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河鍋 暁斎 (かわなべ きょうさい 1831 - 1889) については、このブログでも何度か言及してきたし、特に、2015年 8月 2日付の記事では、三菱一号館美術館で開かれた彼の展覧会を採り上げた。暁斎は幕末から明治にかけて活躍した絵師で、その流れるがごとき筆さばきで貪欲なまでに展開した制作活動は、実に自由闊達で迫力満点。どの作品を見ても飽きることがない。浮世絵と狩野派を習得し、時に西洋画の技法も取り入れるという、大変なエネルギーの持ち主であったようだ。その暁斎の展覧会が開かれてえいるのを知ったとき、「まぁ暁斎はもうよく知っているからな」と不遜にも思ってしまった私なのであるが、実際に足を運んでみてびっくり。この展覧会で展示されているのはすべて、英国人コレクター、イスラエル・ゴールドマンの所蔵になるもので、初公開の作品を多く含んでいるという。展覧会の副題に「世界が認めたその画力」とあるのはその意味であって、海外からの里帰り展覧会なのである。但し、正直なところ、私はこの「世界の」という形容詞が嫌いなのであって、その理由は、日本のものがもともと世界水準に劣っている、あるいは劣っていなくても充分に知られていないということが前提になっていて、いじけた島国根性 (?) を思わせるからである。これに対して、当のコレクター、ゴールドマン氏の発言に注目してみよう。彼は 2002年にやはり自身の暁斎コレクションを日本で展示した際に、「なぜ暁斎を集めるのですか?」と訊かれて、「暁斎は楽しいからですよ!」と答えたという。そうなのだ、画力が世界に認められたか否かは関係ない。暁斎は楽しい。その極めてシンプルな理由だけで、蒐集するにも鑑賞するにも、充分な理由になるではないか。文化を楽しむとは、そういうことなのだと私は思うのである。

ゴールドマン氏が暁斎作品の蒐集に目覚めるきっかけとなった作品が最初に展示されている。「象とたぬき」(1871年以前)。
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小さなタヌキに鼻を差し伸べる象のユーモラスな姿を、ささっと描いたもの。ゴールドマン氏は 35年ほど前、この作品をオークションで入手したが、翌日別のコレクターに譲ってしまい、それを後悔して、その後何年も懇願してまた買い戻したという。現在では彼の自宅の寝室に飾られているという。この象には紐がつけられていることから、1863年に行われた象の見世物興行の際にスケッチされたものと推測されているらしい。舶来の大きな動物と、土着の小さな動物の出会い。

実際、暁斎はなんでもできた人であるのだが、やはりこのような動物の姿をユーモラスに描いた作品が楽しい。これは「鯰の船に乗る猫」(1871 - 79年)。この髭のはえた鯰は、明治政府の役人を揶揄しているのだとか。
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同じ一連の作品から、「カマキリを捉える子犬」。ここにはあまり風刺的な毒は感じられず、ただ子犬の可愛らしい仕草が活写されているのであるが、ただ、やっていることには残虐性もあって、ただ可愛いだけではない点、やはり暁斎の個性であろう。
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暁斎はまた、鴉を多く描いた。絵師としての日々の習練の象徴であったらしく、海外にも多く輸出された。フランスの作家エドモン・ド・ゴンクールは、パリの町を自転車で走る人の姿を、「暁斎の掛物にある、飛び行く鴉のシルエット」のようだと評したとのこと。うーん、詩的な表現だ。以下、「枯木に鴉」と「柿の枝に鴉」。
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これは「月下猛虎図」。墨だけで描かれた白黒の中、目だけが黄色くて不気味である。芦雪の飄々とした味わいの虎とは違って、文明開化を経た時代のリアルな怖さを持っていると言えるのではないか。
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これは、「虎を送り出す兎」(1878 - 79年)。明らかに「鳥獣戯画」のスタイルを模したものであろう。暁斎の腕なら鳥羽僧正 (が「鳥獣戯画」の作者なら) に、決して負けてはいない。
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ユーモラスなだけではない暁斎の動物絵画は、このような面白い作品も含む。「月に手を伸ばす足長手長、手長猿と手長海老」。足の長い老人が手の長い老人を肩車しその先に手長猿が、またその先に手長海老がいて、月を取ろうとしているようである。かたちの面白さだけで、見ていて飽きない。まるでジャコメッティの彫刻のようではないか (笑)。
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このような暁斎の奇想の数々は、暁斎漫画なる出版物 (1881) における数々の図版にも存分に表れている。北斎漫画に匹敵するほど、多彩で勢いがあるのではないか。
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これは、「天竺渡来大評判 象の戯遊 (たわむれ)」(1863年)。この記事の最初に掲げた墨絵について述べた通り、この年に江戸の両国橋西詰で象の見世物興行があり、それを題材にしたもの。同様の図が何枚もあるが、本当にこれだけ多様な芸を象にさせたのであろうか。幕末の異様なエネルギーを思わせて、圧倒的だ。
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この作品など、ヨーロッパ人はどのように見るのであろうか。「五聖奏楽図」。五聖とは、磔になりながらも扇子と鈴を持っているキリストに加え、それぞれ楽器を持ったり手拍子と歌で盛り立てる、釈迦、孔子、老子、神武天皇。明治政府によるキリスト教の解禁は 1873年。この絵はその頃の様子を表したものであろうか。破天荒な発想だが、やはり「楽しい!」という感想を誰もが持つであろう。
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暁斎はまた、明治に入る頃から亡くなるまでほぼ毎日、絵日記を書いていたらしい。ただ彼はそれを手元に残さず、欲しがる人に譲ったため (ほ、欲しい!!・・・)、散逸してしまっているとのこと。ゴールドマン・コレクションには、あの有名な英国人建築家、ジョサイア・コンドル (最近ではコンダーとも。1852 - 1920) が暁斎に弟子入りして修業している頃のことが書かれているとのこと。このような落書き同然のものであるが、いかにも暁斎らしくて、やはりなんとも楽しい。現代でも、例えば山口晃のように抜群の技量を持つ画家が似たようなことをしているのが嬉しい。
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これは版画で、「蒙古賊船退治之図」(1863年)。以前も「ダブルインパクト」という興味深い展覧会についての記事でご紹介したことがある。元寇の際に、迎え撃つ日本側が、何やら爆発物で元軍を撃退している場面。この誇張された爆発の様子や大荒れの海に、やはり幕末の鬱積したエネルギーを感じることができる。
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これも暁斎らしい「鍾馗と鬼」(1882年)。よく見ると、振り上げた右手は少し小さいように見えるが、不思議と全体のバランスは大変よい。また、鬼のユーモラスなことも暁斎の持ち味だろう。
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暁斎の描いた魑魅魍魎たちの中に、幽霊も含まれる。このブログでは以前、幽霊画の展覧会もご紹介しているが、私にとっては、格調高い芸術的な絵と同等に、幽霊画はや妖怪画は強い興味のある分野であり、その分野における暁斎の存在感は揺るぎない。これは「幽霊に腰を抜かす男」。幽霊の姿は、そのゴワゴワの髪と、うっすらとした後ろ姿の輪郭だけで表されており、素晴らしい表現だと思う。これはもしかして、リアルな幽霊というものではなく、腰を抜かしている男の内面の恐怖心がかたちを持って現れているだけかもしれない。
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だがこちらの方は、リアルこの上ない幽霊だ。「幽霊図」(1868 - 70年)。おぉ、怖い。その痩せ方やほつれ毛、恨めしそうな目など、どれも本当に怖いが、右半分に行灯の光が当たって白く浮かび上がっているところがなおさら怖い。光が当たるということは、何らかの物質がそこに存在しているということであるからだ。物質的な存在であれば、何か危害を加えるかもしれないという、人間の根源的な恐怖に呼びかける。
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これは、展覧会のポスターにもなっている「地獄太夫と一休」。室町時代の遊女である地獄太夫が、一休の教えを受けて悟りを開いたという伝説をテーマにしたもの。太夫の着物は非常に手の込んだ描き方になっており、彼女の左横にいる三味線を弾く骸骨と、その頭の上で踊る一休、それに加えて踊り狂う多くの小骸骨たち。なんと不気味で謎めいて、でも楽しい、暁斎流であることか。
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これは、多くの妖怪たちが跋扈する「百鬼夜行図屏風」。暁斎にしては丁寧に描いている方だろう (笑)。明治期は大きな価値観の転換期であり、人々の間に戸惑いや不安もあったに違いなく、異形の存在である妖怪たちに、リアリティがあったのではないか。だがここでも、暁斎の描く妖怪たちは楽しそうで、決して怖くだけではない。その意味では、上で見た幽霊画とは少し性質を異にする。
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なんでもできてしまう暁斎は、仏教的な題材も扱っている。これは「龍頭観音」(1886年)。観音の衣の描き方などはさすがだが、どうしても龍の存在感に目が行ってしまうのは私だけか。
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このように、個人のコレクションとは信じられないほど多彩で質の高い作品群で、どんな人でも楽しめること請け合いだ。実はこの展覧会には、世界初公開となる暁斎の春画の数々も展示されていて興味深い。ネット上で春画の画像を公開するのは教育上よろしくないし (笑)、私自身は春画の芸術性自体にそれほど確信が持てずにいるので、ここでご紹介はしないが、ひとつ言えることは、暁斎の春画はどれも非常にユーモラスで、思わずくすっと笑ってしまう。それは、露わな人間性の発露がそこにあるから、ということは言えると思う。その一方、今回改めて気付いたことには、これだけの画家にして、未だ重要文化財指定の暁斎作品がないということだ (私の認識違いでなければ)。上の作品群にも制作年が定かでないものが多く、画鬼という異名を取っただけあり、まさに日々生きることすなわち描くこと、という人であっただけに、絶対的な代表作が少ないということだろうか。例えば上記の「地獄太夫と一休」など、もし日本にあれば重文指定後補になってもおかしくないように思うが、在外作品であるので、そうはならないわけである。暁斎については恐らくこれからますます再発見が進むと思われ、その楽しさを多くの人たちが味わえるよう (「世界が認めた画力」という押しつけ型の認識ではなく、人々が本当に楽しめるよう)、いずれかの作品の重文指定を待ちたいと思う。
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# by yokohama7474 | 2017-04-08 12:57 | 美術・旅行 | Comments(0)

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私は元来、少々へそ曲がりなところがあって、映画はもちろん人並に好きなのであるが、米国のアカデミー賞なるものにはさほど興味がない。世の中の敏感に流行じゃないや流行に敏感な人たちは、毎年その時期 (そもそも、いつ頃アカデミー賞の発表があるかも知らないといういい加減さ) になると、今年はあの作品だあの俳優だとソワソワされているようだが、その点私は、泰然としたものだ (笑)。賞が発表されてから、ニュースで仔細ありげにリストを眺め、ふーんと他人事のように(まぁ、他人事ですな、実際)つぶやくことが多い。そして賞の発表後も、「アカデミー賞受賞作だから」という理由で映画を見に行くことは少なく、その映画が面白そうか否かだけが、私の判断基準なのである。

だがそんな私も、今年のアカデミー賞における異常事態には驚いた。もちろん、作品賞発表時の間違いである。「ムーンライト」に行くべき作品賞が、「ラ・ラ・ランド」と発表され、関係者のスピーチの途中で訂正されるという前代未聞の事態。
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そもそも、上記のポスターのように、この作品が今年の大本命と言われていることは知っていたが、史上最多タイの 14部門にノミネートされ、実に 6部門 (主演女優賞、監督賞、作曲賞、主題歌賞、撮影賞、美術賞) を受賞し、あまつさえ、作品賞までもう少しで受賞するところ (?) だったのであるから、この作品は大勝利を収めたと言ってよいわけである。もちろん、もしこの珍事がなくとも、私はこの作品に興味を持ったであろうと思う。それはなぜなら、監督がデミアン・チャゼルであるからだ。
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今回彼は、32歳で史上最年少のオスカー受賞監督となったわけだが、それも当然。なぜなら彼の前作「セッション」(原題 : Whiplash ・・・これは劇中で演奏される曲の題名) が、実に素晴らしい出来であったからだ。もし私が今、過去 5年間の間に見た映画の中でベスト 5 を挙げろと言われば、そのときの気分や記憶の状況、あるいはアルコール分の摂取量によって答えは異なるだろうが、この「セッション」はまず必ず入るだろうと思うのである。そして今回、この「ラ・ラ・ランド」を見て思うことは、この作品は単体で良し悪しを語るよりも、きっと後年、この監督の事績を振り返ったときに、その価値がよりよく分かるものではないだろうか。いやもちろん、この映画を見て感動した人も沢山おられるであろうから、私がここで言っていることが否定的に響くのを恐れるのであるが、換言するとこの監督、もっとすごい映画を将来撮る可能性もあるのではないか、と思うのである。

まず最初に確認しておきたいのは、これはミュージカル映画であるということ。昨今のミュージカル映画は、ディズニーのアニメ系を除くと、「オペラ座の怪人」「マンマ・ミーア」「レ・ミゼラブル」にせよ、これから公開される「美女と野獣」にせよ、舞台の映画化が主流であろうが、これはオリジナル。どのように構成されているのかと思いきや、歌と踊りのシーンはかなり限定的で、通常の演技のシーンが大半だ。だからこれは、フレッド・アステアやジンジャー・ロジャースの古きよきスタイルのミュージカルとは異なり、現代において説得力を持つべくして作られた、新たなスタイルのミュージカルなのである。
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ここで主演女優を務めているエマ・ストーンについて、私はこのブログで何度か言及しているが、「アメイジング・スパイダーマン」シリーズで出て来たときには、やたら目の大きい女の子という以上の印象はなかったが (ただ、その前のシリーズで同じ役を演じたキルスティン・ダンストが苦手であった私は、彼女に好感を持ったことは間違いない)、最近のウディ・アレン監督作品での彼女にはまさに脱帽。もちろん「バードマン」での演技もなかなかのもの。未だ 28歳にして、オスカー女優の仲間入りとは恐れ入る。
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ここで彼女が演じている、女優を目指してロサンゼルスで頑張っている女性、ミアの姿は、きっと 10年ほど前までの彼女自身の姿でもあるのではないか。その意味で、この映画を見る人たちがリアルに、夢を追うことの素晴らしさを実感できるような等身大の演技を、彼女は披露していると言えるように思う。だから、と言ってよいのか分からないが、予告編を見たときから彼女のダンスは、決して惚れ惚れするようなものではなかったし、本編を見てもその感想は変わらないのであるが (笑)、その点にこそ、この映画が人々の心に訴えかける力があるのかとも思う。金髪碧眼の美形のようでいて、額には皺は多いし、目以外の顔の要素が弱い (?) ようにすら思われることもある、一種不思議な女優さんである。このようなシーンにも、なぜかセクシーさは皆無 (笑)。
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一方のライアン・ゴズリングも、決してイケメンでダンディというわけではなく、古風で不器用な男を絶妙に演じている。なにせ彼が演じるセブは、クラシックでいかにも燃費の悪そうなアメ車でカセットを聴き、自宅ではアナログレコードを聴いていて、妄想シーンは懐かしの 8mmフィルムだ (笑)。古き良きジャズを信奉し、やはり夢を追う人という役柄だ。この役者さんは、過去にアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞にノミネートの実績があるようだが、私が知っているのは、「マネー・ショート」だけである。このブログの記事でも採り上げたが、その作品では語りとともに、バリバリのウォール・ストリート野郎を演じていた。この「ラ・ラ・ランド」では、以前から習いたかったというピアノを 3ヶ月間特訓したとのことで、劇中の演奏シーンは、かなりサマになっている。
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だが私がこの映画で驚嘆したのは、何と言っても冒頭のシーンである。カリフォルニアでは鉄道網が発達していないため、人々は車で移動するしかないのであり、私自身もロス近辺を自分で運転して移動したことが何度かあるが、渋滞になると、それはそれはひどいのである (一度運転中に電話がかかってきて、込み入った話をしているうちに空港に向かう高速の出口を逃してしまい、次の出口から渋滞の中を戻るのに、大変な目にあった。あ、「込み入った話」と言っても男女の話ではなく、仕事です)。それを知っている人にとっては、この冒頭シーンは何とも胸のすくものである。実際にロス近郊の高速道路で撮影したものらしく、都会と砂漠の広大なミックスであるこの地域でしかありえないような、ユニークなシーンである。カメラは、渋滞の車から抜け出て踊り出す運転手たちの動きを克明に追って、縦横無尽に動き回る。その楽しさは、考え抜かれているに違いないのにスムーズなこのワンシーンワンショット (途中でシーンをつないでいる箇所は、きっとあるのだろうが) によって、いきなりマックスに達するのである。オーソン・ウェルズの「黒い罠」の冒頭シーンと比較するのはちょっと突飛であろうし、実際、画質も映画の性質も全く異なるが、その衝撃度においては遜色ないと言ってもよいだろう。あ、あと、映画の冒頭に流れる車の BGM は、チャイコフスキーの序曲「1812年」です。
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さてこの映画、夢を追う男女の切ない恋の物語なのであるが、簡単にまとめてしまうと、同じ夢を追う人たちであっても、男はロマンティスト、女はより現実的で逞しく、順応力が高いという、そんな描き方になっている。まさに込み入った話が描かれているわけだが (笑)、万人受けするように、細心の注意が払われていると思う。例えば車だが、セブの乗っているクラシック・カーに引き換え、ミアの車は、トヨタ・プリウスだ。しかもこの車種は米国でも人気であることを示すシーンもある。まさにトランプ政権下の日本の自動車メーカーの今後の課題が、ここに表れている。・・・というのはもちろん冗談で、ミアが経済性に優れたコンパクトな日本車を選ぶ点に、この男女の指向の違いが表れているのである。それから、何度も出て来る、二人が議論するシーンは、いかにも米国人同士の会話であり、ある意味大人、ある意味自己正当化のロジックに長けたもの。ここでも等身大カップルの姿がヴィヴィッドに描かれている。
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大詰めでは、まるでパラレル・ワールドのような描き方がされて、人によってはそこで涙腺が刺激されることであろうが、私は結構冷静に見ていて、やはりこの監督の創造の原点にある音楽的なものへの指向が、ここで具体的なストーリーの形を取っているのだなと理解した。その意味で、前作「セッション」から本作へは、ある種の継続性も確保されており、そして、また次へ向かって飛翔する音楽的感性が、充分に感じられるのだ。上述の通り、それゆえに、この作品を将来また振り返ったときに、デミアン・チャゼル監督の表現したかったことや、その表現方法について、きっと納得するものがあると思う。

ところでチャゼルの過去の経歴を見てみると、なんと、私が昨年 7月 2日の記事で採り上げた、「10 クローバーフィールド・レーン」の脚本を書いているのだ!! な、なんだよ、せっかく音楽つながりという整理をしたのに、全く違う持ち味のエイリアン映画が、ここで紛れ込んでしまった (笑)。これぞまさに、この監督の懐の深さを示す例であると牽強付会して、この記事を〆ることとしよう。さすがアカデミー賞 6部門受賞、見る価値ありです。もちろん使用されている音楽も、リズミカルな部分から抒情的な部分まで、一度聴いたら忘れられませんよ!! ご夫婦でカップルで、こんな感じでどうぞ。等身大で。
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# by yokohama7474 | 2017-04-05 01:23 | 映画 | Comments(0)

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私は昭和 40年 (1965年) 生まれなので、日本の高度成長期の末期に少しかかる世代であり、たまたま幼少期に住んでいたのが大阪の北部であったため、幸いなことに、大阪万博には何度か足を運ぶことができた。当時弱冠 5歳ながら、その記憶は極めて鮮烈で、万博こそが自らの社会との関わりの原点であると認識している人間である。そんな私にとって、1970年代の日本のパロディ文化を扱ったこの展覧会は、実に興味深いもの。まず、展覧会に出向く前に、上記ポスターと同じ表紙をあしらった、雑誌「東京人」の特集号を読んで行った。特集名は、「これはパロディではない」・・・むむむ、なんと逆説的な。
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この「東京人」の特集では、横尾忠則 (1936 - ) のインタビューと赤瀬川原平 (1937 - 2014) についての記事が中心的であるが、この展覧会に実際に足を運んでみると、やはりこの 2人の活動紹介が、かなり重要な部分を占めている。会場では一部の作品を除いて写真撮影可能であるが、例によって私は携帯もすべてロッカーに預けてしまい、会場で写真を撮ることはできなかったので、いつものように図録から撮影した写真を中心に、この展覧会を振り返ってみたい。

まず 21世紀も 1/5 近く経過した現在の視点から、1970年代をいかに位置づけられるかを考えてみよう。テレビはあったが (白黒からカラーに移行)、携帯も WiFi も LINE も YouTube もなく、冷戦は未だ厳然として世界の規範を成しており、オイルショックが起こり、公害の被害が深刻であった時代。昭和も半ばを過ぎ、日本は高度経済成長から安定成長に移行。人々はそれぞれに充実感を味わいながら、未来を信じて頑張って生きていた頃 (もちろん個人差は多々あれども) と言えるのではないか。それゆえに、アートの面においても、社会への深刻な抵抗よりも、多かれ少なかれ遊び心をもった行動がメインになったのであろう。サブカルチャーという言葉が当時あったか否か分からないが、流行を追う若者たちは時として、社会の中で支配的な発想から外れ、奇抜なものを面白いと思う感性を持ったわけで、その感性を反映したのが、様々なパロディの登場であったと言えるだろう。この展覧会は、今で言えばサブカルチャーとまとめることができるようなアートやメディアの活動による時代の諸相を、数多くの作品や資料によって立体的に浮き彫りにしている。最初の方には 1960年代の作品が並んでいるが、これはどうだろう。
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Hi-Red Center による「第 5次ミキサー計画」のポスター (1963年、未完) である。ハイレッドセンターとは、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の 3人による、ハプニング系の活動を行うグループで、その名称は 3人の苗字の最初の一文字を英語に置き換えたものである。私はそれぞれのアーティストに思い入れがあるので、この 3人が元気に街中で暴れていた (?) 時代を目撃したかったなぁと強く思うのであるが、だがそれは叶わぬこと。せめてこのような、時代の雰囲気をたたえた遺品に、当時の活気を偲ぶのみである。ちなみにこのポスターでは、高松の紐、赤瀬川の紙幣、中西の洗濯バサミがトレードマークとして使われているが、中でも赤瀬川の紙幣、これは有名な千円札裁判 (1963 - 70年) から明らかなように、社会が価値があると信じているものへの抵抗、あるいは揶揄といった姿勢を示している。これぞまさにパロディ精神!! 千円札裁判とは、赤瀬川が千円札をモチーフに作品を発表したところ、それが有価証券偽造の罪に問われたという事件。冗談のような大真面目な事件で、昭和のアート史では有名だ。以下の作品、「大日本零円札」(1967年) はその裁判の過程で制作されている。千円札を使うと問題あるなら、零円札なら実在しないものだから描いてもよいだろうという、この開き直りはすごい。国家権力にしてみれば、いかにも可愛くない態度としか言いようがない。
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赤瀬川のこの反骨精神にはお手本がある。それはジャーナリストの宮武外骨 (1867 - 1955) だ。「滑稽新聞」等で国家権力を批判したため、度々投獄されている。赤瀬川はあるとき古書店でこの宮武の出版物を見つけて以来、彼に心酔するようになったという。1971年にはこのような宮武の写真を使った作品、「宮武外骨肖像と馬オジサンと泰平小僧」を制作している。
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吉村益信 (ますのぶ、1932 - 2011) は、60年代の日本のネオ・ダダ運動の提唱者であるが、赤瀬川に、自らが進学していた武蔵野美術大学を勧めたのは彼であったらしい。今回調べていて初めて知ったことには、この吉村のアトリエこそ、私が 2015年 7月21日の記事で写真をご紹介した、磯崎新設計の「新宿ホワイトハウス」なのだ!! 日本のアートが元気な頃へのノスタルジーを覚える。この展覧会には、その吉村の代表作「豚 ; Pig Lib」(1994年作と、制作年はちょっと反則? だが) が展示されている。意味をあれこれ考える前に、このシュールな雰囲気を楽しみたい。
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それから、やはりネオダダの中心人物のひとりであった篠原有司男 (うしお) の作品を経て、横尾忠則のコーナーがある。冒頭に掲げた白黒のポスターは彼の 1964年の作品で、「TOP で POP を!」と題されている。もちろん、ここでパロディのネタにされているのは、名デザイナーであり師でもあった亀倉雄策のこのポスター。
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もちろん、1964年の東京オリンピックのポスターであるが、横尾はランナーたちを、手前からピカソ、ルオー、ビュフェ、リキテンスタイン、スーラの画風で描いた。トップを切るのはポップアートを代表するリキテンシュタインの画風のランナーである。芸術におけるオリジナリティ信奉を皮肉ったものらしい。いかにも横尾らしい作品である。また、やはり横尾の手による名画のパロディが並んでいるので、ひとつご紹介すると、1967年の「アンリ・ルソー 『眠るジプシー』より」。
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ルソーの原画はこちら。つまり横尾は、砂漠のライオンがジプシー女を食べてしまったという設定に変えているのである。
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これは、鈴木慶則 (よしのり、1936 - 2010) の「非在のタブロー (マグリットによる)」(1967年)。
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シュールを代表する有名なマグリットの「大いなる戦い」という作品を半分描いて、残りの半分はキャンバスの裏側になっている。実はこのキャンバスの裏側も、画家が描いたもの。いかに神秘的なマグリットの作品も、絵画である以上は物質なのだというアンチテーゼなのであろうか。次は、漫画家でありイラストレーターであった立石紘一 (1941 - 98) の、「大農村」という 1966年の作品。
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上部の肖像画が毛沢東であり、どうやら核兵器を題材にした内容であることは誰でも分かるが、下の方にいるサングラスの男は誰だろう。タモリのようにも見えるが、制昨年を考えるとそれはあり得ない。実はこれ、以下の米国の雑誌の表紙のパロディなのである。
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その名も「MAD」という雑誌。1952年発刊で、今でも継続しているらしいが、死や性など、通常はタブーとされるネタを扱うブラックな露悪的雑誌とのこと。進駐軍払下げのこの雑誌が神田で売られているのを、この立石や、あとで登場するマッド・アマノが購入して影響を受けたらしい (因みにマッド・アマノのマッドは、この雑誌に因む名前であるとのこと)。尚、上に掲げた号は 1961年 1月号で、右にニクソン、左にケネディの顔が (こちらは逆さまで) 描かれている。調べてみると、民主党候補ケネディ vs 民主党候補ニクソンが争ったのは 1960年の大統領選。この選挙については Wiki もあって大変興味深い。もちろんケネディが勝つのだが、極めて僅差、しかも、今では歴史家の間で、マフィア絡みの選挙違反がケネディの勝利を助けたとされているらしい。このブラックな雑誌では、この選挙をどのように扱っていたのだろうか。この装丁はすなわち、投票・開票前に雑誌が出版され、勝った方を表紙にして読んでねということなのかも。

これは岡本信治郎 (1933 - ) の「星月夜」(1969年)。もちろんゴッホの名作のパロディである。
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あのゴッホの深くて重苦しい精神世界を、かるーく変貌させていて、可笑しい。もちろんゴッホは素晴らしいが、このような作品によって一度距離を置くことで、より一層ゴッホの偉大さが分かるというものではないか。

さて、実はこの展覧会、1970年代をテーマとしながら、上で見て来たのは、ほとんど 1960年代の作品ばかり。時代には流れというものがあるので、それを辿ることにこそ意味がある。教条的に 1970年代に固執しない点、一見識であると思う。そして次は、1970年の作、木村恒久 (1928 - 2008) の代表的なフォトモンタージュ、「焦土作戦」である。降り注ぐコカコーラの瓶は、戦後日本の急速なアメリカ化を揶揄しているのであろうか。
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同じ木村の、これは「都市はさわやかな朝をむかえる」(1975年)。ニューヨークとナイアガラの滝のミックスは、一度見たら忘れない。私も、多分中学生の頃にこの作品を見て、ずっと頭の中に残像が残っている口だ。パロディの無条件の楽しさを感じる。
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展覧会には増殖するメディアのパロディについての展示が数多くあり、ビックリハウスなど、様々な雑誌が並んでいる。ありましたありました、この雑誌。
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だが、特筆すべき面白さを感じたのはこれだ。
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これは、ぷろだくしょん我 S という前衛アーティスト集団による、「週刊週刊誌」という雑誌。1971年 5月12日号から 10月20日号まで、名古屋で実際に販売された。実はこれ、表紙以外すべて白紙の週刊誌なのである!! こんな宣伝がされたという。
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これはいわばハプニングと呼ばれる芸術行為の一例と言え、実に人を食った行為であるが (笑)、口コミで後半は毎号数百部の売り上げがあったという。・・・うーん、私なら買わないけどなぁ。遊び心を持った人たちが、当時の名古屋には多かったということか。

会場にはまた、様々なパロディ漫画の類もあって面白い。恥ずかしながら私は知らなかったのだが、長谷 (ながたに) 邦夫 (1937 - ) という漫画家は、このパロディ漫画の大家であったようだ。この 1969年の「ゲゲゲの星」は、その名の通り、ゲゲゲの鬼太郎と巨人の星の ミックス。驚くべし、双方の超人気マンガの同時代パロディなのである (笑)。子供の頃に読んだ漫画雑誌のページの端にはよく、「○○先生にお便りを出そう!」などと書いてあったが、このマンガの場合、「長谷邦夫先生をけなすお便りをだしてやろう!! あて先は東京都新宿区・・・」と、実際のプロダクションの住所が書いてある。すごい時代である。
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そして、こちらの方は私の守備範囲内なのだが、1968年に発表された、つげ義春の伝説的代表作「ねじ式」(いわゆる芸術漫画というのだろか、内容はかなり退廃的かつ夢幻的) のパロディ。まずは同じ長谷邦夫による「バカ式」。おなじみのバカボンのパパが出て来るが、この長谷は、赤塚不二夫のブレインであったらしい。このバカさ加減、実に楽しい。もう長らく私の書庫に収まっている、ハードカバーの筑摩書房版つげ義春全集全 8巻を引っ張り出してきて、オリジナルの「ねじ式」から、パロディのもととなった場面の写真を撮影したので、比較されたい。
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この「ねじ式」は短い漫画なので、パロディにしやすいのだろう。赤瀬川原平によるパロディ、「おざ式」(1973年) も展示されているので、その中のワンシーンと、そのオリジナルを掲載しておく。
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ここで口直しに (笑)、著名なイラストレーター、久里洋二 (1928 - ) による「ピカソ模写」(1980年) をご紹介しよう。ピカソの青の時代の代表作、「自画像」を、青ではなく赤で彩ったもの。さすがのセンスであると思う。
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次に、記憶にある懐かしいポスターを発見。いずれも 1976年の営団地下鉄のポスターで、「帰らざる傘」と「独占者」。説明不要の映画スターの肖像を使った (そうでなければ成り立たない)、大変よくできたもの。デザインしたのは河北秀也 (1947 - )。
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最後に、赤瀬川の千円札裁判とはまた異なる点で、パロディの本質を考えさせられる裁判になった有名な例をご紹介する。上で一度名前の出て来たグラフィックデザイナー、マッド・アマノ (1939 - ) によるこの作品。「週刊現代」に掲載され、1970年に「SOS」という単行本に掲載された。
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ところがこれは、著名な山岳写真家、白川義員 (よしかず、1935 - ) が撮影した写真がもとになっている。米国保険会社 AIU の 1970年のカレンダーに掲載された写真がこれだ。確かに、アマノ作品がこれに手を加えたものであることは、比べてみれば明白だ。裁判になったのも理解できる。
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この裁判は「パロディ裁判」と呼ばれ、足掛け 16年に及んだが、アマノ側の敗訴に終わったらしい。表現の自由とは何かという点において、考えるべき点が多々ある事例となったのである。

このように、1970年代の前後左右のパロディ文化を振り返ってみると、様々な文化の様相を見ることができる。人生において笑いは欠かせない要素。ここで展示された数々の作品や作家の姿勢から、そのことを学ぶことができるだろう。アートやサブカルチャーは時代を映す鏡でありながら、時を経た今となっても、あれこれ考えさせる要素があるのは、笑い自体の不変の価値によるものであろうと考える。そうしてこの展覧会は、私としても、人生の途次を折々に彩るべきギャグのセンスを磨かねば、と再認識する (?) よい機会となったのである。

# by yokohama7474 | 2017-04-04 00:00 | 美術・旅行 | Comments(0)

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このブログで展覧会を採り上げるときには、なるべく開催期間中にとはいつも思っているのであるが、どうしてもそれを果たせないことがある。今回もしかりで、こともあろうに、今これを書いているのは、この展覧会の最終日の、しかも閉館後何時間も経った時間帯。加えてこの展覧会、東京での開催だけで、地方巡回はない。ということは、私がこの記事を書いてこれは素晴らしいと主張しても、誰もこの展覧会を今後見ることはできないわけで、なんともひどい話になってしまうのである。これはこのブログで何度も繰り返してきた悲劇 (?) なのであるが、せめて私はここで、東京で開かれたこの展覧会の意義と限界を、後世に語り伝えるつもりでこれからの記事をまとめることとしよう。

題名で明らかな通り、これはティツィアーノをはじめとするヴェネツィア・ルネサンスに関する展覧会。昨年 11月 3日の記事でも、国立新美術館で開かれた「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」という展覧会をご紹介したが、それを補完するような位置づけと思うと興味深い。日本においてはルネサンスはそのままフィレンツェの絵画運動かのように思われているかもしれないが、もちろん、当時のイタリアは数々の都市国家からなっており、東方貿易で富を築いたヴェネツィアは、その富にふさわしいだけの文化をその地で築いたのである。当然にして絵画の分野でも天才が現れた。私は 20年ほど前にこの街を一度訪れたきりで、長らくご無沙汰してしまっているが、中学生のときから、聖マルコ寺院を見るまで死なないぞと誓っていたほどの憧れの地であり、幸いなことにその人生の目標が 30代で達成できた時には、痛く感動したものである (笑)。その際、現地を訪れる前にヴェネツィア派についても一通りの勉強をして行ったものであるが、それが今でも私のヴェネツィア・ルネサンスの知識のもとになっている。それによると、代表的な画家はもちろんティツィアーノと、それに続くティントレット、そしてヴェロネーゼであるが、それに先立って、ヤコポやジョヴァンニらのベッリーニ家、そしてあの神秘的な「テンペスタ」を描いたジョルジョーネがいたことが重要なのである。その観点からこの展覧会を見てみると、もちろんポスターになっている「フローラ」等のティツィアーノの優品はいくつかあるものの、それ以外に瞠目すべき作品というものは、実はそれほど多くない。とはいえ、当然のことながら、16世紀のイタリア絵画をそう沢山一度に日本に集めることを期待するのは、そもそも筋違いというもの。それゆえ、フィレンツェとは一味も二味も異なるヴェネツィアならではの絵画の在り方を、限られた材料から考える機会としては貴重なものになったということで、納得すべきなのであろう。

会場はかなりの混雑かと思って出向いたところ、予想外のガラガラぶりで、そのあたりにも、ヴェネツィア派の日本での人気が決して高くないことが伺えた。音楽好きの私としては、ヴェネツィアと言えば、ワーグナーが亡くなった場所であり、またストラヴィンスキーが埋葬されている場所であることから、死のイメージが強い。もちろん、シェークスピアの「ヴェニスの商人」の街であり、トーマス・マン / ルキノ・ヴィスコンティ / ベンジャミン・ブリテンの「ヴェニスに死す」の街であり、また、ヴェルディのオペラでも (特に調べることなく思いつくまま列挙するだけでも)、「2人のフォスカリ」と「オテロ」の舞台になっている街。つまりは、とても明るく楽しい街ではなく、退廃と策略と陰謀の街であるということだ。そこには統領 (ドーチェ) がおり、その人はまず、怜悧で狡猾な奴と相場が決まっているのだ (笑)。試しに、この展覧会に出展されていラッザロ・バスティアーニ (1449 から記録 - 1512) の「統領フランチェスコ・フォスカリの肖像」(1460年頃) を見てみよう。
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フィレンツェでもルネサンス時代には人物を真横から描いた作品が多く存在するが、このような冷たい老年の男性を描いたものが、どのくらいあるだろうか。しかもこの人物、まさにヴェルディの「2人のフォスカリ」の主人公で、あり、そのヴェルディのオペラの原作を書いたのは、あのバイロンだ。そのような芸術家たちをひきつけるような、何か力強く耽美的な要素を、この統領の生涯が持っていたということであろうか。この衣服の描き方も素晴らしく、まさにヴェネツィアで生まれた芸術の一典型ということになるのではないか。次に、バルトロメオ・ヴィヴァリーニ (1430 頃 - 1491 以降) の「聖母子」(1465年頃) を見てみよう。
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とてもルネサンス時代の絵画とは思えない、古風なイコン風の作品。ヴェネツィアが東方との貿易で栄えた街であることまでを思わせる、独特な静謐さをたたえた作品である。だが反面、フィレンツェで花開いた人間賛歌的な側面は、ここではあまり感じられない。そしていよいよ、ヴェネツィア派を築いたベッリーニ兄弟の一人、ジョヴァンニ・ベッリーニ (1435頃 - 1516) の「聖母子」(1470年頃) が登場する。もとの所有者の名に因んで、フリッツォーニの聖母と呼ばれているらしい。人物は彫塑的で、その動きはここでも制限的で生硬であるが、その澄んだ青空が美しく、シュールですらある。
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だがその後しばらくは、会場に並んでいる作品群は私の心をあまりとらえない。技術的にそれほど見るものがあるとは思えない。だが、この作品の前で、はたと足を止めることになった。
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これこそ、あの大画家ティツィアーノ・ヴェッチェリオ (1488/90 - 1576) の若い頃の作品、「復活のキリスト」(1510 - 12 年頃) なのである。なるほど、20代前半ということになるが、この展覧会でほかに並んでいる画家たちの作品に比べて、キリストの身体に宿る存在感は紛れもなく非凡なものだ。顔が小さく描かれているのは、下から見上げられることを想定してのものであろうか。ここでも空の青さが、何やら現実を超えた世界に見る者を運んで行くような気がする。そしてしばらく進むと、この展覧会の目玉、やはりティツィアーノの「フローラ」(1515年頃) に辿り着く。
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NHK の日曜美術館でも特集を組んでいたが、この作品はフィレンツェのウフィツィ美術館の所蔵で、長らく美の規範のひとつとみなされてきた。確かにその肌の色の生々しさや、金髪の流れるさま、また白とピンクの衣服の陰影など、見れば見るほど美しい。フローラは花の女神であり、その右手につかんだ花からは、芳香が漂ってくるようですらある。このティントレットの若い頃の 2作には、天才ならではの輝きが見られ、彼がその後の長い画家人生で追求して行く美学の萌芽が見られるとともに、若い頃ならではのまっすぐな感性も感じることができて興味深い。この作品を見るだけでも、この展覧会の意義は大きかったと言えるだろう。しかも、繰り返しになるが、会場はガラガラで、東京の美術ファンたちは、大変もったいないことをしたようにも思う。

次に私の目に留まったのは、ベルナルディーノ・リチーニオ (1485/89 頃 - 1550 頃) の「騎士の肖像」(1520 - 23年作)。
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まるで近世イタリアを舞台にした映画に出てくるような、若々しくありながら、髭によって威厳も備えている、しかしまたどこか寂し気な、なんとも複雑な要素を持つ騎士の姿ではないか。作者は肖像画を中心に手掛けた画家であるらしい。ヴェネツィアでは統領の肖像は数多くあり、あとで見る通り、中心画家ティツィアーノの活躍の場のひとつもそこにあったが、統領以外にも描かれた人たちがいて、ティツィアーノ以外にも高い技術を持った画家がいたことを認識するのである。だがこの影のある表情にまた、ヴェネツィアならではの憂鬱さを感じてもよいように思う。

そしてまた、あまり記憶に残らないいくつかの作品の前を通り過ぎると、そこにはティツィアーノのもうひとつの傑作、ナポリのカポディモンテ美術館の所蔵になる「ダナエ」(1544 - 46年頃) がある。上記の「フローラ」から実に 30年ほどを経た時代の作品である。
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金の雨に姿を変えたゼウスが、ダナエとの交合を果たすというエロティックな場面であるが、金の雲から降り注いでいるのは、雨ではなく、なんと金貨なのである!! それゆえこのダナエは高級娼婦を表すという説もあるらしい。この頃のティツィアーノは既に当代一流の画家として押しも押されぬ地位を築いており、代表作「ウルビーノのヴィーナス」も描いている。当時はヌードを描く口実としてギリシャ神話が題材にされたとはよく耳にする話であるが、ローマ教皇庁でもそのような嗜好を持つ人々は多くいたのであろう。既にドイツでは宗教改革は始まっていたが、教皇庁のお膝元であるイタリアでは、未だこのようなエロティックな作品が描かれていたことは興味深い (いや、以前見たように、宗教改革のドイツでも、クラナッハの裸体画がひそかな人気であったことを思い出すと、これは国を超えた人間の共通性であるのか 笑)。ある意味では、成熟した時代のあだ花であり、自らの画家としての技術をひたすら磨いて行ったティツィアーノにとっては、ただ美麗ではない、世俗性を持った美を描くことに、保身上も芸術上も、意義を見出していたということであろうか。

ギリシャ神話に題材を採ったヌードをもうひとつ。ティツィアーノに続く世代のやはり天才画家、ヤコポ・ティントレット (1519 - 1594) である。「レダと白鳥」(1551 - 53年)。未だに若い頃の作品であるだけに、後年のうねり上がるような迫力はないが、ヴェネツィアという怪しい土地柄の個性は、既に充分に表れていると思う。
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上述の通りティツィアーノはまた、多くの肖像画を残したが、この「教皇パウルス 3世の肖像」(1543年) は、紛れもない傑作だと思う。この肖像画は、神聖ローマ皇帝カール 5世 (言わずとしれた、ハプスブルク家絶頂期の皇帝) との面会に先立って描かれたという。絵の中の含意について諸説あるようだが、興味深いのは、このようなヨーロッパにおける教会と世俗のトップが面会する場面に、この画家が関わっているということだ。ここに見るティツィアーノの人間観察眼には恐ろしいものすらあるように思う。
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これはやはりティツィアーノの「マグダラのマリア」(1567年)。70代後半、既に晩年に差し掛かった時期の作である。工房で作成したのかもしれないが、年齢を感じさせない肉体の生々しさと、背景の空の青さはどうだろう。
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そしてこれは、ティントレットの「ディアナとエンディミオン (またはウェヌスとアドニス)」(1543 - 44年)。この制作年代が正しければ、上記の「レダと白鳥」よりもさらに若い頃の作品である。ただ実は、そうではなくて晩年の作とする説もあるようだ。そもそも、題材も定かではないとは、未だ研究が充分進んでいないということだろうか。ともあれ、その謎めいた毒々しさは、紛れもないティントレットの個性であると言ってもよいと思う。
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本展では、工房作を含むパオロ・ヴェロネーゼ (1528 - 1588) の作品が何点か展示されているが、これは本人作とされる「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者ヨハネ」(1565年頃)。これはまた、いかにもヴェロゼーネらしい、穏やかで、微光を放つような気品をたたえた素晴らしい作品ではないか。
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その他、版画も展示されていて、全出展作品は約 70点。ここでご紹介したのはその中でも優品ばかりであり、とても優品と言えない作品も正直多かったが、それでもヴェネツィア・ルネサンス独特の個性が随所に感じられる、充実した展覧会であった。かくして私のヴェネツィア再訪への思いは、日に日に強くなるのであった。フェニーチェ劇場でオペラ鑑賞したこともないし・・・。
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# by yokohama7474 | 2017-04-02 23:39 | 美術・旅行 | Comments(0)

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今年も 4月に突入し、また春が巡って来た。結構寒い冬であったが、桜の開花の知らせを耳にしてから後、また寒い日が続いており、この日も、前日のみぞれ交じりの雨は弱まったものの完全にはやむことなく、終日曇り空の鬱陶しい天気であった。都内を代表する桜の名所である上野公園はこのような景色であり、桜は満開には程遠いにもかかわらず、人出は決して少なくない。さすが上野である。
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そんな中、今年も上野を舞台に繰り広げられる東京・春・音楽祭が既に開幕している。その目玉であるワーグナー作品の演奏会形式上演、今年は超大作「ニーベルングの指環」の 4作目にして最終作、楽劇「神々の黄昏」である。2014年から毎年 1作ずつ、足掛け 4年でこの 4部作のすべてを実演で耳にすることができたが、その成果は世界に問うことのできるレヴェルであり、改めて東京の音楽水準の高さを思い知る。最大の貢献者は、NHK 交響楽団 (通称「N 響」) を指揮したポーランド生まれのドイツ人指揮者、マレク・ヤノフスキであろう。1939年生まれであるから、現在 78歳。既に押しも押されぬ巨匠であると言ってよい。
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このシリーズ、昨年の「ジークフリート」の記事で、ヤノフスキの「指環」との関わりについて少し触れたが、レコーディング・デビューが名門シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したこの超大作であったという衝撃ぶりであったものの、それからのヤノフスキの活動は、決して常に世界最前線の華やかなものであったとは言い難い。だが、ひとりの芸術家が生涯を掛けて世界を飛び回って音楽を追及して来た、その確かな足跡に思いを馳せるには、実際の演奏会に足を運ぶにしくはない。芸術家にはそれぞれ、活動期間に応じた環境の変化や自身の芸風の変化がついて回り、どの時点でその芸術家と巡り合うかという点も、聴衆にとっては予測できないもの。特に演奏芸術の場合は、その巡り合わせは大きな要素であると思うが、その意味で、この 4部作の実演を今のヤノフスキの指揮で聴くことのできた我々は、その幸運を感謝しなくてはならない。今回の会場には、シリーズ完結を記念したポスターが貼られており、同じ柄の A3 ポスターも売っていたので購入した。
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尚、このポスターの後ろには、今年の東京・春・音楽祭の一環として開かれる様々なコンサートのポスターが飾られている。世界で知られた有名演奏家たちが綺羅星のごとく並んでいるということでは必ずしもないが、だがしかし、音楽との接し方において、そのような点はさほど重要ではない。鳴っている音楽に虚心坦懐に耳を傾けることこそが、音楽の醍醐味であるはず。これらのポスターをひとつひとつ見て行くと、そのプログラムの妙から、演奏家たちの熱意までを感じることができ、そのいずれの演奏会にも足を運ぶことのない自分の怠慢を責めたくなるような思いに駆られるのである。その思いに耐えて (?)、ワーグナーの世界に入って行こう。
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まず、作品について少し語ってみたい。ステージ上で奏でられて耳にストレートに入ってくる上質の音楽を耳にしながら改めて気付いたことがある。ワーグナーが楽劇スタイルを確立して後のオペラ 7作品は、そのほとんどが正味演奏時間 4時間を超える大作ばかりだが、この「神々の黄昏」は不思議なことに、演奏時間の長さをさほど感じさせない作品なのである。例えば、この「指環」4部作中、恐らく最も人気の高い「ワルキューレ」でも、第 2幕のヴォータンとブリュンヒルデの二重唱や、終幕のヴォータンのモノローグなど、上演に接するたびに「長いよ!!」と言いたくなるのを抑えることができないし、刺激的な音楽が凝縮しているはずの「トリスタンとイゾルデ」でも、第 2幕で主役 2人が延々と歌い続ける箇所で、あくびをしないことは稀なのである (笑)。そんな私でも今回、この「神々の黄昏」を長いと思うことはなかった。15時開演で、30分×2回という短い (!!) 休憩時間のせいもあって、演奏終了は 20時10分。上演時間はほんの 5時間10分である・・・って、やっぱり普通に考えれば長いのであるが、その長さを感じさせない演奏であったのだ。ひとつには、作品自体において緩慢な箇所が少ないと言えるだろう。ワーグナーの作品で長くなりがちな二重唱としては、このオペラでも、序幕のジークフリートとブリュンヒルデ、第 1幕のヴェルトラウテとブリュンヒルデ、第 2幕のアルベリヒとハーゲン、等々あるが、いずれもストーリーを進めるために必要な長さ以上ではない。大詰めのブリュンヒルデのモノローグも適度な長さで、その意味では無駄のない作りと言えようし、またなんと言っても、「ジークフリートのラインの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」「終曲」と言った、オーケストラの威力満開の曲もいくつかあり、また、「指環」4部作で唯一、合唱が入る作品でもある。ワーグナーは自作の脚本をすべて自分で書いた人だが、この「神々の黄昏」は、実は 4部作で最初にその台本の原型が書かれている。ということは、ワーグナーの芸術は、発展するとともに、ストーリーテリングの観点からは、どんどん肥大して行ったということだろうか。

そのような作品を、舞台上演ではなく、演奏会形式で聴く意味は大きい。ピットではなく舞台に並んだオーケストラが出す多彩な音を充分楽しむことができるし、音楽の構造も分かりやすく感じることができる。ヤノフスキはドイツ物をレパートリーの中心には置いているものの、決して、昔風の鈍重なワーグナーを奏でるのではなく、きめ細かくしなやかで、透明感もあり切れ味も鋭い音楽を鳴らす。これは大変な聴きものなのであるが、その指揮に応えているのが N 響であるというのが嬉しいではないか。かつて、サヴァリッシュやシュタイン、あるいはマタチッチといったワーグナーの大家のもとで演奏して来た楽団が、今また新たな成果をヤノフスキとともに達成する場に立ち会えることは、この上ない喜びだ。しかも、そこでコンサートマスターを務めるのは、先般ウィーン・フィルを定年退職したライナー・キュッヒル。いつもながら、全体を統率しながらも、彼自身のヴァイオリンだけが際立って艶やかに聴こえる瞬間が何度もあり、ここでもオーケストラ芸術の粋を堪能することができたのである。これは 2015年の「ワルキューレ」終演時の写真。
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ただ、今回会場で知ったショッキングなニュースがあったのだ。あろうことか、主役の 2人、ブリュンヒルデとジークフリート役の歌手が、揃って本番間近でキャンセルしてしまったのである!! ブリュンヒルデとして予定されていたクリスティアーネ・リボールはともかく、ジークフリート役のロバート・ディーン・スミスは、世界的な名声を誇るヘルデン・テノールであり、このシリーズでも、2015年の「ワルキューレ」でジークムントを歌っている、いわば上演の目玉歌手。そのキャンセルは痛い。主催者側の発表によるとこの 2人とも、既に来日してリハーサルに参加していたが、急な体調不良で舞台に立てなくなった由。だが、オペラとはいえショービジネス。The show must go on! 主催者はなんとしても代役を探さなくてはならない。そして本番 3日前、3/29 (水) に日本に到着したばかりの 2人の代役歌手たちが、その窮地を救った。ブリュンヒルデ役はレベッカ・ティーム。ジークフリート役はアーノルド・ベイズエン。
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会場で配布されていたプログラムにおいては、通常、歌手の紹介は写真なし、経歴 3行程度なのだが、この 2人はこのように、冊子に挿入された一枚ものの紙に、写真入りで非常に詳しい経歴が紹介されている。このあたりにも主催者の誠意が見えて好ましい。2人とも国際的に活躍している歌手のようである。
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とはいえ、あの超大作「神々の黄昏」の主要な役を、欧米から遥か離れた極東の地にまでやって来て、充分な準備時間もなしに、演奏会形式とはいえ全曲歌うということは、それだけで至難の業。急な代役でそんなことができる歌手が、世界に果たして何人いるだろうか。実際この日の歌唱で、この 2人の歌手は明暗を分けた。ブリュンヒルデのレベッカ・ティームは、細かい箇所で完璧でないことも何度かあったものの、技術を補うその強い声によって聴衆を圧倒した。その一方、ジークフリートのアーノルド・ズベイエンは、残念ながら、声量・音程・表現力とも課題ありで、何より、この役に必要な快活さ (それがないと悲劇が引き立たない) を聴くことができなかった。聴きながら私は、「同じ『指環』におけるテノールでも、この声なら、ジークフリートではなくてミーメとかローゲの方が合っているのでは?」と思っていたのだが、帰宅して調べると、なんとなんと、この東京・春・音楽祭では、2014年の「ラインの黄金」で、そのローゲ役を歌っていたのだ!! 舞台で「神々の黄昏」のジークフリートを歌った経験もあるようだが、役柄としては彼に適したものではないということだろうか。だが、上述の通り、突然の代役ではるばる日本まで飛んで来て、到着 3日後にこれやれと言われても、普通はできません!! 全曲歌いだけでも立派なもの。多くの聴衆も同じように感じたのだろう、カーテンコール時には、ブラヴォーも出なかったが、ブーを言う人もいなかった。日本のファンは思いやりがあるのである。

歌手陣の中で最も印象に残ったのは、ハーゲン役のアイン・アンガーであった。このブログでも、昨年 9月のパーヴォ・ヤルヴィ指揮 N 響のマーラー 8番、11月のウィーン国立歌劇場来日公演「ワルキューレ」のフンディング役、同じく 11月のティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン来日公演「ラインの黄金」のファフナーをご紹介した。エストニア人の素晴らしい歌手。
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また、今回グンターを歌ったマルクス・アイヒェ、アルベリヒのトマス・コニエチュニー (2014年のこのシリーズでの「ラインの黄金」でも同じ役を歌っており、また昨年のウィーンの来日公演の「ワルキューレ」ではヴォータンを歌っていた) 等、国際的キャストは大変に充実。また脇役では日本人歌手も健闘していて、ここでは、3人のノルンと、それからやはり 3人のラインの乙女が全員日本人。実はこのそれぞれの 3人組のうち 2人までは同じ歌手が演じたが、ノルンの 1人、ラインの乙女の 1人は、その役だけで出演。そのうち、ラインの乙女の 1人は、おっとびっくりの小川里美だ。日本を代表するソプラノのひとりで、イタリア・オペラのイメージが強い人だが、ここではアンサンブルながら完璧な歌唱を聴かせていた。帰宅して調べたところ、2014年の「ラインの黄金」でもやはり同じ役を歌っていた (3人の乙女は彼女以外の 2人も併せて全員、その時と今回で同じ歌手)。
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そのように大変充実した内容が、今回のツィクルスの掉尾を飾ることとなった。ヤノフスキは昨年からバイロイトでこの指環を指揮しているはずであり、いよいよワーグナー指揮者としての頂点を極めようとしている。その彼の日本における業績はこれでひとつの区切りであるが、是非是非これからも様々な作品を指揮して欲しい。今年11月には N 響定期に登場して、ベートーヴェンの「英雄」をメインとしたプログラムを指揮する。これから N 響とさらに近い関係を築いて欲しいものだと思っている。最後に、プログラムに掲載されているヤノフスキのインタビューから一部を引用したい。

QUOTE
ちょうど 3年前、東京での『リング』が始まる少し前に東京・春・音楽祭からインタビューを受けました。そのときに私は、「資本主義の国々は多くの問題を抱えており、その形態を変える試みが今、早急になされるべきだ。その際、エコロジーの問題と経済的な問題とが調和しなければならない」と答えました。当時はまだイギリスの EU 離脱や、今のアメリカの大統領を想像していませんでした。欧米の多くの国々が自国中心の考えに傾いており、それがいいことだとは決して思いません。世界における貧富の極端な格差を縮めることは、この時代ますます難しくなってきています。『神々の黄昏』の最後でワーグナーは未来への希望を託しましたが、彼がもし生きていたら、このような表現をするかどうか、私にはわかりません。
UNQUOTE

芸術とは、時を超えるものでありながらも同時に、その時代を映すもの。この時代、我々が芸術から学ぶものは限りなく多いと思う。音楽を聴いているだけで世界が変わるわけでは決してないが、古い音楽から目の前の現実へのヒントをもらうことはあるはず。過度に教養的になるのもよくないと思うものの、やはり、活きた音楽から現代社会や自らの人生へのなんらかの示唆を得たいものであります。

# by yokohama7474 | 2017-04-02 01:42 | 音楽 (Live) | Comments(11)