2017年 03月 13日
アンドレア・バッティストーニ指揮 東京フィル (ピアノ : 松田華音) 2017年 3月12日 オーチャードホール
ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品 18 (ピアノ : 松田華音)
チャイコフスキー : 交響曲第 6番ロ短調作品 74「悲愴」
以前読んだバッティストーニのインタビューで、ロシア音楽はイタリア音楽との共通点が多いという発言があった。なるほど、ヨーロッパの北と南で、気候や人々のメンタリティは全く異なるものの、ドイツ音楽を西洋音楽の中心とすると、それとは異なる持ち味で発展した音楽という点に、まず共通点の土壌があるだろう。もう少し具体的に言うと、弦楽器のアンサンブルが中心の伝統的なドイツ音楽に比して、ロシア音楽もイタリア音楽も、(そしてフランス音楽も) 木管楽器の個性が際立つケースが多いということは言えるだろう。まあもちろん、物事には例外が常に存在していて、決めつけはよくないのであるが、少なくともこれまで東フィルであまりドイツ音楽を指揮していないバッティストーニは、今後のスケジュールを見ても、ドイツ物は皆無である。1987年生まれ、今年 30歳になる指揮界の若手のホープは、今現在彼の能力を最もよく発揮できる音楽に渾身の力で取り組んでいるのだと思う。
さて、今回ラフマニノフのコンチェルトを弾いたのは、若い指揮者バッティストーニよりもさらに若い日本人ピアニスト。1996年生まれというから、現在未だ 20歳という若さの、松田華音 (かのん)。
さて後半の「悲愴」であるが、これも一言で感想をまとめると、今のバッティストーニの音楽をはっきりと打ち出した演奏であったと思う。極めてエネルギッシュで、時に唸り声をあげながらの指揮であったので、オケとしても必死にならざるを得ない。その時その時の音楽的情景を、渾身の力で描き出していた。イタリア的なよく歌う演奏という紋切型の表現は避けよう。ただひたすら音楽の推進力とうねりを求めた熱演であったと思う。但し、この指揮者であれば、もっともっと壮絶な演奏も可能ではないだろうか。オケの編成はスコア通りの 2管編成であったが、弦の規模はコントラバスが 8本ではなく 6本であり、この点は若干不思議な気もした。いずれにせよ、若い日の演奏と年を経てからの演奏では、また違った持ち味が出てくるであろうから、この日の演奏をしっかりと記憶しておいて、今後のバッティストーニの指揮の変化を追って行くこととしたい。それは実にワクワクする経験になるものと思う。ところでこの演奏で、音楽都市東京にあるまじき 2つのアクシデントが起こったので、ここに記録しておく。まず最初は、第 3楽章が轟音で終結したとき、客席からパラパラと拍手があったこと。聴衆が保守的でノリノリのニューヨークでの演奏会ではあるまいし (笑)、これはあまりよくない。と言いながらも、実は私はこの現象が結構好きなのである。それだけ聴衆が第 3楽章の音楽の勢いに圧倒されたことを示すからだ。チャイコフスキーの場合、この「悲愴」の第 3楽章だけでなく、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲第 1番のそれぞれ第 1楽章の終わりで拍手が起こることがあり、実は結構それを楽しんでいるのである。だが、もうひとつのアクシデントは頂けない。終楽章、この世のものならぬ哀しみから諦観に移って行く際に、一度だけゴーンとドラが鳴り、この交響曲の神髄が聴かれるちょうどその時、相次いで 2ヶ所からアラームの音が聴こえたのである!! これは許しがたい愚行であり、実に情けないことだ。時報かと思って腕時計を見ると、16時45分。あれは一体何だったのだろうか。東京の聴衆として実に情けない。幸いなことに、演奏自体は集中力が途切れることなく最後まで続き、心臓の鼓動が止まるような終結部のあと、指揮者が徐々に腕を縮めて首をうなだれる間、完全な沈黙が支配した。
東京で聴くことのできる指揮者とオケの組み合わせの中でも、このコンビにはさらに強烈な音楽を期待したい。次は 5月、「春の祭典」の演奏を心待ちにしよう。