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長崎旅行 その3 原爆資料館、浦上天主堂、平和祈念像、大浦天主堂、グラバー園、日本二十六聖人殉教記念館

午前中に軍艦島への上陸ツアーを終えた私たちは、残る午後の時間を長崎中心部の観光に充てることとした。長崎に来れば、やはりここを訪れないわけにはいかない。原爆資料館だ。駐車場の横にはこのような彫刻が立っている。
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広島の原爆資料館も最近リニューアルされてから未だ行っていないが、この長崎の資料館も初めてだ。1996年に建てられた近代的な建物。
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このような場所は、日本人が暑い真夏に過去の惨禍を思い出すというだけではなく、正しい歴史認識に基づいて国際的にメッセージを発信することができる場所であるべきだと思う。もちろん歴史認識自体が、ともすれば立場によって相対的なものになってしまうことは否めないものの、少なくとも事実を積み上げることで、起こってしまった悲劇を冷静に見つめることができるだろう。入り口からこのようならせん状のスロープを下りて行くが、徐々に時間を遡り、展示室の手前で1945年に立ち返ることとなる。オバマ大統領からのメッセージが展示されている。願わくば、「日本も核武装してはどうか」と公言する米国の次期大統領にも、もちろん、ここと広島を訪れて欲しいものだ。
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そして、展示室で最初に目に入るのが、1945年8月9日の「その時」で永遠に停まってしまった時計である。
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ここには、原爆の惨禍の証人としての数々の痛ましい展示物が並んでいるが、ショッキングなのは、瓦礫と化した街の様子の一部が、当時のモノクロの映像とともに再現されていることである。中でも、爆心地近くで大きな被害を受けた浦上天主堂の実物大模型は、見る人を震撼させる。そのリアリティは、子供たちでもよく理解できるような展示になっている。
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とてもここに載せられないような、まさに目をそむけたくなるような展示物も多いが、原爆の威力の凄まじさが分かる一例をご紹介しよう。これは、爆心地から4.4km離れた地点で撮影された写真だが、兵士が屋上から梯子を下りてきたところで熱戦を浴び、光が当たった部分のみコールタールが溶けて、陰になった部分が壁に残ったもの。
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もちろん、被害の悲惨さのみが展示の主眼ではなく、当日どのように爆弾が投下されたのかの検証や、原爆自体についての解説もある(以下の写真は、投下された原爆「ファットマン」)。また、1945年当時についてだけでなく、その前に日本がいかに戦争に踏み込んで行ったのか、また戦後の世界において核の脅威がどのように拡散し、現在存在する核兵器の量はいかなるものか、核軍縮の努力がいかに続けられているか、といった点についても展示物が沢山並んでいる。つまり、過去の惨禍を被害者として嘆くのではなく、過去へも未来へも視線を投げかけている真摯な展示方針に強く打たれるのである。日本人だけでなくあらゆる国の人たちに(欧米だけでなくアジア近隣諸国の人たちも)、特に施政者には見て欲しい場所だ。
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そして、浦上(うらかみ)天主堂を訪れた。その起源は1879年の小堂建設にまで遡るが、大聖堂は1914年に完成。後述する、長崎で処刑された二十六聖人の殉教に捧げる教会として設立された。上述の通り原爆で甚大な被害を受けたが、1959年に再建。資料館で見た聖人像が、今も入口横に立っている。
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これが被爆時の写真。なんとも痛ましい。
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現在では立派に再建されてはいるものの、被爆した彫像類が多く展示されていて、ひとつひとつを見るのは本当に心が痛い。中でも、堂内、入り口を入って左の小礼拝堂に安置されている「被爆のマリア」は、正面祭壇の最上段に安置されていた木造のマリア像の頭部で、瓦礫の中から奇跡的に発見されたもの。焼け焦げてなお、空洞の眼窩をもって戦争の惨禍を静かに語り続けている。これを見て鬼気迫るものを感じない人はいないだろう。
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それ以外も、様々な破損物が展示されている。私は特に、キリスト磔刑像のバラバラ遺体を痛ましいと思った。
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痛ましい心を少しでも鎮めたくて、平和祈念公園へ移動し、平和祈念像を見た。著名な彫刻家、北村西望によって1955年に作られた巨大彫刻である。垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているということらしい。骨太な、よい彫刻であると思う。空が白々しいまでに青い。
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次に向かった場所は大浦天主堂である。これはキリスト教の教会として唯一国宝に指定されているもの。この旅行で幾つもの教会を見てきたが、さすがにこれは美しい教会である。実はこの教会の建造は、明治維新に先立つ1864年。フランス人によって建てられたので、当初は「ふらんす寺」と呼ばれたらしい。全国的には江戸時代の最末期までキリスト教が禁止されている中、江戸時代を通じて世界に向けて開いた窓であった長崎には、このような素晴らしい教会が建てられたとは本当に驚きだ。
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冷静になって考えてみると、来年2017年は大政奉還150周年。ということは、この教会は150年以上この地に建っていることになる。建設当時の貴重な写真が残っているが、その外見は現在と違っているので、150年の歴史の中で手を加えられてきたということだろう。因みにこの写真を撮影したのは、日本最初の写真館を開いた上野彦馬である。
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因みに内部はこのように美しい空間。この中にいるだけで、日常の垢が落ちて行くような気がする。実に清浄な場所なのである。
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ここにいると時間を忘れてしまうのだが、まだ見なければいけない場所がある。この大浦天主堂に隣接している、グラバー園である。港を見下ろす丘の上にまで、何軒もの西洋人の旧居が連なっている場所だ。大浦天主堂の横から入ると、エレベーター風に上に上がって行く動く歩道を乗り継いで、丘の上まで昇って行くことになる。
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この場所の名前の由来となっているトーマス・グラヴァー(という表記が正しいが、慣例に従い、以下「グラバー」と表記)は、スコットランド出身。1859年に来日し、幕末の志士たちへの援助を惜しまなかったと言われている。まぁ、明治維新の歴史的評価については最近では様々な言説があり、例えば坂本龍馬とグラバーの関係についてもいろいろ書物も出ているし、何よりグラバー自身がフリーメーソンのメンバーであったことから、陰謀説にも結び付いていることも私はよく知っている。だが、そのあたりはよしとして、ここに存在する歴史的建造物(多分グラバー邸以外は、長崎の中のほかの場所から移築されてきたものであろう)を見ながら、日本が近代化に邁進した頃に思いを馳せようではないか。

まず、丘の上に建っている建物は、旧三菱第2ドックハウス。船が造船所で修理されている間に乗組員たちが宿泊した施設である。対岸に三菱造船所を見下ろす建物の前は見晴らしもよく、たたえられた水が大変に心地よい。
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少し下りて行くと、往年の名ソプラノであり、日本人歌手として初めて世界的に活躍した三浦環(みうら たまき、1884-1946)の像がある。これは言わずとしれた彼女の当たり役、プッチーニ作曲になる「蝶々夫人」である。港を見下ろす丘の上からピンカートンの帰りを待ち望みつつ、「ある晴れた日に船が見える」と歌う名アリアが響いてくるような気がする。そしてここにはまた、作曲者プッチーニの肖像も掲げられているのだ。
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そしてこれは旧リンガー邸。重要文化財に指定されているだけあって、素晴らしい建物だ。
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この館の主、フレデリック・リンガーは、グラバー商会に勤務後、リンガー商会を設立。貿易のみならずホテル・製茶・製粉・上水道・発電など幅広い事業を行った英国人。うむ。長崎名物チャンポンを中心に展開するレストランチェーン、リンガーハットは、もしかして彼の名前に由来するものなのではないか。だが、実はこの館の中の展示は、チャンポンに関するものではなく(笑)、知られざる日本人オペラ歌手に関するものなのだ。その名は喜波貞子(きわ ていこ 1902-1983)。
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私も寡聞にして彼女の名前は知らなかったが、三浦環より一世代下であり、やはり蝶々夫人役をはじめとして、世界的に活躍したソプラノ歌手であるらしい。顔を見ると分かるが、純粋な日本人ではなく、祖父はオランダ人なのである。ここの展示では、彼女自身が記録として残した世界各地での活躍の様子を示す雑誌の切り抜きや衣装などが並んでいて、興味は尽きない。また、彼女の人生を辿る説明書きも懇切丁寧だ。彼女の評伝が出たら読んでみたい。
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尚、このリンガー邸の横には、英国人居留地にあったフリーメーソン・ロッジの石柱が立っていて、興味深い。
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さて、リンガー邸の横には、これもやはり重要文化財のオルト邸が建っている。敷地面積で言えば、恐らくこれがこのグラバー園で最も広い屋敷であろうし、ギリシャ神殿風のファサードを持つ、なんとも雰囲気のある建物なのだ。尚、大河ドラマ「龍馬伝」で余貴美子が演じた大浦慶は、この屋敷の主、ウィリアム・オルトのビジネス・パートナーであったとのこと。
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それから、興味深いのは、日本で初めての西洋料理店である自由邸の建物が残っていて、今も喫茶店として使われている。
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さて、いよいよ本命、グラバー邸である。これも重要文化財であり、大変に見応えのある建物なのだ。1863年に建てられた、現存する日本最古の木造洋風建築。昨年、産業革命遺産のひとつとして、世界遺産に登録された。なぜかここには、コスプレを楽しむ人たちも(笑)。
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実際にグラバーという人が何を求めて日本にやって来て、どのような活動を展開したのかについては、諸説あるようだ。善玉悪玉を議論すると、なかなか難しい点もあるだろう。だが、間違いなく彼は日本の近代化に貢献のあった人物であると思われる。真偽のほどは知らないが、屋敷の中には、幕末の志士をかくまうためという隠し部屋がある。
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彼はツルさんという夫人を娶り、息子を得たが、その名は倉場富三郎(くらば とみさぶろう)。「くらば」はもちろん「グラバー」の当て字である。実業家でもあり水産学者でもあったそうだが、終戦直後に自殺してしまった。スパイ容疑がかけられていたとも言われているらしい。
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内部の展示で興味を惹くのは、この狛犬(2匹一対のうちの一体)だ。
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実はこれ、キリンビールのラベルのもとになった彫刻。実はグラバーは今日のキリンビール社の前身の社長を務めた人で、麒麟の口髭は、グラバーをモデルにしたと言われているらしい。キリンビールが三菱系の会社であると知らない人も多いかもしれないが、実はそうなのである。

そんなわけで、グラバー園にある西洋人の旧居の数々をを楽しんで外に出ると、このような広告が目に入った。先般までレストランであったようだが、今は売りに出されている。だが、なになに、1860年に建てられた日本最古の木造洋風建築だって? じゃあ、グラバー邸の立場はどうなる???なかなか瀟洒な建物であることは確かだが。
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さて、旅の終わりに向かったのは、西坂公園というところにある、日本二十六聖人殉教記念館。これは、1596年、豊臣秀吉の命によって処刑された、6人の宣教師と20人の日本人キリシタンのこと。京都と大坂で捉えられた信者たちは、長崎までの1,000kmの道のりを歩かされ、この地で磔となった。この事件はヨーロッパでも大きく取り上げられ、17世紀フランスの版画家ジャック・カロ(音楽ファンの方は、彼の版画がマーラーの交響曲第1番第3楽章のインスピレーションのもとになっているのをご存じだろう)もその光景を描いていることは、以前もこのブログでご紹介したことがある(4月14日付、カラヴァッジョ展に関する記事)。
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このことによりこの26人の殉教者は聖人に列せられることとなり、前述の浦上天主堂も、彼らを悼むために建造された。彼らが処刑された地には、現在ではこのような彫刻がある。1962年、日本を代表する彫刻家、舟越保武によって制作されたもので、その場の空気にはどこか凛としたものが漂う。
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そしてこの彫刻の裏側に、この二十六聖人の殉教に関連する資料を収めた資料館があるのである。
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この資料館の内容は非常に充実していて、私のようにこの時代のキリシタンに興味を持つ者にとっては、なんとも見応えのあるものなのである。これら殉教者の遺骨は、外国で保管されていたものが、近年里帰りしたとのことで、この資料館の2階に祀られている。歴史の荒波の中で散って行った命であるが、そこには信仰による恍惚があったのであろうか。人間である以上、神の栄光のためと割り切って死出の旅に出ることにはやはり、大きな葛藤があったのではないか。殉教者たちは黙して語らないが、今を生きる我々としては、このような場所において歴史を正しく認識することで、様々なことを学ぶことができるように思う。・・・と、神の啓示がガツンと私の身に降りかかったような気がしたのである。

そんなわけで、2日間の長崎の旅、大変充実したものになった。もちろん、最近復元が進んでいる出島や、国宝建造物のある黄檗宗の崇福寺、眼鏡橋や丸山花街、また亀山社中など、今回見ることができなかった名所も多い。できればまた長崎を再訪し、この街の持つ意義や情緒をさらに味わいたい。とりあえず今回の旅で購入したガジェット類は、川沿いの我が家の「世界遺産コーナー」の一角に収まることとなったのである。
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by yokohama7474 | 2016-11-16 01:48 | 美術・旅行