2015年 08月 10日
ドイツ、バイロイト ワーグナー旧居 (ヴァーンフリート荘)、フランツ・リスト博物館、ジャン・パウル博物館等
ふと目が覚める。うーん、ここはどこだ。目をこすってみる。何やら案内板が。
まあ、重い話はさておき、街歩きを続けよう。実は、あまりガイドブックには紹介されていないようだが、このヴァーンフリート荘のすぐ隣に、もうひとりの大作曲家で、ワーグナーの妻コジマの父でもある、フランツ・リストが亡くなった家があり、彼の博物館になっている。この人、作曲家としては、ピアノ作品以外にはあまり傑作は多くないものの、ロマン主義の時代を彩った悪魔的なピアニストとしてだけでも、充分に歴史に名を刻んだであろう。若い頃から沢山肖像画が残っていることから、その選ばれた人生が偲ばれる。以下、10代の肖像画 (利発そう! ハンガリー生まれなので、名前の表記が、日本人のように姓・名の順になっている)、20代の肖像画 (めっちゃイケメン!!)、そしてデスマスク (おー、しわくちゃの爺さんだ!!!) をご覧頂き、どんな特別な人間も、時の流れからは自由でないことをお感じ下さい。
さてさて、実はもうひとつ隠れた博物館が数軒先にある。それは、ジャン・パウル博物館。
QUOTE
これまで太陽神アポロは、右手に詩の才能を、左手に音楽の才能を携えて、その才能を互いに遠く離れ離れに立っている人間に向かって、常にそれぞれ別々に投げ与えていたが、正真正銘のオペラの台本が書け、同時に台本に相応しい音楽を作曲できる人物の到来を、つい今この瞬間に至るも、我々は変わらず待ち焦がれているのだ。
UNQUOTE
これはまさにワーグナーのことではないか!! ワーグナーの生まれた年に、ワーグナーが生涯その芸術を永劫に刻むことになる土地で、こんなことを予言した人物がいたとは、誠に驚きである。
余談ながら、このジャン・パウル博物館は、イギリス出身の著述家、ヒューストン・ステュアート・チェンバレンが住んでいた邸宅であるらしい。このチェンバレン、ワーグナーのコジマとの間の二女であるエーファと結婚した、ワーグナー一家のメンバーであるが、著しい人種論者で、反ユダヤ思想という点で、ヒトラーにも相当影響を与えたらしい。例のヴィニフレート・ワーグナーの伝記にも何度も登場するが、ここにも歴史の重要な一コマが存在するのだ。もしチェンバレンがエーファと結婚せず、またヒトラーが若いゴロツキの頃からバイロイトを頻繁に訪れていなかったら・・・と考えても詮無いことではあるが。今は全く異なる文学者、ジャン・パウルを記念する博物館として、チェンバレンがここに生きたということすら忘れられようとしている。
このバイロイトという街、今ではこじんまりとした佇まいだが、かつてはブランデンブルク辺境伯の宮廷が置かれていて、フリードリヒ大王の姉が嫁いで来たという歴史もあって、バロックやロココの建物が残っている。その筆頭が、世界遺産、辺境伯オペラハウスで、大変豪華な内装で知られているが、現在は 2018年まで保存改修中。残念ながら、外見と、付設の博物館の展示品のイメージのみしか体験できなかった。
さてさて、バイロイトでまだ訪れるべき場所はあるものの、夜のオペラに備えて一旦宿に帰ることとした。目抜き通り、マクシミリアン通りは、戦後は車道になっていたたようだが、今では石畳に戻され、歩行者用の道。今日は日曜なので、店も大方閉まっており、なんとも穏やかな雰囲気。観光客でもっているはずの街にしては、土産物屋もあまり見かけないし (ワーグナー饅頭とかワーグナー煎餅なんてありそうだと思ったが、どうやらなさそうだ)、日曜だから休むというのも商売っ気ないなぁ・・・。まあそれも、昔戦争で大きな荒波に揉まれた街の、今は大人の表情ということか。