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ガルムウォーズ (押井 守監督 / 英題 : Garm Wars: The Last Druid)

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押井守の活動をどのように総括すればよいのだろうか。著名な映画監督であるが、もともとアニメの人である。映画でも、アニメの「うる星やつら」シリーズが出世作ということになるのだろう。私の学生時代、これらの作品や「天使のたまご」を絶賛する映画通が身近にいたが、私自身はどうもアニメは苦手で、見たいとも思わず、その後「機動警察パトレーパー」「攻殻機動隊」などのシリーズにもとんと縁がなかった。だが、ひとつの作品が私の押井守観を一変したのだ。その作品は 2004年の「イノセンス」。普段同じ作品を二度劇場で見ることは滅多にないのだが、この作品には衝撃を受け、一度見ただけでは飽き足らず、再び劇場に通ったのである。有機物と無機物の境界が曖昧になる世界、命あるものと命なきものの差が危うくなる世界は、古今東西の芸術分野のひとつの怪しくも奥深いテーマであり、私もその分野には一方ならぬ興味がもともとあったので、大音響で鳴り響く川井憲次の情緒的な音楽ともども、その豊かなイマジネーションにガツンと脳天をやられてしまった。この作品をきっかけに、制作裏話を書いた本を読み、押井の霊感の源泉のひとつとなった、世紀末の有名なアンドロイド小説であるヴィリエ・ド・リラダンの「未来のイヴ」も読んだし、作中でアンドロイド製造会社の名前として出て来る「ロクス・ソルス」という小説も読み、さらにはその作者であるレーモン・ルーセルの評伝までも読んだものだ。そう、この「イノセンス」には、それだけ私の琴線に触れる衝撃の作品だったのだ。
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ほかに私が見た押井の映画には、「アヴァロン」がある。これは実写もので、てっきり「イノセンス」より後に見たと思っていたら、今調べたところ、こちらは 2001年の制作で、「イノセンス」より前であった。だがいずれにせよ私が覚えているのは、このポーランドで撮影された映画がそれはもう罪なくらい面白くなく、退屈で仕方がなかったことなのである。そうして時は流れ、昨年公開していた「東京無国籍少女」もあまり話題にならずにいつの間にか終了してしまっていた。そして今年はこの映画であるが、ふと気づくと既に終了間近。これはやはり、久しぶりに見ておきたい。

この映画、そもそもの疑問があって、劇場によって英語版と日本語版がある。私の場合はやはり、オリジナル言語で作品を体験したいと思っていて (その意味ではオペラも同じ)、外人が出演しているらしいこの映画の場合はやはり英語版で見たかったのだが、日本語版に比べて英語版の上映頻度が少ない。そして段々上映終了が近づいてくると、もう日本語版しか上映しなくなっていた。私がやむなく見たのはこの日本語版であったが、まあ、もともとアニメの監督ということで、この作品もアニメと同等と思えば、言葉の違和感は乗り越えられるだろうと自分に一生懸命言い聞かせたものだ。だが実は Wiki で調べてみると、英語版と日本語版の間には、ストーリーの違いすら存在するのだ!! おいおい、主役の君は、一体どんな言葉で誰に向かって話しかけているんだい。
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そのようにして日本語版を見たこの映画。感想を要約するなら、作り手が表現したいイメージは分からないではないものの、いかんせん、国際的にそのイメージを世に問うというには、いろんな意味で課題があるのだなぁと思ったのである。調べてみるとこの映画、15年くらい前に企画が持ち上がったものの、その後それが頓挫して、今般ようやくかたちになった由。その意味では、押井守執念の企画ということなのだろう。
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この映画のプログラムには押井のインタビューも載っていて、まあ「押井」さんだけに内容も「惜しい」というオヤジギャグを飛ばす気もないが、正直なところ、彼の思いが作品に結実しているとは到底思えない。例えば、最大のテーマは「日本人にファンタジーが作れるのか」ということだと語っているが、客観的に見て、残念ながらこの映画からイエスという答えは見出しにくい。例えばスター・ウォーズの連作を見るときに、必ずしもすべてが傑作ではないにせよ、もともとジョージ・ルーカスの頭の中にあった広大な空想上のイメージを、大勢の人数で分かち合うことができたからこそ、一貫してルーカルの夢が現実化したような印象を受けるのではないか。そこにはアメリカの合理的な分担制も大きく関係しているに違いない。その点この映画は、大変残念ながら、ピースピースには面白いイメージがあるにせよ、全体として現実とは違う世界でのリアリティがあるというレヴェルには達していないと思う。その点においては、やはり日本の映画作りの人材不足、予算不足は否めないなぁと、なんとも淋しい思いを抱いたのである。

それから、終始一貫して、映像の箱庭的なことには少々参った。誰も、フィルムを現像した昔の写真が色あせたような風景は見たくないだろう。また、人物を捉えるにも、例えばあえて目の回りを暗くして表情を曖昧にしているシーンもあり、息苦しいことこの上ない (その昔小津安二郎は、原節子の彫りの深い顔を美しく見せるため、わざわざ目のところにだけ光を当てたという逸話と対照的だ)。この手法は、アニメであればそれほど気にしないかもしれないが、生身の俳優を使った映画では、作り手が思っているような効果は出ないのではないか。また、風景を扱っている箇所としては、後半の森のシーンを例に採りたいが、その場面における映像の著しい人為性が、なんともせせこましい印象を免れず、本当にがっかりした。テーマが壮大であるだけに、観客にそのように思わせるだけで、残念ながらもうこの映画はうまく行っていないという評価になってしまっても致し方あるまい。

もちろん、上にも書いた通り、描かれている世界のイメージ自体には、時折は非凡なものを感じたのも事実。大詰めに出て来るこのようなイメージの終末観には、何か人の心の根源に訴えかける要素があったと思う。
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それから、私が心酔する「イノセンス」と共通するテーマが扱われている面もあり、その点は素直に嬉しいと思った。例えば、映画の中で重要な役割を果たすバセット・ハウンドに関して、その「臭い」が生の象徴のように描かれている点、全く「イノセンス」と同じである。これは絶対、押井自身のお気に入りの犬なのであろう。上に掲げた「イノセンス」のポスターにも登場している。
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加えて、ここでも命なきものの神秘、あるいは人智を超えた創造主の存在の神秘が、人形に仮託されている。このようなイメージは妙に人の心に残るものだ。
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この映画はかなりカナダでロケしている模様で、主要な役柄の役者はみなカナダ人である。正直、彼らの演技が素晴らしいとは思えず、むしろ無名性による息苦しさ (セットとの相乗効果!) を感じざるを得ない。だが、この映画を一緒に見た会社の同僚からの指摘 (ありがとうございます!!) で気づいたことには、以下のおじいさん役の俳優、名前をランス・ヘンリクセンというが、今から 30年前、ジェームズ・キャメロン監督の「エイリアン 2」に出演していたのだ。下の「エイリアン 2」の写真は、本物の映像ではなく、最近発売されたフィギュアである。いやー、でも確かにこんな感じでしたね (笑)。
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まあそんなわけで、厳しく批評しながらも、何か気になるシーンのあれこれを語りたくなる、そんな映画であったと思う。世界的に名の知れた押井ですら、やりたいことが充分にできていないとすると、日本人が世界で通用するファンタジー映画を撮れるのか否かという点については、課題がいろいろあると思わざるを得ない。だがともかく、自らの作品を世界に問うという気概は必要であると思うので、ただ作品を批判するだけでなく、どうすればもっとよい作品を撮ることができるのか、観客の立場でも考えて行きたいとは思う。

by yokohama7474 | 2016-06-16 01:08 | 映画