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この演奏会は本来、ポーランド出身の巨匠で、読売日本交響楽団 (通称「読響」) の元常任指揮者であったスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが指揮する予定であったもの。このブログでも話題として採り上げた通り、スクロヴァチェフスキは残念ながら今年 2月21日に 93歳で逝去。日本で大変尊敬されたこの名指揮者の再度の来日に対する聴衆の期待が大きかったがゆえに、彼が指揮する予定であった 2種類 3回のコンサートにおいて、代役としていかなる指揮者が指揮台に立つのか、気になるところであった。ベートーヴェンの「英雄」をメインとする 2回の演奏会には、以前新星日本響 (のちに東京フィルに吸収合併) の指揮者として活躍したチェコ人のオンドレイ・レナルトが登場。そして残る 1回は、なんとあのロシアの名指揮者、読響の名誉指揮者でもあるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーに託された。レナルトも既にベテランで今年 75歳だが、こちらのロジェストヴェンスキーは実に今年 86歳。93歳で逝った名匠の代役としては、いずれも申し分ないものと言えるであろう。レナルト指揮の演奏会のチケットも持っていて、興味はあったのだが、残念ながらほかのコンサートのために行けなくなってしまった。だがこのロジェストヴェンスキーについては、なんとしても聴きたかったのである。その理由は曲目にある。
 ブルックナー : 交響曲第 5番変ロ長調 (シャルク改訂版)

ブルックナーの 5番自体は、もともと予定されていた曲目だが、クラシック音楽ファンなら既にご存じの通り、ブルックナーの弟子であった指揮者フランツ・シャルク (1863 - 1931) の改訂による版は、今日演奏されることはまずない、大変珍しいものである。もちろん、もともとスクロヴァチェフスキが予定していた版ではなく、ロジェストヴェンスキーの選択によるものであろう。ここで、クラシック音楽にあまりなじみのない方のために書いておくと、ブルックナーという作曲家は、自作の交響曲に自らも頻繁に手を入れたし、シャルクをはじめとする弟子たちの手によってもオリジナルと異なるものに改訂されることが多かった。その理由は、この作曲家の作品の際立った独自性、つまり、壮大で劇的だが形式感を欠き、ときにあまりにも冗長に響くという特徴にある。今日我々は彼の作品を繰り返し聴く機会に恵まれ、その特徴をよく知っているが、当時の聴衆はなかなかそれを理解しなかったのである。その無理解を作曲家自身も恐れたし、弟子たちはなんとかして師の作品が受け入れられるようにしたいと思ったことが、ブルックナーの楽譜に様々なヴァージョンが生まれる理由があったわけだ。だが、1930年代からはブルックナーの作品の原典版が出版されるようになり、その後どんどん原典主義が支配的になって行くにつれ、シャルク改訂版を実演で聴く機会は激減し、今やほぼ皆無という状況が過去何十年も続いている。これがブルックナー晩年の肖像だが、彼の書いた壮大この上ない音楽と、伝えられる人間的内向性のギャップが面白く、人間の精神作用の、ひとつの極端な例として興味がある。
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実は今回の指揮者ロジェストヴェンスキーは、ブルックナー演奏においてひとつの大きな金字塔を打ち立てている。それは、未完の 9番の補完された終楽章や、0番、00番はおろか、あらゆる異稿をすべて網羅したブルックナー全集を完成させていることだ。オーケストラは、当時ソ連政府がロジェストヴェンスキーのために既存の楽団を再編成してできた国立文化省交響楽団、現在のロシア国立シンフォニー・カペレである。私は学生時代にアナログレコードでそのいくつかを聴き、その鷹揚な音の響きを楽しんでいた。今では CD で 2セットに分かれた 16枚組が手元にある。あ、もちろんすべて聴いたわけではありません (笑)。
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ところが、ここにも含まれていないヴァージョンがある。それはたとえば 8番のオリジナル版 (インバルがの世の中に紹介した版)、それから、一連のシャルク改訂版である。つまりこのシャルク版は、86歳の老巨匠にとっても、恐らくは新レパートリーではないかと思われるのである。こんな版を実演で聴ける東京は、改めてすごい街だと思うのであるが、録音においても、通常知られているこの曲のこの版は、往年のドイツの巨匠ハンス・クナッパーツブッシュ (長い名前なので、「クナ」と略される) 指揮のものしかないのではないだろうか。ウィーン・フィルを指揮した 1956年のものと、ミュンヘン・フィルとの 1959年のライヴが知られる。ここではウィーン・フィル盤の懐かしいアナログレコードのジャケット写真を掲げておこう。
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私も今回、この演奏会に出かけるに当たって、久しぶりにこのクナの CD を取り出して聴いて行ったのだが、世の中でオリジナル版の長所をズタズタに改ざんしたように言われているシャルク版も、ただ音で聴いている分には、実はそれほど奇異ではない。もちろん、本来弦楽器だけのところにティンパニや金管が伴奏しているとか、弦の音型が少し違っているとか、オクターブ上になっているとか、あるいはこの曲をよく知る人には明らかな終楽章の大幅なカットという点には、気が付くだろう。だが、例えばあのレオポルド・ストコフスキーが手を入れたチャイコフスキー 5番のような、ショーマンシップに溢れた「改ざん」ではなく、もっと地味で真面目である。やはり、尊敬する師の作品を、少しでも聴衆に理解してほしいという弟子の思いが裏にあるからであろう。

さて、今回のロジェストヴェンスキーの演奏である。この人は以前から指揮台を使わず、自分の周りに金属の柵を立てて、長い指揮棒で指揮をするのだが、その点は今回も同じ。だがさすがに 86歳。舞台には椅子 (ストゥール) が置いてある。結局彼は、第 1楽章はすべて立ちながら指揮をし、第 2・3楽章は座って、第 4楽章はコーダの大団円のみ立ち上がって指揮をした。見た感じでは、その指揮ぶりも以前よりは小さい省エネぶりだが、若いころから「指揮棒の魔術師」の異名を取った人のこと、老いたりといえどもオケへの指示は明確で、その棒の振り方も実に自在。左手に指揮棒を持ち、右手の素手だけで指揮するかと思えば、利き腕でないはずの左手だけで指揮棒を振るシーンも見られた。また、第 3楽章スケルツォでチェロに強い指示を送った際に、指揮棒が手元から飛んで行ってしまうアクシデントもあったが、慌てず騒がず、予備の短めの指揮棒をすぐに取り出して振っていた。さすが、百戦錬磨の現場処理能力 (笑)。
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全体のテンポは概してかなり遅め。以前からロジェストヴェンスキーは細部を締め上げるようなことはしない人だが、今回も流れはオケに任せているように思われた。だがその結果、何か大変静かな雰囲気で曲が進行して行き、奇妙な神秘感をそこに聴きとることができたのである。ある意味ではメリハリのきいていない演奏で、スタイリッシュでもなく、切れ味よくもないものの、この指揮者とこのオケが長年培ってきた阿吽の呼吸が、その瞬間目の前で鳴っている音を超えた独特の空間を創り出していたように思われた。ブルックナーの音楽はもちろん神秘的な要素が強いが、今回の演奏は典型的なブルックナー演奏とはどこか異なっていて、何か達観したような雰囲気には、聴き手に感傷すら許さないようなものがあったのではないか。もちろん指揮者の年齢を考えれば、聴衆の方には、彼の音楽をもうあと何年聴けるだろうという感傷が出てきてもおかしくないわけであるが、ひたすら音を聴いていると、そんなことは忘れてしまい、時も場所も超えてただ淡々と音が鳴っているように思われたのであった。だが、最後の最後に来て驚きが待ち構えていた!! この曲の終楽章は、西洋音楽史上稀に見る強烈な盛り上がりを持っている。その終楽章で、上にも書いた大幅なカットがあって、さていよいよクライマックスというところで、最後列にズラリと並んだバンダ (別動隊のこと。ここではホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、チューバ 1、それにシンバルとトライアングル) が、一斉にすっくと立ち上がったではないか!! そして、作曲者が譜面に書き付けた音をさらに増強した、凄まじい音響でコラールが堂々と演奏されたのであ。なるほど、これがシャルクの言いたかったことであり、いたずら者のロジェストヴェンスキーが、曲の最後の最後で東京の聴衆に示したかったものなのか!! この種のバンダの活躍を基本的に好きな私としては、この箇所を聴くことができただけでも、この演奏会に来た甲斐があったと思ったものであった。そう、冒頭のポスターに、「ブルックナーは爆発だ!」とあるが、長く不思議な静謐感の果てに鳴り響いたこの大音響は、岡本太郎ならずとも、爆発という比喩を使いたくもなろうというものだ。終演後の拍手は大変に温かいもので、オケのメンバーが引き上げたあとも指揮者ひとりが呼び出されていた。さすがにこの大曲を振り終えたあとで、老巨匠の様子に疲れは歴然としたものがあったが、その飄々とした持ち味は今でも変わらぬもの。また次回の来日を楽しみにしたい。あ、ブルノ・モンサンジョン演出によるロジェストヴェンスキーの長いインタビュー作品の DVD も未だ途中までしか見ていないので、次回までに見ておかないと。

さて、会場の池袋、東京芸術劇場のロビーには、スクロヴァチェフキの遺品の数々が並べられていて大変興味深い。以下の表示にある通り、展示は少しずつ変えながら、7月12日まで続くとのこと。小さな熊のぬいぐるみなど、意外とかわいいところのあるおじいさんであったのが分かって微笑ましい。なお、写真に書かれたサインはもちろん直筆である。
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以下は、上の表示にある通り、直筆の予定表 (2013年)。簡潔ながらきっちりとした性格を彷彿とさせる。そして、最後の来日時に指揮したブルックナー 8番の総譜と、今回指揮するはずであったブルックナー 5番のパート譜 (あ、もちろん、シャルク版ではない 笑) で、いずれも指揮者自身の書き込みのあるもの。どれもこれも、今となっては貴重な遺品である。
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亡き巨匠を偲びながらも、今我々が実際に聴くことのできる名指揮者たちとの実り多い邂逅を、これからも味わって行きたいと、心から思う。

# by yokohama7474 | 2017-05-20 01:16 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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以前の記事で書いたことであるが、年初から来日オケには世界の超メジャーはほとんどなかったという印象であるが、今年も 4ヶ月半が過ぎようかというところで、ようやくいわゆる超メジャー級の登場である (但し、誤解なきように申し添えると、超メジャーであるか否かは私の独断だし、超メジャー以外がダメと言っているわけでは断じてないので、念のため)。その超メジャーとは、指揮者はエサ=ペッカ・サロネン。1958年フィンランド生まれの 58歳。そしてオーケストラは、戦後、EMI の名プロデューサー、ウォルター・レッグによってロンドンに創設され、その後も数々の名指揮者のもとで輝かしい歴史を刻んできた名門、フィルハーモニア管弦楽団。サロネンがフィルハーモニアの首席指揮者に就任したのは 2008年。以来このコンビは数年に一度は来日していて、日本でも既におなじみだ。実はこのサロネン、作曲家としても大いに活躍中で、昨年 10月からヨーヨー・マのために新作チェロ協奏曲を書くべく指揮活動を一時中断していたというが、その曲は今年 3月 9日、無事シカゴ交響楽団の演奏会で初演されたという。実はそれに先立つ今年 1月、フィルハーモニア管との契約更改が発表された。来季は首席指揮者就任 10年になるわけだが、今後は期限を決めずにその地位が自動更新されて行くという。有名指揮者があちこちから引っ張りだこの昨今、サロネンほどの指揮者をこのような契約でつなぎとめることのできるフィルハーモニアは、やはり大したものではないか。
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私のサロネンへの思いについてはまたあとで述べるとして、まずは今回の演奏会をご紹介しよう。こんな曲目であった。
 ストラヴィンスキー : 葬送の歌 作品5 (日本初演)
 マーラー : 交響曲第 6番イ短調「悲劇的」

なるほど、ストラヴィンスキーもマーラーも、サロネン得意のレパートリーであり、このコンビなら大変期待できるプログラムと言えるだろう。だが、マーラーはまだよいとして、このストラヴィンスキーの曲にはなじみがないが、一体なんだろう。冒頭に掲げたポスターを見ると、マーラー演奏を高らかに謳いながら、左下の小さな丸の中に、この曲について「106年ぶりに発見!」とある。そして実際にこれがなんと、この曲の日本初演!! 実はこの「葬送の歌」という曲、2015年の春にサンクトペテルブルク音楽院の図書館の改修工事の過程で楽譜が発見されたものらしい。発見後の蘇演は、昨年 12月にヴァレリー・ゲルギエフによってなされたばかり。作品番号がついているということは、作曲者自身が自分が世に問う作品と認定していたということであろうが、長らく作品目録には「紛失」と記されていたらしい。この曲は 1909年、作曲者 27歳のときに書かれたもので、前年に亡くなった恩師リムスキー=コルサコフを悼んで書かれたものとのこと。12分くらいの曲であるが、大規模なオーケストラを駆使した哀しみの音楽になっている。だが、冒頭部分では誰しもが「火の鳥」を連想するのではないだろうか。初期の作品とはいえ、これは紛れもないストラヴィンスキーの作品であり、ここにある哀しみは、例えばこのわずか 26年前に書かれたチャイコフスキーの「悲愴」交響曲のそれとは大いに異なって、都会的であり近代的であると思う。演奏後の拍手に応えて指揮者サロネンが、楽譜を大きく掲げていたのが印象的であった。これが、集団写真の中のストラヴィンスキーとR=コルサコフ。えぇっと、弟子がカメラ目線なのに対し、師匠は知らんぷりですね (笑)。これだけ見ると、2人の関係 (特に、師から弟子に対する感情) は微妙だったのではないかと思いたくもなるが、本当のところはどうだったのだろう。
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そして、演奏会は休憩なしでメインのマーラー 6番に入って行った。サロネンのマーラーは、例えばバーンスタイン的な情念の音楽ではなく、この上なく輝かしい力感に満ち、また新しい音響に対する極めて貪欲な作曲家の姿勢 (= それは作曲家サロネンの大いなる共感でもあろう) が強調されるのが常であると思うが、今回もまさしくそのような演奏で、聴く者みなを圧倒するような、マッスとしてのオーケストラ音楽の威力を、最大限発揮したものであったと思う。その意味では、通常のケースよりも若干軽めの音で始まった冒頭の行進曲から、弾け散るように壮絶な最後の和音まで、一貫した強い流れがあったことが、この演奏の大きな特徴であったろう。以前も書いたが、この曲の第 2楽章と第 3楽章の順番には演奏によって違いがあり、昔は第 2楽章スケルツォ、第 3楽章アンダンテが普通であったが、作曲者の意思を尊重し、最近ではその逆の順番で演奏されることも多くなっている。だが私は、つながりから言ってスケルツォ - アンダンテの方が断然よいという立場であり、今回はその順番であったことに、ある種の安心感を覚えたことは事実。その安心感によって、細部がどうのこうのと言う気はなくなったとも言えるが、ともかく全体の流れがすこぶるよい演奏であったのだ。日本でもマーラー演奏は頻繁に行われているので、その比較が興味深かったのだが、全体的な水準としては、東京のオケも決してフィルハーモニアにひけはとっていないと思う。それどころか、例えば第 3楽章アンダンテで特に重要になる木管楽器の緊密な溶け合いなどは、時として東京のオケの方が上ではないかと思われる瞬間もあった。また、弦楽器の厚みやつややかさも、決して昨今の東京のオケは負けてはいない。但し、弦楽器奏者個々人の積極性という観点で見ると、やはり海千山千のフィルハーモニアはさすがに懐が深い。あえて言えば、ときにガサガサする音すら聞こえるほど、弦楽器セクションの前進力に圧倒されたとも言えるだろう。きれいごとでない音楽の凄みを、このコンビで聴くこととなったわけであるが、サロネンの指揮は、実は決して呼吸の深いものではない。それゆえ、音楽の縦の鳴り方という点では、ほかにも優れた指揮者がいるであろうが、横に流れて行く力の素晴らしさには、毎度唸らされるのだ。しんねりむっつりは皆無。切れ味鋭く、集中力の強い音楽は、この指揮者とオケのコンビが現代において持っている高い価値を示していると思う。マーラーの演奏として、これが唯一無二とは言わないが、大いに満足できる演奏であった。終演後には客席は大いに沸き、アンコールはなかったものの、指揮者もオケもまた、満足そうであった。

さてここで、「川沿いのラプソディ」名物、寄り道です。私のサロネンという指揮者に対する思い入れを少し書いてみたいので、彼の指揮に興味のある方にはそれなりに有用な情報になればよいと思います。そもそも彼の初来日は 1987年、当時首席指揮者の地位にあったスウェーデン放送交響楽団とであった。私はそのときにシベリウス 5番をメインとするコンサートを聴きに行き、終演後にサインももらっている。これだ。
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もうあれから 30年経つのかと思うと感慨深いが、当時の 28歳の若者の面影を、サロネンは 58歳の今も保っていて、本当に音楽まで若々しいのが嬉しいではないか。実は彼が世界のスターダムに突如として現れたのは、1983年にこのフィルハーモニア管弦楽団の指揮台に、マイケル・ティルソン・トーマスの代役として急遽登場してマーラー 3番を振ったときであった。よってサロネンにとってはこのオケとのつながりは、マーラーを介して始まったわけである。そして CD では、メシアンのトゥーランガリラ交響曲という名盤をその頃フィルハーモニアと録音していて、それは私の文字通りの愛聴盤になったのである。何度繰り返し聴いたか分からないほどだ。だが、私がサロネンとフィルハーモニアの実演に初めて触れたのは、初来日から 15年を経た1998年のこと。コンポージアム 1998と題された現代音楽のフェスティヴァルで、今回と同じ東京オペラシティコンサートホールを舞台に、リゲティ作品を中心とした一連の演奏会が開かれたが、私が聴いたのは、クリスティアン・テツラフを独奏者とした、そのリゲティのヴァイオリン協奏曲の圧倒的な演奏で、今でも鮮烈に覚えているのだが、その演奏会のメインは、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第 2組曲。大団円で音がぐぁーっと盛り上がって行ったときのとてつもない興奮は、本当に昨日のことのように思い出される。これが当時のプログラムと新聞記事。当時はロサンゼルス・フィルの音楽監督であって、未だフィルハーモニアの首席には就任していなかった。
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さらに、その後のロンドン在住中には幸いなことに、このコンビを頻繁に聴くことができた。彼が首席に就任したシーズンに開かれた極めて意欲的なシリーズ、「夢の都市ウィーン 1900-1935」。ここでは最初のシェーンベルク「グレの歌」を皮切りに、ツェムリンスキーの抒情交響曲や、マーラー 9番、6番、7番、ベルクの「ヴォツェック」など、私のような世紀末ウィーンの熱狂的ファンにとっては、まさに垂涎、狂喜乱舞のプログラムであった。私はこのシリーズにおいて、今回の曲目と同じマーラー 6番をはじめとする多くの演奏会を体験することができ、当時既によく知っていたサロネンとフィルハーモニアの間のケミストリーに、改めて圧倒されたのである。尚、このときの 6番 (2009年 5月の演奏) はライヴ CD にもなっている。
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ここではこれまでの私のサロネン体験の一部をご紹介したのみだが、考えてみれば私は、彼が未だ 20代の、キャリアの初期の頃からずっと聴き続けている指揮者であるということだ。その意味では、ラトルやシャイーや、それ以降の世代については皆同じ状況なのであるが、これらの指揮者たちが今、音楽の歴史を作っているわけである。サロネンの場合、見た目の若さもあって、未だ「巨匠」という名称はしっくりこないものの、やはり現代における最も優れた指揮者のひとりであることは間違いないだろう。今回のサロネン / フィルハーモニアの演奏会には、別プログラムでもう一度行くことができるはずなので、ここで書けなかった点も含め、また次回、サロネンについて熱く語りたいと思います。

# by yokohama7474 | 2017-05-19 01:08 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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この展覧会は、日本人が大好きなパリのオルセー美術館から大挙して作品がやってくるという展覧会。最初にお断りしておくが、2月初旬から開かれているこの展覧会に私が足を運んだのは、ゴールデンウィーク中、より正確には、クラシック音楽の祭典、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの期間中、コンサートとコンサートの間という限られた時間であった。そして気が付くと期間は今週末の日曜日までで、しかも地方巡回はない。実は私の手元には、まだまだほかにも記事のネタはあるのだが、ここでこの展覧会をご紹介しようと思ったのは、たまたまこの記事をご覧になった方に、なかなかに貴重なこの展覧会に足を運べる可能性を少しでも多く持って頂きたいと願うからである。上のポスターにある通り、ここで紹介されるナビ派の展覧会は、日本にとっては「はじめまして」であるらしい。えっ、そうなのか。ゴーギャンの影響を受けたナビ派については、私が過去に日本で見たいくつかの展覧会で目にしているので、既におなじみではないのか。実はここでひとつ個人的に告白をすると、私が多感な青春期に広範な西洋美術に触れることとなったきっかけは、中学生のときに定期購読していた「週刊 朝日百科 世界の美術」のシリーズであったのだ。この全 140冊のシリーズはしっかりバインドされて未だに私の書庫に並んでおり、いつでも手に取ってみることができる。今試みにその一冊をここに持って来てみる。発行は昭和 54年 (= 1979年) 4月26日、価格は 400円だ!!
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ここには、シャガールと並んで、ボナール、ヴィヤール (ヴュイヤール)、そしてナビ派とある。この頃からちゃんとナビ派は美術のひとつのスタイルと認識されていて、私にとってはなじみのある名前であったのだ。だが、書庫に並んだ過去の展覧会の図録を調べても、確かにナビ派を冠したものは見当たらない。ゴーギャンの影響下という意味では、ポン=タヴェン (またはポン=タヴァン) 派の展覧会は開催されているが、ナビ派は本当にこれが初めてのようだ。その意味では三菱一号館美術館、いいところに目をつけたものだ。そしてまた面白いのは、この展覧会の出品作はすべてあのパリのオルセー美術館から来ている。入り口近くに掲げられている挨拶の言葉の中に、オルセー美術館長のものがあって、そこにはなんと、「オルセーは印象派で有名ですが、私は印象派以外の美術の紹介に力を入れていて、そのひとつがナビ派です」などいう趣旨のことが書いてある!! この方、ギ・コジュヴァルという人で、ナビ派の専門家であるらしい。なるほど、日本人が印象派を大好きであることを知りながら、それとは違った分野の作品を 80点あまり (描いた画家は 13人) も日本に持ってきて展覧会を開くとは、実に侮りがたい。そして、明るく爽やかな印象主義 (Impressionism) よりも、暗い情念を持った表現主義 (Expressionism) や象徴主義により心惹かれる私としては、これはやはり必見の展覧会であったのだ。

そもそもナビ派とは何か。ナビとはヘブライ語で預言者のこと。新たな美の預言者たろうとして 19世紀末に起こった若い画家たちの一派で、ゴーギャンの影響を受けて、平面的で装飾的な作品を描いた。と書いてもなんのことやら分からないので、いくつか作品を見てみよう。まず、ナビ派が規範としたゴーギャン (1848 - 1903) の「『黄色いキリスト』のある自画像」(1890 - 91年)。有名な作品である。
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ゴーギャンが最初にタヒチに出向く前の作品で、画面がいくつかの空間に分けられてベタッと色が塗られている。印象派のように輪郭がぼやけてはおらず、斜めを向いて決意に満ちた自分の顔と、後ろに置かれた二点の自作 (「黄色いキリスト」と「グロテスクな頭の形をした自画像の壺」) との対比に、緊張関係が感じられる。キリストの絵は静謐でどこか牧歌的ですらあり、壺の絵は不気味な感じであって、自画像と合わせて赤・青・黄の三原色をなしている。あえて平面的に描いた画面に秘められた数々のドラマ。これこそがナビ派につながるものであると認識した。これは、エミール・ベルナール (1868 - 1941) の「炻器瓶 (せっきびん) とりんご」。1887年の作。もちろんセザンヌの影響はあるであろうが、屋外の風景を主観的な印象によって美しく描くのではなく、室内で物言わぬ静物を輪郭線を使ってしっかり描くという感性から、奇妙な神秘感が醸成されているから不思議だ。
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これはポール・セリュジエ (1864 - 1927) の 1893年の作品、「にわか雨」。これは屋外の風景だが、極めて線的であり平面的だ。そして私たち日本人は、ここには浮世絵の影響があることを決して見誤ることはないだろう。形態は単純だが、ここでも何か詩的なものを感じるのが、やはり不思議に思われるのである。
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次の作品はナビ派結成のきっかけとなった記念すべきもの。同じセリュジエの「タリスマン (護符)、愛の森を流れるアヴェン川」(1888年作)。うーん、愛の森が何物か知らないが、ここに描かれているのは風景であるはずなのに、色彩の並置だけになっている。これはほとんど抽象画と言ってもよいのではないか。私は時折絵画作品を見て、色彩と形態の境界が分からなくなって陶然とすることがあるが (そのような作品を描いた画家のひとりとして、ナビ派とは離れるが、ニコラ・ド・スタールの名を挙げておこう)、これなどはまさにそうだ。セリュジエはゴーギャンの助言を得てこの作品を仕上げ、ナビ派の画家たちから「護符」と呼ばれるようになったとのこと。美しい。
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さてここで、ナビ派の代表的な画家のひとりが登場する。モーリス・ドニ (1870 - 1943) である。1890年作の「テラスの陽光」。上のセリュジエの作品に強く同調していると思われる。このドニは、「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に、一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面である」という言葉を残しているらしい。まさにこの作品ではそれを実践しているわけだ。
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これはケル=クサヴィエ・ルーセル (1867 - 1944) の「テラス」(1892年頃作)。一見印象主義風の平穏な風景にも見えるが、やはり平面性は独特のものだし、例えば細い木の枝が二本同じ方向を向いているのが不気味だし、右端の女性は亡霊のようではないか。鑑賞者のイマジネーションは秘めたドラマを導き出す。
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これは、アリスティード・マイヨール (1861 - 1944) の「女性の横顔」(1896年頃作)。あれ、マイヨールといえば彫刻家ではないのか。そう、ロダンやブールデルと並ぶ近代を代表するあの彫刻家は、本格的に彫刻を始めたのは 40歳を過ぎてかららしい。これは少し乾いた感性であり、新印象派風の点描も見られるが、横顔の女性の物言いたそうな顔にはやはり、ひそかなドラマ性がありはしないだろうか。ただ、その前に立つと非常に静謐な気持ちになる佳品である。
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これは、エドゥアール・ヴュイヤール (1868 - 1940) の 1940年頃のパステル画、「森の中の二人の女性」。こうなると象徴主義的ですらあって、この二人の女性のただならぬ様子 (?) には、近寄りがたいものすらある。だが色遣いは大変きれいだ。
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ここでナビ派のもうひとりの代表的画家をご紹介する。ピエール・ボナール (1867 - 1947)。1891年作の「親密さ」。義弟で作曲家のクロード・テラスという人物を描いているそうだが、壁のアラベスク模様と人物のパイプから昇る煙が一体となっている不思議な光景であり、最前部には絵を描く画家自身のものと思われる手がデカデカと描かれている (当然浮世絵の影響だろう)。このような室内の日常風景や静物を描くスタイルをアンティミスムと呼ぶらしく、ナビ派にはこの種の作品が多い。
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さあここで、ナビ派という範疇に入れてしまってよいものか否か分からない、私のお気に入りの画家が登場する。フェリックス・ヴァロットン (1865 - 1925) である。この三菱一号館美術館で 2014年に開かれたヴァロットン展は私にとっては素晴らしい衝撃であったのだが、実はそれに先だつ 20年前、1994年にブリヂストン美術館で開かれた「ヴァロットンの木版画」展を見たことが、私がこの画家に開眼するきっかけであったのだ。今回何点もの彼の作品と再会することで、その神秘性に改めて打たれたのである。これは 1898年の「化粧台の前のミシア」。この絵のモデル、ミシア・ゴドフスカは、ナビ派の画家たちが参加した芸術雑誌「ラ・ルヴュ・ブランシュ」を創刊したタデ・ナタンソンという人の妻であるらしい。ヴァロットンとナビ派のつながりは、やはりあったわけだ。
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やはりヴァロットンの「髪を整える女性」(1900年作)。これはもう、米国のエドワード・ホッパーを思わせるではないか!! 鳥肌立ちますな。
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そして、私がヴァロットンに開眼したジャンルである木版画の作品も掲げておこう。「アンティミテ」というシリーズの中の「外出の身支度」(1897年作)。皮肉っぽく描かれているのは、時代を超えた夫婦の間のすれ違いか???
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ここでまたドニの作品を見たい。1889年の「18歳の画家の肖像」。自画像である。18歳にしては髭などはやして、生意気である (笑)。世界が世紀末に向かう中、未来に希望を抱いていた芸術家の肖像なのだ。色調はクリアである。
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そしてヴュイヤールを 2点。ナビ派の画家たちはお互いに仲がよかったらしいが、この「読書する男」(1890年作) は、上に作品を掲載した友人のケル=クサヴィエ・ルーセルの肖像である。色彩は明るいが、人の内面を映し出すような落ち着きと神秘性がある。
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これもヴュイヤールの「八角形の自画像」(1890年作)。これもいかにもナビ派らしく、単純な色遣いでありながら心に残る構図だ。
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すみません、ここでまた 2点、ヴァロットン。1897年の自画像と、1899年の「アレクサンドル・ナタンソンの肖像」。自画像は意外にも、顔も端正なら描き方も丁寧だ。また、アレクサンドル・ナタンソンは、上で名前の出た兄弟のタデ・ナタンソンとともに、ナビ派が集った芸術雑誌を創刊した人。ヴァロットンの高い筆力が窺われる。
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これはドニの 1891年の作品、「婚約者マルト」。ドニはこの婚約者を何度も描いているらしいが、このパステル画にも愛情が感じられる。それにしても、ナビ派の人たちはお互いや、それぞれの家族を大事にしあっている感じがする。彼らが師と仰いだゴーギャンのワイルドさは、どうやら模範にはしなかったようである (笑)。
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ドニをもう 1点。1897年作の「メルニオ一家」。これも平和な光景。だが、ルノワールのような甘さはなく、現実か夢か判然としない雰囲気である点、私には好ましいと思われるのである。
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だがドニの心の中には、劇的なものへのひそかな志向もあったのではないかと、この 1890年の「磔刑像への奉納」を見ると思われてくる。ドロドロしたものを表面に持ってくるのはなく、精神の均衡は保たれているのだが、ここから象徴主義までの距離は、意外と近いのではないか。
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ヴュイヤールにも近い感性があるが、また独特だ。1891年の「ベッドにて」。水平の線がいくつか画面を横切っていて、上部は直線だが下部は曲線。右端には垂直方向の線がぎゅぎゅっと詰まっている。そして、壁に見える T の字は、実は十字架なのである。静謐な宗教性と無意識の世界が織りなす夢の世界は、シュールまであと一歩である。
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またドニに戻って、1893年の「ミューズたち」。平面的だが装飾的という典型的な例だが、ここに漂う倦怠感は、ムンクあたりに近くなってはいないだろうか。
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ナビ派にも、もうちょっと危ない方向に走った画家がいた。ポール・ランソン (1861 - 1909)。これは 1906年頃の「水浴」。平面性と装飾性は、はい、ありますね。でもこの緑の渦を巻く水や、謎のオリエンタルなライオンの彫像、そして手前の毒々しい赤い花など、ドニやヴュイヤールとは明らかに違う、一歩進んだ (?) 積極表現。あまり自宅には飾りたくないなぁ (笑)。
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これなども多大に呪術性を含んだ作品である。ジョルジュ・ラコンブ (1868 - 1916) の 1895年の彫刻作品「イシス」。もちろんエジプトの女神の名前である。血の乳を流す女神は、一体何を伝えようとしているのか。その表情はうつろで、民に語り掛ける様子はない。
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ここで見た通り、この展覧会は、既によく知られた印象派とは違う世界、そしてまた退廃性あふれる世紀末美術としては若干異色な世界に触れることができる。ナビ派の画家たちは 1860年代から 1870年代生まれ。音楽の世界ではマーラーやリヒャルト・シュトラウス、ドビュッシー、またシベリウスといった人たちと同世代だ。欧州各国の帝国主義の膨張から世界大戦に向かって行く時代の中で、新しい表現を模索した芸術家たち。印象派だけが近代フランス絵画ではないということを知るには、大変重要な展覧会である。残り期間はあとわずか。未だ行かれていない方には、是非お薦めしておこう。

ところで、冒頭近くで掲げた 1979年の「週刊 朝日百科 世界の美術」では、なぜナビ派とシャガールを一緒に扱ったのだろう。シャガールはユダヤ系ベラルーシ人で、もちろんナビ派よりもさらに大きな流れである (だが画家それぞれの個性はより際立っていた) エコール・ド・パリの画家だし、生年も 1887年で、ナビ派とは違違う世代。そして何より、絵画のタイプがかなり違うと思うが・・・。まあ、40年近く経ってから文句を言う筋合いのものでもないので、1冊で様々な美術を楽しめる号であったと割り切るとしよう (笑)。

# by yokohama7474 | 2017-05-17 23:14 | 美術・旅行 | Comments(0)

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今私がこの記事を書き出したのは、このコンサートが終了してから 2時間半後。既に夜半となり、風呂上がりのビールを飲んだ私は既にほろ酔い気分。このところの出張や業務や接待メシや文化活動、それに伴う移動などで、それなりに疲れが溜まっていて、少し眠気を覚える。だがそれにもかかわらず、私の耳の底には未だ、このコンサートで鳴り響いていた第一級の音が渦巻いているのである。実に素晴らしい演奏だった。

このブログをご覧になっている方は先刻ご承知かと思うが、東京におけるオーケストラ活動は、私の見るところ、間違いなく世界一。もちろん、何をもって世界一と評価すべきはなかなか簡単ではないので、例えばウィーンやベルリンよりも本当に上かと訊かれれば、即答はできない。だが、ここ東京に存在するオーケストラの数と、来日オケ公演を含んだ演奏会の数、それから、もちろんそこに登場する演奏者の顔ぶれ、ホールのクオリティ (この点は若干の例外もあるが)、聴衆のクオリティ、そして、演奏される曲目のヴァラエティ、それらをすべて勘案すると、やはり東京は世界一のオーケストラ都市であると言ってよいと思うのである。上記の要素のうち、曲目について考えてみると、マーラーやブルックナーの大曲が多いことは言うまでもないが、最先端の現代音楽や古典派のレパートリーも絶えず演奏されている。だがそんな中で、東京で聴く機会が決して多くない分野のひとつに、英国音楽があると言えるように思う。もちろん、尾高忠明は、かつて BBC ウェールズ交響楽団のシェフを務めた関係で、英国音楽を演奏するケースが多いが、彼のコンサートで演奏される頻度が多い英国音楽は、エルガーやウォルトンではないか。その点、今回東京都交響楽団 (通称「都響」) が取り上げた曲目は意欲的だ。
 バターワース : 青柳の堤
 ティペット : ピアノ協奏曲 (1955年作、日本初演)
 ヴォーン・ウィリアムズ : ロンドン交響曲 (交響曲第 2番) (1920年版)

日本では英国音楽の愛好家は決して多くないと思うし、正直なところ、私自身もそうである。昔は三浦淳史という音楽評論家がいて、随分と積極的に英国音楽を紹介していたが、最近そのような評論家がいるとは思えないし、そもそも音楽評論なんて、読む機会が激減してしまっている。なので、このような曲目ではきっと客席はガラガラかと思いきや、満席ではないものの、結構席が埋まっていたのである。つまり、あまり聴く機会のない曲への期待感が、聴衆の側にはあったはずだ。そしてこのような曲目であるから、指揮者も英国人である。1959年生まれのマーティン・ブラビンズ。彼はつい最近まで名古屋フィルの常任指揮者を務めていたのは知っていて、どうやら職人的手腕のありそうな指揮者のようで、ちょっと興味はあったのだが、実際に聴くのは今回が初めて。現在はロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督だ。
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英国からは数々の名指揮者が生まれていて、私もその中の何人か、例えばエードリアン・ボールトとかジョン・バルビローリとか、あるいはコリン・デイヴィスのような巨匠たちは、心から尊敬するものである。彼らの誰もが多かれ少なかれ英国音楽を演奏し、多くの録音も残されているが、英国の管弦楽曲で最もポピュラーと思われるエルガーの交響曲ですら、私は溺愛するには至っていないし、英国の多くの作曲家の作品に聴かれる保守性に、少々うんざりすることもある。だがそれゆえにこそ、このようなすべて英国音楽というプログラム、しかも 1曲は日本初演というプログラムには、興味を持ったのである。

今回の最初の曲目、バターワースの「青柳の堤」は、題名は聞いたことがあるものの、実演で聴くには初めてだ。そもそもこの作曲家の作品は、あのカルロス・クライバー指揮の非正規盤で小品を聴いたことくらいしかない。ジョージ・バターワース (1885 - 1916) は、英国の民謡を採集して創作にいそしんだが、惜しいことに第 1次大戦に出征して戦死しているので、ごく少数の作品しか残っていないのである。家柄は結構よかったらしく、イートン校からオックスフォードに進んだインテリ。顔にも、どことなく野性味のある知性が窺われる。
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この「青柳の堤」(原題は "The Banks of Green Willow") は、6分ほどの短い曲で、彼が採集した民謡と自身の作曲による旋律から成っている。英国音楽らしい平明で保守的な面はあるものの、傾聴するとなんとも美しい曲であり、そして、ブラビンズの的確な指揮による都響の、実に美しい演奏!! 31歳で散ってしまった才能を惜しむ気持ちは誰でも抱くであろうが、だが、限られた人生でこんな佳曲を残したという事実だけでも、後世の人たちが忘れてはならない人であると思う。

そして 2曲目は、20世紀英国音楽を代表するマイケル・ティペット (1905 - 1998) のピアノ協奏曲で、なんと今回が日本初演。ティペットの作品は、代表作であるオラトリオ「我らの時代の子」を、録音でも実演でも聴いたことがあるし、ショルティが初演した交響曲第 4番や、チェリビダッケがロンドン交響楽団と来日したときに採り上げた典礼舞曲 (オペラ「真夏の結婚」から) などを通して、その作風には一定のイメージがある。だが、その長い生涯の経歴についてはほとんど知識がないし、ピアノ協奏曲を書いていたことも知らなかった。
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解説によるとこの曲は、1950年に英国公演を行ったドイツの名ピアニスト、ワルター・ギーゼキングが弾くベートーヴェンの 4番のピアノ協奏曲のリハーサルを聴いて刺激を受けて作られたものとのこと。第 1楽章が全体の半分を占めることや、緩徐楽章である第 2楽章が短い点がベートーヴェンの 4番のコンチェルトと似た構成とある。うん、たしかに 4番はそういう構成だが、楽章の長さよりも顕著な特色は、第 1楽章はピアノ・ソロで入り、第 2楽章はオケの弦楽合奏で入るという、鮮やかな対照が明確である点ではないか。このティペットの曲は、そのような対照は意図されていないようなので、あまりベートーヴェンの曲のことを気にする必要はなさそうだ。聴いていると、この曲においてはピアノはあまり雄弁に語ることはなく、終始何か呟いているような印象で、一方のオケの方も、壮大に鳴る場面は多くなく、木管の一部がハモったり、弦楽器のワン・セクションだけが旋律を奏でたりと、薄い音響が多く聴かれる。面白かったのは第 1楽章のカデンツァで、チェレスタの伴奏がつくこと。このようなキラキラした感じが、ティペットのひとつの持ち味と言えるであろうし、何よりも、ここでもオケの妙技が抜群で、非常に楽しめる演奏になった。あ、言い忘れてしまったが (笑)、ソリストはやはり英国人 (と言っていいのかな、スコットランド人である) のスティーヴン・オズボーン。1971年生まれで、2015年の都響ヨーロッパツアーで共演歴があるらしい。今回は驚くような演奏ではなかったものの、譜めくりを横につけながら、自然体でうまく曲の流れを作り出していたと思う。
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さて、そして後半の大曲は、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ (1872 - 1958、RVWと略される) のロンドン交響曲。彼も英国を代表する作曲家であり、9曲の交響曲を書いていることは有名だが、実演で聴くことは決して多くない。ましてやこのロンドン交響曲は、作曲後に交響曲第 2番という番号が与えられているが、50分の大作であり、誰もが親しんでいる内容とは言えない。これが若い頃の RVW。
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私が RVW の交響曲に最初に触れたのは高校時代で、アンドレ・プレヴィンの指揮する南極交響曲 (第 7番) だったと記憶するが、正直なところ、あまり乗れなかった。その後、ハイティンクとロンドン・フィルの全集も購入したものの、そのセット物 CD のすべてを聴いたわけではないという、その程度のつきあい (?) である。だが、「トーマス・タリスの主題による幻想曲」(映画「聖杯たちの騎士」での使用が印象的であった) と「グリーンスリーヴスによる幻想曲」は大好きでよく聴いているし、RVW が指揮者として残したマタイ受難曲の録音も持っている。ともあれこのロンドン交響曲、標題音楽の一種であるが、作曲者自身が詳細の説明を好まず、「ロンドンっ子が書いた交響曲」と称している。今回初めて実演で聴いたが、なかなか面白い音楽だ。第 1楽章をたとえてみるなら、冒頭はシュトラウスの「アルプス交響曲」風の夜明けに始まり、「オペラ座の怪人」と「パリのアメリカ人」と中国の音楽が順番に出てくる、と言えばよいだろうか。この曲を聴いたことのない人にはチンプンカンプンだろうが (笑)、知っている人には分かるはず。以前何かのテレビで、その「オペラ座の怪人」風の箇所を面白おかしく紹介していたし、また、ロンドンの街の喧騒を表す音楽は、まさにガーシュウィンの「パリのアメリカ人」のようだ。そして、いかにも中国の音楽のようなメロディで盛り上がるのだが、これはいわゆる五音音階という奴で、RVW が採集した英国民謡から発想されているようである。ちなみに RVW は前述のバターワースよりも 17歳上だが、この二人は意気投合して英国民謡採集をともに行う仲であったらしく、このロンドン交響曲は、戦死したバターワースに捧げられている。さてこのようなごった煮音楽を面白く聴くには、ひとつ重要な条件がある。それは、とびきり上質な音質である。その点こそ、今回のブラビンズと都響の演奏の成功の第一の理由であろう。弦楽器はもちろん、木管も金管も、もうこれ以上ないほどのクオリティであり、音のパースペクティヴが完璧であった。まさに惚れ惚れする音とはこのこと。弦楽器の各パートは、先頭から最後列まで均一の音が鳴っていたが、これは一流オケの証明である。実際、演奏し慣れているはずのないこの曲を、手慣れたマーラーを演奏するごとくに余裕をもって演奏した都響のメンバーに、最大限の賛辞を捧げたいと思う。そしてもちろん、オケに気持ちよく演奏させたのは指揮者の功績。奇をてらったところは全くなく、実に真摯に棒を振り続けたブラビンズ、期待通りの高い職人性で、素晴らしい音楽を成し遂げたのである。

曲が静かに終わったあと、東京のコンサートホールではいつも聴かれる静寂があり、そして大きな拍手とブラヴォーの声。聴衆は皆、この演奏を楽しんだのである。印象的だったのは、ひとしきりカーテンコールが行われたあと、指揮者が聴衆に対して拍手をしたこと。きっとブラビンズは、東京の聴衆のレヴェルの高さを再認識したに違いない。決してポピュラーとは言えない英国音楽をこれだけ高度な音にするオケと、それにブラヴォーで応える聴衆。我々はそれを誇りに思いたい。私は常々、いわゆるお国ものには疑問を覚えることが多く、英国人指揮者だからといって英国音楽を指揮すべきだとは思わないが、このような演奏が聴けるなら、お国もの大歓迎である!! このコンビによるヴォーン・ウィリアムズの演奏、今度は 5/21 (日) に池袋の東京芸術劇場で、南極交響曲 (交響曲第 7番) が予定されている。私はそれに出かけることはできないが、これはお薦めである。

さて、記事を書き終わろうという今、酔いは既にさめてしまったが、でもあの都響の音は耳に未だ残っている。今晩はよい夢を見ることができるだろう。ロンドンの喧騒の夢でないことを祈ります (笑)。
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# by yokohama7474 | 2017-05-17 01:14 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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1979年生まれの若手指揮者のホープ、山田和樹が日本フィル (通称「日フィル」) を指揮して行っているグスタフ・マーラー (1860 - 1911) の全交響曲の連続演奏会、いわゆるツィクルスも、今年で 3年目に入り、いよいよ最後の 3つの交響曲 (番号のついていない「大地の歌」及び未完成の 10番は除く) が演奏される 。上のポスターにある通り、「第 3期 昇華」というタイトルがついている。因みに第 1期は「創生」、第 2期は「深化」であり、毎年 3曲ずつ順番にマーラーの交響曲を演奏して来ているのである。また、もうひとつの特色は、名実ともに日本を代表する作曲家、武満徹 (1930 - 1996) の作品を毎回組み合わせていること。このブログでは昨年の 4・5・6番をご紹介したが、私はこのツィクルスを最初から (出張で聴けなかった 2番を除き) 聴いて来ているので、いよいよ 3年目の仕上げに入ったことに大きな感慨と期待を抱くものである。そして今回の曲目は以下の通り。
 武満徹 : 夢の時 (1981年作)
 マーラー : 交響曲第 7番ホ短調「夜の歌」
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今回もいつものように演奏前に山田が登場してプレ・トークを行った。それによると、このシリーズを続けてきて、自らも、計画した当初考えたことと、実際にやってみて分かることとの違いを感じるとのこと。それは、自らの指揮の変化、マーラーの作風の変化、そして武満とマーラーの意外な共通性といったものである由。未だ 30代の指揮者としては、いかに天才といえども当然、日々進化の過程にあるであろうし、また、よく言われる通り、マーラーの作品には彼自身の人生が暗示あるいは予言されているという要素もあるので、創作の過程を時系列に従って辿ることによる発見は、必ずあるだろう。そして、これまであまり言及されて来なかった武満とマーラーの共通点については、私自身も毎回新鮮な思いを抱いている。もちろん、共通点とともに相違点もまた多く感じるわけであるが、時代も場所も文化的背景も超えて、例えば生と死の問題であるとか、人間と自然の対立や融和とか、あるいは音響美学という点においても、興味深い共鳴を耳にすることができるように思う。さて山田は今回演奏する第 7番が、マーラーの中で最も人気のない曲ゆえ、今回のコンサートのチケットの売れ行きもよくないと嘆いて聴衆を笑わせたが、なんのことはない、会場のオーチャードホールはほどんど満席だ。もちろん、この 7番がマーラーの交響曲で最も人気が低いことについては私も同意するし、多くの人が同意見であろう。山田はその理由のひとつとしてまず、マーラー自身が、初期の交響曲について書いたような詳細な曲の内容についての説明を、後年はしなくなったことを挙げた。そして、「夜の歌」というタイトルがよかったのか悪かったのか分からないが、終楽章などはハ長調で光が差すような音楽であって決して暗くはないし、交響曲として珍しいギターやマンドリンといった楽器の使用 (マーラーがうまく書いているので、PA 使用による補強も検討したが、なくてもよく聞こえるので不要と判断したと) も、夕方のセレナードというよりは、東洋的な雰囲気を出すために使われていて、そこにはロマン主義という時代の美学もあると主張。さらに、マーラーと武満の共通点として、バッハ研究を挙げた。マーラーは晩年バッハの楽譜を持ち歩いていたらしく、特にこの 7番の終楽章は、バロック音楽の研究成果であるという評価が一般的だ。また武満もバッハを深く尊敬し、最期の病床でもマタイ受難曲を聴いていたことを例に挙げていた。そして興味深かったのは、このような現象はもちろんバッハ個人の音楽への傾倒もさることながら、西洋音楽の原点であるバッハに遡ることで、モーツァルトやベートーヴェンをもそこに見ていたのだろうという山田の言葉である。つまりそれは、西洋音楽の流れの中に自分を置く試みであって、マーラーも武満も、そのような先人たちに学ぶ姿勢によって歴史に名を留める存在になったということを意味していよう。現代にもそのような作曲家たちが多く存在して欲しいと思わないではいられない。ここでは大バッハに敬意を表して、その肖像画を掲げておこう。
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さて今回の演奏であるが、山田の内外での活躍ぶりを知っているせいか、これまでよりもさらに一段の高みに到達したように思われてならない。最初の武満の「夢の時 (ドリームタイム)」は、オーストラリアの先住民であるアボリジニの天地創造の神話に想を得たもの。典型的な武満の美しい作品で、思い出してみると岩城宏之が手兵メルボルン交響楽団と来日したときに取り上げていたのをテレビで見たのが、私のこの曲との出会いであった。それは 1987年のこと (ちなみに岩城はこの曲の初演者であり、それは 1982年に、当時の岩城のもうひとつの手兵であった札幌交響楽団を指揮してのものであった)。私は当時、最初にこの曲を聴いたときから、時折ズーンと鳴り渡る和音に心地よさと神秘感をいつも覚えるのである。また、ここでの夢の世界の顕現には、映画芸術の夢との類似がイメージされているようで、いかにも映画マニアの武満らしい。だが驚くべきことに、この曲はもともと、チェコ出身の前衛振付家、イジー(英語読みで「イリ」とも)・キリアンの委嘱による舞踊音楽なのだ!! ダンスの音楽にしては全く拍節感がないのであるが、それはそうだ。夢の世界だもの (笑)。ただ音楽史には、拍節感のないバレエ音楽として有名な例がある。それはもちろん、伝説のニジンスキーが踊ったドビュッシーの牧神の午後への前奏曲だ。武満との共通性という点では、真っ先に名前の挙がるのが、この作曲家である。また、以前も記事で採り上げたが、武満の創り出した美しい音響は、ロシアの天才監督、アンドレイ・タルコフスキーの映画に表現されたような究極の夢幻性との共通点も、感じずにはいられない。武満の描いた夢の時間はまた、音楽史や映画史の記憶と結びついた、美的感覚に酔うことのできる時間であったのだ。今回の山田と日フィルの演奏のように、極めて繊細に、だが自然に美麗な音が響いてくると、このような曲はレパートリーとして定着し、将来の聴衆にも是非楽しんでもらいたいと切に思うのである。これが、「夢の時」初演に近い頃のキリアン。
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そしてメインのマーラー 7番であるが、山田の解釈は非常に洗練されたものであり、弦を中心とするオケの熱演によって、この渋い曲の魅力が、実は侮れないものであることを再認識させるに充分であったと思う。例えば冒頭部分、さざ波が起こって湖にボートが動き出すような音楽は、普通はもっと緩やかに重々しく奏されることが多いが、今回の演奏では、陰鬱さを感じさせないテノールホルンのしっかりしたソロによって、遠い世界への呼びかけのように響いた。英語で言うと Evocation などという言葉があり、日本語では「召喚」ということになろうか、神秘性を含む言葉のイメージだ。だがこの場合の神秘性は、前半の武満の曲のそれと同様、あくまで美的な感覚であって、おどろおどろしいものは感じない。今思い返せば、今回の山田の解釈では、第 3楽章の「影のような」と譜面に書かれたスケルツォですら、必ずしも闇の音楽ではなかったし、終楽章も、様々な演奏の可能性のある中で、かなり輝かしさに意識を置いたものであったと思う。第 2楽章、第 4楽章の「夜の音楽」の性格も、そう、たまたま前日にジョナサン・ノットと東京交響楽団で聴いた「タクシードライバー」の危険なニューヨークの夜の雰囲気とは異なり (笑)、あくまで美学としての夜のイメージ、ここではないどこかを思わせる遥か彼方へのロマンということであったろう。そうなると、頻繁にオケがひきつけを起こすような第 1楽章も、これも前日のノットと東響で聴いたベートーヴェン 8番のスフォルツァンドとは異なり、諧謔味はないが、しかし退廃的なものでもないように響いたと書いてしまおう。全曲を通しての弦楽器の共鳴には素晴らしいものがあり、特にヴィオラが深く音楽をえぐっていた。中音域の充実によって、この曲らしい晦渋さは表現されていたものの、素晴らしいのは、それがしんねりむっつりしたものではなく、常に前進力を音楽に与えていたのである。要するに、ここで山田は、陰鬱な世紀末的退廃ではなく、美的なロマン性を推進力を持って表現することで、この曲の魅力に新たな光を当てたということではなかったろうか。

演奏を終えた山田の顔には、充実感が溢れており、自身もかなり手ごたえを感じる出来であったろう。多くの場合日本のオケの課題である金管パートには、今回もごくわずかな課題はあると思ったが、炸裂する音響も随所に聴かれ、迫力充分であった。何より、山田和樹という若い逸材とこのような充実した共同作業を行うことで、オケの皆さんの語彙もより拡充するであろうから、日フィルのマーラーの在り方を今後も追求して頂きたいものだと思ったことである。このツィクルス、次回はいよいよ 6月初旬、超大作の 8番だ。鳥肌立つ名演を期待しております。

# by yokohama7474 | 2017-05-15 00:39 | 音楽 (Live) | Comments(2)