e0345320_23381534.png
今回のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、音楽祭の期間はあと一日残っているものの、明日は別件があってでかけることのできない私が、最後に楽しんだコンサート。それがこれだ (19:00 開演、コンサート No. 215)。絶好調の井上道義が、ポーランドの室内オケであるシンフォニア・ヴァルソヴィアを振る。そして曲目は以下の通り。
 フィリップ・グラス : 2つのティンパニとオーケストラのための幻想的協奏曲
 石井眞木 : モノプリズム (日本太鼓群とオーケストラのための)

最初に言ってしまうと、非常に大きな期待を込めて出かけたこのコンサート、大変な熱演であり、本来 45分で予定されている演奏時間が 1時間を越えても、聴衆は温かい拍手を演奏者たちに送り続けていた。今回の音楽祭の中でも特筆すべき成果のひとつになったのではないか。

まず、最初のグラスの作品から始めよう。1937年生まれのグラスは、今年既に 80歳になると聞いて驚くが、日本でもそれなりに知名度のある現代音楽の作曲家ではないだろうか。いわゆるミニマル・ミュージックに属する作曲家と一般にはみなされていて、「コヤニスカッツィ」のような映画音楽や、あるいはデヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノと組んだヒーローズ・シンフォニーなどが知られているかもしれない。私にとっても長らく近しい作曲家であり、手持ちの CD も多いし、代表作「浜辺のアインシュタイン」の天王洲での日本初演 (1992年) には当然出かけたが、長い公演時間中、ホールに出入り自由で、なんとも楽しい思い出になっている。そんな彼の音楽は、ほとんど常に前進するリズムをまとっているので、ダンスがテーマの今年の音楽祭には最適であろう。
e0345320_01423685.jpg
ここで演奏されたのは、2000年の作で、文字通り 2つのティンパニがステージの前面に並んで、ほぼ全曲叩きまくる協奏曲。それぞれのティンパニは、7つの太鼓から成っているので、合計 14台の太鼓が鳴りまくるわけである。こんな珍しい曲、日本初演ではないのかと思いきや、2015年 (因みにコンサートのプログラムに 2014年とあるのはどうやら間違いのようだ) に、常任指揮者パスカル・ヴェロ指揮のもと、仙台フィルが日本初演している。私は聴いていないが、これがそのときのポスター。以前このブログでヴェロと仙台フィルの東京公演を絶賛したところ、ありがたいことに地元のファンの方からコメントを頂いたが、このような意欲的なプログラムを聴けるとは、仙台のファンの方々が羨ましい!!
e0345320_01455649.jpg
今回の独奏ティンパニは、ふたりのポーランド人のピョートル (ポーランド語で Piotr と綴る) で、ひとりはピョートル・コストゼワ。彼はこのシンフォニア・ヴァルソヴィアのティンパニ奏者。もうひとりはピョートル・マンスキで、彼はワルシャワ・フィルのティンパニ奏者。曲は 3楽章から成っていて、特に第 1楽章は典型的グラス風、目くるめく音楽で面白い。第 3楽章の冒頭には 2人のティンパニ奏者によるカデンツァがあって、その部分では舞台の照明が落ちて、主役二人だけが浮かび上がるという趣向。ここで井上は、暗いところでもよく見えるためだろう、赤い蝋燭のようなもので指揮を取っていた。とにかく井上の指揮はいつもの通りあちこちに指示の出る忙しいものであるが、リズム感がしっかりしているので、オケも弾きやすかったのではないか。但し、その後の舞台転換の際に出てきて井上が言うことには、両側でドコドコ容赦ない轟音が響くので、指揮台でオケの音が聞こえなくて困るとのこと。なるほどそうでしょうね (笑)。

そして井上が、後半のソリストを舞台に呼んだ。それは和太鼓の第一人者である林 英哲。
e0345320_01594993.jpg
この人は現代音楽の分野でも様々に活動し、海外でもよく知られた存在である。以前、和太鼓集団鼓童 (現在は坂東玉三郎が芸術監督) の記事を書いた際に触れたが、とにかく日本の太鼓を世界に知らしめた第一人者。既に 65歳と聞いて仰天である。その鬼気迫る演奏姿は、全く年による衰えを感じさせない驚異的なもの。これは別のときの写真だが、巨大な太鼓に打ち込むバチが殺気立っている。
e0345320_02070286.jpg
その林が率いる和太鼓ユニット、英哲風雲の会が今回アンサンブルとして参加 (7 - 8名だったろうか)。こんな筋肉隆々の若者たちである。
e0345320_02390709.jpg
今回彼らが演奏するのは、石井眞木 (まき、1936 - 2003) の代表作のひとつ、「モノプリズム」である。もう亡くなって 14年。私はこの人の音楽が好きだったし、父親が日本の文化面でのモダニズム開花に大きく貢献した舞踏家、石井漠であることも、もちろん、もともと大きな興味の対象であった。
e0345320_02100147.jpg
今回、舞台転換時に井上が林を舞台に呼びだしていろんな話をして大変興味深かったのだが、この「モノプリズム」は 1976年に小澤征爾とボストン交響楽団がタングルウッドで世界初演していることが紹介され、その時に 30歳 (井上自身は「25歳くらいだったかな」と言っていたが) の井上も立ち会っていたとのこと。小澤はこの曲を恩師のバーンスタインが絶対気に入ると確信し、リハーサルに呼んでいたところ、案の定、演奏が終わったあとにバーンスタインは林のところにやってきてハグし、キスの雨を降らせたとのこと。なんともありそうな光景だが、実際に経験した人の口から聴くと、改めて感慨が沸くというもの。舞台上には、奥に巨大な太鼓が据えられ、これは両面を 2人で叩く。舞台前面上手側には、一人用の太鼓 (足で挟んで全身で叩く、結構な大きさのもの) が 3つ。そして舞台前面下手側には、締め太鼓というらしいのだが、それを持った奏者たちが 7 - 8名演奏前に出てくる、という趣向。井上は、「締め太鼓のフォルテッシモはすごーい音がするけど、前の方の列の人たち、大丈夫? 心臓悪い人いないね?」と訊いて笑わせた。これが締め太鼓。
e0345320_02201526.jpg
さぁ、そして始まったこの「モノプリズム」の演奏。神秘的な脈動を示す締め太鼓の弱音での合奏から大音響での律動、鬼気迫る大太鼓の連打、阿鼻叫喚と化すオーケストラのうねる響きまで、聴衆はみな唖然茫然。地の底から湧き上がってくる得体のしれないパワーに圧倒される 30分間であったとしか言いようがない。和太鼓を世界に紹介するという意気込みで石井や林や小澤が大胆に行った試みは、もはや今日ではなしえないことかもしれない。1970年代、世界はこのような刺激を待っていたし、日本の方にも自信を持って出せる素材があった。もちろん、当事者たちは (作曲の石井以外) 未だ存命ではあるものの、やはり時代の勢いがないと、このような試みはできないだろう。音楽はより個人的なものになりつつあるような気がする。その意味で、芸術音楽の分野でも、例えば前日「ボンクリ」で聴いたように、コンピューターでリミックスして即興で面白い音響を試すような発想は、生の鼓動そのものを伝える太鼓の合奏とは、大きく異なるものだ。一概にどちらがよい悪いではなくて、いろんな可能性があってもよいわけだが、それにしても聴衆にこれだけの感動を与える「モノプリズム」のような曲が今後日本から生まれるだろうかと思うと、少し複雑な思いを抱いたのも事実。ともあれ、太鼓集団とミッチー指揮するワルシャワの室内オケとの熱演には、心から拍手である。

あとは余談。実は私にとってこの「モノプリズム」は忘れられない曲で、それは既に 2015年12月20日の鼓童に関する記事で書いたことなのであるが、ここで再度述べると、1986年、サントリーホールのオープニング記念演奏会の中で「小澤征爾と日本の作曲家たち」というコンサートがあり、そこで演奏されたこの「モノプリズム」における和太鼓の音に心底感動したのである。
e0345320_02280301.jpg
実はこの曲、上のプログラムにある通り、「序」という部分と「モノプリズム」に分かれていて、今回の演奏はその後者のみ。今回のプログラムによると、それが通例であるそうだ。そうすると 1986年の小澤の演奏は、珍しく全曲をカバーするものであったことになる。実際、今回の演奏で締め太鼓の静かな合奏が始まったときに、当時サントリーホール (もちろん、より残響が多い) で響いた重層的な音をはっきり思い出したのだが、あの時の演奏には、太鼓が入る前に、オケだけの演奏がそれなりの時間続いたあとであったがために、太鼓の音がより衝撃的であったのだ。その意味では、やはり「序」も含めて演奏した方が、より曲の真価が現れるというものではないだろうか。ともあれ、小澤がこの「モノプリズム」の初演者であるとは、実は今回初めて知った。そうすると、上に掲げた 1986年のコンサート、1曲目の「ノヴェンバー・ステップス」はもちろん小澤がニューヨーク・フィルで初演した曲だし、2曲目の安生慶の作品はこの時が世界初演。なので、3曲とも小澤が世に出した曲だということになる。それを思うと、やはり小澤征爾が音楽界に果たして来た役割は、極めて大きいのだなと思い当たる。来年 1月にベルリン・フィルとラヴェルの「子供と魔法」その他を指揮することが発表されたばかりだが、是非体力を温存して頑張って頂きたい。そして、ミッチーをはじめ、他の日本の指揮者の皆さんも、それぞれの持ち場での活躍を本当に期待したいのである。
e0345320_02534613.jpg
・・・なんだ、ラ・フォル・ジュルネから遠く離れて、ニッポン頑張れになってしまいましたね (笑)。

# by yokohama7474 | 2017-05-06 02:54 | 音楽 (Live) | Comments(0)

e0345320_23381534.png
この日 2つめのラ・フォル・ジュルネのコンサート、登場したのはこの音楽祭の常連、ドミトリー・リス指揮のウラル・フィル (16:15 開演、コンサート No.214)。ロシア人の指揮者とオケのコンビであるが、前の記事でロワール管弦楽団がどこに所在するかを確認したと同様、ここではまず、このウラル・フィルがどこに本拠地を置いているのかの確認から始めたい。ウラルというからには、あのウラル山脈であろう。そう、このオケの本拠地は、ウラル山脈の東側、エカテリンブルクという都市。さて、どの辺にあるのだろうか。普段使うことはまずない大判の世界地図 (アトラス) を引っ張り出してきて、広大なロシアの西の数分の一のあたりを撮影してみた。ちょっと分かりにくいが、赤い矢印の先が首都モスクワ、青い矢印が件のエカテリンブルクである。距離にして 1,500km弱。東京からだと那覇のちょっと手前くらいのイメージか。
e0345320_23555329.jpg
実は上の地図に、エカテリンブルクからウラル山脈を挟んだ反対側に、小さく黄色い矢印も入っているが、それは何かというと、ウファという街の位置を示している。なぜそこを示したかというと、私が一度出張で行ったことがあるからだ (笑)。確か、「地球の歩き方」にも載っていない街だったので、そんなところに滞在している日本人は私だけだろうと思ったら、ホテルでやはり出張中の日本人を見かけてびっくりしたのだが、まあそれはこの際どうでもよい。モスクワから飛行機で 2時間半くらいかと思うが、実は時差が 2時間あるのである。もちろんロシアでは、飛び地のカリーンングラードを含めると、実に国内で最大 10時間の時差があるという、およそ日本では想像もできない制度になっているわけだが、私のビジネス相手のウファの人は、その時差がなんとも不便であると嘆いていたものである。エカテリンブルクも同じタイムゾーンである。

ともあれこのオケの本拠地エカテリンブルクは、ピョートル 1世の妻エカテリーナ 1世 (あの有名な 2世とは別人) に因んで名づけられた街で、僻地にある小さな街かと思いきや、なんと人口約 130万、ロシア第 5の大都会なのである。
e0345320_00161887.jpg
この街のオーケストラ、ウラル・フィルがラ・フォル・ジュルネでこれほど活躍している理由は知らないが、実はこのオケ、2002年に始まったラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンよりも早く初来日を果たしているのである。私はその 1996年の初来日時に聴きに行ったのだが、その理由は、プログラムが大変意欲的であったからだ。まず、これが当時のチラシ。「ロシアから、幻のオーケストラ、初来日!」とあって、また、「今や、モスクワ、サンクトペテルブルクのメジャーを越えた!」とまで喧伝されている。
e0345320_00254383.jpg
私が聴きに行った 10月24日のコンサート、また、聴きには行けなかったがやはり大変興味を惹かれた 10月25日のコンサートの曲目は以下の通り。その意欲的なこと、分かる人には分かるだろう。
e0345320_00274958.jpg
e0345320_00280045.jpg
現在の音楽監督ドミトリー・リスは、実はこの初来日の前年、1995年からその地位にある。世界で派手な活躍をするようなタイプとは少し異なり、カリスマ性はあまりないと思うが、その代わり、非常に安定した指揮ぶりで、このオケの成長に大きな貢献があったことは間違いないだろう。
e0345320_00315441.jpg
そんなリスとウラル・フィルの演奏会は、今回のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでは実に 7回催され、その中には、これぞダンス音楽の定番、チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンのバレエ音楽もあれば、ベートーヴェンの 7番、コンチェルトの伴奏など多彩な曲目が含まれるが、私の選んだコンサートの曲目は以下の通り。
 グリンカ : 幻想的ワルツ ロ短調 (管弦楽版)
 ラフマニノフ : 交響的舞曲作品 45

なるほどロシア物の舞曲だが、少しばかり変化球だ。特に、グリンカの曲は珍曲である。ロシア音楽の父と称えられるミハイル・グリンカ (1804 - 1857) は、一般には、一気呵成に駆け抜ける名曲「ルスランとリュドミラ」序曲によってのみ (と言って悪ければ、ほかに数曲は挙げることはできるが) 知られるが、この幻想的ワルツは、もともとピアノ曲で、1839年に作曲、管弦楽への編曲は晩年の 1856年に行っている。聴いてみると確かに緩やかなワルツで、この舞曲特有のどこか夢見るような雰囲気がなかなかよい。リスとウラル・フィルは肩の力の抜けた、しかし非常に洗練された音色でこの佳曲を演奏した。グリンカはこんないかつい人だったようだが、その内面はロマンチストであったのであろう。
e0345320_00460987.jpg
メインのラフマニノフは、この作曲家最後の作品。私は以前もこのブログに少し書いたかと思うが、正直なところ、どうもこの作曲家とのつきあい方に未だに確信が持てずにいる。69歳まで生きたので、さほど短い命ではなかったものの、作品番号 45が最後の作品ということは、寡作家だったというべきか。もちろん、ピアニストとしての活動が忙しかったり、精神的に参ってしまうことも何度かあったようなので、この作品数が多いか少ないかは一概に言うことはできないが、交響曲第 2番やピアノ協奏曲第 2番や、パガニーニの主題による変奏曲の第 18変奏のような、誰が聴いても天下の名曲というものもあるが、それら以外の彼の曲に、感動のあまり心が引き裂かれるという経験はあまりない。その点、この交響的舞曲は、私にとってはマゼールとベルリン・フィルの録音で学生時代に馴染んでから既に長い間、かなり親しい曲ではある。だが最近、この曲を聴いても以前ほどワクワクしないのはなぜであろうか。ひとつには、意外と演奏が難しいのかもしれない。今回のリスとウラル・フィルの誠実な演奏はもちろん評価すべき内容だとは思ったが、私個人として、この曲に聴かれる不定形の不安や、ある種の諦念というものに、心から共感する感覚が今は少ないのかもしれない。さらに強烈な力を持った音楽を聴きたいと思ってしまうことは否めず、そうであればこの作曲家の場合は、やはりピアノ曲を坦懐に聴く方がよいのかな、と思う次第。ともあれ、演奏者の皆さんはお疲れさまでした。
e0345320_00570347.jpg
既に 20年以上のコンビとなるこの指揮者とオケが、今後ますます活躍してくれることを期待したい。今回のプログラムを眺めながら、このコンビの 7回の演奏会のうち、本当はベートーヴェン 7番を聴きに行くべきだったかなぁと思っている (ちょうど私が、既に記事でご紹介した「ホンクリ・フェス 2017」に行っていた時間帯のコンサートだったので、どのみち果たせなかったのだが)。まあ、来年以降も聴く機会があると思うので楽しみにしているが、45分完結のこの音楽祭ではなく、通常の来日公演で、例えばマーラーなどやってくれれば、喜んで聴きに行きますよ!!

# by yokohama7474 | 2017-05-06 01:03 | 音楽 (Live) | Comments(0)

e0345320_23381534.png
東京有楽町にある東京国際フォーラムを舞台に 3日間に亘って繰り広げられるクラシック音楽の祭典、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの 2日目。数々のコンサートの中から私は、3つの海外オーケストラの公演を選んで聴きに行くこととした。いずれも会場は A ホール。音楽祭に使われる 6つのホールのうち最大で、実に 5,008の客席を持つ。それぞれにかなりの入りであり、特に最初にご紹介するこのロワール管弦楽団の演奏会 (14:15 開演、コンサート No. 213) は、見たところほぼ満員の大盛況だ。会場は満 3歳以上なら入場可であり、確かに、かなり小さいお子さんを連れた人の姿もそこここで見られた。だが、客席は非常に整然としており、皆静かに音楽に耳を傾けていた。これはなかなか日本以外の国にはない聴衆マナーであろうと思われる。

さて、このコンサートで演奏したのは、フランス国立ロワール管弦楽団。指揮は、2014年からこのオケの音楽監督を務めるフランス人のパスカル・ロフェ。フランスは従来、日本以上に経済も文化も中央集権主義、つまりはなんでもかんでも首都に集中しているという評価になっており、国内ではそれがいけないという論調があるとは、もう随分以前に耳にした話。音楽に関しては、パリの名門オケもそれぞれに浮沈があり、すべてが盤石というわけではない状況である一方、地方都市ではなんと言ってもリヨンは素晴らしいオペラハウスとオーケストラを持ち、トゥールーズも過去 20年ほどで成長著しい。それ以外にも、ストラスブールだとかリルとかボルドー (アキテーヌ) いった都市のオケも、最新状況は知らないが、かつてはそれなりの頻度で活動を耳にした。そんな中、ロワールのオケとは? 私の理解では、ロワールという都市はなく、それは地方の名前であって、古城めぐりで有名だ。いつかは行ってみたいシャンボール城。
e0345320_22471475.jpg
実はこのオケ、ペイ・ド・ラ・ロワール (Pays de la Loire) という地域名を関しており、その本拠地は、ナントとアンジェ。ナントがこの地方最大の都市であり、そ、そして、な、ナント、この街こそが、ルネ・マルタンという発起人が 1995年にこのラ・フォル・ジュルネ音楽祭を起こした街なのである。そう、なんのことはない、この国立ロワール管弦楽団は、この音楽祭のお膝元のオケであったのだ。そういえば以前、オランダの名匠で、東京交響楽団の前音楽監督であるユベール・スダーンが以前このロワール管の音楽監督で、そのコンビのフランス音楽の CD を 2枚ほど聴いたことがあって、なかなかよかった記憶が甦ってきた。

そして現在の音楽監督のロフェは、1960年生まれのフランス人。1988年のブザンソン指揮者コンクール (佐渡裕優勝の前年) 2位で、その後はピエール・ブーレーズが組織した現代音楽専門楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポランで長らく指揮をした経歴を持つ。だがそのようなイメージとは裏腹に、気難しそうには見えないし、今回も以下の写真のような恰好で (つまり、男性楽員は全員ネクタイを締めて演奏したのに、指揮者だけはノータイで) 指揮した。その指揮ぶりは晦渋さのない非常にストレートなもの。
e0345320_23002115.jpg
今年のラ・フォル・ジュルネのテーマはダンスであるので、何かしら踊りに関係のある曲が選ばれているが、このコンサートはまた、なんとも親しみやすくてポピュラーな曲を揃えてきたものだ。
 デュカス : 交響詩「魔法使いの弟子」
 サン = サーンス : 死の舞踏作品40
 ラヴェル : ボレロ

それぞれの曲のイメージを並べてみよう。
e0345320_23064063.jpg
e0345320_23065098.png
e0345320_23065966.jpg
ボレロだけは CD のジャケット (私の好きなクラウディオ・アバド指揮ロンドン響の演奏) になってしまったが、なるほどそれぞれにダンスと関係していますねぇ (笑)。実際これはなかなかよくできたプログラムで、すべてフランス音楽で固めており、かつそのヴァラエティもなかなかだ。私はどの曲も長く親しんでいるし、どれも大好きだ。フランス音楽らしい、冴えた音を粋にまとめた洗練された演奏で聴きたい。そして今回のロフェとロワール管の演奏、その期待に見事に応えてくれ、いずれも大変楽しめる演奏になったのである。例えば「魔法使いの弟子」でほうきが呪文によって動き出すあたりのとぼけた味わいと、そのあとのシャレにならない大騒動の対比。「死の舞踏」での骸骨たちの骨の軋みを表す木琴のクリアな響きと、緩やかながら楽し気な低音部の動き。ボレロでの各楽器の (例えばコントラファゴットの) 余裕のある歌い方。それぞれに異なる踊りを粋に演出してくれた。この大きなホールだから、多分多少 PA は使っているのだろうが、私は 1階の比較的前の方で聴けたので、音響的にも不足はないし、左右に大きな画面が出るので、奏者の表情もつぶさに見ることができて、これも実に楽しい。あ、そういえば、女性コンサートマスターは東洋人であったが、調べたところパク・チユン (Park Ji Yoon) という韓国人のようだ。大変素晴らしいつややかなソロであった。ちなみに、同姓同名の女優もいるようだが、別人です。
e0345320_23283161.jpg
聴くたびに鳥肌立つボレロの最終和音を聴いて、私は早々にホールを退出してしまったのだが、その後館内放送で、そのボレロのラスト 1分くらいが突然また始まったのが聞こえたので、恐らくは、聴衆の鳴りやまぬ拍手に応えてアンコールを演奏したものだろう。惜しいことをした。だが、あの熱狂の終結部は未だに耳に残っているのである。あー、いつの日かロワールで古城めぐりをしながら、地元ナントでこのオケを聴く日がくることを夢に見るのである。

# by yokohama7474 | 2017-05-05 23:28 | 音楽 (Live) | Comments(0)

e0345320_23402945.jpg
前項のラ・フォル・ジュルネの演奏会を聴き終わり、屋台の焼きそばをかきこんで、急いで向かった先は池袋。東京芸術劇場で 17:30 開演のコンサートを聴くためである。その名は、「ボンクリ」。なに? 聞きなれない言葉だし、桃栗三年柿八年のような語呂だが、一体どういう意味なのか。実は、「ボーン・クリエイティヴ」の省略形。つまり、「人間は皆、生まれつきクリエイティヴだ」ということを意味しているそうな。では一体どのようにしてそのクリエイティヴな人間の能力が発揮されるのであろうか。実は、私が聴いたこの現代音楽のコンサート以外にも、終日会場の東京芸術劇場ではワークショップやセミナーが開かれていて、子供から大人までが事前申し込みによって参加できたという。演奏家も多く集い、新しい音を求めて終日ワイガヤをしたり真面目に演奏したりするらしい。今年から新たな企画として始まったとのことだが、このイヴェント全体のアーティスティック・ディレクターを務めるのは、作曲家の藤倉大。1977年生まれだから今年 40歳。このブログでも何度か言及してきている。これは以前テレビでも特集を見たことがあるが、現代音楽の大御所であり、藤倉の師匠でもあったピエール・ブーレーズとの貴重なツー・ショット。
e0345320_01502658.jpg
彼はロンドン在住で、その活躍はまさに世界的なのであるが、このような意欲的な企画を日本で実行してくれるとは嬉しい限りである。以下にご紹介する通り、これは東京の文化シーンにおいて見逃せない試みであり、このような試みの繰り返しから、日本の音楽界は進化して行くに違いないと思うのである。私の場合は、あるコンサートでもらったチラシの束の中に、上に写真を掲げたこのコンサートのチラシが目に留まり、「これはなんだろう?」と思って内容を確認した結果、これは是非聴きたいと思ったのである。というのも、作曲家として、藤倉以外に坂本龍一や武満徹、大友良英 (NHK 朝ドラ「あまちゃん」のテーマで知られる) の名前まであるではないか!! 演奏者には現代音楽を専門に手掛けるアンサンブル・ノマド (指揮 : 佐藤紀雄)、ソプラノの小林沙羅、そして、雅楽の伶楽舎と、意外な顔合わせである。チケットは 3,000円とお手頃だし、是非覗いてみたいと思ったもの。ここで曲目を書いておこう。まさに今躍動している音楽を中心に聴くことで、音楽には一体どんなことができるのかを考える面白い機会である。
 デヴィッド・シルヴィアン : Five Lines / The Last Day of December (ライヴ版世界初演)
 坂本龍一 : tri (ライヴ版世界初演)
 武満徹 : 雅楽「秋庭歌一具」から第 4曲「秋庭歌」
 同上 ライヴ・リミックス
 ブルーノ・マデルナ : 衛星のためのセレナータ
 大友良英 : 新作 (終演後「みらい」と曲名発表) (世界初演)
 坂本龍一 (藤倉大編) : thatness and thereness
 藤倉大 : フルート協奏曲 (アンサンブル版日本初演)

ざっと順番に見て行くと、まず最初の曲を作ったデヴィッド・シルヴィアンであるが、私はその名を知らなかったのであるが、もともと英国のニューウェーヴバンド、ジャパンの中心メンバーで、解散後も坂本龍一その他のミュージシャンとのコラボを行い、最近は前衛音楽分野でも活動しているらしい。
e0345320_02205487.jpg
彼は藤倉とは友人であるようで、この 2曲を楽譜に起こしたのは彼らしい。最近活躍著しい小林沙羅が、完全にオペラの歌唱法できれいに歌い上げたが (歌詞は英語なのであろうが、全然聞き取れなかった)、伴奏は弦楽四重奏を中心とした不思議な音楽で、心地よい浮遊感を味わうこととなった。
e0345320_02363142.jpg
2曲目の坂本の「tri」は、音程の違う 3つのトライアングルが響きあう異色の作品。前半は残響あり、最後の 1/3 くらいでは、残響をなくしてドコドコと乾いた音であった。メロディがなく、リズムだけであって、単純に響いていたように思うが、実は緻密に書かれているそうな。ここではイメージショットを (笑)。
e0345320_02315869.jpg
3曲目は、かつてこのブログでも昨年の全曲上演について記事を書いた、武満徹の雅楽「秋庭歌一具」からの 1楽章。演奏前に藤倉が、東京芸術劇場の担当者の女性と舞台に出てきて、今回のコンサートについて少し語ったが、「自分が尊敬する演奏家の人たちに出てほしいとお願いすると、ほとんどの人が OK して頂いて感激しています」とのこと。但し、舞台設営に 5分くらいかかるはずが、2 - 3 分で終わってしまったため (笑)、インタビューは尻切れトンボとなってしまったのが残念。ともあれ、雅楽演奏集団である伶楽舎のメンバー (笙の宮田まゆみを含む) が、相変わらず美しい演奏を披露した。この曲、よく聴くと本当に武満が常に目指していた移ろい行くものの儚さがよく表現されていて、心に深く残る曲である。残念ながら口ずさむことはできないが (笑)。これも雅楽のイメージで。
e0345320_02334868.jpg
この演奏中、後ろの席でヘッドフォンをつけながら何やら機械をいじっていたのは、ノルウェー人のヤン・バング。演奏終了後、怜楽舎のメンバーが引き上げると、藤倉と、それからやはりノルウェー人トランペット奏者のニルス・ペッター・モルヴェルという人が出てきた。PC が 2台開いていて、藤倉とバングがそれを操作。どうやら先刻の「秋庭歌」の演奏に加工を施したものが響き、そこにトランペットの即興が加わるというもの。音楽のデジャヴュのような不思議な効果を感じた。

休憩後最初は、20世紀半ばの前衛音楽の闘士、ブルーノ・マデルナ (1920 - 1973) の作品。アンサンブル・ノマドと、伶楽舎の人たちも一緒に演奏したが、最初はチューニングかと思ったら、それが曲の開始でした (笑)。「衛星のためのセレナータ」という題は、衛星の打ち上げの際に演奏すべく委嘱されたかららしいが、かなりの部分を即興で演奏する、まぁ今聴くと、「昔懐かしい現代音楽」のように聞こえてしまうのはやむないかもしれない。マデルナ自身には私も興味があって、以前はよく FM で彼の曲を聴いたし、指揮者としても、CD を見つけたらなるべく買うようにしている。
e0345320_02472422.jpg
次が面白くて、大友良英の「みらい」。アンサンブル・ノマドの指揮者でありギタリストでもある佐藤紀雄が、静かに抒情的なメロディをギターで弾きだすと、徐々に楽器が増えて音楽が盛り上がり、その間ギターは同じリズムを刻んでいる。そして、ターンテーブルを操作してギシギシギュルギュルという音を出す大友自身。やがて音楽はまた静まって、最初と同じギターのソロで終わる。新奇な音をいっぱい聞かせてもらったが、なかなか抒情性ある曲で、かつ前衛的。「あまちゃん」のテーマのあのノリのよさは、彼の一面に過ぎないのだと実感した次第。
e0345320_02522204.jpg
次は、坂本龍一の曲の藤倉による編曲。この thatness and thereness という曲は知らなかったが、1980年、彼の 2枚目のアルバムに入っているらしい。原曲を知らないと今一つ乗れなかったのが残念。これが若き日の坂本。わ、若い・・・。
e0345320_02545701.jpg
最後に演奏された藤倉のフルート協奏曲では、クレア・チェイスという米国の女性フルート奏者がソロを務めた。過去 10年で 100曲以上の新曲を初演しているというからすごい。今回は実に 4本のフルート (1本はピッコロ?) を持ち替えての演奏で、最大のものはなんと彼女の身長を超える大きさ。ちょうど数字の 4の、足の部分を長くしたような形態をしており、横棒のあたりにちょうど口が来て、そこから空気を吹き込みながら、左手ではガッチリ楽器を持ち、右手でガツガツと音を立てながら穴を押さえるという壮絶な演奏ぶり (笑)。曲自体も、藤倉らしい、重層的で、でもどこか抒情的な不思議な音楽。ただ、旋律を奏でずにぷっぷっと息を吹き込みながら短いタンギングで音を切る奏法が多く聴かれ、その点は若干耳についたような気がする。これは彼女のアルバム。
e0345320_03002257.jpg
現代において、新たな芸術音楽を創造するとは、どういう意味があるのか。音楽のジャンル分けは必要なのか。いわゆるクラシック音楽を聴いているだけでは、音楽の未来はないのだろうか。私自身は現代音楽にも多大な興味があり、なるべくオープンにあれこれ楽しみたいという欲張り者だが、時にそのような疑問の数々を抱くことがある。そんなときには、実際に現在創られている音楽をステージで聴くのが最も効果的。今回のような盛りだくさんな音楽に触れられる機会はそう多くないものの、関係者の方々の熱意に最大限の経緯を表するとともに、今後もこのような企画に積極的に接していく聴衆のひとりでありたいと思っている。ボンクリ、覚えておこう!!

# by yokohama7474 | 2017-05-05 03:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)

e0345320_23381534.png
先に採り上げたコンサート終了後、速攻で一軒美術館を訪れ (その記事を書くのはしばらく先になってしまうが・・・)、15:45 から開かれたコンサート 144、再び井上道義指揮の新日本フィルの演奏を聴いた。今回の曲目は以下の通り。
 ピアソラ (マルコーニ編) : ピアソラ・セレクション (バンドネオン独奏 : 三浦一馬)
 バカロフ : ミサ・タンゴ

なるほどそう来たか。ここでは、アルゼンチンを代表するダンスであるタンゴが題材となっている。これもなかなかの慧眼だし、何より楽しいではないか!! タンゴとなるともちろんバンドネオン。ここでは 1990年生まれと未だ若手ながら、世界的な活躍をしている三浦一馬がソリストとして登場する。
e0345320_00471019.jpg
まず最初に 10分弱であろうか、彼のソロで、名実ともにタンゴの巨匠であるアストル・ピアソラ (1921 - 1992) の「グラン・タンゴ」その他をつなげた曲が演奏されたが、この編曲は、現在世界最高のバンドネオン奏者であるネストル・マルコーニ (1942 - ) によるもの。このマルコーニはピアソラ本人とも何度も共演しているが、現在に至るも三浦の師匠であるそうだ。アルゼンチン発祥の、怪しく、時にいかがわしささえ漂うタンゴという音楽は、もともと日本人からは非常に遠い存在であるはずだが、なぜかその音楽には世界共通のノスタルジアがあるようだ。前項の伊福部昭の音楽が日本人の精神性に根差した音楽であるとすると、これは地球の裏側からやってきた音楽である。だがそれを日本人が演奏することで音楽そのもののよさを味わうことができるはず。今回の三浦のソロは、ホール (1492席) がソロには少し大きすぎたかなと思わないでもないし、怪しさよりは流れのよさを感じさせるものであったようにも思うが、それでもそこに漂う詩情はただものではないと思った。

そしてメインの曲は、ルイス・バカロフ (1933 - ) のミサ・タンゴ。バカロフはアルゼンチン生まれのイタリアの作曲家で、映画音楽を多く手掛けている (代表作は、「フェリーニの『女の都』」や「イル・ポスティーノ」)。このミサ・タンゴという曲は、文字通りタンゴのスタイルを使ったミサ曲という変わり種なのである!! 演奏時間は約 35分。珍曲ではあるが、実は私は以前からこの曲を知っているのだ。というのも、チョン・ミョンフン指揮サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団による CD を所持しているからなのである。私の場合、持ってはいても未だ聴いていない CD が山ほどあるが (苦笑)、これは大丈夫、数年前に中古で購入して聴きましたよ。もともと私はピアソラが大好きで、ブームになったクレーメルのシリーズやヨーヨー・マのアルバムや、自作自演までいろいろ録音を持っているが、その流れで、どこかでこの曲のことを知り、そしてこの録音の存在を知るに至ったものだ。この盤のひとつの特色は、テノール独唱をあのプラシド・ドミンゴが担当していること。彼らしい視野の広い活動ぶりである。
e0345320_01050527.jpg
実際、今回のこのプログラムを見たときに、この曲を選ぶとはさすがミッチー!!と思ったのである。これはもちろんミサ曲であるから宗教的であることは間違いないのだが、そこには大衆性もあって、もの悲しいバンドネオンが、タンゴの情緒を宗教性と結び付けているのである。今年のラ・フォル・ジュルネのテーマはダンスであるから、確かにこの曲はそのテーマに沿ったものであると言える。この曲、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイと、通常のミサ曲の構成を取るものの、歌詞はラテン語ではなく、どうやらスペイン語なのだ!! そして今回、男声ソロはテノールではなくバリトンのガスパール・コロン、女声ソロは二期会のメゾソプラノ、池田香織。合唱は、これは新日本フィルとの顔合わせは初めてではないかと思われる、東響コーラス (つまり、東京交響楽団専属のコーラス) という顔ぶれ。もちろんバンドネオン独奏は三浦一馬である。

興味深かったのは、合唱団が全員暗譜で歌ったこと。相当な練習をしたのであろう。力強い箇所も繊細な箇所も、自信をもった歌いぶりだ。一方、独唱の二人のうちバリトンは、特に最初のうちは声量が充分でなく、何か落ち着かない様子であったが、体調でも悪かったのだろうか。その点メゾの池田は余裕の歌唱ぶりで、バリトン歌手に出番のあとの着席を促すなどしていた。井上指揮するオケはここでも大変に美しい演奏を聴かせており、そのメリハリは最高度である。新日本フィルの場合、最近特に演奏を楽しんでいる感じを覚えることが増えてきた。井上はかつてこのオケの音楽監督を務めており、私もその頃よくこのコンビを聴いたが、正直なところ、今の方があらゆる意味で進化していると思う。いわゆるミッチー節は、このような変化球でよく生かされるということは言えるかもしれないが、これからは、この手の珍品や現代音楽に加え、スタンダードなレパートリー、例えばブラームスなどやってみても面白いのではないだろうか。

などと勝手なことを唱えてはいるものの、とにかくこの 2回のコンサート (内容的には通常の 1回分だが)、大変充実した内容で、堪能した。実は明日、いやもう日が変わって今日になっているが、もう一度マエストロ井上のコンサートに行く予定としている。これも、今の彼なら大変期待できる曲目なので、楽しみなのである。私もちょっと記事のネタが溜まっていてちょっと時間が足りない状態であるものの、コンサートに関しては極力タイムリーに記事を書くというこのブログのポリシーに則って、がんばります!!
e0345320_01305758.jpg

# by yokohama7474 | 2017-05-05 01:34 | 音楽 (Live) | Comments(0)