2015年 11月 08日
トゥガン・ソヒエフ指揮 ベルリン・ドイツ響 (ピアノ : ユリアンナ・アヴデーエワ) 2015年11月 3日 サントリーホール
メンデルスゾーン : 序曲「フィンガルの洞窟」作品26
ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第 3番ハ短調作品37 (ピアノ : ユリアンナ・アヴデーエワ)
ブラームス : 交響曲第 1番ハ短調作品68
ソヒエフの指揮の特徴は、なんといってもその魔術的な陶酔感にある。音そのものに色気があるとでもいうのか、オケの間から立ち昇ってくる独特の香気がなんとも柔らかく色彩鮮やかなのだ。これは、私が接したいずれの演奏でも裏切られることのなかったソヒエフ独自の音なのである。今回も、最初の「フィンガルの洞窟」がその彼の音楽性をそのまま表していて、メンデルスゾーンの持ち味にもぴったりだ。オーケストラの中から沸き起こる音が多層的に耳に入ってきて、耳の中で、この曲の表現する海のうねりが巧まずして音となって行く。実に素晴らしい。
ピアノのアヴデーエワは、2010年のショパン・コンクール優勝者。ロシア人で、1985年生まれというから、今年 30歳の若手である。日本には、コンクール優勝直後にやってきて、デュトワ指揮の N 響との共演でショパンの 1番のコンチェルトを弾いたのを私も聴いたが、派手なことを狙うのではなく繊細なピアニストというイメージである。ショパンコンクールでは、アルゲリッチ以来 45年ぶりの女性優勝者ということだが、まあそれはあまり重要なことではあるまい。
さて、問題は後半のブラームスだ。私はここで初めて、ソヒエフの指揮に違和感を覚えた。ブラームスの 4曲のシンフォニーの中でも、この 1番は、今日のキーワード (?) で言えば最も男性的な曲。乱暴に言ってしまえば、ここで必要とされるのは魔術的な音ではなく、とにかく情熱と汗を孕んだ熱い音なのである。ソヒエフのようなアプローチでは、作曲者が 20歳から 40歳まで (ということは、若いイケメンからむさいオッサンになるまで) 苦心惨憺、新たなシンフォニーを書こうとした執念が、そのまま表れてくることがないので、なんとももどかしいのだ。第 2楽章はそれでも情緒があるのでそれなりには聴けるものの、ここでもやはり、激しい憤りや過剰な決意が裏にあればこそ、一時の沈思黙考が味わいを持つものではないだろうか。それだけブラームスの 1番は特殊な曲なのだと思う。ところで、上で「若いイケメンからむさいオッサンになるまで」と書いたが、ご参考までに、若き日と老年のブラームスの写真を掲げておく。正確にそれぞれ何歳のときの肖像なのかは分からず、若干誇張気味になってしまうかもしれないが、でも私の解釈では、この作曲家の本質 (クララ・シューマンへの恋も含め) を考える上で、「老い」という要素は重要であるので、このような比較も少しは意味があるのでは。
この右手が魔術を引き出すのであるが、誰かがこれにチョキで対応しても、間違ってもグーで返すようなことをせず、頑張ってパーを出し続けて欲しい。