2016年 12月 11日
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル 2016年12月10日 サントリーホール
それから2012年、2014年の来日リサイタルを経て、今回の演奏会である。まず会場のサントリーホールに足を踏み入れると、開演前なのに客席の照明がかなり暗い。実は舞台上に、これから演奏会を始めるピアニスト本人が、先端にピンクの大きい毛玉のついた黒か紺のニット帽をかぶり、ブカブカのカーキパンツをはいて、ジャンパーの下からピンクのシャツがはみ出ているというラフないで立ちで、ポロポロと弱音でピアノをまさぐっているのだ!!確か以前の演奏会でもそんなことがあったような気がするが、開演15分前の18時45分になって、係の人が舞台にやって来て彼に何かつぶやき、ようやく袖に入って行った。そんな彼の演奏会、今回の曲目は以下の通り。
ショパン : バラード第2番ヘ長調作品38
ショパン : スケルツォ第3番嬰ハ短調作品39
シューマン : ウィーンの謝肉祭の道化作品26
モーツァルト : 幻想曲ハ短調K.475
ラフマニノフ : ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調作品36(改訂版)
今回のツァーは中国3ヶ所(上海、北京、深圳)のあと、この東京と、来週末の水戸と豊田で開催され、いずれも曲目は同じ。加えて12/13(火)には、読売日本交響楽団をバックにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏する。今のポゴレリッチは出家したかのようなスキンヘッドだが、その深々とした音楽は相変わらず極めて個性的で、しかもこれからさらに新しい境地に入ろうとしているように思われる。これは心して聴かねば。
そして後半も、モーツァルトとラフマニノフが連続して演奏された(モーツァルトの後で拍手が起こったが、演奏者の趣旨を組んで、あそこは拍手は避けるべきだったのでは)。この二人の作曲家は全くタイプの異なる人たちだが、実はこれらの曲には共通点がある。ともにいくつかの部分からなるとはいえ、連続して演奏される。そしてそこに表れる情緒は、非常に深いものでありながらも、移ろい行く天気のようで、晴れたかと思うと曇り、雨かと思うと日が差すという具合だ。これをもってともに「幻想的」な曲であると呼んでもよいであろう。モーツァルトでの清澄な音はやはり天上的な感じすら覚えるものであったし、ラフマニノフの壮大な音の洪水は、カラフルな壁画でも見るかのような迫真性であった。技術的には非常に高度であるにもかかわらず、そのようなことを感じさせない。技術を超えた表現力に圧倒されっぱなしなのである。このようなピアノを弾ける人が、世界にそう何人もいるとは思えない。いよいよポゴレリッチは、余人の追随を許さない深い表現力を発揮し始めたということなのだろう。
彼の演奏姿は、過度な没入はないが、高い集中力に支えられている。笑いは浮かべていないが、ステージマナーは非常に丁寧で、演奏会の始まるつい15分前までラフな格好をしていたとは思えない(笑)。長身を定義正しく折り曲げ、ステージ正面のみならず、後方席や左右の席にもゆっくりとお辞儀をするのだ。そして万雷の拍手に応えて彼はステージから、よく響くバリトンの声で「ジャン・シベリウス、ヴァルツ・トリステ」とアンコールを紹介した。そう、「悲しきワルツ」である。これもまた格段にテンポの遅い演奏ではあったが、音楽が弛緩することは一切なく、常に緊張と、音楽的情景の変化の予感に満ちた感動的な演奏であった。
終演後にはサイン会があったが、その列はこれまでに見たこともないような、非常に長いものになった。練習時のラフな格好に着替えて出て来たポゴレリッチは、置いてある椅子に腰かけることもなく、立ったままサインを続けて行った。黒・金・銀の3色のペンが用意され、サインをもらう際に希望を言えるようになっていたが、私が金を求めると、「金は銀より高いんだけどねー」と英語で呟いていた。いや、ペンの値段は金も銀も同じだと思いますが、違いますか(笑)。