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ズービン・メータ指揮 ウィーン・フィル 2016年10月12日 サントリーホール

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= 頂いたコメントを受けて若干改訂しております。=

今回のウィーン・フィルの来日公演に関しては、10月2日(日)のガラ・コンサートと、10月9日(日)の川崎でのコンサートを既に採り上げた。そして今回は、一連の日本ツァーの最後の演奏会である。曲目は以下の通り。
 モーツァルト : 交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」
 ベートーヴェン : 交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付」

実はこのプログラムは特別なのである。前半の「リンツ」は、上のポスターにもある通り、メータ得意のブルックナー7番と合わせて既に同じサントリーホールで演奏されているし、大阪でも同じ曲目が演奏された。だが、メインの曲目である「第九」は、今回のツァーで演奏されるのはこの日だけだったのである。それには理由がある。小さくて見えにくいかもしれないが、上のポスターの右端の曲目紹介の上に、「開館記念日コンサート」とある。サントリーホールの開館記念日はこのコンサートのちょうど30年前、つまり1986年10月12日。そのこけら落としに選ばれたのが、この祝典的な「第九」だったのである。これが同ホールに展示されているそのときの写真。
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演奏はNHK交響楽団(通称「N響」)。指揮は、当時の名誉指揮者であった巨匠ウォルフガンク・サヴァリッシュだ。
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当時学生であった私は、このホールのオープニングシリーズのいくつかには足を運んだものの、この演奏会には行かなかった。私がサヴァリッシュの真価を認識したのは、残念ながらこの少し後だったと思う。そして、このオープニングのときにサヴァリッシュの下で演奏したN響は、今回の指揮者メータとのコンビで、やはりこの第九を演奏したことがある。それは2011年の東日本大震災のあと。海外の名演奏家たちが放射能の恐れによって来日を次々キャンセルする中、このメータだけは逆に来日予定がなかったところをわざわざ日本にやってきて、日本国民を励ますべく、N響を指揮してこの曲を演奏したのである。会場は東京文化会館であった。私はそちらのコンサートには行ったのだが、演奏の内容自体は驚くようなものではなかったものの、イスラエル・フィルとの長年の関わりや、ボスニア・ヘルツェゴビナでの指揮など、積極的な社会への関わりをひとつの特長とするメータの活動の一環として明確なメッセージが発され、非常に勇気づけられるコンサートであった(その演奏はナクソス・レーベルで聴ける)。それからもうひとつのご縁は、このメータは、バイエルン州立歌劇場の音楽監督として、先輩後輩の間柄に当たる。

そのような様々な要素を知っていることは、このコンサートの意義を知るための多少の助けにはなるかもしれないが、決してそれ以上のものではない。その場で鳴り渡る音楽にこそ、虚心坦懐に耳を傾けてみよう。まず最初のモーツァルトは、もう既によく知っているウィーン・フィルの音としか言いようがない。コントラバス2本の小編成にもかかわらず、音量に不足することは一切なく、テンポが弛緩することもない。弦も管も微妙なニュアンス満載で、荘重な部分、緩やかでたおやかな部分、楽し気に疾走する部分、いずれも自発性に富んでいる。このオケを知り尽くしているメータは、オケを自由に走らせる名手であり、その身振りには、余分なものは何もない。惚れ惚れするようなウィーン・フィルのモーツァルトである。

そしてメインの第九であるが、冒頭からして既に、ヴァイオリンの左右対称配置が鮮やかに功を奏し、空に浮かぶ雲のようなホルンに乗ってトレモロを弾く第2ヴァイオリンと、稲妻のような第1ヴァイオリンの音をはっきり聴き分けることができ、音楽の立体感は誠に素晴らしい。メータは全曲を通して中庸、あるいはむしろ若干速めのテンポ設定を行い、それぞれのパートが実に美しく響き合う素晴らしい演奏を成し遂げたのだ。既に80歳のメータであるが、そのスタミナには瞠目すべきものがある。だが一方で、若い頃にはもっとダイナミックな指揮ぶりだったような気もするので、年とともに効率的な指揮になって来ているとも言えるかもしれない。第九の過激さはまさに永遠のアヴァンギャルドと呼ぶにふさわしく、年末に頻繁にこの曲が演奏される日本では、演奏者が作曲者の前衛性について行けないような事態も時折発生するが、さすがにメータとウィーン・フィルのコンビは見事なもの。過激さを過激さとして不必要に強調するよりは、作曲者の創造意欲の骨太さを、不自然さなく大きなラインで描き出したと言えようか。特別なことは何もしていないようでいて、ちょっとほかでは聴けないような充実のサウンドが鳴り響くのを聴くのは、まさに至福の時間であった。最後の大団円に至るその高揚感は素晴らしく、アンコールが演奏されなかったのは好ましいことと思われた。

歌手陣は、4人中ひとりだけドイツ人。バスのフランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒ(バイロイトでダーラントやフンディングを歌っている歌手)だ。ほかは日本人で、ソプラノが吉田珠代、メゾ・ソプラノが藤村実穂子、テノールが福井敬。面白いのは、合唱、独唱を含めた歌手たちの中で、暗譜で歌っていないのはバスのゼーリヒだけで、その他すべての日本人は暗譜であった。それから、多少ユニークであったのは、ソリストたちが第1楽章と第2楽章の間にステージに入場したこと。そのタイミングだと、少し歌手の待機時間が長すぎるようにも思うし、通常は第2楽章と第3楽章の間の入場が多いのであるが、よく考えてみると、嵐のような緊張感溢れる第1楽章の後は、聴衆もその緊張感を維持した状態であるのに対し、シニカルなスケルツォである第2楽章の後は、もう少しリラックスしてしまうので、今回のタイミングにも一理あるかもしれない。つまり、歌手たちの入場によって曲の流れが妨げられないというメリットがあるように思う。また合唱団は、今回の演奏のために特別に編成されたもので、東京混声合唱団や国立音楽大学のメンバーに加え、サントリーホール・オペラ・アカデミーという、このホールが推進するホール・オペラで歌う合唱団の混成部隊になっている。合唱指揮は村上寿昭(としあき)。
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彼は合唱を専門にしている指導者ではなく、れっきとしたオーケストラの指揮者なのである。今年2月27日の記事で採り上げた小澤征爾音楽塾「こうもり」における指揮を小澤と分け合った人で、リンツやハノーファーにてオペラを指揮している本格派。このような人材を登用するのは、今回の30周年記念の第九を演奏するに際し、ホール側も相当に気合が入っている証拠であろう。

今回聴いた複数のコンサートを通じて改めてメータの芸術を考えてみると、ひとつ言えるのは、老齢に至っても感傷性は微塵もないことだ。それゆえ、その音楽に感動してよよと泣き崩れることはないと思うが(笑)、でもやはり、特にこのウィーン・フィルのような特別なオーケストラとの組み合わせで聴くと、感動を覚える音楽ではあるのだ。音楽家の持ち味には様々なタイプがあり、孤高の存在もあれば、庶民にアピールするタイプもいる。メータの持ち味は、大衆性を持ち合わせた力強さであり、80を超えてもその持ち味が衰えずに存在していることに大いなる価値がある。そうだ、これまでも見てきたように、彼は人々に勇気を与えることができる人。それこそが彼の音楽の本質であり、これからも機会あれば彼の音楽を聴いて行きたいと私が思う理由である。日本では好んで巨匠という言葉を使いたがるが、私にとってのメータは、そのような大仰な肩書は必要なく、ただズービン・メータという名で充分だ。今後のますますの活躍をお祈りする。
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こうしてウィーン・フィルの一連の来日コンサートは終了したが、これから2週間ほどすると、このオケのメンバーが中心を務めるウィーン国立歌劇場管弦楽団が、そのウィーン国立歌劇場の引っ越し公演のピットに入る。
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音楽ファンにとってはなんとも忙しい秋になるのであるが、もちろんこれは、東京の文化イヴェントの白眉となるべき公演。期待するなという方が無理というもの。そう言えば私の聴いた今回のウィーン・フィルの公演では、人気のコンサートマスター、ライナー・キュッヒルの姿は見えなかったが、オペラ公演とともに合流するのであろうか。首を洗って待っています。・・・と思ったら、既に昨年定年を迎え、1年延長したものの、今年引退したとのこと。なんとも残念だが、ウィーン・フィルでは演奏しなくても、例えば来年の東京・春・音楽祭の「神々の黄昏」などではコンマスとして舞台に登場してくれるだろうか。日本とはご縁のある人なので、多分大丈夫なのではないかと期待しています。
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by yokohama7474 | 2016-10-13 01:56 | 音楽 (Live)