2016年 02月 20日
ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン ブルックナー・ツィクルス 第 9回 2016年 2月20日 サントリーホール

モーツァルト : ピアノ協奏曲第 23番イ長調K.488 (ピアノ : ダニエル・バレンボイム)
ブルックナー : 交響曲第 9番ニ短調
これまでの恒例に従い、ちょうどこの時期に N 響との演奏会のために日本に来ている同オケの首席指揮者、パーヴォ・ヤルヴィが客席にいるか否かが、まぁしつこくて申し訳ありませんが (笑)、演奏開始前の今日の興味のひとつであったが、今日のチケットは 9回のツィクルスでもどうやら最初に売り切れたようで、当日券の販売はなし。それどころか、会場前には「チケット求む」の札を下げた人が数名並ぶという異例の事態と相成った。そのせいかどうか、会場にはどう見渡してもヤルヴィの姿はない。実は後で調べて分かったことには、私は前回の記事で、「ヤルヴィと N 響の演奏会は終了した」と書いたが、ところがどっこい、今日 2月20日 (土) は大阪で、明日 2月21日 (日) は福岡で演奏会があるのだ。なるほど、ではここにいるわけもない。その代わりと言うべきか、客席で見出したのは、やはりブルックナーとマーラーで世界にその名を轟かせるイスラエルの名指揮者、エリアフ・インバルだ。インバルについては昨年末の第九で少し書いたが、以前のフランクフルト放送交響楽団の音楽監督 (つまり、その点ではパーヴォ・ヤルヴィの先輩だ) として、また、もと東京都交響楽団のプリンシパル・コンダクターとして、日本でもおなじみの巨匠だ。ただ、彼が次回都響に登場するのは 3月後半。なぜに今この時期に日本にいるのか。実はこのシリーズの最初の方から、いかにもユダヤ人らしい鷲鼻の人が客席にいるのは分かっていて、インバルに似ているなぁと思っていたが、少し小柄で表情が柔和、そして色白であることから、インバルではないだろうと思っていたのだ。だが、前回の記事にコメントを頂いたことから今回は 1階客席をよく見ていたところ、うん、少なくとも今回はインバルに間違いない。1階 7列目の左ブロックに座っていた。これまで私が別人と断定していた人と同一人物であるか否かは判然としない。どなたか確信おありの方、是非お知らせ下さい。

そして、未完ながらもブルックナーの白鳥の歌である第 9交響曲だ。全 9回のシリーズを締めくくるにふさわしい、ブルックナーの交響曲としても前作第 8番に並ぶ、いや、見方によってはそれを凌ぐような深遠な曲である。第 8番と同じく、ベートーヴェンの第 9に倣ってか、スケルツォ楽章が第 3楽章ではなく第 2楽章に来ている。しかもそのスケルツォは、今までのブルックナーの交響曲と異なり、中間部 (トリオ) が主部よりも急速なのだ。おぉ、この点もベートーヴェンの第 9と同じではないか。加えて、自分がこの曲を完成させずに死んだら、宗教曲テ・デウムを終楽章の代わりに演奏してくれと言った作曲者の思いは、ここでもやはりベートーヴェンの第 9に飛んで行っていたのではないか。それにしても、緩徐楽章が第 3楽章でよかった。もしこれがスケルツォだったら、曲の終わりにならないではないか (笑)。この緩徐楽章、7番や 8番のそれと同様、深い情緒に満たされた音楽なのだが、私の思うところ、前 2作に比べてドラマ性がより高く、ここで作曲者はこの世への別れを告げている、つまり、この楽章が最後になっても聴衆に満足を与えるように作られたものではないか。

終演後の指揮者インバルの様子を見ると、ほとんど拍手をしていない。時折思い出したように、神社の柏手のようにパン・パンと手を叩き、それっきりだ (笑)。そして私は目撃したのだ。インバルの後ろの列にいた人が、あろうことかフラッシュをたいて舞台上のバレンボイムの写真を撮ったことを。それを見た係員の女性が猛ダッシュでその場所に直行したが、いかんせん、既にカメラは仕舞われていて、誰が「犯人」であったのか分からない。そこで係の女性は何をしたか。何やら怪しい外人で、満場の大喝采の中、ひとり拍手もしていないユダヤ人に向かって、厳しく注意したのだ!!!! おぉー、天下の巨匠エリアフ・インバルに無実の罪を着せてしまう東京。本人は、きっと注意の言葉が聞こえなかったのだろう、何やら怪訝な顔つきで係員をポカンと見ている (笑)。インバルにとってはイスラエルの後輩にあたるバレンボイムがステージ上で輝かしい賞賛を浴びている中、濡れ衣によって非難されてしまうことの理不尽さを噛み締めたことであろう。
さてここで、今回のツィクルスを終えるにあたって、バレンボイムの音楽を巡るひとつの言説をご紹介しよう。彼は若い頃、天才チェリスト、英国人のジャクリーヌ・デュ・プレと結婚したが、デュ・プレが多発性硬化症を発症し (結局彼女は 1987年に 42歳の若さで死んでしまうのだが)、闘病生活を行っている最中に別の女性と暮らし始め、病床のデュ・プレに冷淡であったとして、未だにロンドンでは人気が低いと聞く。



だが、私の数々のバレンボイム経験に基づいて言うと、そんな彼の演奏を聴いて涙が出そうになったことが一度だけある。それは、ニューヨーク在住時にかの地のカーネギー・ホールで聴いた、バッハの平均律クラヴィア曲集の連続演奏会であった。そのとき私は、デュ・プレの呪いの一言が溶解したと思ったものだ。願わくばいつの日にか指揮の分野で、彼の音楽に涙する日が来ることを祈ろう。
いずれにせよ、この 9回の連続演奏会は大変な快挙である。この後、シュターツカペレ・ベルリンは、バレンボイムではなくダーヴィト・アフカムという指揮者のもと、金沢、広島、福岡を回るようだ。この指揮者については知識がないが、インドの血をひく若手のホープである由。オケにとっては引き続き大変な行程が続くが、もうひとふんばり頑張って下さい。現代楽壇のドン、マエストロ・バレンボイムについては、また次の機会を楽しみにしたいと思う。


