2016年 08月 20日
セイジ・オザワ松本フェスティバル ファビオ・ルイージ指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 2016年 8月19日 キッセイ文化ホール
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松本は本当に美しいところ --- 伝統に溢れ、温かくフレンドリーで、フェスティバルの期間はいつも、音楽と、音楽を導くインスピレーションに満ちています。(中略) 舞台上では高い集中力と純粋な喜び、そして終演後は、温泉や、あるいは居酒屋で、美味しい食事とビールとお酒と焼酎で愉快な打ち上げ! (中略) 松本はいつでも、地上の楽園です。
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さて、ルイージの指揮に話を戻そう。低弦の大地を揺るがす響きで始まるこの曲、冒頭から既に過度な重量感は排除されているのを感じる。だが決して弱々しい音楽ではなく、盛り上がる箇所は充分な燃焼度を持って盛り上がる演奏である。出色は第2楽章で、音色は微妙に変化し、アクセルとブレーキを交互に踏みながら、ふと窓の外を見ると情景が変わっているといった感じの演奏。オケとの呼吸が合わないとこのようにはいかないであろう。ただ、ひとつ不満があったのは、合唱団と独唱者を、第2楽章と第3楽章の間に登場させたことだ。この曲はいわば第1楽章が第1部、残りの部分、つまり第2・3・4・5楽章が第2部という構成になっていて、作曲者自身、第1楽章終了後に少なくとも5分の間をあけることと指示している。従い、レントラー舞曲の第2楽章が終わってすぐにティンパニがドドンと鳴って第3楽章スケルツォに入って行くというその呼吸が大事であって、そこに合唱団と独唱者の入場時間を入れることで、音楽の流れは台無しだ。だが、そのような不満もつかのま、第3楽章の勢いよい皮肉な音楽から静かに第4楽章に移行する頃には、また流麗な音の流れが脈打っており、そうして怒涛の第5楽章に突入したのであった。
コンサートとは直接関係ない蛇足情報をひとつ。この音楽祭では例年、前年の成果を横長の冊子にまとめ、会場や街中の書店で販売している。豊富な写真や演奏の論評や、ここだけでしか手に入らない演奏の一部を収めたCDと、大変に内容豊富で、私は毎年楽しみにしているのである。ところが今年は会場でも書店でもその冊子を見かけなかったので、キッセイ文化ホールでグッズが販売されているコーナー横のInformationと表示のある場所にいた人に訊いてみると、音楽祭事務局では2,000円で販売しているという。ホール1階の事務所に連れて行かれ、段ボール箱から1冊出してもらって購入することができた。
さて、既にして来年のプログラムが気になるセイジ・オザワ松本フェスティバルだが、せっかく5番、2番とルイージのマーラーを続けて演奏したのだから、これは是非ともシリーズ化して欲しい。ついでに東京でも2回か3回演奏会を開いて頂いても、絶対満員になると思う。今後のフェスティヴァルの発展のため、日本の音楽界のさらなる向上のため、なんとかそのようにして頂けないものであろうか。バボラークさん、東京にもよい居酒屋、沢山ありますよ!!