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岡山旅行 その 1 高梁市 (備中松山城ほか)、鬼ノ城、吉備路 (吉備津神社ほか)

ふと思い立ち、10月31日 (土) から 11月 1日 (日) にかけて、夫婦で岡山を旅行することにした。それには幾つか理由があって、まあ私自身はイカの切れたタコのように、じゃなかった、糸の切れたタコのように、どこでもフラフラ出かけていく神出鬼没な人間であるが、家人の場合は過去数年、老犬を獣医に預けるのを嫌がるゆえに、旅行らしい旅行に行けなかったという事情がある。我が家の愛犬、メスのビーグル、ルルは 10月 8日に 17歳 8ヶ月で星になってしまったが、それは新しい家族旅行の始まりだ。これでルルは、目には見えないけれども我々夫婦とどこにでも旅行に行けるようになったのだ。飛行機にも簡単に乗れるし、美術館にも、レストランにも、どこでも (吠えたり、粗相したり、拾い食いせず、理想化されたお利口さんの姿となって ・・・笑) 我々の後をついてくるし、どこでも気兼ねなく一緒に入れる。ということで今回は、家人が幼少の頃少し住んでいたこともあるという岡山に、目に見えないルルとともに出掛けることとした。

岡山で観光名所と言えば、まず日本三大庭園のひとつである後楽園。それから倉敷の大原美術館。ほかに何があるのだろうか。実は、私のような歴史・文化に興味のある人間にとっては、大変な見どころ満載の場所なのである。神社仏閣や大小の美術館はもとより、古墳、城、巨石と、それらにまつわる歴史のミステリーとロマンがてんこ盛りだ。空港からレンタカーを借りて、いざ出発。しばらく走ると、キャンプ場に早速こんな看板が。
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イヌ、サル、キジ? ええっと、うちの家族は、目に見えないイヌと、それから私がサルで、家人がキジということか。これって・・・おぅ、桃太郎ではないか。なるほど。岡山は桃太郎伝説の発祥の地と言われている。お腰につけたキビダンゴは、吉備団子、つまりは吉備の国 = 岡山県の名物ダンゴのことだ。これについてはまた後にするとして、まずは最初の目的地である備中松山城へ。この城は、標高 430m地点に、山城として日本で唯一現存する天守閣かつ、日本で最も標高の高い場所に建つ天守閣を持っており、重要文化財に指定されている。「天空の城」と言えば、兵庫県朝来市の竹田城が有名だが、この備中松山城も、気候条件さえ合えば、こんな風に雲海に浮かぶ様子を見ることができる。このような写真 (私が撮ったものではありません) を見て是非行ってみたいと思ったのであるが、実際に雲海に浮かぶ朝の景色は次回以降に取っておくことにした。
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さて、この城に辿りつくには、相当な覚悟が必要だ。山の中で車を駐車場に停め、そこからシャトルバスで現地に向かうとのことだったので、早速 300円を払ってバスに乗ってみることに。こんな狭い山道を登って行く。
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さて、バスを降りたらすぐ城かと思いきや、そこから 700mのハードな山中の道のりを、えっちらおっちら登ってゆかねばならないのだ。手すりのある場所もあるが、以下の写真のように、全くの山道がほとんどだ。年輩の方々もふうふう言いながら頑張っている。これはかなり厳しいぞ。
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こんな看板が出ている。はいはい。注意しますが、なんで「じゅう」がひらがななのかよく分からない。何か意味があるのだろうか・・・。漢数字の十を使うと、10分間だけ注意すればよいと勘違いする人がいるからか?!
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ともあれ、厳しい山道の向こうに、見えてきました見えてきました。石垣です。こんな山奥にこんな立派な石垣があるとは、なんとも驚きだ。
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この備中松山城、もともとは鎌倉時代に築かれた山城であるらしい。戦国時代には三村 家親 (みむら いえちか) が城主となり、宇喜多氏と反目。その子、元親 (もとちか) の時代に、宇喜多氏と結んだ毛利氏に離反して織田信長方についたため、三村氏は毛利方の小早川 隆景 (こばやかわ たかかげ) に滅ぼされた。その後宇喜多は織田と結んで毛利と戦うことになり、毛利 輝元 (もうり てるもと) はこの松山城を前線基地として利用したという。関ヶ原の戦いの後、備中は幕府の直轄地となり、松山城には代官として小堀 正次 (こぼり まさつぐ) が配置される。その息子が、有名な作庭家となる小堀 遠州だ。その後城主は池田氏、水谷 (みずのや) 氏と遷り変わる。水谷氏断絶後は、あの赤穂の浅野氏が城を管理し、大石 内蔵助も 1年間この城に勤務した。その後また城主が何度か入れ替わり、幕末までは板倉氏が藩主として 8代務めた。幕末には朝敵との扱いになったが、山田 方谷 (やまだ ほうこく) という陽明学者が藩の執政として明治新政府に恭順することとし、無血開城したとのこと。

それぞれの城には誠に長い歴史とドラマがあることを思い知る。現在の天守閣は、1681年の改修によって形が整えられたということだが、どうやってこんな山の中に城を築くことができたのか。ヒントはここにある。
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この城、堅い岩盤の上に建っており、築城に必要な石は、麓から運び上げて来たのではなく、ここで調達したものらしい。だが、現在では岩が少しずつ裂けて来ているので、落盤が起こらないよう、精密に観測しているとのことだ。さて、ここからさらに上にある石垣を見ながら、一気に天守閣まで登ってみよう。
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また、天守閣と並んで重要文化財指定を受けている二重櫓も公開中だ。天気がよくて、気持ちがいい。
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今このように立派な姿を見せている備中松山城であるが、ほかの現存の城郭同様、明治以降は荒廃が進み、その後大規模な改修が行われて昔日の姿を取り戻した。なんでも、あまりに深い山中にあるので、取り壊しも大変な作業となるため、残されることとなったらしい。何が幸いするか分からないが、いずれにせよ、城を貴重な文化財として保存・修復しようという人々の熱意がなければ、私たちが今これを見ることは叶わなかったわけである。天守閣に展示されている昔の写真や新聞記事。なんと痛ましい姿か。
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さて、備中松山城を後にして、市街地に下りて行った。ここは高梁 (たかはし) 市というところで、石火矢町 (いしびやちょう) ふるさと村という一角に古い町並みが保存されていて、武家屋敷が 2軒公開されている。これはそのうちのひとつ、旧折井家。きれいに整備されていて気持ちがよく、昔の日本人の生活を思って衿を正したくなる。玄関には電動人形が待ち構え、センサーに反応して来客にお辞儀をするので、訪問者は皆、「うぎゃっ」とか「あー、びっくりしたー」とか悲鳴を上げている。なかなかしゃれた演出だ (?)。
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先に城の歴史の中で、小堀遠州の名に触れたが、ここ高梁には、彼が若い頃に手掛けたとされる庭園 (国指定の名勝) が残っている。三村氏の菩提寺でもある、頼久寺である。もともとは、足利尊氏が全国に作った安国寺のひとつであったとのこと。この枯山水の蓬莱庭園も非常によく手入れされていて、借景を含めて400年前の天才作庭家、遠州の発想の冴えを今に伝える貴重なものである。
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また、ここ高梁には近代の遺構もある。これは、明治 22年 (1889年) に建てられた基督教会堂。県内最古のキリスト教会だそうだ。早くも明治 13年に、あの新島襄がこの地を訪れて布教活動をしていたらしい。近代文明の先進地であったわけですな、この岡山県は。
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この建物は、高梁市立郷土資料館。明治 37年 (1904年) に建てられた小学校の校舎を使って、地元の古い生活に関する資料を展示している。残念ながら撮影禁止であったが、講堂にあたる 2階の広いスペースには、天皇皇后両陛下の肖像写真を飾って扉を閉める神棚のようなスペース (奉安殿と呼ぶらしい) がそのまま残っていて、興味深かった。幼少時に数年間だけ岡山県人であった家人によると、岡山は非常に教育熱心な県で、この資料館の前に立っている二宮金次郎像も、昔はあちこちで見かけたそうな。
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さて、次も城に出掛けることとした。ある意味、今回の旅行で最も楽しみにしていた場所。それは、総社市にある、鬼ノ城 (きのじょう) と呼ばれるところだ。ここは謎に満ちた巨大な山城なのであるが、近年になって発掘、整備が行われ、一部の復元がなされているだけで、古いものは何も残っていない。それもそのはず、遥か昔、7世紀に建設された朝鮮式山城ではないかと言われているのだ。それは古い話だなぁ。もっとも、「日本書紀」等の書物には一切記載がなく、実際のところは分からない。ただ最も有力な説が、663年に倭国軍が白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れたため、敵が本土に攻撃を仕掛けてくるのを恐れて天智天皇が渡来人たちに築かせた防御の砦であるというものなのである。なんでも西日本には同様の古代山城がほかにもいくつかあるらしい。ただこの鬼ノ城の場合は、全く違った伝説のあるところに神秘性がある。それは、この場所に温羅 (うら) と呼ばれる鬼が棲んでおり、悪事を働いたため、朝廷は吉備津彦命 (きびつひこのみこと) を遣わして成敗したというもの。これが桃太郎伝説のルーツであり、この場所は、鬼が棲むがゆえに、鬼ノ城という名がついた由。以前読んだ本に、鬼と製鉄の関係について書いたものがあった。製鉄技術は半島から伝わったものであろうし、この中国地方は、恐らく古来から地下資源が豊富であったということであろう。瀬戸内海から内陸に入って来て製鉄を行った渡来人と、その平定に苦慮した中央政権という構図があるのであろうか。この吉備路を旅すると (これから後にも記事の中で触れるように)、今は失われてしまった古代のなんらかの政権の痕跡が、のどかな風景の向こうに感じられて、歴史好きにはたまらないのである。

さて、そのような神秘の場所、鬼ノ城は、どのようなところなのか。ビジターセンターが完備していて、全体図が掲げられている。
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標高 394mの山の頂上に、30ha にも及ぶ敷地を持っているという。よっしゃ、これも踏破してやろうと意気込み、見えないルルを連れて、いざ登山!! ・・・と思いきや、先の備中松山城とは異なり、ここはかなり近くまで車で入れるようになっており、少し歩くとこんな光景が見えて来る。岩があちこちに露呈しており、そのところどころが人為的に切り取られている。中にはかなり巨大なものもある。
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そして、おっと、あれは何だ!!
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山の上に再建された、堂々たる西門。日本で古代山城が復元されたのはここが唯一の例であるそうだ。もちろん図面はおろか、文字での記録も一切残っていないから、礎石から大きさを想定し、古代朝鮮建築のイメージに基づいて行った再現だ。発掘しても瓦は出てこないので、瓦ぶきではなかったらしい。砦のデザインがビジターセンターにあったが、敵を防御する、その名も鬼ノ城とあって、このようなおどろおどろしい鬼のイメージが使われている。歴史好きならず、妖怪・怪獣好きにもたまらないところだ。私にぴったり (笑)。
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さて、西門にさらに近づいてみる。
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そしてついに正面に。これ、壁は古代の製法に基づいているということで、再現された建物自体、かなりワイルドだ。そこから見える風景もなんとも雄大で、周りの平野はもとより、遠く瀬戸内海まで見渡せる。これなら砦としての機能は果たせそうだ。
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その奥にもズンズン入って行ったが、あとは本当に古い礎石が一部に点々とあるのみ。歴史の風雪の中で全く何も残っていないが、それでも古代の人々の息吹が伝わってくるような気がするから不思議なものだ。管理棟跡や倉庫の跡は、間違いなく昔の人間の営みの残りなのだ。
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さて、実はもうひとつ、角楼というものが復元されている。角地にあって、敵の攻撃を確認するための展望台のようなものか。角楼から西門を望む。
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立ち去り難い思いを抱きながら帰途につくが、山の中に拓かれた展望台から、もう一度鬼ノ城を振り返る。一瞬、自分が 7世紀にタイムスリップしたような錯覚にとらわれる。歴史を学問として考えるなら、記録がないというのは謎の解明には致命的であろう。だが、古代のロマンや伝説が生まれた背景に対しては、各自が自由に想像力の翼を伸ばすことが許される。このような場所に立って見なければ分からない思いもあるものだ。素晴らしい経験をしたと実感する。
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それから南に向かい、吉備路に。さすがに山城 2件をハシゴして、体力の消耗とともに時間も気になるところ。今晩は倉敷に宿泊予定なので、ボヤボヤしていられない。吉備路の探索も厳ジィのだ。地図をぐっと睨み、効果的な観光の鉄則、まずは遠いところを攻めよとのルールに従い、吉備津神社へ。なんでも国宝の建造物があるらしい。「続日本後記」の 847年の項目に出てくる神社らしいが、上記の温羅伝説もあって、創建はさらに遡ると言われているとのこと。ここはなかなかにすごいところで、他の神社で見かけたことのないものがザクザクあるのだ。寺のように石段を登った先に門があり、その向こうにいかなる世界が広がるのか、ワクワクする。
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すると、屋根でつながった豪放な拝殿と本殿が。これらは室町時代、1425年に建てられたもので、このように天井がなく豪快な作り。日本でここだけにしかない吉備造りと呼ばれる建築。国宝の国宝たるゆえんで、この空間にいるだけで気持ちが引き締まるのだ。
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横から見るとこのようになっている。本殿が 2棟続きになっていて、その前に拝殿がつながっているのがよく分かる。
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本殿に向かって右に移ると、そこにもほかに例のない建物がある。実に 400mも続く回廊である。回廊は、例えば京都の東福寺とか奈良の長谷寺にあるが、ここの回廊はなだらかな下りになっていて、あたかも龍のようであり、その存在感は抜群だ。回廊の脇には種々の小さい社があるのであるが、その中でも興味深いのは、重要文化財に指定されている御釜殿 (おかまでん)。子供の頃に読んだ怪談本に「吉備津の釜」というのがあったが、それは上田 秋成の「雨月物語」所収であった。この吉備津神社の御釜殿では、釜の鳴る音で占いを行っており、今でも申込みをすれば占いを受けることができる。私たちが行ったときには既に時間外であったが、その御釜殿に続く回廊の上に草が根を張っていて、その生命力が印象的であった。退治された鬼、温羅の唸り声が釜の立てる音だというが、鬼の生命力があらゆるところにはびこっているのであろうか。
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さて、そろそろ日も傾き始めた。先を急ごう。次に向かったのも、なかなかほかに類例のない場所。楯築 (たてつき) 遺跡だ。これはなんと、いわゆる古墳時代に先立つ弥生時代の墳丘墓で、全長 80mを超える円丘を挟んで両側に突出部がついている。現地に置いてある解説に、復元図が掲載されている。
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この図の円丘の部分に、何かが描かれている。驚くなかれ、これらが楯状やあるいは祠を作り込んだ幾つもの巨石で、今でもそれらは存在しているのだ。
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巨石マニアの方なら先刻ご存知であろう (?)。英国、ストーンヘンジからさほど遠くない場所に、エイヴベリーという指折りのパワースポット場所があるのを。この縦築遺跡はそれよりもかなりスケールは小さいものの、その神秘的な存在感には共通するものを感じる。一体、誰が何のためにどうやってこんなものを作ったのか。石は黙して語らないが、かつてここには人間が意思を持って作業をしたことは明白で、文献などという姑息なものを吹っ飛ばす迫力がある。

さて、そこからほど近い、造山 (つくりやま) 古墳へ。面白いことに、この近辺には同じ「つくりやまこふん」が 2つあり、ひとつは造山、もうひとつは作山と書く。この日は途中で時間切れとなってしまったので、後者の作山古墳は翌日に持ち越しとなったが、これらはいずれも大変に巨大な古墳であるのだ。特にこの造山古墳は、なんとなんと、大阪の堺市にある巨大古墳群、仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中天皇陵に次ぐ全国第 4位の規模を誇る巨大さで、全長 350m、高さ 24m。もちろんゼロから山を築いたのではなく、自然の山を加工しているが、それでも古墳築造に要した労働力はのべ 150万人とされている。埋葬者は不明だが、5世紀頃のここ吉備の支配者の墓であるとされる。ということはこの時代、ヤマト政権とは別の、強大な地方政権がこの土地に存在していたことになる。古墳の麓にある駐車場に、想像上の吉備の支配者の彫刻が。
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この古墳、翌日訪れた作山古墳と同様、極めて珍しいことに、墳丘の上に上ることができる。こちらの造山古墳は樹木が伐採されているので、よりその生の大きさを実感することができるのだ。すぐ横にまで民家が迫っているのが分かる。
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暮れゆく墳丘の上から見下ろすと、この地域特有の焼き畑農業の煙がそこここに見える。私たち以外には訪れる人は誰もなく、歴史の波に消えて行った古代の王の眠る巨大墳墓は、今日もまた闇の中に沈んで行こうとしている。西洋にもこのような「神の宿る風景」を描いた画家がいた。ドイツ・ロマン主義のカスパル・ダヴィッド・フリードリヒだ。ここはあの世でもこの世でもなく、目に見えない犬を連れた私と家人は、まさにその境界を自由に遊んでいる。
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さて、幻想の世界に遊んでばかりはいられない。これから 10kmちょっとの道のりを走って、倉敷に宿泊だ。と、夕闇の中にすっきりとした五重塔のシルエットが。吉備路のシンボルとも言える、備中国分寺の塔である。なんとか美しいシルエットをとらえようとカメラを向けるが、既に露出不足で、どう頑張ってもピンボケだ。でもせっかく撮ったので、ここに掲載しておこう。この世とあの世が交わるとき、歴史の星霜を超えた神秘のヴィジョンが現前する。もっとも現実は、歴史の星霜に思いを馳せるには空腹が邪魔をする状態であったが (笑)。
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というわけで、2日目については数日後にまた改めてアップ致しますので、乞うご期待。

by yokohama7474 | 2015-11-03 20:58 | 旅行