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アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち (ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督 / 原題 : The Eichmann Show)

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映画にもいろいろあって、気軽に笑って見ていられるものもあれば、何か重い事柄を考えざるを得ないものもある。私は前者のタイプも好きであるが、たまには後者のタイプも見て、ついお気楽に流れがちな人生を少しでも軌道修正しなくてはならない。そう、この映画はまさにそのような認識を強いるタイプ。大変重い題材を扱っている。

題名にあるアイヒマンとは、ナチス・ドイツの親衛隊の将校で、ユダヤ人虐殺を推進した責任者であるアドルフ・アイヒマンのこと。戦後連合軍に逮捕されたが、偽名を用いて正体を隠し、捕虜収容所から脱走。その後アルゼンチンに潜伏しているところを発見され、イスラエルに移送の上、同国のエルサレムにて裁判にかけられることとなる。時は戦争終結から 16年を経た 1961年。ちょうど発展途上にあったテレビという新たな媒体を使って、その戦争犯罪を裁く法廷の様子を世界に届けようと奮闘する男たちを描いたノン・フィクションが、この映画だ。

映画はまず、米国のテレビプロデューサーとしてどうやらエルサレムに家族とともに駐在しているらしい米国人、ミルトン・フルックマンが車の中で、この裁判を撮影するにあたって監督として起用する人物のことを語るところから始まる。言葉が途中で短く切れて繰り返される演出がなかなかスピーディでよい。ミルトンが白羽の矢を立てたのは、敏腕ドキュメンタリー監督でありながら、当時米国映画界で吹き荒れた赤狩りの嵐 (時代背景がよくイメージできるではないか) によって仕事をほされていた、レオ・フルヴィッツ。映画は、彼らの家族も少し出て来るとはいうものの、その心理に深く入って行くというよりは、実際にアイヒマンを巡る裁判のテレビ放映がどのように準備されて行ったのか、また、ホロコーストの被害者が歴史上初めて公の場でその無残な体験を語った出来事となったこの裁判がいかに進んで行ったのかを、淡々と描いている。この映画自体はドキュメンタリーではないのだが、アイヒマン自身や法廷での証言者の映像は実際のものを使用し、さながら疑似ドキュメンタリーの様相を呈している。これは戦争中のアイヒマンの写真。いかにもナチの将校という冷酷なイメージであるのみならず、その後の裁判の場ではついぞ見せなかった笑みをうっすらと浮かべているではないか‼ この笑みの意味するところは何か。
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そしてこれが 1961年の裁判の際のアイヒマン。神経質そうであるが、裁判の被告としては服装はきっちりしている。
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この映画の中では、何度も実際の裁判のときのアイヒマンの様子が映るが、これがなんとも無表情で、見ているうちに背筋が寒くなってくる。被害者たちの証言と、通常人ならとても正視できない収容所の様子を収めたフィルムにも、彼の表情は全く変わることがない。そして罪状認否においては、自分は無罪であると繰り返すのだ。この映画のテーマは、果たしてアイヒマンは人間ではない異常な怪物なのか、それとも人間は、任務を遂行するためにこれほど非道なことを平然とやってのけるほど残酷な存在なのであろうか、ということに絞られて行く。その過程では、劇中の映画製作者たちも精神的に追い詰められ、苛立ち、困惑、肉体的な疲弊、そして仲間うちでの確執が巻き起こるのだ。結論をここで記述するのは避けるが、見終わったあとこの映画には、カタルシスはない。だがその一方で、絶望だけの映画にもなっていない。人間というこの不可解なものを考えるためのヒントが、ストレートに描かれているからだろうか。

ここでプロデューサー役を演じているのは、マーティン・フリーマン。
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この役者、BBC が製作したテレビシリーズのシャーロック・ホームズ物でワトソン役を演じ、ホームズ役のベネディクト・カンバーバッチとともに大ブレイクしたとのこと。このシリーズは面白いと耳にするが、私は未だに見たことがない。こんな感じ。
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ところが、調べてみてびっくり。ほかにも、あの「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズに属する「ホビット」三部作での主役、ビルボ・バギンズ役を演じていたのだ!! 順番でいうとワトソン役が先で、その演技が認められてこの大作シリーズに出演したということのようだ。もっともこの三部作、映画好きの義務として一応すべて見たが、私はあまり面白いとは思いませんでしたがネ・・・。なるほど、よく見るとこの役者さんですな。
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監督のポール・アンドリュー・ウィリアムズは英国人で、1973年生まれだから若手と言ってもよいだろう。2012年に撮影した「アンコール!!」という映画の評判はよいようだ。なんと、テレンス・スタンプとヴァネッサ・レッドグレイヴという英国の重鎮男女優の共演。もしかすると今後伸びる監督かもしれない。尚、私が鑑賞した回の終映後、製作者のローレンス・ボウエンという人が舞台挨拶に出て来て、この映画についての質問に答えていた。史上有名なこのアイヒマン裁判の放送の裏でこのような苦労をした人たちがいたことを知って、それを描いてみようと思ったが、ドキュメンタリーにしてしまうと見る側も構えてしまうので、劇映画にしたと語っていた。それから、音楽の観点から言うと、現代の交響楽作品としては異例によく知られた、ポーランドのヘンリク・グレツキ (1933 - 2010) の交響曲第 3番「悲歌のシンフォニー」が使われていた点がなるほどという感じ。この曲の第 2楽章は、ナチスの収容所の壁に書かれた言葉を歌詞にしているので、この映画にはふさわしいのである。大変美しい曲である。エンドタイトルによると、この演奏はポーランドのアンソニ・ヴィット指揮によるもの。一方、もともとこの曲が世界で大ヒットしたのは、米国の名指揮者デイヴィッド・ジンマンの指揮とドーン・アップショウの歌唱による CD が人気を博したことにあるのだが、そのジンマンが今年の 11月、NHK 交響楽団でこの曲を採り上げる。貴重な機会になろう。その美しい第 2楽章はこんな曲。
https://www.youtube.com/watch?v=brotY-aMCBE

それにしても、平和な時代に生まれた人間としては、ナチス・ドイツのような極端な時代への真摯な興味はあるものの、もし実際自分がその時代にその場所に生きていたら・・・と考えるのはつらいことだ。人間性に完全に蓋をして、ただ単に組織の命令に(その命令がいかに理不尽だったり非人道的であっても)従って、いわば思考のスイッチを切ったまま生き永らえるなんて、できるものではないと思いたい。だが、これほど極端ではなくとも、どんな社会の組織の中にも、アイヒマン的思考停止型人間はいるはずだ。この映画について、カタルシスはないが決して絶望的なだけでもないと上で書いたが、そのことは、この映画を見る人が、感性と知性を働かせる必要があることを意味する。つまりここで促されているのは、イマジネーションを持つこと。そして思考を巡らせること。日常生活でもその習慣があれば、思考停止型になることはある程度防げるようにも思う。なのでこの映画を見た方は今後、「いかにして思考停止から脱却するか」という点に注意を払われたい。大きな問題に遭遇することは、どんな人にもあるだろう。でも、問題が大きすぎるからと言って思考を停止させては、組織が間違った方向に行くのを手助けすることになる。イマジネーションは何より大切だと思いますよ。サラリーマン社会の戒めでまとめては、ちょっとこの映画の製作者たちに申し訳ありませんが (笑)。

by yokohama7474 | 2016-04-28 00:30 | 映画