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イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 チェコ・フィル (ヴァイオリン : 庄司 紗矢香) 2015年10月28日 サントリーホール

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先般、チェコ共和国の首都、プラハを散策した記事を書いたが、その街を本拠地とする世界の名門オーケストラ、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が来日した。プラハを散策して気づくのは、この街の人たちが本当に音楽を愛しているということだ。それは何もプロフェッショナルな音楽に限らず、街の大道芸人から、スメタナ・ホールで毎日演奏しているアマチュア楽団から、教会の聖歌隊から、いろいろあるのだが、その頂点に立つのが、このチェコ・フィルなのだ。昔、「コーリャ 愛のプラハ」という映画があって、子供をうまく使ったズルい映画 (見ていてウルウル来てしまうという意味で) であったが、その中に、ソ連の崩壊後チェコが自由化して、長らく祖国を離れていた 20世紀の大巨匠のひとり、ラファエル・クーベリックの歴史的な里帰り公演のもとで主人公がチェロを演奏するというシーンがあった。そこに端的に表れている通り、もちろん、長らくターリヒ、アンチェル、ノイマンというチェコの名指揮者たちが音楽監督を務めたこのオケは、まさに国の誇りである。ただ、その後曲折があった。今回の来日公演で指揮をした現在の音楽監督、生粋のチェコ人のビエロフラーヴェクの前には、ドイツ人のゲルト・アルブレヒト、もともとロシア人のウラディミール・アシュケナージ、イスラエル人のエリアフ・インバルという外国人がこのオケのシェフを務めた。おっと、これらの指揮者名を並べてみると、いすれも東京のオケに縁があることを改めて実感する。アルブレヒトは読響の、アシュケナージは N 響の、そしてインバルは都響のシェフであった人たちだ。そうすると、既に東京のオケは名門チェコ・フィルに追いつくような演奏をしているのだろうか。

実は、今の芸術監督であるイルジー・ビエロフラーヴェクはかつて一度、25年前に首席指揮者の地位についている。その後上記の通り、迷走とも見える指揮者の交代(なにせ、チェコ人かドイツ人かの選択を迫られる、いわば踏み絵のような時期もあったと聞く) を経て、しかるべきポジションに返り咲いた感がある。人事にはいろいろ政治的な面があるのであろうが、これで安心してチェコ・フィルらしいチェコ・フィルを聴けようというものだ。
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上述の通り、チェコ人は音楽が大好きで、かつその歴史的背景から、愛国心が強い。よって、チェコ音楽の系譜、すなわち、スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク、マルティヌーは、チェコ・フィルのみがよく演奏しうるとの評価が定まっている。それはそれで誠に結構なのだが、私がいつも疑問に思うのは、ではチェコ・フィルの演奏会は、これらの作曲家のみを採り上げるべきか否かという点だ。このオケの日本公演では圧倒的にドヴォルザークが多く、今回も「新世界」をメインに据えたプログラムもある。それゆえと言うべきか、私としては「新世界」(ちなみにこれは私が人生で初めて親しんだ交響曲であり、大っっっ好きな曲なのだが) 以外を聴きたいと思ったのだ。というわけで、この日のプログラムは以下の通り。

 スメタナ : 連作交響詩「わが祖国」より「シャールカ」
 メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
 ベートーヴェン : 交響曲第 5番ハ短調作品67

冒頭の「シャールカ」は非常に激しい曲で、畳み掛けるような音の連続なのであるが、この日の演奏では、チェコ・フィルの音色の美しさを前面に出しながらも、強い集中力が感じられた。ビエロフラーヴェク (1946年生まれ) は決して派手な指揮者ではないが、円熟の職人技を聴かせてくれる。東京では日本フィルを指揮しての数々の演奏会でもおなじみで、私にとってはまた、ロンドンの BBC 交響楽団の首席指揮者としてその手腕を楽しんだこともある、現代の名匠のひとり。なかなかに鮮烈な始まりだ。

2曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のソリストは、庄司紗矢香である。その小柄な体から驚くべき熱量の音楽を紡ぎ出す、まぎれもない天才だ。私は彼女が 1999年に 16歳で史上最年少のパガニーニ国際コンクールの優勝者となる以前から、クラシック専門チャンネルであるクラシカ・ジャパンを通じてその存在を知っていた。当時は本当に品の良いお嬢さんという感じだったが、ひとたび口を開くと、その低音での不明瞭な発声 (失礼!) にちょっとビックリしたものだった。しかし、彼女の音楽を聴くうちに分かってきたのは、そのような声であるからこそ、彼女の操る楽器は天駆ける超絶的な音を発するのであろうということだ。もちろん、声の低い人が誰でもこれができるわけではなく、彼女に備わった特別な才能が、凄まじい努力によってそれを可能にしたのであると思う。
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これまでに様々な一流指揮者・オーケストラとともに東京でも演奏を披露してきた庄司であるが、今回の演奏会のプログラムに、少し気になるインタビュー記事が載っている。なんでも最近、演奏に対する考え方に大きな変化があったという。「『分析したことをいかに自然体でできるか』を強く意識するようになりました。若い頃は欲するものが多くて誇張しすぎてしまう。今は『少しずつ削っていく』ことを分かり始めた気がします」と語っている。そのきっかけは、90歳のピアニスト、メナヒム・プレスラーと協演したことと、笙の宮田まゆみとともにジョン・ケージの曲を演奏したことであるという。プレスラーについては、近く行われる来日公演の記事を私も追って書くことになるであろうし、宮田まゆみは、私が学生の頃から賞賛する特別な才能を持った人である。未だ 30そこそこの庄司が、「若い頃は」などと語るのはなんとも微笑ましいのだが、このような多彩な演奏家との接触によってその芸術を進化させることは、実に意義深いことだと思う。彼女のメンデルスゾーンは、もう何年も前に、アシュケナージとフィルハーモニア管の来日公演で聴いた記憶があるが、今回の演奏は確かに、音を削って行くような印象で、いわゆる感傷的な「メン・コン」とは一線を画すものであった。さて、この先この天才がどこに向かうのか、じっくり見届けたいと思う。

最後のベートーヴェン 5番であるが、しんねりむっつりしたところとは無縁のスタイリッシュな演奏で、ビエロフラーヴェクの志向する音楽が、純粋な音のドラマの構築であることを理解することができた。例の「ダダダダーン」も粘ることなく音を短く切り、第 1楽章でオーボエが哀しげなソロを吹く場面でも、過度なセンチメンタリズムは皆無だ。いわば冒頭の「シャールカ」の続きのような畳み掛ける音が、音楽の国籍を超えて普遍的な力を持ったと言うべきか。

興味深かったのはアンコールである。まず、メンデルスゾーンの交響曲第 5番「宗教改革」の緩徐楽章、次にスメタナの歌劇「売られた花嫁」からスコーチュナと来て、ほほぅと思った。つまり、この日のコンサートは、スメタナ → メンデルスゾーン → ベートーヴェン → メンデルスゾーン → スメタナと、一巡したわけだ。これでコンサート終了と思って席を立ったのだが、実はその後にもう 1曲、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第 10番が演奏された。一巡と思った私は、完全に早とちりであった。やっぱり切り札はドヴォルザークだったか。こりゃあ一本取られましたわい。

そんなわけで、大変充実したコンサートであったので、終演後に行われた指揮者とソリストのサイン会に参加した。
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次は是非、本拠地プラハでチェコ・フィルを聴いてみたい。数ある人生の目標のひとつに設定することにしよう。

by yokohama7474 | 2015-11-03 00:52 | 音楽 (Live)