2016年 04月 17日
パスカル・ヴェロ指揮 仙台フィル 2016年 4月17日 サントリーホール

ところがこの「レリオ」という作品、滅多に演奏されないのだ。私も生で聴いたことが一度もないどころか、録音においても、ブーレーズの 1960年代のもの (語りを、あの「天井桟敷の人々」で有名なジャン・ルイ・バローが務めている)、それからインバルやデュトワのベルリオーズシリーズの一環と、ムーティがシカゴ響の音楽監督に就任した際のライヴ (語りはジェラール・ドパルデュー) に、同じムーティがラヴェンナで演奏した際のものくらいしかない。ベルリオーズを得意とした指揮者でも、シャルル・ミュンシュとかコリン・デイヴィス、あるいは小澤征爾、それにバレンボイムなども、この曲は録音していない。なので私は、いつかこの曲の生演奏を聴ける日を楽しみにして来たのである。「うーん、なんであまり演奏されないのだろう」と思案顔のベルリオーズ。


仙台というと、言うまでもなく 2011年の大震災の被災地である。このコンサートは復興支援に対する感謝をこめて開かれるものであり、このコンサートのチケットは完売だ。会場に辿り着くと、スタッフがホールの入り口近くに並んで聴衆に礼を述べている。その中に、この楽団のミュージック・パートナーの称号を持つ若手指揮者の山田和樹の姿もあり、ちょっとした驚きだ。





今回、幻想とレリオを続けて演奏するにあたって、面白い工夫がなされていた。まず、オケの登場は一斉にではなく、三々五々。これによって聴衆は拍手する機会を奪われる。ふと見るとチューニング前に指揮者のヴェロも舞台に出ている。そして、舞台奥には木製のデスクが置かれていて、そこに何やら羽ペンを持った古い時代の芸術家の姿が。これは、仙台在住の俳優、渡部ギュウ演じるところのベルリオーズである。

後半のレリオもその延長線上にあり、ここでは渡部ギュウがベルリオーズ自身の手になる台本の日本語役を喋り続け、テノールのジル・ゴランとバリトンの宮本益光とが美声を聴かせ、この演奏会 (仙台で 2回、東京で 1回) のために結成された合唱団が、あるときは美しく、あるときは力強く、歌い上げた。この曲は、要するに前作幻想交響曲の毒から解放されるための独白と静かな音楽を含んでおり、作曲者自身がこのような解毒作用を必要としたということだろう。実際の曲は、彼が以前に書いた曲の寄せ集めで、編成も曲調も、ごった煮の感がある。だが、その音楽に耳を傾けると、本当に美しい箇所があちこちに見つかるのだ。特に冒頭のテノールを伴奏するピアノは、これはどう聴いても現代のミニマルミュージックの大家、フィリップ・グラス風だ。なんとも不思議な音楽なのである。語りの中においては、シェイクスピアに対する賛辞があれこれ聴かれ、もともと作曲者が曲を書くきっかけとなった、シェイクスピア女優、ハリエット・スミッソンへの思いが横溢しているようだ。よく知られている通り、ベルリオーズは後年この憧れの人と結婚し、そして離婚することになるのだが、まあそれにしてもよくもこんなこっ恥ずかしいテキストを公にしたものだ (笑)。根っからのロマン主義者ベルリオーズの本領発揮ということか。
そんなわけで、初のレリオ体験は非常に充実したものとなった。写真で見るとこの仙台フィルの本拠地のホールは大変近代的であり、音響もよさそうだ。かくなる上は、このオケやその他の優れた地方オケを、現地にまで聴きに行く機会を作りたい。スケジュールは、まあそれはタイトであるが、なんとかしたい。新たな発見がいろいろあることだろう。


