上記の通りギトリスは饒舌に喋ったのであるが、いくつか例をご紹介すると、まず最初の曲は、「ブラームスのスケルツォです。メンデルスゾーンに捧げられました。皆さん、私の言っていること分かりますか? ドイツ語でもフランス語でもイディッシュ語でも説明できますが・・・」と、若干もどかしそうで、できれば日本語で説明したいという意味だったと思う。この強い好奇心と表現意欲がこの人を支えているのだろう。ところでこのF.A.E.ソナタではブラームスはシューマンらと組んで作曲しているものの、メンデルスゾーンは関係ないように思うが、私の聞き間違いだったのだろうか。2曲目の紹介では、ピアニストに、「あー、あれ、あの曲あったっけ。あれあれ、パラディス」とおどけて見せた。4曲目では、まずマイクを通さずにピアニストと何やらボソボソ話し、「え?チャイコフスキー?譜面あるの?」と言うと、ピアニストが譜面台からちゃんとこの曲の譜面を探し出す一幕があった。それから、「浜辺の歌」では、眼鏡を外して譜面も見ることなく暗譜で、「そうそう、これ弾きましょう」と一人で弾き出し、ピアノ伴奏はなしだった。最後の「愛の悲しみ」は、一度舞台から引き上げてから戻ってきて弾いたアンコールであったが、ここでギトリスは"Liebesleid"というドイツ語の題名の意味は "Suffering or Pain of Love"であると説明し、「愛するあなた方とお別れする痛みをもって、あなた方全員に捧げる曲」であると言った。もちろん今生の別れという意味ではなく、演奏会の最後という意味であったのだろうが、ちょっとしんみりした気分になってしまった。