人気ブログランキング | 話題のタグを見る

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2016年10月6日 サントリーホール_e0345320_22520393.jpg
このブログでも何度か採り上げてきたNHK交響楽団(通称「N響」)とその首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィによる先月、今月の10回に亘る一連のコンサートの掉尾を飾るのは、マーラーの交響曲第3番ニ短調だ。これはまた、N響創立90周年と、サントリーホール開館30周年を記念する演奏会でもある。実はちょうど今日、ヤルヴィのN響首席指揮者としての在任契約期間が3年延長され、2021年8月までになったとの発表がなされた。ヤルヴィのコメントは以下の通り。

QUOTE
N響との初めてのシーズンは極めて楽しいものでした。契約延長によって、今後数年にわたりN響の素晴らしい楽員達と演奏ができる機会を得ることとなり嬉しく思っています。2017年春にはN響との初めてのヨーロッパ・ツアー、そしてリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲に焦点を絞った我々のCDが、初めて海外でリリースされる予定もあり、来年に期待がふくらみます。今シーズンは我々にとってN響創立90周年という非常に大切なシーズンですが、今夕はそれに加えて、光栄にもサントリーホール開館30周年記念を祝う演奏会が行われます。
UNQUOTE

実は私は、このニュースを帰宅してから知ったのであるが、N響さんも慎み深いというか、はっきり言うと、水臭いなぁ。なぜこのよいニュースを会場で大々的に宣伝してくれなかったのだろう。それとも、既に膨大な数の定期会員を抱え、特別演奏会や地方でのコンサートもほぼ常に満員になるオーケストラとしては、この世界の名指揮者を追加で3年も確保できたという素晴らしい成果も、それほど騒ぎ立てるほどのことではないということか。いやいや、でもこれは本当に意義あることではないか。N響さん、もっと宣伝しましょうよ。日本のシニアに向けてではなく、世界の聴衆に向けて!!
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2016年10月6日 サントリーホール_e0345320_23040475.jpg
今回の一連のヤルヴィとN響の演奏会は、マーラーの超大作第8番で幕を開け、大作第3番で幕を閉じる。その間に演奏された5種類のプログラムのうち、私はなんとか4種類を聴くことができたので、ある程度このコンビのイメージが出来てきた。もちろん、未だ2年目が始まったばかりの関係なので、今後発展も見込めるし、紆余曲折もあるかもしれない。でも明らかに言えることは、このコンビが今の、そして今後数年の、日本の音楽界の重要なひとつの顔であるべきということだ。エラい先生たちではなく、個性ある名指揮者たちが真剣に競い合う東京。その代表選手であるには、このコンビが発する音楽的メッセージがクリアに聴き取れなければならない。上質のワインを飲むのに、分厚く幅広なウィスキー用のタンブラーを使う人はいない。繊細なワインの色が見え、香りを嗅ぐことができ、時間の経過とともに熟成する味を実感できるワイングラスを用意するだろう。そんなことは強調するまでもなく、至極当たり前のことであって、ワインをワインとして味わうことのできる環境が必要なように、上質な音楽の鑑賞のためには、それにふさわしい環境が不可欠なのである。今回の演奏、特に終楽章の音の流れに痛く感動した身としては、これこそまさに極上のワインの味わいであって、このサントリーホールだからこそ聴くことができた音響であると信じてためらわない。なんという感動的な歌、なんという深い感情の吐露であったことか。最後の音が虚空に消えて行ったあと、演奏者たちが緊張を解いてもまだ客席は静まり返っており、拍手が起こる前に誰かが大きくブラヴォーを叫んだことで、聴衆たちは我に返ったのであった。素晴らしい音楽体験であった。

だが私は、何もこの演奏のすべてを手放しで絶賛しようと思っているわけではない。第1楽章にはもう少し重層的な響きと、木管楽器の鋭い絡み合いが欲しいと思ったし、音楽の呼吸自体も、それほど深かったとは思えない(例えばこの曲を得意としているハイティンクとかメータと比べると)。第2楽章も、野原に一陣の風が駆け抜けるような音楽を、もっとシャープに出す余地はあったと思う。第3楽章の舞台裏のポストホルンは、さらに幻想的に響いてもよかったかもしれない。どの楽章も若干速めのテンポ設定がなされ、いつものヤルヴィの要領のよいまとめ方であったが、マーラーの音響としては、若干の違和感も時に感じたことを白状しよう。だが、第4楽章で世界的なメゾ・ソプラノであるミシェル・デ・ヤングが深々としたまさに完璧に安定した歌唱を聴かせると、続く第5楽章のビム・バムという天使の合唱(東京音楽大学合唱団とNHK東京児童合唱団)も、この上なく瑞々しく響いたものである。つまりこのあたりまで私は、この演奏の美点と課題をともに感じ取っていた。だが、この世のものとは思われないような美しい第6楽章が始まると、細部を気にすることなく、音楽の流れに徐々に引き込まれていったのである。もしこの演奏が二度、三度と繰り返されれば、また違った洗練ぶりがあったかもしれないが、音楽は生き物。すべてが完璧に響く必要はなく、本当に素晴らしい音を聴ける箇所があれば、その演奏は感動的であるのだと思う。感傷が必要なわけではなく、プロフェッショナルな演奏団体による上質の音が聴ければ、コンサートに出かける価値があるというもの。その意味では、振り返って見ると、このミシェル・デ・ヤングの歌唱が、演奏家たち全員の霊感を引き出したとも言えるかもしれない。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2016年10月6日 サントリーホール_e0345320_23365533.jpg
さて、頻繁にコンサートに足を運んでいると、時に意外な光景を目にすることがある。今日はそのようなことがあったので、ここに書き留めておこう。この曲では、大概合唱団は最初から登場している(サントリーホールの場合は、ステージ後ろの客席=Pブロック、もしくはステージ上)。だが、ソリストは登場方法がまちまちである。今回は、合唱団はPブロックに最初から陣取ったが、ソリストは第1楽章の後に登場した。この曲の第1楽章は35分を要する長い楽章であり、その終了後、ある意味で音楽が一段落するところでのソリスト登場は、分からないでもない。だが、ソリストが歌うのは第4楽章。合唱に至っては第5楽章だ。長い時間、緊張感を強いられることであろう。もちろん、プロの歌手であるソリストは大丈夫であろうが、この曲には児童合唱が入る。子供たちが舞台に出て彼歌い始めるまで1時間くらいあるわけで、ちょっと心配であったのだ。そうすると案の定、児童合唱の1列目の小柄な女の子(小学生であろうか)が、第2楽章あたりから何度か両手を口に当てるのが見えた。くしゃみでもしたいのかと思ったら、第4楽章、つまりソリストだけが静かに歌い出す箇所で合唱団も全員起立したときに、かわいそうにその子は、最初から気分が悪かったのであろうか、あるいは緊張によるものか、ついに両手の中に吐いてしまったのだ。ほんの数秒のことだし、角度からしてもこの異変に気付かない聴衆や演奏者も多かったと思うが、ちょうど正面の席にいた私は、気が気ではない(よそのお嬢さんではあるが、親御さんも会場にお見えかもしれないと思うと・・・)。残酷なことに音楽は、その後ソリストの歌う第4楽章が10分弱、児童合唱が歌う第5楽章が5分弱、そしてオケが歌い切る第6楽章が25分ほど。合計40分の間、一貫した流れと清澄さに満たされており、とても音楽を中断して病人を運び出す暇はない。従ってそのかわいそうな子は、結局40分間、席でうなだれたままであった。左右の子が励ましたり、ステージ奥に陣取るティンパニ奏者までが心配そうにのぞき込んだりしていたが、本当にがっくり力なく席に沈んでいたのである。ヤルヴィもきっとどこかでその異変に気付いたものと思うが、音楽を進めるその手は、冷徹に思われるほど指揮を続けていた。演奏終了後にようやく女性の係の人たちが二人入ってきて、彼女を退出させたのであるが、この小さな歌い手にとってはきっと地獄の40分、いや、全曲の100分が地獄であったろう。いわば、"The Show Must Go On" という舞台の鉄則が貫かれたのであるが、私が思うに、この少女にとってこの経験は、きっと一生忘れないものになるだろう。それは悔しさか恥ずかしさかもしれないが、私にとっては、この日の演奏の後半が感動的に盛り上がったことと、倒れてしまったこの少女との間に、既に因果関係ができてしまっている。つまり、妙な言い方かもしれないが、少女の思いが演奏全体のEmotionをぐっと上げたように思えてならないのだ。晴れの舞台で歌うことはできなかったものの、自己犠牲によって音楽に貢献したのではないか。まぁちょっと同情による美化もあるかもしれないが(笑)、人間の奏でる音楽には、そのような要素があっても不思議ではない。その意味で、この子がそうであるように、私もこのコンサートを今後忘れることはないだろう。

ところで、このパーヴォ・ヤルヴィがかつての手兵、フランクフルト放送交響楽団(現hr交響楽団)を指揮した「マーラー 4つの楽章」というCDがある。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2016年10月6日 サントリーホール_e0345320_00062033.jpg
この録音は一風変わった曲目で、マーラーの4つの楽章、つまり、(1)交響詩「葬礼」(第2番「復活」第1楽章の原型)、(2) 交響曲第10番アダージョ、(3) 花の章(もと第1番第2楽章)、(4) 交響曲第3番第2楽章「野の花が私に語ること」(ブリテン編曲による室内管弦楽版)である。強いEmotionを必要とする楽章を最初に2つ並べ、デザートのような2つの楽章を後半に並べている。聴いてみると、なるほどヤルヴィの表現力の幅には感心するが、何より、爆裂的な音響で終わるのでなく、軽やかな風のごとくスマートに終わっているあたり、鋭敏な感性を感じることができる。同時に、きっと通りいっぺんのことでは満足しない頑固な点もあるのであろう。だがこのような自然な個性こそ、今の時代にふさわしいものであろう。ヤルヴィは11月には今度は別の手兵、ドイツ・カンマー・フィルを率いて来日し、樫本大進との協演も予定されている。その演奏会には行けない可能性は高いが、今後もN響とのコンビで様々な曲を楽しみたい。

# by yokohama7474 | 2016-10-06 23:39 | 音楽 (Live)

ニュースの真相 (ジェームズ・ヴァンダービルト監督 / 原題 : TRUTH)_e0345320_21513613.jpg
最近このブログで映画を採り上げる際にしばしば考察しているのは、空想につぐ空想によって成り立っているファンタジー映画と、現実に題材を求めてそこから信じられない物語を紡ぎ出している映画との違いである。改めて考えてみると、最近の映画にはその両極端が増えて来ているような気がする。そして大概の場合の私の結論は、前者のタイプにはあまりのめり込むことはなく、後者のタイプの映画に鳥肌立つ思いがするということなのである。映画はウソの世界であり空想物語であって大いに結構だが、この時代になると人はもう、どんな空想にも驚くことはほとんどないし、むしろ現実の世界に驚愕の思いを抱くことが多いのではないだろうか。換言すれば、ウソがウソとしてのリアリティを持ちにくい時代。人を食ったような表現だが、どうもそういう気がしてならない。

この映画は、既にメジャーな映画館での上映は終了しており、ちょっと遠出してようやく見ることができたもの。昔懐かしい、いわゆる名画座というタイプの映画館だ。このような劇場が未だ大都市圏には存在していることを嬉しく思う。やはり、見たいと思った映画がなんとかこの手の劇場にかかっているというのは、人生に夢と希望を与えてくれる。大げさと言うなかれ。一本の映画との出会いが、その人の人生を変えることはある。いつそのような映画と出会うかは、私たち自身ではコントロールできないのである。

さてこの映画は、最初に挙げた分類で言えば純然たる後者、つまり、現実に起こった信じられないような出来事を克明に描いているものだ。時は2004年、米国大統領選のさ中に、当時の現役大統領、ジョージ・ブッシュの軍歴詐称というスクープを追ったジャーナリストたちの物語。まず驚くことのひとつめは、描かれている事実が、ほんの10年ちょっと前の経緯であること。ふたつめは、放送局CBSも実名なら、そこで活躍したジャーナリストたちも実名がそのまま役名となっていること。「えっ、そ、そうなの???」
ニュースの真相 (ジェームズ・ヴァンダービルト監督 / 原題 : TRUTH)_e0345320_23233148.jpg
このブッシュ大統領の時代は、911 同時多発テロが起こったこともあり、今後も映画で頻繁に描かれる時代となるだろう。私も随分とそのテロ関係の与太話を書いた本や、それに反駁する論説を読んだし、ブッシュを口汚く非難するマイケル・ムーアの映画や、逆にそのムーアをこっぴどくこきおろした本なども、あれこれ読んできた。この時代とそれを巡る言説については、後世が歴史的評価をするであろうが、その評価が本当に正しいか否かは分からないし、時とともに評価が変わることもありうる。ただ確かなのは、この映画のように真面目な態度でジャーナリストの戦いを描いた映画が作られることで、歴史において権力が作り出そうとするストーリー以外の側面が後世の人々に知られる、ということではないか。歴史評価はしょせん人間の作るもの。正しいか間違っているかなど、そう簡単に結論づけられるはずもない。その点、正しいと信じて行動する人間の思いは、誰の心にも訴えかけるものであろう。その意味で、昨年のオスカー受賞作「スポットライト 世紀のスクープ」に近い面を持った映画である。試みに、両作品の写真を比べてみよう。まずこの映画。
ニュースの真相 (ジェームズ・ヴァンダービルト監督 / 原題 : TRUTH)_e0345320_00435339.jpg
そしてあの映画。
ニュースの真相 (ジェームズ・ヴァンダービルト監督 / 原題 : TRUTH)_e0345320_00442003.jpg
チームで働く勇気が出てきますねぇ!!(笑)

まあ、そのような硬い話(?)は抜きにして、この映画の中身について語ろう。ポスターにある通り、見どころはまず、ハリウッドの大御所ロバート・レッドフォードと、今や現代最高の女優のひとりであることは間違いないケイト・ブランシェットの共演である。今年80歳になるレッドフォードは、若い頃の活躍ぶりに比べれば、キャリア自体の盛り上がりが後年はもうひとつという気がするが、それでも、未だ元気に映画に出ていることは嬉しい。この映画では、実在のキャスターを演じていて、なかなかに渋い。だが正直言えば、老境の演技に涙がこぼれる、という感じではない。言葉を選ばずに言ってしまうと、若い俳優がラバーで老けメイクをして演じているような不自然さを感じるのだ(笑)。でもそれが、デ・ニーロともダスティン・ホフマンともアル・パチーノとも違う、彼の持ち味なのかもしれない。これら3人の俳優たちとの違いは明確で、レッドフォードはアクターズ・スタジオ出身でないということだ。納得できる説明のように思われる。
ニュースの真相 (ジェームズ・ヴァンダービルト監督 / 原題 : TRUTH)_e0345320_23423866.jpg
その一方で、彼を業務上の父と慕う役柄のケイト・ブランシェットの演技は素晴らしい。ジャーナリストの女性というと、芯の強さばかり強調されそうであるが、この映画では彼女の家庭生活も描かれており(亭主とのつかず離れず、あるいは言葉は無用といった関係は、「スポットライト 世紀のスクープ」におけるレイチェル・マクアダムスのそれと共通点がある)、ひとりの女性としての喜怒哀楽もリアルに描かれているのである。これは、書いていて思い出すのだが、彼女の出世作であった「エリザベス」での演技と共通点がある。もちろん、違った役柄を様々演じてきている人ではあるが、役者としての持ち味は一貫したものがあるのであろう。素晴らしい才能。
ニュースの真相 (ジェームズ・ヴァンダービルト監督 / 原題 : TRUTH)_e0345320_00275008.jpg
監督のジェームズ・ヴァンダービルトはこれが初監督作であるが、もともと脚本家で、「アメイジング・スパイダーマン」の脚本と、同シリーズ2作目の原案などを手掛けている。なるほどそうか。エマ・ストーン演じるグウェン・ステイシーが地上に落下するのをスパイダーマンが防げないという、ヒーロー物にあるまじく絶望的で悲劇的な設定を作ったのは、この人なのだろうか。もしそうならば、この「ニュースの真相」のようなセミ・ドキュメンタリーには適性があるのかもしれない。実際、この映画の登場人物たちの描かれ方には、絶対的な悪も絶対的な正義もない。それこそが人生のリアリティではないか。落下するステイシーをスパイダーマンが救えない世界こそが現実なのだ。ところでこの監督、特徴的な苗字なので調べてみると、米国の鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルトの子孫である由。ニューヨーク近郊、ロードアイランドにあるヴァンダービルト邸には行ったことがある。英国の貴族の館のようなすごい場所である。その名門の家系から、このようなハードな映画を手堅く作る手腕を持つ監督が出るとは面白い。1975年生まれだが、なかなか押し出しの強い面構えではないか。
ニュースの真相 (ジェームズ・ヴァンダービルト監督 / 原題 : TRUTH)_e0345320_00250888.jpg
前半でジャーナリストの戦い云々と書いたが、この映画を見た感想は、実はいかなる組織にでもあてはめてみることができると思う。怪文書は一体誰が何の意図で作成したのか。人々はその怪文書の何を恐れたのか。謎が解明されることはない。空気で物事が決まって行くという日本的特性にうんざりすることも多い昨今だが、論理的でフェアプレイを建前とする米国でも、人の集まるところ、様々な力学が働く。なのでここでのジャーナリストたちは決してスーパーヒーローではなく、人間としての限界の中で懸命に生きている人たちなのであり、それこそが説得力あるこの映画のリアリティなのであろう。

空気で大事な物事が決められる前に、名画座で本作品をご覧になることをお薦めしておこう。

# by yokohama7474 | 2016-10-05 00:37 | 映画

サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00014641.jpg
東京が世界に誇る名ホールであるサントリーホールが開場して今年で30年。うーむ、もうそんなに経つのか。開館記念の一連のコンサートシリーズを昨日のことのように覚えている身としては、それだけ自分も年を取ったと思うと感慨もひとしおだ。ではここで、今回の演奏会に先立って30年前にタイムスリップと洒落込もう。このホールの開館には文字通り世界的な音楽家が集ったものである。これが当時の分厚いプログラムの中表紙。
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00225776.jpg
以下、現在のサントリーホール館長であるチェリスト堤剛のサイン(ジュゼッペ・シノポリ指揮フィルハーモニア管との協演)、そのシノポリのサインと、彼が指揮したマーラーの「復活」でアルトを歌った名歌手、ヴァルトラウト・マイヤーのサインと当時の批評記事。
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00234167.jpg
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00244092.jpg
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00261111.jpg
それから、今回のガラ・コンサートにも登場した小澤征爾が、カラヤンの代役としてベルリン・フィルを指揮した演奏会の案内と、吉田秀和によるその演奏の批評記事。加えて、プログラムに載っている小澤のインタビュー。
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00271840.jpg
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00281407.jpg
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00282936.jpg
これら以外にもまさに百花繚乱であった30年前のオープニングから現実に戻ろう。このガラ・コンサートは正装で参加するように事前の呼びかけがあったものだ。私はブラックタイでバッチリ決めて行ったが、実際のところどのくらいの人たちが正装で来るのか、ちょっと不安であった。ところが現地に行ってみてびっくり。ほとんどの人が正装であり、たまにそうでない人がいても、ちゃんと背広にネクタイ着用だ!!そのような人々の募る会場のサントリーホールは、赤絨毯が敷かれてなんとも華やかな雰囲気に包まれた。
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00295600.jpg
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00305310.jpg
そしてホール内にはこのような花が飾られ、さながらウィーンのニューイヤーコンサートのようだ。これはいやが往にも高揚感を覚えざるを得ない。そして、ここに集った紳士淑女は皆素晴らしい着こなしであり、特に女性の場合は、ドレスであったり和服であったりで、年齢や素材(?)に関わらず、誰も彼も美しく見える。東京の文化度を改めて感じ入る。
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00324438.jpg
この日の曲目を、サントリーホールのウェブサイトからコピペしよう。

【第一部】

モーツァルト: オペラ『フィガロの結婚』K492から 序曲 …(M)

シューベルト: 交響曲第7番 ロ短調 D759 「未完成」 …(O)

【第二部】

武満徹: ノスタルジア ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に― …(O)

ドビュッシー: 交響詩『海』-3つの交響的スケッチ …(M)

【第三部】

J. シュトラウスII: オペレッタ『ジプシー男爵』から 序曲
: ワルツ『南国のバラ』 op. 388
: アンネン・ポルカ op. 117
: ワルツ『春の声』 op. 410

ヘルメスベルガーII: ポルカ・シュネル『軽い足取り』

J. シュトラウスII: 『こうもり』から「チャールダーシュ」
: トリッチ・トラッチ・ポルカ op. 214

第三部 全曲 … (M)

(M)=指揮:ズービン・メータ  (O)=指揮:小澤征爾

指揮を執るのは、80歳のズービン・メータと81歳の小澤征爾。大変に仲のよい二人であり、文字通り過去30年間、いやそれ以上の長きに亘り、世界のトップで活躍して来た指揮者たちだ。そうして演奏を務めるのはあのウィーン・フィルなのである。これは文字通り歴史的なイヴェントであり、この世界的なホールにふさわしい世界的なイヴェントでもある。今回はロレックスがスポンサーであったようだが、このホールの小ホールであるブルー・ローズにはドリンクコーナーが設けられ、写真パネルも展示されている。あ、ドリンクコーナーと言っても、タダでドリンクが配布されているわけではなく、ホールの通常メニューの通常料金でしたがね(笑)。

サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00412593.jpg
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00413506.jpg
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00443604.jpg
この演奏会、通常より長い三部構成であり、16時に開演して19時30分頃の終演。いやはや、この世界的ホールの30周年を祝うにふさわしい、素晴らしいコンサートであったし、これを聴くことのできた人々にとっては、一生の宝になるような経験であったろう。

第1部はオーストリア古典派からロマン派の音楽。最初はメータ指揮の「フィガロの結婚」序曲。この指揮者らしい重心の低い音でよく鳴っていたが、やはりそこはウィーン・フィル。重めの音でも優美さに欠くことはないのだ。2曲目は小澤の指揮でシューベルトの「未完成」。いつもの椅子を指揮台に置き、ほとんどが座っての指揮であったが、第1楽章の大詰めや、第2楽章の中間部の盛り上がりではすっくと立ち上がり、往年と変わらぬ歌心に満ちた演奏を展開した。この曲は、このホールのオープニングシリーズの中で、カラヤンに代わって小澤がベルリン・フィルを振って演奏した曲。30年を経て、今回はウィーン・フィルとの演奏である。こんなことのできる日本人指揮者は、もう今後出てこないであろう。何も感傷的になる理由はないが、正直なところ、涙腺が結構危なかったことを白状しておこう。

第2部はフランス的感性が求められる曲。最初は今年没後20年の武満の曲である。小澤は世界に知られた武満演奏のスペシャリストであるが、この「ノスタルジア --- アンドレイ・タルコフスキーの追憶に」を指揮したことはあっただろうか。ちょっと記憶にない。ここでヴァイオリンを演奏したのは、まさに現代ヴァイオリン界の女王、アンネ・ゾフィー・ムターである。
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_00585015.jpg
これは素晴らしい演奏で、ムターのじっくりと歌うヴァイオリンが、ちょっと聴いたことのないような密度を持って響くのは圧巻であった。そして、珍しい光景を見ることができた。それは、スコアを見ながら指揮する小澤征爾である!!この人が暗譜で指揮していないのをこれまで見た記憶がない。もっとも、協奏曲の伴奏の場合は別であるが。・・・あっ、そうか。ヴァイオリン独奏を伴うこの曲は、いわば協奏曲であったのか(笑)。まあそれにしても、繊細な音が紡ぎ出されていた。聴いていると、「弦楽のためのレクイエム」のオーケストラパートをバックに、「ノヴェンバー・ステップス」の尺八パートをヴァイオリンが演奏するような雰囲気も感じたものだ。ところでこの作品に関連する、武満がタルコフスキーについて語っているサイトがあるので、ご参考まで。
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/tkmt.html

そして、武満の感性に通じるフランス音楽の精華、ドビュッシーの「海」。メータのレパートリーとしては決して中核ではないと思うし、スコアを見ながらの指揮であったが、その演奏の美しいこと!!言葉であれこれ形容しても届かない。このコンビは後日ほかのオーケストラコンサートでもこの曲を演奏することになっている。行かれる方は是非楽しみにして欲しい。

そして最後の第3部は、ウィンナワルツである。メータはウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに何度となく登場しており、もともとウィーンで学んだ人だけに、実に大らかに楽しそうに、暗譜でこれらの曲を指揮する。とても先頃80歳になったとは思えない。世の中にこんなに楽しい音楽はない。ただ、その享楽が退廃と紙一重であるからこそ、限られた人生を楽しもうという気になるのである。ここでは、ワルツ「春の声」と、喜歌劇「こうもり」からのチャルダーシュを、イスラエル出身のソプラノ、ヘン・ライスが美しく歌い上げた。
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_01101392.jpg
ニューイヤー・コンサートで「春の声」にソプラノを入れて演奏したのはカラヤンだ。その時のソプラノは、絶頂期のキャスリーン・バトル。なんとも懐かしい。ところでメータは、「こうもり」のチャルダーシュと、アンコールで歌われたレハールの喜歌劇「ジュディッタ」から「私の唇にあなたは熱いキスをした」では、弦楽セクションそれぞれを1プルト(2人)ずつ減らして伴奏していた。歌手の声を消さないようにという細かい配慮であったのだろうか。それにしても、ヨハン・シュトラウスの後にレハールを聴くと、後者のより進んだ退廃ぶりが実感されますな(笑)。

アンコールの2曲目には再びムターが登場。小澤だけでなくメータとの協演も披露しようということか。演奏したのは、クライスラーのウィーン奇想曲。ムターのヴァイオリンはまさに万能。なんとも言えないウィーン情緒が現出した。

そして次に小澤とメータが2人で登場。指揮台には小澤のための椅子は用意されていない。そこで小澤は指揮台に腰掛ける。それを見たメータは、自分もその横に腰掛けて笑いを取る。そして、腰掛けたままのメータの指揮で始まったのは、ヨハン・シュトラウスのポルカ「雷鳴と電光」。「こうもり」の劇中で演奏されることもある華やかな曲で、先頃の小澤征爾音楽塾の演奏でもそうであった。2人の巨匠指揮者はそのうち立ち上がり、譲り合うような競い合うような感じでそれぞれ指揮をする。小澤は踊るようなひょうきんなふりを見せ、雷鳴を響かせるトロンボーンが演奏の度に立ち上がる際に、逐一合図を送っていた。そうして最後の和音とともに、ホールの左右の壁のかなり高いところから、爆竹の破裂音とともに、金色のリボンが大量に吹き出し、客席はもう大盛り上がりだ。日本にしては珍しく、すぐに総立ちのスタンディングオベーションが始まり、この記念すべき30周年ガラ・コンサートは終わりを告げたのであった。これは終演後の様子。床に散乱した金色のリボンを拾う人たちが沢山いた。
サントリーホール30周年記念 ガラ・コンサート ズービン・メータ/小澤征爾指揮 ウィーン・フィル 2016年10月2日 サントリーホール_e0345320_01245353.jpg
帰り道、タキシードを着たまま車を運転して考えた。サントリーホールの30年は、東京の音楽界が世界に伍して行く発展の時期であった。その時代を通してメータや小澤は第一級の指揮者として活躍して来た。その彼らも既に80代。まだまだ老け込むことなく、活躍を続けて欲しい。音楽があれば人生は豊かになるし、つらいことや悲しいことも乗り越えて行ける。そうして、正装で集まって音楽を楽しむことのできる東京の聴衆は、本当に幸せなのだ。ありがとう、サントリーホール!!


# by yokohama7474 | 2016-10-03 01:29 | 音楽 (Live)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : デニス・マツーエフ) 2016年10月1日 NHKホール_e0345320_23033678.jpg
名指揮者パーヴォ・ヤルヴィを首席指揮者に迎えて2シーズン目のNHK交響楽団(通称「N響」)。9月からの新シーズンは快進撃の始まりだ。このブログでも既に今月2回の演奏会をご紹介したが、これもまた素晴らしい演奏会。NHKホールでのC定期である。曲目は以下の通り。
 プロコフィエフ : ピアノ協奏曲第2番ト短調作品16(ピアノ : デニス・マツーエフ)
 ラフマニノフ : 交響曲第3番イ短調作品44

ご覧の通りロシア物なのであるが、その極めて器用な指揮ぶりで既にしてN響の聴衆に強い印象を残しているヤルヴィが、今回もやってくれた。だがそこには共犯者がいた。ピアノのデニス・マツーエフである。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : デニス・マツーエフ) 2016年10月1日 NHKホール_e0345320_23100483.jpg
昨年6月12日、未だこのブログを始めて間もない頃、テミルカーノフ指揮の読響の演奏会の記事で彼の演奏を採り上げた。その大きな体から弾き出されるピアノの音はすべてが生命力に満ちている。個々の音の粒立ちのデリカシーはあまりないものの、ここまでバリバリ弾かれると、脳天が直撃されるような強烈さに打たれるのである。今回マツーエフが弾いたプロコフィエフの2番のピアノ協奏曲は、まさにバリバリの技術が川沿いのラプソディしているような曲(?)。一歩間違えれば濁流に呑まれて流されるような危うい曲だ。特に第1楽章のクライマックスで、波打つようなピアノのバックでオーケストラが咆哮する瞬間は、何度聴いても鳥肌が立つ。ヤルヴィの長い腕がその川沿いのおっとどっこいを導き出す中、マツーエフのピアノは、危ういバランスの中、自ら濁流の中をバリバリ泳ぎ、そして終曲の最後の和音では、以前も見た通り、ピアノの鍵盤に指を押し付けてから、跳ね上がるように立ち上がったのである。凄い演奏だ!!ここではN響の音響の凄さも際立っていた。私はこれまでNHKホールの音響を悪しざまに言ってきたが、どういうわけか今回は音がよく響く。ホールに何か細工されたのか、それともヤルヴィのマジックによるものか。と思いを巡らせていると、マツーエフが2曲のアンコールを演奏した。最初はシベリウスの13の小品作品76から第2曲、練習曲。マツーエフにしては淡々とした曲である。だが2曲目はすごい。以前も読響の演奏会のアンコールで弾いたジャズナンバー、「A列車で行こう」だ。言うまでもなくデューク・エリントン楽団の名ナンバー。だけどここでのマツーエフの演奏では、曲の原型をとどめていませんでしたよ(笑)。

そして後半、ラフマニノフの3番である。この作曲家の最後から2番目の曲で、ハリウッド調の甘美なメロディとリズミカルな音型の織りなす綾に、最後は作曲者得意のグレゴリオ聖歌「怒りの日」までが絡み合うごった煮交響曲。ここでもヤルヴィの面目躍如であり、充実した音の絨毯を見る思いだ。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : デニス・マツーエフ) 2016年10月1日 NHKホール_e0345320_23501446.jpg
このコンビは昨年船出したばかりであるが、もしかすると今後、相当な高みに達するのではないかと予感させるものがある。N響新時代、期待しておりますぞ!!

# by yokohama7474 | 2016-10-02 23:52 | 音楽 (Live)

日本の各地にはそれぞれに興味深い文化遺産が存在している。細かく見て行くときりがない世界であり、なかなかそれらをことごとく踏破するのは難しいが、それでも少しずつ興味深い場所を探索して行きたいと考えている。そんなわけで今回の記事では、岐阜県を採り上げる。「またお寺の記事書いているの?」と家人がウンザリした顔をすると思うが、やはり文化の領域内でどこに行くか分からないのがこのブログ。ご興味おありの方はしばしお付き合い頂きたい。

まず訪れたのは、可児郡(かにぐん)というところにある願興寺。「かに」という地名からの連想で、蟹薬師とも呼ばれている。この寺にはなんと、24体もの重要文化財の仏像があるという。事前に電話連絡を入れ、ご住職のおられる時間帯に伺うこととした。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11112796.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11133480.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11183599.jpg
この寺のある場所は、江戸時代に制定された中山道の御嶽(みたけ)という宿場であり、またもともとは8世紀に東山道(とうさんどう)という街道がここを通っていたとのことで、古代から人々の往来のあった場所であるらしい。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11193147.jpg
寺伝によると、815年に最澄がこの土地に薬師如来を安置したのが起源とのこと。それ以来長い年月を経て来た古寺であり、度々の兵火を乗り越えて貴重な文化財を伝えている。まず、重要文化財に指定されているこの本堂を見てみよう。かなり巨大な堂であるが、錆びた金属製の屋根も痛々しく、つっかえ棒をしていたり、あちこちにいびつな柱があったりして、一種異様な迫力がある。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11295108.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11274287.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11311071.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11314202.jpg
実はこの本堂、1581年に庶民の手によって建立されたもの。それだけ霊験あらたかな蟹薬師への信仰が篤かったということであろう。ご住職は老齢ながら非常に快活な尼さんで、寺の歴史を詳しくご説明頂ける。その説明によると、この重要文化財の本堂は来年秋から10年をかけて解体修理する予定とのことで、檀家のない寺だけに浄財集めに奔走していると言っておられた。そのため中山道関連のイヴェント等でもこの寺の拝観を組み込むなどして、少しでも観光客を呼び込む努力が必要であるようだ。だがこの寺には観光客の興味を惹くものがある。それが、24体の重要文化財の仏像群だ。この収蔵庫に保管されている。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11365875.jpg
中に入るとまさに圧巻。本尊蟹薬師は秘仏であるが、その他の平安から鎌倉にかけてと見られる仏像群は、地方色があるものも多いが、優美な仏様もおられる。このような四天王や十二神将の力強さはどうだ。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11383315.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11390029.jpg
優美なのは、釈迦三尊像や阿弥陀如来だ。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11405236.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11410391.jpg
最近では仏像に関する本も硬軟取り混ぜていろいろ出ているが、みうらじゅんが監修した「東海美仏散歩」(出版社はなんとあの、ぴあだ)にもこの寺の仏像があれこれ紹介されている。この寺のご本尊についてのページは以下の通り。写真では小柄にお見受けするが、ご住職によると、結構大柄の仏様とのこと。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11430440.jpg
子年の4月に公開というから、12年に一度で、次回は2020年。よし、ちゃんと覚えておいて、お参りすることとしよう。実は徳川秀忠がこの仏様の前で泊まったことがあるという。それは、関ケ原に向かう途中、上田城で真田の激しい抵抗にてこずり、結局戦には間に合わなかったわけだが、中山道を上る際、途中でこの寺の本堂に泊まったということらしい。後に天下の第二代将軍となる秀忠、どのような悔しい気持ちでここに滞在したのだろう。またこの寺には、鐘楼を兼ねた門がある。大事にされて来た鐘は、戦時中も招集を免れたという。蟹薬師の名に因んで、上の方に金属製の蟹がはめ込まれている。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11525180.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_11552704.jpg
このように貴重な文化財の宝庫である願興寺、本堂の解体修理がつつがなく行われることを願うとともに、もしこのブログで興味を持たれた方は、来年秋に修理が始まる前に是非一度足を運んで頂きたい。あ、必ず事前に電話で予約することをお忘れなく。

それから私は、大地の歴史を遥か遡る旅に出た。可児郡から少し西に行ったところにある瑞浪市(みずなみし)というところに、地下トンネルを利用した施設があると聞いたからである。そうして辿り着いたのは、瑞浪市民公園。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13214858.jpg
実はこの場所はもともと化石がよく取れるらしく、このような石碑が立っている。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13223365.jpg
ところが今ある施設は少し様子が異なる。戦時中ここには、戦闘機を製造するための地下工場が作られ、そのために中国人・朝鮮人の捕虜が強制労働に駆り出されたというのだ。この看板にあるように、相当な規模である。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13233314.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13263301.jpg
このブログでも松本にある地下工場(公開していないので全貌は不明だが)を採り上げたし、同じ長野県の松代では、大本営を移築するために作られた地下施設を見学したこともある。こうした戦争の傷跡を残す負の遺産も、正しい歴史認識のための保存が必要であろう。上の写真の通り、ほとんどのトンネルは封鎖されているが、一部は研究や見学のために有効活用されている。これはなかなか意義深い試みだ。これが地球の歴史を展示している地球回廊という施設。中は涼しくて、展示物も結構手が込んでいて、ちょっとお化け屋敷風で楽しかったですよ。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13283579.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13284620.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13285509.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13290603.jpg
それから、トンネルそのものに入って行って、そこに残されている化石を見ることができる場所もある。なかなかワイルドだ。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13294945.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13302898.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13303817.jpg
また、ここで発掘された化石を展示した博物館もある。かなり大きいものも出ているようだ。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13320660.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13321642.jpg
また、ビカリアという巻貝の化石が、月のおさがりという名前で、お守りとして尊重された例についての展示もあって興味深い。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13342487.jpg
そして、さすが陶磁器作りが盛んな場所だけに、ここには登り窯があって、現在も友の会が使用中(笑)。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13350768.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13352029.jpg
それに、ほかのところから移築してきた古墳まであるのである。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13361960.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13363203.jpg
このような悠久の歴史を辿る瑞浪公園、市民の方々の憩いの場になっているようであった。そして私は、次の目的地である多治見市の永保寺(えいほうじ)に向かうこととした。ここには有名な国宝建築が二つもあり、以前から行く機会を伺っていたのである。車を降りて寺に向かうと、堂々たる石灯篭が道の両脇に立っている。これは立派である。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13535503.jpg
歴史探訪者たるもの、こういうところで手を抜いてはいけない。早速近づき、素性を確認すると、武州増上寺とある。もちろん、あの芝の増上寺であろう。とすると、将軍家に関連のものであろうか。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13552737.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13554120.jpg
それぞれ、「有章院」「惇信院」尊前とある。帰宅して調べると、前者は第7代徳川家継、後者は第9代徳川家重のことと分かった。きっと増上寺にあって戦争で焼けてしまったこれら将軍の廟の前に立っていたものであろう。これは家継の廟の戦前の写真に色をつけたもの。残っていれば国宝及び世界遺産は間違いなかったろうが・・・。歴史の荒波を越えて岐阜県多治見市で余生を送るこれらの石灯篭は、言葉を喋らないが、その存在感に人は打たれるのである。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_13590763.jpg
さて、永保寺である。この寺は珍しく、入り口から坂道を下って行ったところに境内がある。そのような寺は全国にどのくらいあるだろうか。今思いつくのは、京都の泉湧寺くらいである。坂道を下るにつれ、よく知られた天下の国宝、観音堂が段々その姿を現すのだ!!境内はちょっと銀閣寺を思わせるものもあるが、いずれにせよ素晴らしいワクワク感がここにはある。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_21524866.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_21534100.jpg
観音堂の前には池があり、橋が架かっている。紅葉すればまさに観音浄土そのものだろう。お堂に近づいて行ってみよう。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_21553848.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_21562358.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_21563639.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_21564840.jpg
この凛とした佇まいに、静かに心を打たれる。あいにくの雨であるが、私はしばしその雨の中で立ち尽くす。尋常ならざる美しさである。通常は内部の拝観は叶わないが、写真が掲示してある。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_21584602.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_21590321.jpg
池を回り込んでみても、その姿は美しい。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22002985.jpg
坂道を降りて境内に辿り着くと書いたが、境内のすぐ裏はこのような川になっている。今でも修行道場となっている永保寺は、決して観光にうつつを抜かしている場所ではないのだ。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22020927.jpg
そしてこの寺のもうひとつの国宝、開山堂。なるほど、観音堂よりは小ぶりであるが、これも奇跡の建物だ。よくぞ今日まで残ったもの。ここにも内陣の写真が掲示されている。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22035995.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22044142.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22041364.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22050788.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22052052.jpg
多分このような場所であろうかと想像していたそれ以上に厳しい美に触れることができる場所、永保寺であった。心が洗われた気がする。

さてこの多治見市は陶器で有名なのであるが、私が見たかったのはもうひとつの全く異なった場所。それは多治見修道院だ。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22100903.jpg
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22102243.jpg
オーストリアあたりの修道院を思わせるこの建物は、1930年に創立されたバロック建築。うーん、これはヨーロッパそのものの雰囲気ではないか。その証拠に、周りにはブドウ畑があり、この修道院でワインを作っているらしい!!ええっと、Tajimi Shudouin Winery、なるほど、多治見修道院ワイナリーか。私が訪れた月曜日はあいにく定休日でワインは買えなかったものの、素晴らしい人間の営みを見た気がする。
岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22131471.jpg

岐阜県 可児郡 願興寺 / 瑞浪市民公園 / 多治見市 永保寺_e0345320_22135057.jpg

岐阜県にはまだまだ面白いものが目白押しだ。またご紹介申し上げたいと思う。

# by yokohama7474 | 2016-10-02 22:16 | 美術・旅行