2015年 11月 03日
イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 チェコ・フィル (ヴァイオリン : 庄司 紗矢香) 2015年10月28日 サントリーホール
実は、今の芸術監督であるイルジー・ビエロフラーヴェクはかつて一度、25年前に首席指揮者の地位についている。その後上記の通り、迷走とも見える指揮者の交代(なにせ、チェコ人かドイツ人かの選択を迫られる、いわば踏み絵のような時期もあったと聞く) を経て、しかるべきポジションに返り咲いた感がある。人事にはいろいろ政治的な面があるのであろうが、これで安心してチェコ・フィルらしいチェコ・フィルを聴けようというものだ。
スメタナ : 連作交響詩「わが祖国」より「シャールカ」
メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
ベートーヴェン : 交響曲第 5番ハ短調作品67
冒頭の「シャールカ」は非常に激しい曲で、畳み掛けるような音の連続なのであるが、この日の演奏では、チェコ・フィルの音色の美しさを前面に出しながらも、強い集中力が感じられた。ビエロフラーヴェク (1946年生まれ) は決して派手な指揮者ではないが、円熟の職人技を聴かせてくれる。東京では日本フィルを指揮しての数々の演奏会でもおなじみで、私にとってはまた、ロンドンの BBC 交響楽団の首席指揮者としてその手腕を楽しんだこともある、現代の名匠のひとり。なかなかに鮮烈な始まりだ。
2曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のソリストは、庄司紗矢香である。その小柄な体から驚くべき熱量の音楽を紡ぎ出す、まぎれもない天才だ。私は彼女が 1999年に 16歳で史上最年少のパガニーニ国際コンクールの優勝者となる以前から、クラシック専門チャンネルであるクラシカ・ジャパンを通じてその存在を知っていた。当時は本当に品の良いお嬢さんという感じだったが、ひとたび口を開くと、その低音での不明瞭な発声 (失礼!) にちょっとビックリしたものだった。しかし、彼女の音楽を聴くうちに分かってきたのは、そのような声であるからこそ、彼女の操る楽器は天駆ける超絶的な音を発するのであろうということだ。もちろん、声の低い人が誰でもこれができるわけではなく、彼女に備わった特別な才能が、凄まじい努力によってそれを可能にしたのであると思う。
最後のベートーヴェン 5番であるが、しんねりむっつりしたところとは無縁のスタイリッシュな演奏で、ビエロフラーヴェクの志向する音楽が、純粋な音のドラマの構築であることを理解することができた。例の「ダダダダーン」も粘ることなく音を短く切り、第 1楽章でオーボエが哀しげなソロを吹く場面でも、過度なセンチメンタリズムは皆無だ。いわば冒頭の「シャールカ」の続きのような畳み掛ける音が、音楽の国籍を超えて普遍的な力を持ったと言うべきか。
興味深かったのはアンコールである。まず、メンデルスゾーンの交響曲第 5番「宗教改革」の緩徐楽章、次にスメタナの歌劇「売られた花嫁」からスコーチュナと来て、ほほぅと思った。つまり、この日のコンサートは、スメタナ → メンデルスゾーン → ベートーヴェン → メンデルスゾーン → スメタナと、一巡したわけだ。これでコンサート終了と思って席を立ったのだが、実はその後にもう 1曲、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第 10番が演奏された。一巡と思った私は、完全に早とちりであった。やっぱり切り札はドヴォルザークだったか。こりゃあ一本取られましたわい。
そんなわけで、大変充実したコンサートであったので、終演後に行われた指揮者とソリストのサイン会に参加した。