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誰のせいでもない (ヴィム・ヴェンダース監督 / 原題 : Every thing will be fine)

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ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダース(1945年生まれの71歳)は、我々の世代にとっては、カンヌのパルムドールを獲得した名作「パリ、テキサス」(1984)で初めてその名を知り、「ベルリン・天使の詩」(1987)に感嘆し、それ以前の彼の作品群、例えばロード・ムービーの代表作である「都会のアリス」や「まわり道」、また「アメリカの友人」や「ハメット」などの佳作も日本で見る機会が出来たことにより、一種特権的な名前となった人である。もちろんそれには、当時映画評論の分野で盛んに活躍していた文化のアジテーター(?)、蓮實重彦の影響力が極めて大きかったわけであるが、向かうところ敵なしかに思われたヴェンダースが「夢の涯てまでも」(1991)で大コケしたときに、いわゆるハスミ世代の私の周りの映画好きたちは口々に「低予算に慣れた監督が、高額製作費を手にして堕落した」とののしっていて、遺憾ながら私もそれに同感だったのである。それ以降、ヴェンダースの作品には時々触れることはあっても、本当に感動したという覚えが少ない。今彼のフィルモグラフィーを見てみると、それなりに知名度があるだろう「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」や、小津を題材にした「東京画」を含めて、かなりの本数のドキュメンタリーも監督している。そしてこの作品は彼の7年ぶりの劇映画。実はこの前の劇映画は「パレルモ・シューティング」という映画で、このブログでもどこかで触れた記憶がある(映画そのものとは全く異なる文脈で 笑)。デニス・ホッパーの最晩年の作でもあり、映画史的にも貴重なものであろうが、何よりも人の命の有限性を巧まずして描いた監督の手腕を再認識し、ヴェンダースの映画としては久しぶりに感動したものだ。なので、この映画「誰のせいでもない」が細々と上映されているのを最近になってようやく知った私は、ヴェンダースの新境地を期待し、万難を排して劇場に走ったのである。これは近年のヴェンダース。
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上のチラシにある通りこの映画は、雪道で起こったある交通事故が巻き起こす、一人の男と三人の女の複雑な関係を描いたものである。もちろん、複雑な関係と言っても、惚れた腫れた、離れたくっついた、できた別れたという三面記事的な男女の事件を題材にする映画でないことは、監督の名前が保証している。いや、もしお望みなら、「一人の男と三人の女」に追加して、「もう一人の若い男と一匹の犬」まで加えてもよいだろう(笑)。一言でまとめてしまえば、何の予告もなしにやってくる運命の歯車の軋みの中でそれぞれの生を生きる人間たちの(あ、それから動物も)、その生き様を、大変美しい四季の中で描いた映画ということになるだろうか。その意味で私は、映画をストーリーとかカッコよさだけで見ない人には、この映画を強く推薦しよう。少なくとも私にとっては、これは「パレルモ・シューティング」に続いて忘れがたい映画になるだろう。

ヴェンダースらしく、たとえ登場人物たちの感情が剥き出しになるときがあっても、妙にサラッとした感覚の映像で常に包まれている。役者たちはしばしば、窓の外から、ある場合は明るい外光の反射越しに、ある場合は夜間の遠景でその姿を写されていて、Emotionがぐっと観客に迫る作りにはなっていない。どの場合も、爽やかな朝の光や淋しい夕焼けや、また、吹雪や秋の黄色い穂や川辺の緑や曇天の住宅地はいずれも、まさに人がそこに生きて有限の時間を過ごしているという切なさに満ちているのである。そのセンスたるや実に素晴らしいもの。
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だがこれはただきれいごとを並べた映画ではない。音楽は時にプロコフィエフ風またはバルトーク風、ときにミニマル音楽風に映像を彩り、よくあるハリウッド映画に慣れた我々は、もしやここで新たな惨劇が起こったらどうしよう・・・と、手に汗握ってドキドキする瞬間が何度も訪れるのである。かと思うと、上にも書いた通り、残酷な運命は何の予告も、ましてやBGMなどなしにやってくる。この映画で描かれていること自体は一般人が体験することではないにせよ、これに似たような体験は、多かれ少なかれ誰でも経験する、そのようなリアリティを持った映画であると言ってよいと思う。原題の "Every thing will be fine" は、冒頭まもなく主人公が男の子の手を引いて自宅に帰る途中で口にする言葉。実はその前に、"Every thing is fine"とも言っているから、「もう大丈夫(今のこと)」から「もーう大丈夫だからね(これからのこと)」という流れで男の子をより強く励ましている言葉なのだ。これがこの映画の重要なエッセンス。つまり、彼が何の気なしに「大丈夫」と言ったことが本当に大丈夫だったのか、ということだ。「誰のせいでもない」という邦題は、まあ気持ちは分かるが、ちょっとニュアンスが違うと思う。もちろん、誰かが誰かに責任を問う場面のある映画だが、ヴェンダースの練達の手腕は、美しい景色の中で展開する運命の機微の描写にこそ活かされていて、誰かがほかの誰かの不幸に責任があるか否かは問うていないと思う。実際、不幸な境遇の責任が、「誰のせいでもない」と言っているその人自身に、実はあることもあるわけだから・・・。また、演出手腕という点では、例えば主人公があるきっかけで出会う女性と、数年を経て生活をともにするようになる流れなど、「あ、なるほど彼女ね」と思わせるから恐れ入る。些細なことのようではあるが、観客のイメージをこのようにうまく誘導できる演出は、そうそうできるものではないだろう。

演出もさることながら、特筆すべきは役者陣だ。まず主役はジェームズ・フランコ。サム・ライミ監督のスパイダーマン・シリーズで敵役として登場したときには、その軽薄さを漂わせた二枚目ぶりが一種の紋切り型であったが、あの素晴らしい「127時間」や「猿の惑星 創世記(ジェネシス)」での演技は忘れがたく、どんどん進化している俳優だ。最近ではプロデューサー、監督としてのみならず、本作の役柄同様、作家としても活躍しているらしい。この映画での彼の表情は時に陰鬱、時に恐怖にさいなまれ、時に冷め切っているが、最後に近づくにつれ、優しくしかも深みのあるものになって行く。
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前半でその妻を演じるのがレイチェル・マクアダムス。このブログでも「スポットライト 世紀のスクープ」を採り上げたほか、ガイ・リッチーの「シャーロック・ホームズ」シリーズやウディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」の演技が忘れがたい。彼女も一作ごとに表情が豊かになっている、現在進化中の女優である。
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そして、運命によって巡り合う寡黙なイラストレーターの女性を演じるのは、シャルロット・ゲンズブール。15歳の頃の「なまいきシャルロット」の頃と、下ぶくれの表情は変わらないが、最近はちょっと危ない世界に行ってしまったかと思っていたので(笑)、「インデペンデンス・デイ;リサージェンス」に続いて(撮影の順番はそちらが本作より後のようだが)この作品で繊細な演技をしていることには好感が持てた。
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それから、脇役ではあるが、久しぶりにピーター・ストーメアを見ることができて大変嬉しい。出演作一覧を見ると本当に作品を選ばない人だと思うが(「ファニーとアレクサンデル」「レナードの朝」から「アルマゲドン」「ゾンビ・ホスピタル」まで 笑)、私にとっては「ファーゴ」「ビッグ・リボウスキ」のコーエン兄弟作品で忘れがたい役者だ。この映画での出演シーンの写真が見当たらないので、私の大のお気に入り、「ファーゴ」におけるスティーヴ・ブシェーミ(彼も最近見ないなぁ)との名コンビの写真を掲載しておこう。もちろん左側の人です。
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さてこの作品、プログラムを読んで知ったことには、ヴェンダースの意図は3D作品とすることであった由。私が見たのは2D上映であり、それどころか日本で3D上映した劇場があったのかどうか知らないが、スペクタクルの要素がほとんどないこの映画は、果たして3Dに向いているのであろうか。実は私は3Dにはほとんど思い入れのない人間で、鑑賞後にある映画を思い出す際も、2Dだったか3Dだったかすら覚えていないことも多い(例外はこのブログでも採り上げた「ザ・ウォーク」くらいか)。だがこの映画を2Dで見ながら私は、もし3Dだったらどうなっただろうかを想像していた。素晴らしく多様な光を捉えたこの映像は、確かに3Dであればさらに鮮やかに見えたのかもしれない。また、この映画で多用されている唐突な暗転や、カメラが寄りながらのズームダウン(あるいはカメラが引きながらのズームアップ?)などは、普通ならちょっと素人っぽい手作り感が出るところ、もしかすると3Dとの折り合いをつけるためのヴェンダース一流の手法であったのかもしれない。

繰り返しだが、映画をハラハラドキドキのストーリーだけで見る人には、この作品の真価は伝わらないだろう(ラストシーンはなんだ!!と怒るかもしれない 笑)。一方、派手さはなくとも人間の実像を映画で見たいという人には、一見の価値ありだと思う。但し、飽くまで私個人の意見なので、お気に召さなくても、誰のせいでもありません。もし映画を気に入らずとも、願わくば "Every thing will be fine"と自分に言い聞かせて頂かんことを。
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by yokohama7474 | 2016-12-14 01:12 | 映画