2016年 04月 17日
カラヴァッジョ展 国立西洋美術館

ミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジョ (1571 - 1610) は、いわゆるバロック期の画家として分類されているが、一言で言ってしまうと、その光と影の効果を最大限に利用した劇場的な絵画は、それまでに、いやそれからも、誰もものしたことのない強烈なもので、その独創性はまさに比類ない天才を示していよう。私自身、この画家との出会いをはっきりと思い出すことはできないが、恐らくは英国の鬼才デレク・ジャーマンが監督した「カラヴァッジョ」という映画ではなかったか。調べてみるとこの映画の制作は 1986年。ちょうど私は学生で、深く尊敬する美術史家の若桑みどりが大学の講師であったので、その講義において主としてマニエリスム (定義としては後期ルネサンスからバロックへの移行期と言えようか) を学んでいた頃でもある。若桑先生は惜しくもその後亡くなってしまったが、私の手元にある何冊かの彼女の著作のうち、「薔薇のイコノロジー」という代表作にも、カラヴァッジョのことが少し出てくる。決闘によって殺人まで犯してしまい、その後逃亡生活を送った人なので、かなりの荒くれ者というのが一般のカラヴァッジョの評価であろうが、当時、NHK の日曜美術館で、「この画家はどんな人だったのでしょうね」というアナウンサーの問いかけに、若桑先生がこともなげに「普通の人だったと思いますよ」と答えていたのが強く印象に残っている。人殺しといったエキセントリックな面にだけ光を当てると、返ってカラヴァッジョの歴史的意義に曇りが生じるという信念をお持ちであったのだと思う。この画家とは、先入観を排して正面から向き合わないといけない。

今回来日している 11点には、未だ初期の、スタイルを模索している時代の作品も含まれる。例えばこの「女占い師」(1597年) は、画家の 20代の作品。後年のドラマ性はないが、街のどこにでもいる人をモデルにした雰囲気で、しかも題材はカトリック国イタリアとは思えない世俗的なものだ。今回展示されているのは、ローマのカピトリーノ美術館所蔵のもので、カラヴァッジョ真筆と判断されるまでには時間がかかったという。同じ構図の作品がルーヴルにも所蔵されている。


それからこの絵は、私としては子供の頃に読んだ妖怪図鑑のメドゥーサの欄に載っていたのを見て、怖い怖いと思っていたもの。この禍々しい鮮血のリアルさ、見開いた目に浮かぶ恐怖心と恍惚、我関せずとのた打ち回る蛇たち。・・・だが実は、今回展示されているのは個人蔵の珍しい作品であって、1990年代までは知られていなかった作品らしい。有名な同じ構図の作品はウフィツィ美術館の所蔵されている。いやぁ、貴重な作品を見ることのできるチャンスであったわけだ。しかも赤外線撮影によって、当初の目の位置や表情が異なっていたことも判明している。天才の試行錯誤の軌跡である。


そして今回の展覧会の目玉である、同じ 1606年に描かれた「法悦のマグダラのマリア」。これはつい最近カラヴァッジョの真筆と認定され、この展覧会が世界初公開である由。天才がいよいよ並ぶ者のない天才になったことを思い知る。分かったような解説は忘れ、ただひたすらこの絵の前で時間を忘れよう。


さてここからは、この展覧会で展示されている、カラヴァッジョ以外の画家の作品を見てみよう。ここでは「カラヴァジェスキ」という名称で、カラヴァッジョの追随者という扱いがなされているが、ところがところが、中には注目に値する画家が何人もいるのである。まずこれは、「ハートフォードの静物の画家」と呼ばれる逸名の作者による、「戸外に置かれた果物と野菜」。今となっては信じがたいが、以前はカラヴァッジョの作品とされていたことがあるという。それは、この作品を所有していたガヴァリエーレ・ダルピーノという画家にカラヴァッジョが一時期師事していたことによるらしい。うーん、それにしても果物や野菜が異様な生命力を持つ不思議でシュールな絵である。




それから、これも非常に珍しい絵である。マッシモ・スタンツィオーネ (1585 - 1656) の手になる「アレクサンドリアの聖カタリナの頭部」。この死者の首のリアリティはどうだ。恐らくは画家が実際に目にした生首の写生によるものではないか。カラヴァッジョも切断された首をあれこれ描いたが、そこにはまだロマン性というか空想癖というか、現実と異なる雰囲気が常にあった。だが、彼が時代にもたらした絵画表現上の衝撃は、このような仮借ない表現にまで発展してしまったのだ。





