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このブログでは昨年の 4、5、6番以降をレポートして来ている、山田和樹と日本フィル (通称「日フィル」) によるマーラー・ツィクルスもいよいよ 8回目。今回の曲目は以下の通り。
 武満徹 : 星・島 (スター・アイル)
 マーラー : 交響曲第 8番変ホ長調「千人の交響曲」

このマーラー 8番という曲は、西洋音楽史上でも一、二を争う規模の巨大な作品。私はこのブログのたった 2年の短い歴史の間で既に 2回、この曲の記事を書いたので (2016年 7月 3日のハーディング / 新日本フィルの記事と、2016年 9月 9日のヤルヴィ / NHK 響の記事)、これで 3度目になる。以前も書いたことだが、この曲が平均して年一回は演奏されるようなことは恐らく、世界広しと言えども東京でしか起こらない。さて今回も、演奏前に指揮者である山田和樹のプレトークがあって、それがまた大変面白いものであった。まず冒頭は、前回の 7番のときと同じく、このマーラー・ツィクルスを続けてきたことで自分のマーラー観が変わったという率直な思いの吐露に始まった。そして、今回のツィクルスで唯一、同じ曲目で 2回の演奏会を開く (それゆえ、この記事に掲げたチラシは、ツィクルス本体とは異なり、この演奏会独自のものである) ことについて言及された。それから、前日の演奏会の途中で山田の指揮棒が客席に飛んでしまったことに触れて客席の笑いを取ったのであるが、そもそもこの曲が 2回演奏された理由 (のひとつ) はもちろん、この曲を演奏するために必要とされる資金である。そこで山田は、お金が今回のキーワードのひとつという、芸術家にあるまじき (笑) 発言をしたのだが、その話がつながったのは、この曲の後半のテキストが採られているゲーテの「ファウスト」なのである。山田いわく、今回の演奏を期として、ちょっと「ファウスト」を勉強してみたが、ここには錬金術というテーマがある。もともと金銭は、硬貨というそれ自体が価値のあるものから、紙幣という、集団がその価値を信じないと流通しないものへと発展した。だが人間の欲望は、何もないところから金を生み出すという発想に憑りつかれていたのである。そして山田の話は、ゲーテの戯曲においては錬金術の延長で人間 (ホムンクルス) までも作り出してしまうことに触れられ、その魔術を達成するのが、あろうことか、ワーグナーという名前の男であること、そのようなことは既に科学の発展の結果、現代では AI によって既に現実のものとなりつつあること、等が述べられた。このツィクルスにおける山田の語りは常に熱意のこもったもので、スタッフの人が時間がないことをリマインドしに来るのが通例であるのだが、今回は舞台下から何やら紙が差し入れられた。山田がそれを読んでいわく。「そろそろ武満のことも喋って下さい、ですって」・・・なるほど、それには意味があったのだ。今回マーラー 8番と組み合わされて演奏された武満徹の曲は、「星・島 (スター・アイル)」。これは 8分程度の短い曲で、早稲田大学の創立 100年を記念して作曲され、初演は 1982年10月21日、岩城宏之の指揮による早稲田交響楽団によって行われたのであるが、そのとき後半で演奏されたのが、ほかならぬマーラー 8番であった由。山田自身はそのことを全く知らずにこの 2曲の組み合わせを考えたらしい。うーん、芸術においては時折そのような奇妙な偶然が起こるものなのである。あ、それからもうひとつの素晴らしい偶然。この曲の冒頭はよく知られる通り、ラテン語で「ヴェニ・クレアトール」、つまり「来たれ聖霊よ」なのであるが、西洋には聖霊降臨祭 (ペンテコステ) というものがあり、毎年年に 1日だけなのであるが、今年はなんとなんと、今日なのである!! 芸術における偶然と言えば、こんな話がある。マーラーがこの曲を書いたとき、声楽が入らないオーケストラだけのパートを短くしようとしたが、どうしてもできない。そのように呻吟していると、なんとその箇所は印刷のミスで歌詞が抜け落ちており、本来は声楽のテキストが入るべき箇所であったらしい。その抜けていたテキストは、マーラーが削ろうとしてどうしても削れなかった場所にピッタリはまったという。何やら身の毛もよだつような不思議な話である。これは 15世紀に描かれた聖霊降臨祭の様子。
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さて、今回この大曲に挑んだ日フィルは、一週間ほど前には、首席指揮者ピエタリ・インキネンの指揮でワーグナーのたった (笑) 2時間半のオペラ、「ラインの黄金」を演奏していたわけである。それぞれの演奏会のリハーサルを入れると、このところ日フィルの楽員さんたちは大変ヘビーな生活を送ってきたのであろう。しかも今回の演奏、歌手の皆さんもその「ラインの黄金」から続いての出演である人たちがいる。ソプラノの林正子、アルトの清水華澄、そしてテノールの西村悟である。まあしかし今回の演奏、(昨日の「天地創造」と同じく)、オケの楽員のごく一部を除いた全員の演奏者が日本人であることは、なんともすごいこと。世界広しといえども、そんなことをひとつの国の人たちで成し遂げられるのは、もしかすると日本だけではないだろうか。

武満の「星・島 (スター・アイル)」は、冒頭の金管がメシアンを思わせるもの。その後打楽器を含んだ強い音響も現れるが、全体的には弦楽器を中心とした美しい曲調なのである。今回の山田と日フィルの演奏は例によって丁寧なもので、武満ワールドを見事に現出した。大曲の前座の短い曲ではあったが、洗練された美しい演奏。未だ 30代の山田の世代は、このような日本の現代音楽をこれからも演奏し続けて行くことで、貴重な日本の文化遺産を後世につないで行ってくれることだろう。実は今回、私の手元にある武満徹全集の解説を見てみると、1987年に秋山和慶がチューリヒ・トーンハレ管弦楽団を指揮したこの曲の演奏について、興味深い批評が掲載されている。

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気持ちのいい不協和音で耳をくすぐり、多少苦味のある音響世界がまれに爆発しても、ご機嫌をとるような弦の和音に包み込まれてしまう。武満にはこれよりももっとオリジナルなものがあるはずである。
UNQUOTE

なるほど、この頃から武満は曲の個性よりも自らの感性を重視し始めたような気がする。1980年代の世界は、もう少し苦いものを武満に求めていたのか。なんとなく分かる気もする。山田の柔軟な感性はしかし、21世紀の我々には、このような武満の美しい曲が必要であることを明確に示すのである。

そして今回のメインであるマーラー 8番。私は以前から山田のマーラーを、その音響の奇抜さに驚くのではなく、ごく当たり前に違和感なく受け入れ、また表現できる世代の演奏だと考えているのだが、今回もそのような鮮やかさを持つ、実に素晴らしい演奏であった。会場のオーチャードホールは、例えばサントリーホールと異なり、舞台の後ろと左右は閉ざされた空間。ゆえに、そこに陣取った 300人以上の合唱は、恐るべき力を伴ってまっすぐに客席を襲うのである。これは歌っている人たち自身も、クラクラと眩暈を覚えるほどの音響ではなかっただろうか。冒頭からして聴き手を驚かせるこの曲の大合唱は、今回の演奏では悠揚迫らざるテンポで始まったのであるが、そこで聴かれた様々な音たちのぶつかりあいを、なんとたとえよう。聖霊の降臨とはこのようなものであったのか。驚くべきは、前半がラテン語、後半がドイツ語で歌われるこの曲を、合唱団 (武蔵野合唱団と栗友会合唱団) 全員が暗譜で歌ったことである。これはすごいことなのであるが、この大規模な合唱を自在に操る山田の指揮を見ていると、彼の持つ多くの肩書のひとつが、東京混声合唱団の音楽監督兼理事長であることに思い至るのである。いわば、曲の最初から最後まで、もちろん第 2部前半のオケだけのパートを含め、人間の声が彩る宇宙の音 (マーラー自身が夢想したもの) が壮大に鳴り響いたと言ってしまいたい。今回は指揮棒を飛ばすこともなく (笑) 全曲を振り終えた山田は、客席から既にブラヴォーの声がかかっているにもかかわらず、終演後しばらくは指揮台で立ち尽くしていた。そうだ、後半に使われたゲーテの「ファウスト」の言葉を借りれば、「時よとどまれ、おまえは実に美しい」(私の手元にある池内紀の訳から)。もちろん、東京少年少女合唱隊 (楽譜を見ながらの歌唱) や、上記でご紹介した以外の歌手、ソプラノの田崎尚美と小林沙羅、アルトの高橋華子、バリトンの小森輝彦、バスの妻屋秀和、いずれも熱演であり、中でも「おいしい役」である栄光の聖母を歌った小林沙羅の声が天から降り注ぐことで、会場全体がマーラーの理想郷を具現したのである。ただ唯一惜しむらくは、合唱団の前に位置したソリストたちの声が合唱に埋もれがちであったことであろうか。ともあれ、この童顔の指揮者の今後が本当に楽しみである。
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この充実した演奏を聴くことができる東京の聴衆は幸せだと思うのであるが、今回隣り合わせで鑑賞した私の畏友、吉村さん (仮名???) と話し合って思い出したことには、この日フィルは随分昔にこのマーラー 8番を演奏している。それは、渡邊暁雄の指揮。日フィルの創設者である彼の指揮でこの曲が演奏されたのは、今を遡ること 36年、1981年のこと。実は私はその時の演奏を FM からカセットテープに録音していて、今でも手元にあるのだ。ちょっと恥ずかしいが、1982年 1月に放送されたその演奏を、当時 16歳の私が書いたカセットのカバーをお見せしよう。
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この写真で明らかな通り、私はこれを、当時から薄すぎて保存に問題ありと言われた 120分テープに録音したのだが、実は今日帰宅してから全曲聴いてみた。すると!! 結構いい音質で、全く保存上の問題もなく素晴らしい演奏が再現されて、心からビックリしたのである!! そもそも 21世紀も 17年経過している現在、カセットテープを聴くことができるとはなかなか希少なことかと思うが、私の手元の古い安物のミニコンポも、この演奏のクオリティにビックリしたのか、このようにフタが閉じなくなってしまった (笑)。もっともその後、なんとか押さえつけて閉めることができたのだが。後ろに見えるのは、バイロイトで買ってきた紙の袋と、2015年に国立西洋美術館で開かれたグエルチーノ展のポスターだ。
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ここでもう一度確認すると、武満の「星・島 (スター・アイル)」の初演時に岩城宏之の指揮でマーラー 8番が演奏されたのは 1982年10月のこと。そして上記の渡邊暁雄指揮日フィルで同じ曲が演奏されたのは、1981年 9月のこと。なんのことはない、東京では 35年も前から、この曲は毎年演奏されていたのである!! なお、上記のカセットテープには、このマーラー 8番の演奏の前に、尾高忠明 (当時 33歳) 指揮の東京フィル (通称「東フィル) によるモーツァルトの 1番と25番が収められている。このモーツァルトの演奏は、今ではありえないような分厚い音の演奏なのであるが、テープの余白に録音された放送時の解説によると、この年創立 30年を迎えた東フィルと、前年に創立 25年を迎えた日フィルの演奏を続けて放送したらしい。おっとここでもうひとつ思い出したが、当時何かの音楽雑誌に投稿した人がいて、そこには、「日本には誇るべき音楽が 2つある。ひとつは朝比奈隆指揮のブルックナー。そしてもうひとつは、渡邊暁雄指揮のマーラーだ」とあった。うーん、今この 8番の演奏を久しぶりに聴いてみて、その人の慧眼に思い至る。シベリウス演奏の世界的権威でもあった渡邊の業績を、今回の日フィルの素晴らしい演奏とともに思い出してみたい。そして東京の音楽界は、さらに先へと進んで行くのである。
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# by yokohama7474 | 2017-06-04 23:58 | 音楽 (Live) | Comments(6)

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東京のオーケストラのあれこれの演奏会を採り上げているこのブログであるが、以前も少し書いた通り、昨今の東京のオケの指揮台に登る日本人指揮者の顔ぶれは、かなり固定化して来ているように思う。そんな中で、ほかの指揮者とは違うタイプでその地位を確かなものにしている人がいる。いや、人「たち」と言うべきであろうか。もともとは古楽器によるバロック音楽をレパートリーとしながらも、通常オケを指揮する人たち。その一人は、以前このブログでも東京交響楽団との演奏をご紹介したバッハの世界的権威、鈴木雅明。そしてもう一人はその弟、今回の指揮者、鈴木秀美 (ひでみ) である。
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この人は 1957年生まれだから今年 60歳になる。もともとはチェリストであり、兄雅明が主催するバッハ・コレギウム・ジャパンをはじめ、海外でも 18世紀オーケストラ、ラ・プティット・バンドといった名だたる古楽オケのメンバーとして活躍。ただ最近は指揮活動を活発に行っており、2001年には自らオーケストラ・リベラ・クラシカという古楽オケを結成、ハイドンの交響曲など、CD もあれこれ出している。今回はそんな鈴木が新日本フィルに客演し、採り上げる曲目はハイドンのオラトリオ「天地創造」である。東京という街が面白いのは、実際にステージで耳にできるレパートリーの多様性によるところ大である。古楽の世界で間違いなく世界トップクラスの指揮者が、このような宗教音楽の代表的作品を、通常オケで採り上げるのを聴くことができる意義は大きいのである。

この「天地創造」は、ハイドンのオラトリオとして最も有名であるだけでなく、上記の通り、西洋音楽における宗教音楽屈指の傑作として知られる。内容は文字通りキリスト教における天地創造の神話を扱っており、3部からなるうち、第 1部は天地創造の第 1日から第 4日「光、水、海と陸、すべての植物の誕生」を描いている。第 2部は第 5日と第 6日「すべての生物の誕生」、そして第 3部はアダムとイヴによる神の讃歌と愛がテーマ。全曲で 100分程度の曲で、通常は第 1部、第 2部が続けて演奏され、休憩の後に第 3部が演奏される。今回もそうであったのだが、その場合の時間配分は前半 70分、後半 30分という感じになる。だが内容に鑑みてこのアンバランスは致し方ないだろう。第 1部と第 2部は神による天地と生物の創造であるのに対し、第 3部は人間と、そこには明確なテーマの違いがあるからだ。今回も、ソプラノ歌手は前半と後半で衣装を変えて登場するという面白い趣向であった。そもそもハイドンの特色は、例えばモーツァルトと比較して明瞭であるのは、その人間性であろう。このような壮大な設定の音楽においても、常にどこか人間的な要素があるのであり、彼の音楽を演奏する際には、その点がやはりポイントとなってこよう。その点では今回の鈴木と新日本フィルの演奏、まさに万全とすら言える出来で、弦と管、合唱と独唱、独唱者同士、それぞれに呼吸をよく心得てニュアンス豊かな音がホールを満たしたのである。ヴァイオリンの左右振り分けと指揮棒の不使用は当然として、弦楽器が完全にノン・ヴィブラートであったのも説得力があり、何よりも各パートの活き活きしたこと!! 聴いていると心地よいばかりか、ちょっと大げさなようだが、この地球に生命が誕生したことへの感謝の念まで沸いてくるから不思議である。例えば最近記事にした、日原鍾乳洞の暗闇から出て明るい光のもとで小川の流れを見たときに五感が敏感に一気に反応したような、あの感覚を思い出してしまったのである。この地上に栄える命が、人間すらもが、絶対者の手による創造だという感覚は、どの宗教でも違和感なく共通するところがあるように思う。
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今回の演奏では、コーロ・リベロ・クラシコという合唱団が歌っていたが、これは、鈴木の結成したオーケストラ・リベラ・クラシカが 2015年 1月に大阪のいずみホールで行ったモーツァルトのハ短調ミサの演奏の際に結成された、プロ・アマ混在の合唱団であるらしい。もっとも、今回は陣容拡大の必要あり、合唱団名の最後に「アウメンタート」(拡張された) という語がついている。素晴らしい歌唱であったが、合唱指揮者がいないのか、演奏後にはメンバーのリーダーとおぼしき女性が、指揮者の紹介で拍手を受けていた。尚、通常の合唱団のメンバー配置は、女声と男声がはっきり分かれるものだが、今回の合唱団は、真ん中あたりでは男女が混淆していた。響きの効果と関係しているのであろうか。また、独唱者は、バス・バリトンの多田羅廸夫 (たたらみちお) は、ちょっとベテランの味が出すぎたきらいがないでもなかったが、ソプラノの中江早希やテノールの櫻田亮は、新鮮さに好感を持つことができた。このようにこの演奏、指揮者も独唱者も合唱団も、それからオケも (2名の外国人メンバーを除いては) 全員日本人。これはこれで、意義のあることには違いない。会場の入りはもうひとつであったが、これはまさに傾聴すべき名演であり、もっと多くの人に聴いて欲しいと思ったものである。

さてそれではここで、「川沿いのラプソディ」名物、脱線と行きましょう (笑)。まず、この鈴木秀美だが、私は以前、あるお寺の堂内で、彼のバロック・チェロの独奏を聴いたことがある。バッハの無伴奏の何曲かが演奏されたのだが、畳敷きの木造の部屋で聴くと、残響が全然なくて曲の持ち味が出てこず、閉口した。「あぁ、やっぱり西洋音楽は石造りの部屋で聴きたい」と思ったものだが、演奏の合間には鈴木のユーモラスな語りもあり、また終演後には直接会話させて頂く時間もあって、全体的にはなかなか楽しかった。バロック・チェロはこの写真のように、楽器を支える先端の金属部分がなくて、足で挟むから大変だと伺った。
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そのときにはまた、彼の「ガット・カフェ」というエッセイを購入して、そこにサインを頂いたのであった。
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さて今回の演奏会のプログラムを見ていて、彼が海外でそのメンバーとして演奏したという団体に、ラ・プティット・バンドがあるのを見て、ふと思い出したことがある。これは有名な古楽オケで、リーダーはシギスヴァルト・クイケン。私はこの団体の演奏を、もちろん日本でも聴いているが、一度海外でも聴いている。それはちょっと変わった場所なのだが、スペインの首都マドリードだ。その時にはバッハのカンタータなどを聴いたが、ソプラノが日本人であったことを覚えている・・・。と、そこまで思い出してから、急に私の脳髄を電流が走る。今思い出すとその歌手は、スズキさんではなかったか。もしそうなら、きっと鈴木美登里、つまりは鈴木秀美の奥さんである!!
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帰宅して書庫をあさったところ、プログラムが出て来た。1999年11月23日のこと。確かに Midori Suzuki とある。やはりそうだったか。そうするともしかして、そのときには秀美さんもオケでチェロを弾いていたのではないだろうか。そして、おっと、よく見るとアルトはなんとなんと、チェコの名花、マッダレーナ・コジェナーではないか!! 確かに彼女はバロックも歌うが、まさかこんなところに出演していたとは。
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因みこれがそのコジェナーとそのご主人。ん? この男性はどこかで見たことがあるぞ。確かクラシック界ではメチャクチャ有名な人ではないか (笑)。この人がベルリン・フィルと 11月に来日するようだが、そのチケットは現在、大変に高騰しているのである。もしご存じない方は、このブログの記事で「ベルリン・フィル」を検索してみて下さい。
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そんなわけで、様々な場所で様々な演奏家との巡りあわせがあるのも、文化逍遥の醍醐味と言える。そんな演奏家たちが入れ替わり立ち代わり登場する東京の音楽界、面白すぎる!!

# by yokohama7474 | 2017-06-04 01:59 | 音楽 (Live) | Comments(4)

早いもので、このブログを開設してから今日、2017年 6月 3日でちょうど 2年が経過しました。正直、まだ 2年しか経っていないのか、随分経ったような気がするなぁという気持ちです。そして、5/23 (火) をもって訪問者総数が 10万人を突破、この記事を書いている時点で 103,299人という数字です。何の気なしに急に思い立って始めたブログであり、しかも生来の無精癖もあって、ほかの方のブログで自分のブログを宣伝するようなこともやったことがないし、周りの人たちにもそれほど知らせていないので、たまたま検索で引っかかったことをきっかけに、何度も訪れて頂く方が多くおられるということかと思います。10万人とはまた大変な数字で、今後記事が増えるとともに加速度的に増えて行くわけでしょうから (記事の数が減ることは多分ないわけで 笑)、有り難いのはもちろんですが、気楽に始めたブログにしては、ちょっと責任も出てきてしまったかと、やや焦っております。まあそれにしても、ゾンビ映画の隣に文芸映画があり、ブルックナーの交響曲の隣に坂本龍一の初演曲があり、仏教哲学の隣に新しい SF があり、海外の演劇の隣に能があり、古代文明の遺跡の隣にアール・ブリュットありと、こんなごった煮なブログも、そうそうはないのかなぁと思っていますが、例えばユジャ・ワンの記事を求めて来た人が仏像についての記事を読んで下さったり、ワーグナーの記事を求めて来た人が永井荷風についての記事を読んで下さったりということがあれば、いわゆる文化というものの多義性をいろんな方々に感じて頂けるかと思うと、こんなブログでも何かのお役に立てることもあるかもしれないと思っています。

ここでお決まりの定点観測をすると、2015年 6月 3日から今日までは 732日 (今日を含む)。その間に書いた記事はこれを含めて 623。この記事を含む「その他」に分類したものが 12。ということは、732日間に 611の記事を書いているので、約 1.2日に 1記事ということになる。いつも申し上げることだが、私は普通の勤め人なので、残業も飲み会も出張もあり、時には記事の時刻から、「はっはぁ、このラプソディは明らかに飲み会のあとの泥酔状態で書いてやがるな」とバレてしまうものもあるかと思うが、まあそれも、文化の諸相をいろんな人たちに向けて語りたいという熱意の表れと思って頂ければ幸いである。

いつもこの種の記事では、昭和の俳優の写真を使って来たが、今回は趣向を変えて、色紙の写真を載せることとしよう。これは、先般訪れた市川文学ミュージアムで購入した、井上ひさしの言葉 (あ、もちろんオリジナルの書ではなく、コピーです)。
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むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと

私は決めましたよ。これを今後の座右の銘にします。是非今後とも、よろしくお願い申し上げます。

# by yokohama7474 | 2017-06-03 20:09 | その他 | Comments(0)

千葉県 成田山 新勝寺

前回の記事の最後に、いずれまた千葉の歴史的な場所を訪れて記事を書くと宣言した私。そしてまたまた、千葉県の歴史的な場所についての記事なのである。おっと随分手回しがよいじゃないの、と思われる方もおられよう。だが実際のところ、私が今回ご紹介する成田山新勝寺は、最近訪れたのではあるが、その理由たるやなんともいい加減なもの。川沿いのラプソディとしては、偶然のトラブルすらも最大限活用して文化探訪をする心がけが大変に大事なのであって、それをここで申し上げておく意味はあると、勝手に自分に言い聞かせているが、何をグチャグチャ言っているかというと、こういうわけだ。ある金曜日、出張先の空港の免税店で購入したちょっとよいワイン 2本を手にして、成田空港に到着した。ところが、自宅方面に向かう成田エクスプレスは当分ない。ちょっと小腹も減ったし、コーヒーショップで時間をつぶすかと思い、そのようにしたのである。さて、45分後、成田エクスプレス車中でくつろぐ私の姿があった。その横にはいつもの出張用のカバン・・・だけで、免税店で買ったはずのワインは影も形もないではないか (笑)。車中でそのことに気づいた私は一瞬天を仰ぎ、人生来し方行く末への思いを走馬燈のように頭の中で駆け巡らせ (大げさや奴だな全く)、ワイン紛失場所の可能性及び、取るべき行動の選択肢を瞬時にして頭の中に列挙、その選択肢の各々につき 0.数秒で評価をくだし、このようにした。1. 成田空港のコーヒーショップに電話をして、ワインを確保してもらう。2. 明日 (土曜日)、車を飛ばしてワインを取りに行く。3. そのついでに、成田近辺での歴史探訪をする。・・・そんなわけで、以前から一度行ってみたかった成田山新勝寺に、突然行くことになったのである。もちろんその日、土曜日の午後には都内でコンサートの予定があり (しかもハシゴ)、その翌日の日曜日には、既に記事にした海北友松展を見るための京都弾丸往復、及びまたしても都内でのコンサートがあったので、かなり忙しい文化的な週末になったのである。まぁ、単なる不注意で、不必要に自分を忙しくしているということなのであるが (笑)。

さて、長くて無駄な前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。この成田山新勝寺は、言うまでもなく日本有数の名刹で、毎年の初詣ランキングで常に上位に入る、大変ポピュラーなお寺である (神社でなく仏閣としては、初詣客日本一との統計もある)。だが、なかなか実際にここに出かける機会はなく、これまでは成田エクスプレスの車窓から巨大な多宝塔を眺めるくらいであった。しかし、侮ってはいけない。この寺はもともと、平将門の乱の調伏のために不動明王に祈願したことが起源という古い歴史を持ち、前の記事でご紹介した中山法華経寺に劣らぬくらい沢山の重要文化財建造物があるのだ。まずは、見よこの立派な総門を。お寺であるにもかかわらず、ここには狛犬もいて、日本の民間信仰において神仏混淆はごく自然なものであることが改めて分かる。
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これが新勝寺の伽藍図。この日はあいにくの雨模様であったが、数々の文化財建築を見て回るのが楽しみだ。
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総門から入ると次に見えてくるのは、重要文化財の仁王門である。1830年建立。左右に立つ石灯篭も、かなり古い時代に寄進されたものと見える。
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そしてここにも、仁王様と明らかな神社建築が、仲良く同居している。
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ここから本堂に登る石段の左右にも、華やかな狛犬がいる。溶岩のような岩 (この地に火山があるとは思えないので、もともとある岩ではなく、山岳信仰の雰囲気を出すためにしつらえたものであろうか) の上に、いくつもの石碑が立っていて、積年の信仰の深さを思わせるのである。
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そしてこれが本堂。もちろん、初詣で人々が殺到する巨大な堂がこれだ。節分のときには力士が豆まきをしたりもする。この建物自体は古いものではないが、重要文化財の本尊不動明王と二童子像を安置する。ただ、ご本尊のお姿を間近で拝観することはできなくて残念だ。
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そして、あっと目を引くのは、やはり重要文化財の三重塔である。1712年の建立。
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この三重塔、この全体の写真では、光の加減もあって分かりづらいが、この塔にはきらびやかな装飾が施されていて、ちょっとびっくりするくらいなのだ。
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このところ、久能山東照宮をはじめとするこの種の装飾的な江戸建築に触れる機会が多い。そこで、こんな本を買いましたよ。美意識も時代によって移り変わるもの。わび・さびだけが日本美でないということに気づき始めた我々には、この成田山のような手軽に訪れることができる場所で、江戸のバロック文化を堪能する特権を持っているのである。
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さて、この三重塔の近辺には、やはり装飾的な鐘楼と一切経堂が立っている。いずれも 18世紀初頭のもので、江戸のバロック空間をなしている。
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さてこの成田山新勝寺は、来年開基 1080年とのことで、種々の伽藍整備事業を行っている。境内の休憩所には、それに関係するパネル展示があるが、例えばこれは、少し離れた場所にある薬師堂について。これについては後で触れるが、内部に入ることができないこの堂について知ることのできる貴重な情報。本尊の写真や内部の装飾の修復については、なかなかほかに情報がないのである。やはり、休憩時にもちゃんと捨て目を効かせていれば、得られる情報量を増やすことができるのだ。よって、人生寄り道が大事なのだ (強引)。
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さて、新勝寺にはほかにも重要文化財の建造物が目白押しだ。これは釈迦堂。1858年建立で、以前の本堂である。実は、このブログで時々言及している NHK の「ブラタモリ」は私の大好きな番組だが、先日この新勝寺を採り上げた際に説明していたことには、このお寺には、現在の本堂、前の本堂、前の前の本堂、そして前の前の前の本堂までが現存しているのである。4代もの歴代本堂が現存しているお寺は、日本中でもここだけだろう。
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次に見ることのできる重要文化財は、この寺特有のユニークなもの。額堂 (がくどう) と言って、1861年の建立。多くの信者から寄進される額や絵馬をかけるための建物。柱で建物を支える構造となっているので、最近補強されたとのこと。うーん、ひとつひとつの額や絵馬に、様々な物語があるのだろうと思うと、見ていて飽きることがない。これでも、多くの古い額や絵馬は別のところに移されて保存されているとのこと。
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そしてここに、成田山を有名にした江戸時代のスーパースターの姿がある。7代目市川團十郎 (1791 - 1859)。彼の家系の屋号「成田屋」は、歌舞伎の屋号で最も古いものらしく、もちろん先に亡くなった第 12代團十郎やその息子の海老蔵らの屋号として、今でもポピュラーである。もともとは初代團十郎の父がこのあたりの出身で、成田山の不動明王を信仰していたことによるものらしい。とりわけこの 7代目は、不動明王を舞台に登場させるなどして、成田山の人気と歌舞伎の人気の双方を高めたらしい。つまり、成田山新勝寺の今日の隆盛は、この人の貢献大だということだろう。彼はこれと同様のもうひとつの額堂 (そちらは昭和 40年に焼失) を、私財を寄進してこの新勝寺に建立したとのことで、今残るこの額堂に、その彫像が祀られているわけである。
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そうしてもうひとつの重要文化財、これは前の前の本堂である光明堂。1701年の建立である。これも素晴らしい装飾を持つお堂だ。上で見た第 7代團十郎の生没年から判断すると、彼が生きている時代に本堂はこの現在の光明堂から現在の釈迦堂へと変わったのである。
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さらに境内を奥に進むと、新しい建物が見える。未だ完成していないようだが、装飾を廃した素木の建築が清々しい。これは医王殿という建物で、来年の開基 1080年記念として、今年11月に落慶するらしい。
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その横にある巨大な建物が、JR の車窓からも見える多宝塔で、平和の大塔と名付けられている。これは新しい建物だが、境内の最奥部、そして最も高い場所にあって、その堂々たる佇まいは古刹新勝寺にふさわしい。
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そして、そこから見下ろす風景が面白い。えっ、ここはヴェルサイユ宮殿ですか??? いえいえこれは、成田山公園と名付けられた境内の一部。本当にフランス式庭園と見まがうばかりだ。この広大な公園を維持・管理するのは大変なことだが、多くの人々の信仰に支えられているこの寺は、このように訪れる人を癒す環境を保っているので、また多くの人たちがここに還ってくるのであろう。
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さて、ここからまた門まで下って行き、最後の目的地に向かうこととした。門を出て右 (JR 成田駅方向) に進む。このように風情ある成田山の門前通り。古い旅館も多くて興味深い。楼閣のある建物は大野屋旅館。1935年の建造であるが、現在は料理屋だけで旅館は営んでいないという。
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そして、数百メートルで目的地に到着。これは、休憩所に内部の写真が貼られていた、薬師堂。1655年の建立で、初代團十郎らが参拝していた頃の成田山の本堂なのである。
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つまりこの寺の本堂は、今の名称で言うと、薬師堂 → 光明堂 → 釈迦堂 → 現在の本堂という順番で推移し、順々にサイズが大きくなっていることから、江戸時代初期から現在に至るまで、寺がどんどん発達して来たことが分かる。古来の不動明王信仰が、庶民の娯楽である歌舞伎と結びつき、大きく発展したという興味深い例である。

どうです。成田山新勝寺、誠に侮りがたし、でしょう。私としては、ちょっとしたトラブルを活用し、「転んでもタダでは起きない」という人生の座右の銘の意義を再確認した次第。私が旅行をするときのバイブルである各県の「歴史散歩」(出版はもちろん、あの山川出版社だ) の千葉県版を見ていると、ほかにも古い歴史を持つ場所が、千葉にはいろいろある。寺だけではなく、古くは貝塚、古墳から、江戸時代の民家や近代建築まで、見どころ満載の千葉。また出かけて行ってレポートします。但し、今度はきっちり事前に計画してからにしたい (笑)。

# by yokohama7474 | 2017-06-03 19:12 | 美術・旅行 | Comments(0)

さて、前の記事では永井荷風の足取りを中心に市川を探訪したが、この日の残りは、さらに時間を遡ることとした。先の記事でも書いた通り、実はこの市川は非常に古い歴史を持っていて、そのひとつの例が、下総国分寺・国分尼寺跡である。国分寺・国分尼寺とは言うまでもなく、聖武天皇の命によって全国に建てられた寺。奈良時代、8世紀の話である。全国の国分寺で当初の建物が現存しているのは皆無 (国分寺の総本山である東大寺の一部建物は除く) であるが、それでも各地を歩いて国分寺やその跡に遭遇すると、遠い歴史を実感することができるのだ。実は今回の市川旅行では、残念ながら国分寺・国分尼寺跡を訪れることはできなかった。市川市には考古博物館と歴史博物館の 2つがあって、市内の遺跡について学ぶことができるようなので、また次回、併せて訪れてみたい。

さて、市川の歴史がいかに古いかという、もうひとつの例を挙げよう。それは、なんと万葉集に「真間の手児奈 (ままのてこな)」という女性が描かれていることだ。私も今回初めて知ったのであるが、手児奈という美しい女性が、多くの男性に求婚されたが、誰のものになることもなく、真間 (今も残るこの場所の地名である) の入り江に身を投げて命を絶ったという物語。東国で歌われた「東歌」の中で題材になっているだけでなく、山部赤人ら都の歌人もわざわざ真間を訪れて、手児奈に捧げる歌を詠んでいるという。市川にはこの手児奈の墓所と伝わる場所に、彼女を祀る、いわゆる手児奈霊堂というお堂がある。それほど古いものではないだろうが、現在では安産・子育てにご利益があるとして、結構な信仰を集めているのである。遥か 1200年も前の伝承をこのようなかたちで信仰にしてしまう日本人の感性は、なかなか捨てたものではない。
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そして、山部赤人の歌碑も立っていて、歴史に思いを馳せる雰囲気は満点だ。葛飾という地名も真間という地名も、ここに既に現れている。
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そういえば、前の記事の主人公である永井荷風もここを訪れている。市川市が編纂した小冊子「昭和の市川に暮らした作家」から。
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さてこの真間のあたりには、また違った貴重な文化遺産が存在している。この建物だ。
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1927年に株の仲買人、渡辺善十郎によって建てられた大正ロマン溢れる洋館で、上述の通り、国の登録文化財になっている。但しこの建物、今でも渡辺さんという方が管理されているようで、内部を一般公開しているわけではない。コンサートなどに使われる機会に内部に入ってみたいものだ。ホームページを見ると、この建物の歴史や、今後のコンサートの予定を知ることができる。

そして、京成線の市川真間駅の線路ぎわをたまたま通りかかり、ホーム横の地面に面白いもの発見。
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これは、1836年に出版された「江戸名所図会」にも掲載されている、鏡石。もともとはここではなく川にかかる橋の袂にあったものだが、いつの頃かこの場所に移されたようだ。夫婦岩の女性の方ではないかという説もあるようで、窪みに溜まった水に顔を写すことができるので、鏡石と呼ばれているとのこと。ちょっと謎めいているし、線路ぎわを通らないと絶対に気づくことがない。これも何かのご縁かと、手を合わせておきました。
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さて、その後向かった先は、市川市で最も歴史的に有名なお寺である。その名は中山法華経寺。日蓮宗の聖地のひとつである。私はこの寺に国宝の書や数々の重要文化財の建物があることは知っており、何度も電車でその横を通ったことはあるが、実際に出かけたことはない。この機会に是非行ってみようと思い立ったのである。これが参道の入り口。さすが名刹、左右には多くの店が並んでいて賑やかだ。この門は黒門と呼ばれ、市川市の指定文化財である。江戸時代初期のものと見られており、高麗門と呼ばれる形式で、門扉のない吹き通しの門。
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そして堂々たる山門が見えてくる。「正中山」という扁額は、本阿弥光悦の書によるもの。尚この寺には、この後出てくる祖師堂、法華堂にかかっている扁額も、光悦によるものだ。
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門に向かって右側には巨大な日蓮の彫像 (電信柱にも負けません!!) があり、門の前には日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」の碑が。
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境内は広大だが、まず目を引くのは、この朱塗りの五重塔であろう。国指定の重要文化財。
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私は以前、大田区の池上本門寺 (日蓮が死去した場所で、やはり日蓮宗の聖地のひとつ) の近くに住んでいたことがあったし、本門寺もこのブログで以前採り上げているが、この中山法華経寺の塔は、一見して姿といい色といい、その本門寺の塔 (やはり重要文化財) とそっくりではないか。調べてみると、基壇を含めた総高はともに約 31m と、ほぼ同じ。建立年代はこちらが 1622年、あちらが 1608年。やはり近い。これは非常に興味深い比較である。

その横には、露座の大仏が修復中である。重要文化財を目指しているとあるのでどのくらい古いのかと調べてみると、1719年の作。本体の大きさ 4.8m、台座の高さ 4.5mで、中山大仏と呼ばれているらしい。2019年には修理が終わるらしいので、また見に来たい。
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さて、ここから重要文化財建造物のオンパレード。まずは祖師堂だ。前述の通り、扁額は光悦の字によるもの。
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この建物のユニークさは、正面から見ているだけでは分からない。実はこの建物、全国で 2棟しかない、比翼入母屋造りという様式で建てられている。実はこの様式のもうひとつの建物とは、このブログでも 2015年11月 3日の記事でご紹介した、岡山の吉備津神社の国宝、本殿なのである。横から見るとはっきり分かる、そのユニークなかたち。また、裏手の建物群への橋が渡されている。
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ではその橋の先には何があるのか。まず、重要文化財、四足 (しそく) 門。曲線がなんとも優雅である。
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その前にあるのが、これも重要文化財、法華堂。この扁額も光悦だが、残念ながら角度の関係でよく見えない。
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さぁ、このような一連の素晴らしい建築群を見たあと、もうひとつ見るべき場所が残っている。この表示に従って行こう。回廊の途中が門、兼お堂になっており、そこに太鼓が据えられている。行事のときに、信徒に向けて何かの合図をするのであろうか。
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見えてきた建物、聖教殿は、極めてユニークなもの。私はこれをどこかで見たか読んだかした記憶が、なんとなくある。つまり一見して明らかな通り、これは伊東忠太の設計になるものであるからだ。
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建築家伊東忠太 (1867 - 1954) と言えば、代表作は築地本願寺。あちらは重要文化財である。その西洋と東洋が融和したような不思議な建築には、様々な動物たちが集う。こんな感じである。
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忠太らしく、本当に細部が楽しいわけであるが、1931年に建てられたこの建物の中には、極めて貴重なものが収められている。それは、「立正安国論」「歓心本尊抄」といった国宝をはじめとする、日蓮直筆の書の数々である。これらは年に 1回、11月 3日にのみ、「聖教殿お風入れ」と称する行事の際に扉を開いて公開される。

と、このように見どころ満載の法華経寺であるが、境内にしきりと目につく看板は、「東山魁夷記念館」だ。もちろん日本画家として絶大な人気を誇る東山魁夷が生前市川に住んでいて、記念館があることは知っていたが、法華経寺と近かったとか知らなかった。というわけで、既に閉館時刻の近づく中、エッチラオッチラ、その場所に向かった。結果的にはかなり距離があったので、一度寺の外に戻って車で行った方が早かったのであるが、ともあれ、まさに滑り込みセーフで観覧することができた。ご覧のようにヨーロッパ風の爽やかな建物で、いかにも東山の絵画にふさわしい。
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以前も書いたことだが、私は東山の作品には毒がなさすぎて、もうひとつ好きになれない点を否めないのであるが、家人からはそれを「心が汚れているからでしょ」と容赦ないコメントで鋭く非難されるわけであり、まぁそれはそうかもしれんね、などと独りごちながら、そそくさと館内を見学したものであった。せっかくなので、彼の作品のイメージをここで掲げておこう。あー、これ、高校のときの現代国語の教科書の表紙になっていた作品ですねぇ。確かに汚れた心の持ち主には、このような美は分からないかもしれないなぁ (笑)。
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そんなわけで、市川の文化の旅はここまで。まだいくつか訪れていない場所もあるし、足を船橋から千葉市、あるいはさらに房総半島まで延ばせば、歴史的な興味を覚える場所は千葉県には沢山あるのである。実は以前からずっと温めている千葉の旅の企画もあり、以前少し行ったところもあるのだが、いずれこのブログでまとめてご報告できればよいなと考えております。

# by yokohama7474 | 2017-06-03 03:13 | 美術・旅行 | Comments(0)