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ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 (ヴァイオリン : イザベル・ファウスト) 2016年10月15日 サントリーホール

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英国の名指揮者ジョナサン・ノットが音楽監督を務める東京交響楽団(通称「東響」)は、来週からヨーロッパ演奏旅行を行う。5回の演奏会で2種類のプログラムが演奏されるが、そのうちの1種類については、既に10月10日の記事でご紹介した。今回聴いたのは残る1種類。このような内容だ。
 ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲二短調作品61 (ヴァイオリン : イザベル・ファウスト)
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第10番ホ短調作品93

トータルの演奏時間は結構長く、しかも全く異なるタイプの音楽だが、ここでもノットの言う、違ったスタイルの曲をそれぞれに合わせた柔軟性を持って演奏する能力が試されることになる。そして今回、会場に入るなりちょっと目を引くことがあった。ヴァイオリンの左右対抗配置は確かいつものことかと思うが、コントラバスを舞台の最奥部に横にズラリと並べる配置は、これはいつもと違うはずだ。これは昔のロシアのオケが取っていた配置だ(そう思っていくつかのロシアのオケの昔の来日プログラムの写真を見てみたが、そうでない配置も多くて、あまり参考になる写真を見つけることはできなかった)。

最初のベートーヴェンのコンチェルトを弾くのは、ドイツのイザベル・ファウスト。
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以前一度だけ聴いたことがあるのだが、技術で攻めるというタイプではなく、大変知的なヴァイオリンを弾くというイメージである。ベートーヴェンのコンチェルトは、チャイコフスキーとかシベリウスのように情緒豊かな曲というよりは、かなり静かにゆっくり流れる箇所の多い曲で、ファウストのレパートリーとしては適性あるように思う。だが、経歴を見ていて知ったことには、彼女は1993年にパガニーニ・コンクールで優勝しているのだ。パガニーニは悪魔的な技巧を持った伝説のヴァイオリニストであるがゆえに、その名を冠したコンクールで世に出たとは、若干意外である。だが、音楽を聴くのに先入観は不要。今回のベートーヴェンは、オーケストラとともに大変充実した美しい音楽に仕上がっており、これならヨーロッパの聴衆も満足すること請け合いだ。まず冒頭のティンパニの音が通常よりも軽くて硬いことに驚いたが、この時代の音楽を演奏するための古いタイプの楽器を使っていたというわけであろう。この曲はヴァイオリンが登場するまでに少し時間があるが、ノットはオケを丁寧にリードしながら、いつものように分離よい重層的な音を導いた。そして入ってきたヴァイオリンは、少し強弱を強調した歌いまわしであるが、予想通り情緒に溺れる感じでは全くなく、ヴィブラートも少なめで清潔感がある。だが、早い部分ではファウストのヴァイオリンは唸りを上げ、進むごとに練れた音になっていったのは実に見事であった。まず第1楽章が終わったところで思わず客席から若干ながら拍手が起きるほどの充実ぶりで、聴きごたえ充分。

驚いたのはカデンツァで、ティンパニの伴奏がつく。だがこれだけなら、誰の演奏だったか思い出せないが、以前にも実演で同じ光景を目にしたことがある。ところが今回は、第1楽章にもう一ヶ所短いカデンツァがあったり、第3楽章冒頭のロンドの主題に入る前に少し寄り道(いい言葉ですね!)があったりして、ちょっと珍しいなと思ったものである。演奏会終了後にホールの外にアンコールの曲目表示と並んで書いてあったことには、ベートーヴェン自身がこのヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲した版のカデンツァに基づいているとのこと。あ、その曲なら知っていますよ。若き日のピーター・ゼルキンと小澤征爾が録音している。
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帰宅して早速CDを取り出し、聴いてみると、あ、本当だ。第1楽章のカデンツァにはティンパニが伴っているし、第3楽章のロンド主題に入る前にはもって回ったパッセージがある。この編曲は、ソナチネの作曲家としてある程度後世に名を残しているクレメンティという人が、ベートーヴェンに旧作のピアノ編曲版を依頼したもののひとつらしいが、ベートーヴェンは後年になると、ピアニストが好き勝手にカデンツァを弾くのを嫌っていたことから、このピアノ編曲版のカデンツァは自分で書いたということのようだ。してみると、それを作曲家の意思として、もともとのヴァイオリン協奏曲に転用するのも、あながち意味のないことではないだろう。だが、今回の演奏は、そのような些細なことよりも、これだけ知的なヴァイオリンを日本のオケが丁寧に支えて充実した音響を作り上げたことにこそ、意味がある。協奏曲の伴奏としては珍しく、ノットは暗譜での指揮であったが、それだけ伸び伸びとオケをリードしようとしたということだろうか。ただ、第2楽章で一瞬、オケの演奏がちょっと危ない感じがしたようにも思ったが、気のせいであったか。いずれにせよ、全体の充実度は大変なものであった。そしてファウストが演奏したアンコールは、私の知らないバロック音楽であったが、ルイ=ガブリエル・ギユマンというフランスの作曲家の「無伴奏ヴァイオリンのためのアミューズマン作品18」からの1曲。珍しい曲だが、曲名の通り楽しい雰囲気であった。このファウスト、来年3月には三鷹で、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータの全曲演奏を行う。これはきっと素晴らしい演奏会になるだろう。来年の1月にはチョン・キョンファも同じくバッハの無伴奏全曲を披露するが、ヴァイオリニストとしての資質が全く違う彼女らの演奏を聴き比べられるのも、東京ならではかもしれない。

そして後半のショスタコーヴィチ10番。曲の性格は謎めいていているものの、人間の心理に訴える刺激的な音響が次々に出てくる劇的な曲だ。実はこの曲、早くも作曲の翌年、1954年にほかならぬこの東響が、上田仁(まさし)の指揮のもと、日本初演を行っているのである。ノットがこの曲をヨーロッパに持って行きたいと思った理由のひとつは、それだろう。ここではノットは譜面を見ながら、やはり丁寧に、だが最近の彼の演奏会で必ず明確に見える「本気度」を持って、真摯に取り組んでいた。全体の仕上がりはかなりのものだと思った。だがあえてひとつ言うと、棒を縦に振ろうが横に振ろうが、もう一段パワフルな炸裂が聴こえてこない恨みがあったと思う。これは楽団というよりも指揮者の持ち味であろうか、この曲はとにかく、切れ味と整理された線だけでは表現しきれないところがあり、腹の底にずーんと来る鳴り方が欲しい。さらに狂気を。それが今後この指揮者に期待したいところである。尚、この曲でも第1楽章終了時に一部聴衆から拍手が起きたが、曲の内容に鑑みて、あそこで拍手はちょっとどうだったか。もちろん聴く人が感動すれば拍手することは自由とはいえ、曲のつながりに留意して、演奏者の邪魔にならない拍手を心掛けたいものだ。顔をしかめる作曲者(笑)。
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それでは東響の皆様、来週からの楽旅、応援しております!!

by yokohama7474 | 2016-10-16 02:46 | 音楽 (Live)