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この広大な宇宙の中に、たった一人。あるいは二人。果たしてそんな事態に、人間は耐えられるだろうか。最近では、「ゼロ・グラビティ」や「オデッセイ」という映画でそのようなテーマが扱われていた。そしてここにもう一本、なかなかよくできた映画が加わった。題名は「パッセンジャー」で、上記のポスターの題名の英語表記にも "Passenger" とあるが、実際の原題は "Passengers"、つまり単数形ではなく複数形である。冒頭の問いの中で、「たった一人。あるいは二人」と書いたが、実際のところ、一人と二人では大変な違いである。いやそれはもう、決定的な違いなのである (笑)。会話する相手がいるか否か。協力する相手がいるか否か。それによって、生きようとする意志も全く変わってくるだろう。

この映画の予告編は何度も見たが、要するに地球の人口増加や環境破壊によって、別の星に移住する手段を考えた人類が、巨大な宇宙船でその星に向かうのだが、カプセルの中で冬眠していた主人公たちが、どういうわけか予定よりも早く目覚めてしまう、というストーリーだ。目的地到着まで 90年。ということは、ここで危機に見舞われる男女二人は、何もしなければ船内でそのまま死を迎えることになる。この設定は実に残酷で逃げ場のないものであるが、その設定自体はそれほど奇抜ではなく、映画にする場合には、どのように決着をつけるかという点こそが見もの、ということになるだろう。脚本はオリジナル。ハリウッドでは、未制作の優秀脚本のリストを「ブラック・リスト」と呼んでいるらしいが、この作品はそこに載っていたものらしい。脚本を手掛けたジョン・スペイツは、ほかには「プロメテウス」や、「ドクター・ストレンジ」も手掛けているとのこと。なるほど、この作品に出てくる医療用のポッドは「プロメテウス」と共通するし、宇宙的なスケールは「ドクター・ストレンジ」と共通するが、後者については、私はこのブログで散々厳しいことを書いてしまった手前、この「パッセンジャー」での脚本の出来には、ちょっと慎重に接する必要ができてしまうのである (笑)。加えて、実は「プロメテウス」もそれほどよい出来の映画とは思っていないゆえに、なおさらだ。さて、この二人の運命やいかに。
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さて、これが件の宇宙船、アヴァロン号。自身が回転しながら、障害物に対するバリアを作ったり、あるいは光線でそれを壊したりする機能を備え、目的地まで 120年の道のりを進んで行く。なかなかに奇抜なデザインだ。
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私はこの宇宙船の設定のあれこれを、大変に気に入った。もちろん船内では重力が作り出されていて、人が自由に歩けるのみならず、豪華客船さながら、大広間や落ち着いたバーやプールや、各種エンターテインメント設備も備わっている。もちろん CG は駆使されているであろうが、プログラムによると、グランド・コンコースと呼ばれる、人々が集うためにある場所は、巨大なセットが作られたという。
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先端的なデザインに見える一方、床が緩やかな円弧を描く船内の通路の様子などは、「2001年宇宙の旅」を思わせるような、いわば古典的な様相もあって、映画史的な記憶を呼び覚ます。
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このようなアールデコ調の装飾を持つバーにいるバーテンダーは、この程度はネタバレにならないと思うので言ってしまうと、アーサーという名前のアンドロイドなのである。演じるのは英国の名優、マイケン・シーン。宇宙船で過ごす人間に対して、非常に洒落たセンスで反応するようにプログラミングされているようだが、その気の利いたところが裏目に出ることになってしまう。ところで、後で気付いたのだが、この宇宙船の名前、アヴァロンとは、伝説のアーサー王の墓がある場所。そのことと、このアンドロイド、アーサーの名前とは関係があるのだろうか。
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この映画の出演者は、このアーサー役を除くと、船内で目覚める主人公の男女と、それからもう一人の、計 3名のみだ。その意味では、これは巨大な規模の室内劇である。最初に目覚めるジムは技術者、次に目覚めるオーロラ (もちろん、「眠りの森の美女」の主人公から来ているのだろう) は、ニューヨークの著名な作家の娘で、自分も作家・ジャーナリスト。従ってこの 2人は、いわば違う階級に住む人たち。それゆえこの映画を、「宇宙版『タイタニック』」と呼ぶ声もあるようだ。うーん、私は「タイタニック」は、もちろん嫌いという気はないが、歴史的な悲劇を個人の観点で描いたという点に、美点も欠点もある映画だと思っている。その点この映画は、飽くまでフィクションゆえ、個人間の関係に立脚することに焦点が合ってもよいと思う。設定は壮大ではあるが。

ジムを演じるクリス・プラットはなかなかよい。最初に一人で悪戦苦闘する場面で、T-シャツは汚れ、髭は伸び放題、体もだらしなく膨張するところをリアルに演じている。実在感のある演技のできる俳優であろう。彼は「ジュラシック・ワールド」で主役を務めたほか、近く続編が公開される「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」でも主役、「マグニフィセント・セブン」にも出ていた。
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一方のオーロラを演じるジェニファー・ローレンスは、なんといっても「ハンガー・ゲーム」シリーズのヒロイン役で知られ、また、「X-メン」シリーズにも (青塗りで分かりにくいが 笑) 出演している。そして、私にとってはレーダー外の映画だが、2012年の「世界にひとつのプレイブック」で、弱冠 22歳でアカデミー主演女優賞を獲得している。正直、それほど美形にも見えないこともあるが、なんとも表情豊かな女優である。この映画では、宇宙船の中という極限的に限られた世界の中で、実に多彩な衣装で演じるという逆説的方法により、人間はどんな環境でも、生きて呼吸して生活して、感情もあるのだということを強く表現している。
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このように見てくると、主役の 2人はこの映画の設定にピッタリの役者さんたちではないだろうか。そして第 3の男、ガスを演じるのは、ローレンス・フィッシュバーン。なんと言っても「マトリックス」シリーズで知られているであろうが、私にとっては、未だ若い頃の「地獄の黙示録」での狂気の演技が忘れがたい。ハリウッドにとって、なくてはならない名バイプレーヤーだと思う。
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さて、この映画にはほかにも地球で撮られた映像などが登場するが、本当に上記以外に人間が出てくるシーンはほとんどない。ところが、エンドタイトルを注意深く見ていると、上記 4名以外にもう一人、名前の出てくる俳優がいる。それはこの人。
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あのアンディ・ガルシアだ。ここではあえて若い頃の写真を掲載したが、「ゴッドファーザー パート III」の頃の勢いに比べて、残念ながら最近は少し影が薄いような気もするし、リメイク版の「ゴーストバスターズ」でのニューヨーク市長役も、こう言ってはなんだが、大したことのない役だった。そしてこの映画では、本当に一瞬だけしか出ていないので、人によっては見逃す可能性大である。彼の出演シーンを見たときに私は、この人と混同してしまった。そう、スペインの偉大なるヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、ジョルディ・サヴァールである。ここで笑ってもらえる人が何人いるか分からないが・・・。
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監督のモルテン・ティルドゥムは、1967年ノルウェー生まれ。長編監督デビューは 2003年であるが、それ以降自国内での映画制作を行ってきて、初の英語作品は、2014年の「イミテーション・ゲーム / エニグマと天才科学者の秘密」である。なるほど、あのベネディクト・カンバーバッチ主演のあの映画か。飛行機で見たため、このブログで記事として採り上げてはいないが、なかなか面白かった。このような才能をしっかり見出すのが、ハリウッドの懐の深さであると実感する。
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さあ、この映画の結末をどのように評価しようか。なるほどそう来たかという感じはあって、好感を持つことはできる。人間の、またそれ以外の生物の命の尊さについて、何か感動的なものを感じることもできる。その一方で、設定の壮大さに比して、ちょっと控えめなようにも感じる。上述の通り、歴史的にも日常的にもリアリティのない設定における話の展開なので、個人の物語の結末をそこに見るべきであろうが、ブラックさがない分、ゾッとする切実さもない点が、評価の分かれ目になるだろう。とはいえ、いろんなシーンを思い出すと、様々に想像が膨らむ映画であり、その点ゆえに、私はこれを、なかなかよくできた映画であると評価したい。

# by yokohama7474 | 2017-04-01 23:17 | 映画 | Comments(0)

先の記事でご紹介した、池田満寿夫と佐藤陽子の「創作の家」から我々が向かったのは、伊豆山神社。タクシーの運転手さんに、「イズヤマ神社までお願いします」と言うと、「はい、イズサン神社ですね」との返事。そうなのだ、「伊豆山」は「イズサン」と読むのである。この神社が位置している山の名前であり、これが伊豆の名前の由来なのだそうだ。私がここに行きたいと思ったのは、上古の昔に遡るというその古い歴史もさることながら、神社に併設された伊豆山郷土資料館に、面白そうな文化財がありそうな気がなんとなくしたからである。実際その勘はバッチリ当たったのであるが、その前に、この神社に辿り着いた際に運転手さんが説明してくれるには、「あれが小泉今日子が寄進した鳥居です」とのこと。小泉今日子ってあのキョンキョンかい、と思ったらその通りで、なんでも、この神社の宮司さんの嫁? がキョンキョンの友人であるとか。鳥居の裏にはしっかりと、「平成 22年 4月15日 奉納 小泉今日子」と書いてある。
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ここ熱海の地は、日本でも珍しい横穴式源泉を持ち、山中から湧き出した温泉が海岸に走り落ちる様子から、「走湯」と呼ばれており、そもそも熱海という名は、その走り落ちる温泉によって海が熱くなるということが語源になっているらしい。ここ伊豆山神社は、その走湯を神格化したもので、古くは伊豆権現とも走湯権現と呼ばれて信仰を集めていたとのこと。その格式は非常に高く、関八州総鎮守という位置づけであり、昭和天皇や現在の皇太子も訪れたことがあるとのこと。興味深いのは、この神社には等身大をはるかに超える平安時代の男神像が伝わっていること。日本最大の神像彫刻であり、重要文化財に指定されている。通常は本殿に安置されていて絶対拝観は叶わないが、昨年、奈良国立博物館で開かれた「伊豆山神社の歴史と美術」展には出品されたとのこと。ここで私は自己嫌悪に陥る。そんなに貴重な彫刻が展示されていたのに、私は全く愚かで、当時この伊豆山神社も知らなければ、展覧会の開催自体も知らず、その貴重な機会を逃してしまったのである。実に惜しいことをした。これが、私が一生見ることが叶わない可能性大の、その神像。素晴らしい保存状態であり、なんとも堂々たる存在感ではないか。
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この神社はまた、源頼朝とも縁が深い。平治の乱のあと伊豆の蛭ヶ小島に流された頼朝は、その後 20年を経て平氏打倒の兵を挙げることとなるが、その流刑中にこの地を頻繁に訪れ、ここで北条政子と出会ったとされている。境内にはこのような石があり、頼朝と政子がここで語らって恋に落ちたとの解説がある。真偽のほどはもちろん定かではないものの、当時この神社が持っていた兵力による保護がなければ、頼朝が挙兵するのは無理であったということらしい。その意味で、日本の歴史において極めて重要な場所なのである。
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タクシーの運転手さんは、「この神社に行く人で、資料館に行きたいと言う人はほとんどいませんよ」といぶかしげであったが (?)、本殿横の資料館に向かったのである。ただ、本殿を素通りするのは神様に失礼であると思い、資料館に行く前にお参りした。本殿の手前の建物、拝殿の欄間の彫刻がちょっと気になったが、色も綺麗だし、そんなに古いものではないのかもと思い込んだ。その後、これが私にとって大変に価値のあるものだと判明したのであるが。
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そうして向かった資料館。えっ、なんだ、こんなに小さいのか・・・。
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タクシーを待たせているし、このように小さな場所だから、ささっと見て出ようと思ったのだが、受付の男性が「説明しましょうか」と出て来られ、ほんの数人しかいない観覧者に対して展示品の説明を丁寧に始めた。それゆえ、結果的に 30分前後その資料館にいることになったのだが (笑)、実に興味深い話をあれこれ聞くことができて大変楽しかった。まず最初の衝撃は、上述の拝殿の彫刻である。正面に見える現在極彩色になっている龍の彫刻の、素木版が置いてある。なんでもこちらがオリジナルで、関東大震災だかの時に落下してしまったので、現在のものはその複製に彩色したものであるという。
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驚きはその作者である。波の伊八だ!! この新聞記事にある通り、つい最近、2012年に判明したばかりだという。
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波の伊八 (1751 - 1824) は、一般的にはあまり知られていないかもしれないが、江戸時代に活躍した彫刻家で、寺社の装飾を専門に手掛けた人。千葉の出身であり、同県に多くの作品を残しているほか、関東一円で作品が確認されている。波を得意とし、彫刻家仲間では、「関東に行ったら波を彫るな」(= 伊八に勝てるわけがない)と言われるほどの腕前であった。最も有名な作品は、千葉県行元寺の欄間の彫刻で、これはまさに波なのであるが、その地を訪れた葛飾北斎が、その伊八の彫刻にインスピレーションを得て、あの有名な「神奈川沖浪裏」を制作したと言われている。私は数年前にその行元寺を訪れたことがあり、周辺の寺にある伊八の彫刻も併せて見て回って痛く感動し、地元で作成している伊八作品の写真集まで購入したものだ。その伊八作品のご紹介は、以前からこのブログの使命 (?) であると私は考えていて、いずれ現地を再訪して記事を書くつもりである。従って、ここではそれらの伊八作品の写真を掲載するのはやめておこう。いずれにせよ、熱海で思わぬ伊八との再会を果たし、私の心は、熱海の海なさがら、熱くなったのである。

それ以外にもこの資料館には、平安時代の経筒 (経巻等を銅の容器に入れて地中に埋めたもの) や宝冠阿弥陀如来やその脇侍、伊豆大権現の扁額や、銅製の伊豆大権現像などが展示されていて、大変な充実である。以下、宝冠阿弥陀 (これと一具であったもう一体の宝冠阿弥陀は現在、広島県の耕三寺所蔵であるが、快慶作であると近年判明し、重要文化財に指定されている)、扁額 (八咫烏、鳩、ヤモリ等が隠れている。江戸時代、姫路藩主酒井忠道 (ただひろ) --- あの大画家、酒井抱一のいとこである --- の揮毫)、伊豆権現像 (鎌倉時代の作で、近年修復されたが、温泉をかけて礼拝されたらしい)。
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またこの神社には極めて特異な絵画作品も伝わっている。それは、法華曼荼羅。北条政子の髪を使って梵字が表されているという。本当に政子のものか否かは不明だが、実際に人の髪を使っていることは確かである由。私が乗ったタクシーの運転手さんは、以前これが公開されたときに奥さんと一緒に見に行ったが、それはそれは不気味だったとコメントしていた (さすが地元の人、そのような稀なチャンスを逃さずにお宝に接していますね!!)。
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このように大変充実した伊豆山神社と伊豆山郷土資料館を離れ、最後に向かった先は、起雲閣 (きうんかく)。もともとは 1919年に、海運王と呼ばれた内田信也の別荘として築かれ、岩崎別荘 (非公開)、住友別荘 (現存せず) と並ぶ熱海三大別荘のひとつと謳われたとのこと。その後、一時は、東武鉄道を創立した、こちらは鉄道王と呼ばれた根津嘉一郎の所有にもなったが、1947年に旅館となり、熱海を代表する宿として多くの文人墨客が訪れたという。2000年には熱海市の所有となり、大正・昭和のロマンを残す貴重な場所として一般公開されている。入り口の門は、極めて簡素で品がよい。
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庭に入ると、誰もが感嘆の声を上げるであろう。大変よく手入れされた豪快な日本庭園だ。
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建物の中に入ると、高級旅館そのままの雰囲気だが、いくつかの部屋にはこの宿にゆかりの文学者の資料が置いてある。こんな具合である。
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太宰治がこもって執筆活動をしていた建物は現存していないらしいが、この場所で撮影されたこのような豪華なショットがあって、大変興味深い。
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左から山本有三、志賀直哉、そして谷崎潤一郎である。私の敬愛する谷崎の書が展示されている。
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また、室内の装飾にも興味が尽きない。根津嘉一郎が建てた洋館には、玉姫 (たまひめ)、玉渓 (ぎょっけい) と名付けられた部屋があり、まさに古きよき日のロマンの息吹を今に伝えている。
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それから、金剛と名付けられたローマ式浴室。三島由紀夫もここで自らの裸体を鏡に映して、惚れ惚れしていたのであろうか (笑)。午後の光が、過ぎ去りし日の残照をたたえている。
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このように熱海には、遥か古代から近代までの興味深い場所が目白押しなのである。今回は訪問できなかったが、中山晋平、佐々木信綱、坪内逍遥らの旧宅も残っているらしいし、谷崎の別荘も、公開はしていないが現存しているらしい。その他、もうひとつの古い神社である来宮神社などもあるし、これはまたいつか時間を見つけて、再度出かけていかねばならんな、と思っている。それから、前の記事で熱海ゆかりの貫一・お宮は若い人は知らないだろうなどと書いたが、もちろんこれらの人物が登場する尾崎紅葉の「金色夜叉」が、私にとって親しい存在であるわけもない (笑)。だが私の書庫には、どうやらこの作品の初版本の復刻とおぼしい書物が存在している。「近来絶無之奇書」とある!! (笑) 以前読みかかって中断したままになっているので、できれば再度取り掛かり、次回の熱海訪問までには貫一の気持ちになれるよう、がんばりたいものだと思っている。熱海、おそるべし。
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# by yokohama7474 | 2017-03-29 01:05 | 美術・旅行 | Comments(0)

前回の MOA 美術館での「山中常盤物語絵巻」の記事に続き、熱海の文化スポットを幾つかご紹介したい。熱海を、温泉と貫一・お宮 (って、若い人は知らないか 笑) だけの街と侮ってはいけない。1500年の歴史を持ち、鎌倉時代には源頼朝ゆかりの地となり、江戸時代には徳川家康お気に入りの湯となり、そして明治以降は財界人は別荘を持ち、あまたの文人墨客がこの地で創作し、またお互いに交流を持った。そのように歴史の蓄積のある街であるから、今でも実は多くの文化的スポットを抱える見応え充分の場所なのである。私も若い頃は仲間の不良連中と、何度も熱海や伊東に遊びに行ったものだが、正直当時の熱海は、ちょっと寂れたかなぁという感じがあった。それに比べると今回実感した賑やかさは、ちょうど 3連休の中日ということもあって、それはそれは大したもの。これからご紹介する文化遺産には、近年になって整備されたもの、あるいは今現在整備中のものもあり、これからまだまだ熱海の歴史的意義にスポットが当たって行くものと思うので、このような記事が文化に関心を持つ方々のなんらかの参考になればよいと思います。

何はともあれ、まずこれだ。
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これは熱海駅のまん前、ロータリーに面した場所にある足湯。その名も「家康の湯」と名付けられている。家康は熱海の「大湯」という温泉 (現存する) の湯を愛し、わざわざ江戸まで運ばせたといい、1604年に家康がこの地を訪れてから 400年を記念してこの駅前の足湯が作られたらしい。実はこの家康の湯の横には、大湯を模した間欠泉が設けられ (ということは、実は帰ってきてから調べて分かった。上の写真の向きからだと左側に間欠泉があったらしいが、見逃してしまった・・・)、そこから流れる湯に足を入れることができて、大人気スポットになっている。すぐ横にはタオルの自動販売機もあり、いかにも気が利いている。なので、熱海に列車でお出かけになる女性の方、決してストッキングを履いていかないように、との家人からのアドバイスであります (笑)。
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さて、それでは熱海駅から徒歩で行ける大変貴重な場所をご紹介しよう。それは重要文化財、旧日向別邸 (きゅうひゅうがべってい)。熱海駅前のロータリーを抜けて、突き当りを左に進み、右手に東横インを見て、その先の春日町という交差点に着いたら、右手にある細くて急な坂道を登って行く。ウェブサイトの表示では徒歩 7分だが、春日町からの上り坂はかなりの急勾配。歩いて行く人は、時間と体力の余裕を見ておく必要がある。この看板が見えたら、左手の石段を下り、右手に見えるのが旧日向別邸だ。
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なぜに時間的なことを気にすべきかというと、上の看板に記載がある通り、この場所は完全予約制。土・日・祝日の一日数回のみ、事前予約をした人たちだけが入れるのである。いやいや、大人気の観光スポットならともかく、この場所はそれほど人気殺到というわけではなかろう。予約しなくても大丈夫では、と思う方もおられよう。だが現地の入り口にはこのような表示が。
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実際私たちは、熱海駅から徒歩で現地に向かい、細い坂道を上るとは知らずに海の方まで一度出てしまうという方向音痴ぶりを夫婦で発揮していたため、予約時刻ちょうどに到着すると、その時刻に予約した他の人たち 10名はすべて到着済で、少々恐縮してしまったのである。日本人は時間厳守なのである。さてそれでは、これは一体いかなる場所か。上の看板にはっきりと書いてあるのだが、ドイツの名建築家、ブルーノ・タウト (1880 - 1938) が設計した建造物なのである。タウトについては私もこのブログの過去の記事で触れているので、もしご存じない方がおられれば、以下をご参照。

http://culturemk.exblog.jp/24559203/

http://culturemk.exblog.jp/23671987/

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タウトはドイツでいわゆる表現主義の建築や集合住宅などを手掛けて活躍していたが (そのうちの幾つかは現在世界遺産に登録されている)、共産党寄りの思想の持ち主で、実際にソ連で活動していたこともあったため、1933年に反共産主義のナチスが政権を取ると、迫害を逃れて日本に亡命。高崎に居を構え、わずか 3年とはいえ、桂離宮をはじめとする日本の建築を研究し、弟子も育てたのである。それゆえ彼の名前は日本でも半ば神格化されていると言えるほど知られているのであるが、実は彼が実際に設計した建造物は、少なくとも現存するものはこの旧日向別邸のみなのである。それゆえこの建造物は極めて貴重で、重要文化財に指定されている。だがその指定は 2006年のこと。つい最近なのである。現在でも未だ、充分観光地として整備されているとは言えず、私が現地を訪れた日には、「この施設の案内 DVD がちょうど昨日完成して、今日初めてお見せするんです。でもナレーションも音楽もないんですけど」と、熱海市の職員の方であろうかまたはボランティアの方であろうか、現地の案内の男性が笑って説明して下さった。

タウトが設計したのは、アジア貿易で成功した日向利兵衛という実業家が熱海に持っていた別邸の、その地下の部分なのである。地上に建っている母屋自体も、このように一見何の変哲もない日本家屋に見えるが、設計は、銀座和光や横浜ニューグランドホテル、また東京国立博物館の原案を手掛けた渡辺仁。こちらは現在公開されていないが、将来的には補修の上公開する計画はあるようだ。
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現地で入手したチラシに、母屋と地下室の見取り図があるので掲げておく。タウトが設計した地下部分は、いちばん下に記されている部分。
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現地は写真撮影禁止なので、この施設を現在所有する熱海市のホームページからいくつか写真を借用する。まず、地上から階段を下りた場所がこれ。竹をうまく使って機能的にできている。
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この部屋は社交室になっていて、当時ダンスなどを楽しんだようだ。あまり広くはないが、和風のようでもあり、モダニズムの匂いもする、タウトらしい建築である。天井からやはり竹を接いだ長い棒が横に吊るされていて、そこに多くの電球が並ぶ。だが係の人によると、直列式なのであまり明るくはないようだ。
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真ん中の部屋は洋間と上段。敷地内に段差があるので、木の階段が設けられ、落ち着いたような敷居が高いような、一種独特の空間になっていて面白い。
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そしてその奥は日本間とやはり上段。空間構成は洋間と似ているが、天井が違うし、手前左のびっくりな位置に床の間まである。またこの部屋には天井に照明がなく、行灯を移動して使用したらしい。
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実はその奥にももうひとつ部屋があるのだが、これは用途不明の和室。ネットでも写真が見つからないので、こればかりは、是非現地でご体験頂きたい。実はこの建造物、日向家が手放したあと、自宅として使用した人が 2人いたが、どうも住居には向かないということで都度売却され、結局企業の保養所として 1952年から 50年ほど使用された。その間少しの改修はあったようだが、かなり原型をとどめたまま使用されたのは何よりであった。その後、東京の篤志家の婦人がこの建築の価値を認めて寄付をし、それによって 2004年に熱海市の所有となったとのこと。貴重な文化財を伝えて行くのは、その価値を認める人たちの思いと、その思いを実現するための資金。タウトが日本に残した唯一の建築、長く後世に伝えて行くのは我々の役目である。

次に向かった先は、創作の家と名付けられた場所。誰の創作かというと、洋画家の池田満寿夫 (1934 - 1994) と、そのパートナーでヴァイオリニストの佐藤陽子 (1949 - ) である。この 2人の芸術家がともに暮らした旧居が、当時そのままの状態で公開されていて大変興味深い。尚、池田が比較的若くして亡くなったことは知っていたが、死因は知らなかった。Wiki によると、地震が起こった際に犬に飛びつかれて昏倒し、急性心不全で亡くなったとショッキングなことが書いてあって驚く。調べてみるとほかの情報もあるようで、真実は分からないが、突然の死であったことは確かなようだ。このワンちゃんだろうか・・・。犬好きとしては何やら胸に来るものがある (涙)。
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この創作の家、熱海駅から MOA 美術館の方向に向かう途中にあり、やはり徒歩ではかなりきついが、歩けないほどではない。
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家の中は撮影禁止なので、詳細はご紹介できないが、上記のように急逝してしまった主の佇まいが今でもそこに残っていて、まるで芸術家夫婦に温かく迎え入れられたようだ。池田が使用していた古い音響機器などもそのままだし、洗面所やリビングの佇まいも、人間の生活の匂いがする。また、入り口近くに来訪者用の岩風呂 (もちろん温泉) とサウナがあって、池田の手作りのステンドグラスなどもあり、芸術家風のもてなしが微笑ましいし、一介の観光客でも、まるで歓待されているように感じるのである (笑)。また、佐藤が若い頃に斎藤秀雄の指揮で演奏したチャイコフスキーのコンチェルトの CD が地下の音楽室から流れていて、屋内が音楽に満たされている。主を失ったアトリエも、その BGM のもと、なんとも落ち着いた雰囲気で、大変気持ちよかった。佐藤は未だ現存だが、近くのマンションに居住しているという。きっと、死を看取った池田との大事な思い出が、この家には満ちているに違いない。観覧する方も、そのようなことを感じながら、芸術が生まれ来る瞬間に思いを馳せたいものである。

熱海文化の旅、次回に続きます。

# by yokohama7474 | 2017-03-28 01:18 | 美術・旅行 | Comments(0)

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この展覧会のタイトルにある通り、江戸時代初期の画家、岩佐又兵衛 (1578 - 1650) は、奇想の絵師と呼ばれており、その特異な作風には鬼気迫る迫力があって、私にとっては常に多大なる興味の対象なのである。2月13日の記事で、出光美術館で開催された「岩佐又兵衛 源氏絵」展に関連し、そのあたりのことは述べておいたし、そこで私は、熱海の MOA 美術館で開かれる本展を是非見に行きたいと宣言した。そしてその宣言通り、先週この展覧会に足を運んだのである。車で出かけると渋滞に巻き込まれること必至と思ったので、熱海までは新幹線。非常に効率的な小旅行となった。今回は MOA 美術館以外にもいくつか大変興味深い場所を訪れており、それは別の記事にまとめるが、この又兵衛の代表作をじっくり観覧することのできる展覧会を、文化に興味をお持ちの方すべてにお薦めするため、まずはこれだけの記事を書くこととした。

熱海の MOA 美術館は、若い頃は自身画家を志したこともある宗教家、岡田茂吉のコレクションがもとになっていて、国宝 3点、重要文化財 66点という非常に素晴らしい内容の日本美術を持つ美術館である。MOA とは、Mokichi Okada Associates の略である由。熱海駅からさほど遠くないものの、急峻な岡の上にあるため、徒歩で行くには若干きつい。この度、改修を経てリニューアルオープンを果たしたが、私としても随分と久しぶりの訪問になる。
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建物の入り口から入り、いくつものエレベーターを乗り継いで上に上に昇って行くのであるが、人工の鮮やかな光から、自然の光の中に入っていく過程が、何やら別世界の神々しさを感じさせる演出になっている。
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そして昇り切ったところからは青い海が見え、ヘンリー・ムーアの彫刻が訪問者を出迎えてくれる。
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リニューアルに際しての館内の作りは、日本を代表する美術家の杉本博司が担当した。嬉しいことに、館内では撮影自由なので、その様子を何枚かの写真でご紹介する。杉本らしいモノトーンによって区切られた場所に、この美術館の目玉のひとつである国宝の仁清の壺も置いてあって、極め付けの名品との思わぬ出会いを演出する。
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さて、お目当ての重要文化財「山中常盤物語絵巻」であるが、今回は全 12巻の一挙公開。だが、さすがに全長 150m に及ぶすべての巻が端から端まで開かれているわけではなく、一部、見ることができない場面もある。とはいえ、このような贅沢な空間でこの極めて保存状態のよい特異な作品と相対する喜びは大きい。
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さて、撮影自由ということで、実際の絵巻物のいくつかのシーンも写真に収めたのであるが、すべての興味深いシーンを撮影するわけにもいかなかったので、以下では現地で撮った写真は使わず、以前から私の書庫に収まっている又兵衛の作品集 (この MOA 美術館の所蔵する又兵衛の全作品を掲載) から、興味深い場面を撮影して、義経が母の仇を取る物語を、一気に駆け抜けてみたい。このような本である。
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まず、15歳の牛若丸 (もちろん後の源義経) が、源氏再興のため、鞍馬山をひそかに抜け出して奥州に向かう。
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奥州で牛若は手厚くもてなされ、幸せな日々を送る。
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一方、都にいる義経の母、常盤御前は、わが子牛若の行方が分からず、心を痛めている。
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牛若が奥州にいると聞いた常盤は、すぐに会いに行くと言い出す。
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侍従ひとりだけを連れ、旅から旅へ。清水に姿を映してみると、痩せこけた自分が見える。このあたりの感覚は詩的である。
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そして美濃の国、山中に到着する。
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山中の宿には、屈強な六人の盗賊が住んでおり、常盤主従を襲い、小袖を奪おうと相談がまとまる。
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このように狼藉を働き、素早く門外に逃げ帰る盗賊たち。
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その盗賊たちに対して常盤は、肌を隠す小袖を返すか、さもなくば命を奪って行けと言い放つ。
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怒ったひとりが、常盤を刺し殺す。この絵巻物で最初の残虐シーンであるが、この盗賊の不気味な笑みと、常盤の髪をつかむ腕の生々しさ、そしてどす黒く変色する常盤の肌の色が、なんとも強烈だ。
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宿の主人夫婦が瀕死の常盤を介抱し、その身分を知ると同時に、牛若への形見の品々を預かる。ここでは 3連続シーンを掲載するが、大変面白いのは、宿の主人夫婦にも見向きもされない、床下の侍従の死体である。最初は瀕死の重傷で生きていたのであろうが、縁側に残っていた左足が、時間の経過とともに、徐々に力なく落ちて行って息絶える。なんとも不気味なリアリティではないか。こんなセンスを持った江戸初期の画家は、又兵衛しかいないだろう。
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その頃牛若は、母が夢に現れるのが気になり、奥州を抜け出して都に向かう。
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そして、常盤が襲われたちょうどその夜は、山中の手前わずか三里の宿に泊まるが、残念ながら母の虐殺を知らずに旅を続ける。そして山中のはずれで、真新しい貴人の墓を見つけていぶかる。
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牛若は、奇しくも母が襲われた宿に泊まることとなるが、その夜、母の亡霊が夢枕に現れ、盗賊に襲われた無念を語る。
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前日の悲劇を知った牛若は、盗賊どもへの復讐を誓い、一計を案じる。宿を小袖や金銀の太刀で飾り立て、盗賊をおびき寄せようというのである。宿の主人は協力を約束する。
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そして牛若は宿場に出て、大名の宿はどこかと尋ねて回る。また一方、身分の卑しいものに変装し、宿に大名が到着すると触れ回る。
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盗賊たちは、昨夜襲った宿にまたもや大名が泊まると聞きつけ、早速襲撃する。
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するとそこには、少年 (もちろん牛若) がひれ伏している。お宝はどこだと迫る盗賊たちに、あっちあっちと怯えながら指差す少年。
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それっとばかり奥に駆け込む盗賊のしんがりを、背後から見事に切り刻む牛若。見よこのスプラッター表現!!
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そしてこれから、牛若の快刀乱麻の復讐が始まるのであるが、さすが屈強な盗賊たちも、鞍馬山の天狗のもとで修業した牛若の前にはひとたまりもない。この血しぶきの中、最初に斬られた輩の死体がずっと転がっているのが面白い。ちょうど常盤の侍従の死体が時間の経過とともに繰り返し描かれていたのと対をなすようである。いやそれにしても、繰り返し死体を描かない方法もあったと思うが、ここには又兵衛の強いこだわりが感じられる。というのも、場面によって位置が違っているからだ。違う戦闘場面でも、必ずこの死体を入れたいと思ったのであろう (笑)。又兵衛のこの仮借ない描写に、当時絵巻物を見た人はどのように感じたであろうか。牛若復讐の快哉を叫ぶとともに、その描写のリアリティに背筋が寒くなったのではないか。
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この絵巻物のユニークさは、悪党成敗でめでたしめでたしと終わるのでなく、その後の処理まで克明に描いていることだ。宿の者たちは、盗賊どものバラバラになった死体を、菰袋に入れて、川に捨てに行くのである。画面中、たいまつを掲げているのは、これが夜のシーンであることを表しているのであろう。
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仇討ちを果たした牛若は奥州へ帰り、三年三ヶ月後、十万余騎を率いて都に上る。
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その途次、山中の宿に泊まる。常盤の御前で法要を営み、そして宿の主人にも所領安堵を行い、その恩に報いた。
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とまぁ、ストーリー自体は非常に単純なものであるが、これでもかと出てくる鮮血描写に、実に圧倒される思いである。それゆえに、このような機会にこの絵巻物の全容を見ておく価値があろうというもの。ご覧頂けるように、金なども随所に使い、非常に保存状態がよいのであるが、恐らくは越前藩主、松平忠直 (ただなお) が制作に関与しているであろうとのこと。異端の日本美術と言えようが、絵画の持つ異様な力に触れたい方には、熱海まで足を延ばして見に行くだけの意味はあると申し上げておく。

# by yokohama7474 | 2017-03-27 01:01 | 美術・旅行 | Comments(0)

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昨年の「こうもり」に続く今年の小澤征爾音楽塾は、ビゼーの名作「カルメン」である。以前、2月 6日付の山田和樹指揮のこのオペラの上演に関する記事でも述べた通り、東京では昨年 12月から 4ヶ月連続でこのオペラが演奏されることとなり、その掉尾を飾るのがこの公演である。小澤征爾が心血を注いで継続しているプロジェクトの、今回が 15回目。日本のみならず、中国や台湾、韓国からもオーディションで選ばれた若者たちによる小澤征爾音楽塾オーケストラと、日本人からなる小澤征爾音楽塾合唱団が、国外からやって来たソロ歌手たちとともに奏でる今回の「カルメン」、昨年からはロームシアター京都という本拠地もでき、より一層練習から本番に向けてのよい環境が整った中での演奏である。その京都で 2回、東京と名古屋で 1回ずつ、計 4回の上演。尚このシリーズでは、2007年にもこの作品が上演されているが、歌手陣は総入れ替えである。81歳の小澤率いる、情熱と怨恨のオペラの出来や、いかに。これはプログラムに掲載されている、今回の稽古場における小澤の写真。
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昨年の「こうもり」同様、今回の指揮を小澤と分担したのは、水戸やウィーンで小澤のアシスタントを務めた、村上寿昭 (としあき)。残念ながらオペラ全曲を振り通すだけの体力がなくなってしまった小澤のいわば「分身」として、プロジェクトへの多大な貢献を果たしているが、2008年から 2012年まで、ドイツのハノーファー州立歌劇場の総監督を務めた実績の持ち主だ。
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2014年のこのプロジェクトで「フィガロの結婚」を他の指揮者と小澤が振り分けた際には、ある場面で指揮を交代すると、彼は袖に引っ込んでいた。だが昨年の「こうもり」と今回の「カルメン」では、オーケストラ・ピットの中に指揮台が 2つ設けられ、村上が指揮する場面でも小澤はそこにいて、このプロジェクトの「音楽監督」としての責務を果たそうとする意欲が見える。「カルメン」は 4幕から成るオペラであるが、第 1幕と第 3幕は小澤が、第 2幕と第 4幕は村上がと、交互に幕の冒頭を指揮したのである。全体を通した分担は、ほぼ折半か、もしかすると小澤の持ち分の方が若干多いのではないかと思われた。今や小澤の指揮を聴くには、水戸室内管と室内楽アカデミー (スイスと奥志賀)、そして夏のセイジ・オザワ松本フェスティバルに、あとはこの小澤征爾音楽塾しかなく、本当に一回一回が貴重なのであるが、今回のオーケストラ演奏は、私自身、過去 35年程度に亘って身近に親しんできたこの稀代の名指揮者の音楽としても、何か新たなものを示してくれるだけの素晴らしいものであったと思う。端的に言って、今回の小澤の指揮における発見はふたつ。ひとつは、指揮の身振りが多くの場面において極端に小さかったこと。もうひとつは、譜面をめくりながらの指揮であったことである。いかなる複雑で長大な曲も、暗譜で精力的に指揮する姿に親しんできた身としては、もちろん複雑な思いを抱かざるを得ないが、しかしこれは、80を超えて小澤が到達している高みを実感させるだけの意味のあることである。とは言っても、冒頭の前奏曲では力強く椅子から立ち上がっての指揮であり、遅めのテンポに音の密度はぎっしりだ。小澤がフランス国立管弦楽団と 1980年代に録音したビゼー作品集におけるこの曲の演奏も、確かこんな感じだったと思う。その数年後同じオケを指揮し、ジェシー・ノーマンを主役に迎えての録音ももちろん手元にあって、その演奏はまた確認してみたいが、やはり同じようなテンポだったのではないか。颯爽と駆け抜けて弾き飛ばすというよりも、来るべき悲劇すら予感させるような重みのある音での丁寧な音の流れに、小澤の変わらない解釈を見る思いである。そしてその後の音楽の展開において、やはり小澤ならでは切実感が聴かれたのが本当に嬉しかった。例えば第 1幕の「ハバネラ」では、舞台を見ていて急に音の重みが増したと思って指揮台を見ると、その曲から指揮が村上から小澤に交代していたのである。また、同じ 1幕で児童合唱 (京都市少年合唱団) が入るところでは、小澤の熱血指導が目に見えるような、子供たちの溌剌とした歌が楽しく耳に飛び込んできた。そして、曲が進むごとに 2人の指揮者の違いを判別するのは難しいほど、水準の高い演奏となったのであり、このような演奏に参加することのできた若者たちにとっては、まさに生涯誇るべき経験になったことだろう。様々に活躍する管楽器たちは常にクリアで音楽的。また、終幕の鬼気迫る音楽においても、実に仮借ない、まさに切れば血が出るような充実した音が鳴っていて、この曲の真価が発揮されるのを聴くことができた。小澤という指揮者の持つカリスマ性が、全体の公演を引っ張ったことは間違いないだろう。上記の通り、譜面を見ながら小さな身振りで凄まじい音を引き出すのを目の当たりにして、これからの小澤の新境地が本当に楽しみになったのである。

主要歌手陣は、米国人の若手が中心。ドン・ホセのチャド・シェルトン、ミカエラのケイトリン・リンチ、エスカミーリョのボアズ・ダニエル、それぞれに持ち味を出していたとは思うが、全体的な出来はまずまずというところであったと思う。カルメン役のサンドラ・ピクス・エディは、そのスリムで華やかな容姿がまさにこの役にぴったり。心が震えるような歌唱とまでは言わないが、終幕の情念の表現は卓越していたと思う。
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二期会や藤原歌劇団のように、全員日本人または主要な役柄だけ外国人というキャストの組み方ではなく、外国人がキャストのほとんどを占めているのであるが、だがそこはやはり、若手演奏家にオペラに接する機会を与えることを目的とした小澤征爾音楽塾。必ず日本人だけのカバー・キャストが組まれているのである。この点が、昔小澤が日本でシリーズとして行っていたヘネシー・オペラと異なるところ。カバー・キャストとは、メイン・キャストが何らかの事情で出演できない際に代役を務めるということであろうが、できればカバー・キャストが実際に舞台に立つ公演もあれば、歌手たちのモチベーションは著しく上がると思うがいかがなものか。尚、そのカバーの歌手たちの紹介を見ていると、藤原所属、二期会所属、それ以外と、日本的な派閥とは全く異なる幅広い人選であり、やはり小澤という名前と彼の発想が、日本のしがらみを取り払っているのを感じる。

演出は、このシリーズではおなじみのデイヴィッド・ニース。それなりに気が利いていて、しかも過激すぎたり理屈っぽくならない安定した演出を行う人である。プログラムに寄せた文章では、この「カルメン」には (先の 2月 6日の記事にも書いた通り) フランス語のセリフを入れるか、音楽に乗せたレチタティーヴォにするかという版の選択の問題があるが、ニースと小澤は、迷うことなく、オリジナルのセリフ版 (オペラ・コミック版) を選んだという。ただ、フランス語を母国語としない歌手たちのために、フランス語による演技は極力少なくすべしという方針から、セリフはかなり切り詰めたとのこと。それはそれで一見識だったと思う。演出の細部には興味深いものが多々あり、例えば、冒頭の前奏曲のあとの「運命の動機」では、終結部でドン・ホセが銃殺される場面の前兆になっていて、円環構造を示していた。また、1幕でミカエラとホセが二重唱を歌う場面では、カルメンが煙草を吸いながらこっそりそれを見ているという設定で、その後カルメンの起こす騒動が、彼女がホセの気を惹くための自作自演ではなかったと思わせる作りとなっていた。終幕では闘牛士たちの入場に対して真っ赤なテープが門の上層階から投げ入れられるが、その長いテープが地面で渦を巻いているところに、その後ホセに刺されたカルメンが横たわり、祝福のテープが一瞬にして鮮血に変わってしまうのである。なかなかに奇抜な演出で、面白かった。終演後はもちろんスタンディング・オベーション。すべての音楽ファンが慕い、その音楽を熱望する小澤の、その健在ぶりが本当に嬉しいのだ。これは京都公演のカーテンコール。
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このような元気な姿を見ると、今年のセイジ・オザワ松本フェスティバルが楽しみになるのであるが、先般発表された今年のスケジュールを見ると、若干複雑な思いにとらわれる。一昨年・昨年と小澤が指揮する予定であり、結局果たせなかったブラームスの 4番は、今年は予定されていない。8月25・27日にベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第 3番、そして、9月 8・10日に内田光子の伴奏でベートーヴェンのピアノ協奏曲第 3番。小澤の登場はそれだけだ (その他では、今年もファビオ・ルイージが登場して、大作、マーラー 9番を振るのが注目だ)。うーん。例えば、ブラームス 4番 1曲だけのプログラムとし、途中に休憩が入ってもいいから、全曲やってもらえないものだろうか。今回のような元気な指揮姿を見ると、そのように思わざるを得ないのである。元気といえば、今回のプログラムに文章を寄せているドナルド・キーンを、会場で見かけた。既に 94歳ながら、しっかり歩いていた。小澤さんもまだまだ頑張って欲しいのである!!
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# by yokohama7474 | 2017-03-26 23:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)