だがこれはただきれいごとを並べた映画ではない。音楽は時にプロコフィエフ風またはバルトーク風、ときにミニマル音楽風に映像を彩り、よくあるハリウッド映画に慣れた我々は、もしやここで新たな惨劇が起こったらどうしよう・・・と、手に汗握ってドキドキする瞬間が何度も訪れるのである。かと思うと、上にも書いた通り、残酷な運命は何の予告も、ましてやBGMなどなしにやってくる。この映画で描かれていること自体は一般人が体験することではないにせよ、これに似たような体験は、多かれ少なかれ誰でも経験する、そのようなリアリティを持った映画であると言ってよいと思う。原題の "Every thing will be fine" は、冒頭まもなく主人公が男の子の手を引いて自宅に帰る途中で口にする言葉。実はその前に、"Every thing is fine"とも言っているから、「もう大丈夫(今のこと)」から「もーう大丈夫だからね(これからのこと)」という流れで男の子をより強く励ましている言葉なのだ。これがこの映画の重要なエッセンス。つまり、彼が何の気なしに「大丈夫」と言ったことが本当に大丈夫だったのか、ということだ。「誰のせいでもない」という邦題は、まあ気持ちは分かるが、ちょっとニュアンスが違うと思う。もちろん、誰かが誰かに責任を問う場面のある映画だが、ヴェンダースの練達の手腕は、美しい景色の中で展開する運命の機微の描写にこそ活かされていて、誰かがほかの誰かの不幸に責任があるか否かは問うていないと思う。実際、不幸な境遇の責任が、「誰のせいでもない」と言っているその人自身に、実はあることもあるわけだから・・・。また、演出手腕という点では、例えば主人公があるきっかけで出会う女性と、数年を経て生活をともにするようになる流れなど、「あ、なるほど彼女ね」と思わせるから恐れ入る。些細なことのようではあるが、観客のイメージをこのようにうまく誘導できる演出は、そうそうできるものではないだろう。
繰り返しだが、映画をハラハラドキドキのストーリーだけで見る人には、この作品の真価は伝わらないだろう(ラストシーンはなんだ!!と怒るかもしれない 笑)。一方、派手さはなくとも人間の実像を映画で見たいという人には、一見の価値ありだと思う。但し、飽くまで私個人の意見なので、お気に召さなくても、誰のせいでもありません。もし映画を気に入らずとも、願わくば "Every thing will be fine"と自分に言い聞かせて頂かんことを。