茨城県桜川市 妙法寺 (舜義上人即身仏)、小山寺 (富山観音)、月山寺、雨引観音

これから私がご紹介するのは、茨城県桜川市にある古寺の数々である。桜川市をご存じであろうか。実のところ、私もその存在を知らなかった。つい先月、この地を実際に訪れるまでは。だが、行ってみて判ったことには、なんとも古い歴史と貴重な文化遺産を持つ土地であり、高速道路も近くを通っていて (常磐自動車道と北関東自動車道)、車で訪れるには大変便利。位置は以下の地図の赤丸の場所だが、水戸の西側、北は栃木県と接しており、南の方は筑波山である。
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もともと私がこの地域に興味を持ったのはほかでもない、今年の 7月に山形県で 6体の即身成仏を拝観したことがきっかけである。その旅行記はこのブログの過去の記事をご参照頂きたいが、同地訪問に際し、久しぶりに日本のミイラの本を書棚から引っ張り出してきて読んでいたところ、なんと、関東地方にも即身仏があるという。しかも江戸時代初期の古いもので、所在地は「茨城県西茨城郡岩瀬町」とあった。調べてみて、その場所は 2005年に 3町村が合併して、現在では桜川市という地名になっていることが分かった。茨城県といえば、ちょうど水戸室内管弦楽団の演奏会に出掛ける予定がある。そのついでにちょっと寄ってみるか・・・と思い立ったもの。私が地方に出掛ける時の歴史探訪には、山川出版の県別の歴史散歩という本が欠かせないが、今回も「茨城県の歴史散歩」を片手に、即身成仏のある妙法寺を含めて 4ヶ所の古寺を周ることとした。この日は金曜日と平日であるのに加え、あいにくの雨であり、私が家人とともに訪れた場所はいずれも閑散として人影のない状態ではあったが、それだけに心に残る、深い情緒を感じることができる小旅行となった。

まず最初が、その即身仏、舜義上人のおわします、妙法寺だ。寺でありながらこのように狛犬もいて、昔ながらの神仏習合を感じさせるが、宗派は天台宗である。
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事前に電話で拝観をお願いしてあり、お堂を開けて頂いて内部を拝観した。即身仏は本堂に入って向かって右手の回廊に安置されており、ガラス入りの厨子に入って、きれいな衣を身に着けておられる。ちょうど山形で拝観した即身成仏では、6年か 12年に一度、衣を換えているとのことだったので、こちらもそうかと思ってお訊きしてみると、そのような習慣はなく、現在の衣は昭和 30年代のものという。つまりこの寺の即身仏は、真言宗の湯殿山系のものとは全く違った経緯によって伝えられ、守られてきたということだ。この舜義上人のお姿は、その場で写真撮影ができないので、古い書物 (松本昭著「日本のミイラ仏」) から引用させて頂く。これは恐らく学術調査のときに撮影されたものであろう。
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このように、前かがみとなって口をカッと開けておられるので、正直なところ、少し怖いようにも見えるが (上記の書物では「まさに死の形相そのもの」と表現されている)、伝わっている上人のお人柄や、即身成仏となった経緯などを知ると、執念をもってこのようなお姿で現世に留まった上人の尊い志を理解することができる。但し、舜義上人に関する資料は非常に限られているらしく、手元にある数冊の本の中にも多少の異同があるが、ここでは上記の写真を借用した「日本のミイラ仏」に基づいて説明しよう。その本によると、この妙法寺に伝わる一巻の書が記しているところでは、上人は相模国三浦郡の出身で、同地の城主である三浦氏の一族として 1608年に生まれた。出家して鎌倉の名刹である宝戒寺の住職となり、時の天皇 (後西院天皇) から大僧都の宣下を賜る。69歳のときに弟子が住職をしていたこの妙法寺に隠居し、1686年に 78歳で没した。遺体は七日間の法要の後、石造阿弥陀仏の胎内に納めたという。それから時を経た 84年後の 1773年、当時の住職の夢枕に立った舜義上人が、「再びこの世に出て衆生を救済しよう」と告げたため、人々は石仏を開けて、ミイラ化した上人を取り出したのだという。お寺でもそのような話を聞いて、その石造阿弥陀仏なるものが今に至るも現存していることを知った。上に掲げた最初の門から本堂に至る途中にもうひとつの門があるが、その脇に、知らなければ素通りしてしまいそうな阿弥陀の石仏がある。
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実はこの石仏こそが、その中で舜義上人が即身成仏と化した石棺なのである。よく見ると阿弥陀仏の胸のところには上人の名前が刻まれており、その横には、そこが上人入定の場であることを示す石碑が立っている。
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見たところ、とても人ひとり入るスペースはないと思われるが、「日本のミイラ仏」に医師の所見として書いてあるところによると、このような狭い中に押し込められた際に、上人の首の骨が折れてしまい、上記のような前かがみで口を開いた姿勢になってしまったものだという。うーん。同書に掲載されている石棺阿弥陀仏の胎内の写真を見ると、やはりいかにも狭い。
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それにしても、江戸時代の初期に、自らのからだを未来に残して衆生を救済しようとしたこの舜義上人の決意たるや、凄まじいものがある。現存する日本のミイラとしては、その位置づけが特殊な奥州藤原氏のものを除けば、4つ目に古いものである (ちなみにそのうちの 1体は、既に見た山形の本明寺に残る本明海上人のもので、それ以外は、新潟と福島に存在する)。だが、ここで改めて注意したいのは、この舜義上人の即身仏は、関東に現存する唯一のものなのである。東北の寒冷地域ではなく、普通なら遺体が腐ってしまうような場所で、あえて地上で、この石仏の中でその身体を保持しようとした舜義上人、一体どのような破天荒な人であったのか。お寺の説明では、本当に民のことを考える人格者であり、その遺体は「きれいに残っている」とのこと。この言葉に私は感動した。このような後世の人たちの篤い信仰があってこそ、300年以上の長きに亘って人々を勇気づけているのだと思う。だがそれにしても、山形の湯殿山系のものとは全く異なるこの即身成仏、そのルーツはどこにあるのだろうか。これからも私は、日本に現存する即身成仏を訪ねる旅を続けたいと思う。それは、日本人の重要な一面を知る旅になることだろう。

その妙法寺を辞して私が向かったのは、富谷 (とみや) 観音の異名で知られる小山寺 (おやまじ)。その開基は実に、奈良時代の行基にまで遡るとされているらしい、大変な古刹である。ここでの見どころはなんと言っても、重要文化財に指定されている三重塔。1465年、室町時代の造立というから、関東でも指折りの古い建築であろう。訪れる人はおろか、寺の人の姿すら見当たらない境内で雨に煙るその姿は、実に神々しいものであった。
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次に向かったお寺は、その名も月山寺 (がっさんじ)。この近くには駅名になっている羽黒という地名もあり、いやでも出羽三山を思い起こさせるのであるが、その関係は充分に辿ることができなかった。今後の歴史探訪の課題にしたいものである。この月山寺は、このような整備された境内を持つ立派なお寺であることに驚かされる。
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この寺には様々な文化財が伝来しており、境内にある美術館で対面することができる。
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この美術館で私の目を大いに引いたのは、この仏像群だ。
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この、極めて素朴でありながら一種異様なまでの迫力を漲らせた仏像は、五大力菩薩像。桜川市内の吉祥院という寺に伝来したもので、その制作は胎内の墨書から、平安時代末期、1178年頃にまで遡るというから恐れ入る。五大力菩薩の彫像は全国的にも例が少なく、平安時代のものが揃って残っているのはここだけだという。その性質には鎮護国家の色合いが強く、平将門伝説に彩られた筑波のこの土地において、既に当時 200年以上前に成敗された朝敵将門の怨念を調伏するための造像である可能性があるようだ。いやしかし、それにしてもこんなに古くてかつ素朴な仏像は、ほかにちょっと例がないのではないか。つまり、平安時代の仏像として現存するものは、奈良・京都という上代の日本の中心地に存在するものがほとんどであり、まさかこんな関東の奥地でそれほど古い仏像が残っていようとは、幼時からの仏像マニアの私も知りませんでしたよ。倒れないように紐で留めてあるのが痛々しいが、900年以上を経て現代に伝えられた仏たちの強い生命力に打たれるのである。田舎作りではあるが、その彫り跡は鋭い。
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次に向かった先は、雨引 (あまびき) 観音。ここも創建は奈良時代と伝わる、大変な古刹なのである。聖武天皇と光明皇后が安産祈願したという話は本当かどうか知る由もないが、現在でも安産・子育てに霊験あらたかな寺として知られているらしい。
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境内に至る石段を登って行くと、なんと驚くべきことに、このような看板に出くわすことになる。えぇーっ、孔雀を境内に放し飼い???
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にわかには信じがたい思いで境内に到達し、数々の県指定文化財の建造物を見る。本堂は明暦年間、17世紀半ばのもので、鮮やかな透かし彫りが見事。もう少し時を経れば、国指定の重要文化財になることは間違いないだろう。多宝塔も実に堂々たるものだが、こちらは 200年ほど後の、19世紀半ばのもの。
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そうして私は目撃した。なんということ、確かに孔雀が数羽、本堂の軒下近辺にたむろっているのである!! こんな光景を見ることは滅多にないのではなかろうか。
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と思っていると、実はこの寺には孔雀だけではなく、鶏やアヒルや鴨など、様々な鳥類が境内で自由を享受しているのである。特に一羽の鶏は、堂の入り口に張られたテントの上にじっと鎮座して、あたかもあたりを睥睨しているかのようだ (笑)。
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本堂の中では時あたかも、奥さんが妊娠しているとおぼしい若者夫婦が祈祷を受けていた。このような関東の奥地で、未だ篤い信仰を集める古寺が存在することを知って、感動を禁じえようか。日本の古寺の情緒を知るには、何も奈良や京都だけではない。実は関東地方にも、汲めどもつきぬ歴史の蓄積が存在しているのである。また、今回ご紹介できなかった古寺が、この地域にほかにもいくつも存在するのである。もっとも私はこの後、水戸でコンサートを聴くまでの間、今度は海沿いまで足を延ばして、大洗水族館を楽しんだ。これは家人との交渉の産物であったのだが (今年の 7月以来我が家ではおなじみの、即身仏 vs 水族館)、まあ確かにこのようにのんびり泳ぐマンボウを見ていると、心がゆったりしましたわい。茨城県、恐るべし。
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# by yokohama7474 | 2017-11-07 01:10 | 美術・旅行 | Comments(0)

アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団 (ヴァイオリン : ギル・シャハム) 2017年11月 5日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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米国屈指の名門オケであるボストン交響楽団が、現在の音楽監督であるラトヴィア出身のアンドリス・ネルソンスとのコンビで初めて来日を果たした。実は、東京の11月から 12月上旬にかけての音楽界はもう大変なことになっていて、この後陸続と名門オケと名指揮者の襲来を受けるのであるが (その一方、迎え撃つ日本のオケにも意欲的な取り組みが多々あって、聴く方はもう目を白黒だ)、これはその一連の名門オケ日本襲来の嚆矢とも言えようか。チラシには、「音楽監督との日本公演は1999年小澤征爾氏との来日以来 18年ぶり!」とあるが、そうか、なるほど。前回のボストン響の来日は、小澤の指揮のもと、あの素晴らしい R・シュトラウス (「ドン・ファン」と「死と変容」) にバルトーク (管弦楽のための協奏曲) が演奏され、東京国際フォーラムでの子供の日特別コンサートが開かれた、あのときなのである。「音楽監督との」日本公演とわざわざ明記してあるのは、2014年にも来日しているからで、この時はロリン・マゼールの指揮と発表されたが、指揮者はシャルル・デュトワに変更になり、マゼールはその後没してしまったのであった。

このボストン響、もちろん日本のファンにとっては、30年近くの長きに亘りこのオケの音楽監督を務めた小澤とのコンビで大変に親しいオケなのであるが、それ以前にもシャルル・ミュンシュという巨匠が率いたり、もっと前はセルゲイ・クーセヴィツキーが黄金時代を築いている。また、ご当地出身のレナード・バーンスタインとも、そのキャリアを通して常に近い関係にあった。その輝かしい楽団の歴史を反映して、実際にその音色の美しさは天下一品であり、私もちょうど 2年前にニューヨークで聴くことができたネルソンスとのコンビでの演奏会を、興奮して記事に書いたことがある。
この記事に書いてあることだが、私がこのネルソンスの実演に初めて接したのは、2009年、ロンドンの夏の音楽祭であるプロムスでのことで、当時の手兵であるバーミンガム市交響楽団との演奏会においてであった。その時の「火の鳥」が実に瞠目すべき超名演であったので、当時弱冠 30歳というこの若手指揮者の将来を大いに嘱望することとなったのだが、その後の彼の躍進ぶりにはまさに目を見張るものがあり、なるほど彼ほどの才能ならと、大いにうなずかれるのである。因みにそのときのプログラムはこちらの通り、大変渋い内容である。隣の英国人のお婆さんから、「スティーヴン・ハフが楽しみねぇ。あなた彼のことを知っている?」としつこく訊かれて、閉口しながら「はい、名前だけは」と答えたのを覚えている (笑)。ハフはその時ソリストを務めた英国のピアニストであって、このような言葉からも、現地の人々にとっても、必ずしもネルソンスお目当てのコンサートではなかったことが想像される。
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ネルソンスはその翌年、2010年にウィーン・フィルとともに初来日し、「新世界」をメインとする 1プログラムだけ指揮をしている。ただそのときは、当初小澤征爾と発表された指揮者がその後エサ=ペッカ・サロネンとこのネルソンスの二人に変更になり、その後さらにサロネンの降板によって、彼の指揮する予定であったプログラムは、フランツ・ウェルザー=メストと、なんと驚きのジョルジュ・プレートルに変更になったという騒動であったが、その時私はウェルザー=メストとプレートルの演奏会に出掛け、ネルソンスは聴けなかった。そのまた翌年、2011年にネルソンスは、東京・春・音楽祭でワーグナーの「ローエングリン」の演奏会形式上演を指揮する予定であったが、東日本大震災のために公演そのものが流れてしまった。そんなわけで、今回の彼のボストンとの来日は、ようやく日本で腰を据えてこの指揮者の真価を問うことのできる、貴重な機会なのである。今回彼はこのように髭を生やし、30代にしてはかなり恰幅のよい体格で登場した。
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今回の日本公演は、既に名古屋と大阪では終了しており、今回の川崎のあと、今週サントリーホールで 3回。日本での演奏会は合計 6公演である。ちょっと冒険的な曲目もあって、しかもチケット代は例によってかなり高く設定されているため (私は安いチケット確保に成功したが)、正直なところ、集客には少々心配があった。実際今回の川崎公演は、先のシャイーとルツェルン祝祭管の閑古鳥状態よりはましとはいえ、やはり残念ながら空席の目立つ結果となった。このコンビの初来日ゆえ、致し方ないのであろうか。ところで今回の演奏会で配布されているプログラムには、このような小澤征爾からのメッセージと、ネルソンスと小澤がボストン・レッドソックスの帽子をかぶった写真 (ネルソンスには髭はなく、最近の写真ではあっても、最新のものではない。近年小澤はボストンを訪問したのであろうか) が掲載されていて興味深い。因みに小澤のメッセージにある BSO とは、Boston Symphony Orchestra のこと。
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さて、この日の川崎公演の曲目は以下の通り。
 チャイコフスキー : ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35 (ヴァイオリン : ギル・シャハム)
 マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」

なるほどこれは名曲プログラムで、誰もが楽しめそうである。ここでヴァイオリンを弾いたギル・シャハムは、1971年生まれのイスラエルのヴァイオリニスト。いわゆるユダヤ系のつややかな音のヴァイオリニストの系譜につながる人であり、若い若いと思っていたが、既に 46歳。
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私はこのブログで過去に、このチャイコフスキーのコンチェルトを、シベリウスのそれとともに、ある意味のポピュラー名曲として、バルトークやプロコフィエフのコンチェルトよりも軽んじているかのような表現をしてしまったかもしれないが、実際のところは、やはり大好きな曲なのである。但しそれは、本当によい演奏に巡り合ったときにしか実感できないのだ。そして今回の演奏、本当にこの名曲の名曲たるゆえんをじっくりと楽しむことができて、なんとも気持ちがよかった。オケによる序奏の部分から実に細やかな神経で扱われた分離のよい音が聴かれ、ヴァイオリンのソロが入る部分で手が空いたネルソンスが、指揮棒で譜面を叩く仕草によってオケを称えていたのも、さもありなんという感じ。そしてシャハムのヴァイオリンは、この人らしく美麗でいて、しかももたれることのない、芯のしっかりしたもの。実に聴き惚れるしかない素晴らしさである。通常ヴァイオリン奏者は舞台の前面に出て客席に向かって弾くことが多いが、この人の場合、むしろ指揮者よりも前に出るばかりの姿勢を取り、オケに体を入れ込むようにして、時に笑顔でアイコンタクトを送るなど、まさにオケと一体として音の流れを作り出していた。ネルソンスの指揮も、ヴァイオリンに寄り添いながらも、第 1楽章や第 3楽章の盛り上がりではオケの力を解放することを忘れるはずもない。全体を通して、テンポは多少遅めでありながら、音楽のドラマ性や推進力は充分という、素晴らしい演奏であった。アンコールとしてシャハムが弾いたのは、バッハの無伴奏パルティータ 3番の「ガヴォット」。テンポのきっちりした折り目正しい、それでいて曲の楽しさを純粋に感じさせてくれる演奏であった。

さて、後半はマーラーの「巨人」である。このネルソンス、同郷の大先輩であり師でもあるマリス・ヤンソンスと共通する音楽性を持っていると、いつも思う。それは、譜面を見ながらきっちり指揮棒を使って指揮をするからということだけでなく、非常に明快な音で、どんな曲でも分かりやすくその持ち味を引き出す力に長けている、と表現すればよいだろうか。もちろん芸術家である以上は独自の個性が必ずあって、師とあれこれ比較されることは本人は嫌かもしれないし、今後はまた表現が変わって来ることもあるだろうが、今回の「巨人」などを聴いていると、やはりヤンソンスを連想させる部分があちこちにあったと思う。ちょっと両者のポーズを比べてみましょうか。似ているでしょう ? まぁ、指揮者なら誰でもこのようなポーズを取ることはある、という説もありますがね (笑)。
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これは撮影角度が左右逆だが、やはり同じようなポーズである。
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ともあれ、前半の協奏曲と同じく「巨人」においても、ネルソンスのテンポは比較的遅めで、情緒的な粘りも見られる点はヤンソンスよりもむしろロマンティックな面もあるかもしれないが、まさに上のような動作で力を解き放つ箇所などは、本当に師のよいところを継承していると思う。やはり彼も、万人に愛される音楽を奏でる人であり、それゆえの近年の大躍進なのであろう。もちろん、ただ自然に盛り上げているだけではなく、例えば第 3楽章などで聴かれた自在な緩急の差 (ユダヤ音楽が乱入するような箇所のテンポの上げ方はバーンスタインばりだ) には周到な計算があると思うし、終楽章の長い長い盛り上がりにおいて、本当のパワー全開は最後の最後まで控えていた点も、当然計算によるものであったろう。ただ、課題が全くなかったわけではない。第 3楽章の中間部をホルンが導く際に、ごくわずかなミスが出て、それが次のオーボエに連鎖してしまい、そこから少し、音楽全体の密度が低くなってしまったと聴いた。また、第 1楽章も、彼らならもっともっと音楽的情景の推移を面白く聴かせてくれてもよいかなとも思ったものだ。もちろん、そのような些細な不満は、終楽章大詰めの、予測通りにホルン 8本が起立して大音響を鳴らすあたりではすべて吹っ飛んでしまい、客席は大熱狂であった。楽員を起立させ、笑顔のネルソンスは何度もステージに登場、ついに指揮台に登り、"Dear ladies and gentlemen!!" と大きな声で客席に語り出した。ホールに賛辞を述べたあと、英語で「残念ながら日本語は喋れません。いや、実は英語もあまり上手ではないんです (と、いたずらっぽく楽員の方を見て)。だから音楽を演奏します。ベートーヴェンの『エグモント』序曲です」と述べて、その「エグモント」序曲が演奏された。弦楽は、マーラーを演奏したそのままの編成で。この日のコントラバスは 9本で、チェロは 11本 (普通チェロは偶数だと思うが、珍しいパターンだ)。この曲は呼吸が非常に大事であるが、ネルソンスとボストンはまさに模範的な演奏を成し遂げ、現在彼らが築きつつある蜜月関係を改めて実感させることになった。

首都圏での名刺代わりの演奏会は、このような成功であったが、サントリーホールでの公演も楽しみなことである。上記のメッセージでは、皆の大好きな小澤さんも、なにやら会場に現れそうな気配もあるし (いや、もちろん確証は全くありません)、未だチケットを購入されていないクラシック・ファンの方は、できることなら、どれかひとつは聴いてみてはいかがでしょうか。

# by yokohama7474 | 2017-11-06 12:25 | 音楽 (Live) | Comments(0)

猿の惑星 聖戦記 (グレート・ウォー) (マット・リーヴス監督 / 原題 : War for the Planet of Apes)

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前回の記事で少し触れた通り、しばらく旅行に行っていた。10/27 (金) に出発して11/4 (土) に帰国した私は、自分が不在の間の日本で、台風 22号が通過し、日本シリーズが進み、気分が悪くなるような猟奇連続殺人が発覚し、イヴァンカ米国大統領補佐官が滞在して既に帰国したことを知っている。一方で、その間にこのブログの総訪問者数が 15万人を超えたことは、ネットの大海の中の一滴の水のような微細なことであれ、私にとっては大きな出来事であった。だが、残念なことには、見ようと思ってリストアップしていた映画のうち数本は既に上映が終了しており、美術の分野では、出光美術館の江戸琳派展と、サントリー美術館の狩野元信展に行くことができなかった。ま、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。音楽の分野ではこれから重要なコンサートが目白押しで非常に忙しくなるし、ここは自分に鞭打ち、未だアップできていない多くの記事と、これから体験する文化的イヴェントの記事とを、並行的に書き進めて行くこととしたい。

そんなわけで、帰国後最初に見た映画がこれである。つい最近公開されたばかりと思っていたが、実際、10/13 (金) の公開からわずか 3週間で、自宅近くのシネコンでは既に 1日 1回の上映のみという事態に陥っている。昔のシリーズは 1作目しか知らないが、今世紀に入ってからの「猿の惑星」シリーズ 3本すべてを見てきている身としては、やはりこの作品はどうしても見なくてはならない。ところで、上に今世紀に入ってから制作された「猿の惑星」シリーズを 3本と書いたが、実はその中で最初のもの (ティム・バートン監督の 2001年の作品) は孤立していて、その次の作品から今回までの 3本のみがシリーズを構成している。つまり、「猿の惑星 創世記 (ジェネシス)」、「猿の惑星 新世紀 (ライジング)」と、この「猿の惑星 聖戦記 (グレート・ウォー)」の 3本である。このシリーズでは人の言葉を喋る猿のリーダー、シーザーが主人公であり、猿と人との壮絶な闘いが描かれてきたわけである。これがそのシーザー。
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この映画を見て誰もが、このシーザーの表情のリアルなことに驚くだろう。作品中で実際に、敵である大佐がそのような言葉を口にするし、そもそも冒頭近く、猿のアジトで姿を現す彼を見るだけで、その堂々たるリーダーぶりは明らかだ。もちろん猿のことであるから、リーダーであることを示す勲章や冠はつけておらず、ただその雰囲気だけで観客に分からしめる必要があり、その点実にうまくできている。予告編でも見られたシーンだが、彼が登場したときに、捕虜として対面する人間の射手 (のちのちストーリーに大きく関係することになる) が、「あなたがシーザーですね。探していましたよ」と口にするのも印象的だ。この部分の和訳は、「お前がシーザーだな。探していたぜ」とすることも可能であろうが、その場で囚われの射手がシーザーの存在に圧倒されていることから、やはりこのような敬語を入れた訳がふさわしい。この作品の成功にはいろいろ理由があると思うが、ひとつにはこのシーザーの「演技」であると言えるだろう。3作を通じてこの役を演じているのは、アンディ・サーキスという英国の俳優。こんな風に、実際に人間が演技をした画像を CG で猿に変えて行くようだ。
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この俳優、なじみがないので調べてみると、様々な作品に出演しているが、代表作はなんと、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのゴラムであるそうだ。おー、マイ・プレシャス!!
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そんな堂々たるシーザーはここで、実に厳しい状況に置かれて、悲しんだり怒ったりする。その人間的なこと!! あ、まずい。ここで猿は人間と闘っているのであった。猿のことを人間的と表現するなんて、不適ではないか。いやいや、それがそんなことはないのである。人と猿と、一体どちらが野蛮であるのか。また、人は人で、猿は猿で、一致団結した行動を取っているだろうか。そのあたりを考え始めると、この作品のメッセージの奥深さに気づくのである。もしこれを荒唐無稽な作品であると整理している人がいれば、それは誤解であるとはっきり申し上げよう。これは、人間という存在の愚かさを仮借なく描き出した作品である。別に、ここで猿が強制労働で作らされている壁から、現在来日中の米国大統領の公約を連想する必要はあるまい。また、猿の存在を、かつて白人たちに虐げられたアジアやアフリカの人たちになぞらえる必要もないだろう。ただ、猿たちの行動や発想に、「人間的」に価値のあるもの、つまりは愛情や団結や勇気といったものを見出し、それと対照的に、人間たちは内輪もめを含む戦争ばかりしているという、この逆説の意味をよく考えてみたい。そしてさらに、そうは言っても猿の中にも卑劣な奴らがいることや、人間の側にも複雑なロジックがあるのだということに思い至ろう。これは現実に存在する、大きな矛盾を抱えた人間社会の善悪そのものではないか。だから私は、最初から最後までこの映画を、「痛み」をもって見ることとなった。そうだ、これはこの上なく痛ましい映画である。ただ、邦題の「聖戦」という言葉は、ちょっとどうだろうか。これではイスラムのいわゆるジハードを連想させて、ちょっと不適ではないだろうか。実際、前作では猿と人の激しいバトルが展開したと記憶するが、今回は戦闘シーンは多くないのである。いやむしろ、人間同士の殺し合いがメインと言ってもよいのである。原題の "War for the Planet of Apes" とはむしろ、人間の性としてやめることのできない「戦争」を指しているのではないだろうか。つまり、それだけ痛ましい映画であるということである。ソウセイキ、シンセイキと来て、語呂を踏んでセイセンキという苦肉の策であることは分かるものの、語呂優先で、映画の本質から外れるのはいかがなものか。

それから、この映画の面白いところは、疫病が蔓延して人類が滅びつつあるという設定だ。このことは、冒頭で字幕によって説明されるので、ネタバレではないと整理しましょう (笑)。ゾンビ物も通常、疫病が蔓延するという設定になっているが、この映画での疫病 (猿インフルと命名されている) によって起こる症状は、ゾンビ物ほど過激なものではない。だが、この地球が人間から猿の手に渡ってしまうということは、人間に何かが起こってしまうということだ。決して猿が暴力で人間たちを根絶やしにするという想定ではないのである。このような少女が出て来るが、彼女の名は「ノヴァ」。つまり、新しいということである。何がどう新しいのか、映画を見れば分かるのだが、なかなかよいネーミングである。もっとも、この名前の女性キャラクターは、オリジナルの「猿の惑星」シリーズにも登場していたらしい。
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また、映画の中に出て来る壁の落書きで、"Ape-pocalypse Now" という言葉があるが、これはもちろん、"Apocalypse Now"、つまり「地獄の黙示録」のパロディである。実際、この映画でシーザーの敵である人間たちを率いるのは、「大佐」と呼ばれるこのスキンヘッドの男である (演じるのはウディ・ハレルソン)。最後の方では明らかに「地獄の黙示録」を連想させるシーンもあり、もしかするとこの役名の「大佐」自体も、同作においてマーロン・ブランドが演じたカーツ大佐に因むあだ名のようなものなのかもしれない。役柄の性格にも近いものがある。
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それから、音楽がなんともストレートで、例えば緊張感のある場面では、ティンパニの緩やかな連打であったり、弦のトレモロであったり、いかにもそれらしい。そして大詰めの感動シーンでは合唱が入るなどして、ちょっと気恥しいような気もする (笑) が、まあ古典的な映画音楽という印象である。音楽担当は、J.J.エイブラムスと長年の協力関係にあるというマイケル・ジアッキーノ。そして本作の監督、マット・リーヴスは、前作に続いての登板だが、やはり J.J.エイブラムス制作の「クローバーフィールド / HAKAISHA」の監督なども務めている。

楽しい映画もいいものだが、このように考えさせられる映画も、やはり見ておきたいものである。シリーズの過去の作品を見ていなくても、舞台設定のイメージさえあれば、ストーリーを充分に理解できる点も、昨今では貴重であると思う。

# by yokohama7474 | 2017-11-06 01:42 | 映画 | Comments(0)

モーツァルト : 歌劇「ルーチョ・シッラ」K.135 (アントネッロ・マナコルダ指揮 / トビアス・クラッツァー演出) 2017年10月31日 ブリュッセル 王立モネ劇場

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唐突かもしれないが、私は現在旅行中であります。主な訪問地はベルギーなのであるが、一週間ほどの滞在期間中、音楽イヴェントはこのオペラのみ。演目は、1772年、モーツァルト 16歳のときに現在のミラノ・スカラ座の前身の歌劇場で初演されたオペラ、「ルーチョ・シッラ」である。ローマ時代の実在の人物をモデルにしたオペラ・セリア (深刻な内容のオペラ)。日本ではそれほど演奏される機会には恵まれず、私も今回が初めての実演経験だ。内容的にはほとんどバロックオペラなのであるが、よく聴くと、遥か後年の (と言ってもたかだか 20年足らずだが)「魔笛」などを思わせる豊かなフレーズも時に現れ、いかにスタイルとしては当時の慣習に従った創作とはいえ、天才作曲家の若き日 (と言っても人生の中間近くだが) の道程において独自の価値を持つ作品と言えると思う。

まずここでオペラハウスの紹介をしよう。私が現在滞在しているベルギーの首都ブリュッセルにある、王立モネ劇場が今回の会場である。私が当日撮影したモネ劇場の写真は以下の通り。モダンさと伝統的なオペラハウスのいで立ちの双方を備えた、なかなか興味深い場所である。
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ブリュッセルの街自体は追って別の記事でご紹介するが、私としてはこれが 4回目の訪問。過去 3回はいずれも、2002年から 2008年までこの歌劇場の音楽監督を務めた大野和士の指揮を聴くためであった。うち 2回は演奏会、残る 1回はオペラで、確か彼の任期の最後に上演されたヴェルディの「運命の力」であった。比較的こじんまりした劇場に見えるが、ヨーロッパでも、ウィーンやミラノといった超メジャーどころや、座席キツキツの英国ロイヤル・オペラなどを除けば、このサイズ (1152席) は標準的なものであろう。もちろんこのオペラハウスは、若干渋い存在であることは否めないが、実際にはヨーロッパでもかなりの名門であることは確か。今回は、このような劇場で日常的に行われている公演に触れる絶好のチャンスである。私がこの「ルーチョ・シッラ」を鑑賞したのは 10月31日 (火)。日本では最近ハロウィンは何やら異常な盛り上がりを見せているが、ここブリュッセルでは、街中の装飾も控えめなら、夜間にすれ違った人たちの仮装はほんの数組だけで、全然ハロウィンの盛り上がりはない。

私は今回この上演に接するにあたり、1989年のニコラウス・アーノンクール指揮のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの CD で予習をしていったのだが、旅行前には目の回るような忙しさであったこともあり、あまりじっくり作品に親しむことができなかった。それから、こんなことで作品批判をしても始まらないが (笑)、登場人物たちの名前がややこしい。シッラにジューニア (子供ではない) に、チェチーリオにチェーリア、そしてチンナといった具合。そして、バロックオペラにはよくあることに、男性役を女性歌手が歌うことがあって、対訳を見たり見なかったりして音楽だけ聴いていると、誰が男で誰が女で、彼らがどのような関係であるのか、なかなかイメージがつかめないのである。因みにこの CD、ペーター・シュライヤー、エディタ・グルベローヴァ、チェチーリア・バルトリ、ドーン・アップショーといった名歌手たちの共演なのであるが、上記のようなわけで、大変中途半端な状態での鑑賞となったわけである。ご興味おありの方のために、その CD のジャケットを掲載しておこう。但しこの CD、多少カットがあって、本来 6人いる登場人物のうち 5人しか出てこない。
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そして当日、休憩を含んだ上演時間が 3時間45分に及んだこのオペラがどんなものであったかというと、実に驚くべきことに、私は全編を全く退屈することなく見て、そして大変面白いと思ったのであった。この上演で特筆すべきは、まずその演出である。一言でまとめるなら、それはもうなんとも大胆な読み替え演出で、東京 (あるいはニューヨーク) で上演すれば、相当なブーイングが出ようかという過激なもの。バロックから古典派への移行期のオペラ・セリアというイメージとは全く異なり、現代的な舞台で、かつ、歌手たちに大変忙しい演技を強いる内容である。古代ローマの実力者は背広姿でモダンな住居に住まっており、そこには狼のような大型の猟犬が闊歩している。その妹は日本でいう JK スタイルの引きこもりで、その友人は、生きているのか死んでいるのか分からない白塗りの大男である。2階が居住空間になっている建物といい、舞台上で進行する演技を含めた映像が随所で使用されていることといい、2015年に私がバイロイトで見た「ニーベルングの指環」の「ラインの黄金」におけるフランク・カストルフの演出を彷彿とさせる。映画の記事と違って、ここでネタバレを避けてもあまり意味はないと思いつつ、何か舞台の説明を逐一する気にならない。だがこれだけは言っておこう。ここで私が見たのは、オペラ・セリアとホラー映画の強烈な結合である (笑)。見て行くうち、「なるほど、そうだったのか!! 考えたな!!!」と膝を叩く場面に次々遭遇することで、ついついニンマリしたくなる、そんな演出であった。大団円には全くカタルシスはなく、誉め称えられるべき主人公シッラは、大変惨めな状態で全曲を終えるのである。ここでのメッセージには、現代の施政者に対する揶揄が見られるし、思えばそれは、冒頭、序曲をバックに慌ただしく流れる映像からも明らかであった。政治的なメッセージというよりも、人間社会への皮肉ととらえたい。ネットで取得できる舞台の映像をいくつか、以下にご紹介する。特に最後の 1枚は、この演出の根幹にかかわる重要なものなのである。と言っても分からないかと思うが、要するに吸血鬼です、吸血鬼。
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このような奇抜な演出を行ったのは、1980年生まれのトビアス・クラッツァー (Tobias Kratzer)。ネットで調べても日本語ではなかなか情報がなく、彼についての情報ほとんどがドイツ語のものであるが、ようやく見つかった英語の紹介 (エストニア国立歌劇場 !! のサイト) によると、2008年からオペラ演出を行っており、ミュンヘン、ライプツィヒ、グラーツ、ハイデルベルク、ブレーメン、カールスルーエ、ワイマール等、主としてドイツ語圏で活躍しているようだ。オペラ専門誌 Opernwelt (私も以前何度か買ったことがある) において、2011年と 2014年に "Opera Director of the Year” にノミネートされており、2019年にはバイロイトで「タンホイザー」を演出するとのこと。まさに今後注目の演出家であるが、このような容貌も、昔ながらのオペラ演出家とは一線を画している。
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歌手陣は、私の知らない人たちばかりであったが、プロンプターも存在しない舞台での堂々のアンサンブルであり、大変高いレヴェルの歌唱であった。以下、名前を記しておこう。ソプラノとテノールしか出てこないのである。
 ルーチョ・シッラ : Jeremy Ovenden (テノール)
 ジューニア : Lenneke Ruiten (ソプラノ)
 チェチーリオ : Anna Bonitatibus (ソプラノ)
 チンナ : Simona Saturova (ソプラノ)
 チェーリア : Ilse Eerens (ソプラノ)
 アウフィーディオ : Carlo Allemano (テノール)
 
この中で私が最も感心したのは、父の敵であるルーチョ・シッラから言い寄られてもそれを跳ね付け、最後はチェチーリオと結ばれるジューニアを演じたレネケ・ルイテンである。調べてみると、彼女は実は、市販されている映像作品で既にこの役を歌っていて、そこで指揮を取っているのは、このブログでも何度か絶賛を捧げた天才、マルク・ミンコフスキなのである!! これは帰国したら是非見なくてはならない。今回の舞台ではまさに体当たりの演技と歌唱を見せたルイテンはこんな人。
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それから、指揮者のアントネッロ・マナコルダを忘れてはならない。この天才の若書きのスコアを、完全に古楽器のスタイルできびきびと演奏したのであるが、文字通りかぶりつき、1列目のど真ん中で聴いた私には、彼が指揮台でストゥールを使わず、全曲を立って指揮したことを、ある意味で当然だと思われた。というのも、指揮者はこの作品で終始動いていなければならないし、細かい音の動きまで完璧に頭に入っていることが明らかなこの指揮者としては、安穏と座ってなど指揮していられなかったろう。この指揮者、私は恥ずかしながら知らなかったのだが、なんと、クラウデイオ・アバドとともにマーラー室内管弦楽団を創設し、自らそこのコンサートマスターを 8年間務めた人であるという。録音でも、シューベルトの交響曲全集が絶賛されているようで、現在はメンデルスゾーンの全集を進めているらしい。
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このように、なじみのない曲、なじみのない演出家、なじみのない指揮者、なじみのない歌手陣であったにも関わらず、本当にこの上演を楽しんでしまった私は、改めてヨーロッパの音楽文化の奥深さを感じている。これこそヨーロッパでオペラを見る醍醐味と言ってもよいであろう。超メジャー劇場での上演だけでなく、このようなユニークな上演に触れることで、間違いなく人生は豊かになると思う。あ、それから、今回の舞台では、狼と見まがうような大型の狩猟犬が何度も登場して、大変重要な役を演じていた。カーテンコールでも舞台の袖にちょっと顔を出して、本人はあきらかに聴衆に挨拶したがっていたのに、無常にもトレーナーに止められてしまったようだ (笑)。こんなワンちゃんでした。今ここで、ブラヴォーを捧げましょう!!
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# by yokohama7474 | 2017-11-02 08:36 | 音楽 (Live) | Comments(0)

エディタ・グルベローヴァ オペラ名曲を歌う (ペーター・ヴァレントヴィッチ指揮 新日本フィル) 2017年10月26日 すみだトリフォニーホール

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現在のスロヴァキアに生まれた名ソプラノ、エディタ・グルベローヴァは、あと 2ヶ月で 71歳という年齢でありながら、その美声とコロラトゥーラの超絶技巧を駆使した歌唱によって、未だ現役を続ける稀有な存在である。日本ではとりわけ人気が高く、来日頻度もかなり高い。驚くべきことに、来年は彼女のデビュー 50周年ということだから、つまりデビューは 1968年。高音域を歌うソプラノとしては、信じがたいほど長いキャリアである。私ももちろん、これまで彼女の録音や、時には実演に触れてその美声には最大限の敬意を払うものであるが、最近実演で彼女の歌を聴いたのは、2011年のバイエルン国立歌劇場の引っ越し公演におけるドニゼッティの「ロベルト・デヴリュー」であるから、もう 6年前であり、正直なところ、未だに活動を続けるグルベローヴァの歌を聴くのが、少々怖かったという点は否めない。今回は、ハンガリー国立歌劇場の来日公演でベルカントの頂点である「ランメルモールのルチア」を歌うために来日しているが、それに先立ち、東京と札幌で、オーケストラをバックにしたアリア・リサイタルを行う。今回の東京での演奏では、その「ルチア」も指揮する予定のペーター。ヴァレントヴィッチという指揮者が新日本フィルを指揮して伴奏する。最近までグルベローヴァの出演するオペラやコンサートでは、夫君であるフリードリヒ・ハイダーが指揮を取ることが多かったが、最近ではこのヴァレントヴィッチが起用されることが多いという。ウィーン国立歌劇場で、ヤナーチェク作品の新演出の総責任者を務めているらしく、それは素晴らしい実績だ (彼もスロヴァキア人なのかと推測される) 。
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いきなり失礼な言い方かもしれないが、今日の演奏ではこの指揮者は、よく流れるが、ほとんどタメのない演奏をしていたような気がする。一方のグルベローヴァは、依然として抜群のそのテクニックでしきりとタメを作るので、そのコンビネーションがよいということなのかな、と解釈した。今回の曲目ははっきりしていて、前半がモーツァルト、後半がベルカントなのである。
 モーツァルト : 「後宮からの誘拐」序曲
        コンスタンツェのアリア「悲しみが私の宿命となった」
        「ドン・ジョヴァンニ」序曲
        ドンナ・アンナのアリア「ひどいですって? そんなことはおっしゃらないで」
        「フィガロの結婚」序曲
        「イドメネオ」からエレットラのアリア「オレステとアイアーチェの苦悩を」
 ベッリーニ : 「夢遊病の女」からアミーナのアリア「ああ、もし私があと一度でも~ああ、信じられないわ」
 ロッシーニ : 「セヴィリアの理髪師」序曲
 ドニゼッティ : 「アンナ・ボレーナ」からアンナのアリア「あなた方は泣いているの~あの場所に連れて行って~邪悪な夫婦よ」
 ロッシーニ : 「泥棒かささぎ」序曲
 ドニゼッティ : 「ロベルト・デヴリュー」より最後のシーン

今回のグルベローヴァの歌唱を聴いて、その変わらぬ美声と高い技術に感嘆したことは間違いない。ただその一方で、どうしても若い頃の圧倒的な歌声を思うと、特に弱音部で声を慎重にコントロールする箇所が気になってしまったことは否めない。以前からこのブログで書いている通り、音楽家に限らず芸術家には、そのキャリアの時々に美点や課題が存在しているのが常であり、何がよいとか悪いとかを、無責任な聴き手が一概に総括してしまうことはできない。今ではもっと若くて活きのいい歌手がいるから、グルベローヴァは聴かないと言ってしまったら、やはり人間の可能性の重要な部分を知らずに終わるかもしれないのである。そもそも、そのような若くて活きのいいソプラノ歌手がいるとして、その人が同じ曲目でホールを埋めることができるであろうか。そう思うと、大きなブラヴォーが何度も飛び、最後は客席総立ちのスタンディング・オヴェイションに至ったこの日のコンサート、やはり聴く甲斐があったと言うべきであろう。実際、後半のベルカント・オペラのアリアにおけるグルベローヴァの高音には破綻はなく、未だに圧倒的なものがあったわけであり、その伸びて行く声を体験した人は誰もみな、音楽の素晴らしさを理屈抜きに耳で実感したものであろう。
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聴きながらツラツラ思ったことがある。まず最初の「後宮からの誘拐」であるが、私が初めてこの曲に触れたのは、1987年。ショルティとウィーン・フィルの録音で、そこでコンスタンツェを歌っていたのがこのグルベローヴァであった。もともとグルベローヴァはカール・ベームによって夜の女王や「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタに起用されてその地歩を築いた人であるが、その後私の脳裏にビビビと来たことには、そのベームが最後の来日を果たした直後、1981年の夏に死去した際、ウィーン・フィルによる彼の追悼コンサートで、まさにショルティが指揮する「後宮からの誘拐」のアリアを歌っていたのは、このグルベローヴァではなかったか。大昔、ベータのヴィデオテープの録画でその演奏会を見た記憶があり、また、どこかのインタビューで、ショルティが、この曲におけるグルベローヴァの歌唱に天才を感じたという内容を語っていたはず。何分古い記憶を急に思い出して、ちゃんと確認も取れていないのだが、人はやはりそのような経験の積み重ねによって感性をはぐくむものなのだと思う。ベームが 1976年に指揮した「ナクソス島のアリアドネ」のライヴ盤がこれだ。驚異のツェルビネッタは、ジャケットの右下で傘を持った派手ないでたちの 41年前のグルベローヴァ。
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それから、ベルカント・オペラについて。私はベッリーニやドニゼッティの作品をそれほど愛好しているわけではないが、今回も大詰めのシーンが歌われた「ロベルト・デヴリュー」などは、グルベローヴァが歌うからということで、ちょっとどんな作品か聴いてみようか、と思った経緯がある。ヴェルディからプッチーニに至るオペラで徐々に深く描かれるようになり、それからさらにヴェリズモ・オペラに発展する、人間の深い情念というものを、何か透明な膜で濾過したような表現で表したベルカント・オペラには、一種の非現実的な美学があって、そのようなレパートリーを歌うには、ことさらに苦しい顔をしてはならず、音の波を上手にコントロールする必要がある。それは換言すれば、ベルカントに自らの最大の美点を見出したグルベローヴァのような歌手にしてみれば、ソプラノの役は数あれど、例えばヴェルディ後期の作品、アイーダやデズデモナ、それからプッチーニの蝶々夫人やトスカ、さらに進んでサントゥッツァやネッダを歌うことは考えにくいのだろう。あ、もちろん、ワーグナーなどもってのほか (笑)。そんな彼女が発掘したベルカントのレパートリーが、現代の聴き手を発掘したのだろうと思う。だが、実のところ、後半の 1曲目、「夢遊病の女」のアリアで彼女は、後半のある個所で、歌の入りを間違えてしまった。あるフレーズをオケが演奏してから歌が入るのに、オケと一緒に入ってしまったのである。その後正しい箇所で、「ここが私の出番です」という身振りをして歌い直し、結果的には見事な歌であったのだが、それこそ半世紀に及ぶ最高のプロフェッショナルとしては、自分のミスを許したくない気持ちはあるだろう。きっと札幌公演では、万全の歌いぶりになることだろう。

それと関連することだが、今回グルベローヴァが歌った 2曲のアンコールが面白かった。まず最初に、上記の通り私が彼女のレパートリーとして考えにくいと思っていたプッチーニだったのである!! だがそれは、トスカでも蝶々夫人でもなく、あるいはミミでもなく、「ジャンニ・スキッキ」の「私のお父さん」だったのだ!! 聴きながら思ったことには、これは絶妙の選択。なぜなら、プッチーニが書いたソプラノのアリアとしては、こんなに透明感に溢れ、激性の少ない曲はちょっとないからだ。相変わらず弱音の過度なコントロールが若干気になったとはいえ、いわゆる得意分野から離れながらも、自分の持ち味をうまく出せるという巧みな選曲に関心した。そしてアンコールの 2曲目は、指揮者が走って舞台に出てきて演奏を始めたのであるが、「こうもり」のアデーレのアリア、「侯爵様、あなたのようなお方は」であったのだ。これまた、彼女が若い頃にカール・ベーム指揮で映像も残している作品。合唱団が笑う箇所は指揮者と楽団がワッハッハと笑って盛り上げたこの演奏、なかなかに楽しいものであった。

終演後には今どき珍しい、次々と客席から花束が贈られるというシーンが見られ、いかに彼女が日本の聴衆に愛されているかということを再認識した。考えてみれば、最近のオペラ界では、以前は何人もいたような、隔絶したスターが減って来ているような気がする。そんな中、このグルベローヴァが未だに健在であることは、嬉しいと同時に、今後のオペラ界における新たなスターの登場も見てみたいと思わないではいられない。

# by yokohama7474 | 2017-10-27 01:41 | 音楽 (Live) | Comments(2)