2016年 04月 08日
フランソワ・グザヴィエ・ロト指揮 東京都交響楽団 2016年 4月 7日 サントリーホール


今回は都響に初登場であろうか。曲目は以下の通り。
シューベルト (ウェーベルン編) : ドイツ舞曲 D.820
リヒャルト・シュトラウス : メタモルフォーゼン
ベートーヴェン : 交響曲第 3番変ホ長調「英雄」作品55
先月行われたローター・ツァグロゼク指揮の読響のコンサートでも、似たような組み合わせの曲目が演奏され、「メタモルフォーゼン」を含む演奏会については私も記事を書いた。そう、クラシックファンなら誰でも知っている通り、この「メタモルフォーゼン」は、ベートーヴェンの「英雄 (エロイカ)」交響曲の第 2楽章、葬送行進曲がテーマとなっている。だが、今回のプログラムの凝り方はそれだけではない。プログラム冊子に寄せられているロトのメッセージを要約しよう。いわく、プログラム作成は、組み合わせによって曲が異なって聴こえる機会を作ること。ベートーヴェンが「エロイカ」を作曲したときには未来を見ていただろう。一方、シュトラウスが「メタモルフォーゼン」を作曲したときには過去を見ていただろう。未来へ向かう視点と過去へ向かう視点という異なる時間軸が、今回のプログラムには存在する。加えて、最初のドイツ舞曲は、近代の作曲家ウェーベルンが過去のシューベルトの作品への敬意を持ってモダンにオーケストレーションしたゆえに、ひとつの作品の中に 2つの時間軸がある。・・・なるほど、なんという慧眼。それがどのように音になるのであろうか。
舞台に現れたロトは、指揮棒を持たずにすべて譜面を見ながらの指揮であった。だが、最初の曲とメインの「エロイカ」ではヴァイオリンの左右対称配置を取ったにもかかわらず、「メタモルフォーゼン」ではそうではなく、舞台に向かって左手側に第 1ヴァイオリンと第 2ヴァイオリンを混在させ、真ん中にチェロ、そして右側にヴィオラ。その奥にコントラバスが並ぶという変則的な配置。この曲は敗戦間近のドイツで老巨匠が書いた痛ましい音楽なのであるが、副題に「23の独奏弦楽器のための習作」とある。そう、これは弦楽合奏のための曲ではなく、23人の弦楽ソリストの集合体のための曲なのだ。昔のカラヤンの 2度の録音以来、耳になじんだ曲ではあるが、実演に接したことはさほど多くない。だが今回のロトの演奏で初めて曲の副題の意味を理解することができた。CD で聴いているだけでは分からないし、生演奏でも座席によっては視覚で確認しにくいだろうが、この曲の各パートは、本当にそれぞれが独立しているのだ。例えばコントラバスは 3本だが、3人揃って弾くところもあれば、1人であったり 2人であったり、またその 2人も、組み合わせが異なる場合がある。その他のパートでも、いわゆる首席奏者でない人だけが演奏する箇所もあるのだ。そして最後に現れる「エロイカ」の葬送行進曲のテーマを奏するのは、ヴァイオリンでもチェロでもなく、コントラバス。言うまでもなくベートーヴェンの時代には、この楽器がメインのメロディを演奏することなどないので、原曲の「エロイカ」には出てこない音に集約するのが、このシュトラウスの作品なのだ。ロトの指揮は決して流れがよいわけではないが、この曲のいわばモザイク状の構造を、面白いようにあちらこちらで次々取り出してみせる。聴いているうちに、この切れ切れの音たちは、断ち切られた希望、あるいはバラバラになってしまった文化のようなものではないかと思うようになった。だがその破片たちには、それぞれが夕日を反射しているかのような美しさがある。だからこれは、ただ感傷に沈んで行くような曲なのではなく、滅び行くものが持つ深い美をも表しているのであろう。ロトの指揮によって、初めて曲の本質に触れたような気がしたのだ。
順番が逆になったが、最初のドイツ舞曲も、表面上はなんとも流れの悪いギクシャクした演奏で、そうであるがゆえに、永遠の前衛作曲家アントン・ウェーベルン (1883 - 1945) の目指した極小世界の本質を表すものであろう。いつもながら都響の演奏能力は高く、聴き手をはっとさせるロトの際立った解釈を、見事に音にしていた。そういえばウェーベルンは、戦後の混乱の中、米兵の誤射によって1945年に 61歳で命を落としている。シュトラウスの「メタモルフォーゼン」も戦争末期の所産であるし、また「エロイカ」も、ナポレオン戦争と密接な関係がある。つまりこのプログラム、戦争のイメージも見え隠れしているのだ。これは若い頃のウェーベルン。神経質そうだが、実は非常に感情豊かな人でもあったようだ。

ところでこの曲の終楽章は、ベートーヴェン自身、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」にも使用しているテーマによる変奏曲であるが、人類に火をもたらした英雄としてのプロメテウスへの思い入れは、いかにもベートーヴェンらしいと語られることがある。だが今回の演奏で私が想像したのはむしろ、火を盗んだため、ハゲタカに内蔵をむしばまれるという拷問を受けたプロメテウスが、その再生能力によって内臓を復元させることで、果てることのない拷問に苦しんだということだ。そう、英雄プロメテウスの繰り返される苦しみ。テーマが展開するにつれて少しずつ音楽的情景が変わるこの曲は、もしかするとそのような意図で作られているのではないか。ふとそんなことを考えたりした。これはルーベンス描くところのプロメテウス。


