2016年 02月 10日
ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン ブルックナー・ツィクルス第 1回 2016年 2月 9日 サントリーホール


今回私は全 9回のチケットをシリーズで購入した。だが、一介のサラリーマンにとってこの 9回全部を聴くのは至難の業。私の場合は 9回中 2回は出張で行けないことが明らかとなり、既に処分してしまった。だが、残りの 7回は絶対に行くので、逐一記事を書いて行く所存。しかしながら、各曲によってそれほど違ったことを書く材料がないと思われるので、私にとってのブルックナーや、過去のバレンボイム体験などをつれづれに記述して行くことになろう。以前記事を書いた、現在 92歳のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが読売日本響を指揮した第 8番は、宣伝で「究極のブルックナー」と謳われていて、実際その通りであったが、今回のバレンボイムのツィクルスは、とりあえず「9曲のブルックナー」というところから始めよう (笑)。9曲が究極のブルックナーになるか否か、それをこれからしっかり見届けたいと思う。
バレンボイムはもちろんワーグナーのオペラを中核レパートリーとしているが、そのワーグナーに心酔し、でもオペラではなく巨大な交響曲を書いたブルックナーも、彼の大事なレパートリーだ。既に、シカゴ交響楽団とベルリン・フィルという世界の二大スーパー・オーケストラを指揮して全集を録音しているが、現在の手兵シュターツカペレ・ベルリンとも、主要交響曲は録音・録画している。だが率直なところ、彼のブルックナーを多くの人々が口を極めて絶賛しているかというと、必ずしもそうではない。今から 30年くらい前だろうか、最初のシカゴとの録音 (どの曲かは忘れたが、7番だったろうか) をレコード芸術誌の月評で大木 正興 (私の世代にとっては、尊敬すべき教養主義の辛口音楽評論家) が、「このように美麗なブルックナー演奏は、つい最近、先輩のカラヤンが行って通り過ぎて行ったばかりではないか。バレンボイムは、そこに自分の演奏を加える意味をどう考えているのだろうか」といった厳しい批評が掲載されていた。当時バレンボイムは、ピアニストとしては高い評価を得てはいても、指揮者としての評価は今ひとつで、しかもあまりフレンドリーな人柄でないこともあって、彼のブルックナー録音が世の中で愛聴されてきたとは思えない。私自身を振り返ってみても、今手元にあるブルックナー全集は、カラヤン、ショルティ、ヨッフムの新旧 2種、朝比奈、スクロヴァチェフスキ、インバルというポピュラーなものに、マゼールがミュンヘンで録音したものや、世界初の全集であったフォルクマール・アンドレエ、遺稿を様々収録したロジェストヴェンスキー、はたまたルーマニアのクリスティアン・マンデアルなどのマイナーなものも持っているが、バレンボイムの 2種の全集はいずれも所持していない。今回のツィクルスを聴くまでの状態はそんな感じである。
初回の演奏会の曲目は以下の通り。
モーツァルト : ピアノ協奏曲第 27番変ロ長調K.595 (ピアノ : ダニエル・バレンボイム)
ブルックナー : 交響曲第 1番ハ短調
上記の通り、バレンボイムはまずピアニストとして名声を博し、よしんば彼の指揮に異論がある人も、彼のピアノには沈黙せざるを得ないという事実が、過去何十年も存在している。私自身も、初めてバレンボイムがモーツァルトのピアノ協奏曲を弾き振りしたのを聴いたのは、1989年のパリ管弦楽団との来日公演。「英雄の生涯」をメインとした前座であったが、そのあまりの素晴らしさに驚愕したことをよく覚えている。今調べてみると、なんとなんと、その時の曲も今日と同じ、27番のコンチェルト、つまりモーツァルトが書いた最後のピアノ協奏曲であった。

メインのブルックナー 1番であるが、これもまた、均一性のあるオケの音が見事に交響する、誠にドラマティックな演奏であった。冒頭のリズムの刻みは若干おとなしいようにも思ったが、今にして思うと、これは前半のモーツァルトで最初にピアノが入ってくる箇所と似通った表現だった。上記の通りの、音が登りつめてからの雪崩のような動きは極めて効果的で、ブルックナーの別の一面を見たように思われた。後年の大交響曲のような滔々たる流れはなく、若干偏執狂的に短い音形が果てしなく繰り返されるが、これだけ緊密な演奏であれば、そこに得も言われぬ独特の迫真性が生まれて、初期の作品であるからこその冒険心も感じることができた。スコアに書かれたあらゆる音が、最初から最後まで、途切れることのない長い絨毯のように千変万化の模様を見せ、何か今まで知らなかった宝を見つけたような気がしたものだ。オケのモチベーションも高く、各パートの献身ぶりには瞠目すべきものがあった。終楽章での集中力は全く素晴らしいもので、演奏者たちにとっても、回心の演奏であったに違いない。
そんなわけで、大変順調な滑り出し。バレンボイムならではの特別なツィクルスになるという予感がする。若き日のブルックナーも、これを聴くと満足したのではないだろうか。


