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藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美 サントリー美術館

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六本木の東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で開催中のこの展覧会のユニークな点は、あるひとつの美術館の所蔵品ばかりからなる展示が、ほかの美術館でなされていることである。海外の美術館の場合、例えば建物が修復されている間にこのような「引っ越し興行」が日本で行われるケースはあるものの、国内同士でのこのような展覧会は珍しい。副題に、「名品ずらり。めっちゃええやん!」とある。えぇー、翻訳しますと、「めっちゃええやん」とは関西の方言で、「大変よいではないですか」の意味です。あ、翻訳必要ないか (笑)。では、次のポイントは、なぜここで関西弁が使われているかということだが、答えは簡単。今回展覧されている美術品はすべて、大阪にある藤田美術館から来ているからだ。
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ご存じの方も多いと思うが、この藤田美術館、藤田財閥の創設者、藤田 傳三郎 (1841 - 1912) のコレクションを中心として 1954年に開館した、東洋美術専門の美術館である。藤田財閥と言っても今となってはあまりイメージがなく、わずかに藤田観光だけが一般的に知名度があるくらいだが、明治初期から建設・土木、鉱山、電鉄、電力開発、金融、紡績等をてがけた関西有数の企業グループである。現在、藤田の大阪本邸 (藤田美術館の正面) は結婚式場の太閤園、東京別邸は椿山荘、箱根別邸は箱根小涌園、京都別邸はホテルフジタ京都になっていると言えば、その往年の規模について少しはイメージが沸こうというものだ。そしてこの美術館、なによりもそのコレクションの質の高さでつとに名高い。なにしろ、国宝 9点、重要文化財 51点を含む数千点を所有していて、個人のコレクションとしては日本有数だ。そして何より名高いのは、曜変天目茶碗!!
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曜変天目茶碗について知識のない人でも、この尋常ならぬ鮮やかで深い青に魅せられない人はいないだろう。まさに宇宙を写し出しているような究極の美がここにある。曜変とは、見る角度によって色彩が様々に変わることをいい、天目茶碗というのは、鉄分を含んだ釉薬を使った中国伝来の茶碗のこと。世の中に天目茶碗は数々あれど、「曜変」と称されるものは、世界にたった 3点しかない (この藤田美術館と、静嘉堂美術館、そして大徳寺龍光院の所蔵)。正確にはもう 1つ、曜変天目と呼んでもよいか否か議論があるものがあるが、写真で見る限り、その茶碗 (MIHO Museum 所蔵) は美しい光沢はあるものの、少し渋めの色をしている。議論の余地なく曜変と呼ばれているものはすべて国宝、議論のあるものは重要文化財に指定されている。

私はこれまで藤田美術館には、3度か 4度訪れており、そこで過去にこの曜変天目茶碗を確か 2度見ている。つい昨年の秋、創立 60周年記念で展示されたときにも見たばかりだ。それでも、今回東京で見ることができるとなると、当然足を運ばすにはいられない。申し遅れたが、この藤田美術館、年に春と秋の限られた期間しか開館しておらず、その時々で膨大な所蔵品の一部が公開されるというシステムだ。因みに、もうひとつの曜変天目茶碗を所蔵する静嘉堂美術館 (三菱のコレクション) も同様の形態を取っており、私はそこでも曜変天目を見たことがある。唯一、大徳寺龍光院だけが (ここはこの茶碗以外にも国宝建造物が幾つかあるのだが) 拝観拒絶の寺となっており、私の知る限り、門戸を開いたことはないようだ。

さて、この藤田美術館、数々の名品を所蔵しているにもかかわらず、なんとも残念なことがある。それは展示施設だ。このあたりは戦争の被害も大きく、藤田の屋敷の中で焼け残った蔵を展示場にしているという。中に入ってみると、そこは明らかに蔵そのもので、開館から 60年を経て、木製の展示ケースは古びてガラスもくたびれた感じであり、照明も、気の利かない昔の蛍光灯だ。格子のはまった窓は開け放たれ、そこを自然の風が通って、空調はあるのかないのか分からない。外の天気がよければ薄暗いというほどではないにせよ、最新の美術館の凝った展示方法や LED 照明に比べると、正直言ってなんとも残念な展示空間であることは否めない。図録に載っている藤田美術館の内部の様子は以下の通り。
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それゆえ、今回のような初の「出張展示」には大きな意義があろう (尚、東京展のあとは、10月6日から11月23日まで、福岡市美術館に巡回)。なにせ、日本有数のイケてるビル、東京ミッドタウンにある、最新設備を備えた美術館である。実際、この曜変天目をはじめ、数々の名品の、活き活きと輝いて見えたこと。展示方法はまさに美術品の真価に関わる問題だ。例えば曜変天目茶碗は、すだれ状のもので他から隔てられた暗い空間に、鮮やかな照明によって浮かび上がるように展示されていた。観客はその場所に足を踏み入れる瞬間、ワクワクした期待を抱き、超一級の美術品との対峙にふさわしい環境に浸ることができるのだ。これは誠に貴重な機会であると言わねばならない。

会場では多くの国宝・重要文化財を見たが、今図録で数えてみると、この美術館の所蔵する国宝 9点はすべて展示されている!! 重要文化財は 30点だ。まさに藤田美術館の名品勢揃い。これは東洋美術ファンには必見の展覧会といえよう。ほかの展示品をいくつかご紹介する。鎌倉時代の名仏師、快慶作の地蔵菩薩立像。快慶には同様の美麗な地蔵や阿弥陀が多くあるが、いかにも快慶らしい端正な作りである。重要文化財。この像も、ガラスケースには入っているものの、照明にくっきりと浮かび上がり、前から横から後ろから、じっくりと鑑賞することができて嬉しい。
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これは、室町時代の春日厨子。藤原氏の氏神である奈良、春日大社の情景を描いた春日曼荼羅を立体表現したもの。今でも奈良のシンボルである鹿が、神の使いとして鏡を頭に乗せる、ユニークな造形。
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工芸品の国宝から、仏功徳蒔絵経箱 (ぶつくどくまきえきょうばこ)。平安時代、11世紀のもので、木製、漆塗の蒔絵である。お経を収める箱であるが、極めて薄手の木でできているにもかかわらず、法華経に取材した絵がよく残っている。こういうものを見ると日本人の器用さと、また、尊いものを守ろうという思いを実感することができる。
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国宝、紫式部日記絵詞。同時代のものではなく、鎌倉時代に描かれたものだが、優雅な王朝文化を美しく描いている。
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そうそう。先日、幽霊画についての記事で、応挙のオーキョドックス、いや、オーソドックスな幽霊画を紹介し、私としては、応挙よりも弟子の長澤 蘆雪 (1754 - 1799) の方が好みであると書いたばかりだが、なんとなんと、それを企画者が知っていたかのように、この展覧会に面白い作品が。これはその蘆雪が描いた三幅画であるが、真ん中がまさに応挙スタイルの幽霊、左が狐の妖怪、白蔵主 (はくぞうす)、右がどくろと戯れる子犬である。これ、よく見ると、いずれも絵から抜け出てきたように描いた、いわゆるだまし絵の一種だ。ここにあふれるユーモアの感覚、どうですか。幽霊のみならず、右側の犬も応挙風だが、その発想たるや、全く独自のユーモアを持っており、あたかも蘆雪が、師匠をからかっているような雰囲気ではないか。
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と、美しいものや珍しいもの、貴重なもの、いろいろあって、確かに「めっちゃええやん!」と叫びたくなる展覧会である。茶道具なども沢山展示されていたが、最後にひとつ、面白いものをご紹介しよう。これは、中国、明から清の時代 (17世紀) のものと思われる、交趾大亀香合 (こうちおおがめこうごう) である。香合とは、茶道具の一種で、香を入れるもの。
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交趾とはヴェトナム北部のこと。愛嬌のある亀の形をしているが、盆が付属しており、その裏に千利休の花押がある。この香合は幕末の番付で東の大関として載り、高い人気があった。藤田傅三郎は長い間この香炉に憧れを抱き、明治 45年、亡くなる直前に念願叶ってこれを入手したという。これが番付。右側最上段右端に、「交趾大亀」とあるのが見える。
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藤田のコレクションには、ただ金にあかせて買い漁ったということではない、美術品への愛情が見えるような気がする。明治の近代化の過程で、廃仏毀釈や旧家の没落などが起こり、多くの名品が海外に流出したが、藤田はそれを憂えて、国内にまとまった規模で美術品が留まるよう、コレクションを決意したとも伝わっている。もちろん、金がなくてはできないことではあるし、金のある人がその金をどう使おうと自由だが、やはり自国の文化を守るという姿勢があったからこそ、後世の人々の心を動かすようなめっちゃええコレクションが形成されたということであろう。価値観も多様化し、このようなことは今後なかなか起きないだろうし、現代の億万長者はまた別の文化貢献の形態があるとも思うが、この藤田の名を冠したコレクションが、末永くその価値にふさわしい扱いを受けるよう、願ってやまない。

by yokohama7474 | 2015-09-12 00:24 | 美術・旅行