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ドイツ、ニュルンベルク その 2 : ドク・ツェントルム、ナチス党大会跡

さて、ニュルンベルクでどうしても訪れたいと思った場所、それはナチに関係する場所だ。ワーグナーとのつながりによる興味からも、正しい歴史認識のためにも、是非見ておきたい。ガイドブックを見ると、あの党大会の開かれた場所には、ドク・ツェントルムなる施設があるらしい。街の東南の方角だ。また、戦後のニュルンベルク裁判が行われた場所の見学もどうやらできるらしく、それは街の北西。さて、どちらに行くか選択をしなければ。暑さと疲れで朦朧としながらも、やはり党大会跡を優先しようと思い立つ。このような光景の舞台だ。
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ナチは、政権奪取前から党大会を何度か開いていて、ここニュルンベルクでも1927年に開かれている。その後1933年に政権奪取してからは、この地を「帝国党大会の都市」とすることを決め、その後 1938年まで毎年開かれたとのこと。その理由は、南北で見れば国のほぼ中間にあることや、既に見た通り、神聖ローマ帝国の主要都市として中世から繁栄した街であったこと、それから、ワーグナーの愛国的オペラの舞台になっていることも好都合であったのだろう。それにしても、すごい規模の集会だ。世の中には、ナチがクーデターで非合法的に政権を取ったと思っている人もいるかもしれないが、そうではない。初期の段階では手段を選ばすに活動したとはいえ、最終的にはドイツ国民の熱狂的な支持を受けて、合法的に政権を手に入れたのだ。思えばワーグナーも、もともとはドレスデン蜂起などで指名手配された、いわば国の不満分子であったわけで、それがバイエルン国王の庇護のもと (しかも、一度追放されてもまた戻って来て)、音楽界の巨匠に成り上がったことは、尋常なことではない。ワーグナーとヒトラーを短絡的に結びつけたくはないが、他の欧州主要国に比べれば新興国であったドイツでは、19世紀でも 20世紀でも、様々な要因によって、何か熱狂的なものが求められていたとは言えるであろう。

能書きはともかく、現地に到着してみると、このような表示が。日本語のガイドブックにも、「ドク・ツェントルム」と書いてあって、バック・トゥー・ザ・フューチャー (古いな) ではあるまいし、どういう意味かと思いきや、「ドク」とは Dokumentation、英語でいう Documentation だ。ツェントルムはセンターだろうから、ドキュメンテーション・センター、すなわちナチ勃興とナチズムについての証拠書類を集めた場所という意味なのだろう。この直截性がなんともすごい。「安らぎ」とか「繰り返さない決意」という情緒を含んだ言葉を選ばない点、ドイツのナチズムとの厳しい対峙姿勢が見て取れる。
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中に入ると、以下のような入り口に始まり、ナチの結成以来の歴史に関する詳しい展示が、様々な写真とともになされている。
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ところで、上の写真でも、何やら煉瓦のような構造体が見える。この建物は一体何なのだろうか。ずっと進んで行くと、屋外に続くガラス張りのテラスがあり、そこから見える光景はこんな感じだ。
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なんとも大規模な馬蹄形の建造物だ。実はこれ、未完成に終わった、ナチの大会議場なのである。この後地面に降りて、そこで見かけた説明版に、完成予想図がある。反射していて少し見づらいが、こんなものである。屋根もついて 50,000人を収容する巨大な施設になるはずだった。
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さらに言うと、このあたり一帯が、まさにナチの威容と権威を表す巨大施設の集合体となる予定であった。以下の写真で、左手前がこの大会議場 (黄色は実際には完成しなかったことを意味するので、屋根の部分だけが黄色だ)。その左奥に見えるグラウンド様の場所 (色がついていないということは、当時完成していたことを意味する) は、上記の大集会が開かれた Zeppelin Field だ。そして湖を突っ切って伸びる大通りが続く先は、結局は完成しなかった、巨大な March Field (軍事パレード用の土地) である。結局そこは計画で終わったので、全体が黄色く塗られている。
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この場所は 19世紀から、ニュルンベルクの人たちの憩いの場所であったらしい。このようなのどかな風景だった。
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この湖は今もあって、豊かな水を湛えている。係の人に尋ねると、例の Zeppelin Field までは湖沿いに歩いて行くことができ、その後湖を一周して大通りを通ってドク・ツェントルムに帰って来ることができるという。そこで、例の重い図録をコインロッカーにぶち込んで、炎天下の中、歩いてみる一大決心をしたのである。・・・だが、歩き出してすぐに後悔した。湖はかなり大きく、一周 3kmくらいはあるだろう。既にヘトヘトのこの体、果たして生還できるだろうか。いや、ここで斃れるわけにはいかない。歴史の真実をこの目で見なければ。というわけで、いささか大げさに自分を励まし、その割にはこまめに水を飲み、木陰と見ればいそいそとそこを通って、歩き出した。湖の反対側から見た大会議場。
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まず目指すのは、Zeppelin Field。
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あ、見えてきました。完全に廃墟と化して、雑草が生えている。正面の部分 (いちばん上の写真で、ハーケンクロイツが並んでいる列柱の真ん中にある、恐らくは要人席か) と左右の座席が残されているが、"Enter at your own risk" などと、つれない看板がある。特に維持保存処理をしているわけではなく、崩れても責任持たんぞということだろう。この場所の前は道路になっているが、通行止めだ。いわば昔のスタジアムの忌まわしさを断ち切るように、場所そのものが分断されている。
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それにしても、自分が今歴史の舞台にいることを、ダラダラ流れる汗とともに実感する。いや、でもこれは何百年も前の話ではない。たかだが 70年や 80年前の話だ。ただその頂点と崩壊が極端であったため、「つわものどもが夢のあと」という感覚を、痛切に感じることができる。残された正面の建造物は、上の方が崩れていて、よく見ると銃弾のあとのようにも見える。
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また、ヒトラーが立ったであろう、正面中心のバルコニーに立ってみる。ずっと向うに、反対側の客席が見える (最初から 2番目の写真で、ハーケンクロイツの幟が立っているところ)。炎暑にゆらゆら揺らめく映像が、「ハイル!! ハイル!!」という幻聴を呼び起こす。今は限りなく静かな場所だ。本当に何万もの人々が、ここで熱狂に身を委ねていたのだろうか。
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ただよく見ると、いや、よく見ずとも一見して明らかなのだが、この場所、今でもグラウンドとして使われているようだ。確かに、これだけの規模の敷地を無意味に放置するのはもったいない。過去は過去として、現代の人々が有効活用できる方がよい。但し、今残っている建造物自体も、全く手を加えなければいずれ朽ち果てるであろう。歴史を実際に体感できる場所として、できれば保存してほしいと思う。忌まわしさに目を背けることなく対峙しているドイツ人のこと、いずれそのようにするのではないだろうか。

そして、湖の横を通って、大通りへと出た。果てしない一直線だ。左を見る。
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そして右を見る。
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軍靴の音は聞こえない。人っ子ひとりいない。この虚しさはどうだ。まるでキリコの描くシュールな昼下がりという感じではないか。

それからドク・ツェントルムに戻る途中、面白いものを発見。ニュルンベルク交響楽団のオフィスだ。恐らくはナチの遺構である大会議場の一部を練習場として活用しているのではないか。いや、この入り口の雰囲気は、ただの練習場とかオフィスだけでなく、コンサートも開いているのかもしれない。ユニークな試みではあるが、大変有意義なことなのではないか。
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さて、なんとかドク・ツェントルムに生還することができた。あとは、ニュルンベルク裁判が開かれた法廷まで出かけるかどうかだ。時刻は既に 16時45分。多分もう無理だろう。またの機会にしよう、と決心し、重い図録を再び手に取って、ニュルンベルク駅に引き返した。

ハードな一日であったが、バイロイトのホテルに戻ってきて調べてみると、ニュルンベルク裁判が開かれた法廷は一般公開しているものの、火曜日は休みとのこと。この日はたまたま火曜であったので、夕方から無理して出かけて行っても、無駄骨になるところであった。やはり、危険なほど暑い炎天下に歴史遺産めぐりをする者に、まああまり無理すんなやという、天の声であったのかもしれない。よーし、次回は絶対行くぞー。地元でこんなマニアックなガイドブックも手に入れたし、次回は万全です。
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by yokohama7474 | 2015-08-12 16:43 | 美術・旅行