人気ブログランキング | 話題のタグを見る

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール_e0345320_01262887.jpg
前項の井上道義とN響のコンサートを聴き終えて急いで向かった先は、ミューザ川崎シンフォニーホール。このところ相次いでいる海外一流オケの攻勢に、また極めて強力な一団が参戦だ。ラトヴィア出身、現代を代表する巨匠指揮者、マリス・ヤンソンスの指揮するバイエルン放送交響楽団である。ヤンソンスは1943年生まれなので今年73歳。去る10月1日の記事で、彼がアムステルダムで名門コンセルトヘボウ管を指揮したコンサートについて記事を書いたが、彼は既にコンセルトヘボウの音楽監督は退いており、現在維持しているポストは、このバイエルン放送響の首席指揮者のみである。こちらもコンセルトヘボウに負けず劣らず素晴らしいオケで、度重なる来日公演でも名演を積み重ねてきた。
マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール_e0345320_01362532.jpg
バイエルン放送響は、その名の通りドイツの放送局のオケであり、設立は第二次大戦後なのである。ミュンヘンに本拠地を持ち、初代首席指揮者オイゲン・ヨッフム以来、ラファエル・クーベリック、コリン・デイヴィス、ロリン・マゼールを経て、2003年からヤンソンスがその任にある。この歴代指揮者陣は、まさに掛け値なしに世界のトップクラスの人たちばかりであり、その音色の充実感が変わらぬ高いレヴェルで維持されているのも、これら第一級の歴代指揮者の薫陶の賜物であろうと思われる。今回の曲目は以下の通り。
 ハイドン : 交響曲第100番ト長調「軍隊」
 リヒャルト・シュトラウス : アルプス交響曲作品64

なんと、つい先日もあのクリスティアン・ティーレマン指揮のシュターツカペレ・ドレスデンによる生演奏を体験したばかりのアルプス交響曲が、今度はこのコンビによって演奏されるのだ。この曲は来日公演であまり演奏されないと以前の記事で書いたが、わずか中3日で、いずれ劣らぬ世界一級の演奏家たちがこの曲を採り上げるとは、東京とは実に恐ろしい街なのである。尚、今回のバイエルン放送響の来日公演は、11/23から11/28までの6日間に、西宮、名古屋、川崎と東京での5公演。このハイドンとシュトラウスの組み合わせは、既に11/24(木)に名古屋で行われている。

さて、1曲目のハイドンであるが、もう一言、楽しい!!最近、少なくとも日本のオケでは、ハイドンの交響曲の演奏頻度はあまり高くないと思うが、それは本当にもったいないことなのである。モーツァルトのアポロ的天才ぶりに比べて、ハイドンは大らかで、あえて言えばデュオニソス的祝祭感を持っている。交響曲の父と呼ばれ、110曲ほどの交響曲を書いた古典派の作曲家だが、曲ごとの個性が大変豊かであり、どの曲にも必ずユーモアがある点、ほかの作曲家では聴けないような魅力が満載だ。そして今回のヤンソンスとバイエルンの演奏のように愉悦感溢れる演奏で聴くと、大げさでなく、人生の喜びを誰もが感じることだろう。演奏スタイルは古楽風ではなく、伝統的なもの。もちろん、弦楽器の編成は小さく、ティンパニは硬い音のする古いタイプであったが、まるで大交響曲のような分厚い音で、ヴィブラートもしっかりかかっていた。要するに、音楽を楽しむ上で演奏スタイルはあくまでひとつの要素に過ぎず、よい音楽はよいのであって、上に述べたようなこのオケの高い水準を実際に再び耳にする喜びはまた格別である。この曲の「軍隊」というあだ名は、第2楽章でトルコ行進曲風の音楽が表れ、トランペット(今回は舞台裏での演奏であった)が軍楽隊のようなソロを吹くことによる。トルコ風音楽は終楽章でも再び登場するが、この日の演奏では、第2楽章終了後に4人の打楽器奏者が舞台を退いていぶかしく思っていると、なんとなんと終楽章では、下手側の客席入り口から入場して来て、大太鼓、シンバル、トライアングルと、それから大きな飾りを付けた鐘を打ち鳴らす奏者たちが、1階客席を練り歩いた。なんという楽しいハプニングだったろう!!そういえば、ヤンソンスとバイエルンが前々回、2012年の来日時にベートーヴェン・ツィクルスを演奏した際、第9番の終楽章でやはりトルコ行進曲が演奏されるときに、切れ切れに行進曲の伴奏をするトランペットが、ステージ下手のドアから現れて徐々に中心に向かって移動したのを覚えている。今回も同様の趣向であり、実際、より派手な演出だったと思う。この指揮者、本当に人を楽しませる名人なのだ。
マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール_e0345320_01594799.jpg
そしてメインの曲目、アルプス交響曲だ。先に演奏したシュターツカペレ・ドレスデンはこの曲を初演し、献呈を受けたという名誉を持つが、このバイエルン放送響も、やはり作曲者と深い縁がある。というのもこの作曲家の出身地が、アルプスのお膝元である、ほかならぬミュンヘンであるからだ。そして、指揮者としての活動も生涯活発に行っていたシュトラウスが、戦後に最後に指揮をしたのが、このバイエルン放送響であるらしい。録音の上でも、先の記事でご紹介した、この曲の人気を一気に上げることとなったゲオルク・ショルティの素晴らしい録音は、当時の手兵シカゴ交響楽団ではなく、このバイエルン放送響を指揮したものであった。そのような歴史を考えると、このヤンソンスとバイエルンの演奏も、まさに世界レヴェルでティーレマンとドレスデンに対抗できる、由緒正しく高水準なものであるのである。実際この日の演奏は、先のドレスデンの演奏とはまた一味違う、甲乙つけがたい名演となった。私の印象では、ヤンソンスの指揮の方がヒューマンな味わいに満ちていて、ティーレマンのようなスリルはないかもしれないが、着実な音楽になっていたと思う。とりわけ感銘深かったのは、嵐の後の祈りのような音楽。遅めのテンポでじっくりとまた深々と歌い込まれるのを聴いていると、ヤンソンスの興味が、自然の描写ではなく、自然を前にした人間の感情にあるのではないかと思われてくる。ドレスデンの柔らかく洗練された響きに対して、バイエルンは元来もう少しシャープでクリアな音だと思うが、ここでは陰影に富む繊細な音が鳴っていて、実に素晴らしいと思った。もちろん、夜明けから山に登り、頂上に達する際の劇的な迫力も充分。このコンビの到達した高みを、自分たちで確かめるような演奏であったと思う。そして、終結部を聴いて思い出したのは、同じシュトラウスの「死と変容」である。曲の内容は随分異なるが、ヤンソンスのヒューマンなタッチが、死にゆく病人の魂の昇華を描いた「死と変容」との共通点をこの曲の終結部に見出させたのだろうと思う。そのような感銘のあと、アンコールは演奏されなかった。

会場では、独占先行販売として、つい先月本拠地ミュンヘンで録音されたばかりのこのアルプス交響曲のCDが売られていたので、購入した(バイエルン放送局独自のレーベル"BR Klassik")。
マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール_e0345320_02180782.jpg
あ、なんだ、よく見るとこのCD、カップリングが件の「死と変容」ではないか!!そうすると私が感じた2曲の共通点は、ヤンソンスの意図に沿うものであったわけである。もっとも、ただ単に収録時間の関係かもしれないが(笑)。

このように非常に充実した演奏会であったのであるが、ひとつ気になったのは、ヤンソンスが少し老けたように感じたこと。背中が少し丸くなっていて、演奏終了後は疲労感を漂わせていた。もともと心臓病のある人なので、あまり無理は禁物だと思うのだが、ダイナミックな音をオケから引き出す名人として、世界各地を飛び回って活躍を続けて来た。だが、既に73ともなると、もちろん体力の衰えはあるだろう。是非ご自愛頂きたいと思う。

ここで少し個人的なノスタルジーを抱いてしまうのであるが、私がヤンソンスを初めて生で聴いたのは1986年。今からちょうど30年前のことになる。ロシアの大御所ムラヴィンスキーが来日をキャンセルし、彼が確かレニングラード・フィルの日本公演全部を指揮したのである。今プログラムを持ってきて確認すると、この頃の日本ツアーは大変な規模で、日本各地で実に19公演(!!)だ。彼の父アルヴィド・ヤンソンスは東京交響楽団を頻繁に指揮していたので日本では親しまれており、彼は「あのヤンソンスの息子」という紹介であったと記憶する。実力のほどは全く知られておらず、巨人ムラヴィンスキーを聴けない落胆が、客席を支配していた。だが、その時に私が聴いたチャイコフスキー5番とショスタコーヴィチ6番は実に胸のすく快演で、圧倒的な感銘を受けたことを、昨日のことのように思い出す。正直、その後彼がここまでビッグになるとは思わなかったが、音楽ファンにとって演奏家との巡り合いとは不思議なもの。最初の出会いを忘れることはできないのである。これはそのときのプログラムに載っている若きヤンソンスの写真と、私がその時もらったサインである。
マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール_e0345320_02312292.jpg
マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール_e0345320_02313380.jpg
時は決して後戻りせず、先へ進むのみである。必要以上にノスタルジックにならずに、円熟の境地に入っているヤンソンスの今後のさらなる高みを、30年来のファンとして、是非期待したいと思います。

by yokohama7474 | 2016-11-27 02:34 | 音楽 (Live)