2015年 08月 10日
バイロイト音楽祭 ワーグナー : 楽劇「ラインの黄金」(指揮 : キリル・ペトレンコ / 演出 : フランク・カストルフ) 2015年 8月 9日 バイロイト祝祭劇場
まず、劇場について。座席表を見て頂こう。
さて、ホテルからバスに乗ること 10分弱。見えてきました、祝祭劇場。以下は私自身が写したもので、丘の上に立つ祝祭劇場の雄姿と、開演前を知らせるバルコニーからのファンファーレ。各作品の中の短いテーマが演奏されるが、15分前に 1回、10分前に 2回、5分前に 3回鳴らされる。これを聴いて聴衆たちは席に着き始めるのである。
さて、今回の「指環」4部作であるが、このプロダクションとしては 3年目となる、ドイツのフランク・カストルフの演出、ロシアのキリル・ペトレンコの指揮によるものだ。歌手には私の知った名前は一人もないが、当然バイロイトで「指環」を歌うくらいだから、皆実力者なのだろう。今回、私がこの旅行を決めてから、このペトレンコに関して大きなニュースがあった。世界最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルの次期音楽監督就任が決定したのである。
さてさて、このプロダクションであるが、私自身は事前のイメージなく体験したのであるが、どうやら過去 2年間、酷評に晒されてきたらしい。確かに、見てみてビックリ。私も大概いろんな演出で、特にワーグナーの場合、現代的ないわゆる「読み替え」演出なるものを見て来たが、これはその中でも超ド級である。これまで、バイロイトについての本を読み、ヴァーンフリート荘に出かけて、19世紀から第二次世界大戦中あたりのイメージに浸っていたところ、いきなり冷や水を浴びせかけられたような気分である。一言でまとめてしまうと、その設定の俗っぽさはまだよいとしても、スクリーンによる映像も使ってこれだけうるさく演出されると、観客が音楽に集中することができず、あのワーグナーの変幻極める音楽が、ただの BGM に貶められてしまうのだ。これは前衛的と言って許されるものではなく、音楽への冒涜としか言いようがない。ほかでもないこのバイロイトで、しかも由緒正しき「指環」で、こんなにひどい演出が続けられていること自体、大変な驚きと嘆きを感じさせるのだ。そんなにやりたいなら、ワーグナーを BGM とした映画でも撮ればよいのだ。
もう少し詳細を見てみよう。まず舞台は、1950 - 60年代頃とおぼしき、アメリカのさびれきったモーテル ("Golden Motel") と、それに隣接するガソリンスタンド。いや、"WIFI HERE!" という看板があるということは、その頃にできた汚いモーテルで起こる現代の話という設定か。こんな感じである。
加えて演出家は、もともとの設定にない小細工をいろいろと始める。例えばラインの乙女たちは、アルベリヒに黄金を取られるのを黙って見ていて、その「犯行」を、すぐにヴォータンに電話で知らせているのみならず、残りの話の展開においても、このモーテルの中を出たり入ったり。明らかに、アルベリヒを誘惑して罠にはめ、黄金を盗ませて、それをヴォータンが強奪できる手筈を整える役柄だ。また、ヴォータンとローゲが地下のニーベルハイムに降りて行った際、台本では苦労してアルベリヒを捕まえるわけであるが、この演出では、既にアルベリヒもミーメも、最初から囚われの身で出て来るのだ。その他、ガソリンスタンドのチビの店主が、歌わない役として出てきて、暴行を受けたり店を壊されたり無視されたり、散々ひどい目に遭った挙句、最後はガソリンスタンドの店舗の中で、ほかの一群とともに、ゾンビ踊り (???) を始めるのである。また、上部スクリーンにだけ投影される (しかもモーテルの看板が邪魔になってよく見えない)、謎の殺人事件も起こる。おいおいおい、一体なんなのだこれは。大詰めの、ヴァルハラ城への神々の入場は私の大好きな曲で (学生時代にムシャクチャすることがあると、よく大学の近くの名曲喫茶に行ってはこれをリクエストして発奮していたものである)、どの演出でも、最後にカタルシスを与えてくれる雄大な情景に感動するのであるが、この演出では、城は影も形もない。一体なんなのだ。何がしたいのだ、この演出家は!!
そんなわけで、まあ不愉快な演出であって、ろくに音楽も聴けなかったのであるが、ただ退屈だけはしなかった。ひとつ言えるのは、これは歌手たちにとっては大変な困難を伴う演出であったろう。ただ歌うだけでも大変な曲に、カメラ用の演技も含めて、始終舞台を駆けずり回らなくてはいけない。その点には最大限の敬意を表そう。
終演後、すぐにブーイングが出て、それを一部のブラボーが打ち消した。その後、歌手でブーを受けた人はいなかったから、明らかに演出に対するブーであったわけだ。最も大きい拍手を集めたのはペトレンコであり、さもありなんと思ったものだ。こんなところで才能を浪費することはない。ベルリン・フィル就任に向けて、毎日指揮の素振り100回でもした方が、よっぽどましだ。
ところでこの演奏、日本人の姿が目立った。20人や 30人ではない。50人は優に超えていたであろう。皆さん楽しそうで何よりだが、このようなヨーロッパの格式あるイヴェントでは、やはり盛装がマストであるところ、かなりの人たちが通常の背広であった。断言する。これはやはり、間違っている。若い人たちも何人もいて、あまり経済的に余裕がないのかもしれないが、どのみちバイロイトまで大変なお金をかけて来ているわけであるから、あとほんの数万円、衣装にかけるべきであった。Aoki でも青山でもいい、今はフォーマルもそれほど無理ない値段で買える。私自身は、毎年ブラックタイのイヴェントがあるのでタキシードを数年前に購入したが、何を隠そう、Aoki での購入だ。ちなみにクッションは 150円だ!! 音楽を聴くということは、ただ純粋に音楽を楽しめばよいというものではない。それは、野蛮人の発想だ。郷に入っては郷に従え。この素晴らしい音楽を生んだヨーロッパ文明への敬意が必要だ。このブログをご覧の方で、ヨーロッパの音楽祭に参加予定の方がおられれば、是非このことを肝に銘じて頂きたい。