2015年 09月 20日
東京 大田区 「六郷用水と映画の街蒲田」菖蒲園跡、粺田神社、円頓寺、梅屋敷公園、キネマ通り、夫婦橋、ミスタウン映画街跡、松竹キネマ撮影所跡
http://www.o-2.jp/machiaruki/
東京以外にお住まいの方は、「おおたく」というと、「太田区」と勘違いされることが多いと思う。正解は、テンのない「大田区」だ。その理由は簡単。区内の 2大繁華街 (?)、大森と蒲田をくっつけでできた名前であるからだ。それさえ覚えれば、もう間違えることはないでしょう。これであなたも、どこから攻められても大丈夫な、筋金いりの大田区通!! それから、もうひとつ覚えておきたいのは、蒲田駅には 2つあって、ひとつは JR 蒲田駅、もうひとつは京浜急行蒲田駅であることだ。この 2駅は直線距離で 1km 弱離れていて、なんとか 2駅間を結ぶ「蒲蒲線」ができないかと検討されてきており、確か東京オリンピックに向けての整備案にもあったと思うが、どうなったのだろう。京急蒲田駅周辺は近年高架となり、踏切渋滞の解消と羽田空港へのアクセスのよさが実現されているが、JR 蒲田駅周辺もそれにまけじと再開発継続中である。
さて、今回のツアーは、JR 蒲田駅東口ロータリーに集合し、約 3.5km の道のりを 2時間くらいかけて歩こうというもの。さてここには、大田区通なら知っておかねばならない彫像がある。そう。モヤイ像だ。「えっ?! モヤイ像って渋谷じゃないの?」と驚くなかれ。渋谷にあるものと同じようなモヤイ像がどっしりと存在していて、説明板もある。なんでも、渋谷のものと同じく大島から送られたもので、もともと対になっていたもう 1体は、今では青森にあるらしい。この正面の顔の前になぜか空き缶が置いてあるのが、蒲田らしいと言えば蒲田らしい (笑)。
いよいよ出発前の説明となった。まずはこの蒲田駅東口の再開発の説明から入るが、実は数日前にここで大規模な映画のロケが行われたとのこと。それは東宝が来年公開予定で撮影中の、新作ゴジラ映画だというではないか!! 確か前作でもうゴジラはやりませんと宣言したはずだが、ハリウッド版があまりに恐竜じみているのでまた日本で作ることになったのか?! 調べてみると、脚本・総監督 : 庵野 秀明、監督 : 樋口 真嗣という期待できるコンビである。
http://www.oricon.co.jp/special/47834/
それにしても、なぜゴジラは蒲田にやってくるのか。昔たくさんあったキャバレーも、もうほとんどないと案内の人が言っていたから、キャバレー目当てではなさそうだ。多分、羽田に上陸して都心に進むときの、蒲田はただの通り道というのが妥当な推測ではないだろうか。あるいは、モヤイ像がモヤい合ってゴジラと対決?! いずれにせよ、楽しみだ。あ、それから樋口監督、労働者の彫像に、自らの監督作「進撃の巨人」との共通性を見出したことだろう。
ところで、私の手元には、昔の大田区の写真集が何冊かあるのだが、そこに何枚か、蒲田駅の写真があるのでご紹介しよう。最初が昭和10年。なかなか立派な駅舎ではないか。もともと蒲田駅の開業は明治 37年。あとで説明する菖蒲園の開園がきっかけになったともいい、当初の利用者は 1日数人だったが、大正 9年に年間 130万人、昭和 7年には 1,370万人に急増した由。
・古代から近世までの蒲田
・六郷用水が通る蒲田
・映画の街としての蒲田
なじみのない方にご説明すると、六郷用水とは、多摩川の水を今の狛江市で取水し、それを六郷領と呼ばれた現在の大田区地域に水路網を張り巡らせたもの。1590年に江戸に入り、この六郷領が広大な平地であるにもかかわらず水利の悪い土地であることに気づいた徳川家康が、小泉次大夫に命じ、14年かけて作られた。これによりこの地域は稲作地帯へと変貌したが、その後工場の進出により灌漑用水としての役目を終え、生活排水路となり、暗渠となっていったもの。現在でも大田区の街を歩くと、もと六郷用水が通っていた場所があちこちにあって、ブラタモリではないが、過去の土地の歴史が分かると、なんとも興味深いものがいろいろ見えてくるのだ。このあたりの昔の様子は以下の通り、呑川 (のみかわ) と六郷用水の中に重要施設が点在しているのが分かる。
東邦医大通りから少し右に入ると、左手に薭田神社 (ひえたじんじゃ) が見える。この神社の歴史は恐ろしく古く、社伝によれば、709年に僧行基が刻んだ神像が神社のもととなっており、10世紀に編纂された「延喜式」にその名が記載されているらしい。「薭田」という字が転じて「蒲田」という地名になったという説が有力であるとのことで、まさにこの土地の歴史の始まりがここにあるようだ。
こうしてツアー後半戦は、名誉の負傷とともに継続することと相成った。実際地図を (ほかにぶつからないように注意しながら) 再度見てみると、まだ半分しか来ていない。ほかの年輩の参加者の方々はお元気そうだ。なんとか足を引きずりながらついて行くしかない。
キネマ通り。これは撮影所とは関係なく、キネマ館という映画館が昔あったことによるそうだ。ほっほう、文字がさかさまだが、「キネマのびっくり市 プレゼントセール」か。なんとも昭和な感じがよい。「キネマを逆から読むと寝巻だな」、などと関係ないことを考えて、足の痛みを忘れるという悲痛な努力をする私。実は、キネマを逆から読むと、「招き」であって「寝巻」ではないのだが・・・。
さて、名誉の負傷を負いながらのツアーも、ようやく最終目的地が見えてきた。昔の松竹撮影所跡には、今、アプリコという大田区のコンサートホールが立っている。そのホールでコンサートを聴いたことはあるが、そこに、撮影所の正面に架かっていた小さな橋の跡が残されていようとは。その橋とは、松竹橋。この写真の手前に写っているのがそれだ。