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小林研一郎指揮 東京フィル (チェロ : 上野 通明) 2015年10月18日 Bunkamura オーチャードホール

しばらく出張に行っており、更新が遅れてしまいました。これからキャッチアップして参ります。今回の記事は、一週間前に出掛けたこのコンサート。
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上のチラシにある通り、「錦秋に響くスラヴの調べ」ということで、いずれもスラヴ系のドヴォルザーク (チェコ) とチャイコフスキー (ロシア) の組み合わせである。いずれも非常によく知られた作曲家の代表的な作品で、指揮者小林研一郎 = コバケンの本領発揮ということになった。もっとも、錦秋というにはまだ気温が高い。日本語は移ろう季節感を表す素晴らしい表現をいろいろ持っているが、どうも最近、気候が変わってきているようなので、新しい表現を発明する必要があるのではないかと思うことがある。「まだ暑い秋」・・・暑秋 (しょしゅう) とか・・・。うーむ、全然情緒がないな、こりゃ。

さて、この日のチェロ独奏は、6月13日の記事でも、やはりコバケンと東フィルとの協演を採り上げた、上野 通明 (みちあき)。まだ 20代の若さで、桐朋のソリストディプロマコース全額免除特待生とのこと。昨年、オーストリアのペルチャッハで開催されたブラームス国際コンクールで優勝しており、既に日本の数々のオーケストラとの協演を果たしている俊英だ。生まれがパラグアイで、幼少期をバルセロナで過ごしたという。
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チェロという楽器は、ヴァイオリンと比較して、深々と雄大に歌うだけでなく、時に高い音での緊張感をも求められる。つまり、ただ技術的に正確に弾く以上に、幅広い呼吸を融通無碍に音にする必要があるわけで、人間的にもスケールが求められよう。この若い上野の性格を知る由もないが (笑)、その経歴から、日本的な優等生を超えたスケールを持っているのではないだろうか。実際、その若さにも関わらず、その音楽は既に成熟を感じさせるもので、チェロ協奏曲として音楽史上随一の内容と人気を誇るこのドヴォルザークの名作を、実に表現力豊かに演奏した。もっとも、音楽家を表現するのに、年齢や出身地や性別を持ち出すのは余計なことであって、同じ演奏家であっても、そのときそのときに持っている表現というものがあるわけなので、それを虚心坦懐に楽しみたいと思う。尚、アンコールではバッハの無伴奏チェロ組曲第 3番からブーレが軽快に演奏された。

聴いていて思い出したことがある。コバケンは伴奏も多く手掛けていて、非常にうまく独奏者を盛り立てるのであるが、私が生まれて初めて生で聴いたコバケンの演奏は、このドヴォルザークのチェロ協奏曲であった。もし、意地悪のように私のブログを読み込んでおられる方がいて、「ウソつけ、6月13日の記事で、『チャイコスフキー 4番が最初に生で聴いたコバケン』と書いていただろう」と思われるとしよう。そんな方はおられないかもしれないが (笑)、もしおられた場合のために、その演奏会のプログラムをここに掲載しよう。
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1982年 9月28日、つまり 33年前、東京交響楽団を指揮し、チェロの巨匠、フランスのアンドレ・ナヴァラ (当時 71歳) を迎えて、前半にドヴォルザークのチェロ協奏曲、後半にチャイコフスキーの 4番というプログラムであったのだ。指揮者の紹介はこちら。
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うーん。この方、変わらない変わらないと思っているが、さすがにこの写真は若い。1940年生まれということは、今年75歳。このとき42歳ということになる。未だ若手であった頃だ。でも、音楽の内容は当時から情熱的で、「炎のコバケン」という形容があったか否か分からないが、既にそのようなイメージの指揮者であったと記憶している。これについてはまたあとで。

さて、この日のメイン、天下の名曲、チャイコフスキー 5番である。コバケンのレパートリーの中核をなす曲と言ってもよいであろう。冒頭のクラリネットが素晴らしい。よく考えるとこの日、前半のドヴォルザークでも、第 1楽章と第 2楽章は木管で始まり、後半のチャイコフスキーの第 1楽章もそうであったわけで、東フィルの木管楽器奏者のレヴェルに瞠目した。コバケンはよく、助走するように少しテンポを落としてから、盛り上がりに向けてダッシュするように指揮棒を細かく振ってオケを煽るが、その呼吸にうまくついて行かないと、音がバラバラになってしまうリスクがあると思う。その点この日の東フィルは心得たもので、指揮者のアクセルとブレーキによくついて行って、輝かしい名演をなし終えた。ただ、75歳を迎えた指揮者としては、その音の「熱」には未だに陰りがなく、換言すると、円熟というイメージとは程遠い。でもそれが、この指揮者の持ち味なのであろう。若い上野について書いたと同様、老齢であるから音楽が枯れなくてはならないという法はない。もちろん、音楽の深みは自然と出てくるものであろうが。
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さて、ここで再び 33年前に戻ることをお許し頂きたい。プログラムに「東響ニュース」NO. 4 (1982年 7月10日発行) という小冊子が挟まっていて、そこにその年の演奏会の予告が記載されている中に、この小林指揮のものもあるのだ。以下に抜粋してみよう。解説は木村 重雄。

QUOTE

4月定期でマーラーの「嘆きの歌」全曲版を日本初演した小林研一郎が、シーズン冒頭に登場してスラヴの大作 2作という、月並みのようでいて実はかなり思い切ったプログラムをとり上げる。(中略) 小林のチャイコフスキーの「第 4交響曲」は、彼のはげしい情念的なかたまりが、作曲者の奔放ともいえる楽想と結びつき、白熱的な好演が望まれる。

UNQUOTE

幾つか興味深い点がある。ひとつは、小林がマーラーの「嘆きの歌」全曲を日本初演したこと!! この曲はマーラーの初期の作品で、民族説話による悲劇性や物悲しい情念という点で、マーラーの音楽が志向する要素をあれこれ持った曲ではあるが、未だにそれほど演奏頻度が高いとは言えない。それをこの、保守的なレパートリーを持つ指揮者が初演していたとは驚きだ。また、いみじくも今回の演奏会と同じ「スラヴの大作 2作」が採り上げられ、この評者自身、「月並みのようでいて」と失礼なことを書きながら (笑)、まあ実際そのように思っている様子がある。でも、最後の一文は、今でもそのまま使えるものではないか。まさに「炎のコバケン」はこの頃からのイメージであったわけだ。

私はコバケンの、短めだがしっかりした指揮棒が好きである。上の写真のように、加速してクライマックスに向かうには、この指揮棒でビートを作り出し、そこに彼言うところの「魂」を吹き込まねばならない。これから、どこまでこの変わらない情熱が昇華して行くか、オケさながらに歯を食いしばってついて行きたいと思う。

by yokohama7474 | 2015-10-25 19:45 | 音楽 (Live)