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東京 大田区 「六郷用水と映画の街蒲田」菖蒲園跡、粺田神社、円頓寺、梅屋敷公園、キネマ通り、夫婦橋、ミスタウン映画街跡、松竹キネマ撮影所跡

以前、大田区の名所である池上本門寺と、一年に数日だけ一般公開される庭園、松濤園についてご紹介したが、実は松濤園の受付 (朗峰会館という建物) で、大田観光協会なる社団法人が発行している「大田区まち歩き News」というものが目に留まった。何の気なしにめくってみると、大田区内の街歩きツアーのあれこれが紹介されている。これは面白そうだぞと家人と意気投合し、今回、「六郷用水を中心に歴史が見えるまち歩き」なるシリーズのうち、「六郷用水と映画の街蒲田」なるツアーに申し込むことにした。忘れないうちに書いておくと、もしこのようなツアーにご興味がおありの向きは、以下のサイトでチェックされるとよい。都内の方にとっては、超安・近・短の面白い旅となること請け合い。
http://www.o-2.jp/machiaruki/

東京以外にお住まいの方は、「おおたく」というと、「太田区」と勘違いされることが多いと思う。正解は、テンのない「大田区」だ。その理由は簡単。区内の 2大繁華街 (?)、大森と蒲田をくっつけでできた名前であるからだ。それさえ覚えれば、もう間違えることはないでしょう。これであなたも、どこから攻められても大丈夫な、筋金いりの大田区通!! それから、もうひとつ覚えておきたいのは、蒲田駅には 2つあって、ひとつは JR 蒲田駅、もうひとつは京浜急行蒲田駅であることだ。この 2駅は直線距離で 1km 弱離れていて、なんとか 2駅間を結ぶ「蒲蒲線」ができないかと検討されてきており、確か東京オリンピックに向けての整備案にもあったと思うが、どうなったのだろう。京急蒲田駅周辺は近年高架となり、踏切渋滞の解消と羽田空港へのアクセスのよさが実現されているが、JR 蒲田駅周辺もそれにまけじと再開発継続中である。

さて、今回のツアーは、JR 蒲田駅東口ロータリーに集合し、約 3.5km の道のりを 2時間くらいかけて歩こうというもの。さてここには、大田区通なら知っておかねばならない彫像がある。そう。モヤイ像だ。「えっ?! モヤイ像って渋谷じゃないの?」と驚くなかれ。渋谷にあるものと同じようなモヤイ像がどっしりと存在していて、説明板もある。なんでも、渋谷のものと同じく大島から送られたもので、もともと対になっていたもう 1体は、今では青森にあるらしい。この正面の顔の前になぜか空き缶が置いてあるのが、蒲田らしいと言えば蒲田らしい (笑)。
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この像、両サイドに顔があって、裏の顔はこんな感じ。これは女性ではないか。雌雄一体のようだ。ではモヤイには性別はないか、または両性具有、ヘルマフロディットかまたはアンドロギュノスということか (難しいって)。
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このような昭和の雰囲気と気合のあふれる解説も、なんともいい感じだ。「人々よ、蒲田でモヤい合おう!!」ということだ。「Why not ! モヤイもっと!!」という感じになるではないか。
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ふと見ると周囲にはいくつかの彫刻が。職人の街大田区を象徴するような力強い彫刻がこれだ。「躍進工業蒲田」とある。力強い職人が、全裸で歯車を抱えている・・・が、なぜか不自然さが。おっと、これ、本当に男か? 股間が不自然ではないか。ここにも両性具有?? いやいや、「進撃の巨人」か (笑)。
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さて、まだツアーが始まってもいないのに早くも寄り道しているのは私たちくらいで、集合場所には既に 3人の案内の人たちと、10名弱の参加者の人たちが。案内の方々は大田区の職員さんだろうか、あるいは、定年後の趣味でボランティアをなさっているのだろうか。いずれにせよ、各自が同時通訳のときにかけるようなイヤホンを配られ、説明者が喋ると、少し離れていても説明が聞こえるという気配り。これがもし、「大田区を歩こう会」などと気の利いたつもりの面白くないしゃれを入れた旗が立ち、ワッペンをつけさせられ、化粧の濃いベテランの女性ガイドが白手袋をつけ、大きなスピーカーを使って裏声で説明してくれる、といったアレンジだったら、その場で帰ろうかと思っていた。なんとも大人なツアーである。

いよいよ出発前の説明となった。まずはこの蒲田駅東口の再開発の説明から入るが、実は数日前にここで大規模な映画のロケが行われたとのこと。それは東宝が来年公開予定で撮影中の、新作ゴジラ映画だというではないか!! 確か前作でもうゴジラはやりませんと宣言したはずだが、ハリウッド版があまりに恐竜じみているのでまた日本で作ることになったのか?! 調べてみると、脚本・総監督 : 庵野 秀明、監督 : 樋口 真嗣という期待できるコンビである。
http://www.oricon.co.jp/special/47834/
それにしても、なぜゴジラは蒲田にやってくるのか。昔たくさんあったキャバレーも、もうほとんどないと案内の人が言っていたから、キャバレー目当てではなさそうだ。多分、羽田に上陸して都心に進むときの、蒲田はただの通り道というのが妥当な推測ではないだろうか。あるいは、モヤイ像がモヤい合ってゴジラと対決?! いずれにせよ、楽しみだ。あ、それから樋口監督、労働者の彫像に、自らの監督作「進撃の巨人」との共通性を見出したことだろう。

ところで、私の手元には、昔の大田区の写真集が何冊かあるのだが、そこに何枚か、蒲田駅の写真があるのでご紹介しよう。最初が昭和10年。なかなか立派な駅舎ではないか。もともと蒲田駅の開業は明治 37年。あとで説明する菖蒲園の開園がきっかけになったともいい、当初の利用者は 1日数人だったが、大正 9年に年間 130万人、昭和 7年には 1,370万人に急増した由。
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しかしながら、この地区は戦争で焼け野原になってしまった。昭和 30年代のバラック駅舎がこれだ。
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そして、今回待ち合わせ場所になった東口ロータリー。昭和 32年の撮影。何やら想像できる気がする。左の三和銀行は、つい先日まで三菱東京 UFJ 銀行だった (今は、斜め向かいあたりにあったみずほ銀行が、再開発取り壊しのためここに移転)。この蒲田駅東口は、GHQ が羽田空港拡張のための資材置き場にしていたため、この頃まで開発が遅れたが、その用地を逆に利用して、映画館が続々誕生したということらしい。蒲田といえば映画だが、それは松竹撮影所があったからというのが無理のないイメージであるところ、実は、松竹は昭和 11年に大船に移転しているので、興業の世界で戦後蒲田が賑わった理由は、撮影所があったからではなく、職人さんやサラリーマンが沢山いて、庶民の娯楽が発達したということらしい。
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さて、前置きが長すぎるが、そろそろツアーに参加しよう。今回のルートは以下の地図の破線である。
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今回探訪する蒲田は、大別すると以下の 3つ。
・古代から近世までの蒲田
・六郷用水が通る蒲田
・映画の街としての蒲田

なじみのない方にご説明すると、六郷用水とは、多摩川の水を今の狛江市で取水し、それを六郷領と呼ばれた現在の大田区地域に水路網を張り巡らせたもの。1590年に江戸に入り、この六郷領が広大な平地であるにもかかわらず水利の悪い土地であることに気づいた徳川家康が、小泉次大夫に命じ、14年かけて作られた。これによりこの地域は稲作地帯へと変貌したが、その後工場の進出により灌漑用水としての役目を終え、生活排水路となり、暗渠となっていったもの。現在でも大田区の街を歩くと、もと六郷用水が通っていた場所があちこちにあって、ブラタモリではないが、過去の土地の歴史が分かると、なんとも興味深いものがいろいろ見えてくるのだ。このあたりの昔の様子は以下の通り、呑川 (のみかわ) と六郷用水の中に重要施設が点在しているのが分かる。
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蒲田駅から歩いてほんの数分、現在の「あやめ橋」のあたりに、明治35年 (1902年)、菖蒲園ができた。一説によると、そこに人を呼ぶために住民の運動が起きて、今の蒲田駅が開業したとのこと。上の地図でも分かる通り、この菖蒲園、かなり大きなものだったようで、敷地は一万坪。大正時代まで人気のスポットであったらしい。現在のあやめ橋の欄干には菖蒲の模様が刻まれているが、昔日の様子を想像するのは難しい。
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古い絵葉書だろうか。白黒に着色した菖蒲園の様子。人の顔が、今の日本人と違っている!!
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菖蒲園跡から東邦医大通りに入る。その突き当りに現在、東邦大学医療センターがあるが、その前身は帝国女子医専といって、NHK の朝ドラ「梅ちゃん先生」で主人公が通う大学のモデルになっているそうだ。まあ、堀北真希のような学生がいたかどうかは知りません (笑)。

東邦医大通りから少し右に入ると、左手に薭田神社 (ひえたじんじゃ) が見える。この神社の歴史は恐ろしく古く、社伝によれば、709年に僧行基が刻んだ神像が神社のもととなっており、10世紀に編纂された「延喜式」にその名が記載されているらしい。「薭田」という字が転じて「蒲田」という地名になったという説が有力であるとのことで、まさにこの土地の歴史の始まりがここにあるようだ。
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すぐ先に円頓寺という寺がある。小田原北条氏の家臣、行方 (なめかた) 氏ゆかりの寺。行方 弾正の供養塔があるとのことだが、門は開いていないので、由緒を書いた石碑を撮影 (すみません、読めません)。
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それから大通りである第一京浜 (旧東海道) へ。そこには昔梅園があり、梅屋敷と呼ばれていた。今でも京浜急行に梅屋敷という駅があるが、その謂れは知らなかった。今は小さな公園になっているが、江戸時代は名所として知られ、広重の「江戸名所図会」にも採り上げられているらしい。東海道に面してはいるが、江戸の中心からは遠く離れているので、幕末の志士たちが会合を開いたこともしばしばあったとのこと。また、明治天皇もこの地が大層お気に入りで、何度も立ち寄ったそうだ。この場所、何度も車で通りすぎたことがあるが、このような歴史ある場所の名残が存在するとは、全く気付かなかった。無知とは嘆かわしいことだ。
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昔の梅屋敷の様子はこんな感じであったらしい。
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さて、ここまででも充分興味深く、歴史の残り香を求めてキョロキョロしていたのだが、トイレ休憩の際にアクシデント。冒頭に掲げた地図を見ながら、歩いてきた道を思い出し、過去に思いを馳せていると、突然右足太ももに強い衝撃が!! あまりの痛さにもんどりうって、何が起きたのかと思って振り返ってみると、自転車が入らないように半円形の金属の柵 (ちょうど腿くらいの高さ) がいくつか地面に設置されているところを、ちょうど夢中になって地図を目の前に開いてスタコラ歩いていたためにその存在に気づかず、速度を落とすことなくそのまま激突したというわけ。目を白黒させて右足を抑える私を見て、家人は私がいつもの悪ふざけをしているものと思ったらしいが、これは痛かった。私はせっかちな性格で、歩くのが早いのだ。一方、金属の柵は、通行するものをなんであれ妨害するのが役目だから、ちょうど視界の全面を地図に占拠されているアホな男に容赦せず、全力でぶつかったというわけだ・・・。

こうしてツアー後半戦は、名誉の負傷とともに継続することと相成った。実際地図を (ほかにぶつからないように注意しながら) 再度見てみると、まだ半分しか来ていない。ほかの年輩の参加者の方々はお元気そうだ。なんとか足を引きずりながらついて行くしかない。

キネマ通り。これは撮影所とは関係なく、キネマ館という映画館が昔あったことによるそうだ。ほっほう、文字がさかさまだが、「キネマのびっくり市 プレゼントセール」か。なんとも昭和な感じがよい。「キネマを逆から読むと寝巻だな」、などと関係ないことを考えて、足の痛みを忘れるという悲痛な努力をする私。実は、キネマを逆から読むと、「招き」であって「寝巻」ではないのだが・・・。
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呑川のほとりに立つ北野神社。その名の通り天神様を祀っているようだが、大雨だかで上流から他の神社の御神体が二度も流れついたゆえ、「神様はよほどここがお好きなのだろう」ということで建てられたそうな。「神様、北野神社にきたのか」と、またまた救いがたいダジャレで痛みを忘れようとする私。
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次は夫婦橋。かつて呑川に堰が設けられて、六郷用水が分水されていたため、橋が旧東海道に二本並んでいたため、このような名前がついた。その夫婦橋の親柱 (橋の四隅の柱) が 2箇所に分かれて保存されている。これは、すぐ近くの公園に設置されたもの。この公園は、昭和まで使われていた舟揚場で、やはり過去へのノスタルジーを掻き立てる。
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ここで京急蒲田駅の反対側に出る。来るときに通った菖蒲園の、呑川の反対側に出ると、目立たないところに、蒲田橋という、今は存在しない橋の親柱が。昭和初期のもので、橋がなくなって無用の長物となったとき、老朽化したこの親柱は破棄される運命にあったが、有志の方々の努力で、今の場所に設置することができたという。昔の蒲田の中心地はこの橋のあたりであったらしく、その歴史を未来に留めたいという思いが、困難を可能にしたわけである。過ぎた時間に思いを馳せると、足の痛みも少しは和らぐ・・・気がする。
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さて、残りは映画に関する過去の痕跡めぐりだ。先にも書いたが、JR 蒲田駅東口近辺は、戦後 GHQ の資材置き場になっていたため、開発が遅れたが、その代わりに土地が沢山あったので、昭和 30年代に映画館が立ち並び、浅草、新宿と並ぶ映画館の多さを誇ったという。逆川 (さかさかわ) という支流の近くに、ミスタウン映画街というものがあったらしい。面白いのは、松竹の撮影所は既に戦前にこの場所にはなくなっていたにもかかわらず、人々の頭の中に、蒲田と映画を結びつけたのは、ひとつにはやはりその撮影所であったのではないか。昔のミスタウン街とは、今の相鉄ホテルの裏側 (?) あたりだったらしいが、そのあたりに大変面白いものが残っている。このような遊興施設。
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中に入って左の階段を数段降り、振り返ってみると・・・。
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なんとなんと。これ、知っている人に教えてもらわないと、絶対に辿り着けない (笑)。なぜこのように、外から絶対見えないところに立っているのか。この記念柱は、昭和 42年に建てられ、文字を揮毫したのは、松竹の大プロデューサー、城戸四郎 (1894 - 1977) だ。なんとも味わい深い。

さて、名誉の負傷を負いながらのツアーも、ようやく最終目的地が見えてきた。昔の松竹撮影所跡には、今、アプリコという大田区のコンサートホールが立っている。そのホールでコンサートを聴いたことはあるが、そこに、撮影所の正面に架かっていた小さな橋の跡が残されていようとは。その橋とは、松竹橋。この写真の手前に写っているのがそれだ。
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まず、アプリコ前に、映画「キネマの天地」の撮影用に作られた松竹橋のレプリカがある。
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そして、アプリコに入り、コンサートホールに向かって左手の入り口近くに、なんと本物の橋の名残が。しばらく前まで行方不明であったものを、鎌倉の個人が所有していることが分かり、大田区に寄付されたとか。私が神のごとく尊敬する小津安二郎 (1903 - 1963) も、この橋を何度も通ったのだ。感無量。
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このアプリコの地下 1階には、撮影所のジオラマが展示されている。サイレントのときはよかったが、トーキーで撮影と同時に録音するようになると、蒲田地区の工業発展につれ、雑音が入る環境となってしまったため、昭和 11年に大船に移転したとのこと。
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ここでツアーは終了。後半は足を引きずりながらであったとはいえ、大変に面白い 2時間の散策であった。歴史には諸相あり、人々が集まる聖なる場所や遊興の場所、用水路、なんでもない路地、巨大施設、古くから営業を続ける店・・・。それぞれに人々の暮らしの痕跡があるから面白い。このような企画を続けている大田区には最大限の敬意を表し、もしかして東京 23区のそれぞれに同じようなツアーがあるとすると、その土地土地の過去の記憶を辿ることで、東京の全体像も見えてくるのではないかと夢想した。実際にほかの区については調べていないものの、そのうち調べてみたいと思っている。そして、いくら夢中になっても、地図で視界の全部を覆ってしまうことだけはするまいと、腫れ上がった右足太ももをさすりながら、ひとりうなずいている次第である。

by yokohama7474 | 2015-09-20 02:44 | 旅行