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イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル 2016年12月10日 サントリーホール

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イーヴォ・ポゴレリッチ。1958年ベオグラード生まれの58歳。彼が生まれた頃、いやそれどころか、ピアニストとして活動し始めた頃には未だユーゴスラヴィアという国があったわけだが、彼の生地ベオグラードは現在ではセルビア共和国の首都。一方でポゴレリッチ自身はクロアチア人であるそうだ。旧ユーゴの内戦の複雑さは、日本人にとっては何とも理解しがたいものであったが、このピアニストがやって来たのは、そのような場所であるということは認識しておいて損はないかもしれない。だが、1980年のショパン・コンクールでその個性的すぎる演奏によって本選に残らなかったことに激怒した名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチが審査員を辞任してしまった事件以降、若き天才として世界にその名を馳せた彼の活躍において、母国の政治的混乱は直接関係なかったようにも見える。若い頃の録音のジャケットには、ナイーブさを滲ませた好青年が写っている。
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だが彼にとっては、演奏家としてのキャリアの初期に、最も重要な出会いがあり、そしてその後別れがあった。22歳年上のグルジア人ピアニスト、アリス・ケゼラーゼ。師でもあり、ショパンコンクールの年に結婚した妻でもあった彼女が1996年2月に癌で亡くなってから、精神を病んでしまい、数年の静養期間を経ることになってしまったのである。だが今調べてみると、ケゼラーゼの死の直後である1996年4月にはN響70周年を記念して日本でショパンの2番の協奏曲を演奏しているし、同じ年の11月にも再来日、また1997年、1999年にも来日している。つまり、師/妻の死とともに突然彼が気力を失ってしまったわけではなく、徐々に崩れて行ってしまったようだ。静養を経て、日本にはその後2005年に再来日。以来かなり頻繁に来日している。私が生演奏でポゴレリッチを初めて聴いたのは比較的最近で、2010年のこと。その際のショパンの3番のソナタなど、超絶的にスローで拍節感の全くない演奏であったので、大変驚いたが、そこで聴かれた凄みには震撼した。実は、彼の録音は1995年でストップしてしまっていて、その時々の彼の演奏活動の実像を知る術は生演奏しかなかったところ、私の場合は不覚にもその機会が2010年までなく、彼が何か特別な世界に足を踏み入れて行っていることを、その時まで知らなかったことになる。

それから2012年、2014年の来日リサイタルを経て、今回の演奏会である。まず会場のサントリーホールに足を踏み入れると、開演前なのに客席の照明がかなり暗い。実は舞台上に、これから演奏会を始めるピアニスト本人が、先端にピンクの大きい毛玉のついた黒か紺のニット帽をかぶり、ブカブカのカーキパンツをはいて、ジャンパーの下からピンクのシャツがはみ出ているというラフないで立ちで、ポロポロと弱音でピアノをまさぐっているのだ!!確か以前の演奏会でもそんなことがあったような気がするが、開演15分前の18時45分になって、係の人が舞台にやって来て彼に何かつぶやき、ようやく袖に入って行った。そんな彼の演奏会、今回の曲目は以下の通り。
 ショパン : バラード第2番ヘ長調作品38
 ショパン : スケルツォ第3番嬰ハ短調作品39
 シューマン : ウィーンの謝肉祭の道化作品26
 モーツァルト : 幻想曲ハ短調K.475
 ラフマニノフ : ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調作品36(改訂版)

今回のツァーは中国3ヶ所(上海、北京、深圳)のあと、この東京と、来週末の水戸と豊田で開催され、いずれも曲目は同じ。加えて12/13(火)には、読売日本交響楽団をバックにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏する。今のポゴレリッチは出家したかのようなスキンヘッドだが、その深々とした音楽は相変わらず極めて個性的で、しかもこれからさらに新しい境地に入ろうとしているように思われる。これは心して聴かねば。
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前半はショパンの2曲とシューマンで、これらの曲をポゴレリッチは途中で椅子から起立することなく、通して演奏した。実はこのショパンの2曲は、作品番号が続いていることから分かる通り、同じ1839年に書かれている。そしてそれらに続くシューマンの曲は、その1839年に着手されている。つまり、同じ1810年生まれのこの二人の作曲家が、同じ頃に創造した世界を聴くことになったのである。ショパンの2曲はやはり非常にスローなテンポの演奏であったが、精神的に不健全な感じはしなかった。バラードの冒頭は非常に穏やかで美しく、あたかも天体から響いてくるような不思議な浮遊感と透明感に満ちていた。だがその一方で、急速な部分での力強さは大変なもので、シューマンの終曲の打鍵など、普通ピアノから聴くことができる音量を遥かに凌駕する大音量であった。この激しさはちょっと聴いたことがないようなものだ。すなわち前半では、緩やかに歩む弱音から爆発的な最強音まで、凄まじいダイナミックレンジが披露されたわけで、もしかすると曲の持っている持ち味以上の表現がなされたのではないだろうか。

そして後半も、モーツァルトとラフマニノフが連続して演奏された(モーツァルトの後で拍手が起こったが、演奏者の趣旨を組んで、あそこは拍手は避けるべきだったのでは)。この二人の作曲家は全くタイプの異なる人たちだが、実はこれらの曲には共通点がある。ともにいくつかの部分からなるとはいえ、連続して演奏される。そしてそこに表れる情緒は、非常に深いものでありながらも、移ろい行く天気のようで、晴れたかと思うと曇り、雨かと思うと日が差すという具合だ。これをもってともに「幻想的」な曲であると呼んでもよいであろう。モーツァルトでの清澄な音はやはり天上的な感じすら覚えるものであったし、ラフマニノフの壮大な音の洪水は、カラフルな壁画でも見るかのような迫真性であった。技術的には非常に高度であるにもかかわらず、そのようなことを感じさせない。技術を超えた表現力に圧倒されっぱなしなのである。このようなピアノを弾ける人が、世界にそう何人もいるとは思えない。いよいよポゴレリッチは、余人の追随を許さない深い表現力を発揮し始めたということなのだろう。

彼の演奏姿は、過度な没入はないが、高い集中力に支えられている。笑いは浮かべていないが、ステージマナーは非常に丁寧で、演奏会の始まるつい15分前までラフな格好をしていたとは思えない(笑)。長身を定義正しく折り曲げ、ステージ正面のみならず、後方席や左右の席にもゆっくりとお辞儀をするのだ。そして万雷の拍手に応えて彼はステージから、よく響くバリトンの声で「ジャン・シベリウス、ヴァルツ・トリステ」とアンコールを紹介した。そう、「悲しきワルツ」である。これもまた格段にテンポの遅い演奏ではあったが、音楽が弛緩することは一切なく、常に緊張と、音楽的情景の変化の予感に満ちた感動的な演奏であった。

終演後にはサイン会があったが、その列はこれまでに見たこともないような、非常に長いものになった。練習時のラフな格好に着替えて出て来たポゴレリッチは、置いてある椅子に腰かけることもなく、立ったままサインを続けて行った。黒・金・銀の3色のペンが用意され、サインをもらう際に希望を言えるようになっていたが、私が金を求めると、「金は銀より高いんだけどねー」と英語で呟いていた。いや、ペンの値段は金も銀も同じだと思いますが、違いますか(笑)。
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そのユニークな個性に、個人的・社会的な変動の影響が入り混じることで、様々な変遷を経てきた彼の音楽であるが、きっとこれからも、不断に変遷を続けつつ、さらなる高みに到達することだろう。同時代人としてその変遷を常に見て行きたいと思っている。

by yokohama7474 | 2016-12-11 02:58 | 音楽 (Live)