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アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 (ラース・クラウメ監督 / 題 : The People vs Fritz Bauer)

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世の中には様々な映画が存在して、テーマや言語や描き方のタッチや予算のかけ方や、まあいろんな要素を観客は目にするのであるが、場合によってはたまたま近い時期に似たようなテーマの作品が作られていたり、同じような俳優が出ていることがあって、それらを比較したり、多少こじつけでもよいのでその理由を考えたりするのは、興味深い知的試みである。この映画を知ったとき、まずそのような感想を持った。なぜなら、最近公開される映画には、ナチズムや独裁者を題材としたものが結構多いからである。このブログでも例えば「帰ってきたヒトラー」、「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」、「シークレット・オブ・モンスター」といった比較的最近の映画を採り上げた。中でも「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」は、ここで採り上げる映画と似た題名になっているし、それから、今後公開される映画でも、正確な題名は忘れたが、アイヒマンの名前を使った新作もある。このような傾向は、世界各国で見られる右傾化と何か関係があるのであろうか。

ともあれ、ここで名前が言及されている「アイヒマン」とは、ナチスの親衛隊中佐で、ユダヤ人虐殺において指導的な立場にあったとされるアドルフ・アイヒマン (1906 - 1962)。戦後行方をくらまし、1960年にアルゼンチンに潜伏しているところを捕縛され、イスラエルで裁判にかかり、1962年に絞首刑になった極悪人。
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「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」は、このアイヒマンがイスラエルで裁判にかけられる様子をテレビで世界に中継するために奔走した人たちの物語であったが、この映画はその前の時点、潜伏しているアイヒマンがいかにして捉えられたかという経緯を映画化している。いずれも実話に基づく物語である。「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」は BBC の系列会社による制作で、言語も英語であったが、こちらはドイツ映画で、言語もドイツ語。よくドイツ人はナチズムの反省は自主的に行っていると言われるが、昨今の実情は分からないものの (ネオ・ナチの台頭など)、自国の恥部を赤裸々に映画化するこの自己批判精神には感服する。

だがこの映画を見ていると、そのようなドイツの自己批判精神が一体本当なのか分からなくなるし、戦後の世相によっても様相は変遷してきたものであるようにも思えてくる。つまり、この映画の主人公、実在の人物であるヘッセン州検事長フリッツ・バウアーが、自国の罪深い犯罪者であるアイヒマンの居場所を執念で追い求めるのに対し、様々な抵抗勢力がそれを阻もうとする様子が描かれていて、それが大変にショッキングであるからだ。なのでこの映画のドイツ語の原題をそのまま英訳したとおぼしき、"The Peope vs Fritz Bauer" という英題にはかなりストレートなメッセージが込められているのだ。中学校で習う英語の知識によると、People の前に定冠詞 the がついているということは、不特定多数の一般大衆ということではなく、特定の人々のことを指しており、その特定の人々がバウアー検事長の前に立ちふさがったということが示されている。これが実在のバウアー検事と、この映画でバウアーを演じるブルクハルト・クラウスナー。実によく雰囲気が似ている。
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このバウアーさんはドイツ生まれであるが実はユダヤ人で、戦前からドイツで判事の仕事をしていたが、戦争中はナチスの迫害を逃れて、デンマーク、さらにスウェーデンに逃れていた。戦後ドイツに帰国して地方の判事長として重きをなしたが、とりわけナチスの戦争犯罪を強く弾劾した。ところが当時のドイツ政府には未だに親ナチス勢力 (題名でいうところの "the people" だ) が密かに実権を握っており、あろうことかバウアーの努力を国家反逆罪とみなそうとしている。また若者たちは、ナチズムも戦争も大人たちが無責任に引き起こしたものとして批判的な考えを持ち、国家予算を使ってナチスの残党を探そうという努力には冷ややかだ。そんな環境においてバウアーは、まさに執念と勇気と機知をもって粉骨砕身、ついにアイヒマンを捉えることに成功するのである。但し、アルゼンチンでアイヒマンを捕縛したのはイスラエルの諜報機関であるモサドであって、実は裏でバウアー検事が画策していたということは、バウアー本人の死後 10年が経過した 1978年まで知られていなかったという。この映画で描かれるバウアー像は、全力で犯罪人を追いかける執念の人でありながら、どこか自虐的なところもあり、決して聖人君主ではない。そうなのだ。立派な業績を成し遂げる人は、別に聖人君主である必要はない。ただ人間の弱さを理解し、かつ理不尽なことを容認できないことを原動力として行動を起こす人であるべきだ。バウアーはまさにそういう人であったのだろう。また、実在のバウアーは室内装飾に関しては大変モダンな感覚の持ち主で、ル・コルビュジェによる壁紙やシンプルな家具を使用していたという。確かにこのシーンに見える壁紙は、上の本物のバウアーの写真の背景と同じ模様である。
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この映画の中でリアリティをもって描かれているバウアーの人となりを示すひとつの例として、バウアーが同性愛者であったことを挙げよう。そのようなシーンがあるわけでなく、セリフで表されるだけであるが、ご本人はこの点についてはかなり開き直っている (笑)。舞台となっている1960年代といえば、これもつい最近記事として採り上げたばかりの「ストーンウォール」で描かれている通り、米国でも同性愛者が増え、それゆえに世間から迫害された時代。また「スカラ座 魅惑の神殿」についての記事でも触れた通り、文化人の中にも同性愛者が多く出始めた時代。そうするとやはり、悲惨な戦争の後の解放感と、新たに勃発した世界秩序の危機が、個人的な愛に依拠する同性愛者の増加と、反動としてのそれへの抵抗を生み出したという事情があるのかもしれない。この点については、今後機会あればまた考えて行くこととしたい。

同性愛といえば、劇中に登場するアイヒマンの部下、ロナルト・ツェアフェルトという俳優演じるカール・アンガーマンは架空の人物であるが、重要な役回りである。彼はバウアーと同様、人間らしい面を持っているが、一見飄々としたバウアーが実は非常に強靭な人であるということを、あるトラブルによって結果的に証明することになる。巧みな役柄設定であると思う。
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もうひとり重要な役、ヴィクトリアを演じるのはリリト・シュタンゲンベルク。やはり現在公開中の映画で、ちょっと気になっている「ワイルド 私の中の獣」の主役を演じている女優である。ここでは全く違った役柄であるが、充分に美しい。
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監督のラース・クラウメは 1973年イタリア生まれのドイツ人。主としてテレビドラマで演出を行ってきた経歴の持ち主で、長編映画は未だ数本しか撮っていない。だが本作では脚本も担当し、この作品のテーマに対する相当な思い入れを感じさせる。
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このように歴史のドラマを力強く描いた映画であり、作り手の情熱も感じられて、見応えは充分である。あえて難を言うとすると、娯楽性という点ではあまりサービス精神のあるタイプの映画ではなく、最初から最後まで手に汗握る展開ということではない。また、この映画の現代における意義を考えるには、ある程度ナチズムに対するイメージが必要かもしれず、バウアーという人物の本当の凄みは、ただ漫然と映画を見ているだけでは感じ取れないという人もいるかもしれない。あの忌まわしい世界大戦が終結してから既に 70年以上が経過するが、まだまだ語られていない視点があるはず。その意味で、歴史ドラマの分野においては、今日的な意義を持つ作品が今後も現れてくることを期待してもよいと思う。歴史に学ぶことの意味を認識しながら、これからの世界の動向を注視すること。文化はそのための強いツールになるのである。

by yokohama7474 | 2017-01-13 00:20 | 映画