてしまったのは、ほかならぬヴァンスカであるからだ。このヴァンスカとラハティ響のコンビはシベリウス演奏のレコーディングで名を上げ、1999年に初来日して、そのときもシベリウスチクルスを演奏した。私も一部を聴いたが、よい演奏ではあったという記憶はあるものの、詳細は忘れている。そのオケが今回、違う指揮者とともに、今までに聴いたこともないような最上質のシベリウスを東京で鳴り響かせることになろうとは!! その場に、今ではこのオケの桂冠指揮者となっているヴァンスカが居合わせている必要が、やはりあるだろう (そっくりさんだった場合はゴメンナサイ)。

指揮者のオッコ・カムは、私の世代にとってはおなじみというか、むしろ懐かしい人と言ってもよい。第 1回カラヤン指揮者コンクール優勝者として名が知られ、ベルリン・フィルを指揮してシベリウスをドイツ・グラモフォンに録音していた。その後、日フィルを振りに来たり、渡辺暁雄と指揮を分け合って、日本の数都市で行ったヘルシンキ・フィルによる日本初 (だったと思う) の素晴らしいシベリウス・チクルスもあった。ところが最近はメジャー・オーケストラでの活躍はあまり伝えられず、あのラハティ交響楽団の首席指揮者に就任しているとは、今回の来日で知った次第。1946年生まれだから未だ 70になっていない。カラヤン・コンクール優勝は 1969年だというから、彼がまだ 23歳の頃だ。以下は、最近の写真と、若い頃 (あまり若く見えないが 笑) のベルリン・フィルを振ったレコードのジャケット写真。
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つくづく思うのだが、音楽家はその時々の環境によって演奏の充実度や、曲の解釈も変わることがあるのだろう。いろんな巡り合わせで栄枯盛衰が決まって行く。有名だから幸せとは限らず、成功しているからと言って本人が納得しているとも限らない。今日の演奏を聴いて、この指揮者の過去の栄光や、きっと続けていたであろう地道な努力といったものを少し考えてしまった。フィンランドで最も権威のあるオケは、当然首都に所在するヘルシンキ・フィルであろう。実は、シベリウスの 7曲の交響曲中 6曲をこのオケが初演している。ヘルシンキ・フィルは文字通りフィンランドの No. 1 オケである。カラヤンの名を冠した権威あるコンクールで優勝し、世界一のベルリン・フィルと録音もし、フィンランド一のオケの首席指揮者であった (ついでに、もともとはそのオケの楽員でもあった) 人が、60代も後半になって、かつて後輩指揮者が訓練して有名になった小都市の「新興」オケの首席指揮者に就任したということは、人によっては都落ちと見るかもしれない事態だ。フィンランド人のメンタリティーはよく分からないし、就任の経緯も知らないが、プライドが高い指揮者なら嫌がるかもしれないポストだ。だが、そこで最大限の結果を出せば、指揮者にとってもオケにとっても、大変結構なことであって、今回の演奏はまさに余計な雑音や好奇心を忘れさせてくれるものであった。

今回演奏されたシベリウスの交響曲は、以下の 3曲。
 交響曲第 5番変ホ長調作品82
 交響曲第 6番ニ短調作品104
 交響曲第 7番ハ長調作品105

演奏開始前にステージを見ると、これらの交響曲で使用されないはずの、ティンパニ以外の打楽器、具体的には、大太鼓、タンバリン、シンバル、トライアングルがあって。はっはぁこれはアンコール用だなと思ったのだが、タンバリンはともかく、シンバルやトライアングルを使ったシベリウスの作品と言えば、ま、まさか、あの曲か??? 私の予感が当たったか否かについては、また後で。

シベリウスの作風は、初期のロマン派風で平明なものから、徐々に抽象的で凝縮されたものに移って行った。まさに、先に見たモネの画風のようなものだ。実は人生の最後の 30年くらいは一切作品を発表しなかった彼であるが、その沈黙の真意は分からぬものの、交響曲に関して言えば、ある意味では究極のところにまで至ってしまって筆を折ったとも思われる。従ってこれら、最後の 3曲の交響曲は、シベリウス芸術の精華なのである。だが、それはマーラーの晩年のような、人生への惜別という痛々しい様相を呈するのではなく、フィンランドの美しい自然、その神秘的な森と湖のイメージを散りばめたような、繊細で夢幻的な曲になっている。今日の演奏では、5番の冒頭のホルンから、7番の最後で弦が中空に消えて行くまで、まさに音楽の美ということ以外、いかなる雑念も入らない絶美の世界が現出した。音が正確だとか、テンポが適正だとかいう次元ではなく、なんというか、楽譜に書かれた特殊な言語を、もともとその言葉の秘密を知っている人たちが目と目を合わせて、呼吸だけでコミュニケーションを取って、ともに語り続けるような、そんな感じ。あぁこの音はこんな風に鳴るのかと瞠目した瞬間が何度あったことか!! こうして書いていても、言葉の無力を感じる。ラハティ交響楽団、以前のヴァンスカ時代よりもさらに進化しているし、これだけのシベリウス演奏は、世界的に見ても、未だかつてそれほどなされていないだろう。カムは椅子に座っての指揮であったが、丁寧に楽譜を繰りながら、大げさな身振りなく、オケと呼吸を合わせていた。誠に稀有の名演であった。

そして、アンコールが 3曲演奏された。いずれもシベリウスの作品で、まずは、「アンダンテ・フェスティーヴォ」。弦楽合奏が祝祭的でたおやかな演奏を聴かせ、最後に少しティンパニが入る。私にとっては懐かしい曲で、それは、シベリウス自身の指揮の録音を FM からエアチェックしてよく聴いていたからである。2曲目は、「ある情景のための音楽」。ここでタンバリンが登場した。さて、そして 3曲目、私の予感が的中した。シベリウスの若い頃の作品ながら、最もよく知られた曲、「フィンランディア」である。この日初めてカムが暗譜で振る。久しぶりにコンサートで鳥肌が立ちまくった。金管の分厚さも申し分なく、かといって鈍重にはならない。シンバルもトライアングルも、きっちり鳴っている (笑)。弦楽器は、なめらかというよりも、何か中身のしっかり詰まったような音だ。そうだ、これは、木を叩いたような音だ。シルクとか黄金に例えられる弦楽セクションを持つオケはあると思うが、木に例えられるオケとは、フィンランドならではだろう。IKEA の家具か。おっとあれはスウェーデンですな (笑)。ともあれ、この通俗名曲を聴いてこんなに感動したことはない。有名な祈りのようなメロディでは、奏者たちがハミングしているのかと思ったが、そうではない。森にハミングがこだましているような音を、弦楽器が出していたのだ!!

大歓声の中、ふと思い出したことがある。音楽誌のインタビューであったろうか。このオッコ・カムが、「シベリウス以外でお好きな作曲家は?」と訊かれて、「おや、私がいつシベリウスのことを好きだと言いましたか?」と返していたのを読んだことがある。それは、フィンランド人であればなんでもかんでもシベリウスに結び付け、世界のどこに行ってもシベリウスを演奏させられることへのささやかな反抗と皮肉であったのであろう。私もそれはよく理解できて、フィンランドのオケがドイツ物やフランス物を演奏するのを聴いてみたい。いわゆるお国もの偏重はおかしいと思う。だが。だがである。今回のような特別な演奏を聴くと、音楽の根底に位置する、理屈ではない国民性のようなものは、やはり存在するのだなと思った次第。なので、これはこれで、本当に貴重な機会であった。であるがゆえに一層、あれだけの音が出せるオケなら、次回の来日ではドビュッシーかラヴェルなど聴いてみたいものだ。尚、帰宅してから調べて分かったことには、今回の 3回の演奏会では、それぞれ日によって違うアンコール曲が、毎回 3曲ずつ演奏された模様。いやいや、オケの方々、お疲れさまでした。

今日もまた終演後にサイン会があるというので、このコンビによるシベリウス全集を購入し、サインをもらった。これだけのレヴェルの生演奏を聴くと、CD を聴くのがちょっと怖いような。
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このような演奏を作曲者が聴いたら、驚くとともに喜ぶだろうなと思う。彼が早い時期に筆を折った事情について興味があるのだが、よく知らない。なんとなく私の中にイメージがあるのであるが、まずは世の中に出ている本で、機会があれば調べてみようと思う。というわけで、今回は老年のシベリウスの写真でお別れです。
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# by yokohama7474 | 2015-11-30 01:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

オスモ・ヴァンスカ指揮 読売日本交響楽団 (ヴァイオリン : エリナ・ヴァハラ) 2015年11月29日 東京芸術劇場

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以前、ピエタリ・インキネン指揮の日フィルの記事で触れたが、今年はフィンランドの国民的作曲家、ジャン・シベリウス (1865 - 1957) の生誕 150年である。これを受けて東京で活発にシベリウスの演奏があちこちで行われたかというと、実は今年の前半から半ばまではそのようなことになったというイメージがない。だが秋のシーズンに至り、全 7曲の交響曲のチクルス演奏が 2回開催され (ひとつはまだ進行中)、それに加えてこの読響の演奏会と、一気に百花繚乱状態。指揮はいずれもフィンランド人指揮者で、世代を異にする彼ら指揮者のこの三つ巴は大変に興味深い。まずチクルスのひとつは、ハンヌ・リントゥ (1967年生まれ) と新日本フィル、フィンランド放送響の分担。もうひとつは、オッコ・カム (1946年生まれ) 指揮のラハティ交響楽団。リントゥ指揮の演奏会はひとつも聴いていないのでなんとも論評しかねるが、カムとラハティは明日出掛けるので、追って記事にすることになろう。

さて、もうひとりのフィンランド人指揮者、オスモ・ヴァンスカ (1953年生まれ) は読響を指揮して、シベリウスの 7曲の交響曲のうち、3番と 4番を除く 5曲を演奏する。上のポスターでの曲目には 2番が含まれていないが、その曲は既に 11月20・21日に演奏済だ。もう一度この 3人のフィンランド指揮者を生年順に整理しよう。
 オッコ・カム (1946年生まれ) : 1971 - 1977 にフィンランド放送響の音楽監督。2011年より現在までラハティ響の首席指揮者
 オスモ・ヴァンスカ (1953年生まれ) : 1988 - 2008 にラハティ響の首席指揮者
 ハンヌ・リントゥ (1967年生まれ) : 2013年からフィンランド放送響の音楽監督
なんのことはない、2つのオケのポストは、これらの指揮者の間でぐるぐる回っているのだ (笑)。

と書いてから、慌てて訂正しよう。フィンランドは彼ら以外にも多々名指揮者を出している国 (現存者だけでも、セーゲルスタム、サロネン、サラステ、オラモ、マルッキ等々) で、それぞれの個性があるが、今回再確認したことには、このヴァンスカはその中でも、これから巨匠の域に入って行くことは確実だ。素晴らしい指揮者だとは知っていたが、なお進化を続けている。これからも彼のコンサートには可能な限り出掛けたい。
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こういう言い方をしてみようか。クラシックを聴かない人はよく、指揮者が何をやっているのか分からないとおっしゃる。そのような人には、このヴァンスカの演奏を聴いてみて頂きたい。この身ぶりからこんな音が出るのか、ここではこういう表情を強調したいのか、ここのテンポはこのように指示されるのか。そう言ったことが彼の指揮からは大変明瞭に伝わってくるのだ。また、その長身の立ち姿がなんともよい。音楽を体の中に貯めて、オケに対して解き放つような、そんな印象だ。ちゃんと指揮棒を持ち、ヴァイオリンの左右対抗配置も取らない。流行とは関係ないところで、音楽の本質に肉迫することのできる稀有な指揮者である。この人、上記にも名前が出てくる (私が明日、カムの指揮で聴きに行く) フィンランドの地方都市のオケ、ラハティ交響楽団を一躍世界の檜舞台に押し上げた名トレーナーであり、その後も大植英次の後任として名門ミネソタ管弦楽団を最近まで率いていた。読響でも、ベートーヴェンとかニールセンのシリーズをかつて手がけ、いずれも素晴らしかったのである。このオケには今回、3年ぶりの登場。

上記の通り、曲目はすべてシベリウス。

 カレリア組曲作品11
 ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47 (ヴァイオリン : エリナ・ヴァハラ)
 交響曲第 1番ホ短調作品39

最初の 2曲は、聴いてみると意外に構成上の共通点が多い。いずれも 3つの部分または楽章からなり、開始部は森の雰囲気、中間部は静かで緩やか、最後は行進曲調だ。ヴァンスカの指揮は実に効果的にオケのパートごとの強い音を引き出し、見事の一言だ。ソリストのヴァハラは聞きなれない名前で、もしかしたら室内楽はともかく、ソリストとしては初来日かもしれないが、ヴァンスカの秘蔵っ子のような存在らしい。
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フィンランド人で、母国シベリウスのコンチェルトを弾きますというと、あたかも 1発屋であるかのように思うが、なんのなんの、その歌い回しの細かいニュアンスといい、安定した技術といい、世界クラスの音楽家であることは間違いない。アンコールには「ドウモアリガトウゴザイマス」と挨拶してからバッハのサラバンドを演奏したが、これも気品あふれる名演奏であった。ブラームスあたりも素晴らしく弾くに違いない。

メインの交響曲 1番は、テンポは速めであったが、音響のまとめ方が実に堂に入っており、読響が気持ちよさそうに演奏しているのが伝わってきた。冒頭のクラリネットソロや、結構活躍するティンパニ、いざというところで厚く鳴り響く金管も、目立ち過ぎずにしかも充分な表現力だ。ヴァンスカと読響の相性は非常によいと思う。来週はシベリウス・シリーズの第 2弾で、5番・6番・7番という技術的にも難易度の高い 3曲だ。今から大変楽しみだが、読響はこの指揮者とさらに活動を広げるべきだ。場合によっては、現常任指揮者カンブルランの後釜をお願いするというのはどうでしょうか!! そのためには、できればマーラーとかブルックナーのような大曲をヴァンスカの指揮で聴いてみたいものだ。読響の方、もしご覧になっていれば、よろしくお願いします。シベリウスも賛成してくれよう。
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# by yokohama7474 | 2015-11-29 00:20 | 音楽 (Live) | Comments(0)