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赤瀬川 原平著 : 妄想科学小説

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赤瀬川 原平 (あかせがわ げんぺい、1937 - 2014) は大変多才な人であった。よく知られている通り、尾辻克彦のペンネームで芥川賞を受賞している小説家でもあるが、私にとっては彼は一義的には美術家なのである。いわゆるカッコ書きの「美術」の分野においても、若き日のハイ・レッド・センター (高松次郎、中西夏之というすごい連中と組んで、それぞれの苗字の英訳、High=「高」松、Red=「赤」瀬川、Center=「中」西の頭を英語にしたもの) としての活動や、千円札を加工した作品が裁判になったこと、また超芸術トマソンを唱え、路上観察学会の創設をするなどフィールドワークに長けていたこと等々、本当に賑やかな経歴を残した人である。そして彼はその癒し系の外見そのままに、数多くのユーモラスな著作を残した人なのである。
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私が最近読み終えたこの本は、2015年、つまり彼の死後の発行であるが、もともとは1970年代に雑誌に連載していたもの。つまり彼が千円札偽造で罪に問われたあとの時期である (執行猶予付きの有罪判決は 1970年)。もしご存じない方がおられるといけないので紹介しておくと、これが 1963年に赤瀬川が自らの個展、「あいまいな海について」の案内状として制作、発送された千円札のコピー。彼はこの後何度か、千円札を利用した美術作品を制作しており、これが紙幣の偽造として裁判になったもの。うーん。日本の印刷技術では、所詮は美術家が作品として作った簡単なコピーはあまりにずさんで、無害とも思えるが、まぁ、紙幣というものはそれだけ厳格に管理されるべきものというのも、理解はできる (年末に放送された NHK の「探検バクモン」では紙幣の印刷過程が取材対象となっており、大量に印刷される一万円札を見て、経済の根幹について考えることになったのは、ただの偶然であるが・・・)。実は赤瀬川は、この裁判を境に、美術家としての活動を停止しているのである。
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この本に話題を戻すと、これは短編集なのであるが、その乾いたユーモア感覚は、赤瀬川の一側面を明確に表していると思う。一部には下ネタもあり、決して高踏的な作品集ではないのだが、そこに押された作者の烙印は、現実世界で役に立つものではないという理由で、人々の記憶から抹消されるようなものでは決してない。表紙からしてシュールな感覚が満載であるが、ここで明確なことは、人の性質を特徴づけるべき表情を持った顔が、ここから削除されていることだ。この本には赤瀬川自身の手になるイラストが幾つも掲載されているが、以下の通り、やはり人間の顔を正面から描いたものは全くないのである。一時期、マンガ雑誌「ガロ」を発表の場としていたこともある赤瀬川らしいタッチだ。
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私は以前にも彼の「新解さんの謎」(三省堂発行の新明解国語辞典 = いや実際面白い辞書である = をネタに突っ込んだ本) など、抱腹絶倒の作品を読んだことがあり、彼のユーモア感覚には一定のイメージがあった。そしてこの短編集はそのイメージ通りの作品であって、改めて赤瀬川の人となりを偲ぶこととなったのである。そのナンセンスぶりを示すために一例を挙げると、やっとのことで銭湯を脱して自分だけの風呂を持った男の話がある (繰り返しだが、舞台は1970年代である)。吉祥寺在住の彼は、なんとか中野に風呂は借りることはできたものの、我が家の風呂場であればそこに続くべき存在である廊下は、まだ手に入れていない。なので、自分の風呂に入りに中野にまで行ったあと、東中野の不動産屋に立ち寄って、ちょうどよい賃貸の廊下がないか否か確認する。予算の関係もあり、いくつかの物件を見たあとにちょうどよい賃貸廊下が見つかった。但し、ほんのちょっとだけ遠くて、それは千葉の我孫子に存在する・・・。吉祥寺からまず我孫子まで行って廊下を渡り、それから中野で風呂に入る、また我孫子に戻って廊下を歩いてから吉祥寺に戻る。つまり、風呂に入って帰ってくるだけで 5 - 6 時間・・・。そんなわけで、彼が帰りの中央線で廊下を借りるべきか否かについて思案を巡らせていると、電車の中で二人の知り合いに会う。ひとりはこれから八王子の台所に行ってお湯を沸かせてカップヌードルに入れ、新宿で夕食。もうひとりは顔面蒼白で体を震わせながら、これから奥多摩の便所まで用を足しに行くという。とまぁ、このような荒唐無稽な設定なのである。バカな話と言ってしまえばそれまでだが、でもここには、何か現代の私たちが忘れてしまった笑いの感覚がありはしないだろうか。もちろんこの本を通して読むと、若干この種のギャグに食傷気味になることもあろうが (笑)、でも昭和の時代に日本が確実に通り過ぎて来た道の、その一端はここに表れていると思う。

今私の手元には、「芸術新潮」誌の2015年 2月号がある。特集名は、「超芸術家 赤瀬川原平の全宇宙」。以前全文を読んだが、改めてパラパラ見返すだけでも面白い。いわゆる「美術」という語の頭に「現代」がついてしまうと、普通は途端に理屈っぽくなるのであるが、赤瀬川のような人が手掛けた現代美術は、同時代性を超えて古びることで、却って今後も長い生命を保つのではないだろうか。大いなる逆説。
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彼の提唱したトマソン芸術をご存じない方のために簡単に説明すると、もっともらしいが全く役に立たない建造物のことを主に差している。トマソンとは、この人に因む命名。
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この人ゲーリー・トマソンは、王貞治引退後の1981年、ジャイアンツに所属した元大リーガー。そう、鳴り物入りで入団したくせに、全く役に立たないと散々揶揄された人である。では、超芸術トマソンの実例にはいかなるものがあるか。以下の写真は記念すべきトマソン第 1号、「四谷の純粋階段」である。確かに、上がって下りるだけのこの階段、存在はするが全く役には立っていない (笑)。現在では既にビルに建て替わっていて、もはや見ることはできないらしい。古びることで価値が出て来た光景なのである。
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このようなことを考え合わせると、赤瀬川原平が発見し記録した数々の不思議な光景は、昭和も終わりに近くなって世の中自体に余裕がなくなってから、継子扱いされたものばかり。彼が世間を茶化しながら発したメッセージは、この日本にかつて存在した、いや、今でも存在する建造物を、時代とともに瞳に焼き付けるべしということなのではないか。役に立たないと思われた建造物は、役に立たないからこそ、そのイメージが後世に伝わって行くのである。うーん、深いではないか。

そんなわけで、赤瀬川の感性に久しぶりに出会うことができ、私はこの本を楽しく読むことができたのである。過ぎ去りし昭和の感覚にしばし戻って、文化的な刺激を得たい方にはお薦めである。

by yokohama7474 | 2017-01-07 22:25 | 書物