人気ブログランキング | 話題のタグを見る

プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館

プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_23423265.jpg
年も押し詰まった 12月30日。多くの美術館は既に閉館している。そんな中、せっかく体が空いているのだからと思って未だ開館しているところを探したところ、いくつか見つかった。そのひとつは以前ご紹介した村上隆の五百羅漢展をやっている六本木の森美術館なのであるが、もう一度その展覧会を見ようとして出かけて行ったら、いろんな目の色の外人たちを含む来訪者でチケット売り場には長蛇の列。この売り場では展望台へのチケットも売っているので、美術館に行く人ばかりではないであろうものの、長時間並んでチケットを買う気力はなく、断念。さて、代わりにどこに行こうかと考えて思いついたのがこの展覧会である。

東京の中心地、丸の内に 5年前に開館したこの美術館は、意欲的な企画を数々世に問うてきた。今回の展覧会は、プラド側の提案による企画であるようだ。私は実はマドリッドには何度か、1ヶ月超の張り付き出張をしたことがあって、同地で何度も週末を越えたので、このプラドには優に 10回以上は足を運んでいる。エル・グレコ、リベラ、ヴェラスケス、ムリリョ、ゴヤなど、スペインで活躍した画家たちに、ルーベンスやティントレットや、その他幾多の西洋絵画の傑作を蔵する世界屈指の美術館だ。今回の展覧会では、どうやらそのプラドから、小品が沢山やってくるという。このブログで最初に文化関係の話題を採り上げた、今年の 6月 3日の記事では、ルーヴルからやってきた小品による展覧会を題材にしたが、それと似た趣向の展覧会だ。それにしても、今その記事を読み返してみると、短いなぁ (笑)。最近の記事では、どうも無駄口が多くなっている。ちょっと気をつけよう。

上述のルーヴルの記事で既に私はプラドに何度も通ったと書いている。また、その記事で話題にしたムリリョやティエポロの作品は、今回の展覧会にも含まれている。いや、この展覧会、ほかにもこのように豪華な、綺羅星のごとき画家たちの作品が並ぶ (50音順)。
 ヴァトー、ヴェラスケス、エル・グレコ、ゴヤ、サルト、ティツィアーノ、プッサン、ブリューゲルの息子や孫たち、ボス、ルーベンス、レーニ、ロラン・・・。
ただ、このような歴史上よく知られている画家たちのみならず、スペインやイタリアやフランドルの様々な画家たちが紹介されていて、中には大変ユニークなものもある。正直なところ、先のルーヴル展と同じく、実際にプラドに行ってみると、これらの作品の前を足早に素通りしてしまうことがほとんどだろう。このような展覧会の意義は、隠れた小品の持ち味をじっくりと鑑賞できることだ。作品点数は実に 102点。以下、私が特に興味を持った作品を一部ご紹介する。

まず、今回の目玉である、ヒエロニムス・ボス (1450頃 - 1516) の、「愚者の石の除去」。上に掲げたものとは別のポスターにはこの絵が掲載されていて、「世界に 20点しか存在しない奇想の画家ボスの真筆、初来日!」と謳われている。入り口から入って数点目に早くも飾られている。このような変わった絵だ。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_00093190.jpg
私は中学生くらいからボスやブリューゲルが大好きで、それはまさに彼らが「奇想の画家」であるからであるが、ここでは彼が得意とした不気味な怪物の類は登場せず、人間だけだ。オランダでは、頭の中に石ができると愚か者になると言われ、ここで手術を受けている男は、石を取り除く手術を行っているはずが、その頭からは、石ではなく青い花が出ている。これは外科医が取得する金を表しているらしい。その外科医は漏斗を頭に被っており、これは愚行を表す。また、右端で本を頭の上に乗せ、知性をないがしろにしているのは患者の妻。そして何やら仔細ありげな司祭 (?) は、妻の間男であるらしい。つまりこの男、よってたかって皆から騙されているわけだが、頭の上のことも見えないし、騙されていることに全く気付いていない様子。よくもまあこれほど皮肉な作品を描いたものである。ボスという人、人間への鋭い洞察力を持ちながら、皮肉たっぷりの人物であったのだろうか。

この作品を含む最初のセクションのテーマは、「中世後期と初期ルネサンスにおける宗教と日常生活」。領主や中産階級の居室に置かれたらしい、小さな作品ばかり。日本的に言えばさしずめ念持仏か。まあ、礼拝の対象になる宗教的な題材ばかりではないが、ここではボス以外は美しい宗教画がほとんど。このハンス・メムリンク (1433頃 - 1494) の「聖母子と二人の天使」など、手元に置いておきたくなる、本当にきれいな作品だ。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_00275611.jpg
第 2セクションのテーマは、「マニエリスムの世紀 : イタリアとスペイン」。ただ、ここで展示されているアンドレア・デル・サルト (1486 - 1530) など、やはりルネサンスに分類したいし、マニエリスムにはまだ早いように思う。これは「洗礼者ヨハネと子羊」。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_00310615.jpg
一方、これぞいかにもマニエリスムという作品もある。スペイン人画家、ルイス・デ・モラーレス (1510/11 - 1586) 描く聖母子。この聖母の長い顔は本当にユニークであるが、母親の透明なショールをつまむお行儀の悪い (?) イエスの右手は長く伸びて、聖母の胸元へ。神々しいというより、何やら人間的な雰囲気を醸している。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_00331368.jpg
第 3セクションは「バロック : 初期と最盛期」。このあたりからユニークな作品が増えてくる。イタリア人画家カルロ・マラッティ (1625 - 1713) の、「眠る幼子イエスを藁の上に横たえる聖母」。光の効果は抜群で、手前に置かれた聖母の左手の甲は、よく見ると大きすぎるようでもあるが、見る者の視線をうまくそらすようなバランスになっているし、また、イエスを包み込む愛を表すために安定感をここに与えたものかもしれない。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_00412928.jpg
この作品は、ドイツ人画家アダム・エルスハイマー (1578 - 1610) の「ヘカベの家のケレス」。ルーベンスの旧蔵作品らしい。オヴィディウスの「変身譚」のエピソードで、女神ケレスが娘ペルセポネーを探し歩いているとき、老婆の差し出すお茶をむさぼり飲んでしまい、それを笑った少年をトカゲに変えてしまうというもの。この時代の絵としては非常に珍しい、あからさまな少年の嘲笑のポーズが妙に印象に残る。女神に対してこんな笑い方をするとは、なんとも失礼な。トカゲに変えられても文句は言えまい (笑)。夜の雰囲気と相まって、なんとも独特の不気味さを持つ作品だ。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_00464292.jpg
スペインには静物画の伝統があって、それは現代の素晴らしい画家、アントニオ・ロペス・ガルシア (興味のある方は、これまたスペインの誇る素晴らしい映画監督、ヴィクトル・エリセの手になる「マルメロの陽光」をご覧になることを心よりお奨めする) や、スペインで学んだ日本の磯江 毅や諏訪 敦にまでつながっていると思う。ここに 17世紀の素晴らしいリアリズム絵画の手法による静物画をご紹介する。ファン・ヴァン・デル・アメン (1596 - 1631) の「スモモとサワーチェリーの載った皿」である。ファンはスペインの名前だが、ヴァン・デルは明らかにオランダだと思ったら、生まれはスペインだが両親はフランドル人だとのこと。カトリックとプロテスタントが激しく対立していた時代、苦労の多い人生を送った画家であろうかと想像するが、この澄み切った絵はいかなる精神が生み出したものなのか。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_09292203.jpg
ほかにもご紹介したい作品は多々あるが、あまり長くなりすぎるのもよくないので、先を急ごう。第 4セクション、「17世紀の主題 : 現実の生活と詩情」である。ここに当時の風景画の大家として一世を風靡したクロード・ロラン (1600 - 1682) と、その同時代人であったディエゴ・ヴェラスケス (1599 - 1660) の風景画が並べて展示されている。ロランは風景を構成する個々の要素 (近景の樹木、遠景の山、水面、廃墟等) は写生して集めたが、それらの要素の組み合わせは自由に行って、どこにもない架空の風景を理想化して描いたと言われている。それに対してヴェラスケスは、戸外にキャンバスを置いて写生したのであろう。とても 17世紀のものとは思えない、近代絵画のような、ものの実在の迫力を感じさせる。以下、ロランの「浅瀬」とヴェラスケスの「ローマ、ヴィラ・メディチの庭園」。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_09301528.jpg
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_09303003.jpg
それから、この絵はなんだ。作者は、フランス人とされている以外には不詳だが、「自らの十字架を引き受けるキリスト教徒の魂」という題名がついている。遠近法を駆使して複雑な直線の交錯を見事に表し、幻想的なシーンにリアリティを与えている。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_09310094.jpg
これなども近い性質を持っていると言えよう。ヘンドリック・ファン・ステーンワイク (1580頃 - 1649) の作品で、「聖ペテロの否認」と「大祭司の家の中庭のイエス」。同じ場所で違う物事が進んでいるのは、なんともシュールだ。画面の暗さと小ささで、何が起こっているのか判然としないが、それでも、2枚並べて見たときの一種異様な感覚は独特で、見る人を不安にする。空間や建物の不変さと人間の運命の移ろいの対照が不気味だ。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_09312700.jpg
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_09314586.jpg
第 5セクション、「18世紀ヨーロッパの宮廷の雅」に移ろう。ここには、美しかったりあまり美しくなかったり (笑) する宮廷風景や静物、あるいは神話を題材にした天井画の下絵等が並んでいるが、面白いのは、この展覧会のポスターにもなっているこの絵。アントン・ラファエル・メングス (1726 - 1779) の、「マリア・ルイサ・デ・パルマ」。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_01271786.jpg
将来、カルロス 4世の妃になる女性の若い頃の肖像。飛び切りの美人というわけではないにせよ、ぱっちりした目や穏やかにかつきゅっと結んだ唇が、なんとも好感を抱かせる。ところが、このうら若い女性が王妃となって後、家族と一緒に時の宮廷画家ゴヤに描かせたのが、プラドを代表する以下の大作だ (もちろん、今回の展覧会には来ていません)。国王を横に押しやり、傲慢な表情で家族の中心に君臨する彼女は、その醜さをそのままキャンバスに固定している。王族たちの後ろ、左奥にはゴヤの自画像もあり、何やら冷やかである。うーん、時とはなんと残酷な・・・。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_01321443.jpg
そして第 6セクションは、そのフランシスコ・デ・ゴヤ (1746 - 1828) の作品だけから成る。この画家については既に多くのことが知られており、戦争についての仮借ない内容の版画群や、晩年の「黒い絵」シリーズなど、ユーモアと嗜虐性が入り混じった過激な作風は、技術を越えて人々の心を揺さぶるのである。今回の出品作では、2点のタペストリーの原画が興味を惹く。ひとつは「酔った石工」という小品。そしてそれをタペストリーの実物大に拡大した「傷を負った石工」。同じ構図でありながら題名が異なるが、抱きかかえられた石工の両側の同僚たちの表情がそれを表している。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_01443727.jpg
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_01444652.jpg
最初の小さい作品では、意識のない男は何やら血を流し、両側の男たちはおどけた、または残忍な表情を浮かべている。それに対して大きな作品では、血は流れておらず、両脇の男たちも神妙な表情だ。画家の意図は正確には分からないが、ここには明らかに、表面上は宮廷画家として真面目な顔で働いている裏で、権力に対してあっかんべえをしているゴヤの姿を見ることができる。その内面の屈折が、あの晩年の空前絶後の表現力を放つ「黒い絵」シリーズにつながっているのであろう。

さて、最後の第 7セクションは、「親密なまなざし、私的な領域」。既に宗教や王侯貴族の束縛を離れ、画家の表現力は自由に羽ばたいている。スペインの強い陽光を思わせる風景画は、大変に素晴らしい。特に、光が強いと陰も濃くなるのだという空気感が、どの作品にもよく表れている。ここでは 2点、マリアノ・フォルトゥーニ・イ・マルサス (1838 - 1874) の「フォルトゥーニ邸の庭」(未完のまま作者がなくなり、義父が完成させた) と、ビセンテ・パルマローリ・ゴンザレス (1834 - 1896) の「手に取るように」である。作風は違えど、いずれも素晴らしい作品ではないか。19世紀の美術のメインストリームからは外れてはいるものの、我々の知るほかのヨーロッパの国々の画家たちの作風とも一脈通じるものがある。例えばスイスのセガンティーニであったり、あるいはイギリスのラファエロ前派やフランスの印象派であったり・・・。
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_01585956.jpg
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館_e0345320_01591332.jpg
このように、時代とともに移り変わる題材と技法を間近に見ることのできる、大変に面白い展覧会であった。プラドには数々の大作があって、それらに圧倒されるのであるが、その間にこのようなキラリと光る素晴らしい小品の数々があったとは知らなかった。もっとも、このような機会であるからこそ、小品の数々をじっくり見ることで、初めてよさが分かるということも言えるかもしれない。三菱一号館美術館は各部屋が小さいので、小品の展示には向いており、この企画はその意味でも成功したと言えるであろう。他の都市には巡回しないようであるのは多少残念だが、東京の人たちには忘れがたい印象を残すことであろう。でもまたマドリッドの現地に行って、「あー、また再会しましたね」などと絵に話しかけたいものだ。あ、現地に行ったら、どの絵をこの展覧会で見たのか分からなくなり、「えぇっと、あなたとは東京でお会いしましたっけね。いや、気のせいですね。はじめまして」などと言ってしまう恐れも、なきにしもあらずだが・・・。

by yokohama7474 | 2015-12-31 09:41 | 美術・旅行