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ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 2016年 4月16日 東京オペラシティコンサートホール

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東京交響楽団 (通称「東響」) と現在の音楽監督、英国の名指揮者ジョナサン・ノットによる演奏会をこのブログでも何度かご紹介して来ているが、今回もいかにもノットらしい凝りに凝ったプログラムである。私にとっては必聴の内容。なぜならば、以下のような曲目であるからだ。
 リゲティ : アトモスフェール (1961年作)
 パーセル : 4声のファンタジア ト調Z.742、ニ調Z.739
 リゲティ : ロンターノ (1967年作)
 パーセル : 4声のファンタジア ヘ調Z.737、ホ調Z.741
 リゲティ : サンフランシスコ・ポリフォニー (1973-74年作)
 リヒャルト・シュトラウス : 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30

映画好きの方なら一目見てピンと来るであろう、最初のリゲティの「アトモスフェール」と最後の「ツァラトゥストラ」はともに、スタンリー・キューブリック監督の不朽の名作映画「2001年宇宙の旅」で使用されていた曲だ。
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プログラムに掲載されているノットと音楽評論家、舩木篤也の対談によると、もちろんノットはそれを念頭に置いて選曲したとのこと。ただその前に、現代における大作曲家のひとり、ハンガリー出身のジェルジュ・リゲティ (1923 - 2006) の音楽をたくさん聴かせたかったが、それだけでは成功は難しいので、この映画との絡みで「ツァラトゥストラ」との組み合わせを考えた由。なるほどそういうことだったのか。リゲティはもちろん現代音楽のビッグネームではあるものの、一般の音楽ファンに浸透した名前とは言い難い。よって今回の演奏会は、ノットの苦心のプログラミングにも関わらず、実際には空席の目立つ状況となってしまった。だが、それにめげることなく果敢な演奏を展開したノットと東響には、一部の熱心なファンからブラヴォーの声がかかるという、素晴らしいコンサートとなったのである。

上記にツラツラと曲名を記載したが、ラストのツラツララストならぬ「ツァラトゥストラ」以外、つまり前半の 5曲は連続して演奏された。要するに、3曲のリゲティの代表作の間にバロック時代の英国の作曲家、ヘンリー・パーセル (1659 - 1695) による作品を 2曲ずつ 2回に分けて、古楽器であるヴィオラ・ダ・ガンバの四重奏による演奏を挟んだというユニークな構成。ヴィオラ・ダ・ガンバの合奏は、神戸愉樹美 (かんべ ゆきみ) を代表とする合奏団。
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日本にこのような専門的なヴィオラ・ダ・ガンバの合奏団があるとは知らなかったが、30年以上活動を続けている団体であるそうだ。なんともたおやかな響きで、大変耳に心地よい。今回の演奏で彼女らはステージ後方上部のオルガンの横、向かって左側に陣取っており、オケがリゲティを演奏し終わると舞台の照明が落ちて、彼女らのいる箇所に照明が当たるという演出であった。このリゲティとパーセルの組み合わせはなんとも異色であるが、要するに双方ともポリフォニー (複数の声部が同時進行する音楽) を駆使しているという共通点がある。20世紀の、不安に満ち混沌とした音の密集によるポリフォニー (作曲者自身の言葉によれば、ミクロポリフォニー) と、古雅の極みと言えるバロック音楽の対比によって、そのコントラストがくっきりと浮かび上がることとなった。いわば、熱いサウナの後に水風呂に入るようなもので、水風呂に入ることでサウナの熱さを再度実感するという効果を感じることになった。関係ないが、これは水風呂を浴びるカピバラ。
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さて、リゲティの音楽であるが、私もこれまでにあれこれ聴いてきているものの、決して耳障りのよいものではない。ある意味では、戦後の前衛音楽のひとつの特徴である晦渋さを常に纏った音楽を書き続けたとも言えるのではないだろうか。但し、今回演奏された 3曲や「メロディエン」という代表作には、ただ耳で音楽だけ聴いたときには分からない面白さが実演にはあるのだ。このブログでは昨年 11月23日の記事で、やはりノットの採り上げたリゲティの曲について触れたが、それはまだ特殊作品の様相を呈した曲であった。オケがキュウキュウギュルギュルと唸る (?) リゲティ独特の美学は、今回の 3曲ではまさに全開である。不定形のアメーバのような印象もあるが、ただ実際に音が鳴る場に居合わせると、驚くほど表現力のある音楽なのだ。中欧の民族性の遠いエコーを感じる瞬間もある。これがリゲティの肖像だ。笑みなど浮かべて、意外と温厚そうな人でしょう (笑)。カピバラにも負けてはいない。
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今回、ヴァイオリンの左右対抗配置を採り、大きな楽譜を譜面台に置いて指揮棒を取ったノットであるが、その指揮ぶりは極めて明確かつ単純明快。そのような棒さばきから出てくる音であるゆえ、本来の複雑さを備えたまま、どこかに懐かしさがある、あえて言えば美しい音楽になっていたように思う。そうであるからこそ、途中に挟まれたヴィオラ・ダ・ガンバの合奏の妙なる響きの効果がまた絶妙であったわけだ。前半は通しで 1時間くらいを要したが、終了後には客席からのブラヴォーがかかり、オケの面々もほっとした笑顔。そして、演奏会の前半にしては極めて珍しいことだが、起立を促す指揮者に対してオケが椅子に座ったまま指揮者に拍手を送るということになった。東響の演奏能力は今やかなりの水準に達していて、それはノットが音楽監督に就任してからますます上がっていると言えると思う。あ、それから、ポリフォニー音楽を並置するだけなら、ほかのバロックの作曲家でもよかったわけだが、ここでノットがパーセルを選んだのは、もちろん彼の祖国の音楽ということもあろうが、私の勝手な勘繰りでは、やはりキューブリックの代表作「時計じかけのオレンジ」で、パーセルの「メアリー女王の葬送音楽」をワルター・カーロス (その後性転換してウェンディ・カーロスとなった) がシンセサイザーにアレンジした音楽が使われていたことによるのではないか。この演奏会の雰囲気には不気味に合った選曲であったと思う。

そして後半の「ツァラトゥストラ」は、申し分のない名演となった。前半のリゲティの嵐を無事通り過ぎたオケの面々の解放感だろうか、このスペクタキュラーな曲に対して全力で取り組む姿には、凄まじい集中力が感じられたし、リゲティの響きが耳に残っているので、過去を向いたシュトラウスではなく、現代音楽につながるシュトラウスを聴くことができたように思う。誰でも知っている堂々たる導入部からして気合充実。そこから始まる 35分間に目まぐるしく移り行く音楽的情景が、ノットと東響の共同作業によって鮮やかに描かれて行く。ノットは丁寧な指揮ぶりながらも前へ前へと進める推進力が凄まじく、指揮者自身が音楽にのめり込んで行く様を目撃するのはなんとも刺激的で、何度か鳥肌立つ瞬間も訪れた。本当に素晴らしい演奏であった。ただ、この曲にはトランペットの難所が多く、冒頭のファンファーレこそ、「展覧会の絵」とかマーラー 5番のようなソロではなく、4人で吹くのであるが、後半に出てくる、「ハイ、どうぞ」とばかりにうねる弦楽器と甲高いピッコロの上をソロトランペットの高音が響き渡る箇所などは、奏者にとっては、いかにプロであっても心臓バクバクではないかと思う。今回はそのような細部で若干の課題が残りはしたものの、大したことではない。例えばカラヤンとベルリン・フィルの絶頂期のライヴの FM 放送でさえ、冒頭のファンファーレに固唾を飲んで聴き入っていると、トランペットのうち 1本がプゥッ、というなんとも気の抜ける音を出していたのを覚えている。重要なことは細部の不備ではなく、大きな音楽の流れなのであって、今回の演奏には実に素晴らしい流れがあった点、大変に感動的であった。聴いているうちに上を見上げると、そこにあるホールの反響板が、「2001年」のモノリスのように見えてきたものである (笑)。
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ジョナサン・ノットとても、決して万能の指揮者ではない。だが、このようなプログラムではまさに面目躍如である。彼の存在は確実に東京の音楽シーンを熱く彩っている。今後ますます期待が募るのを抑えることができないのである。
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by yokohama7474 | 2016-04-17 00:13 | 音楽 (Live)