GW 中のある日、私と家人は奥多摩の鳩ノ巣溪谷に一泊することとした。私にとっては、学生時代に一度仲間と泊まったことがある場所だが、ホテルは見違えるようにきれいになっているし、かなり急な流れの溪谷の水の清々しさは相変わらずだ。驚くべきことに、ここも東京都。都会の垢を落としに来るには最適の場所であると、お薦めしておこう。吊り橋の向うの巨大な岩の上に小さな祠が見える。これは水神様と呼ばれていて、この森に二羽の鳩が巣を作って仲睦まじく暮らしていたのが、鳩ノ巣溪谷の名前の由来だとか。
e0345320_22131516.jpg
e0345320_22160008.jpg
e0345320_22201478.jpg
e0345320_22221522.jpg
e0345320_22241359.jpg
e0345320_22251033.jpg
その翌日向かうこととしたのは、八王子市にある高尾山だ。ミシュランのガイドで星がついたとのことで、最近では外国人の訪問も多く、非常にメジャーな観光地になっているが、ここは古くからの修験道の聖地。天狗が住むという、標高 599mの神秘の山である。実は奥多摩から高尾山に向かうには、途中で青梅市街を抜けることになる。この日はちょうど青梅大祭で山車の出る日であり、前日はカバーをかぶっていた山車の数々も、人々に引かれて繰り出している。これらは車の中から撮影したものだが、電線を通り抜けるのに一苦労だし、そのおかげでバスも発車できないし、ましてや一般の車の通行においてをや (笑)。だが、人々の祭りにかける意気込気が伝わって来るではないか。せっかくなので、午前中に高尾山を観光して、昼食を取ったあとに青梅に戻って来て、祭りを見たいと考えたのである。いやー、祭りってワクワクしますねぇ。
e0345320_22275810.jpg
e0345320_22292720.jpg
さて、高尾山である。幼少の頃に親戚と出かけたことがあるような気もするが、記憶が定かではない。いずれにせよ、大人になってからは初めての訪問なのだ。なんとも楽しみなのである。ここにある寺院の名前は、高尾山薬王院。真言宗のお寺だ。先日の御嶽山もそうであったが、ここもケーブルカーで山頂に登って行く必要あるのであるが、ここのケーブルカーの駅は御嶽山よりも規模が大きい。
e0345320_22372506.jpg
e0345320_22413206.jpg
なんでもここのケーブルカーの勾配は 31度18分で、日本一であるとか。それは大変に興味深いと思ったのだが、朝から既に遠足の子供たちや観光客で賑わっている。そのときふと見ると、ケーブルカー以外にリフトもある。もちろんリフトの場合は外気に触れるので、よりワイルドである。夫婦で意気投合し、リフトに乗ることにした。途中で二度ほどぐぐーっと勾配が上がる構造であり、これは楽しい。
e0345320_22423439.jpg
e0345320_22433008.jpg
途中でこんな注意書きが。外人用に英語表記もあるが、うーん。"Don't Shaking" って、この英語、間違っていませんか? (笑) まぁ、言いたいことは通じるとは思うものの。
e0345320_22460066.jpg
頂上駅からお寺まで、ブラブラ歩いて 20分ほどであったろうか。お気楽な我が家は普段着での訪問であったが、麓から歩いて来る人たちはももちろん、ケーブルカーやリフトを利用する人たちも、登山の恰好をしている場合が多い。実際にここは立派な山なのである。寺からさらに登れば山頂に辿り着くが、今回は寺までということにして、歩き始めた。
e0345320_22475188.jpg
都心から 50kmくらいだと思うが、このように見晴るかすと、本当に関東平野はだだっ広いなという感じがする。
e0345320_22512066.jpg
参道の左右には様々な人から寄進された童子像が沢山立っていて、人々の往来を見守ってくれている。また、途中には、根がウネウネと湾曲していることからタコ杉と呼ばれる巨木があったり、天狗の腰かけ杉もあって、これだけ多くの観光客の集まる場所でありながら、古くからの霊場の神秘的な雰囲気を未だに充分に保っているのである。
e0345320_22521583.jpg
e0345320_22532303.jpg
e0345320_22544424.jpg
e0345320_22554590.jpg
e0345320_22570169.jpg
そういえば、先般 NHK の「ブラタモリ」で高尾山を採り上げた際、この地は針葉樹林と広葉樹林が隣り合っていて、森の明るさが違うと説明していた。あ、本当にここは、左側が針葉樹林、右側が広葉樹林になっている!!
e0345320_23004526.jpg
このような門を過ぎると、右側にはずらっと寄進者の名前が記された木の札が並んでいる。皆さんが寄進されているのは、杉の苗であるようだ。この高尾山の自然は、篤志家の方々によって守られているのだということが分かって興味深い。
e0345320_23070201.jpg
e0345320_23080583.jpg
そしてズラリと並んだ寄進者の札の列の最後、最高額の寄進者の皆さんの札がこれだ。
e0345320_23102179.jpg
おおっと、京王電鉄とケーブルカー会社の次に来ているのは、あのサブちゃんではないか。八王子在住であったとは。実はそのことは、寺の境内に辿り着き、四天王門をくぐったすぐ左手で再確認できる。そこには彼の歌声が流れていて、何かと思うと、サブちゃんの手形に手を置くと、その名も「高尾山」という歌が流れ始めるという仕組み。古来より霊場というものは、このような世俗的要素との併存をしてきたもの。天狗も、演歌を唸って、あははと楽しそうに笑っているのではないだろうか。
e0345320_23115472.jpg
e0345320_23131800.jpg
と思うと、ちょうどこの場所の向かいには、二体の天狗像が。この寺の敷地内のあちこちで出会うこととなる、大天狗 (鼻の長い方) と小天狗 (くちばしのある方) のコンビだ。この二体は常に阿吽にもなっている。いかにも高尾山の雰囲気満点だ。
e0345320_23181835.jpg

e0345320_23223370.jpg
e0345320_23203567.jpg
この高尾山は未だに古来の神仏混交の色を強く残していて、実はメインの建物として、本堂と本社の 2つのお堂があるのである。これが本堂。明治期のもので文化財指定はないが、さすが霊場薬王院の本堂。堂々たる佇まいであり、ここでも大天狗、小天狗の巨大な面が左右で絶大な存在感を誇っている。尚、この本堂内には、秘仏・本尊薬師如来の厨子を囲んで、異形の飯縄 (いづな) 大権現像などがずらりと並んでいて壮観なのであるが、祈祷を受けないと中に入れない。私はまた次回の楽しみとして取っておくことにした。
e0345320_23254731.jpg
e0345320_23330181.jpg
e0345320_23303546.jpg
e0345320_23315345.jpg
そしてこちらが、本堂よりさらに上がった場所にある本社。つまりこれは神社の本殿である。江戸時代の建造物で、東京都の指定文化財。このお堂では飯縄権現が本尊、いやご神体として祀られているため、飯縄権現堂とも呼ばれている。華やかな装飾が美しく、細部を見ていると飽きないのである。そう言えば、先般訪れた久能山東照宮や静岡浅間神社もそうだったし、上野の東照宮もそうだが、江戸時代の装飾的な神社建築は、日光以外にも結構いろいろあるのだ。日本人の美意識には、わび・さび (東京国立博物館で開催中の「茶の湯」展で先日満喫したばかり) とは全く対照的な、このような要素もあることを、再認識する。
e0345320_23362625.jpg
e0345320_23401075.jpg
e0345320_23410929.jpg
e0345320_23420749.jpg
さて、このように念願の高尾山薬王院詣でを済ませ、帰りはケーブルカーに乗ってみることとした。なるほど、日本一の急勾配、これもなかなか楽しい見どころである。
e0345320_23451487.jpg
e0345320_23460277.jpg
e0345320_23465569.jpg
さて、文化ブログとしての高尾山のご紹介はここまでなのであるが、この日ランチを取った場所が忘れられないので、ここでご紹介しておく。圏央道の高尾山インターからほど近いところにある、うかい鳥山という、いろり炭火焼レストラン。
e0345320_23510990.jpg
私がここを知ったのは、絶景を楽しむことができるレストランを紹介した本であったのだが、うかいと言えば、東京にいろいろな系列レストランがある。東京タワーのふもとにあるとうふ屋うかいは外人接待の定番だし、銀座のうかい亭では最高の鉄板焼きを食べることができる。その他にも多くのレストランを展開しているうかいであるが、その発祥の地がここ、うかい鳥山らしい。いやそれにしても、行ってみて驚いた。まず駐車場の横にはこのように巨大な合掌造りの建物があって壮観である。この中でも食事ができるようだ。
e0345320_23562475.jpg
総合受付を通って敷地内に入ると、多くの風情ある建物が点在し、それぞれ食事をしている人たちがいる。また広大な庭園の、凝っていること!! この維持には相当な労力と金銭を要するだろう。苔むした水車も動いているし、季節外れの紅葉も実に美しく、また奥まで進むと、様々な植物を栽培しているのだが、そこにはまた道祖神なども置いてあって、日本人の心に迫ってくるのである。
e0345320_23584373.jpg
e0345320_23594490.jpg
e0345320_00022507.jpg
e0345320_00032564.jpg
e0345320_00041547.jpg
e0345320_00061821.jpg
e0345320_00071787.jpg
今回は GW ということもあり、個室ではなく、大き目の部屋での相席での食事となったが、それでもスペースは充分で、これを「相席」と呼ぶ必要はないだろう (笑)。いやその風情のあること。なんでもこの建物、百五十年前に建てられた五箇山の合掌造りを移築してきたものらしい。席はこんな感じ。
e0345320_00095859.jpg
もちろん頂いた料理も大変結構だった。このブログは文化を対象にしているものであるからして、グルメブログとは一線を画し、食事のご紹介はしないので悪しからず。実際、車だったので私は (家人がどうであったかは触れないこととして 笑) ノンアルコールビールしか飲むことができなかったのだが、それでもなんとものんびりしてしまい、まるで酔っているかのような気分になってしまった。そんなことで、本当なら青梅大祭を見に行きたいと思っていたのだが、青梅駅近辺は車が通行止めになっているということでもあり、この小旅行には充分満足したので、今回は昼食後まっすぐ帰宅することとした。青梅の祭りもできればまたの機会に楽しみたいし、このうかい鳥山にも、また来てみたい。次回は電車で、思う存分アルコールを摂取することを、堅く心に誓ったのである!! ま、人生、そんな誓いもたまにはあってよいではないか。

案・近・短の旅、あとまだいくつかネタはあるので、折をみてアップして行きます。またよろしくお願いします。

# by yokohama7474 | 2017-05-29 00:20 | 美術・旅行 | Comments(2)

このブログでは既におなじみの「安・近・短の旅」シリーズ。今回ご紹介するのは、私と家人が 1ヶ月ほど前に楽しんだ東京都内の小旅行。行き先は青梅と奥多摩なのであるが、さて、話をどこから始めようかと考えた。まずはこの言葉のご紹介からとしよう。「秘仏開扉」。子供の頃から仏像好きであった私にとってこの言葉は、魔法の呪文のようなもの。「開扉」とは、「かいひ」と読み、文字通り扉を開けて、普段は閉ざされた厨子の中におられる仏さまを明るみに出すことを指す。そして今回ご紹介したいのは、このような秘仏の開扉についてである。
e0345320_10582404.jpg
どうだろう。神秘的ではないか。この仏像は、青梅市の塩船観音寺のご本尊、千手観音像。鎌倉時代、1264年の作で、東京都指定文化財である。この仏像の開扉は年に 4回。正月 3ヶ日、1月16日、5月 1~3日、8月第 2日曜日。 東京に住んで 40年になる私も、未だかつてこの仏像を拝んだことがない。これは由々しきことである。しかもこのご本尊の左右には、千手観音の眷属である二十八部衆がすべて揃っているのである。もちろん、京都の三十三間堂という特殊な例を除けば、これは日本全国を見渡してもそうはないことだ。
e0345320_22203320.jpg
e0345320_22204378.jpg
こんな仏像が東京都内にあるとは驚異的なこと。最近では仏像も多くの人の興味を惹くようになってきて、様々な書物が出ているが、東京近郊の仏像に関するお薦めの本は、なんと言ってもこれである。
e0345320_22221907.jpg
ここには本当に貴重な首都圏の古い仏像の数々が紹介されていて圧巻である。この塩船観音寺の仏像も、きれいなカラー写真で紹介されている。このような本を見て私は、今年の年明け早々、正月 3ヶ日にこの寺を訪れようと一旦は決心したのであるが、ちょっと寒くて億劫であった (笑)。そんなわけで、もっと温かい頃、つまりはゴールデン・ウィーク中の開扉期間に、念願の塩船観音寺詣でをすることとなった。多摩川下流の我が家からは、川を遡る旅。もちろん水路ではなく陸路を辿り (笑)、現地に到着したのは朝 9時頃であった。この仁王門は室町時代のもので、国指定の重要文化財である。
e0345320_22255767.jpg
e0345320_22261659.jpg
e0345320_23461740.jpg
e0345320_23463858.jpg
ところが本堂に辿り着いて内部に入っても、内陣に入ることはできないばかりか、ご本尊の厨子は堅く閉ざされたまま。これはどうも勝手が違うと思い、堂内のお坊さんに訪ねてみると、開扉は午後、13時からとのこと。おっとこれは困った。だが、この寺の境内ではおりしも、つつじ祭りを開催中。このような美しい風景を見ることはできた。
e0345320_22315725.jpg
e0345320_22321150.jpg
さて、そうは言っても、13時までここで過ごすわけにもいかず、このままでは時間がもったいない。だが慌てるなかれ。観光するときの私の中には常にプラン B がある。今回は、ほかに行くべき場所があり、そちらをサクッと訪ねてからまたここに帰ってくるという案に移行することとした。その、「ほかに行くべき場所」とは、これである。
e0345320_22395704.jpg
同じ青梅市にある武蔵御嶽神社 (むさしみたけじんじゃ)。ここは以前テレビで見たのを覚えていて、犬を尊い存在として敬うため、犬連れで詣でる人たちが多い神社である。この神社では十二年に一度、酉 (とり) 年だけ特別な行事が行われる (戌年ではないので要注意)。上のポスターにある通り、ご神体の蔵王権現 (ざおうごんげん) 像が開扉されるのだ。おぉー、ここでもカイヒなのである。これは行くしかない。実はこの特別開扉は期間限定で、5月いっぱいで終了 (なので、この記事をご覧の方、まだギリギリ間に合いますよ!!)。しかも建物の中に入ってその尊像に対面できるのは一日に数回、決められた時刻のみ。事前に調べていたところでは、次は 11時なのである。だが、同じ青梅市内で 9時に塩船観音寺にいて、11時に御嶽神社に行くなら、少し時間が余るのではないかと思い、途中でこのような場所に寄ることとした。
e0345320_22502590.jpg
e0345320_22503784.jpg
そう、「宮本武蔵」などの歴史もので有名な作家、吉川英治の旧居が記念館になっているのである。だがこの日はあいにく月曜日。記念館は休館日なのであった。随分以前に一度訪れたことがあるとはいえ、なんとも悔しい思いをしたのである。実はこの近くにはもうひとつ、日本画家河合玉堂の記念館もあり、御嶽神社に行く前にこの 2つに寄って行けばちょうどよいかと思ったので、なおさら悔しい。これでは時間を持て余すではないか・・・。そう思った私が実は甘かったことがあとで証明されることとなった。その意味では、この日がたまたま月曜であったおかげで、御嶽神社のご神体を時間の無駄なく拝むことができたのは、何やら不思議なご縁であったと思う。つまり、この御嶽神社、車でスイスイと前まで行くことができない、つまりは私が想定したようにサクッと訪れることなどとてもできない場所なのである。「武蔵御嶽神社」と入力した車のナビに従って辿り着いたのはこの場所。ケーブルカーの駅であった。
e0345320_22563358.jpg
御嶽神社に行くにはこのケーブルカーに乗るしか手段はなく、しかも頂上で下車後、25分歩かなければならないという!! ケーブルカーから見る武蔵野の山々は緑が深く、しかも、あっ、やはり犬が乗れるようになっている。
e0345320_22591376.jpg
e0345320_22592677.jpg
ケーブルカーを降りてから歩き始めると、そこには、この地に参拝する人たちのための昔ながらの宿が点在する。ここはいわゆる修験道 (しゅげんどう = 密教と結びついた日本古来の山岳信仰。山伏でおなじみ) の聖地。信仰のためにこの山を訪れる人たちの世話をする、いわゆる御師 (おし) のような制度が未だに存続しているのだろうか。21世紀にまで存続する山の神秘に心打たれる。
e0345320_23023479.jpg
e0345320_23031043.jpg
11時の開扉時刻に間に合うには、ちょっと急がなければ。それを逃すと次は 13時なのだ。石段を踏みしめて歩を進め、ようやく神社が見えてきたときの感動は忘れない。最後の石段には鬼が顔を出している。
e0345320_23055428.jpg
e0345320_23063081.jpg
e0345320_23065261.jpg
ここは本当に聖なる場所であり、肺いっぱいに吸い込む空気から、普段の都会生活の垢を落とすことができる。見晴らしも最高だ。
e0345320_23081274.jpg
e0345320_23075282.jpg
e0345320_23090637.jpg
そして 5月でありながら、ここでは未だに桜が花をつけていた。修験道の総本山は吉野。もちろんそこは桜の名所である。修験道の神である蔵王権現は桜が大好きなのだ。
e0345320_23102562.jpg
e0345320_23103948.jpg
そして本殿の横には何やら柱が立っていて、そこに布が縛りつけられている。これはご神体である蔵王権現を祀る本殿から引かれていて、この柱に触るとご神体から直接ご利益を頂くことができるわけである。
e0345320_23113468.jpg
さて、昇殿の時刻である 11時になんとか間に合った我々は、総勢 50名程度かと思われる人々と一緒に拝殿に入って行った。その中では撮影禁止と明確な指示はなかったものの、その厳かな雰囲気は、気軽にシャッターを切ることができないようなもの。よって内部の写真はないが、中では神主さんたちの祝詞があり、ご神体開扉の前には招魂のために「おおぉぉぉぉ~~」という唸りがあげられ、参拝する人たちみな、頭を下げて敬虔な気持ちになる。そして順番に並び、拝殿からは階段を経て見上げる位置にある本殿の前面に出されてきたご神体とご対面することが許される。本殿の前面までご神体を移動させるのは十二年に一度、酉年だけである由。ご神体の蔵王権現は、高さ 50cm ほどであろうか、かなり小さいもの。青銅製かと見られる素朴なお姿で、彫刻として最高の出来というわけではないにせよ、古来この由緒正しい神社に祀られてきた霊像であり、十二年に一度という機会に、とにかく有り難い儀式を経てようやく叶ったご対面である。それはそれは感動的なイヴェントとなった。

再び神社の境内に戻ると、そこには犬連れの参拝客の姿もあり、ペットお守りなども売っている。我が家の愛犬は 1年半ほど前に天国に旅立ってしまったが、何やら我々夫婦と一緒にこの神社に詣でているような気がして、命の尊さを改めて実感した。もっとも犬たちにはそんな感傷はないと思うが (笑)。
e0345320_23215925.jpg
e0345320_23221239.jpg
また、この神社の宝物館には国宝の甲冑など、貴重な文化財が展示されていて興味深いが、出版物からの転載も許可しないという貼り紙があったので、ここでは画像でのご紹介は断念する。是非現地でご覧下さい。

さてそれからまた塩船観音寺に戻る途中、青梅駅周辺で道草を食った。我が家の場合、この道草を楽しむことが旅先では何より大事なのである (笑)。街のそこここに洋の東西を問わない古い映画のポスターをもとにした看板画がかかっており、なんともレトロである。昭和な博物館もいくつかあるが、やはり月曜で休館であった。猫による「東京物語」のパロディが楽しい。
e0345320_23255323.jpg
e0345320_23261467.jpg
e0345320_23264977.jpg
e0345320_23274940.jpg
e0345320_23280891.jpg
そして、住吉神社という神社には、カバーをかけられた山車のようなものが。実はこの翌日から青梅大祭なるものが開かれるのである。これまで知らなかったが、かなり由緒のある盛大なお祭りらしい。
e0345320_23285564.jpg
e0345320_23291993.jpg
そんなことで、再び舞い戻った塩船観音堂。まずは薬師如来堂に詣でる。青梅市指定文化財だが、そのお姿はかなり古様で素朴。霊験あらたかな雰囲気満点である。
e0345320_23311550.jpg
e0345320_23313105.jpg
そうしてようやく目にすることができた本尊、千手観音像。お堂の扉も開け放たれていたので、外からでもこのようにお姿を拝むことができる。なんと神秘的。冒頭の写真では、等身大か、あるいはそれ以上の大きさかと思われるが、実際の像高は 144cm。小ぶりな観音様である。私としては、長年の念願叶ってこの仏さまに対面できたことを、心から嬉しいと思ったのだ。そのような思いをたまに持つことで、決して平穏ばかりではない日常生活を乗り切っていけるのである。
e0345320_23345733.jpg
この日はこれから最後に、これも以前から興味があって行くことができなかった日原 (にっぱら) 鍾乳洞に行くことにした。ここは古くから修験道の修行の場として使われていて、その意味での神秘性を感じる場所。例えば秋芳洞や龍河洞のような自然の驚異を感じる美しい場所というよりは、自然に感嘆しそれを敬った人間たちの祈りが未だに残っているような、そんな場所なのである。以下、洞内で撮影した写真をご紹介する。
e0345320_23422829.jpg
e0345320_23430012.jpg
e0345320_23493418.jpg
e0345320_23500952.jpg
e0345320_23504419.jpg
e0345320_23502810.jpg
e0345320_23510212.jpg
e0345320_23513655.jpg
e0345320_23515638.jpg
e0345320_23521547.jpg
e0345320_23523710.jpg
e0345320_23525511.jpg
洞内はかなり長い通路が設けられていて、アップダウンも相当に険しい。このような中を歩いていると、無性に外の光が恋しくなる。そんな思いをした後、洞窟から出た私の目に飛び込んできた渓流は、まごうことなき生命に溢れた場所であって、視覚だけでなく聴覚や嗅覚の点でも、地上に息づく生命を感じることができ、心からほっとしたことである。普段感じないような光や水や空気や生命の尊さを感じることとなったわけなのだ。これはあたかも、映画「ゼロ・グラビティ」で主役のサンドラ・ブロックが地球に帰還したシーンのようであった。日常当たり前だと思っていることの尊さを感じる機会は、実に貴重なのである。
e0345320_23581008.jpg
川の流れをじっと眺めていると、そこにある岩が、人間の顔のように見えてきた。なるほど人間はこういう感性が敏感になったときに幻影などを見て、様々な文化を創り出してきたのだろうかと思ったものである。
e0345320_23582947.jpg
e0345320_23590571.jpg
この日は大気が不安定で、何度か雨に見舞われたのであるが、不思議なことに、激しい雨が降ったのは我々が車で移動しているときで、それぞれの目的地では全く傘の必要もなかったのである。また、上に書いた通り、月曜日であったために時間の有効活用ができたことも大変にありがたかった。私は何もそれを神秘的な現象と言うつもりはなく、たまたまなのであるが、それでもやはり、このような経験から感じることは多々ある。この日の日程を終え、宿に向かう途中には、既に西日となった日光が戻ってきて、山の向こうからこのような輝きを見せた。さらに、宿に着く頃には日は既に山の向こうに沈んでいたが、まるで明るさを惜しむような雲の様子に目を奪われた。このような風景に神秘性を感じるのが、人間の素直な感性であると思う。
e0345320_00081794.jpg
e0345320_00144901.jpg
さてその日は奥多摩にて一泊。GW の安・近・短の旅は翌日に続くのである。

# by yokohama7474 | 2017-05-28 08:21 | 美術・旅行 | Comments(0)

e0345320_09491034.jpg
数日前の記事でハインツ・ホリガーの自作自演の演奏会を採り上げ、その曲が 2時間半休憩なしでの演奏であったと書いた。その際にも引き合いに出した、ワーグナーとしては異例に短い、たった (笑) 2時間半、休憩なしで演奏されるオペラは「ラインの黄金」。既にこのブログではおなじみの、超大作「ニーベルングの指環」4部作の第 1作目で、「序夜」と題されている。今回は、日本フィル (通称「日フィル」) がその首席指揮者、フィンランドの若手ピエタリ・インキネンのもと、演奏会形式で採り上げた。上のチラシにあるごとく、インキネンと日フィルのワーグナー演奏は今回が第 3弾。ではこれまでの 2回はいかなるものであったかというと、最初は 2013年 9月、「ワルキューレ」第 1幕。次は 2016年 9月、「ジークフリート」と「神々の黄昏」からの抜粋。つまり、今回を含めた 3回の演奏会で、「指環」の抜粋をこのコンビで演奏したことになる。そして、来シーズンのプログラムを見ていると、来年の 4月にはロリン・マゼールが編曲した「言葉のない『指環』」という管弦楽曲集を演奏する。日フィルのこれまでのワーグナー演奏がどの程度のものか、あまりイメージがないが、同じ指揮者とこれだけ「指環」の音楽を演奏することは、オケのレパートリーの成熟に大きく貢献することだろう。実はインキネンは既に 2013年にシドニー・オペラで「指環」4部作を指揮したことがあり、その演奏は絶賛されたらしい。このプロダクションは昨年 11月から 12月にかけてもやはり彼の指揮で再演されているというから、インキネン自身の「指環」経験は既に確固たるものになっているわけであろう。
e0345320_00513583.jpg
それにしても、いつも同じ感想で恐縮だが、日本におけるワーグナー人気は異常はほど。このブログでも、2015年のバイロイト音楽祭をはじめとして、ワーグナー関連記事へのアクセスは常に継続していて、驚くほどだ。今回も、会場の東京文化会館はほぼ満席。2時間半休憩なしも承知の上なのだ。今回の上演は演奏会形式なのではあるが、歌手は一人も譜面を見ることなく、またそれなりの衣装 (但しそれほど凝ったものはなく、2人の巨人たちも着ぐるみではなく、半そでシャツの前をはだけてサングラスに山高帽という、チンピラ風 (?) の雰囲気) をつけ、舞台前面を活発に動き回る。従ってほとんど舞台上演に近いものであり、佐藤美晴というウィーンで学んだ演出家の名前がプログラムに載っている。また、照明もそれなりに凝っていて、最初のライン川のシーンでは青い光が、神々が集う場所では白系の光が、地下のニーベルハイムでは赤い光が、それぞれかなり派手に舞台天井に投影される。

まず指揮については、テンポ感のしっかりしたワーグナーであったとでも言おうか。このブログでこれまでインキネンの演奏会を採り上げた際には、激しい音楽での熱狂感に私は若干の留保をしてきているが、今回もその傾向は同じで、作品の特性から言って、さらに暴力的に鳴らしてもよいのではと思う部分が何度かあった。例えば、ファフナーがファゾルトを殺すシーンのティンパニの鋭さや、終曲の「ワルハラ城への神々の入場」の高揚感には、課題があったと思う。だが、非常に丁寧にオーケストラをリードするインキネンを見ていると、これはこれでなかなかに優れた指揮であろうという気がしてきた。それは、このオペラの千変万化のオーケストラ・パートを描き出すに際し、次にやってくるうねりに備えるというか、着実に音の線を描き出すことができていたからではないだろうか。そもそもこの曲は、暴力的に鳴らすだけではどうにもならないわけで、このようにテンポ感がしっかりしてこそ、ドラマ性が活きてくると思う。なので、インキネンの音楽性はよく発揮された演奏であったと言えるのではないかと思う。

歌手陣では、ヴォータンのユッカ・ラジライネンと、アルベリヒのワーウィック・ファイフェが印象に残った。前者はフィンランド人でヴォータン役を得意としており、東京の新国立劇場のツィクルスでもその役を歌っている。後者はオーストラリア人で、上述のシドニーでのインキネン指揮の「指環」で同じ役を歌っている。特にアルベリヒのファイフェは、冒頭のラインの乙女にからかわれる惨めさから、ニーベルハイムでは一転して独裁的権力を握る人物としての冷酷さと重厚さをうまく出していた。外人勢ではほかにフリッカ役のリリ・パーシキヴィも安定していた。この人もフィンランド人で、エクサン・プロヴァンス音楽祭でのサイモン・ラトルとベルリン・フィルによる「指環」にもこの役で出ているという実績の持ち主。そしてなんと驚いたことに、フィンランド国立歌劇場の芸術監督なのだそうだ。多彩な人である。それから、ローゲのウィル・ハルトマンはドイツ人で、ウィーンやミラノでも活躍している人。実はこの前日の同じ曲目の演奏会では体調不良で降板した (西村悟が代役を歌ったようだ) が、今回の公演では、演奏開始前に日フィルの常務が舞台に出てきて説明したことには、未だ体調は万全ではないが、是非皆さんに自分の声を聴いてほしいと志願しての出演であったようだ。実際、時に声が若干かすれたり、自分が歌わないところでは咳をしていたが、ローゲらしい策士ぶりをうまく表現しており、体調不良を技術でカバーしたというところか。日本人歌手はいつものようにみな二期会の人たちで、それぞれに健闘であったと思う。その中で私の印象に残ったのは、フライアの安藤赴美子。少ない出番ながら、強い声で表現力豊か。そう言えばこのブログでも、アンドレア・バッティストーニ指揮のヴェルディのレクイエムにおける彼女の歌唱について述べたことがある。主役で聴いてみたい人である。
e0345320_01281139.jpg
現在東京のメジャー 7楽団は、それぞれのシェフや関係の深い指揮者陣とともに、その楽団ならではの個性を育てつつあるような気がする。なので私としては今後も、個々の演奏会の出来不出来よりも、東京で起こっている文化イヴェントという文脈で見て行きたい。あ、ただそれよりも、演奏される曲のよさを感じられることが、音楽を聴くいちばんの喜びであり、例えば 20年前には聴いてがっかりするようなケースもままあった日本のオケも、今ではそのような事態はほとんどない。競争があることも大きくプラスに働いているわけであり、これからもそれぞれのオケの充実ぶりを享受して行きたいなぁと改めて思う、充実した演奏会でした。

# by yokohama7474 | 2017-05-28 01:34 | 音楽 (Live) | Comments(0)

e0345320_10132812.jpg
海北友松。この名前はどの程度一般に親しまれているものだろうか。そもそもなんと読むのか。「うみきたともまつ」??? いえいえ、これは「かいほうゆうしょう」と読み、桃山時代から江戸時代にかけて活躍した絵師 (1533 - 1615) なのだ。もしかすると、いや、もしかしなくても、狩野永徳 (1543 - 1590) や長谷川等伯 (1539 - 1610) といった同時代の画家よりも知名度は低いかもしれない。だが、私ははっきり覚えているが、高校の日本史の教科書にも、桃山時代の代表的な画家として友松の名前は出ていたし、京都の寺に出かけると彼の障壁画を見ることができるのである。しかし、彼の大規模な回顧展がこれまで開かれたかというと、その記憶はないし、永徳の「唐獅子図」とか等伯の「松林図」というような代表作があるかというと、ちょっと考えてしまう。それゆえ、今般京都国立博物館 (通称「京博」) で開催されたこの展覧会は、友松芸術の全貌に迫る極めて貴重なものであったのだ。・・・と、ここでお詫びなのであるが、今私が書いた通り、この展覧会は京博で開催「された」と過去形にする必要がある。なぜならこの展覧会は 5/21 (日) をもって閉幕し、地方巡回の予定はないからだ。これは京博の開館 120周年を記念する行事のひとつであり、まさに京都でのみ開催可能であったもの。しかも開催期間は約 1ヶ月のみと、なかなかに厳しい条件だ。ただ私はどうしてもこれに出かけたくて、カレンダーとにらめっこした挙句、ある日曜の早朝に新幹線に飛び乗って、東京 - 京都間を弾丸往復することに決めた。京博の開館時刻、9時30分に先立って現地到着して列に並び、展覧会鑑賞後には、ほかの寺社には一切立ち寄ることもなく東京にトンボ返り。そして 15時からの東京でのコンサートに駆け付けたのである。少々強行軍ではあったが、結果的にはその価値のある素晴らしい展覧会であったと思う。

まず、会場の京博に掲げられていた看板をご覧頂こう。上に掲載したポスターの図柄と同じ龍の絵であるが、右後ろには現在閉館中の本館 (重要文化財) がチラリと見えている。なお、今回の展覧会場は、新しい平成知新館。
e0345320_22291687.jpg
さてこの展覧会では、初公開や海外からの里帰りを含む海北友松の作品及び資料 70点以上が展示され、実に圧巻であった。最初に結論を言ってしまうと、この画家の格の高さは疑うところなく日本美術史上に燦然たるものであり、近代的な感性までを思わせる素晴らしい作品がこれだけ一堂に会する機会は本当に貴重であり、間違いなく歴史に残る展覧会であったものだと思うのである。ここではその価値のほんの一部しかご紹介できないが、現地に出かけることのできなかった方に、少しでもイメージを広げて頂ければ本望である。そう、この絵師、ただものではない!

海北友松は浅井家の家臣、海北家の五男 (一説には三男) として近江に生まれた。幼くして京都の東福寺に入り、禅僧として狩野派を学ぶが、後に還俗して海北家再興を目指すものの、その絵の腕が秀吉の目に止まり、画業に専念。その後は天皇・親王や京都の格式の高い禅寺の僧たち、そして朝鮮の儒者や明の使節からも支持され、82歳の長寿を全うした。彼の親友に斎藤利三という人がいて、明智光秀の家臣であったために本能寺の変のあと処刑されたが、友松がその遺体を回収して手厚く葬ったという (今、友松自身が京都の真如堂でこの利三の隣に眠っている)。この斎藤利三の娘が、三代将軍家光の乳母、春日局なのである。そのような縁で、友松の名前はその子孫を通じて江戸時代初期に顕彰されたのだという。この時代、いやどの時代でも、芸術家の活動には、様々な巡りあわせが影響する。幸いなことに、今日我々が友松の作品の数々を見ることができるのは、そのような巡りあわせも大いに関係しているに違いない。以下は、今回出品されていた、海北家に伝来する (ということは、今も子孫の方がおられる?) 友松夫妻の姿。友松の孫である海北友雪の手になるもので、重要文化財だ。友松の妻が着ている着物は春日局から拝領したものとのことだが、そのいわれは上記の通り。当然友松夫妻が生きていた頃には未だ春日局は権勢を握っていなかったので、この情景はフィクションということになるが、自分の祖父を顕彰したいという友雪の思いがそうさせたのであろうか。
e0345320_23370023.jpg
次は、会場で最初に展示されている作品、岡山県蓮台寺所蔵の「菊慈童図 (きくじどうず) 屏風」。1997年の展覧会で初めて世に紹介され、無款ながら、今日では現存する友松の最初期の作品とみなされているとのこと。木や岩の描き方は狩野派風ということなのだろうが、私はこの人物の砕けたポーズとアンニュイな (?) 表情が気に入った。その生々しいこと、既に独特の個性を感じさせるのである。
e0345320_22430119.jpg
かと思うと、この「山水図屏風」では人物は一切登場しない。松や岩の、緻密だが優等生的な表現に比して、中国風の瓦を床に敷き詰めた建物の佇まいは何やら寂しげであり、あえて言えばシュールにすら感じる。友松の内面に、このような風景を描きたいと思う何かがあったのだろうかと想像したくなってしまう。
e0345320_23255501.jpg
e0345320_23245079.jpg
これは米国サンフランシスコ・アジア美術館が所蔵する「柏に猿図」。猿の絵といえば、中国人画家牧谿が模範ということになるのだろうが、この絵に漂う愉悦感はなかなか独特のもので、猿の絵といえども、誰かの猿真似で描けるものではないだろう。水の表現は様式的であっても流れのリアルさを出そうとしているし、花や木などの植物に見られる近代日本画のごとき感性は、やはり友松独特のものではないか。
e0345320_23322264.jpg
展覧会には、友松が京都の名刹、建仁寺の塔頭に描いた襖絵が並んでいる。保存状態があまりよくないものもあるが、この「琴棋書画 (きんきしょが) 図屏風」は面白い。雲洞院という塔頭に現存する重要文化財だ。この展覧会ではこの画題による作品がいくつも展示されていたが、いずれも描かれた人物の闊達さに見入ってしまう。水墨画の多い友松だが、ここでは適度な彩りが添えられている。
e0345320_23430312.jpg
e0345320_23490851.jpg
次にやはり重要文化財、建仁寺本体の大方丈の障壁画からいくつかご紹介する。この障壁画は全部で実に 50面あり、描かれたのは 1599年と、江戸時代前夜。友松既に 60代のときの作品なのである。オリジナルは現在京博が保管しており、現地にはキャノンが制作した高精度の複製品を順次入れて行っているとのこと。今度建仁寺に行ったときに見てみたい。最初は「雲龍図」だが、図録から撮影している関係で、たわんだ形になってしまっているものの、それが返って迫力を増しているようにも思われる。作品自体にそもそも力が漲っているからだろう。
e0345320_23493561.jpg
この展覧会には龍が何匹もうねっていたが、やはりこの、ポスターになっている奴が私としては最も気に入った。上と同じ建仁寺大方丈の襖絵で、重要文化財。この角の硬質な感じはなんとも言えない迫力だし、黒雲からにゅっと飛び出る右手は、下からの照明に浮かび上がっており、さながら怪獣映画のワンシーンのようではないか。ある意味でこれもモダンな感覚と言えると思う。
e0345320_23565429.jpg
e0345320_23573104.jpg
同じ建仁寺の障壁画から「花鳥図」。これは孔雀なのであろうが、サイズはかなりデカデカと描かれている割には、足は細くて、龍の迫力とは異質である。しかし躍動感は素晴らしい。
e0345320_00004613.jpg
引き続き建仁寺の障壁画をいくつかご紹介する。順に「山水図」、そして「琴棋書画図」から 2点。幽玄な味わいがあると思うと、鋭い線で濃く直角に描かれた垣根もあり、ほのかな人間味のある人物像もある。これ見よがしのところはないだけに、その画格の高さに感嘆するのである。
e0345320_00032766.jpg
e0345320_00054670.jpg
e0345320_00060342.jpg
この建仁寺大方丈の作品を仕上げてのち、友松の名声はうなぎのぼり。皇族、大名らからも依頼を受けるようになり、現存する友松の作品は、この 60代以降の晩年のものが大半を占めるという。これは MOA 美術館が所蔵する重要文化財の「楼閣山水図屏風」。現在の鳥取県、鹿野 (しかの) 城の主であった亀井茲矩 (かめい これのり) に贈呈されたもの。やはりじっと見ていると近代の日本画のように見えてくる、水辺の風景である。
e0345320_00162620.jpg
友松はまた禅画も多く手掛けているが、私の見るところ、それほど砕けた大胆さがあるわけではない。だが、京博が所有する「禅宗祖師図押絵貼屏風」のひとつ、達磨の図を見てみると、まるでお菓子の「ひよこ」みたいで可愛らしいではないか (笑)。ちなみに押絵貼屏風 (おしえばりびょうぶ) とは、屏風の一扇ごとに図を貼付したもので、つながった屏風絵と違って一枚一枚完結なので、多彩な画題に活用できた。
e0345320_00261305.jpg
友松の絵画は、必要以上の写実にこだわっているようにはあまり見えないが、動物の描き方には一種独特のリアリティがある。これは、MIHO MUSEUM 所蔵になる「野馬図屏風」。白い馬と黒い馬なのだろうが、白馬だけからだの輪郭線 (ひょいひょいと描いたように見える) を使っているのが面白い。
e0345320_00291970.jpg
こちらはまたユニークな、「牧牛図屏風」。ここに採り上げた 3頭はそれぞれに毛の描き方が異なっていて、特に右側の奴は非常に丁寧な描き方となっている。集団のボスだろうか。
e0345320_00335706.jpg
さて、この先は友松 70歳のときの、ある重要な出会い以降の作品である。友松芸術の最後の輝きは、実に特別なものになるのである。1602年、細川幽斎らの推挙によって友松は、八条宮智仁親王のもとに出入りするようになったのだ。この智仁親王の名前は、「ともひとしんのう」ではなく「としひとしんのう」と読むのだが、私は正直なところ、よくその読み方を忘れて困っているのである。というのもこの親王、日本文化史において極めて大きな貢献をした人で、その名を口にする必要がたまに生じるからだ。そう、桂離宮の造営だ。このブログでも桂離宮に関しては、京都についての書物やブルーノ・タウトの建築に関係して、何度か言及しているが、同時代に造営された日光東照宮との対照も鮮やかな、シンプルなデザインによる鮮烈な感性を感じさせる特別な場所である。そうすると、もしかして桂離宮にも友松の作品があるのかと思って調べたところ、同離宮の造営は 1620年からで、友松の死後。だが、この展覧会に並んだ友松晩年の作の数々を見ていると、親王の感性に友松の作品が影響しているのでは、と思われてくる。これまでの水墨画中心の世界から、70歳にして金碧の色彩の世界に足を踏み入れた友松だが、相変わらずその作品の格は非常に高い。これは滋賀県立琵琶湖文化館所蔵の「檜図屏風」。色彩もさることながら、この丁寧な葉の描き方も、友松としては特別に手が込んでいるのでは。
e0345320_00375809.jpg
これは御物の「浜松図屏風」。やまと絵風だが、波を様式化している一方、松の緑が活き活きとしていて、その対照が面白い。
e0345320_00471277.jpg
これも御物で、「網干図屏風」。実物を前に「うぅーん」と唸ってしまった逸品だ。本来生活感があるはずの干し網の曲線と、これまた様式的な鋭い芦の直線の組み合わせが、現実世界を超えたスタイリッシュな世界をそこに現出している。
e0345320_00541930.jpg
次は、京都の名刹妙心寺に残る友松晩年の傑作、重要文化財の見事な屏風絵、「花卉 (かき) 図屏風」である。老境に至ってなお、この異様な生命力のある作品を制作できた友松とは、大変な人であったことが分かる。これらを見ていると、遥か後世の速水御舟まで思い出されてくるではないか。
e0345320_00581272.jpg
e0345320_00592359.jpg
展覧会はここで照明を落とした部屋に入り、そこには 5匹の龍が薄暗い中に浮かび上がっている。上の建仁寺障壁画でも見た通り、友松の龍は凄まじい迫力だが、かならずどこかにユーモラスな部分もある。北野天満宮所蔵の重要文化財、六曲一双の「雲龍図」はその好例であろう。
e0345320_01043355.jpg
e0345320_01054219.jpg
さて展覧会はそれから、気楽な手すさびといった押絵貼屏風の作品が並んでいて、これらも大変微笑ましいのだが、最後の部屋に至って人々は、「ほぉ~」と感嘆の声を上げる。そこに展示されていたのは、米国ミズーリ州カンザスシティにあるネルソン・アトキンズ美術館所蔵の「月下渓流図屏風」である。1958年に同美術館の所有となってから約 60年、今回が初めての里帰りであった由。友松最晩年の作と認定されている。
e0345320_01175133.jpg
これは、静かな春の川の夜明けを描いているわけであるが、その柔らかなタッチは、幽玄境に遊ぶかのようである。かつ大変素晴らしいのは、ほとんどモノトーンの色調の中、地面に生える土筆や、木の枝だけが控えめに色を施されていること。現代の写真家が、モノクロで撮影して、例えば花だけに鮮やかな色をつけてスタイリッシュに仕上げるパターンと似ているが、光学的な細工がいくらでもできる現代と異なり、ただ目に見える実際の世界しか見ることができなかった江戸時代の画家が、一体いかなる感性でパートカラーという発想を考え付いたものか。この作品は、淡い色調で枯れた味わいであるだけに、細部に宿る友松の視覚の冒険に、何か空恐ろしくなるような気がした。

ここでご紹介できたのはごく一部の作品だけであり、しかもその一部分の写真を掲載しているケースが多いので、実物を前にしたときの感動をお伝えするには限度があると思う。だが、海北友松という優れた画家がいたということを、今改めてここで認識して頂けるようなことがあれば、私としては、無理して京都まで弾丸往復した甲斐があるというもの (笑)。日本の美術史は本当に豊かで奥深いものなのであります。

# by yokohama7474 | 2017-05-27 01:32 | 美術・旅行 | Comments(4)

e0345320_11101058.jpg
今回ご紹介する「コンポージアム」とは、東京オペラシティ財団が毎年開催している現代音楽のイヴェントである。この聞き慣れない "Composium" という言葉は、Compose (作曲する) と Symposium (シンポジウム) を合わせた造語であるらしい。うーむ。それなら「コンポージウム」ではないのだろうかという疑問はさておいて (笑)、このイヴェントが意義深いのは、毎年若手作曲家の新作に賞を与えていることである。その名は武満徹作曲賞。このブログでも何度も何度も名前が出てくる、日本を代表する作曲家であった故・武満徹 (1930 - 1996) の名を冠しているのだが、その理由は、このオペラシティコンサートホールの初代芸術監督はその武満であったことによる。なにせこのホールの正式名称は、最後に「タケミツ・メモリアル」とつくくらいであるのだ。この作曲賞は1997年から継続しており、今回は 19回目。審査員 (この賞の審査は極めて例外的なことに、複数の審査員ではなく、たったひとりの作曲家によってなされる) には、文字通り世界の名だたる作曲家が指名されるのであるが、今年はその審査員がハインツ・ホリガーなのである。ここで勘のよい人は察するであろう。1997年から毎年やっているなら、今年は 21回目のはず。なぜに 2回欠けて、19回目であるのか。それは、まず 2006年には武満の没後 10周年のイヴェントのために作曲賞の審査がなかったこと。そして、1998年には、審査員はハンガリーの大作曲家ジェルジ・リゲティであったのだが、入賞者なしという結果であったことによるのである。この 1998年のコンポージアムについては、たまたまつい最近、5/19 (金) のエサ=ペッカ・サロネン指揮のフィルハーモニア管の記事の中で触れているが、この年の入賞者なしとは、私も今回初めて知った。今手元にそのときのプログラムを再び出してきて読んでみると、なぜ 45曲の候補から入賞作を一作も選ばなかったかについての、リゲティの詳しい言明が掲載されている。ここではその点についての説明は割愛するが、まぁともあれ、作曲家という大変な職業を選択するのは大変なこと。そのような大変な職業を選んだ若い人にスポットライトを当てるこのような企画が継続していることは、何よりも文化的に大いに意義のあることである。主催・協賛の方々にここで最大限の敬意を表したい。このコンポージアムでは、武満作曲賞以外にも、審査員である作曲家自身の作品も演奏されるので、今後も聴衆として極力イヴェントに参加したいと思う次第である。

さて、前置きが長くなってしまったが、今回の主役ハインツ・ホリガーは、一般的な知名度はどうか分からないが、クラシック音楽の世界ではまさに知らぬ人のない、オーボエという楽器の神に等しい存在だ。1939年生まれだから今年 78歳になる。
e0345320_23590525.jpg
実は彼はオーボエを吹くだけではなく、活発な活動を続けてきた作曲家でもある。あまり日本ではそのことは知られていないように思うが、最近彼の作品に触れる機会が増えてきた。例えばこのブログでも、既に 2015年 8月23日の記事で、こちらはサントリー音楽財団のサマーフェスティバルにおける彼の作品の演奏会を採り上げたことがある。そちらは室内楽の楽曲であったのだが、今回は、コンポージアムのコンサートのひとつにおいて、小編成のオーケストラと合唱団による彼の作品の日本初演が行われた。曲名と演奏者をご紹介しよう。
 スカルダネッリ・ツィクルス (1975 - 91年作)
 指揮 : ハインツ・ホリガー
 フルート : フェリックス・レングリ
 ラトヴィア放送合唱団
 アンサンブル・ノマド

私がこの演奏会に興味を持ったのは、これが実に 2時間半の大作で、しかも休憩なしに演奏されるということを知ったからであった。それだけの長時間連続して行われる演奏に立ち会うことで、聴衆は何か特別なものを感じることができるのはないかと思ったからである。もちろん、通常のコンサートで、2時間半休憩なしということはまずない。ただ珍しい例としては、先般私がどうしても行くことができなかったアンドラーシュ・シフの来日リサイタルは休憩がなく、たくさん弾かれたアンコールまで含めるとそのくらいの時間であったというし、ワーグナーの「ラインの黄金」は、この作曲家にしては異例に短い作品だが (笑)、やはり 2時間半休憩なしだ。だがそれらは例外的で、普通のコンサートには休憩が入るものである。とはいえ、映画では 2時間半の大作も決して少なくなく、それらを見ている自分としては、膀胱破裂のリスクもそれほどあるとは思えない。頑張って聴いてみようではないか。

無駄口はこのあたりにして、作品について少し語ってみたい。題名の「スカルダネッリ」とは、ドイツ・ロマン派の詩人、フリードリヒ・ヘルダーリン (1770 - 1843) が署名時に使用した架空の人物名のこと。おー、ヘルダーリンか。もちろん名前は知っている。だが恥ずかしながら作品を読んだことはない。唯一思い出すのは、ブラームスの「運命の歌」の歌詞がこの詩人によるものだということだ。その作品を含むヘルダーリンに因む作品を集めた演奏会を、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルで行ったことも知っているが、私の知識はその程度だ。これが彼の肖像。
e0345320_00565357.jpg
実はこのヘルダーリン、若い頃には哲学者のヘーゲルやシェリングと学友であり、古代ギリシャに傾倒した作品を創作したが、30代から精神を病み、後半生の 36年 (人生のほぼ半分) は、塔の中で生活を送ったという。ドイツのテュービンゲンなる都市には、今でも彼が過ごした「ヘルダーリン塔」が現存するらしい。行ってみたいなぁ。
e0345320_00394703.jpg
さてこのホリガーの作品は、実は 3つの異なる作品の部分部分が様々に組み合わされて演奏されるもの。その 3曲とは以下の通り。
 無伴奏混声合唱のための「四季」
 スカルダネッリのための練習曲集 (フルート・ソロ、磁気テープと小管弦楽のための)
 フルート・ソロのための「テイル」

これらは 1975年から 1991年までの間に、ワーク・イン・プログレスとして 1曲ずつ作曲されたものがまとめられている。この 3曲は合計で 22の部分から成り、以前は一定の条件のもと、演奏者が曲順を自由に設定できたが、2014年にルツェルン音楽祭で改訂版が初演されたときに、各部分の演奏順序が決められたらしい。全体は 3つに大別され、それぞれの中で「四季」が一巡する中、ほかの曲も適宜挿入されて演奏されて行く。ヘルダーリンの詩は「四季」の歌詞として使われているのだが、そこでは、春夏秋冬、ドイツ語で Der Frühling (フリューリンク)、Der Sommer (ゾンマー)、Der Herbst (ヘルプスト)、Der Winter (ヴィンター) のそれぞれの題名を持った詩が、3部を通して演奏されることにより、合計で三巡することになる。面白いのは、指揮を務める作曲者のホリガー自身が、それぞれの曲の最初に該当する季節を大きな声で唱え、合唱が歌い終わったあとに、ヘルダーリンが署名している部分もまたホリガーが唱えるのである。いわく、「1758年 5月24日 スカルダネッリ」「1842年 3月15日 スカルダネッリ」「1940年 3月 9日 スカルダネッリ」等々。だがこれは妙だ。ヘルダーリンは 1843年に死んでいるので、1940年はありえないはず。だがそれこそ架空の人物スカルダネッリによる日付なのである。

この 2時間半の超大作においては、大音響が聴かれることは皆無。ひたすら静謐で拍節感のない音が流れて行く。それはもちろん、ワーグナーの楽劇のようなドラマティックなものとは大違いである。だが、なぜか客席でうたた寝している人は少ないように見えた。そのひとつの理由は、様々に工夫された斬新な音響ではないだろうか。第 1部では 3つの異なる大きさの寺の鐘 (りんというのだろうか) がごーんごーんと響く。かと思うと途中でガサガサ合唱団 (20名) がステージから去るので何かと思えば、2階客席の左右奥とホールの真ん中あたりに陣取って歌い、その一方で、舞台では 4人がワイングラスに水を注いでそのふちを指でこする。いわゆるグラスハープである。ここではイメージを拝借する。
e0345320_01155248.jpg
それから、バッハのコラールの引用がなされる箇所もあるし、第 3部の最初の曲に至っては、紙を破ったりクシャクシャにする音、紐の先に何か重りをつけて振り回す音、チューブを振り回す音、ドラの表面を何かで擦る音、何やら水に浸けては引き出す音、これでもかと奇異な音が聴かれる。フルートソロの後には、ツーンという電子音が継続して響く。また終曲では、再び合唱団が 4パートに分かれて、何かを押しつぶしたような低い声で歌い、遠い世界に響く祈りのようなやまびこのような、不思議な音の交錯が聴かれた。このような様々な音の工夫がなされつつも、基本的には 2時間半、なだらかな音風景が続くわけで、聴いているうちに、これはあの世の風景かしらんとまで思えてきた。こればっかりは経験しないと分からない。演奏会に居合わせた人たちだけが、長い時間をともに過ごして音楽に耳を傾けているうちに、じわじわと沸いて来た感情の泡のようなものが、会場を満たしていたといった印象だ。宗教体験に近いと言ってもよいかもしれない。なるほどこれは、休憩を入れるわけにはいかないわけだ。そして上記の通り、時々指揮台で声を発するホリガーが、司祭のごとく聴衆を静かに先導する。2年前にサントリーホールブルーローズで聴いた彼の朗読も、きわめて音楽的でよかったが、今回も、彼の声は曲の重要な一部になっていた。特に「スカルダネッリ」という言葉の響き、何かの呪文のようではないか。ただ一か所、「夏」なのに「春」と言いかけてしまったのはご愛敬。弘法も筆の誤りということか (笑)。

演奏に関しては、現代音楽の専門集団、アンサンブル・ノマドも見事なら、2014年の初演時にも合唱を担当したラトヴィア放送合唱団も見事。だが中でも素晴らしかったのは、フルート奏者のフェリックス・レングリ。スイス人で、往年の巨匠フルーティスト、オーレル・ニコレの弟子である。恐らくは、同じ木管楽器であるオーボエの超絶的名手であるホリガー自身が、奏者の生理をよく理解した上で曲を書いていることも関係していよう。見事な演奏であった。
e0345320_01294020.jpg
このように、静かでありながら大変充実した 2時間半であったのだが、実はこの曲にはホリガー自身による CD もある。私はその存在を会場で初めて知ったので、買おうかなと手に取りかけたのだが、今回はやめることにした。上に書いた通り、何かの儀式のような実演で経験した静かな感動は、なかなか録音では味わえないからだ。もっとも、もう一度実演を聴いてみるかと言われれば、その長さを思い出すと、それにも若干の躊躇を覚えるかもしれない (笑)。これが CD のジャケットだ。
e0345320_01434408.jpg
さて最後に、この曲の印象と共通する視覚的なイメージをご紹介する。今回合唱団がやってきたラトヴィアは、言うまでもなくバルト三国のひとつ。私は行ったことがないのだが、そこにある「十字架の丘」には、いつか是非行ってみたいと思っている。生と死がその境も曖昧になるようなこのような風景を知っている人たちだからこそ、様々な技術的困難を乗り越えて、今回のホリガーの作品をリアリティを持って歌えるのではないだろうか。
e0345320_01382979.jpg
世の中まだまだ知らないことばかり。発見の喜び、学ぶ喜びがある人生は、なかなかに楽しいものである。

# by yokohama7474 | 2017-05-26 01:42 | 音楽 (Live) | Comments(0)