2016年 11月 27日
マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール
ハイドン : 交響曲第100番ト長調「軍隊」
リヒャルト・シュトラウス : アルプス交響曲作品64
なんと、つい先日もあのクリスティアン・ティーレマン指揮のシュターツカペレ・ドレスデンによる生演奏を体験したばかりのアルプス交響曲が、今度はこのコンビによって演奏されるのだ。この曲は来日公演であまり演奏されないと以前の記事で書いたが、わずか中3日で、いずれ劣らぬ世界一級の演奏家たちがこの曲を採り上げるとは、東京とは実に恐ろしい街なのである。尚、今回のバイエルン放送響の来日公演は、11/23から11/28までの6日間に、西宮、名古屋、川崎と東京での5公演。このハイドンとシュトラウスの組み合わせは、既に11/24(木)に名古屋で行われている。
さて、1曲目のハイドンであるが、もう一言、楽しい!!最近、少なくとも日本のオケでは、ハイドンの交響曲の演奏頻度はあまり高くないと思うが、それは本当にもったいないことなのである。モーツァルトのアポロ的天才ぶりに比べて、ハイドンは大らかで、あえて言えばデュオニソス的祝祭感を持っている。交響曲の父と呼ばれ、110曲ほどの交響曲を書いた古典派の作曲家だが、曲ごとの個性が大変豊かであり、どの曲にも必ずユーモアがある点、ほかの作曲家では聴けないような魅力が満載だ。そして今回のヤンソンスとバイエルンの演奏のように愉悦感溢れる演奏で聴くと、大げさでなく、人生の喜びを誰もが感じることだろう。演奏スタイルは古楽風ではなく、伝統的なもの。もちろん、弦楽器の編成は小さく、ティンパニは硬い音のする古いタイプであったが、まるで大交響曲のような分厚い音で、ヴィブラートもしっかりかかっていた。要するに、音楽を楽しむ上で演奏スタイルはあくまでひとつの要素に過ぎず、よい音楽はよいのであって、上に述べたようなこのオケの高い水準を実際に再び耳にする喜びはまた格別である。この曲の「軍隊」というあだ名は、第2楽章でトルコ行進曲風の音楽が表れ、トランペット(今回は舞台裏での演奏であった)が軍楽隊のようなソロを吹くことによる。トルコ風音楽は終楽章でも再び登場するが、この日の演奏では、第2楽章終了後に4人の打楽器奏者が舞台を退いていぶかしく思っていると、なんとなんと終楽章では、下手側の客席入り口から入場して来て、大太鼓、シンバル、トライアングルと、それから大きな飾りを付けた鐘を打ち鳴らす奏者たちが、1階客席を練り歩いた。なんという楽しいハプニングだったろう!!そういえば、ヤンソンスとバイエルンが前々回、2012年の来日時にベートーヴェン・ツィクルスを演奏した際、第9番の終楽章でやはりトルコ行進曲が演奏されるときに、切れ切れに行進曲の伴奏をするトランペットが、ステージ下手のドアから現れて徐々に中心に向かって移動したのを覚えている。今回も同様の趣向であり、実際、より派手な演出だったと思う。この指揮者、本当に人を楽しませる名人なのだ。
会場では、独占先行販売として、つい先月本拠地ミュンヘンで録音されたばかりのこのアルプス交響曲のCDが売られていたので、購入した(バイエルン放送局独自のレーベル"BR Klassik")。
このように非常に充実した演奏会であったのであるが、ひとつ気になったのは、ヤンソンスが少し老けたように感じたこと。背中が少し丸くなっていて、演奏終了後は疲労感を漂わせていた。もともと心臓病のある人なので、あまり無理は禁物だと思うのだが、ダイナミックな音をオケから引き出す名人として、世界各地を飛び回って活躍を続けて来た。だが、既に73ともなると、もちろん体力の衰えはあるだろう。是非ご自愛頂きたいと思う。
ここで少し個人的なノスタルジーを抱いてしまうのであるが、私がヤンソンスを初めて生で聴いたのは1986年。今からちょうど30年前のことになる。ロシアの大御所ムラヴィンスキーが来日をキャンセルし、彼が確かレニングラード・フィルの日本公演全部を指揮したのである。今プログラムを持ってきて確認すると、この頃の日本ツアーは大変な規模で、日本各地で実に19公演(!!)だ。彼の父アルヴィド・ヤンソンスは東京交響楽団を頻繁に指揮していたので日本では親しまれており、彼は「あのヤンソンスの息子」という紹介であったと記憶する。実力のほどは全く知られておらず、巨人ムラヴィンスキーを聴けない落胆が、客席を支配していた。だが、その時に私が聴いたチャイコフスキー5番とショスタコーヴィチ6番は実に胸のすく快演で、圧倒的な感銘を受けたことを、昨日のことのように思い出す。正直、その後彼がここまでビッグになるとは思わなかったが、音楽ファンにとって演奏家との巡り合いとは不思議なもの。最初の出会いを忘れることはできないのである。これはそのときのプログラムに載っている若きヤンソンスの写真と、私がその時もらったサインである。