2016年 02月 14日
ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン ブルックナー・ツィクルス第 5回 2016年 2月14日 サントリーホール

今回の曲目は、ブルックナーの交響曲第 5番変ロ長調ただ 1曲。昨日バレンボイム自身が語っていた通り、ブルックナーの交響曲の中でも偉容を誇る大作だ。今回のツィクルスで初めて、前座にモーツァルトのピアノ協奏曲が演奏されることもなく、ブルックナー 1曲だけだ。因みにこの 9曲のツィクルスでブルックナーの交響曲だけの演奏は、この 5番に加え、7番と 8番だ。さぁそのような大作が日曜日に演奏されるというのに、なんたること、会場はそこここに空席が。初回、交響曲第 1番とどっこいどっこいかと思われる入りの悪さだ。これは一体どうしたことか。まさか朝の嵐で鉄道が停まっているとか、あるいは今日がヴァレンタイン・デーであることが関係しているのではあるまいな。まぁ、オッサン度の高いコンサートだけに、後者はあり得ないわけであるが・・・。だがここで私は高らかに申し上げよう。この日の 5番こそ、日本のブルックナー演奏史に残る大変な名演であったことを。東京にいるクラシックファンでこれを聴かなかった人は、申し訳ないが今すぐ懺悔して頂き、一生ブルックナーとは縁がない生活を送ることを覚悟頂いた方がよいのではないか。
冗談はともかく、明らかにこれまでの 4回のどの演奏をも凌ぐ凄まじさは、そうそう体験できるものではない。まず演奏前に舞台を見回すと、弦楽器の編成こそ最初から変わらない 16型 (コントラバス 8本) だが、いわゆる倍管と言って、木管が各 4本。金管も昨日までの倍である。そしてティンパニまでが 2対。この大編成が終楽章であの乾坤一擲のクライマックスを演出するかと思うと、見るだけで興奮して来る。昔、88歳にしてこの曲でシカゴ交響楽団にデビューした朝比奈隆が、金管を倍増しようとしたところ、楽員から、自分たちが普通の倍の音を出すから大丈夫だと言われたというエピソードがあったが、当時そのシカゴ響の音楽監督であったバレンボイムが 70代にして演奏するブルックナー 5番は、さていかなる演奏になるのだろうか。プログラムに載っているバレンボイムの言葉には、以下のようなものがある。「日本にも、すばらしいブルックナー指揮者がいましたね。朝比奈隆。私が音楽監督を務めていたシカゴ交響楽団で、ブルックナーを振りました (注 : 5番のあとに 9番も振っている)。私は残念ながらそこには立ち会えなかったのですが、録音などから多くを学びました。思うに彼は、ブルックナー演奏に不可欠な大きなラインというものをどう表現するべきか、独自につかんでいたのだと思います」--- なるほど、今や現代を代表するブルックナー指揮者であるバレンボイムも、朝比奈から学んでいたとは、なかなかに興味深い話である。演奏前に客席を見ると、第 2回にも聴きに来ていた指揮者パーヴォ・ヤルヴィの姿が。前回は付き添いの日本人女性がいたが、今回は単独での登場だ。今日は確かに N 響との演奏会の谷間。私がこのブログでも採り上げた通り、彼はつい先日、手兵 N 響でこのブルックナー 5番を採り上げたばかり。それから、考えてみればバレンボイムとヤルヴィは、パリ管弦楽団の音楽監督として先輩・後輩の仲。果たして今回の演奏をどう聴くだろうか。これこれ、私が聴きに来ていることはくれぐれも内密に頼むよってか。

昨日の 4番の演奏はほとんど満員の聴衆から、指揮者をひとりで呼び戻すだけの拍手が沸いたが、今日は比較的少ない聴衆から、当然のように同じ現象が発生した。いや、今日の演奏の凄まじさを反映して、舞台の回りに押し寄せた聴衆の数は昨日とは比較にならないほど多く、拍手を受けるバレンボイムもこの表情だ。




