2016年 05月 04日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2016 庄司紗矢香 (指揮とヴァイオリン) ポーランド室内管 2016年 5月 3日 東京国際フォーラム ホールB7
今や名実ともに日本を代表するヴァイオリニストとなった庄司紗矢香であるが、このラ・フォル・ジュルネでは随分以前からの常連演奏家であり、本家本元のナントでの音楽祭にも頻繁に出場している。なんでも今年 2月のラ・フォル・ジュルネ・ナント (テーマは東京でのものと同じ「自然」) で最も話題となったのが、この彼女とポーランド室内管との演奏会であったらしい。
曲の構成は、ヴィヴァルディの原曲そのままで、春夏秋冬それぞれ 3楽章ずつ、つまり全部で 12楽章ということになる。使われている素材はそれぞれの楽章の原曲のもので、それは耳ですぐに分かる (また、各季節ごとに照明が変わって、季節感を演出する)。ところがこれはミニマル・ミュージックであるからして、その定義にある通り、断片が繰り返し演奏されることになり、なるほど素材はバロック音楽のヴィヴァルディなのだが、聴こえてくる音は、細部の音形やリズムが変容し、調も変えられることによって、ミニマル特有の、都会の孤独を背負った疾走感のようなものを伴っている。「春」の第 1楽章の冒頭は誰でも知っている有名な曲であるが、ここではそれは登場せず、その楽章のパッセージの断片がクローズ・アップされ、それが繰り返されるうちに、気が付くとヴァイオリン・ソロと弦楽合奏が立派なミニマル・ミュージックを奏でているのだ。これは特にフィリップ・グラスに顕著なのだが、短い音形が繰り返されて盛り上がったところで突然音楽が切れるという特徴がミニマルにはあり、ここでもそれを頻繁に聴くことができて大変に面白かった。おっと、ヴィヴァルディを素材にそうやって遊ぶか、というシーンがあちこちで見られたので、全く退屈することはなかった。その意味ではこの曲、パロディ音楽と言ってもよいと思うのだが、この種の音楽を、「パロディでございます」とふざけてやったのではダメなのだ。その点、庄司らしく非常に真剣に、また高い士気をもってこの曲に取り組んだことが (あ、もちろん技術的には全く余裕があるだろうが 笑)、結果的には曲の本質を表したと評価できるように思う。
QUOTE
今回、「四季」のリコンポーズが東京で初演されることを大変うれしく思います。庄司紗矢香さんの演奏はドイツのテレビで初めて拝見しましたが、非常に素晴らしいヴァイオリニストです。「四季」のリコンポーズは、ヴィヴァルディという風景(ランドスケープ)の中を旅していく"実験的な旅行"として作曲しました。ヴィヴァルディは「四季」の中で、思わず探索したくなるような美しい風景の数々を表現しています。彼の音楽がすぐれている理由のひとつは、まさにそうした風景にあると思いますし、そこからリコンポーズの着想も浮んできました。演奏をお楽しみください。
UNQUOTE
なるほど、「実験的な旅行」ですか。その意味では、今回庄司は初めて (だと思う) 指揮も手掛けていて、士気高い四季の指揮ではシャレにもならないが、やはり音楽祭のサイトで見ることのできる彼女のインタビューによると、なんと、ナントでの (これもシャレにならない 笑) リハーサルの初日に、指揮者なしで演奏することを初めて知ったとのこと。なかなかの大物である (笑)。指揮と言っても、多くは自分でソロを弾きながら、オケにキューを与えるくらいであったが、このポーランド室内管は、同国の名指揮者、イェジー・マクシミウク (私は彼のファンである) が結成したオケで、大変優秀だ。ミニマルのビート感に合わせることさえできれば、この演奏には大して苦労はしなかったろう。
さてこの演奏、実は今日、5月 4日も、18時30分から (あ、ちょうど今だ!!) 繰り返される。ところが今回の会場はホール A で、これは 5008名収容の大ホールである。私が聴いた B7 は 822席で、シンセサイザー以外は PA を使用していないように聴こえたが、ホール A では明らかに無理だ。まぁ、PA を目の敵にするのはクラシック・ファンの悪い癖であるが、やはり弦楽器はアコースティックで聴きたいなぁと思うもの。その点、私が次に聴く庄司の演奏会は今月末、神奈川県立音楽堂での無伴奏リサイタルであって、これはまさに真骨頂を聴ける機会であろう。広い視野と文化的な事柄への興味を持ち、常に新たな挑戦を続ける芸術家は信用できる。期待しております。