ベルギー旅行 その 4 アントワープ、ワーテルロー

首都ブリュッセルを拠点としてのベルギー、フランデレン地方の旅。11月 1日 (水) は、アントワープ (オランダ語ではアントウェルペン) に行くことにした。この街は日本人には大変有名で、その理由は「フランダースの犬」である。少年ネロと愛犬パトラッシュが最後にこの地の教会で、ルーベンスの描いた祭壇画の前で息絶えるというこのお話は、実は現地では全く知られていないのだと聞いたことがある。私の場合、幼少期に見たテレビアニメはもっぱら怪獣や妖怪が出てくるものであって、残念ながら「フランダースの犬」には全く思い入れがないのだが、ともあれ、巨匠ルーベンスが生涯を過ごした街であり、15世紀後半からブリュージュを凌ぐ世界最高の商業都市に発展したこの街に対しては、もちろん大きな興味を抱いているので、この日、車をハイヤーしてブリュッセルからアントワープに向かった。だが、ちょっと気になる情報があって、ハイヤーの運転手 (イラン出身で、名前を訊いたら答えは「マイケル・ジャクソン」だと!!) が「今日はお休みだから」と言っていたのである。何の休みか訊くと、「ハロウィン」だと。いやいや、ハロウィンと言えば 11月 1日ではなく 10月31日と相場が決まっているし、そもそも今回滞在したベルギーの街中で、ハロウィンの装飾は時々見かけはするものの、それほど目立たない。だから、「運転手の言っていることは本当に訳が分からん。まぁ、イランから出てきて、ヨーロッパのことがよく分かっていないのだろう。もしかしたら、マイケル・ジャクソンが誰かも知らずに自称しているのかも」・・・と思っていたのだ。そして到着したアントワープでまず対面したのは、この壮麗な市庁舎。1561年から 65年にかけて建造されたもの。この市庁舎が立っているのはグローテマルクトという広場で、それはブリュッセルのグラン・プラスほどではないにせよ、やはり古い建物が立ち並ぶ美しい場所。
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この市庁舎の前には面白い彫刻がある。何やら青年が足元に巨人を横たえ、その巨人のものとおぼしき片手を投げようとしている。
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これはブラボー (Brabo) という名前の古代ローマの兵士。この街を流れるスヘルテ川で猛威を振るっていた巨人を倒し、その手 (Ant) を切り取って川に投げた (Werpen) ことからこの街の地名ができたという伝説を表したもの。因みにブラボーという名前自体は、ブラバント (現在のベルギーとオランダにまたがる地域の名称で、その領主がブラバント伯) の語源になっているらしい。この日はご覧の通り天気もよく、兵士ブラボーも心なしか元気そうに見えるではないか (笑)。
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まだ朝のせいか、人の姿はほとんど見られない。運転手が祝日と言っていたが、あてになるものでもないし、さぁ、今日もバリバリ観光に精を出すぞ!! と気合を入れる私たち一行を励ますかのように、青い空に飛行機雲が一直線に現れて、気持ちがよい。
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市庁舎からほど近い場所にあるノートルダム大聖堂をまず訪問。これが例の、「フランダースの犬」のラストシーンの舞台。1352年から 170年の歳月をかけて建造された、ベルギー最大の教会である。
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その前の道路では工事が行われていたのだが、あっ、これはもしかして、ネロとパトラッシュ??? パトラッシュはまるで大トカゲみたいだし、ネロもちょっとイメージ違うけどなぁ。それから、石畳を毛布のようにかぶっているが、何か布団で寝ているようにも見える。まさか日本人向けに、「ネロ」と「寝ろ」をかけているわけでもないだろうが (笑)。このブログを始めて間もない頃に記事を書いた映画「天才バカヴォン 蘇るフランダースの犬」を思い出してしまいました。
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さて、ここまでは快調だったのであるが、どういうわけかこの教会は閉まっていて、中に入ることができない。むむ、万一イラン人 (こだわるなぁ) 運転手の言うことが正しくて今日が祝日だとしても、教会が開いていないとは、あまり考えられない。日曜ならミサがあるが、どうもそういうことではなさそうだ。実はここでおもむろに「地球の歩き方」を開いてみたところ、なんたること、観光地の定休日の欄に、軒並み「11/1」とある。ためしにほかの都市を調べてもそんなことはなく、このアントワープだけなのだ。そこで、何かこの街独特の聖人のお祭りかと思ってスマホで調べてみると、あ、やはりベルギー全体がこの日は祝日で、「万聖節」とある。これはハロウィンのことではないか!! やはり運転手は正しかった!! もしこの日、残るもうひとつの目的地であるゲントに行っていれば、観光地は開いていたのかもしれないが、いずれにせよアントワープに来てしまった以上、時既に遅し。加えて、実はこのアントワープ観光の目玉のひとつである王立美術館も、現在改修中で長期に亘る閉鎖期間中であることが判明。私たちは完全にこの街から締め出されてしまった格好だ。それでも、ルーベンスの旧居と、彼の家族が礼拝堂を持ち、彼自身そこに埋葬されている聖ヤコブ教会には行ってみた。いずれも残念ながら中には入れなかったのであるが、このように一応写真だけは撮ることができた。
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この街にはほかにも面白そうな美術館がいくつもあるが、当然いずれも閉館している。さあ、ではどうする。実は私のもともとのプランでは、この日午後までアントワープで観光し、そのあと、東に多分 30kmくらい行ったところにあるトンヘルロー (Tongerlo、この地の名前を冠したビールが有名だそうな) という場所に出掛けることとしていた。ここはあまり知られていないと思うが、ダ・ヴィンチの弟子が、師匠の「最後の晩餐」を忠実に模写していて、師が使った革新的な技術を使っていないから色は未だにきれいだし、それに、オリジナルでは既に失われてしまっている中央の足元の部分 (今では扉がそこにある) が残っているのである。これは是非見てみたい。だが、この日の様々な出来事の流れで嫌な予感がした私は、「ダ・ヴィンチ美術館」という名前のついたそのトンヘルローの修道院に電話してみた。

私「あ、『ダ・ヴィンチ美術館』ですか?」
相手 (一瞬間があって) 「ええっと、違いますよ。何かご用?」
私「ええ、そちらでダ・ヴィンチを拝見したくて。今日は開いていますか」
相手「ああ、ダ・ヴィンチね。今日は休みだし、来年 9月 (と言ったと思う) まで休みです」
私「・・・」

なんだか要領を得ない電話であったが、いずれにせよそこまで言っても無駄足であることは明らか。スパっと諦めることとした。ちなみにこのトンヘルローの「最後の晩餐」、借りてきた画像でご紹介しておこう。
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それにしても、ブリュージュではちゃんと月曜の美術館休館を見越してきっちりと効率的な予定を組むことができたのに、ここアントワープでは思わぬ落とし穴にはまってしまった。だが、めげてはいけない。こんな日でも素晴らしい文化遺産を見ることができる場所があるのだ。それは、コーヘルス・オジレイ通り。
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実はこの通りには 20世紀初頭、富裕層が競い合って様々なお屋敷を建てた。ちょっと前の時代のアールヌーヴォーや、当時最先端のアールデコ、また疑似ルネサンスや疑似古典派など、その様子はまさに百花繚乱。片側 1車線ずつの道路を挟んで、数百m に亘ってそれらが立ち並んでいるのである。閑静な住宅街なので車はほとんど通らないし、建築観察には恰好の環境だ。今でも人が住んでいるので、あまりキョロキョロするのは失礼と思いつつも、すみません、キョロキョロしまくり、写真も撮りまくりました。これらがいずれも個人の邸宅とは信じられないくらいのお屋敷群である。
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建築に興味のある方は、アントワープでは是非ここを訪れて頂きたい。あ、それから、こんなお屋敷街の端っこには、建物は立派ながら、1階に日本でもおなじみのドミノ・ピザが入っているのを見て、その庶民性にちょっとほっとするのも、一興かと (笑)。富豪の子孫たちも、相続税や、欧州危機その他社会環境の変化に応じて、意外と慎ましい生活だったりして・・・。どんなシチュエーションでも、常にこういう面白いものを探す感性は、大事にしたいものである。それによって物事を画一的、硬直的な見方をすることから少しでも逃れることができる・・・かもしれない?
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さて、そんなアントワープには再会を期して移動することとした。実は私には腹案があったのだ。しかもこの場合の腹案は、政治家のブラフではなく、純粋に歴史的興味からくる具体的なプラン B である。新たな目的地の名は、ワーテルロー。そう、ナポレオンが、一度幽閉されたエルバ島から脱出してフランスに返り咲いたものの、この地でウェリントン公爵率いる英国軍らに敗北を喫し、いわゆる百日天下に幕が下ろされた、その古戦場跡である。場所はブリュッセルの南 10kmほどであるので、どのみち夕刻にはブリュッセルに帰ることを思うと、ちょうどよい目的地である。イランのマイケル・ジャクソンが運転するメルセデスで高速をぶっ飛ばし、このような場所に辿り着いた。
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ワーテルローの戦いが行われたのは、1815年 6月18日。現地に行ってみて判ったのは、ちょうど 2015年が戦後 200年の記念の年であったので、それに合わせてきれいなミュージアムを作り、映像のアトラクションも新たにできたようである。この戦いの様子がよく分かる工夫がなされている。上の写真は人工の丘で、1826年に造られたもの。ライオン像がフランスの方角を向いて睨みをきかせている。最近できたミュージアムはこんなところだ。
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また、これはかなり古くからあるとおぼしきパノラマ館があって、壁画と人形によって戦場の様子をリアルに体感できるのである。私は 3D 映像よりも、こちらのアナログな手作り感の方が好きだ。
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パノラマ館の裏からは、先刻見たライオンの丘に登ることができる。この丘は高さ 40.5m。階段は 226段もあり、角度もかなりのものなので、なかなかきつい。だがここに登ることで、古戦場のイメージは一層沸くし、台座だけで 4.5m もあるライオン像の巨大さも実感できる。
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このモニュメントからそれぞれ南北に数 km 離れたところに、ナポレオン、ウェリントン双方の指令所が博物館として残されている。時間の関係で、ナポレオン最後の指令所の方だけ見に行くこととした。それは普通の農場の粗末な建物なのであるが、1815年 6月17日から翌 18日にかけて、歴史はここで大きく動いたのである。
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このように、少々予定外の行動を余儀なくされたものの、ワーテルローは行ってみる価値のある場所であることが分かったのは収穫であった。ここでは掲載しなかったが、この古戦場周辺にはあちこちに様々な石碑が立っており、あの日ここで勇敢に戦い命を落とした人たちへの追憶が、かたちを取って表されている。国同士が接している緊張感のもと、古来争いを続けてきたヨーロッパでは、対立と融和が何度も何度も起こってきたわけで、そうであるからこそ、国を守る意義もさることながら、現在では平和の尊さが身をもって人々に実感されているものであろう。

さて、川沿いのラプソディ新春スペシャル、残す記事はひとつとなりました。ラストスパートと行きましょう。

# by yokohama7474 | 2018-01-01 17:29 | 美術・旅行 | Comments(0)  

ベルギー旅行 その 3 ブリュッセル

ブリュージュから首都ブリュッセルに移動。2017年10月31日 (火) は、そのブリュッセル観光に費やすこととした。私はそれ以前この街は 3回訪れていたが、まだまだ見ていないところが沢山ある。だが何はともあれ、この街に来て最初に足を運ぶべきなのは、街いちばんの広場であるグラン・プラスである。いや、この街でいちばんどころではない。数あるヨーロッパの広場の中でも、その壮麗な美しさにおいて、並ぶものはないだろう。こればっかりはその場に身を置いてみないと本当には分からないであろうが、周りの建物をぐるりと見回したり、それぞれの建物の細部をまじまじと眺めたり、いくらいても飽きないくらいなのである。
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このグラン・プラスに面した「星の家」という建物の側面に、セルクラースという人物の像がある。14世紀にこの地を統治していたのはブラバン公であるが、フランドル伯がそれを羨んで王位を継承しようとした際に、この星の家に片手でよじ登り、かかっていたフランドル伯の旗をブラバン公の旗に取り換えたことで、市民の英雄となったが、その後暗殺されたという。この像に触れると幸福になれるという伝承があり、像の右手や左足はツルツルになっている。
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さて、この日の観光は、世界のいろんなところにある、赤い色をした Hop On Hop Off の観光バスに乗ることにした。ブリュッセルは規模の大きな街なので、北回りと南回りの 2つの路線があり、一度チケットを買えば、その途中の停留所で降りたり乗ったりは自由にできるし、両方の路線に乗ることも可能なのである。今回はたまたまバスの出発地点が近かった北回りに乗ることとした。市街地から運河に沿って北上すると、ラーケン王宮が見えてきた。今でも国王の居住地であるらしい。
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そして、このような奇妙な銀色の建造物が見えてきたので、そこで一度降りてみることとした。
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これはアトミウムというモニュメントで、1958年の万国博のために作られたものであるらしい。ということは、できてから既に 60年近く経過していることとなる。当時は冷戦時代とはいえ、未来を未来として信じることのできた時代。何かノルタルジックなものを思わせるではないか。どうやら、この金属の球形の中に入って移動できるようだ。
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中に入ってみようと思ったのだが、ちょうどベルギーの生んだシュールの巨匠、ルネ・マグリットの展覧会もここで開かれていたらしく、チケット購入にはかなりの列ができていたので、残念ながら諦めることとした。またの機会としたい。そしてもう一度バスに乗ったのだが、その観光バスのコース案内を見ると、次の停留所に「マグリット美術館」とあるではないか。手元の日本語のガイドブックには載っていないが、面白そうなので降りてみることにした。少し迷ったものの、ありましたありました。どうやらこれが、マグリットのアトリエ兼住居であるらしい。3階建てではあるが、普通の住宅街の一角だし、敷地はさほど広くない。なんと、表札までそのままだ。
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ところが残念なことに、この日は定休日で、中に入ることはできなかった。これもまたの機会に持ち越しとなってしまった。ところでベルギーの人たちは親切で、道に迷っている人がいると、積極的に声をかける国民性であるとか。実際にこの日も、地元の人とおぼしい中年女性が親切に、片言の英語で、ここが休みでも、街中の王宮の近くに行けばマグリットの作品を見ることができると言ってくれた。もちろん、王立美術館のひとつがマグリット美術館であることは知っているが、丁重に礼を述べておいた。そして、いかにも庶民的な小さなスーパーのような店の壁に、こんなポスターを発見。
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おぉこれは、その日の夜、ブリュッセルの誇るオペラ・ハウスであるモネ劇場で鑑賞することになっている、モーツァルトの歌劇「ルーチョ・シッラ」のポスターではないか。こんな中級住宅地にオペラのポスターとは、さすがブリュッセルは文化度が高い。さてその後またバスに乗って中心地に戻ることとしたが、車窓から見えたこの巨大な建物は、コーケルベルグ聖堂。独立 50周年を記念して 1880年に時の国王レオポルド 2世によって建てられたもの。その正面にはエリーザベト公園が広がっているが、このエリーザベトは、音楽ファンなら誰でも知っている、この街で開かれる名門コンクール、エリーザベト王妃国際コンクールの名前の由来となっている、あのエリーザベト王妃 (レオポルド 2世の甥にあたるアルベール 1世の妃) だろうか。
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さてそれから、中央駅付近でバスを降りて、広大な王立美術館に向かうこととした。入り口には日本語表記も。ちょっと古びていますが (笑)。
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腹が減っては戦はできぬということで、この美術館のカフェテリアでランチを取ったが、こういうマグリットに因んだ遊び心が嬉しいではないか。
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この王立美術館は、古典美術館、世紀末美術館、マグリット美術館と 3つに分かれている。古典美術館にはフランドルやオランダ、ドイツの絵画が陳列されていて興味深い。中でもブリューゲルは充実している。これは「反逆天使の追放」(1562年作)。
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この「イカロスの墜落」は私の好きな絵で、以前はブリューゲルの真作とされていたはずだが、現在ではほかの画家によるコピーであるという説が定着しているようだ。
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それから、これは確か最近ブリューゲルの真作と認定された作品で、「聖マルティンのワイン祭り」のはず。これってここにあるんだっけ・・・と疑問に思ってあとで調べてみると、ここではなくプラド美術館であるはず。とすると、同じ構図のほかの画家による模写ということだろうか。
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世紀末美術館は以前見たことがあるが、今回は時間がなくてパス。午前中の出来事もあったので、ここはやはりマグリット美術館を優先しよう。建物は古いが、中は非常に新しい。以前はこんなにきれいではなかったように記憶するので、最近リノベーションしたのであろうか。館内にかかっている巨大なマグリットの写真が印象的で、またトイレも、遊び心に溢れている。
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私はマグリットの作品は基本的に好きだが、ひとつの難点は、そのヴィジュアルイメージに重きを置いた作品たちには、オリジナルに対面したときの感動があまりないことだと思っている。その点このマグリット美術館はそこを逆手に取って、暗い館内にマグリットの作品のあれこれがくっきりとライトを浴びて浮かび上がることで、あえていえばそのポスター性のようなものを強調する結果になっていた。いかにもマグリットらしい展示方法だと思ったものだ。

さて、その日は一旦ホテルに戻ってから、モネ劇場まで徒歩で出掛けることとした。その道すがら、1847年に完成したアーケード、ギャルリー・サン・チュベールを通る。これはなかなか楽しい。
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これが王立モネ劇場。ヨーロッパの名門歌劇場のひとつであり、かつて大野和士が音楽監督を務めたことでも知られる。因みに劇場名の「モネ」とは、あの有名な画家とは何の関係もなく、フランス語でお金のこと。昔ここに造幣局があったことによるらしい。「お金劇場」とは、何やらあまり芸術的でない名前だが (笑)、オケのクオリティはなかなかのものだし、高いステイタスを誇るオペラハウスである。外見はギリシャ神殿風、中に入るとカラフルでモダンな装飾もあるが、劇場内はまた伝統的なオペラハウスの豪華さを持っている。この国にふさわしい多重構造ですなぁ (笑)。この日ここで見たモーツァルトの「ルーチョ・シッラ」のレポートは現地で書いたが、今思い出すと、なかなかに大胆な演出で面白いものであった。
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休憩時間にロビーに出ると、無料でもらえるのど飴が大量に置いてある。リコリスだろうか。実はこれ、私には見覚えがあって、ニューヨークのカーネギーホールに置いてあるものと全く同じなのだ。これだけ大量にのど飴を置いてあるのだから、無用な咳をしないようにという、劇場側の皮肉な配慮である。
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また、階段の横には過去にこの劇場に関係した芸術家たちのポートレートが並んでいるが、そこに作曲家の細川俊夫を発見。細川のオペラとしては、2004年と2011年に「斑女」がここモネ劇場で上演されており、2011年にはまた「松風」がここで世界初演されている。細川にとっては縁の深い歌劇場なのである。またこの「松風」は、来月、新国立劇場で日本初演される予定であり、大変に楽しみである。
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また別の日に、このブリュッセルでおいしいシーフードを食べに出掛けたときの写真をいくつかお目にかけよう。モネ劇場の少し西側に聖カトリーヌ教会という教会があり、その近辺がシーフードレストランの集まっている地域であるが、そこで食事を済ませて帰る途中にはこんな建物が。
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これもモネ劇場と同じくギリシャ神殿風の建物だが、これは証券取引所。もともと 1801年にナポレオンの命によって作られた由緒正しい場所であるが、現在では証券取引所の機能は別の場所に移転し、ここは使われていない。残念ながらこの建物、明らかに保守が充分にされておらず、細部がかなり傷んでいる。長く続いたヨーロッパ不況も影響しているのだろうか。また、ブリュッセルはもともとそれほど治安のよい街ではなく、このように人がたむろっている場所では、夜間は身の危険には充分注意する必要があるので、これから行かれる方は、充分お気をつけ下さい。ただ、海外で普通に気を付けるべきことさえしていれば大丈夫。ここからグラン・プラスの方に歩いて行くと、土産物屋もあって、ブラブラ見て歩くのも楽しい。あ、ブリュッセル名物、小便小僧と並んで売っているのは、私が今回外見だけは見ることのできた、アトミウムではないか。そんなに人々に親しまれている建造物だったのだ。
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さて、この記事の冒頭に朝の写真を掲載したグラン・プラスの、夜の写真をお見せしよう。前回の記事でご紹介したブリュージュのマルクト広場の夜景もよかったが、いやこれは、さらに素晴らしい。実はこのグラン・プラスに面した建物にヴィクトル・ユーゴーが暮らしていたことがあって、プレートが掲げられている。そういえば彼はこのグラン・プラスのことを、「世界で最も美しい広場」と絶賛したと聞いたことがある。こんなところに住んだら、それはもう世界が違って見えることだろう。ただ美しいというだけでなく、歴史というものがそこに折り重なった荘厳さを感じさせる場所なのである。
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そうそう、上で土産物屋の写真を掲載してから気づいたのだが、この街で最も有名な存在である小便小僧についてもご紹介しておかねばならない。この少年が誰で、一体何をしたから彫刻になっているのかについては諸説あるようだが (小便を導火線にかけて火事を未然に防いだ説等)、1619年から、既に 400年近く彼はここで小便をし続けている (笑)。この発想はバロックらしいというべきか、なかなか意表をついていて面白い。世界中から衣装を贈られるので、その衣装の博物館まであるほどだ。
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そんなわけで、首都ブリュッセルのよく知られた顔と知られざる顔に触れることができ、大変面白かった。この街にはほかにもいろいろ有名無名の見どころがあって、例えば、あのオードリー・ヘップバーンの生家もこの街に存在している。またいつの日にか再訪せねば。治安にはくれぐれも気を付けながらということは言うまでもないが。

# by yokohama7474 | 2018-01-01 17:28 | 美術・旅行 | Comments(0)  

ベルギー旅行 その 2 ブリュージュ (2)

前回の記事の翌日、2017年10月30日 (月) のこと。ブリュージュの観光 2日目である。国内、海外を問わず、観光でどこかを訪れた際には、どこに優先順位を置いてどの順番で観光地を回るかについては、事前の計画と、それから現場での状況判断で、臨機応変かつ貪欲に決めて行動するというのが私のポリシーであるが、今回もある考えがあった。というのも、多くの観光地において、月曜日は美術館が定休日であることが多い。なので、ブリュージュでの美術館探訪は前日の日曜に行い、月曜はその他の観光地、あるいは月曜でも開いているところを選択するという作戦であったのだ。前日の夜も通ったマルクト広場にまた帰ってくると、あいにく曇りに時々雨が混じる空模様ではあるが、それでも朝の空気がすがすがしい。
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歩いて行くとこんなお店が。各国の言葉で「チョコレート」と書いてあるが、誰か正しい日本語表記を教えてあげて!! でもさすがベルギー、チョコレート屋さんは多かったですよ。
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そして辿り着いたのはこの場所。川のほとりである。そう、何をしようとしているかというと、ブリュージュ名物、運河のクルージングである。幸い青空が見えてきた。晩秋の寒さの中、半袖でサングラスをかけたチョイワルな感じの船長が、英・仏・蘭の 3ヶ国語で説明をしながらのクルージングで、言葉がどこで切り替わったかもよく分からないから説明を聞き取りにくいが、ともあれこれぞブリュージュ情緒。空の飛行機雲も鮮やかだし、非常に低い橋の下を通過するときにも、イヴェント感満載だ。乗っている間にも空模様が変わって行く。
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この運河クルーズ、道を歩いているだけでは分からない街の情緒が分かるので、今後ブリュージュにおでかけになる方には、是非お薦めしておこう。しかも、午後になると結構混んでくるので、朝のうちに済ませておく方がよいので、ご参考まで。さてそれとは対照的に、これはお薦めしないなぁという場所もある。それは、マルクト広場に面した例の巨大な鐘楼の建物の 1階にある、この施設だ。
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これは、シュールレアリスムの巨匠、今は亡きサルヴァドール・ダリの美術館。私はダリを 20世紀最高の画家のひとりであり、シュールの画家の中で最も才能のあった人だと思っていて、その作品を深く愛するものであるが、その一方で、いわゆるダリ的なイメージの大量生産と、そこに見える商業主義には、どうにも好きになれないところがある。もちろん、そのエキセントリックな言動で奥さんとともに芸術を商品にしたこと自体は、別に悪いことだとは思わないが、例えばこの場所で見られる、いわゆるダリ的なイメージの安売りはいかがなものか。ちょっとお土産にダリの版画でも買おうかなという方は無理に止めないが、芸術を愛する人なら、ブリュージュの中でこの場所以外に訪れるべき場所はいくらでもあるはずだ。

さて、気を取り直して観光を続けることとしよう。このマルクト広場からは街を 50分で一周するミニバスでのツアーに乗ることができる。このような天井もガラス貼りのバスで、録音による説明言語には、嬉しいことに日本語もあるのである。それにしてもこのブリュージュには、こんなに多くの国々から観光客が集まってくるのである。
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ブリュージュは道が狭いので、このような小型のバスがちょうどよい。ガイドブックには載っていない街の様々な顔を知ることができて興味深い。これは、フランドル絵画の巨匠、ヤン・ファン・エイクの肖像。また、写真はないのだが、興味深い建物の横を通った。それは貴族商人ヴァン・デル・ビュルスの館。ここブリュージュが商業で発展した際、ここでの取引方法がその後ヨーロッパの商業のやり方になっていったのだが、現在でもヨーロッパ圏で証券取引所を指す Bourse という言葉があり、それはそのヴァン・デル・ビュルスに因んだものなのである。このブリュージュの街が、当時世界の最先端であったことがよく分かる逸話である。
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観光バスに乗り終え、またマルクト広場に戻ってきた我々は、その近辺の歴史的な場所を見て回ることとした。まずは、世界でも極めて珍しいキリストの聖遺物収めるこの教会。
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ここは聖血礼拝堂といって、キリストの血が沁みたという布を所蔵している。これは 12世紀に十字軍に参加したフランドル伯がコンスタンチノープルから持ち帰ったものとされ、今ではガラスの容器に入れられ、1日の限られた時間にのみ、一般公開される。15 - 16世紀に建てられた礼拝堂は建物の 2階にあり、訪問者は石段を登って行くのだが、これがその石段の横に貼ってあった聖遺物の写真と、その公開時間。
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礼拝堂自体、このように神々しい場所であるのだが、聖遺物は、この本陣に向かって右側のスペースで公開される。その部分は撮影禁止なので写真はないが、列をなして司教の前に並び、ひとりずつ間近に接することができる。そのあとは、いくばくかの寄進をすることが求められている。
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礼拝堂にはちょっとした資料室があるが、そこには携帯用とおぼしき豪華な箱が展示されている。この街では毎年、キリスト昇天祭の日に聖血の行列というお祭りが開かれ、その場で流れていた映像によると、この容器の中に聖遺物を入れて、いわば神輿のように街を練り歩くようである。
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またこの建物の 1階は、12世紀に聖遺物を持ち帰ったフランドル伯ティエリーが建造したオリジナルの礼拝堂になっていて、その当時の彫刻が壁に残っている。いかにも素朴な中世のイメージそのままである。
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この聖血礼拝堂に隣接して市庁舎が立っている。1376年から 1420年にかけて建造されたもので、ベルギーの市庁舎で最古のもののひとつ。
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龍の姿をした手すりのある階段を登って行くと、素晴らしい内装を持つホールに辿り着く。見事な建築なので、飽きることなく眺めてしまうが、19世紀末に描かれた壁画には、フランドル地方で偉大な業績を残した人物像や、歴史の一場面が描かれている。以下の写真は、ヤン・ファン・エイクとハンス・メムリンク。
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見事な市庁舎をあとにして向かった先は、古い建物の中に作られた、ヒストリウムというアトラクション。ここでは 15世紀の黄金時代のブリュージュにタイムスリップしたような感覚が味わえる。ヤン・ファン・エイクの弟子という架空の若者を主人公とした映画を見ながら、いくつもの部屋を歩いて行く。イヤホンガイドには日本語もあるのだが、肝心の映画は英語のセリフだけで、日本語の吹き替えや字幕はないのでご用心。でも、まあまあ楽しめる場所である。
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さて、うまく月曜休館の美術館を避けて思惑通り観光をこなしたあと、ブリュージュ観光の仕上げにどうしても行きたい場所に出掛けることにした。それは、ベギン会修道院。ベギン会とは、13世紀に起源を持つ女性の互助会のような組織で、完全な修道院ではなく、半聖半俗であったらしい。フランドル地方には 13のベギン会の遺構 (ベギンホフ) が残り、すべて世界遺産に認定されている。但し、ベギン会自体は既に衰退し、このブリュージュのベギンホフには現在、ベネディクト派の修道女たちが共同生活をしている。中世そのままの雰囲気で、聖なる静謐が漂う特別な場所であった。
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ブリュージュはこのように、深い歴史的な佇まいを留める素晴らしい場所なのである。実はこの街、15世紀には毛織物産業で発展し、ヨーロッパでも当時最大の商業都市として、多くの国や都市と交易を行ったのだが、15世紀後半には北海とこの街を結ぶ川に土砂が堆積し、船の航行が困難になったため、商業の中心はアントワープに移ってしまったらしい。だがその急な衰退が幸いして、中世の街がそのまま変わることなく現在にまで残ることになったという事情らしい。なるほど、数奇な運命である。この街にはまた是非戻ってみたいと、誰しもが思うような街なのである。

# by yokohama7474 | 2018-01-01 17:26 | 美術・旅行 | Comments(0)  

ベルギー旅行 その 1 ブリュージュ (1)

今回休暇を取った際に、会社の同僚から、どこに旅行するのかと訊かれた。主としてベルギーだと説明すると、彼がニヤっと笑って言うことには、「え? ベルギーですか。ベルギーってあれでしょ? フランスの属国みたいな場所と、オランダに入れてもらえなかった場所が集まってできた国でしょ?」と。それに対して私は 0.5秒黙ったのち、「いいえ、全っ然、違います。ヨーロッパのかつての中心地として、大変重要な場所ですよ」と強く答えたところ、その私の決然たる態度に、その人のニヤニヤ顔は凍りついていたものだ (笑)。いや実際、日本人のベルギーに対する理解の低さには、ホトホト呆れるのである。またある場合には、「あ、ビールが有名ですよね。あと、ワッフルとチョコレートも」というコメントがあったり、「あの、以前サッカーワールドカップで日本と対戦した『赤い悪魔』ですね」というコメントがあったりして、いつもながらの文化の徹底探訪を目的としての旅に向けた準備をしていた私を、大いに嘆かせたのである。いや、私とても正直なところ、以前このブログでご紹介した Bunkamura ザ・ミュージアムでの「ベルギー奇想の系譜」展で展示されていたようなフランドル絵画以上に、さほどこの国について知っているわけでもなかった。そこで、現地に赴く前に、以下のような本を読んで勉強した。

 物語ベルギーの歴史 ヨーロッパの十字路 松尾秀哉著 (中公新書)
 ブリュージュ フランドルの輝ける宝石 河原温著 (中公新書)
 ベルギーを知るための 52章 小川秀樹編著 (明石書店)
 図説 ベルギー 美術と歴史の旅 森洋子編著 (河出書房新社 ふくろうの本)
 魅惑のベルギー美術 冨田章監修 / 姫路市立美術館編 (神戸新聞総合出版センター)

この国の歴史は複雑であって、私も充分に理解できたわけではないのだが、ひとつ重要なことは、ちょうどヨーロッパの中央、英・独・仏の間にあるこの地域は、まさにヨーロッパの十字路としての役割を持ち、ローマ帝国のあとヨーロッパの広範な地域を治めたフランク王国のシャルルマーニュ、つまりカール大帝 (742 - 814) は現在のベルギーの生まれであり、首都を、現在のベルギー国境にほど近いドイツのアーヘンに置いたという。その頃からこの地域は商業が活発となるが、フランク王国の分裂によって、東フランク王国 (領土は今のドイツに近い) と西フランク王国 (今のフランスに近い) の間で、複雑な経緯を辿ることとなる。だが、12-13 世紀頃、フランドル伯の統治下で、英国から羊毛を輸入して毛織物を生産することで発展し、まずブリュージュが、北海経由で物資を運搬することによって全盛を極めることとなった。その後はハプスブルクの支配下に入り、独立はようやく 1830年に達成された。アフリカではコンゴを植民地とし、大虐殺を引き起こしたという負の歴史もあるらしい (映画「地獄の黙示録」の原作であるジョセフ・コンラッドの「闇の奥」はその頃のコンゴを舞台としているらしく、一度読んでみたい)。

ともあれ、もちろん広く知られていることだが、ベルギーの首都ブリュッセルはまた EU の首都でもあり、この国は現代ヨーロッパにおいて、非常に重要な位置を占めているのである。それは、英国 (今度抜けてしまうが・・・)、フランス、ドイツという大国を EU の中心にすることへの警戒心がそれぞれの国にあるところ、中世はまさに文明の十字路として発展したが、今では複数の言語地域を持つ小国として独自の存在感を持つベルギーは、大国間のある種の緩衝材としての役割に鑑みても、EU の首都は適役なのである。文化的にも豊かで、もちろん、ルネサンス期のフランドル絵画以降、クノップフ、アンソールという世紀末象徴主義や、マグリット、デルヴォーというシュールレアリスムの分野において、美術史に残る画家を輩出している。文学では、「青い鳥」で知られる象徴派詩人メーテルリンクがベルギー人だし、あるいは、これは架空の人物だが、英国のミステリーの女王アガサ・クリスティの作り出した名探偵エルキュール・ポアロはベルギー人という設定。音楽の分野では、例えば作曲家セザール・フランクは、フランス人ではなく実はベルギー人である。あるいは、ええっと、指揮者でもいましたね。と考えて、私が「あ、そうだ。クリュイタンス」と呟くと、それを聞きとがめた家人が、「そうよ、早く処分してよ」と予想外の反応である。何かと思うと、「あの、古い箪笥のことでしょ」とのこと。あぁ、確かに、増え続ける所有物の効率的な収納のために、古い箪笥を処分しようとしていたことは事実だが、あのフランス音楽の大巨匠で、ベルリン・フィルとのベートーヴェン録音でも歴史に名を留めているアンドレ・「クリュイタンス」の名を、よりによって「古い箪笥」と聞き間違えるとは、なんと失敬な。ま、それだけベルギーという国への日本における一般的なイメージが限られているということだろう。今回私は、パリからブリュッセルに移動し、そこからさらに移動してブリュージュに 1泊、そしてブリュッセルに 3泊して、いくつかの街 (首都ブリュッセル以外は、いわゆるフランデレン地域 = オランダ語が話される地域のみだが) を訪ねる計画を立てた。いつものことで、あれこれのトラブルには見舞われたものの、なんとかそれらをいちいち解決し、トラブルを楽しむくらいの余裕をもって、ベルギー旅行を堪能した。そのうち、ブリュッセルのモネ劇場で鑑賞したモーツァルトの若き日のオペラ「ルーチョ・シッラ」については、既に現地からレポートを書いたが、たまたま滞在中の音楽イヴェントはこれだけであったので、夜はムール貝その他の料理を楽しんだのである。ベルギーのレストランは、どこに行っても本当においしく、しかも値段もパリやロンドンよりもかなりリーズナブルである。このブログはグルメブログではないので、そのパートはほとんど割愛するが、ミシュランの星つきレストランから街の食堂まで、あらゆるところで出会うことのできる食の楽しみも、この国のひとつの売りである。

さて前置きが長くなったが、私たちがこのブリュージュを訪れたのは、2017年10月29日 (日)。早朝パリからの列車移動であったが、ちょうとサマータイムが終了して時計の針を 1時間戻す日で、慣れないことなので少し戸惑いもあったし、それ以外にも移動には若干のチャレンジもあったのだが、午後早い時刻には無事現地に到着。このブリュージュという街、こんな景色に象徴される。
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ブリュージュというのはフランス語であり、英語でブルージュ、現地のフラマン語 (= オランダ語) ではブルッヘと呼ばれるこの街は、歴史地区が世界遺産に認定されており、このような水路が多いので「北方のヴェネツィア」とも呼ばれる美しい街である。もっともヴェネツイアは本当に海の上に築かれた都市であるのに対し、ここブリュージュは、15kmほど離れた北海を通じて海運を発展させるために町中に運河が築かれたもの。ブルッヘという地名も「橋」に因むものであるという。私はそもそもベルギーでは、首都ブリュッセルは何度か訪れたことがあったものの、今回訪れたほかの街はいずれも初めてなのだが、とりわけこのブリュージュにはどうしても来たいと思っていた。それは音楽ファンとしては当然で、コルンゴルトのオペラ「死の都」、そしてその原作であるジョルジュ・ローデンバックの「死の都ブリュージュ」に負うところ大である。私は随分以前に、ちくま文庫から出ている「ローデンバック集成」でこの小説を読んだが、私のような世紀末象徴主義に耽溺する人間にとっては、身震いするほど素晴らしい本なのである。
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またもちろん、この街に育ったクノップフの「見捨てられた街」も大好きなのである。これは実はパステル画であるが、なんとも淋しい風景だ。これぞまさしくブリュージュの陰鬱でありながら耽美的なイメージにぴったりなのである。
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このクノップフの作品は、この街で活躍した画家ハンス・メムリンク (1430/1440 頃 - 1494) の名前に因むハンス・メムリンク広場を描いたものであるらしいが、本来なら台座の上に乗っているはずのメムリンクの肖像彫刻を描かないことで、あるべきものがそこにないというシュールな印象を呼び起こしている。残念ながら今回の旅行では、この場所には行かなかったが、ただ、最初に訪れたのはハンス・メムリンク美術館である。これはヨーロッパでも最古の病院であるらしい、12世紀に創立された聖ヨハネ施療院の一部を利用した施設。入り口の前にはまさにメムリンク風の聖母子の彫刻が置かれている。
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中にはメムリンクの作品だけでなく、ルネサンス時代にこのフランドル地方で作られた彫刻や絵画が並んでいて素晴らしい。
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だがやはり、単独で展示されていて多くの人々がその前に佇んでいるのは、メムリンクの「聖女カタリナの神秘の結婚」である。これはこの聖ヨハネ施療院の附属教会に飾られていた三連式の祭壇画である。もちろんこの施療院の依頼によって制作され、1479年に完成している。つまりは、制作されてから 550年近くの間、ここに存在している素晴らしい絵画作品なのである。聖カタリナは 4世紀初頭に殉教した聖女。ローマ皇帝の求愛を拒んだために車にくくりつけられて転がされるという拷問を受けたが、奇跡によって車輪は大破し、最後は斬首によって処刑されたという。見事な細密描写には舌を巻く。
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またここには、やはりメムリンクの手になる「聖女ウルスラの聖遺物箱」(1489年作) もあって、これもまた、大変な見ものである。ガラスが反射して残念であるが、これは、やはり殉教者である聖ウルスラの聖遺物を収める箱で、絵画・工芸のみならず、もはや建築でもあると言ってもよい逸品だ。
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また、この美術館では同時に現代アートも展示されていて、それも新鮮で面白い。
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メムリンク美術館のすぐ向かいには聖母教会がある。13 - 15世紀の建立。
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確かに古いが、一見何の変哲もない教会に見える。だがここには素晴らしい彫刻作品が安置されているのである。入り口近くにあるこの祭壇に、ガラスケースに入っているところを見ることができる。
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そう、ミケランジェロの「聖母子像」(1501 - 04年作)。そもそもミケランジェロの彫刻をイタリア以外で見ることは、ほとんどできない (ルーヴルに「瀕死の奴隷」という作品があるが、未完成である)。だがこの聖母子像は、ブリュージュの商人が 1506年に購入したもの。制作直後からここにおられるわけである。ミケランジェロ弱冠 29歳のときに完成しており、あのヴァチカンにある有名な「ピエタ」のあとに制作したもの。「ピエタ」ほど劇的ではなく、動きの少ない作品ではあるが、こうしてクローズアップで写真を撮ったり、まじまじと見つめていると、なんとも言えない静謐な空気が、心を引き締めさせるとともに、穏やかな気分にさせてくれるのである。やはり若き日の天才のみが創り得た、超絶的な逸品というべきだろう。
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私がこの聖母子像をどうしても見たいと思ったには理由がある。それは、このブログでも 2015年11月25日付の記事で採り上げたジョージ・クルーニーの映画「ミケランジェロ・プロジェクト」(原題 : The Monument Men) である。その映画の中で、この聖母子像をナチの魔手から守ろうとして命を落とす男が描かれているが、実話に基づく映画であるから、本当にそういうことがあったのであろう。このあと訪れたゲントのファン・アイク兄弟の手になる「ゲントの祭壇画」もそうであるが、ナチという災厄がヨーロッパを覆った困難な時代を経て一級の美術品が現代に伝えられたことに、我々は感謝しなくてはならない。この旅行のあと、「ナチ略奪美術品を救え」という、モニュメントメンに関する 500ページの大部なノン・フィクションを購入したが、未だ指一本触れられていない (笑)。心してよむ時間を設けねば。
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さてこの聖母教会、見どころはこの彫刻だけではない。ブルゴーニュ公国シャルル突進王 (1433 - 1477) とその娘マリー (1457 - 1482) の柩である。父は情熱と使命感で突っ走る王であり、フランス王との戦いの中で命を落とすが、その無私の突進ぶりが後世の人たちから慕われているようで、ホイジンガの「中世の秋」にも何度も名前が登場するという。娘はハプスブルクのマクシミリアン 1世に嫁ぎ、領民から慕われたが、落馬が原因で 25歳の若さで世を去った。
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これらの柩の足元の床は、ガラス貼りになっていて地下が見えるが、これは相当古いものだ。天使のような壁画も描かれているが、柩であろうか。この教会の起源は 9世紀に遡るというから、その頃のものかもしれない。
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聖母教会を出て、次なる目的地、グルーニング美術館に向かう途中で、元気なビーグル犬と遭遇。洋の東西を問わず、この犬種は全く!! でも、やんちゃなところが可愛いね。橋から見える風景はブリュージュならではの風情あるもの。
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そして見えてきたのがグルーニング美術館。ここには初期フランドル絵画から近現代までのベルギー絵画を鑑賞することができて、見ごたえ充分だ。
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最初の方の展示は、街の歴史に関連するもの。ブリュージュが都市として発展を始めた頃の地図や、人物画の背景に描かれた、当時から物資の運搬に使われていたクレーンが興味深い。
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これは地元の画家ペーター・プルビュスの「最後の審判」(1551年作)。ホラー映画ばりの描写が私好みである (笑)。
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これは恐るべき細密画の逸品で、誰もがその場に足を停めてじっくり見ることになるであろう、ヤン・ファン・エイクの「ファン・デル・パーレの聖母子」(1436年作)。フランドル絵画においては、このような細密描写は突然現れたらしい。単に細密なだけでなく、聖母子の威厳や、作品に名を残している寄進者であるファン・デル・パーレ (向かって右側に膝まづいている白い衣の人物) の人間的な表情といい、実に驚くべき傑作だ。実は、そのファン・デル・パーレの右側にいる聖ゲオルギウスの左腕の盾に、画家とおぼしき赤いターバンをかぶった人物像の反射が描かれているという。肉眼でもよく分からなかったので撮影していないが、ご興味のある方は、ネットで検索して頂くと、情報が出てきますよ。
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ヒエロニムス・ボスの「最後の審判」(1510年頃作)。ボスの真作を見るだけでも貴重な機会なのに、ガラスもなしに対面でき、写真まで撮影できる寛大さには、感謝である。ほらほら、ボスしていますよ!!
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これも非常に珍しい作品で、地元の画家ヘラルト・ダフィットによる「カンビュセスの裁判」(1498年作)。これはブリュージュ市庁舎の参事会に設置するために制作されたもの。ヘロドトスの「歴史」にある逸話で、ペルシャ王カンビュセス 2世の時代に腐敗した裁判官が処刑されるところを描いている。参事会において正しい裁きが行われるような戒めが込められているそうだが、それにしてもこの皮剥ぎの刑は、痛そうではないか。農耕民族である我々日本人には、なかなか理解できない感覚だ。
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さて、数々のベルギー絵画を堪能して外に出ると、既に日が陰っていた。でもこの空の色と、シルエットで浮かび上がった建物は、まるでマグリットのシュールな絵画のようではないか。ここベルギーの地を訪れて初めて、画家の持ち味は、彼または彼女が普段見ている光景から無意識のうちに影響を受けるのだなぁと実感した次第。
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夜になって食事に出かけた際、街でいちばん賑やかなマルクト広場をブラブラ歩いて、レストランを探した。13 - 15世紀に建てられた高さ 83mの鐘楼が美しい。
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さて、ここブリュージュではまだまだ見ていないところがある。翌日の探訪については次の記事で。

# by yokohama7474 | 2018-01-01 17:25 | 美術・旅行 | Comments(2)  

フランス モン・サン=ミシェル

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皆様、あけましておめでとうございます。昨年の大みそか、あ、つまりはまだ昨日のことですが (笑)、川沿いのラプソディ新春特別企画として、ちょっとまとまった記事を一挙公開すると書きました。お約束通り、これから、この記事を含めて 6つの記事をアップすることとします。これは昨年 10月末から 11月にかけて、家族とともにヨーロッパを旅行した、その様子をレポートするもの。既に 2ヶ月が経過してしまったものの、文化芸術の観点から見て大変に充実した旅であり、同じ場所を既に訪れた方々にとっては思い出を反芻して頂けるだろうし、また、これから訪れる方々にもなんらかの参考になる可能性もあろうと思い、現地で撮影した写真を中心にご紹介することとする。

さて、フランス北西部、ノルマンディー地方にある修道院、モン・サン=ミシェルはもちろん世界遺産であり、日本人にもとびきり人気の観光地である。私も家人とともに一度、2009年に訪れてはいるものの、その時は未だ、島の周りに堆積した土砂を取り除く作業の途中であった。なので今回は、その作業が終わってから初めての訪問ということになり、大変に楽しみであった。本当は島の対岸あたりに宿を取って、ライトアップされた修道院を見てみたいと思ったが、その後の予定との関係でそれが果たせず、パリのシャルル・ドゴール空港の近くに宿泊し、そこから車をチャーターして日帰り往復することとした。パリとモン・サン=ミシェルの間は多分 300kmくらいあるはずだから、喩えて言うと、東京と名古屋の間を車で往復したようなもの。時間はそれなりに要したが、異国の旅は、車窓の風景を眺めているだけでも飽きないものだ (あ、それは行きだけで、帰りは寝ているので、飽きないもなにもないわけだが。笑)。2017年10月28日 (土) の早朝に出発。
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途中で一度休憩したが、天気もよく、サービスエリアにいる人たちも皆、楽しそうだ。リンゴの木が何本か立っていて、実がなっている。そういえば、日本人画家である田窪恭司がリンゴの絵を壁画として描いた小さな礼拝堂も、確かノルマンディーだったはず。
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流れ行く車窓の風景を見ていること数時間、あっ、遠くに霞んで見えてきた、モン・サン=ミシェル。
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以前訪れたときは TGV でレンヌまで行ってそこからバスに乗ったが、目的地に到着するときに誰しもが感動するのは、島の岩山の上に建っている修道院の美しい姿は、周りに全く何もない土地であるがゆえに、遠くからでも見えることである。きっと徒歩で現地に向かう巡礼の人たちも (今でもおられるようだが)、修道院の姿が見えては、道が曲がると隠れ、そして次に現れたときには近づいていることを発見して、心躍ったものであろう。そう、車の中からでも段々その姿が鮮明になってきた。
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以前はかなり近くまで車が入れたと記憶するが、今は駐車場はかなり手前にあって、すべての人は、そこから電気で動くバスに乗って修道院に向かう。環境保全のためにはやむを得ないことであろう。そして、バスの中からでも、どんどん近づく修道院に、あちこちから歓声が上がる。
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バスを降り、修道院の前に立つ。ここは、ちょうど江の島にあるような、海の上を通って島に続く橋なのであるが、振り返るとそれはそれで、何か神秘的な道に見えてくる。
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さあそして、振り返ろう。ガイドの方によると、この地方は天気の悪い日も多いらしく、これだけ気持ちよく青い空が広がることはそうは多くないとのこと。うーん、日ごろの心がけがよいせいだと、いつもながらの根拠のない楽天主義でこの場に立てる幸せ (笑)。
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近くに寄ってみると、本当に岩山の上に建っていることが分かる。最初にアーチ型の門を通り、中世そのままの石畳の坂道をエッチラオッチラ登って行くことになる。
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門を入ってすぐのところに、必ずガイドブックに掲載されている有名なオムレツ屋さんがある。前回はそこでランチを取ったが、フワフワオムレツはなかなか繊細でよいのだが、そのシンプルさの割には値段が張るので、今回はパス。但し、近くにあるレストランで、やはりオムレツを食べてしまいました (笑)。
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土曜日だったのでかなりの賑わいで、細い道はすれ違うだけでも大変だ。だが、左右の建物の中世そのままの様子は、いくら見ていても飽きることがないし、そもそも今っていつだっけ? とすら思えてくる。
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そして見えてきた修道院への石段。日本のお寺でもこういうところがあるが、聖なる土地に辿り着く前の試練のような坂道だ。今思い出してみると、特にその坂がきつかったという感覚はない。やはり、憧れの地を訪れる高揚感によるものだったのか。
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いよいよ修道院に辿り着き、料金を払って敷地内に入るが、そこでもまだ石段が延々と続いている。岩山の岩が剥き出しになっている箇所もあり、なかなかに峻厳である。
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下からも見上げた頭頂部の聖ミカエルの黄金の像が、少しは近くに見える。空には少し雲がかかってきたが、今度はそれを、普段の行いが悪いせいだとは考えず、まあ天候は変わるものだからね、などとまたしても楽観的な思いを抱きながら振り返ると、あっ、緑の上に一か所だけ雲の切れ目があって、そこだけ日が差しているではないか。このような風景を見ると、異教徒、というよりも無神論者の私も、自然と敬虔な気持ちになるのである。
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ここでモン・サン=ミシェルの歴史について簡単におさらいしておこう。その名称は、「モン」は「山」、「サン=ミシェル」は「大天使聖ミカエル」のこと。上の写真で見た黄金の聖ミカエルは、邪悪なものに対して剣をふるっているのである。もともとこの場所では、6世紀からキリスト教徒が隠遁生活を送っていた。8世紀初頭、アヴランシュという街の司教であったオベールという人の夢に聖ミカエルが現れ、この地の岩の上に教会を建てるよう命令した。ところがそのオベールはそのお告げを疑ったため、ついに聖ミカエルは指で彼の頭蓋骨に穴を開けたという (ちなみに、その穴の開いた頭蓋骨は今でもアヴランシュのサンジェルヴェ教会というところに現存するらしい)。こうしてこの地は大いに人々の信仰を集めたが、9世紀後半にはヴァイキングの侵入によって混乱がもたさられる。その後ノルマンディー公国の領地となると、教会堂は新たな繁栄を迎え、ベネディクト派修道会士が派遣されてきた。修道院の建築は 11-12世紀にロマネスク様式で始められ、その後曲折あったが、15世紀半ばには内陣が再建された。16世紀以降は宗教戦争のあおりを受けることとなり、そして 18世紀末のフランス革命の頃には、修道院としての機能を失ってしまう。ナポレオン時代には完全に刑務所として使われるようになったが、1836年に歴史遺産調査委員会のメンバーとしてこの地を訪問したヴィクトル・ユーゴーがその高い価値を認め、悲惨な状況からの解放を訴えた。その後 1863年にナポレオン 3世によって刑務所を廃止、その後歴史的価値の回復のために復興がなされたという。世界のどの場所の貴重な文化遺産も、全く平穏無事に守られてきたというわけではなく、そのほとんどが何度も危機に見舞われながら、心ある人たちによって守られ、復旧されてきたということを忘れてはならない。修道院の中には模型が 4つ並んでいる。順に、10世紀、11-12世紀、17-18世紀、20世紀である。岩山の上に徐々に建物が増えて行ったことがよく分かる。
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さて、このように建て増しと修復で複雑な構造になっているが、聖堂に入る前にはこのような露天の広場があり、現代彫刻が置いてある。これはフランスの女流彫刻家ジェルメーヌ・リシエ (Germaine Richier、1904 - 59) の作品。
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3kmほど離れたトンブレーヌ島も見える。現在では立ち入り禁止だが、12世紀にはここにも修道院が建てられたらしい。
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さて、聖堂内に入ると、このような見事な木製の天井が印象的だ。私はいつも、パリのシャルル・ド・ゴール空港のターミナル 2 にも同じような木を湾曲して嵌め込んである場所があることが気になっている。この建築から想を得たものだろうか。なお、聖堂の身廊部は 11-12世紀の古いもの。外光が神々しい。
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内陣にはルネサンス時代の浮彫がある。「地獄の辺境へ降りるキリスト」と「楽園を追われたアダムとイヴ」。イタリアのルネサンスほどの洗練はないが、それが返って、現在にまで生き延びた彫刻作品の尊さを思わせる。
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回廊は 13世紀のものだが、中庭は現在修復中。この回廊の意匠はイスラム風を思わせる。
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やはり 13世紀に建造された食堂も、非常に美しい。ここにも天井には木が張り詰められているが、面白いのはこの窓で、横を通るとさっと光が差すが、通り過ぎるとその部分の光が遮断され、次の窓の光が差すようになっている。つまり、移動につれて窓が次々と開いては閉じて行くような感覚にとらえられるのである。
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こんなレリーフの前を通ることとなるが、これはもちろん、オベールの頭蓋骨に穴を開ける聖ミカエル。いたたたた。ミカエルの顔が傷んでいるのが残念だ。
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その後もいくつかの部屋を通るが、これは貴賓室。巡礼者を迎え入れる部屋であり、壁に設置された暖炉では料理が作られて巡礼者たちに提供されたという。今でも火のあとが残っているのがリアルである。ここにもジェルメーヌ・リシエの彫刻が数点置いてある。
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この修道院には、かつて牢獄として使われたという過去があることは上に述べた通りだが、いかにもそのような雰囲気の場所がある。ここはもともと修道士たちの墓所であったところだが、1820年にこのような巨大な滑車が設置された。囚人がこの滑車を使って自分たちの食糧をここから引き上げていたという、苦役の場所である。もし引き上げるのに失敗すれば、自分たちが食事できなくなるわけで、それはそれは恐ろしい苦役であったわけだ。引き上げに使われたレールと鎖が、今でも壁面に残っている。
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これは聖ステファノ礼拝堂に残る 14世紀の壁画。この礼拝堂は死者のための礼拝堂であり、臨終の修道士がここに横たえられたという。壁画は、3人の死者が 3人の生きている若者に対して、死の準備をしておけと語る場面であるそうだ。
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その礼拝堂の横にあるこの石段も、いかにも古い。11世紀のものだそうである。聖と俗、生と死を結ぶ場所であるようにも思われる。
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ロマネスク様式の古い教会などを経て辿り着くのは、この騎士の間である。上で見た貴賓室同様、天井が高くてちょっとほっとするが、こちらはさらに力強い作りである。騎士の間の名称は、聖ミカエル騎士団に因むものであるが、実はその団体はここで会合を開いたことは一度もなく、この場所は修道士の仕事場 (写本作りなど) であったようだ。
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こうして、複雑な歴史がその建物に沁みついているような修道院の見学を終えた。祈りの場であり要塞であり牢獄であったこのモン・サン=ミシェル、訪れる人たちに様々な霊感を与える場所であり、また還ってきたくなる場所である。建物の外に出て階段を下りていると、カモメが一羽、塀の上に佇んでいた。まるでどこか別の世界からやってきたような不思議な雰囲気で、私が何枚も写真を撮る間、じっとしていた。もしかしたら、私の祖父が生まれ変わって様子を見に来たのだろうか、と思うくらい。ちょっと遠いか (笑)。こちらが階段を下りて角度が変わると段々シルエットになって行ったあたりも、なんとも神秘的であった。
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それから私の前にはさらに驚愕の光景が。ちょうど日が傾き始めようかという時刻で、水の引いた砂地の上に、修道院の影が差している。そしてちょうど、大天使ミカエル像の影のあたりを歩く一団がいる。もちろん、それを狙ってこの時刻にここを歩いていたわけではなく、偶然なのだと思うが、この人たちにはきっと大天使のご加護があることだろう。
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遠くに目を凝らすと、雲の切れ間から光が地上に降り注いでいる。昔の人たちも、このような景色を見て、神のご加護を信じたことだろう。
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帰り際、名残惜しくてもう一度振り返ってみる。来たときとは光の具合が違っているが、この地球上では時々刻々、太陽の光や風や、水の動きなどが様々に景色を変えているのだと実感されて感慨深い。そしてよく見ると壁面には、先刻上から見た、囚人の食糧引き上げのためのレールが見える。神の所業ならぬ人間の営みも、この場所にはしっかりとその痕跡を残していて、そうであるからこそ興味尽きない場所なのである。
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パリに帰着したのはかなり遅くなってしまったが、また翌日からの旅程に備えて、神のご加護でぐっすり眠ることができたのである。

# by yokohama7474 | 2018-01-01 17:24 | 美術・旅行 | Comments(0)