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東京 芝 増上寺 (宝物展示室、徳川家墓所ほか)

何を隠そう、関西出身である。小学生の頃に関西の古寺を一通り回り、古き日本の神秘性に得体の知れない感動を覚えるという妙なガキであった。満 12歳で親元離れて単身東京に出てきて、東京の寺についての本など読んでみたが、たかだか 300年や 400年の歴史など、一桁少ないよ (笑) という思いに駆られていた。まあせいぜい鎌倉まで足を伸ばすと、800年くらい前まで遡るものの、建造物としては当時のものは数えるほどしか残っていない。そんなことから、関東の寺についてはあまり心ときめくものがなかったのである。だが、長じるに及んで歴史の重層に意識が及び、300年前、400年前がいかに古いかということに気が付いたのだ。そのように心を入れ替えてから (?) 東京、芝の増上寺にはこれまでにも何度か足を運んで来たのであるが、つい先日も、ふと思い立って散策してきた。増上寺といえば、この三門で有名だ。江戸時代初期、1622年の建造で、都内でも有数の古い建物だ。1608年建立の池上本門寺 (以前このブログでもご紹介した) の五重塔に次ぐ古さではないだろうか。
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増上寺のユニークさはまた、この東京タワーをバックにした不思議な風景によっても印象づけられる。近世とモダンのコンビネーションがなんとも絵になる。ヒュー・ジャックマン主演の映画「ウルヴァリン X-Men Zero」では、エキゾチックな雰囲気の葬式の場面でロケ地になっていたが、ある種のキッチュな感じになんともいえない魅力を感じる。
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この寺は戦争で大きな被害を被っているのだが、上記の三門をはじめ、奇跡的に残った建造物や宝物を見ていると、400年という長い (と、今となっては実感する 笑)時の流れに胸を打たれる。自分がかつて顧みなかったものの価値を改めて知るのは、大きな喜びだ。

本堂の左隣には光摂殿という建物があり、私が訪れたときにはその大広間の天井画を特別公開中であった。
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この建物は通常僧侶の修行の場として使われており、1997年から 120名の日本画家が天井画を奉納してきたとのこと。多くは一般には名前を知られていない画家たちであるが、文化勲章受章者や文化功労者の作品もある。以下に掲げたのは小倉遊亀の作品で、それ以外にも、上村松篁、奥田元宋、加山又造などの作品が含まれる。厳しい修行の場と言うよりは、心穏やかになれる空間だ。
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さて、実は今回ここを訪れた最大の目的は、徳川家康没後 400年を記念して今年本堂下にオープンした宝物展示室を見ることであった。このような看板の横から地下に入って行く。さて、いかなる展示物があるのだろうか。
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現在の特別展として、江戸時代末期の画家、狩野 一信 (かのう かずのぶ 1816 - 1863) の畢生の大作、五百羅漢図が順番に公開されている。これが必見なのである。
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この五百羅漢図は、1幅に 5人の羅漢を描いたものが 100幅で総勢 500人の羅漢をなしている。その作風はグロテスクと言うべき強烈なもので、ありきたりの教科書的美術に飽き足らない私にとっては、かなりドストライクなシリーズである。もちろん、これだけの数であるから作品の出来にむらがあるのは致し方なく、また一信は最後まで仕上げることなく世を去っているので、最後の 4幅は弟子が補筆しているのであるが、とにかく戦争で 1枚も失われることなく現代に伝わっていることがすごい。明治の頃には増上寺の境内にこのシリーズを常時展示している建物があり、一信の未亡人が解説をしていたと聞いたことがある。それから長らく忘れられていたが、埋もれた近代日本絵画の発掘の第一人者とでも言うべき山下裕二 明治学院大学教授の肝いりで、2011年に江戸東京博物館で全幅が展示された。私もワクワクしてその展覧会を見たし、芸術新潮の特集号も舐めるように読んだが、本当に破天荒な、並ぶもののないユニークな作品群で、また見たいなぁと思っていたところ、この場所で見ることができると聞いて、思わずガッツポーズを決めたのであった。新築の増上寺宝物展示室は大変落ち着いた鑑賞の出来る空間で、これらの作品との再会は誠に気持ちのよい環境で実現した。展示スペースが充分でないため、20幅ずつ入れ替えで展示するらしい。あらゆる点でユニークなこの連作であるが、100幅がずらりと並んでいるよりも、少しずつの方が、より集中して見ることができるという利点がある。今回の展示作品 (12/27 まで) から、その強烈なヴィジョンをご覧頂こう。ただ、写真ではその迫力は伝わらない。是非至近距離でじっくり鑑賞して頂きたい。
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ところが、それだけではない。この宝物展示室には、ほかにも私の心を激しく揺さぶる展示物があったのだ。これはびっくりだ。あ、しかも、以下の写真 (私の撮影ではなく、報道機関によるもの) で左手に写っている髭の仁は、ほかならぬ山下裕二先生ではないか。
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これは一体何だろう。実はこれは、戦争で失われてしまった国宝建築の 1/10 スケールの極めて精工なミニチュア。なんだ、模型かと侮るなかれ。もともと 1910年にロンドンで開催された日英博覧会に展示するために当時の職人技術の粋を集めて作られたもので、これはもう建築と呼ぶべきものだ。彫刻家の高村光雲も監修者のひとりであった。英国王室に献呈されたものなので、現在でもロイヤル・コレクションのひとつだが、最近までは死蔵されたまま、英国では修復のあてもなく損傷が進んでいた。それが最近になって増上寺に送り返されてきて修復がなされ、今般晴れて一般公開にこぎつけたものだ。但し、増上寺に所有権が移ったわけではなく、英国王室からの長期貸与とのことだ。あまりに見事な出来なので、じっくりと鑑賞できるよう、内部は別の展示ケースに入っている。
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この建物のオリジナルは、では一体何なのか。1632年、ときの将軍徳川家光が、父である 2代将軍秀忠の墓所として増上寺内に建立した、台徳院殿霊廟 (だいとくいんでんれいびょう) なのである。この建物は日光東照宮に先立つ造営で、その絢爛さは東照宮にも負けないものであったようだ。内部の様子は、残されたモノクロの古い写真でしか偲ぶことができない。それゆえに、この精巧な模型には絶大な価値があるのだ。
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この台徳院殿の所在地は、増上寺正面に向かって左手であった。実は今でも、奇跡的に霊廟の門 (惣門と呼ぶ) だけが現存している。仁王像は埼玉の寺から移してきたもので、港区の有形文化財。
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この門の奥は現在ではプリンスホテルのタワーの敷地のようだが、このような水路跡なども見ることができる。
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このような気持ちのよい芝生であるが、ここに秀忠が眠る豪華な廟があったとは、今となっては想像するのも困難だ。
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ここで掲載しているモノクロ写真は、宝物展示室の観覧券を購入した際に特典としてもらった絵葉書セットを撮影したもの。大変貴重な写真である。この台徳院殿霊廟の惣門の古い写真もある。門自体は今と同じだが、そのすぐ奥に霊廟とおぼしき建物が見える。永遠に消えてしまった風景だ。
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さて、増上寺と言えば、将軍家の菩提寺である。ここには 6人の将軍が埋葬された。ほかの 6人は上野寛永寺。家康と家光は日光に葬られた。徳川は 15代なので、おっともうひとりいるはず。それは最後の将軍慶喜で、彼は谷中墓地に眠る。では、ここ増上寺の徳川家墓所へ行ってみよう。実はこの場所、つい最近までは一年のうち限られた期間しか一般公開されていなかったが、この宝物展示室の開館とともにであろうか、今では随時見ることができるようになったようだ。
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このような青銅の門がかろうじて現存している。ここは戦火で焼けるまでは将軍家の霊廟が立ち並んでいる壮麗な場所であったというが、この門でわずかに往時を偲ぶしかない。
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中に入ると、数々の石塔が立ち並んでいて、それはそれで今でもやはり荘厳な雰囲気だ。戦火によって霊廟の木造建築はことごとく焼失したものの、将軍とその妻たちが葬られた石塔はかろうじて残った。戦後になってその土地に東京プリンスホテルができるに及んで、残った石塔をこの地区に移築したものであるらしい。1964年の東京オリンピック開催に向けたホテル整備の一環という時代の波があったようだ。ここに祀られている将軍は以下の通り。
 2代 秀忠
 6代 家宣
 7代 家継
 9代 家重
 12代 家慶
 14代 家茂
石塔の例をご覧頂こう。これは 2代秀忠。上述の通り秀忠の豪華な霊廟は焼けてしまったので、正室、お江の方の石塔に一緒に祀られている。
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9代家重。実は女性だったという説のある人だ。
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これらの石塔の下には、実際に将軍の遺体が埋葬されていた。1958年から 1960年にかけて、上述の通りこれらの墓の移転がなされたが、その際に将軍やその妻たちの遺体は詳しく調べられ、桐ケ谷斎場で荼毘に付されたという。これらの石塔の下には従って、現在では骨壺が収められているらしい。と、知ったようなことを言っている私の知識の源は、現地港区のボランティアのガイドさんの説明だ。この墓所にはこんな説明看板があり、その前で 30分程度、1日 4回、説明がある。
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もしこの場所に行かれる場合には、是非このボランティアの方の説明をお聴きになることをお奨めする。ただ石塔を眺めているだけでは分からない、いろいろなことを面白おかしく教えてくれる。墓の下の遺体の埋葬状況についても、この通り、分かりやすい説明だ。
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さて、ここには将軍以外に正室・側室も葬られていて、上に見る秀忠のように正室と一緒に納められているケースが多いようだ。だが一人だけ、正室が堂々たる墓を持っており、将軍のそれよりも立派だというケースがある。それは、14代家茂。彼の正室は皇女和宮。孝明天皇の妹である。和宮が亡くなったのは明治 10年で、逝去時にこの墓が作られた際、将軍家は既に過去のものであり、時の天皇である明治天皇のおばにあたる和宮の墓を豪華に飾り立てることは、明治新政府にとって必要なことであった。しかも、ちょうど西南戦争勃発の年。不安定な新政府としては、皇室の威厳を強調する必要があったのだろう。家茂と和宮の墓を比べてみよう。家茂のものは石であるのに対し、和宮のものは青銅製。しかも菊の御紋つきだ。
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時代背景を考えされられるこのような事柄は、ボランティアの方の説明あればこそ。400年の歴史は数知れないドラマを生み、現代の日本人にまで直接つながっているからこそ面白い。私は特に歴史オタクということではなく、大河ドラマなどもさっぱり見ないのだが、自分の目でこのような遺物を見て想像の翼を広げることで、随分と豊かな気持ちになる。江戸時代ほど面白い時代はちょっとない。

増上寺は江戸幕府にとって大変神聖な場所であったわけであるが、人間の歴史とは面白いもので、聖なる場所は昔から聖なる場所であるのだ。増上寺に隣接している公園は、駅の名前にもなっている芝公園というのだが、ここに足を踏み入れるとこんな感じなのだ。
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この感じ、いつかどこかで味わったような・・・。森閑とした山の雰囲気がありながら、石段があり、でも木洩れ日に何か厳粛な空気を感じる。お、そうだ。これは古墳の雰囲気満点だ。と思うとやはり、このような石碑が。
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芝丸山古墳。全長 106mと都内最大級の古墳。被葬者は不明だが、5世紀の築造とされている。関東には 400年の歴史しかないと思っていた昔の自分が恥ずかしい。遥か古代からの神聖な場所は、形が変わったり戦争で焼かれても、不思議な生命力を保ち続けるものなのだろう。

この古墳のすぐ脇には、家康を祀る芝東照宮もある。あまり知られていないかもしれないが、やはり神聖な雰囲気だ。
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ところで、上で 9代家重が女性であったという説があると書いた。それは、その名もずばり、「九代将軍は女だった!」という新書を読んだことで知っているのであるが、その本を引っ張り出してきて改めてパラパラめくってみると、この徳川家墓所の移転の際に行われた将軍家の人々の遺体の調査を、現代の医学で分析した結果に基づく説とのこと。ボランティアの方の説明を聴いていて、その将軍家の遺体調査結果について大変興味が沸いてきたので、何か読める本はないかと探してみると、あったあった。当時の東大理学部教授で調査の中心人物であった鈴木尚という先生が、「増上寺徳川将軍家墓とその遺品・遺体」という専門書を執筆している。但し、この本を今手に入れようとすると、3万円くらいする。さすがにこれでは手が出にくい。だが、一般書として出版された「骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと」という本なら、一桁小さい金額で手に入る。早速それをオーダーして、正月にでも読んでみるとするか。正月早々死体の本とは、縁起でもないが (笑)。

by yokohama7474 | 2015-12-11 00:23 | 美術・旅行