2016年 02月 22日
東京二期会公演 ヴェルディ作曲「イル・トロヴァトーレ」(指揮 : アンドレア・バッティストーニ / 演出 : ロレンツォ・マリアーニ) 2016年 2月21日 東京文化会館
二期会と言えばワーグナーのイメージが強いが、イタリアオペラももちろん採り上げていて、この「イル・トロヴァトーレ」は 20年ぶりの上演だそうだが、なんといっても指揮者が若手のホープ、1987年イタリア生まれのアンドレア・バッティストーニであることは最大の注目点であろう。実は彼は二期会で継続的にヴェルディを採り上げていて、2012年の「ナブッコ」(彼の初来日であったらしい)、2015年の「リゴレット」に続く今回が 3作目である。
今回の作品、「イル・トロヴァトーレ」はヴェルディ中期の名作で、「リゴレット」と「椿姫」の間に書かれている。スペインを舞台に、主要登場人物 4名がそれぞれのたぎる情熱をもって、愛憎交わる複雑な (ようでいて実は単純な?) 関係を演じる作品だ。有名な合唱曲やテノールのアリアもあり、聴きごたえは充分。但し、ストーリーはなんとも荒唐無稽なところがあり、あくまでイタリアオペラのひとつの典型として楽しむ必要がある。例えばここでは (その後のヴェルディ作品の幾つかでも類似キャラクターが出て来るが) 呪術性をもったジプシー女が重要な役柄を演じるが、彼女は他人の子を焼き殺そうとして、誤って自分の子を焼き殺してしまうのである。おいおい、いくらなんでもそれは不注意ではないかい (笑)。題名のトロヴァトーレとは吟遊詩人のことで、主人公のマンリーコを指す。中世ヨーロッパに存在していたという、各地を巡りながら詩を歌う人たち。神秘的な雰囲気をまとうこの吟遊詩人が、ここでは馬上試合で優勝して女官レオノーラの気持ちをわしづかみにし、でも彼は実はジプシーの子で、いやでも実は実は・・・という設定になっていて、少々ややこしい。
今回の公演は、パルマ王立歌劇場、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場との提携公演。膨大な金がかかるオペラの世界では、複数の劇場による共同制作は全く珍しくないが、世界の名だたる劇場と、座付きではなくオペラ上演というソフトを提供する団体である二期会とが共同で制作するとは興味深い。それだけ二期会の存在が世界でも認められているということだろう。演出のロレンツォ・マリアーニは、かつてクラウディオ・アバドとも何度も協働した実績があり、最近までパレルモ・マッシモ劇場 (そうそう、そうです。あの「ゴッドファーザー パート 3」のロケで使われた、シチリアのあの劇場です!!) の芸術監督であったとのこと。
そして歌手陣。私が見たのは 4回の公演の最終日で、全員日本人キャストであったが、その出来の素晴らしさには心から拍手を送りたい。マンリーコ役の小原啓楼、ルーナ伯爵役の成田博之、レオノーラ役の松井敦子、アズチェーナ役の中島郁子、いずれも深い感情表現を自然な演技とともに展開して、世界のどこに出しても恥ずかしくない舞台であったと思う。もちろん、早いテンポのイタリア語にはさらに改善の余地もあろうし、コロラトゥーラの磨き上げが必要な部分もあろう。だが、オペラはアンサンブルによって活きるもの。少々の不備など、いかなる世界的な歌劇場でも起こる。日本は特殊なのであろうか、全員同じ国の人たちで、これだけ見事な演奏ができる国は、一体世界にどのくらいあるだろう。バッティストーニも、この極東の島国でこれだけイタリアオペラの神髄を実現できることに驚いているのではなかろうか。
今回の舞台は大変シンプルなもの。大道具はほぼ皆無で、古いスペインの城や馬上試合 (?) の風景を描いたタペストリー風の緞帳が舞台手前にあり、舞台奥に大きな月が浮かんでいて、その月の位置や色が変わるくらいがせいぜいである。よって、コスト面ではかなり優秀な舞台だろう (笑)。歌手にしてみれば、逃げも隠れもできない以上、余計な演技も必要なく、開き直って歌で聴かせるしかないわけで、実はこのような演出の意味は大きいのではないか。舞台の写真を幾つか掲載しておこう。なかなかに幻想的である。
QUOTE
前作「リゴレット」がオペラの歴史を大きく前進させたのにくらべると、「イル・トロヴァトーレ」は後退しています。(中略) 「イル・トロヴァトーレ」は伝統的なベルカントの作品だといえます。だから、装飾音など典型的なベルカントを表現しながら、声を美しく聴かせるように書かれたフレーズを、もっと感情がこもった、表情に富んだものにしなければなりません。(中略) (ヴェルディは) 大変な読書家で、同時代の劇作家や小説家の作品をかたっぱしから読み直し、夜の雰囲気の、幻想的ですこし恐ろしい世界を見つけました。あの味わいは当時の流行そのもの。血が流れるオペラですが、そこにヴェルディは、ベルカントの名残をはち切れんばかりに込めたんですね。
UNQUOTE
これはなかなか的を得た発言である。確かにこの作品にはちょっと粗削りな点もあって、その弱点を克服するため、ヴェルディ以前のベルカント・オペラの様式に従いながらも、声の美しさだけでなく深い感情を込めることで、文学的なロマン性につなげようという意図と理解した。そうすると上の写真のような簡素な舞台から発する幻想性が、この作品には適していると言ってもよいだろう。今回の上演の勝利は、歌手、指揮者、オーケストラ、演出、それからもちろん合唱やら照明やら、あまり仕事がなかった (笑) 美術やらの、総合的な力によるものと思う。このような質の高い舞台は、4回だけの上演ではもったいない。高校生や大学生にもっと見てもらえないだろうか。文化会館は 4階、5階が音響も非常によくて私は好きなのだが、今回のチケット代は、ちょっとした飲み代程度。普段オペラを見ないサラリーマンも、一度新橋の赤ちょうちんを我慢して、このようなものを試しに見に行かれてはいかがであろうか。見てみると面白いものですよ。マエストロ・バッティストーニも、"Come on!!" とおっしゃっております。