2015年 10月 17日
ブルガリア国立歌劇場来日公演 ボロディン : 歌劇「イーゴリ公」(指揮 : グリゴール・パリカロフ / 演出 : プラーメン・カルターロフ) 2015年10月11日 東京文化会館
ロシアの作曲家、アレクサンドル・ボロディン (1833 - 1887) は、19世紀ロマン派の時代に活躍した、いわゆるロシア五人組のひとり。五人組とは、このボロディン以外に、バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、そしてリムスキー・コルサコフだ。ほぼ同世代のチャイコフスキーが西欧的な洗練を目指したのに対し、よりロシア的な情緒を大事にした (とはいえ、チャイコフスキーだってロシア情緒溢れる曲も沢山あるわけだが)。五人組のもうひとつの特色は、もともと音楽の専門家ではないことで、武官だったり船乗りだったり数学専攻だったりと様々だが、中でもこのボロディンは、化学者兼医者という変わり種だ。特に化学者としては国際的な実績を残した人らしく、自らも「日曜作曲家」と称し、作品数はそれほど多くない。オペラの分野では、この「イーゴリ公」のみが知られるが、中でも、「ダッタン人の踊り」というバレエシーンの伴奏曲が非常に有名だ。サイモン・ラトルとベルリン・フィルの演奏はこちら。様々にアレンジされることもあり、誰もが聴いたことのある曲だと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=Uq984sKqokI&list=RDUq984sKqokI#t=0
今回この公演に出掛けるに当たり、20年以上前に BS から録画したヴィデオテープから焼いたブルーレイ・ディスクを見た。演奏は、最近の記事で採り上げた、ベルナルト・ハイティンク指揮する英国ロイヤル・オペラだ。ディスクを再生しようとしてびっくり。なんとこの曲、4幕からなり、演奏に 3時間半近くを要する超大作なのだ!! うーん、随分以前のインタビューでハイティンクは、共感できない作曲家としてこのボロディンを挙げていたが (「タクトと鵞 (はね) ペン」という本に所収されているバーナード・ジェイコブスンによるインタビュー)、この演奏の頃までには考えが変わっていたものであろうか。
わざわざハイティンクの話を持ち出したのには意味があって、確かにボロディンの作品は、シンフォニーにしてもそうだが、ロシアの土臭い雰囲気をそのまま持っていて、恐らくロシア人以外にはとっつきにくい要素があるように思う。その点、今回来日したブルガリア国立歌劇場は、民族的にも歴史的にもこの作品の根源に近い (と言っては語弊があるかもしれないが、政治的な点を抜きにして考えればやはり事実であろう) だけに、ちょっと見てみたいと感じたものだ。
ところが会場に着いてプログラムを見ると、今回の演奏は 2幕構成で、演奏時間も正味 2時間半くらいになっている。これはどうしたことかと訝っていると、開演前にプレトークがあるという。出てきたのはオペラ研究家の岸 純信と、この歌劇場の総裁で演出家のプラーメン・カルターロフだ。
・この作品は作曲者の死によって未完成に終わったものを、友人のバラキレフとリムスキー・コルサコフが断片を集めて完成させた。作曲者自身がいかなるエンディングを考えていたのか不明。
・主人公のイーゴリ公は実在の人物で (12世紀にモンゴル人と戦争をして、このオペラの筋書き通り捕虜になっている)、その手記が残っているが、それによると本人は、モンゴル人との戦争は感情に任せて鍛錬のできていない兵士を大量に投入し、多くの犠牲を出してしまったと後悔している。よって、通常の版における演出のように、彼を英雄視するエンディングには疑問がある。
・このオペラのテーマは異民族との友愛であり、有名な「ダッタン人の踊り」を婚礼の宴としてラストに持ってきて盛り上げることで、メッセージがより明確になる。
ということで、不要な 1時間をバッサリとカットし、後半の曲の順番を入れ替えた、新たな「カルターノフ版」をこの劇場では採用しているということらしい。なるほど、その成果やいかに。ところで、プレトークの進行役の岸さん、舞台上でこの「イーゴリ公」の大きなスコアを取り出し、「ではカルターロフさんにサインして頂きましょう」と言ってその場でサインをしてもらったので、てっきり終演後に抽選で聴衆にプレゼントかと思いきや、そんな話は微塵もなく、ちゃっかりご本人のコレクションに入った模様。先の通訳堂々巡りとあわせ、会場のそこここで聴衆のハテナマークがポコポコ浮かんでいたのが、5階客席にいた私からはよく見えた。
ところで、実はこの作品、驚くべきことに台本も作曲者自身が書いているのだ。なんと、ロシア版ワーグナーか?! ところが調子が悪いことに、明らかにドラマとしての流れが悪い。例えば悪漢として描かれる后妃の兄ガリツキー公。女を街から強奪するなど好き放題して、「がっはっは」と高笑いをしているところに「敵が攻めてきた」という知らせが入って、そして・・・そのまま出てこなくなるのだ。おいおいおい、悪い奴はどこかで成敗されるのがお決まりのパターンでしょう。これ、尻切れトンボです。きっとボロディン、化学者としての活動が忙しくて、悪い奴のキャラクターを描くのが面倒だったのではないか。写真は、戦に赴く前のイーゴリ公と、見かけ倒しの悪漢くずれ、ガリツキー公。
さて今回のカルターノフ版だが、まあ確かに最後にダッタン人の踊りを持ってくることで、大団円の盛り上がりにはなったものの・・・正直私にはしっくり来なかった。なぜならば、これはバレエ音楽なのだ。オペラなのに大団円がバレエということは、あまりオーソドックスとは思われない。つまり、少しお手軽に盛り上がりを演出したという印象を免れないのだ。たとえ粗削りではあっても、ドラマ構成やラストの説得力に問題はあっても、作曲者に近い人々がまとめた通常版を尊重するのが筋ではなかろうか。そのアマチュアリズムこそが、裏を返せばボロディンの魅力なのだと評価すべきではないか。実際、この大詰め以外の箇所についても、今回の再構成によって、ポンと膝を打つような流れのよさは実現されたとは思えず、やはり台本の弱さは覆いようもない。因みに大団円はこんな感じ。スキンヘッズ軍団がグルグル回ってオペラは終わる。
今回の演奏自体については、オケも歌手も、正直、それほど感銘を受けることはなかった。ただ、后妃ヤスラーヴナを歌ったガブリエラ・ゲオルギエヴァだけは、スラヴ人らしい力強い声に繊細さも持ち合わせていて、大器の片鱗を見せた。既にウィーンや MET やチューリヒで歌っているらしく、今後の活躍を期待しよう。