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イヴリー・ギトリス ヴァイオリン・リサイタル 2016年9月11日 紀尾井ホール

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もしこのヴァイオリニストをご存じない方は、上の写真を見て、随分な老人だなと思うことだろう。彼の名はイヴリー・ギトリス。1922年生まれのイスラエル人。つい先日、実に94歳を迎えた現役ヴァイオリニストだ。音楽家の中には長寿の人は結構いて、ピアニストでは、ギトリスよりも1つ年下のメナヘム・プレスラーは90歳前後からブレークしたわけであるし、ミエチスラフ・ホルショフスキーはなんと95歳で来日公演を果たして名演を聴かせた。それに比べると、超高齢のヴァイオリニストはあまり聞いたことがない。ピアノの場合は鍵盤を叩けば音が出るわけだが、ヴァイオリンの場合は、左手でポジションを取って右手でこすらないと音が出ないからなのだろうか。そんな中、このギトリスだけが老いてなお矍鑠としてヴァイオリンを弾いているわけである。この人のヴァイオリンはいかにもユダヤ人らしい情感豊かなもので、その独特のうねるような弦の鳴らし方から、何か魔術的な印象があって、「魔弓伝説」などといういかにもなネーミングのCDもあったものだ。いやそれにしても、魔弓伝説とは、言いえて妙である(笑)。とはいっても超高齢者のこと、実はもともと4-5月に予定されていた来日は、入院のために一度キャンセルされてしまったのだ。そのときのポスターがこれである。
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使われている本人の写真は同じながら、コピーが、もともとは「20世紀最後の巨匠」だったものに、今回は「復活の二夜」と加わっている。それはそうだろう。90歳を超えて入院したら、誰だってハラハラする。だが主催者側は再来日にはよほど確信があったらしく、私のようにもともと5月3日のチケットを購入していた場合は、新しいチケットに交換もせずそのまま9月11日のチケットとして通用することとなった。但し、春の来日予定時にはリサイタルだけでなく、バッハのコンチェルトも計画されていたところ、それは実現せず、結局リサイタルが二夜ということになった。まぁしかしこれはやむをえまい。伴奏は、アルメニア人で、パリ音楽院首席卒業という経歴を持つピアニスト、ヴァハン・マルディロシアン。
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白状すると、私は決してギトリスのヴァイオリンの熱心の聴き手というわけではない。というのも、もう20年ほど前になろうか。エリアフ・インバル指揮のNHK交響楽団と、ストラヴィンスキーの協奏曲を弾いた演奏会をテレビで見て、独特な鳴り方とはいえ、その自由な(?)音程の取り方に、「あぁ年を取ったなぁ」と、ろくに若い頃のことを知りもしないで(笑)思ったからである。その後、1950-60年代に録音されたメジャーな協奏曲のセットCDなども聴いてみたが、やはりその癖の強さに正直、胸やけしたような感じになったりもした。だが、音楽家は長く生きていることで、何か独特なものが立ち上がってくる瞬間を紡ぎ出すことがある。そこでしか聴けない音楽があるかもしれない。そんなわけで、この94歳のヴァイオリニストのリサイタルを聴きに行ったのである。

この日の曲目は以下の通り。
 ヒンデミット : ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品11-1
 ベートーヴェン : ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」作品24
 シューベルト : 4つの即興曲集第1番ハ短調作品90 (演奏はピアノのみ)
 小品集(舞台から発表)

最初のヒンデミットの曲は10分強の短い曲であり、私にとってはなじみがなかったので、事前にフランク・ペーター・ツィンマーマンの演奏したCDで予習して行った。だが、うーん、ここで演奏されたのは、CDで聴いた曲と、本当に同じ曲だったのだろうか(笑)。正しい音が鳴っているのかどうなのか、判然としない。そもそもヒンデミットの曲は、正直どれも親しみやすくないので、水際立った技術でモダニズム風にさばいて行く場合のみ、なんとか聴けるタイプの音楽。なので、申し訳ないが、曲そのものの持ち味からして今のギトリスには向いていないとしか言いようがない。ギトリスは、上のチラシにある通り、高級クッションのかけら(?)のような小さな台にヴァイオリンを支えて弾く。つまり、左手で楽器を抱える力がないためだ。だがもちろん、音符を飛ばすようないい加減なことはせず、すべての音を弾く。このあまり面白くない音楽も、伴奏のマルディロシアンの絶妙なサポートに支えられて、なんとか全曲を弾き終えた。聴いている方もみな、とりあえずホッとする。だがもちろん、曲が終わったときも、それを判別することは誰にもできなかったのだが(笑)。

2曲目の「春」は、申すまでもなく古今のヴァイオリン・ソナタの中でも超のつく有名曲だ。ここでもギトリスのヴァイオリンは、通常の音程の制約から自由な世界(?)で遊び、そして時折、思い出したように唸りを上げる。ここには確かに独特の世界がある。これは、なかなかほかにない演奏体験であることは確かだ。

休憩後の後半はまずマルディロシアンのソロによるシューベルトで始まったが、これは素晴らしい情緒で満たされた名演で、コンサート全体をきりっと引き締めた。そうしてまたギトリスが登場、どうやら本当に事前の打ち合わせもピアニストとしないまま、その場で何やら喋りながら曲を選んで行った。それぞれの曲の前には、マイクを握って英語で客席に向かって喋ることしきりであったが、言葉はモゾモゾして全く明瞭でないものの、声は実にしっかりしていて、ユーモアを含んだ発言は、とても94歳とは思えない。やはり素晴らしい生命力の持ち主なのである。結局この日ギトリスが弾いた残りの曲は次の通り。
 ブラームス : F.A.E.ソナタからスケルツォ
 パラディス : シチリアーナ
 クライスラー : シンコペーション
 チャイコフスキー : メロディ(「なつかしい土地の思い出」から)
 クライスラー : 美しきロスマリン
 成田為三 : 浜辺の歌 (無伴奏ヴァイオリンでの演奏)
 クライスラー : 愛の悲しみ (アンコール)

上記の通りギトリスは饒舌に喋ったのであるが、いくつか例をご紹介すると、まず最初の曲は、「ブラームスのスケルツォです。メンデルスゾーンに捧げられました。皆さん、私の言っていること分かりますか? ドイツ語でもフランス語でもイディッシュ語でも説明できますが・・・」と、若干もどかしそうで、できれば日本語で説明したいという意味だったと思う。この強い好奇心と表現意欲がこの人を支えているのだろう。ところでこのF.A.E.ソナタではブラームスはシューマンらと組んで作曲しているものの、メンデルスゾーンは関係ないように思うが、私の聞き間違いだったのだろうか。2曲目の紹介では、ピアニストに、「あー、あれ、あの曲あったっけ。あれあれ、パラディス」とおどけて見せた。4曲目では、まずマイクを通さずにピアニストと何やらボソボソ話し、「え?チャイコフスキー?譜面あるの?」と言うと、ピアニストが譜面台からちゃんとこの曲の譜面を探し出す一幕があった。それから、「浜辺の歌」では、眼鏡を外して譜面も見ることなく暗譜で、「そうそう、これ弾きましょう」と一人で弾き出し、ピアノ伴奏はなしだった。最後の「愛の悲しみ」は、一度舞台から引き上げてから戻ってきて弾いたアンコールであったが、ここでギトリスは"Liebesleid"というドイツ語の題名の意味は "Suffering or Pain of Love"であると説明し、「愛するあなた方とお別れする痛みをもって、あなた方全員に捧げる曲」であると言った。もちろん今生の別れという意味ではなく、演奏会の最後という意味であったのだろうが、ちょっとしんみりした気分になってしまった。
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音楽には様々な面があり、演奏家の生き様を表す場合もある。不思議なことなのだが、音程が不正確でもほかに何か心に届く音楽というものも、世の中には存在する。そのような経験をしたことがあるかないかで、聴き手の残りの人生において、音楽そのものへの接し方が変わってくることもあるだろう。時にはこのような経験も貴重である。魔弓伝説、100歳まで続けて下さい!!

by yokohama7474 | 2016-09-13 01:15 | 音楽 (Live)