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今年もゴールデン・ウィークの東京に、熱狂の日々がやってきた。3連休の間、文字通り朝から晩まで入れ替わり立ち代わり、世界的な名声を持つ人たちを含む多くの音楽家が登場する大規模な音楽祭、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンである。今年も会場の東京国際フォーラムは大勢の人で賑わっている。沢山の屋台でエスニックや B 級グルメを含む食べ物・飲み物が販売され、コンサートのハシゴを楽しむ人たちの胃袋を満たしている。また、無料コンサートも開かれており、押し合いへし合いだ。例年のことながら、クラシック音楽を聴く人ってこんなに多かったっけ??? という嬉しい悲鳴の上がる大盛況なのである。
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この音楽祭には毎年テーマがあるのだが、今年は「La Danse 舞曲の祭典」というもの。もともとフランス発祥の音楽祭であるので、もともとのテーマはフランス語で設定されているのだが、まあ要するに、ダンスに関係する音楽を集めている。なるほどこれはよい着眼点だ。なぜなら、バロックの世俗音楽はその多くが舞曲だし、近代のオーケストラ曲には沢山のバレエ音楽の名曲がある。実際のプログラムを眺めてみると、リズムのある音楽ならすべてダンス音楽に分類できるだろうというばかりの幅広い曲目が並んでいる。作曲家として見当たらない名前は、そうだなぁ、ウェーベルンとブーレーズくらいかな (笑)。まあそれは冗談としても、毎年のことながら、よくもこれだけの音楽家を揃えてこれだけ多彩なプログラムを組めるものだと感心する。公式プログラムには、3日間で 350公演、2,000人のアーティスト (これはさすがにオーケストラの楽員数もすべて含めての数字であろう) が出演するという。尚この音楽祭、一回のコンサートの演奏時間は約 45分で、途中に休憩がない。それゆえ人々は、コンサートからコンサートへハシゴすることが可能なのである。

そんな中、初日の 5/4 (木・祝)、私が出かけたコンサートは二つ。スケジュールを眺めていると、ピアニストやヴァイオリニストを中心に、本当に一日中聴いてみたい音楽家の名前が並んでいて悩んでしまうが、とりあえず今日はオーケストラコンサート二つに絞ることとした。そのいずれもが井上道義指揮の新日本フィルによるもの。この記事でご紹介するのは、13:45 から行われたコンサート 143 というもので、曲目は以下の通り。
 伊福部昭 : 日本組曲から 盆踊、演伶 (ながし)、佞武多 (ねぶた)
 伊福部昭 : オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ (マリンバ : 安倍圭子)

なるほど、日本の土俗的なリズムを使った曲を多く書いた伊福部昭 (1914 - 2006) の音楽は、まさに踊りの音楽の恰好の例である。フランスをはじめ世界各国で開かれているラ・フォル・ジュルネであるが、日本での開催では日本ならではの曲を聴く意義が大きい。また、このブログであまり関連記事を書けていないが、私は伊福部音楽のかなりのファンで、CD もわんさか持っているのである。
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伊福部昭は一部ファンには大変な人気なのであるが、一般にはあまり知られていない名前かもしれない。そういう人には、あの「ゴジラ」の音楽を書いた人だと言えば通じるというのがまあ共通認識ではあろう。伊福部本人は、あまりに「ゴジラ」の作曲家と呼ばれすぎるのを嫌がっていた気配はあるが、もちろんオリジナルの 1954年の「ゴジラ」だけでなく、一連の東宝怪獣映画において彼の音楽はまさに欠かせないものであったし、「大魔神」を含めた昭和の特撮映画において、何か巨大なものがうごめくその迫力は、誤解を恐れずに言ってしまえば、あたかもブルックナーの交響曲のように壮大な響きを持って、今も人々の心を揺さぶるのである。そして、こちらはこのブログでは再三ご紹介してきた、指揮者の井上道義。今の彼の指揮をできる限り聴きたいと私はいつも思っているし、今回のコンサートでの曲目ならなおさらだ。
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演奏前に指揮者の井上 (愛称ミッチー) が舞台に出て来て、「1分半だけ喋ります」とのこと。この人の語りは面白いので、聴衆は大喜びなのだが、いわく、この GWの「みどりの日」(これは以前は 4/29 だったものが、今では 5/4 に変更になっているのですな) に伊福部の音楽を聴くのは大いに意義のあること。今回はほぼ満席で嬉しい。自分は伊福部と生前面識があったが、彼の音楽は日本人の心に深く根差していて、まさに大地の泥を踏みしめた音楽。騎馬民族の西洋人の音楽とは違う。今回演奏する「日本組曲」(注 : オリジナルのピアノ版は 1934年作曲) については、あまりに日本的なので「こんな音楽を書いて恥ずかしい」という声も当時あったが、とんでもない。そもそも日本は、昔は泥だらけ。自分の生まれた成城学園のあたりもそうだったし、このあたり (東京・有楽町界隈) だって、50 - 60 年前だったらまだ泥もあったはず。どうせ人間死んだら泥に返るのだから、是非このような音楽を楽しんでほしい。これがミッチーのメッセージであり、私は席でウンウンと大きくうなずいたのであった。

そして演奏された音楽は実に力に満ちて説得のある、かつクリアな音質のもので、最高の伊福部音楽の演奏であったのではないだろうか。井上の指揮はまさに、自らが踊っているようなもの (笑)。この人はもともとバレエダンサーであったので、昔から身振りが派手ではあったが、最近の彼は、その身振りに合うだけの素晴らしい音が鳴っている点、毎回感服するのである。実は今調べてみて分かったことには、この「日本組曲」の管弦楽編曲版は 1991年に作られていて、それを初演したのが、今回と同じ井上道義と新日本フィルであったのだ!! なるほど、井上はそのような言い方はしなかったものの、このコンビとしてはやはり思い入れの深い曲であったのだ。聴衆には若い人もいたので、我々の世代とは異なる耳で、伊福部音楽を聴いて行って欲しいと思うが、そのためにはこのような演奏に数多く触れて欲しいものだと思う。

さて、2曲目に演奏されたのは、マリンバ奏者として長らく世界でもトップを走り続ける安倍圭子が登場し、彼女の委嘱によって書かれた伊福部の「ラウダ・コンチェルタータ」(1976年) である。ここでも舞台転換の間に井上が出て来て説明することには、安倍より前にマリンバがオケの前で独奏を弾くようなことはなかったが、彼女の功績で沢山のマリンバのための曲が書かれた。弟子の数は既に、5000人や 1万人でない、大変な数だろう。既に 80歳だが、男の 80 よりも女の 80 の方が元気なのだと発言して会場を笑わせた。それから、一度袖に引っ込んでからまた出て来て、ひとつ言い忘れたが、安倍さんは今回アイヌの恰好で出てくるが、これは、北海道出身の伊福部の音楽がアイヌの文化の影響を濃く受けているからだと説明した。もちろん私は安倍の実績を知っているし、以前にもやはりこの曲を井上の指揮をバックに演奏したのを聴いたことがあるが、80歳と聞いてびっくりだ。
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演奏の質の高さについては改めて言うまでもないだろう。時に激しく、時に瞑想的に、安倍のマリンバは縦横無尽だ。若い頃はさらに切れ味があったかもしれないが、依然として技術的には申し分ない上、表現が大変に多彩であると思った。それにしてもマリンバの音の温かいこと。壮大な森林の中に響き渡る木霊の声といった風情である。ここには、日本でこそ味わえる日本の音楽がある。伊福部音楽の懐の深さを改めて実感できる、素晴らしい演奏であった。

これもダンスの一形態。何よりも、聴き終えて満足そうに会場を出る人たちの顔に、通常のコンサートではあまり巡り合うことのない高揚感があった。ラ・フォル・ジュルネ、今年も大盛況なのである。

# by yokohama7474 | 2017-05-04 23:47 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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私はいわゆるアニメ物は、漫画であれ映画であれ、あまり知識がなく、むしろその分野には無知であると自覚しているのであるが、そんな私でも、ひとつのアニメ映画に大いに衝撃を受けたことがある。それは押井守による「イノセント」という映画であったのだが、その衝撃は 13年経った今も、思い出すだけで即座に甦ってくるほど強烈なものであったし、そのことは既に昨年 6月16日の記事で、押井の近作である「ガルムウォーズ」を採り上げた際に記した。その「イノセント」は、実は押井自身の以前の作品の続編であるのだが、その作品の名は「Ghost in the Shell / 攻殻機動隊」。1995年の作であり、また、2008年に一部をリニューアルした「2.0」と称するヴァージョンもあるらしいが、実は私は今に至るも、その作品を見ていない。それは、士郎正宗の漫画を原作とするこの映画を見ることで、私が「イノセント」で感じた衝撃が変質してしまうのではないかと思ったこともひとつの理由なのである。そして今回ハリウッドで制作されたこの映画は、その「Ghost in the Shell / 攻殻機動隊」のリメイクなのであるが、これを必ず見たいと考えたのは、日本のアニメに発想の源泉を持ちながらも、何か違った視点で描いている部分がきっとあるだろうと思ったからにほかならない。そして確かにこれは、士郎 / 押井へのオマージュを随所に感じさせながらも、ひとつの作品として完結している点、私としては高く評価したいと思うのである。

随分何度も予告編を見ることになったが、まず、昔の「ブレードランナー」をさらにキッチュにしたような街の映像が目を捉える。
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現実世界でこの映像に最も近いのは、やはり香港であろう。いや実際、よくよく目を凝らすと、実在の香港のビルが見えてくる。私がニューヨークやヴェネツィアとともに愛する、世界に二つとない街。まあ最近は中国化が著しく進んでいるとはいえ (笑)、未だにその個性を保っている。
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この街の映像が、独特のノスタルジーと未来性をともに纏いつつ、見る人の脳髄に働きかける。そして私は見逃さなかったのだが、押井守の映画「イノセント」のロゴが画面の隅に出てくるのである。これに気付いたら賞金という制度にしてくれないものか (笑)。このような複雑に入り組んだ映像に満ちた映画であるが、そのメッセージは単純かつストレート。それは題名に既に表れているのだが、この "Ghost in the Shell" のゴーストは、人間の魂のこと。シェルはもちろん日本語では甲殻なのだが、これはロボットの表面を包む堅い金属のこと。つまり「ゴースト・イン・ザ・シェル」とは、機械の体の中に宿る人間性という意味なのである。その、人間の魂を持ったロボットがこの映画の主役。公安 9課所属で、少佐と呼ばれる優れた警察官、ミラこと草薙素子である。演じるのはあのハリウッドのトップ女優、スカーレット・ヨハンソン。
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昨今の彼女の活躍ぶりには実に目を見張るものがあるが、この映画で彼女はまた、新たな金字塔を打ち立てたと思う。心は人間、体は機械というこの難しい役柄をこのように実在感をもって演じられる女優がほかにいるだろうか。つまり、あまり冷たくてもいけないし、感情が出すぎてもいけない。彼女の瞳は多くの場面でうるうると濡れているのであるが、だがしかし、涙を流すことはない。なぜなら彼女は機械なのだから。
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そして、予告編からやけに目立った彼女の「裸スーツ」(?)。でも映画を見れば、これには必然性があることが分かる。つまり彼女は、自らの体を透明にすることができるのであって、そうである以上は、服など着ていてはいけないのである。これは実は大変よくできた設定で、昔ながらの透明人間 (例えば、ティム・バートンの最新作「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」に出てくる子供の透明人間など) は、生身の体であるので、透明になるにはスッポンポンになる必要があり、その分風邪を引きやすかったところ (笑)、体が機械ならその心配はない。思う存分スッポンポンになれるというものだ。
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実はスカーレット・ヨハンソンは、この映画のオファーを受けるまで、「甲殻機動隊」のことを知らなかったという。1984年ニューヨーク生まれの彼女ならやむをえまい。だが彼女は明らかにこの役を楽しんで演じている。その彼女がここで共演している日本人俳優が 2人。
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ひとりはもちろん、ビートたけし。世界で尊敬される映画監督でありながら、昔ながらのへたくそな演技で、しかも日本語で、無骨かつ俊敏な、公安 9課を率いる荒巻を演じているのが心地よい。この映画では、個体間のコミュニケーションを無線で取ることができるという設定なので、別に言語などはどうでもよいのである。なかなかの存在感である。そしてもうひとりは、なぜかこの映画のプログラムに名前が載っていないが、この大女優だ。
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桃井かおりである。既に 66歳になったが、ここでの演技の無重力感は以前から変わらぬ大したもの。もちろん彼女は英語でセリフを喋っている。

いやそれにしても、この映画の映像は素晴らしいもの。多分もう一度見ても見飽きないものだと思う。そんな中、「イノセント」とも通じるこのようなロボットも登場し、恐ろしいやら艶やかやら。この顔がパカッと開いたり、後ろ足 (?) がニョキニョキ出るあたりでは、人間の形態が変容する様を感じることができて、なんとも凄まじい。
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この、人とロボットの混合感覚は、ほかのシーンにも横溢している。この映画がもともとのアニメ映画「Ghost in the Shell / 甲殻機動隊」とどう違うのか知らないが、アニメ映画のこのようなシーンは、目隠しこそないものの、今回も登場する。ここには人間の身体性の危うさが出ているように思うのだ。
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この作品における音楽担当は、クリント・マンセルとなっているが、だがしかし、あの「イノセント」と共通する日本の民謡のような音楽に心震える。エンドタイトルで確認したところ、やはり「イノセント」の音楽を担当した川井憲次の名があった。うーん、これは痺れる。今年 60歳のこのような方だ。
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このような、映像美に溢れ、原作やその先行映画化作品に対する敬意を感じさせるすごい映画を監督したのは、1971年英国生まれのルパート・サンダース。CM 監督として名を上げたあと、2012年の「スノーホワイト」で劇場映画デビュー。本作が 2作目になるようだ。この豊かなビジュアルで、今後の映像世界を切り拓いて行ってくれることを期待したい。
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このように、私にとっては様々な刺激に満ちた映画であったのだが、最後に、"Ghost in the Shell" という言葉がどこから来ているかを記そう。これは、アーサー・ケストラー (1905 - 1983) による「機械の中の幽霊」という評論から採られているのである。ケストラーはユダヤ人で、反日主義者であったらしいが、そんな人の書いた書物が、日本発のエンターテインメントになっているのが面白い。この本はかつてちくま学芸文庫で出版されていたようだが、現在では絶版であるらしく、アマゾンで調べると、古本が 7,500円以上、場合によっては実に 20,000円の値がついている。これはなかなかにてごわい。
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改めてこの映画のイメージの豊かさを思い出すと、眩暈がするようだが、ここには人間社会のなんらかの真実がある。それゆえ、ゲイシャロボットもこんな風に顔を開いて驚くのである!!
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# by yokohama7474 | 2017-05-03 23:28 | 映画 | Comments(0)

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このブログにしては珍しく、2回続けて演劇の記事となった。だがしかし、前回のリヒャルト・シュトラウスと同様、今回も音楽に関係する内容の舞台なのである。このブログで何度か採り上げてきた私の敬愛するダンサー、勅使川原三郎の公演。題材として採り上げられるのは、あのワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」だ。

今回の会場は、勅使川原が本拠地とする荻窪のカラス・アパラタスではなく、両国にあるシアターχ (これは「エックス」でなくギリシャ文字で、「カイ」と発音する) である。ここは有名な寺である回向院に隣接し、かつて初代の国技館のあった場所に立っているビルの 1階にある。最大客席数 300だが、席の配置によって 100席程度にもなるらしい。勅使川原のダンスのように、大劇場ではなく小劇場で接する方がよりよく楽しめるパフォーマンスには最適のサイズであろう。私は随分以前にこの劇場には何度か来ていて、それは、学生時代の素人演劇の仲間が、ここで何度か芝居を打ったことがあるからだ。そのような素人劇団が使うのと同じ劇場を、日本が世界に誇る前衛ダンサーが使うとは、なんとも面白いこと。最近演劇の世界が遠くなってしまっている私にとって、若き日の自分と暗闇の中で出会うのではないかと思われる (?) このような場所に久しぶりに出かけることができて大変嬉しかったし、東京の文化の諸相を考えるには貴重な機会となった。

さて、実は今回の「トリスタンとイゾルデ」は、昨年 5月にカラス・アパラタスで初演されたものの再演。今回は 5回のパフォーマンスが行われたが、私が見たのはその最終回。演じる方も、かなりこなれた段階に至っていたことであろう。狭い劇場ではあるものの、老若男女によってほぼ満席の入りであった。勅使川原は今回も佐東利穂子とデュオでのダンスとなったが、今回の題材である「トリスタンとイゾルデ」はまさに男と女の物語。当然のように勅使川原が演じるのがトリスタン、佐東が演じるのがイゾルデという解釈が自然だと思うが、実際のところ、そのようなことはあまり重要ではなく、響いてくる音楽と、二人の人間が作り出す動きとのコンビネーションをトータルに受け止めるべきではないだろうか。尚ここでの勅使川原の役割は、「構成・振付・照明・美術・衣装・選曲」となっている。要するにすべて彼がひとりで手掛けているのである。
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ここで、上演に向けた勅使川原の言葉を引用する。

QUOTE
リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ上演は、本来 4時間におよぶ壮大な音楽劇ですが、私たちはダンスとして 1時間にまとめました。巨大な演奏も驚異的な歌唱も常に密やかで繊細です。闇に消え入るようなはかない人間の内側に深く沈んでいる感情が横たわる夜の幕を一枚一枚はがすように描きます。冷たすぎる夜、熱すぎる感情、音楽の背後の深い沈黙、引き裂かれる闇、原作にある不可能な愛、死、人間への郷愁という秘密の刻印を、私は全身に焼き付けられた感覚を否定できません。(中略) 目の前にある「時刻」に我の全てを投げ出す覚悟、それは私たちの「ダンスの時」であり「トリスタンとイゾルデ」が、与えてくれる貴重な「生」であります。「死」が透けて見えるような、真水のような「時」といってよいかもしれません。
UNQUOTE

なるほど、ここで勅使川原はオペラのストーリーを追うことに主眼を置くのではなく、飽くまでもそこに表れた、死への憧れといった人間の不可解な感情と、そこに秘められた闇の世界の強い力をこそ、ダンスという抽象的手法で表現しようとしたのであろう。だから、もしこのオペラの全曲を聴いたことのない人であっても、そのモノトーンの舞台で進行する一連の動きを見ることで、何やら胸がざわついたのではないだろうか。その意味ではこの上演は、「トリスタン」を知らない人をこそ、その夢幻的な魅力へ誘うものと言ってもよいかもしれない。とは言え、原作の流れは尊重されているように見える箇所もあり、特に、2幕の最後で傷つき倒れるトリスタンはそのまま表現されていたし、第 3幕で勅使川原は、着ていたジャケットを畳んで舞台に置いて退場し、入れ替わりに入ってきた佐東はそのジャケットにしがみついて最後は横たわって静かになるという作りになっていて、これも原作のひとつの解釈だと思う。だがこれをもって頽廃的ということはやめよう。まさにそこには、透けて見える死の誘惑の末に見えてくる、生の貴重さが表現されていたように思われる。

音楽は、勅使川原の言う通り、全曲から 1時間程度を抽出したもので、まずは 1幕から前奏曲全曲が流れ、その最後の 2つのピツィカートに重なって、二人が媚薬を飲んだあとの場面に続く。2幕からは、二重唱の最後の方からマルケ王が入ってくるまで、そして幕切れでトリスタンが倒れるシーン。3幕からは、あの荒涼とした前奏曲と牧童の笛、トリスタンの独唱部分が少しと、最後にイソルデによる愛の死。なんだ、こう書いてみると、オペラのストーリーを順番に追ったダイジェスト版にはなっているわけである (笑)。特筆すべきは使用されていた音源で、現代音楽に続く鋭敏な感性とか、線の細い神経質な展開というものではなく、むしろ汚いくらいの音を含んで力強く流れる太い奔流であったのだ。この音源の強い説得力が、ダンサーたちの踊りを大いに助けていたものと思う。前奏曲が鳴り出したときから、それほどひどい音質ではないものの、モノーラル録音であることは明らかで、時折出てくる歌手の歌唱も時代めいていることから、フルトヴェングラーがロンドンで録音した全曲盤を音源として使用しているのではないか、と勝手に解釈した。但し、マルケ王の入ってくる場面ではドタドタという音も聴こえたように思ったので、ライヴ盤かもしれない。もしそうなら、確かフルトヴェングラーの全曲ライヴは残っていないはずなので、クナッパーツブッシュだろうか。まさか 1952年 (まさにフルトヴェングラーがロンドンでスタジオ録音した年) のカラヤンによるバイロイト・ライヴということはなさそうに思うのだが・・・。ともあれ、素晴らしい演奏でした。
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改めて思うことには、ダンスが表現できるものには様々なものがあれど、このような音楽史上に残る名曲とがっぷり四つに組むことで、見る者がその曲の本質をよりよく知ることや、さらには、これまで気づかなかった曲の特徴にも気づくことがあるということだ。だがそのことは、ダンスが音楽を聴くためのヒントになるということではなく、飽くまでダンスとしての表現に、豊かな文化的文脈があるということなのであろう。その意味では、さらに抽象的な世界で先入観なく楽しめるオリジナル・ダンス作品も見てみたい。・・・そして、私は知っている。勅使川原と佐東は、この「トリスタン」公演のあと、休む間もなく次の公演に入ることを。それは「硝子の月」という新作で、GW 後半、5/5 (金) からの上演である。これがその公演のポスター。もしこのブログをご覧の方で、未だ勅使川原のダンスを見たことのない人がおられれば、これをご覧になることをお薦めします。
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さて、生と死を巡る物語によるダンス公演終了後、隣の回向院を散策した。江戸時代から、様々な生と死を見てきた寺院である。あの芥川龍之介もこのあたりで生まれ、この寺の境内で遊んでいたはずだ。
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ここには鼠小僧次郎吉の墓があるのが有名だが、実はこんなものも。
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先般の四天王寺についての記事で、天王寺界隈にある初代竹本義太夫 (1651 - 1714) の生誕地の石碑をご紹介したが、その後数日を経て、今度はその墓に遭遇するとは、奇遇である。これは何か芸事でも習えという神の啓示か? そういうことなら、今度ウクレレの練習でも始めようかしらんと思ったのだが、あとで調べてみると、上方の人、竹本義太夫の本物の墓はやはり大阪の天王寺界隈にあるそうで、これは大正時代に入って東京のファンが建てた記念碑のようなものであるらしい。それから、西日を受けて神々しく輝く、このような犬猫の供養塔もある。「トリスタン」鑑賞によって昂った思いの中、これを見て「死が透けてみえるような真水の時」に思いを馳せると、生きとし生けるものたちへの限りない哀惜の念を感じるのである。
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ふと見るとその近くに、そのような私の溢れる思いを知る由もなく、呑気に寝ている猫一匹。うーむ。とても「死が透けて見えるような真水の時」などということを考えているようには見えないが (笑)、実際コイツも、与えられた真水の時を享受しているわけであり、その平和な風景に、私の心は和んだのである。
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# by yokohama7474 | 2017-05-03 01:22 | 演劇 | Comments(0)

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これはコンサートホールで行われた催しであり、一流のプロの音楽家の演奏を含むことから、内容的にはコンサートに分類してもよいくらいなのだが、熟考の末、やはり演劇として紹介することとした。そもそも私がこの催しを知ったのは、ある東京の演奏会で配られたチラシであった。1940年のリヒャルト・シュトラウスというと、ちょうど皇紀2600年の頃。今日一般に演奏されることはまずないが、当時ドイツ最高の作曲家であった R・シュトラウスがこのときに奉祝音楽を書いたことは、音楽ファンにはよく知られている。私は、戦時中のドイツの音楽家と政治の関係には大いに興味を抱いていて、生涯をかけて勉強して行きたい分野のひとつなので、この芝居が扱っているのがそのテーマであると知ったとき、大いに好奇心が刺激された。だが、これは静岡市でのイヴェントだ。ちょっと遠いのは事実。だが、カレンダーを確かめてみて、この GW 初日には東京でコンサートが入っていないことが分かったので、あまりこの分野に知識がないと思われる (笑) 家人を誘って、出かけることとした。もちろん前後に静岡観光も行い、それはまた別途記事でご紹介する通り、なんとも素晴らしい小旅行になったのだが、まずはこのコンサート風演劇について書いてみたい。

私がこの公演に出かける決心をしたのは、ただその主題だけによるものではない。それは、演出家がこの人であったからだ。SPAC (Shizuoka Performing Arts Center = 静岡県舞台芸術センター) の芸術総監督である演出家、宮城總。
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1959年生まれの宮城さんは、私より 6歳年上だが、私は随分以前から一方的に存じ上げている (ゆえに、「さん」づけなのである) だけでなく、一度だけだが、二人で話し込んだこともある。それは今を去ること 31年前、1986年のオイゲン・ヨッフム指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 (未だ「王立」を冠していなかった頃) の演奏会のあと。衝撃のブルックナー 7番の超名演の興奮を醒まそうとして入った喫茶店でのことであった。当時から彼はアマチュア劇団の主催者として異彩を放っていて、舞台での彼を何度も見ていた私は、今となっては恥ずかしい限りだが、当時は素人演劇などに少し関与していたものだから、やはり同じコンサート帰りにひとりで静かにお茶を飲んでいる宮城さんを見つけ、話しかけてしまったのであった。私の厚かましい行いに嫌な顔ひとつせず、芸術的な話題につきあって頂いた。高校・大学の先輩である野田秀樹がいなければ自分は芝居をやっていなかったであろうと話していたのが印象的であったし、ムラヴィンスキーのファンで、当時入手が難しかった (が、私はアナログレコードを持っていた) 彼のベートーヴェン 7番の録音が超名演だという話で盛り上がったことをよく覚えている。その後も何度かは彼の芝居を見に行ったものだが、最近はすっかりご無沙汰だ。2012年にシャルパンティエ作曲になるモリエールの「病は気から」の演出を見に行って以来のこととなる。

さて、会場の静岡音楽館 AOI (もちろん徳川家の葵のご紋からの命名であろう) は、静岡駅前にあって、交通至便である。このような近代的なビルの 8階にあり、618席の中型ホールである。東京で言うと紀尾井ホールに少し近い、いわゆるシューボックス型の長方形のホールだが、ユニークなのは、1階席の奥行が狭く、2階が始まるあたりの位置で 1階は終わってしまうような構造なのである。音響は素晴らしい。
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今回の演劇では、日本政府が皇紀2600年奉祝曲を欧米の作曲家に依頼することを決定するところから始まる。ドイツ以外にも、米国、英国、フランス、イタリア、ハンガリーの作曲家に委嘱をすることで、日本の威信を世界に見せつけようという試みで、その中でも音楽の国ドイツでは、最高の作曲家であるシュトラウスに作曲してもらうことが重要。ドイツでの経験を買われてその使命を負った若いビジネスマン (この芝居の登場人物中、唯一の架空の人物) が、アルプスに近いガルミッシュのシュトラウス邸に赴き、直接交渉をする。その後無事に作曲がなされて、初演されたあとの情景までが描かれているが、その間に、シュトラウスのトラウマ (父や、悪妻と言われたパウリーネ、そして息子) が現れたり、日本政府の思惑が暴かれたりする。そして時折、ソプラノの佐々木典子、バスの妻屋秀和という日本を代表するオペラ歌手たちが歌ったり、ピアノの中川俊郎、クラリネットの花岡詠二という達者な演奏家の演奏もなされる。演奏されるのは、1940年の雰囲気を表す、李香蘭が映画の中で歌った「蘇州夜曲」、シュトラウスの「無口な女」から「音楽とはなんと美しいものか」、シェーンベルクの 6つのピアノ小品作品 19、ワーグナーの「タンホイザー」から「夕星の歌」、ヴェルディの「椿姫」から「さようなら、過ぎ去った日々よ」、そして米国のポピュラー・ソング「私の青空」、最後にシュトラウス晩年の傑作「4つの最後の歌」と、実に盛り沢山。いずれも優れた演奏であったが、既にヴェテランでありながら深い声を響かせた佐々木典子と、最近大活躍の妻屋秀和のよく通る声には脱帽である。実はこの公演には音楽監督がいて、それは私が敬愛する作曲家でありピアニストである野平一郎。彼は SPAC の芸術監督なのである。
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まず私はここで、この公演の音楽の部を高く評価した。では一方の、演劇の部はいかがであろうか。ここでは 6人の役者たち (いずれも劇団 SPAC 所属) が様々な役柄を演じたが、ひとつの難点は、コンサート用のホールであるゆえに、残響が邪魔をして俳優の喋る声を聞き取りにくくしていたこと。そして、舞台上にはシュトラウスらが座るデスクをイメージした簡易なセットがあるだけで、ほかには酒の瓶等の小道具が出てくるくらいと、非常に簡素。照明も通常の演劇に比べれば効果が限られていて、きっと俳優たちとしてもちょっと演じにくかったのではないだろうか。脚本は、自ら演出も手掛ける SPAC 文芸部スタッフである大岡淳。正直なところこの脚本は、史実に基づい実在の登場人物たちに喋らせる箇所と、空想の力でドラマを作る箇所との切り替えの苦労が窺えるような気がした。正直な感想を言ってしまえば、なぜ今、1940年の日本政府の思惑とか、戦争に翻弄されたシュトラウスの創作活動というものを題材とした演劇を見る必要があるのか、まさにその点において疑問を拭うことはできなかった。つまり、この時代の音楽の在り方について興味のある人にとっては、(最後に少しサスペンス調もあるとはいえ) この演劇のテーマは既知のものだし、もしその点に興味のない人なら、これを見たから目から鱗で新たな世界が広がる、とはならないという難点がある (家人もそう言っていた 笑)。客席は満席であったが、実際のところ、一体どのくらいの人たちがこの演劇に満足したものだろうか。

とは言いながらも、地方都市においてこのような意欲的な催しがなされていることの意義は大変大きいと思う。また追って記事を書くが、今回初めて静岡の街を見る機会を得て、さすが東照権現のお膝元、なかなかに文化的なインテリジェンスある雰囲気の街だなと実感したこともあり、その観点に立ってみれば、今回の公演はそのような都市にふさわしく、関係者の皆さんの苦労には拍手を送りたい。あ、それから、宮城さんの演出だが、このような簡素な演劇であるからあまり演出の余地もないように思うが、それでも、俳優のセリフの抑揚に、昔見た彼の芝居を思い出させる何か懐かしいものを感じる瞬間もあったし、音楽の使い方も、例えばシェーンベルクを選曲するなど、さすがのセンスだなと思ったものである。

さて、シュトラウスの戦争との関わりへの私自身の思いを書きだすときりがないのでやめておくが、一言で言えば、この作曲家は政治には徹頭徹尾興味のない人であった。なにせ、戦争末期に、オペラにおいてセリフが先か音楽が先かという優雅なテーマのオペラ「カプリッチョ」を書いていた人である。だが一方で彼はしたたかな人物でもあり、この演劇での人間像においてもそれが表現されていて、例えば、日本政府からの委嘱を受ける理由は、義理の娘がユダヤ家の家系であることから、日本政府による保護を条件にするのである。また、奉祝曲を書くにあたって、特に日本の音楽を勉強することはせず、ただ当時ドイツで公開された日本映画を見てイメージを膨らませたという設定になっている。確かに当時ドイツで公開された日本映画があり、それは 1937年の「新しき土」という作品。私はこの映画のことを、数年前に読んだ原節子についての本で知った。当時彼女はまだ 16歳。この映画のキャンペーンでベルリンにまで出向き、その後米国に渡って世界一周をしている。この映画、私は見たことがないが、今では簡単に DVD が手に入るようだ。果たしてどんな映画なのであろうか。日本側の監督は伊丹万作である。
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それから、皇紀 2600年の奉祝曲と言えば、当時の貴重な録音を集めた CD が出ている。私の手元には、発売時の 2011年からこの CD があるが、すみません、未だ聴いていません・・・。聴いていない人間が言うのも説得力がないが (笑)、当時の貴重な音源の数々が入っている上に、現代日本の碩学、片山杜秀の詳細な解説がついているので、お薦めです。因みにアマゾンでは、あと在庫 1点になっています。
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最後にもうひとつ。皇紀 2600年といえば、最も有名な曲は、英国のベンジャミン・ブリテンによるシンフォニア・ダ・レクイエム (鎮魂交響曲) である。この曲は作曲されたものの、おめでたい機会に鎮魂とは何事かという日本側の拒否によってお蔵入りされ、世界初演は 1941年にジョン・バルビローリ指揮のニューヨーク・フィルで、日本初演は 1956年に作曲者自身指揮する NHK 交響楽団によって行われた。実は経緯はもう少し複雑であるようだが、確かにこのような機会に委嘱される音楽として鎮魂をテーマに作曲するという発想は、なかなかにユニークである。今日では 20世紀の名曲のひとつとして知られるこの曲、想像力で補いながら聴いてみるのもよいかもしれない。そんなわけで、この曲は上記 CD には収められていないので、念のため。

静岡音楽館 AOI、また機会あれば是非行ってみたい。駅前の家康像と、巨大な葵のご紋との再会を心待ちにしている。あ、AOI とはもちろん葵のことだが、もしかして、知的な街静岡ということで、"Art of Intelligence" のことなのかもしれない、と想像力を逞しくしております。なにせ今回の芝居は、インテリジェンス、つまりスパイ活動とも関係があるし・・・。
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# by yokohama7474 | 2017-05-01 01:08 | 演劇 | Comments(0)

大阪 四天王寺

前の記事で採り上げた通り、ある週末、大阪市立美術館で仏像の展覧会を見たのだが、その前に久しぶりに四天王寺に行ってみようと思い立った。言うまでもなく、天王寺という駅のいわれとなった寺であるが、その由来は大変に古い。西暦 593年、聖徳太子によって建立されたと伝えられる日本最初の仏教寺院のひとつ。蘇我馬子と組んで仏教導入に積極的であった太子が、反仏教派であった物部守屋との戦いにおいて、自ら四天王像を刻み、勝利させてくれたら寺を造ってお祀りしますと念じたところ、戦いに勝利し、そうして建立されたのが四天王を祀るこの寺であると伝わっている。だが、例えば法隆寺とは異なり、その長い歴史の中で堂塔はことごとく灰燼に帰し、現在の伽藍は昭和の時代のもので、鉄筋コンクリート製。その点、幼少の頃から寺回りに情熱を傾ける妙なガキだった私としても、この寺に対する思いは複雑で、古いものこそを見たいという思いが強かった若い頃には、必ずしも頻繁に訪れたい場所ではなかったというのが正直なところだ。だが、私も既に苦み走った 50代。歴史の見方や場所の持っている特性、それを生み出す人間の様々な思いというものに少しは理解が及ぶようになり、必ずしも古い建物が残っていない場合でも、文化的な何かを感じることができることがあると、今は知っている。だから、何かに突き動かされるようにして、久しぶりの四天王寺訪問となった。天王寺駅からは歩いて 10分少々だが、参道にはこのような鮮やかな表示が。
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やがて辿り着いた四天王寺には、重要文化財に指定されている江戸時代の石鳥居が立っていて意表をつくが、そこには堂々と「大日本仏教最初四天王寺」という石碑もあって、ここが本当に、日本に仏教がもたらされた頃から連綿と続いている場所であることを実感するのである。神仏混淆は日本人の自然な信仰のかたちであり、現在でも鳥居が立っていることから、このお寺が多くの人たちの信仰を長くに亘って集めてきたことが分かろうというものだ。
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本来寺院というものは南側が正面で、そちらから入るのが正式なのであるが (従ってメインの入り口は南大門なのであるが)、まぁどうしても人や交通の流れというものがあり、ここでは西側から入ることをお許し頂こう。西門は松下幸之助の寄進になるもので、中には仁王像はなく、壁画が描かれている。このあたりも、若い頃は新しいものに文化財的価値はないと紋切型で考えていた私にとって、今見ると新たな思いを抱く点なのだ。連綿と続いてきた四天王寺の信仰を、大阪出身の成功した財界人が支えたことは、将来また違った価値を生むことだろう。西という方角は極楽浄土のある方角であり、この西門は、浄土に続く門として信仰されてきたのである。
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そして見えてきた伽藍。空が青くて気持ちいいですなぁ。
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よく高校の日本史で、○○寺式伽藍という図が載っていて、その中で四天王寺式は、門、塔、金堂、講堂が南北に一直線に並ぶものであると習った。実際のところ、そんなことを知っていようがいまいが、日常生活には関係ないのであるが (笑)、日本の寺院に興味のある向きには、もともと釈迦の骨を祀る役割を担った塔の重要度よりも、仏事を執り行う中心的な場所である金堂の重要度が増して行ったことは覚えておいた方がよい。但し、○○寺式と言って古代の寺の名前をつけられていても、現存する古代の伽藍は法隆寺だけだし、あとは薬師寺がかろうじて、東塔以外の建物の再建によって伽藍の様相を維持しているくらいだ。その点、すべて再建であるが、ここ四天王寺では、古代の伽藍が維持されているのだ。それこそ、連綿と続く信仰の力でなくて何であろう。これが現在の四天王寺の境内図だが、下の方に主要建物が南北一直線に並んでいるのが分かる。因みに上の写真は、上述の通り西からのアプローチによるもので、右に五重塔、左に金堂という配置になる。
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ところが残念なことに、現在金堂は改修中。なんでも、2022年の聖徳太子没後 1400年に向けて耐震工事中とのこと。尊い法灯を未来につないで行くため、必要なことであるので、ここは残念などとは言わず、またの機会を楽しみにしよう。
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この金堂の本尊は、巨大な救世観音 (ぐぜかんのん) 半跏像であるが、今回は拝観できず、やはり正直なところ(笑)残念だ。飛鳥仏に似せて作られているが、今回調べて分かったことには、昭和の大彫刻家、平櫛田中 (ひらぐし でんちゅう、1872 - 1979) の指導によって作られたらしい。そして壁画は著名な日本画家、中村岳陵 (1890 - 1969) の手になるもの。建物自体は鉄筋コンクリートであっても、永続性を考えればそのような現在の工法には意味があるし、仏像や壁画は、再建された当時の代表的な芸術家たちが動員されているという点、子供の頃には分からなかった価値なのである。またの再会の機会を期して、次は五重塔へ。この塔は靴を脱いでらせん階段を上層まで登っていけるが、展望台としての機能はない。だがせっかくなので、窓ガラス越しに、自分が歩いてきた西門を見下ろす光景を写真に収めた。
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日本の社寺建築は、戦乱や災害によって多くが失われ、再建されたりされなかったりという歴史を繰り返してきたが、この塔は創建以来実に 8代目。経済に貼ってある表記がなかなか貴重なので、以下にご紹介する。ここからはっきりと分かるのは、この寺の由緒正しい歴史が、歴代の権力者にも敬われ、また一般庶民からも慕われていたということである。そのような寺はなかなかないだろう。
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そして、回廊に面白いもの発見。回廊の天井が反射して分かりにくいが、下の説明板にある通り、これは創建当初のものかと思われる排水溝である。驚くべきことに、この寺の中心伽藍の位置は、1400年間変わっていないということになる!! 聖なる場所は、いかなる時代の変転があろうと、聖なる場所であり続けるのである。
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寺の正面に当たる南側に回ってみると、中門の仁王像も現在修復中。この仁王像も、現代日本を代表する仏師である松久宗林、朋林父子によるもの。ここでも再建時の最高の芸術家が動員されていたのである。
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中門の前に面白いもの発見。これだ。
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これは熊野権現礼拝石。熊野詣では現在でも人気だが、中世から盛んであり、京の宇治から船で淀川を下り、天満で上陸してからこの四天王寺、住吉大社というルートが熊野街道として利用された。人々はここで道中の無事を祈ったという。なるほどこの寺は、聖徳太子信仰、極楽浄土信仰に熊野信仰まで加わった、なんとも多重的な性格を持っていたことになる。そして私が次に向かった場所は、開祖聖徳太子を祀るエリア。まずは聖霊院 (しょうりょういん)。古い建築ではないが、ここは中心伽藍と異なり、鉄筋コンクリートではなく昔ながらの木造なのである。連綿と続いてきた太子信仰が息づいている、なんとも敬虔な気持ちになる場所だ。
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その奥には法隆寺の夢殿を思わせる建物があって、奥殿と名付けられている。堂そのものは夢殿のような八角円堂ではなく、完全な円形をしているが、これもよい雰囲気だ。
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その奥にある絵堂というお堂は、通常は毎月 22日にしか開けないが、ちょうど今特別開扉中である (あっ、期限は今日、4月30日までだ!!) 内部には、これも署名な画家、杉本健吉 (1905 - 2004) の手になる聖徳太子の生涯を描いた壁画がある。私のもらって来たチラシの写真を掲載しておく。狭い空間だが、杉本の自由な筆致がなかなかに詩的である。
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ここ四天王寺には江戸時代に七不思議というものがあったらしく、そのひとつは、境内にかかっていたこの小さな石造りの橋を渡ると安産になるというもの。この石、今は宝物館 (残念ながら今回は入館する時間なし) の前に置かれているが、これは実は古墳の石棺なのである。この近辺には茶臼山古墳 (昨年の大河ドラマで脚光を浴びた真田幸村が、大坂夏の陣において本陣を置いた場所) というものもあるし、四天王寺の山号 (寺院を山に見立て、必ずどの寺にも○○山という山号をつける) である荒陵山という言葉は、この寺が、もともとあった古墳を壊してできたのだと解釈する説もあるようである。なるほど、新たな聖なる場所を作るために、もともとあった聖なる場所を使用したということか。例えばパリでも同様な例があり、街の発祥である現在の聖ノートルダム寺院の場所は、キリスト教以前に存在した宗教の聖地であったそうだ。人間の聖なるものへの思いには、万国共通のものがあるということか。
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帰る前にもう一度是非立ち寄ってみたかった場所がある。それは、重要文化財に指定されている石舞台。この場所は、聖徳太子の命日である 4月22日に、太子の霊を慰めるために行われる聖霊会 (しょうりょうえ) という有名な行事の舞台となる場所。私が訪れたのは 4月23日であったので、ちょうど会の翌日ということになり、舞台上には何やらブルーシートにくるまれたものが未だ置かれている。惜しいことをした。いつかは見てみたいものである。ところで私はこの池にいる亀たちを見ると、いつも何やらほっとするのである。
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せっかくなので、重要無形民俗文化財に指定されている聖霊会の写真を拝借しよう。悠久の時を超えた深い神秘性を感じることができる。
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神秘性と言えば、日本の歴史において聖徳太子ほど神秘的で謎めいた人物もいないであろう。最近では、日本に仏教を導入し、遣隋使や十七条憲法や冠位十二階という画期的な業績をたった一人の人間が挙げたということは考えにくいとして、複数の人間の業績を合わせて単一の人格にしたのだろうという説も有力になってきていると聞く。学会における定説が今どうなっているか知らないが、最近の日本史の教科書から太子の名前が消えたという話も聞いたことがある (確認していないので本当か否か知らないが)。私自身、古代史には大変興味があっていろんな本を読んでいるが、聖徳太子に関するものは、もちろん梅原猛の「隠された十字架」に始まり、今、書棚を眺めながら題名だけ挙げると、「<聖徳太子>の誕生」「聖徳太子の正体」「聖徳太子は蘇我入鹿である」「聖徳太子はいなかった」「聖徳太子虚構説を排す」といった具合。また、太子が未来記という予言の書を著したという説に関する本では、「聖徳太子 四天王寺の暗号」というものも面白く読んだ。ここで様々な説に深入りするのはやめるが、人間の歴史に思いを馳せるとき、勝者による歴史記述は、敗者を貶め勝者自身を正当化するものであり、いついかなる時代にも、権力者は自己の正当化に忙しい。その一方で、純粋な信仰心や神秘的なものに対する畏敬の念 (ある場合には恐怖) は、庶民から社会の上層部まで、なんらかのかたちで存在していることも事実。従い、今でもこの四天王寺のような古い歴史のある場所では、積み重なってきた人々の思いが未だに何かを感じさせるのであろう。聖徳太子が実在の人物であろうとなかろうと、文化に興味のある人であれば、この寺の歴史から感性が刺激されることにはなんの疑いも持つ必要はない。それこそが大事なことなのだろうと思う。

と、様々なことを考えながら天王寺駅方向に歩いていると、大通り沿いにこんな小さな石碑を見つけた。
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なるほど、これも大阪の重要な歴史のひとつ。歩いていて歴史のかけらに遭遇することほど楽しいことはない。めっちゃおもろい、大阪の歴史。

# by yokohama7474 | 2017-04-30 14:24 | 美術・旅行 | Comments(0)