川沿いのラプソディ


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メモ帳

フランツ・ウェルザー=メスト指揮 ウィーン・フィル 2018年11月15日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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ほぼ毎年、この時期に日本を訪れる世界の名門オーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、今年もやって来た。今回の指揮者は、オーストリアの名指揮者フランツ・ウェルザー=メスト、58歳。今年 6月には、長年に亘る手兵クリーヴランド管弦楽団を率いて、「プロメテウス・プロジェクト」と銘打ったベートーヴェン・ツィクルスを東京で行った。彼はこのウィーン・フィルとの関係も深く、このオケの母体となっているウィーン国立歌劇場の音楽監督も歴任しているし、ニューイヤーコンサートも指揮しており、また過去にこのコンビで来日公演も行っている。実は今回の川崎での演奏会は、来週東京のサントリーホールで行われる 3回の演奏会のうちのひとつと同じプログラムであるが、これが今回の日本ツアーの最初の演奏会なのである。従ってここでのレポートが、日本でもかなり早い部類に入るウィーン・フィルの今回の来日公演の記事になると思う。今回のツアーでの演奏会は 6回。この川崎のあと、大阪、長野を回ってから東京で 3回という予定になっている。興味深いのは、今回の W=メスト / ウィーン・フィルの公演曲目は、ほとんどすべてがドイツ・オーストリア音楽であることだ。例えば今回はこんな具合。
 ドヴォルザーク : 序曲「謝肉祭」作品92
 ブラームス : ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (ヴァイオリン : フォルクハルト・シュトイデ、チェロ : ペーテル・ソモダリ)
 ワーグナー (W=メスト編) : 楽劇「神々の黄昏」抜粋

ここで 1曲だけドイツ人ではないドヴォルザークの作品が入っているが、この作曲家の生まれた現在のチェコは、当時ウィーンを首都とするハプスブルク帝国の一部であり、彼はまた、ブラームスに才能を見出された人。だからドイツ音楽に近い面もある。ともあれ今回のツアーの曲目は、中欧の音楽のみによって成っていると表現すれば正しいだろう。オーストリアのリンツの生まれである W=メストは、もちろん自身がこの地域の出身だから、ウィーンの音楽を聴かせようという気概に満ちていることだろう。実際のところこの指揮者のイメージは、端正で流麗なものであり、世紀末ウィーンの耽美的で退廃的で享楽的なイメージとは、ちょっと異なるような気もするが、久しぶりに聴くこのコンビの演奏、どう響くだろうか。
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今さらこんなことを書くのも恥ずかしいのだが、私は今回の演奏を聴いて、ウィーン・フィルは本当に唯一無二の存在であると、改めて思ったものだ。例えば冒頭の序曲「謝肉祭」では、もちろん、世界のどのオーケストラも元気よく弾くのであるが、このオケの音の組み合わさり方には、なんとも言えない間があって、どこかのパートが目立ちすぎることもないし、かと言って聴こえないということもない。絶妙のバランスで鳴っているのだが、でもそこにはオズオズとした慎重さはなく、極めて大胆に突き進んでいる。弦の音はとろけるようではあっても、各パートの分離は際立っている。木管は鋭すぎることは絶対にないが、鈍さからは程遠い。金管は、暴力性はないのに伸びはある。このように書いてはいるが、聴いているときにはこれらがすべて同時に耳に入ってくるわけで、しかもそこには明らかに「歌」がある。これを至福と言わずしてなんと言おうか。もちろん、このミューザ川崎シンフォニーホールの美しい響きもその美感に大いに貢献しているに違いなく、やはり、いいオケをいいホールで聴くことで、既に知識として知っているつもりのことでも、実体験として、皮膚で感じることができるのだと思う。

2曲目のブラームスの二重協奏曲でソロを弾いたのはもちろん、このオケのコンサートマスターとチェロの首席奏者である。この曲は本当にドイツ的な重厚さに満ちていて、本来華やかなヴァイオリンよりも、渋いチェロが主導するような趣きがあるのであるが、それゆえに、名技性の披露よりも、オケとともにソリストたちが歌うことに主眼があるタイプの曲である。その点において、オケの首席奏者たちがソロを取るケースも多く、今回はまさにそれであったわけである。そして予想通り、見事にオケの音と (中欧の音と!!) 一体化したソロであり、劇的な部分も申し分ない一方で、W=メストらしく決して重くなりすぎない、そんなブラームスであったと思う。これがシュトイデとソモダリ。
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この 2人は後半のワーグナーでは、全く何事もなかったかのように (笑) オケに入って演奏していたのも興味深い。さてここで演奏されたのは、ワーグナーの超大作「ニーベルングの指環」4部作の最後を飾る楽劇「神々の黄昏」の抜粋で、W=メスト自身の編曲とある。彼はウィーンで「指環」全曲も指揮しているので、そこでの成果を見せようということなのであろうが、さて一体どのような内容なのか。プログラム冊子に記載されている、ウィーン楽友協会資料室長のオットー・ビーバの解説には、4曲から成っていて、うち 2曲はもともと原作でも管弦楽。残る 2曲はオペラの音楽から言葉を除いている、とある。もちろん原作でも管弦楽曲なのは、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」であろう。それ以外となると、もちろん大詰めの「ブリュンヒルデの自己犠牲」から「終曲」となるだろう。だが、詳細はどうなのか。実際に聴いてみると、まずは ①「夜明けとジークフリートのラインへの旅」に始まり、そのまま ② プロローグ冒頭の神秘的な「世界への挨拶の動機」につながり、音楽が加速して ③ 「ブリュンヒルデの自己犠牲」の最初の部分に少し入ったあと、④ 「死の動機」を機に「ジークフリートの葬送行進曲」に移り、そして音楽が一旦静まってから ⑤ 終曲に突入、というものであったと記憶する (記憶だけで書いているので、間違っていたらすみません)。なんだ、4曲じゃなくて 5曲ではないか、と言うなかれ。③ と ⑤ は 1つの連続したシーン (間の部分は飛ばしていたが) であり、4曲と数えられる。全曲通して 35分くらいだったと思うが、このオペラには各幕の終結部以外には音楽が停まるところはないから、このようにつなげることで「おいしいところ取り」ができるというわけだろう。演奏はここでももちろん、上で書いたことがそのまま当てはまるものであり、ワーグナーならもっと暴力的に鳴らす手もあるかもしれないが、飽くまで優美さをどこかにたたえながら、壮大なドラマを描き出すという離れ技であった。技術的には小さな傷もあったが (木管の入りが若干ずれるとか、舞台裏のホルンが少しもつれるとか)、そんなものは一切気にならない。こんな音楽を鳴らすことができるのは、世界でもウィーン・フィルだけではないだろうか。そして、W=メストの個性との化学反応が、このような素晴らしい成果に結実したものと思うのである。

そしてアンコールが 2曲演奏されたが、いずれもヨハン・シュトラウスで、ワルツ「シトロンの花咲くところ」(会場の掲示では「シトロン」ではなく「レモン」とあったし、どうやらその訳が正しいようでもあるが、やはりシトロンという響きが私は好きだ) とポルカ「浮気心」。これらの選択もなかなかに凝ったものであり、決して秘曲ではないが、だが誰もが知る有名曲でもなかった点に、W=メストのこわだりが見えたように思う。過度に享楽的な音楽にはなっていなかったが、それが返って曲の持つ侮れない表現力を表していたと言えるだろう。素晴らしい演奏だった。

このように、ウィーン・フィルの今回の来日公演は、さすがのクオリティで始まったので、今後も期待できるだろう。最後に、このオケがいかに特別な存在かを示す写真 3点をお目にかける。今回のプログラム冊子には、ウィーン・フィルの本拠地であるウィーン楽友協会のアーカイブが所蔵する資料から、それぞれの作曲家ゆかりのものが掲載されているのである。まずこれはドヴォルザークの手紙で、自らのウィーン到着を、当時の宮廷楽長でありウィーン・フィルのコンサートマスターであったヨーゼフ・ヘルメスベルガーに知らせる内容 (1881年)。
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そしてこれは、ブラームスの二重協奏曲の自筆楽譜。ブラームス自身と、この曲の初演を弾いた彼の親友 (仲違いしたがこの曲で和解した)、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムの手書きによる改訂が施されているという。なんと。
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それからこれは、1875年にワーグナーが楽友協会でのウィーン・フィルのコンサートに備えて、その練習を指揮したときのスケッチ (グスタフ・ガウルという画家による) だとか。その時の曲目には、「神々の黄昏」の抜粋が含まれていたという!! このスケッチは初めて見たが、もういかにもワーグナーその人ではないか。
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いやいや、改めてウィーン・フィル、恐るべしである。

# by yokohama7474 | 2018-11-16 00:43 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ビートたけし × 村上隆 : ツーアート

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これは、光文社知恵の森文庫の中の一冊。どこで購入したのか、記憶は定かではないが、小難しくないアートの本を読もうと思って手に取ったら面白そうであったので、読んでみることにしたのである。単行本で出版されたのは 2003年、つまりは今を去ること 15年前であるから、最新の書物ではない。ゆえに中身も、特に映画監督北野武の活動においては、過去 15年という時間は決して短いものではなく、読んでいてその点が気にならないわけではない。だが、様々な意味で現代日本を代表するこの 2人がアートについて語っているわけなので、多くの箇所で示唆に富んだ発言に出会うことのできる、大変に刺激的な本である。
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まずひとつ注釈を付しておきたいのは、これはこの 2人の対談ではない。つまり、1人が何か発言すると、もう 1人がすぐにそれを受けて、「そうそう、〇〇なんですよね (笑)」といった反応を見せるということにはならない。とはいえ、1人の発言 (本では数ページに亘る) を受けてもう 1人が、そのことへの感想や、あるいはそこから連想されることを発言するという意味では、対談集に近い構成を取っているのである。ちょっと気になるのは、どちらかというと、たけしの発言を受けて村上がコメントを述べることが、その逆よりも格段に多いことだ。もちろん年齢はたけしが 15歳上。そのような気遣いが村上の側にあったのかもしれない。このブログでは過去に、北野武の映画も採り上げているし、ある意味で私の村上隆への先入観が解ける機会ともなった、六本木の森美術館で開催された「村上隆の五百羅漢図展」(あれからほぼ 3年が経つとは、時間の経過の速いこと!!) の記事も書いたことがある。文化関係無差別ごった煮ブログとしては、このような刺激的な組み合わせの書物をご紹介できることは、冥利に尽きるというものである。ところで私は上で、たけしのことを「北野武」という映画監督として言及したが、彼自身も絵画を描くアーティストである。彼の絵画作品は、子供の絵のようであるというか、昨今の言葉でいうところのアール・ブリュット、少し以前の言葉ではアウトサイダー・アートを連想させるようなものである。見ていて決して楽しいものではないし、技術が優れているわけでもない。でもなぜか気になる、たけしの絵画作品。ちょうど今、滋賀県守山市の佐川美術館で、彼の個展を開催中であるらしい。
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一方の村上の方は、日本のオタク文化をアートに活用した点がユニークであり、それゆえに、海外での知名度が非常に高い日本人アーティストである。上記の通り私はつい 3年前まで、キッチュな彼の作品や、「アートはビジネスだ」などと公言して憚らない言動に、全く共感できないでいた。だが、百聞は一見にしかず。実際に彼の作品群を目の当たりにして、なるほどこれは非凡なアーティストだわいと思った次第である。何事も先入観に囚われず、自由な発想で物事に接することがいかに大切かということだろう。これは村上が創り出したキャラクター、DOB 君。チェブラーシカではありません。
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この書物の中でのたけしの発言には、発想が自由すぎて、文化ブログではとても紹介できないような下品な内容も多々あるわけだが (笑)、でもそこにはある種のリアリティがある。私なりにそれを表現するとするなら、アート、または芸術という漢字を使ってもよいのだが、それが人間が生きる様相を如実に反映したものであるとするなら、そこには人間の下部構造も含まれるわけで、そのようなことを堂々と口にするたけしの腹の座り方には、大いに感服するのである。逆に言えば、よく言えば気遣い、悪く言えば忖度 (もっとも、忖度する人にとってその行為は決して「悪く」言われるべきものではないのだろうが) して日々を過ごすことが多い我々日本人にとって、スカっと下品なことを言うことで、いわば社会へのアンチテーゼとなりうる要素もあると思うのである。いやもちろん、セクハラ、パワハラが致命傷になりかねない昨今の日本 (だけではなく、世界中の状況なのかと思われる) において、ここでのたけしのような言説を普通の人が展開するわけにはいかない。それゆえにこそ、彼の持つ過激さに、世間は拍手喝采するのであろう。だって、コマネチ本人と、こんなことできませんよ、普通。
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そしてこの書物は、悪ふざけの様相を呈しながらも、ある意味での現代日本への警鐘ともいうべきシリアスな内容なのである。珠玉の言葉が散りばめられていると言ってもよい。その示唆に富む 2人の発言の数々に触れて行くときりがないが、いくつか引用してみたいと思う。

* たけしの発言
村上さんの作品を初めて見たとき、ここまでアートとして広げていいものか、とビックリしたね。アートはこういうもんだって、思い込んでいたわれわれの固定化したアタマを思いきりドツかれたというか。

* 村上の発言
僕はたけしさんのファンです。(中略) ヴェネツィア国際映画祭のグランプリを獲るという文化的国際的な快挙を成し遂げたすぐ後に、ブリーフ一丁でテレビに出演したり、カンヌ映画祭にコスプレして現れたり、「誤解されることを前提にやっている」としか思えない現代のリアルなトリックスターである点 (後略)。

* たけしの発言
あるものがアートになるかならないかの「境界線」っていうのは何だろう? 強引な理屈で言えば、アートって、いろんな雑学の勝負みたいなところがあるからさ。(中略) 灰皿持ってきて、「これがアートだ」っていう理屈も言えちゃうわけでしょ。作品はあくまで作品でしかないんだけど、最近のアートっていうのは、それに付随する包装紙みたいなものも意識させないといけないのかもしれないな。お歳暮でも、中身は同じなのに、イトーヨーカドーより三越の包装紙のほうがいいというのがあるじゃない。(中略) どんな包装紙で作品をラッピングするか。どんな理屈のついた包装紙で包めば、価値が出るか。そういうところはあるな。

* 村上の発言
「芸術」と「美術」の違い。かつては自分なりに規定していたはずなのに、すっかり忘れてしまった。(中略) 最近ずっと「芸術とは何だ」って真剣に考えているので、逆に、取りつく島がないというか。(中略) だってカテゴライズした瞬間、逃げ水のごとくなくなってしまう恋みたいな物を「芸術」って言うんだ、ということに気がついたんで。

* たけしの発言
南千住で酒飲んで電柱に向かって怒ってるオヤジって、アート・パフォーマンスみたいなもんだな。「何だ! その顔は!」とか、「何だ、この野郎!」とか「いいか覚えとけ」とか、電柱に向かって言っているわけだから。「いつまでもそんな状態でいられると思ってんのかオマエは!」とか、最高だよね。

* 村上の発言
どんな絵でもアートといえばアートになっちゃうんだよっていう、ある種、マジックを作ったっていう意味では、ピカソはデュシャンの便器と同じくらい効果があった。そういう意味では、超一流の価値があったんですよ。

このあたりでやめておくが、ふざけていながらも、それぞれに示唆に富んだ発言であり、傾聴に値するものと思うのである。

# by yokohama7474 | 2018-11-14 23:55 | 書物 | Comments(0)

テルマ (ヨアキム・トリアー監督 / 原題 : Thelma)

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この映画のポスターを見て、足が停まった。そして、劇場に置いてあったチラシを見て、さらに興奮した。そこに踊る文字は、「ラース・フォン・トリアーの遺伝子を受け継ぐ鬼才が放つ北欧ホラー、ついに日本上陸!」というもので、しかも、最後の「日本上陸!」は特大フォントである (笑)。そうなのか。この映画の監督、ヨアキム・トリアーは、あのラース・フォン・トリアーの甥っ子であるらしい。ラース・フォン・トリアーは、1984年のデビュー作「エレメント・オブ・クライム」に始まる一連の強い表現力の作品、とりわけカンヌのパルムドールを受賞した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で知られるデンマークの監督である。だが近年その名前は、そのカンヌ国際映画祭でのナチス擁護発言以降 (その発言を撤回したにせよ)、忌まわしいものになっているように思う。そんな中、この 1974年生まれのヨアキム・トリアーが活躍の場を広げ、2006年の長編デビュー後、今回が未だ 4作目であるにもかかわらず、既に各国での受賞歴もあり、注目されている由。
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この映画、どうやらそのヨアキム・トリアーが手掛ける最初のホラー映画らしい。何やら、少女の秘めたるパワーが覚醒する話であるようだ。そうすると、スティーヴン・キング原作でブライアン・デ・パルマが映画化し、さらにその後リメイクまでされた「キャリー」のような映画なのであろうか。実際、プログラムに掲載されている「『テルマ』に影響を与えた作品」という欄には、11本の映画と 2人の監督の名前が列挙されていて、その中には実際に「キャリー」もあれば「AKIRA」もあり、また「ローズマリーの赤ちゃん」「デッドゾーン」から、ヒッチコックの「鳥」、また監督としては、ダリオ・アルジェントとイングマール・ベルイマンが挙がっているという、かなりのごった煮である (笑)。だがここは先入観なく、この監督の映像美に向かい合ってみようではないか。

私の感想を正直に申し上げると、これは大変に凝った映画であることは間違いないものの、観客をグイグイと引っ張って行くものではなく、ひたすら感性に訴えようという作品であり、上記の映画のいずれとも異なるし、私見では、上記の映画群ほど面白くはない。要するに、観客をグイグイ引っ張るのではなく、ネタをズルズルと引っ張るタイプ。そしてクライマックスが驚天動地の凄まじいものになるかというと、そうでもない。少女の持つ神秘の力というイメージは、実際にはさほど強くないのである。116分の映画は、それこそベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」(上映時間 311分) ほども長く感じると言えば、さすがに大袈裟だろうか。長く感じる理由のひとつは、役者たちの存在感が今ひとつということもあるだろう。そして、なかなか明かされない少女の秘密が、結局明かされるような明かされないような。「えっ、これで終わり???」という感想を持つ人がほとんどではないだろうか。そう、これって本当にホラーと呼べるのだろうかという疑問は、多くの人たちが抱くと思う。

主役のテルマを演じるのは、ノルウェイで子役時代から活躍していたという、1994年生まれのエイリ・ハーボー。
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さて、彼女の演技をどう評価しようか。繊細で複雑な役柄を、頑張って演じているとは言えると思う。だが、その熱演が映画をどこまで見ごたえのあるものにしているかというと、ちょっとクエスチョンマークなのである。私には、ここで語られている言語がノルウェイ語であるのかデンマーク語であるのかさっぱり分からないが、その言葉の馴染みのなさを割り引いても、超常現象を引き起こす少女の謎の力が、彼女の演技によってどこまで観客の心胆を寒からしめるかというと、ちょっと心許ない。特殊な能力ゆえにトラウマから抜け出ることができない彼女は、では一体、本当は何ができるのだろうか。何やら水に因縁があるようだが。
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ただ、印象に残ったシーンもいくつかある。画像は見当たらないが、冒頭と最後に出て来る、多くの人たちが行き交う大学のキャンパスのシーンである。かなり広範囲の映像において無秩序に人々が歩いて行く中、カメラはぐぅーっとズームして行く。そこには、どこの誰という特定がないにせよ、それぞれの人の人生が交錯している。そんな中、他人とは違う能力を持つ女性が歩いている。もしかすると私の隣にいて普通を装っているこの人は、実は宇宙人かもしれないし、吸血鬼かもしれないし、はたまたアンドロイドかもしれない。この奇妙に切実な感覚は、なかなかのものであった。我々は日常、街を歩いていてすれ違う他人について多くを感知することはない。もしかすると、先刻まで確かにここにいた人が、かき消すようにいなくなるかもしれない。この感覚にはちょっと怖いものがあった。だが、繰り返しだが、そのような恐怖の要素を、さらに強く、また効率的に観客に伝える術があったような気がしてならないのである。ラース・フォン・トリアーの遺伝子を受け継ぐこの監督には、ホラーよりも人間ドラマの方が合っているのだろうか。こんなシーンはホラーであれ人間ドラマであれ、いろいろな発展がありそうなものだが。
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ともあれ、この監督にはまた今後を期待するとしよう。そして我々は、この「テルマ」についてネット検索するとき、以下のような映画と混同してはならないのである (笑)。
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# by yokohama7474 | 2018-11-13 23:17 | 映画 | Comments(0)

ニコライ・アレクセーエフ指揮 サンクトペテルブルク・フィル (ヴァオイリン : 庄司紗矢香) 2018年11月12日 サントリーホール

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前日に続くロシアの名門、サンクトペテルブルク・フィルの来日公演である。前回の文京シビックホールでの演奏会の記事で採り上げた通り、残念なことに、今回このオケを指揮することとなっていた音楽監督の巨匠ユーリ・テミルカーノフは直前になって来日中止が発表され、このオケの副芸術監督であるニコライ・アレクセーエフが急遽代役を務めることとなった。本当に直前の発表であったから、プログラム冊子は既にテミルカーノフ指揮という内容で印刷されているし、きっとチラシやポスターを刷り直す時間は、なかったのではないだろうか。アレクセーエフ指揮というチラシ・ポスター類を見掛けることはなかった。唯一の例外は、前回の記事の冒頭に掲げた、会場の文京シビックホールに貼ってあったポスターだが、はてこれは、一体何枚作られたものであったろうか (もしかして、会場用の 1枚???)。この日のコンサートの会場はサントリーホールであり、いつも入り口に向かって左側の電光パネルにその日の演奏会のポスターが貼られているのが、今回は指揮者変更のお知らせが貼られていたのみであった。なのでここでは、残念ながら来日中止となったテミルカーノフをあしらったチラシの写真を、記念として掲げておこう。今回指揮をしたのは、このアレクセーエフ 62歳。2000年からこのオケの指揮者を務めているというから、既に長い付き合いなのである。
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サントリーホールでの最初のコンサートの今回、曲目は以下の通り。
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
 ラフマニノフ : 交響曲第 2番ホ短調作品27

私はこのブログで過去に何度か、ちょっとユニークなレパートリーのコンチェルトを弾くヴァイオリニストに対して、「チャイコスフキーやシベリウスでない」曲を弾くこと自体を称賛の対象にして来たことがある。だが、誤解を避けるために書いておくと、私は何もこれらの協奏曲をけなすつもりはないし、それどころかこの 2曲は大好きである。ただ、聴き手としては、あまりにポピュラー過ぎて若干食傷気味のときがあるというだけで、曲はもちろん、その曲を演奏する奏者にケチをつけるつもりは全くない。このブログで何度もその演奏を称賛してきた庄司紗矢香であれば、この手慣れたコンチェルトを演奏して、その本来あるべき魅力を引き出してくれるだろう。
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彼女はテミルカーノフとは大変頻繁に共演していて、日本でも何度か顔合わせをしている以外に、私はロンドンでもプロコフィエフを聴いたことがあるし、また特筆すべきは、5年前のテミルカーノフ 75歳記念がサンクトペテルブルクで開催されたとき、なんとロシア系以外で唯一招待された演奏家は彼女だけであったらしい。今調べて分かったことには、その演奏会の指揮をマリス・ヤンソンスと分け合ったのが、今回来日したニコライ・アレクセーエフで、その時庄司も、アレクセーエフ指揮でチャイコフスキーのワルツ・スケルツォを演奏している。それから、今回の来日に合わせたものであろうか、同じテミルカーノフ / サンクトペテルブルク・フィルの伴奏で、このシベリウスと、組み合わせとしてはかなり珍しいベートーヴェンの協奏曲の録音が、最近発売されている。
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今回の庄司のシベリウス、いつもの通りの高い集中力と、疲れ知らずの強い表現力には感嘆したのであるが、一方で、今後彼女の芸術がさらに高いところに到達して行くのではないかと思わせるような、そんな凄みも感じることとなった。つまり、情熱に任せて弾き飛ばすことがなく、シベリウス若書きのこのロマン性溢れる協奏曲から、絞り出すような痛切な音楽を聴かせてくれたと思うのである。庄司は常々、この曲の歴史的名盤であるジネット・ヌヴー (1949年に 30歳の若さで航空事故で死去) の 1945年の録音を絶賛していて、レコード芸術誌の 10月号のインタビューでもそのことに触れている。私ももちろんその演奏の CD は持っているが、実は前日、SP からの復刻版という CD も改めて購入し、今回帰宅してから聴いてみた。すると、その情念の表出において今回の庄司の演奏と似ている部分もあるものの、時に聴かれる時代がかったテンポ設定においては、やはり今の時代にそのまま真似をする意味はないと思ったものである。そしてもちろん、庄司の演奏は、飽くまでも現代を生きる我々に訴えかける音楽なのだ。ここでヌヴーについて語ることは避けるが、芸術家たるもの、先人から学んで、それを自分で咀嚼して表現するものであろう。凡人には知り得ない一流の芸術家の感性は、いかに尊敬する先人であれ、その単なる模倣を賢明に回避するものだと思う。また今回のシベリウスではオケも非常にきめ細やかで、例えば第 1楽章のカデンツァ手前で低弦がしばらく唸る箇所には地味ながら彩りがあったし、第 2楽章の冒頭の木管楽器もニュアンス抜群だ。アレクセーエフの職人性も大変活きていたと思う。そして最近の庄司のアンコールと言えば、ありきたりのバッハやイザイではない、何かユニークなものが期待される。演奏され始めた何やらノスタルジックで素朴な、民謡のようなメロディに、オケの人たちもクスクス笑っている。あとで掲示を見てびっくり。これは「チェブラーシカ」の「誕生日の歌」という曲。チェブラーシカはロシアの有名な絵本で、アニメにもなっているらしい。YouTube ではこの「誕生日の歌」を、人形アニメ画像つきで見ることができる。こんな曲をアンコールに選ぶ庄司紗矢香は、やはり並のヴァイオリニストではない。
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後半のラフマニノフ 2番は、つい先日のアシュケナージ / アイスランド響とノット / 東響の連続鑑賞に続いてということになるが、今回はコントラバス 10本を並べての、ロシア風ド迫力演奏と言えばよいだろうか。このオケの持つ高い演奏能力が随所に聴きどころを作り出していたと思う。だが、ここで私が若干の保留をつけたいと思うのは、前日のチャイコフスキー 5番が、もともと作曲の時点で聴衆を飽きさせないためのあれこれの工夫に満ちていたのに比べると、この 60分になろうかという大作シンフォニーは、それほどには気の利いた出来になっていないということである。以前から何度か書いている通り、私はこの憂愁に満ちた交響曲が大好きで、その滔々と流れるメロディは、急に口ずさみたくなることもあるほどだ。だがその一方で、ここには作曲者のロマン性と情熱はふんだんに込められてはいても、そこに見られる感性は、実はかなり素朴なもの。演奏家の手練手管によって、聴かせどころが変わる要素があるように思う。以前同日に聴いた 2種の演奏の特色は記事に書いた通りだが、それらに比べるとこのアレクセーエフとサンクトペテルブルク・フィルの演奏は、粗野とは言わないまでも、若干ストレート過ぎて、聴いているうちにやや冗長さが感じられたようにも思う。もちろん、凡庸な演奏ではなく、全体としては楽しめたのだが、音楽とはなかなかに厄介なものである。そして今回のアンコールは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から「トレパーク」。これも私が大好きな曲で、低弦がノリノリで舞い上がって行くところや、タンバリンのリズム、大詰めでのトランペットの騒ぎなど、まさにチャイコフスキーのあれこれの工夫が聴衆を楽しませる。キレこそあまりないものの、実に楽しい演奏であった。

このコンビの演奏会、サントリーホールではもう 1回、11/13 (火) のプロコフィエフの「イワン雷帝」が残っている。未だに宣伝をよく見かけることから、もしかするとチケットの売れ行きがもうひとつなのかもしれない。だがかく言う私も、それを聴きに行くことはできないので、せめてコンサートの成功を祈るばかりである。

さて最後に、前回の記事に引き続いて、1958年、当時レニングラード・フィルという名称であったこのオケが初めて来日したときのプログラム冊子から、興味深い話題を紹介しよう。このときには 8種類の演目が組まれていて、ロシア音楽が中心ではあるのだが、驚くような意欲的な内容になっている。例えばチャイコフスキーの管弦楽曲でも、「フランチェスカ・ダ・リミニ」とか「ハムレット」とか、若干の変化球もあるし、モーツァルト 33番、39番、ブラームス 4番、「新世界」など、ロシア物以外もある。興味深いのは、ラフマニノフ 3番 (ザンデルリンク指揮) とか、プロコフィエフの「チェロ協奏曲」(これは現在「交響的協奏曲」と呼ばれるもの。作品献呈を受けたロストロポーヴィチの独奏、ザンデルリンクの指揮)、同じプロコフィエフの 7番 (アルヴィド・ヤンソンス指揮)、そしてショスタコーヴィチの 5番 (ガウク指揮) などが含まれる。現在の観点からすればそれほど意外な曲目でもないが、時代は 1958年である。ラフマニノフが没してから 15年後。プロコフィエフは没後わずか 5年で、このとき演奏された彼の作品 2曲はいずれも晩年の作だから、当時作曲後ほんの数年という「現代音楽」である。ショスタコーヴィチに至っては、当時未だ健在で、交響曲は 11番まで書いていたところ。そのように思うと、なんとも先鋭的な曲目だったわけである。因みにラフマニノフ 3番は、唯一名古屋でだけ演奏された。いやー、それを聴いた名古屋の人たち、どう思ったでしょうか (笑)。この時の来日公演は 4月21日から開始であったが、彼らが日本に着いたのは 4月12日。そのとき羽田で撮影された写真が早くもプログラム冊子に掲載されているので、お目にかけよう。ここで着物の女性から花束を受け取っているのが指揮者とソリストであろうから、赤い矢印で示しておいた。左から、アルヴィド・ヤンソンス、ザンデルリンク、ガウク、ロストロポーヴィチであろう。・・・と〆ようとしたのだが、以下のコメントにある通り、事はそう単純ではない。上で私は「〇〇であろうから△△であろう」と断定を避けたのだが、そのように書いたのはもちろん、ガウク (名前はよく知っているが顔は分からない) とザンデルリンク (もちろん顔はよく知っている、但し若い頃はほかの写真からの類推しかない) は、どうやら本人ではないかも、と思ったからだ。60年前の写真とはいえ、ネット社会では厳しい目のもとにさらされているわけですな (笑)。失礼致しました。
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冷戦時代に、ソ連としての誇りをかけた文化使節として来日した彼らは、時代は変われど、やはりロシア音楽の素晴らしさを世界に訴える役割を担っている。だが、私がいつも思うのは、そうであるからこそ、ロシア人によるモーツァルトやブラームスも、聴いてみたいのである。60年前の聴衆が、その意味ではちょっと羨ましい。

# by yokohama7474 | 2018-11-13 01:34 | 音楽 (Live) | Comments(4)

ニコライ・アレクセーエフ指揮 サンクトペテルブルク・フィル (ピアノ : ニコライ・ルガンスキー) 2018年11月11日 文京シビックホール

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この秋の来日オーケストラ・ラッシュも、これからが佳境である。ロシアからは同国を代表する名オーケストラ、サンクトペテルブルク・フィルが来日。1824年にベートーヴェンの荘厳ミサ曲の世界初演を行い、20世紀に入ってからは超絶的な巨匠、エフゲニ・ムラヴィンスキーが半世紀に亘って率いたこのオケは、今では過去 30年間、ひとりの優れた指揮者が音楽監督を務めている。この人である。
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このブログでは過去に何度も記事を採り上げた、ユーリ・テミルカーノフ。もうすぐ 80歳になるが、今年 2月には来日して、自らが名誉指揮者を務める読売日本交響楽団を指揮して元気なところを見せてくれた。ところが今回は、東京の最初の公演となるこの日のコンサートに先立つほんの 3日前、11/8 (木) の夜になって発表されたことには、体調不良で来日中止である。直前の発表ということは、きっと本人はギリギリまで来日を希望していたのだろうと推測するが、年齢的には無理は禁物。是非大事を取って、次の来日に備えてもらいたい。私は今、先に購入したこのテミルカーノフの自伝を読み進めていて、カフカス系 (カバルダ人) の彼の父親が、ナチス・ドイツに抵抗するパルチザンであり、1942年、仲間の裏切りによってナチに捉えられて処刑された (母親は奇跡的に生還) ことを知った。平和な時代に育った我々が想像もできない悲惨な少年時代から巨匠指揮者となったテミルカーノフの音楽には、彼の経験してきたことがすべて詰まっていると実感するのである。ともあれ、今回テミルカーノフの代役として来日したのは、このサンクトペテルブルク・フィルの副芸術監督である、ニコライ・アレクセーエフである。
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あちこち調べてみて判明したことには、彼は 1956年生まれなので、今年 62歳。私はこの指揮者に対する知識がないので事前に調べてみたところ、10年前に新日本フィルに客演してかなり好評を博した模様である。その経歴を見ると、1982年のカラヤン・コンクールで 1位を獲得しており、かつて大野和士もそのポストにあったザグレブ・フィルの首席指揮者や、エストニア国立交響楽団の首席指揮者も歴任している。このサンクトペテルブルク・フィルの指揮者としては、既に過去 18年間活動している。私は、今回のテミルカーノフのキャンセルに大変がっかりしてしまったのであるが、チケットの払い戻しはないという。ではここは気持ちを入れ替えて、未知のロシア人指揮者に期待をしようと思って出掛けたのである。曲目は以下の通り。
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品 18 (ピアノ : ニコライ・ルガンスキー)
 チャイコフスキー : 交響曲第 5番ホ短調作品64

この堂々たるロシア・プログラムで、ラフマニノフの名曲を弾くルガンスキーは、過去何度か (テミルカーノフとの共演を含めて) このブログでも採り上げた、長身のロシアのピアニスト。
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ここで響いたラフマニノフは、なるほどこれは骨太な演奏で、感傷性を打ち出すよりはむしろ、強い音で前に進んで行くタイプのものだ。これぞルガンスキーである。だが不思議なことに、この強い音を聴いているうちに、何やら心が疼くのを感じる。私はそもそも、お国もの崇拝には常々懐疑的な人間であるのだが、このような演奏を聴いていると、やはり奏者の血の中に流れる何かが、音となって立ち昇っているのを感じざるを得ない。特に第 3楽章は、ある意味で暴力的なまでにピアノとオケが一体となってただならぬ盛り上がりに至ったのであるが、もしかすると、ラフマニノフ自身もこのような音を念頭に置いてこの曲を書いたのではないか、と思われるほどであった。巨躯に似合わぬ繊細な感性の持ち主であったラフマニノフは、ピアノを前にした時のみ、心からの叫び声を上げられたのであろう。そしてこの、本来は感傷性が際立つと思われる 2番のコンチェルトの終楽章からは、次に来る 3番のコンチェルトの予兆のようなものすら感じられるのである。圧倒的な表現力。そしてルガンスキーが弾いたアンコールは、チャイコフスキーの歌曲「6つの歌」作品 16の第 1曲、子守唄を、ラフマニノフがピアノに編曲したもの。強い音はそのままに、ここでは静かな抒情も感じさせるルガンスキーのピアノであった。

そうしてメインのチャイコフスキー 5番であるが、これまた大変充実感溢れる名演となった。この演奏会では、テミルカーノフがいつもするように、ヴァイオリンは左右対抗配置、そして指揮者のアレクセーエフは、コンチェルトではテミルカーノフのように指揮棒を持たない素手での指揮であったが、シンフォニーでは指揮棒を使用。その指揮ぶりは、決して音楽に耽溺するものではなく、ある種職人的にアンサンブルを整えるもの。だがそこはロシアの名門オケである。指揮者のシンプルな動きに対して、熱湯のような音を返してくる。テンポは中庸であり、纏綿と歌うこともあまりなく、一見淡々と進む音楽には、だが真実がこもっていて感動的だ。ここで私は、今度はお国ものがどうこうという感覚を忘れ、ともかく最初から最後まで飽きることなくこの名曲を楽しんだ。これだけのクオリティを聴かせてくれるということは、テミルカーノフの普段の薫陶もそこにはあるだろうが、アレクセーエフのプロフェッショナリズムと、プライドを賭けて演奏したオケの技量が充分に発揮されたということだろう。そして、終演後に何度かのカーテンコールを経て (最近では珍しい主催者からの花束贈呈も経て)、アレクセーエフが聴衆の方に顔を向けて、「やりますよ」という感じで眼鏡をかけて演奏したアンコールは、エルガーの「エニグマ変奏曲」の中の「ニムロッド」である。もちろんこれは、テミルカーノフがしばしばアンコールで採り上げる、実に情緒豊かで感動的な曲。ここでのアレクセーエフは、あたかもテミルカーノフが乗り移ったからのような素手での指揮ぶりであった。そして私は再びお国ものについて考えを巡らす。これは英国の曲であるが、ロシアの演奏家がこんなに素晴らしく演奏することにこそ、音楽の普遍性を感じたい。

さて、今回サンクトペテルブルク・フィルは、前日の豊田での演奏会を皮切りに、東京とその近郊に加え、大阪、佐賀、北九州で合計 9回の演奏会を開く。地方の方も、この素晴らしいオケを堪能するよい機会であると思う。さてここから先は、川沿いのラプソディ名物、脱線である (笑)。実はこのコンサートに出掛ける前、少し時間があったので、久しぶりに神保町の古書街をブラブラしてみた。「おぉっ、この店はまだ健在であったのか!!」と思われる古書店や中古レコード店でしばし至福の時を過ごしたのだが、その中で目に付いたのはこれである。
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これは何かというと、ちょうど今回聴くことになったサンクトペテルブルク・フィルの、初来日の際のプログラムなのである!! もちろん当時の名称はレニングラード・フィルであり、1958年 4月、つまりは今からちょうど 60年前のこと。一応歴史として知っているのは、この時は本当は常任指揮者であるムラヴィンスキー (当時 54歳) の来日が予定されていたが、キャンセルとなり、同行した指揮者は、アレクサンドル・ガウク、クルト・ザンデルリンク、そしてアルヴィド・ヤンソンス。ソリストは、当時 31歳のロストロポーヴィチであった。全部で 12公演あり、うち東京が 9公演 (日比谷公会堂 4回、新宿コマ劇場!! 5回)、それ以外には、八幡、福岡、名古屋を巡回した。今回のツアーよりもコンサートの回数は多いものの、巡回する地域にはかなり共通点があるのが面白い。この貴重なプログラム冊子、さぞかし高価であったかと思いきや、たったの 500円!! たまたまこのオケの来日公演の日に巡り合うとは、なんとも幸運であった。時代の雰囲気を感じて頂くため、何枚か写真をご披露しよう。オーケストラ紹介とレコードの宣伝 (指揮者はムラヴィンスキーとザンデルリンク)、そしてなぜか、一行が宿泊した新橋第一ホテルの宣伝 (笑)。
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60年の時を超えて日本でも活発に活動するこのオケに、最大限の敬意を表したいと思う。

# by yokohama7474 | 2018-11-11 23:41 | 音楽 (Live) | Comments(0)


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