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英国の夢 ラファエル前派展 Bunkamura ザ・ミュージアム

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英国、リヴァプール。それなりに有名な都市ではあるが、実際に出掛けたことはない。音楽の面では、ロイヤル・リヴァプール・フィルというオケがあるが、特別に興味をそそるような活動をしているとは言い難い。指揮者サー・サイモン・ラトルの出身地ではあるが、でもこの地で彼が何か大きな実績を残したわけではない。美術の面では、特に何の話題もないだろう。サッカーに関しては、チームが 2つあるらしいとは聞いても、その方面に熱狂的な思い入れがあるわけではない私には、そうですかで終わってしまう。というわけで結局この街は、「ビートルズの街」ということでまとめてしまうのが妥当であると思うわけである。

ところが、街の歴史を調べてみると、産業革命時にはマンチェスターで生産された綿織物がこの街の港から出荷され、19世紀末にはロンドンに次ぐ英国第二の都市であったらしいのだ。それゆえ、海港都市としての姿をとどめた地域は世界遺産に登録されているらしい。この展覧会で展示されているのは、そんなリヴァプールの国立美術館の所蔵品のみからなる 19世紀の英国絵画。実は「リヴァプール国立美術館」の名称は、市内及び郊外の 7つの美術館・博物館の総称で、この展覧会には、その中の 3つの施設から作品が集められている。既に新潟、名古屋での展覧を終え、東京の後には山口に巡回して終了する。

一般の美術ファンにとって、「ラファエル前派」という名称はどの程度親しいものであろうか。少なくとも 30年くらい前からは、かなり頻繁にこの周辺の画家たちの展覧会が開かれていて、私が行ったものだけでも、5つや 6つにとどまらない。私の場合は世紀末芸術や象徴主義への興味からの自然な展開で、若い頃からこの流派に大いなる興味が沸いたのであるが、これだけ頻繁に展覧会が開かれるということは、日本でも愛好家が多いのであろうか。この流派、英語では Pre-Raphaelite、つまりルネサンスの巨匠ラファエロよりも前のスタイルの芸術に戻ろうという意味なのであるが、恥ずかしい話、私が以前から疑問なのは、これを日本語でどう発音すべきかなのだ。「前派」を「琳派」のように発音して、通して「ラファエルゼンパ」と「ゼ」にアクセントを置いて読むのが普通であると思うが、言葉の意味を考えれば、「ラファエルゼン・(ッを入れる感じで間を置き) パ」と「パ」にアクセントを置いて発音すべきとも思われる。どちらが正しいのだろうか。

などと考える間もなく、会場に足を踏み入れるとそこは、19世紀英国絵画の一大潮流を示す作品群に圧倒される場所である。好みの問題は多少あるかもしれないが (例えばまるで少女漫画のようでいやだとか)、ほとんどの人たちが美しいと思うであろう絵画が集められている。それにしても、いつも思うことには、個々の画家の個性の違いは多少あれども、驚くほど絵画のスタイルが似た画家たちが集まったものだ。時代の感性とも言うべきものがここには確かにある。今回は初めて名前を聞く画家にも素晴らしい作品があり、ラファエル前派の広がりに改めて驚かされた。もっとも展覧会の英名は "Pre-Raphaelite and Romantic Painting" で、厳密な意味でのラファエル前派 (1848年結成、数年で実質解消) より後の世代までカバーしている。ただそれでも、最も新しい作品でも 1910年代の作なので、たかだか半世紀強の期間に描かれた作品ばかりということになる。英国近代画家の 2大巨頭であるコンスタブルとターナーはいずれも 19世紀半ばで世を去っており、英国絵画史は世代交代が明確だ。

展覧会は、ジョン・エヴァレット・ミレイ (1829 - 1896) の作品で始まる。テイトが所蔵する代表作「オフィーリア」でつとに有名な画家であるが、ここでは若い頃のものを中心に、比較的穏やかな耽美性を持つ作品が並んでいる。これは 1859年の「春」(林檎の花咲く頃) という作品。ラファエル前派がしばしば取り上げた神話的題材ではなく、身近な親戚たちを描いたものらしいが、右端の横たわった女性の上に鎌がかかっているなど、それぞれの人たちの今後の運命を暗示する描き方をしているとのこと。なるほど運命ですか。まさにラファエル前派好みの題材だ。
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そしてこれが、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (1828 - 1882) の「シビラ・パルミフェラ」(1865 - 1870)。いやーもう、ロセッティの真似をしているのかと思われるくらいロセッティしている (笑)。勝利を表すヤシの葉を手に持った巫女の姿だが、後ろの柱にご注目。左側が目隠しされたキューピッドで愛を、右側がドクロで死を意味しているという。前回の「アンジェリカの微笑み」についての記事でも触れた、西洋文明が大好きな愛と死のテーマである。
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今回初めて知った画家、ローレンス・アルマ・タデマ (1836 - 1912) は、素晴らしい描写力と色彩感覚を持っている。未完の水彩画を含む 5点が展示されているが、以下は「お気に入りの詩人」(1888)。大理石の感じや、二人の女性の髪の色や衣装の質感の違いもさることながら、私が驚嘆したのは、左端から覗く外の風景だ。英国ではあり得ない南国の陽光だが、それによって隅々まで照らされた柱の彫刻の細かさに目がくらむ。ほとんどシュールと言ってもよいくらいだ。
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フレデリック・レイトン (1830 - 1896) は当時高い地位を占めた画家であるが、日本ではあまり知名度が高いとは言えないだろう。だが、私は以前から大好きで、ロンドンの西のはずれにある彼の旧居は、私が同地に駐在中は改修のため閉鎖されているのを残念に思っていたところ、最近出かけたときには既に再公開が始まっていて、大変興味深く拝見した。ここでは 2点ご紹介しよう。まずこれは、「プサマテー」(1879 - 1880)。ギリシャ神話に題材を採っているが、映画好きの方なら、「バートン・フィンク」のシュールなラストシーンを思い出しませんか。こんな肖像画、前代未聞であったろう。
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そしてこれは、「ペルセウスとアンドロメダ」(1891)。これはよく知られたギリシャ神話のエピソードだが、この龍の口から吐き出される炎のリアルさやしっぽの実在感はどうだ。また、ペルセウスは薄く描かれていて、まるでアンドロメダの心の中に現れた幻のようではないか。また、不自然なまでに黒い影を画面のど真ん中にかけている龍の翼が、その感覚を強めている。ここではないどこかの風景。
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ほかにも美しい作品が目白押しで、目移りしてしまうが、これなども珍しい画家の渾身の傑作と言えるだろう。アーサー・ハッカー (1858 - 1919) の、「ペラジアとフィラモン」(1887)。歴史小説の一場面を描いたもので、贅沢な暮らしをしていた女性が荒野で死に行くところを、修道僧である兄が見守るところ。女性の半裸体はなまめかしいが、最近のハリウッドにでも出てきそうな兄の姿が対照的に不気味で、異様なコントラストをなしている。右奥では、ハゲタカが女性の死を待っている。
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さて次は、ちょっとびっくりな作品をご紹介しよう。
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なにこれ、写真じゃん、と思われた方。違います。ウィリアム・ヘンリー・ハント (1790 - 1864) の、「卵のあるツグミの巣とプリムラの籠」。1850 - 60年頃に描かれた水彩画で、今回の展覧会の出展作でも最も古いもののひとつ。まるで、千葉にある現代日本の写実絵画専門美術館、ホキ美術館に置いてもよいような作品ではないか!! 野田弘志も真っ青だ。

会場にはフレデリック・ワッツの有名な「希望」という作品のスケッチもある。これはレイトンに贈られて、彼が終生大事にしていたものだそうだ。うーん、やはり、ここではないどこかに、安らぎを与えてくれる希望が存在する。この時代の英国は、現実世界では世界の先頭を走りながらも矛盾を抱えていたことを思うと、なんとも痛々しい絵であると思う。
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さてここで、真打ち登場。エドワード・バーン・ジョーンズ (1833 - 1898) だ。彼個人の展覧会も数年前に三菱一号館美術館で開かれたし、イメージとしてはまさにラファエル前派の中心人物なのだが、厳密にはそうではなく、少し後の世代になるようだ。だが、画家を流派で分けて納得するのはあまり好きではない。その画家の持ち味に虚心坦懐に向き合いたい。この「フレジオレットを吹く天使」は 1878年の作品。これぞ、私が最初の方に書いた通り、少女漫画と紙一重の美しい絵画作品と評価できるだろう。このイメージは明らかにフレスコ画。ラファエロ以前の作品を洗練したような効果がある。
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それから、同じバーン・ジョーンズで、驚いたのがこれだ。「スポンサ・デ・リバノ (レバノンの花嫁)」(1891)。旧約聖書の「雅歌」に取材したこの作品は幅 1.5m、高さ 3m を超える大作で、立派な額縁に入っているのだが、なんと驚いたことに、水彩画なのである。これよみがしに巻き上がり絡み合う北風と南風の擬人像の衣が、見る者を現実から引き離す。妙に白いユリの花も、何か白昼夢のようだ。水彩でこれだけの力強くドラマチックな雰囲気を出せるとは、恐ろしい技量ではないか。
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さて最後に、ラファエル前派の正統的な後継者ともいえる、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1849 - 1917) の、「デカメロン」(1916)。本展のポスターにも使われている作品だ。ここまで来ると既に第一次世界大戦が始まっているにもかかわらず、中世の作家ボッカッチョの物語に題材を採った美麗な作品だ。原作の中のどの話を描いているかは明らかにされていないようだが、その色彩や構成感は見事である。うっとりと男の話に耳を傾ける女性たちの魂は、肉体を地上に置いたまま、まさにここではないどこかに旅しているようですらある。
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ほかにもまだまだ美しい作品が展示されており、見応えは充分だ。ただ、見ているうちに、これらの画家たちの活躍した 19世紀半ばから後半、お隣のフランスではいかに視覚の革命が起こっていたかを思うと、その歴然たる差にクラクラする思いだ。第一回印象派展は 1874年。そして、キュビズムの元祖と言われるピカソの「アビニョンの娘たち」が描かれたのは 1907年。この展覧会の出展作は、パリで起こった激動の近代美術の一連の革命と同時代の作ばかり。もちろん、パリが先鋭的過ぎたのであろうが、歴史の爬行性は実に興味深い。

それにしても、リヴァプールという一都市にこれだけの貴重な作品群が残っていることには大きな意義がある。いつの日にか現地を訪ね、ビートルズ以外の街の売り物を見てみたいと思う。

by yokohama7474 | 2016-01-07 01:03 | 美術・旅行