2016年 04月 24日
ミハイル・プレトニョフ指揮 東京フィル 2016年 4月24日 Bunkamura オーチャードホール

そのプレトニョフがシーズン幕開けに選んだ曲目は以下の通り。
グリーグ : 劇付随音楽「ペール・ギュント」作品23
北欧ノルウェイの国民的作曲家、エドヴァルド・グリーグ (1843 - 1907) の代表作である。この「ペール・ギュント」から編まれた 2つの管弦楽用の組曲があり、いずれもクラシックファンの入門的なレパートリーとなっている。中でも、第 1組曲の最初に置かれた「朝」は、クラシックファンならずとも知らない人はいないであろう。なんとも爽やかな朝の雰囲気を持った名曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=PKy-wvmhBxQ
この 2つの「ペール・ギュント」組曲、ほかにも名曲が目白押しなのであるが、では組曲ではなく、この曲の全曲が頻繁に演奏されるかというとさにあらず。私の記憶にある日本での実演は、若杉弘が東京都響の音楽監督時代 (1990年代) に演奏したのが唯一である。確かこのときが全曲の日本初演ではなかったか。私はそのコンサートには行かなかったが、確か演奏時間が大変長いとその時に聞いた記憶がある。今回の演奏会のプログラムによると、この曲の全曲は、作曲者自身の何度かの改訂もあり、出版も混乱していて、本来の作曲者の意図に沿った楽譜の出版はなんと 1987年までなされなかったという。もともとこの戯曲は、ノルウェイのこれもまた国民的な劇作家であるヘンリック・イプセン (1828 - 1906) によるものであり、なんと、イプセン自身からグリーグに作曲依頼がなされたとのこと。イプセンというと「人形の家」などの近代的な戯曲のイメージがあるが、この「ペール・ギュント」は放蕩者の冒険を描くファンタジーだ。もともと舞台上演用ではなく朗読用の戯曲ということもあり、またグリーグ自身が劇的なものよりも抒情的なものに適性がある作曲家であると自ら任じていたことから、作曲・上演には紆余曲折あり、そのあたりの複雑な事情が、この曲があまり演奏されない理由にもなっていると思う。
さて、会場ではこのようなポスターを見ることができる。東フィルのプログラムの表紙を描いているハラダ チエのほのぼの系のイラストだ。だが、うん??? ここには 4/19 (日)、4/20 (月)、4/22 (木) とある。えぇっと、今日は日曜だが 4/19 ではなく 4/24 だ。前週の日曜は 4/17。なぜ日がずれているのか。

そうして聴くことのできた今回の演奏会、まさに会心の出来であったと思われる。これまで数限りなく親しんできたこの曲の組曲のオリジナルの形を聴けたことで、曲自体に対するイメージが一新したし、情緒と劇性の入り混じった複雑な音楽に、グリーグという作曲家の評価自体にも見直しを迫られたと言ってもよい。そもそもこの作曲家の代表作と言えば、超有名曲であるピアノ協奏曲とか、晩年のリヒテルが愛奏したピアノの抒情小品集とか、あるいはカラヤンがレパートリーにしていたホルベルク組曲のような、北欧の爽やかさを思わせる曲ばかりであったが、この「ペール・ギュント」においては、有名な「山の魔王の宮殿にて」や、船の難破のシーンの音楽のように非常に力強い箇所も沢山あるのだ。荒唐無稽なストーリーは、あのバーンスタインがミュージカル (なのかオペラなのか) を作曲した啓蒙思想家ヴォルテールの「キャンディード」を思わせるところもあり、また、音楽の題材としては、シベリウスのクレルヴォ交響曲とかマーラーの「嘆きの歌」という伝承に依拠した曲を思わせるところもある。つまり西洋の近代化の過程でロマン的なものが熟し、そのロマン性の残照の中、20世紀の工業化社会に向かう手前で生み出された音楽ということである。これがグリーグの肖像。思慮深い人であったのだろうか。




これだけ多くの数の演奏会が日々開かれている東京の音楽界であるが、このような新たな発見もまだあちこちにあることに気付くと、なんとも気持ちが高揚する。それぞれのオーケストラにそれぞれの素晴らしい才能が結びついているのは素晴らしいことだ。次回はプレトニョフのピアノも聴いてみたい。



