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これぞ暁斎! ゴールドマン・コレクション Bunkamura ザ・ミュージアム

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河鍋 暁斎 (かわなべ きょうさい 1831 - 1889) については、このブログでも何度か言及してきたし、特に、2015年 8月 2日付の記事では、三菱一号館美術館で開かれた彼の展覧会を採り上げた。暁斎は幕末から明治にかけて活躍した絵師で、その流れるがごとき筆さばきで貪欲なまでに展開した制作活動は、実に自由闊達で迫力満点。どの作品を見ても飽きることがない。浮世絵と狩野派を習得し、時に西洋画の技法も取り入れるという、大変なエネルギーの持ち主であったようだ。その暁斎の展覧会が開かれてえいるのを知ったとき、「まぁ暁斎はもうよく知っているからな」と不遜にも思ってしまった私なのであるが、実際に足を運んでみてびっくり。この展覧会で展示されているのはすべて、英国人コレクター、イスラエル・ゴールドマンの所蔵になるもので、初公開の作品を多く含んでいるという。展覧会の副題に「世界が認めたその画力」とあるのはその意味であって、海外からの里帰り展覧会なのである。但し、正直なところ、私はこの「世界の」という形容詞が嫌いなのであって、その理由は、日本のものがもともと世界水準に劣っている、あるいは劣っていなくても充分に知られていないということが前提になっていて、いじけた島国根性 (?) を思わせるからである。これに対して、当のコレクター、ゴールドマン氏の発言に注目してみよう。彼は 2002年にやはり自身の暁斎コレクションを日本で展示した際に、「なぜ暁斎を集めるのですか?」と訊かれて、「暁斎は楽しいからですよ!」と答えたという。そうなのだ、画力が世界に認められたか否かは関係ない。暁斎は楽しい。その極めてシンプルな理由だけで、蒐集するにも鑑賞するにも、充分な理由になるではないか。文化を楽しむとは、そういうことなのだと私は思うのである。

ゴールドマン氏が暁斎作品の蒐集に目覚めるきっかけとなった作品が最初に展示されている。「象とたぬき」(1871年以前)。
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小さなタヌキに鼻を差し伸べる象のユーモラスな姿を、ささっと描いたもの。ゴールドマン氏は 35年ほど前、この作品をオークションで入手したが、翌日別のコレクターに譲ってしまい、それを後悔して、その後何年も懇願してまた買い戻したという。現在では彼の自宅の寝室に飾られているという。この象には紐がつけられていることから、1863年に行われた象の見世物興行の際にスケッチされたものと推測されているらしい。舶来の大きな動物と、土着の小さな動物の出会い。

実際、暁斎はなんでもできた人であるのだが、やはりこのような動物の姿をユーモラスに描いた作品が楽しい。これは「鯰の船に乗る猫」(1871 - 79年)。この髭のはえた鯰は、明治政府の役人を揶揄しているのだとか。
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同じ一連の作品から、「カマキリを捉える子犬」。ここにはあまり風刺的な毒は感じられず、ただ子犬の可愛らしい仕草が活写されているのであるが、ただ、やっていることには残虐性もあって、ただ可愛いだけではない点、やはり暁斎の個性であろう。
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暁斎はまた、鴉を多く描いた。絵師としての日々の習練の象徴であったらしく、海外にも多く輸出された。フランスの作家エドモン・ド・ゴンクールは、パリの町を自転車で走る人の姿を、「暁斎の掛物にある、飛び行く鴉のシルエット」のようだと評したとのこと。うーん、詩的な表現だ。以下、「枯木に鴉」と「柿の枝に鴉」。
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これは「月下猛虎図」。墨だけで描かれた白黒の中、目だけが黄色くて不気味である。芦雪の飄々とした味わいの虎とは違って、文明開化を経た時代のリアルな怖さを持っていると言えるのではないか。
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これは、「虎を送り出す兎」(1878 - 79年)。明らかに「鳥獣戯画」のスタイルを模したものであろう。暁斎の腕なら鳥羽僧正 (が「鳥獣戯画」の作者なら) に、決して負けてはいない。
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ユーモラスなだけではない暁斎の動物絵画は、このような面白い作品も含む。「月に手を伸ばす足長手長、手長猿と手長海老」。足の長い老人が手の長い老人を肩車しその先に手長猿が、またその先に手長海老がいて、月を取ろうとしているようである。かたちの面白さだけで、見ていて飽きない。まるでジャコメッティの彫刻のようではないか (笑)。
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このような暁斎の奇想の数々は、暁斎漫画なる出版物 (1881) における数々の図版にも存分に表れている。北斎漫画に匹敵するほど、多彩で勢いがあるのではないか。
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これは、「天竺渡来大評判 象の戯遊 (たわむれ)」(1863年)。この記事の最初に掲げた墨絵について述べた通り、この年に江戸の両国橋西詰で象の見世物興行があり、それを題材にしたもの。同様の図が何枚もあるが、本当にこれだけ多様な芸を象にさせたのであろうか。幕末の異様なエネルギーを思わせて、圧倒的だ。
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この作品など、ヨーロッパ人はどのように見るのであろうか。「五聖奏楽図」。五聖とは、磔になりながらも扇子と鈴を持っているキリストに加え、それぞれ楽器を持ったり手拍子と歌で盛り立てる、釈迦、孔子、老子、神武天皇。明治政府によるキリスト教の解禁は 1873年。この絵はその頃の様子を表したものであろうか。破天荒な発想だが、やはり「楽しい!」という感想を誰もが持つであろう。
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暁斎はまた、明治に入る頃から亡くなるまでほぼ毎日、絵日記を書いていたらしい。ただ彼はそれを手元に残さず、欲しがる人に譲ったため (ほ、欲しい!!・・・)、散逸してしまっているとのこと。ゴールドマン・コレクションには、あの有名な英国人建築家、ジョサイア・コンドル (最近ではコンダーとも。1852 - 1920) が暁斎に弟子入りして修業している頃のことが書かれているとのこと。このような落書き同然のものであるが、いかにも暁斎らしくて、やはりなんとも楽しい。現代でも、例えば山口晃のように抜群の技量を持つ画家が似たようなことをしているのが嬉しい。
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これは版画で、「蒙古賊船退治之図」(1863年)。以前も「ダブルインパクト」という興味深い展覧会についての記事でご紹介したことがある。元寇の際に、迎え撃つ日本側が、何やら爆発物で元軍を撃退している場面。この誇張された爆発の様子や大荒れの海に、やはり幕末の鬱積したエネルギーを感じることができる。
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これも暁斎らしい「鍾馗と鬼」(1882年)。よく見ると、振り上げた右手は少し小さいように見えるが、不思議と全体のバランスは大変よい。また、鬼のユーモラスなことも暁斎の持ち味だろう。
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暁斎の描いた魑魅魍魎たちの中に、幽霊も含まれる。このブログでは以前、幽霊画の展覧会もご紹介しているが、私にとっては、格調高い芸術的な絵と同等に、幽霊画はや妖怪画は強い興味のある分野であり、その分野における暁斎の存在感は揺るぎない。これは「幽霊に腰を抜かす男」。幽霊の姿は、そのゴワゴワの髪と、うっすらとした後ろ姿の輪郭だけで表されており、素晴らしい表現だと思う。これはもしかして、リアルな幽霊というものではなく、腰を抜かしている男の内面の恐怖心がかたちを持って現れているだけかもしれない。
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だがこちらの方は、リアルこの上ない幽霊だ。「幽霊図」(1868 - 70年)。おぉ、怖い。その痩せ方やほつれ毛、恨めしそうな目など、どれも本当に怖いが、右半分に行灯の光が当たって白く浮かび上がっているところがなおさら怖い。光が当たるということは、何らかの物質がそこに存在しているということであるからだ。物質的な存在であれば、何か危害を加えるかもしれないという、人間の根源的な恐怖に呼びかける。
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これは、展覧会のポスターにもなっている「地獄太夫と一休」。室町時代の遊女である地獄太夫が、一休の教えを受けて悟りを開いたという伝説をテーマにしたもの。太夫の着物は非常に手の込んだ描き方になっており、彼女の左横にいる三味線を弾く骸骨と、その頭の上で踊る一休、それに加えて踊り狂う多くの小骸骨たち。なんと不気味で謎めいて、でも楽しい、暁斎流であることか。
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これは、多くの妖怪たちが跋扈する「百鬼夜行図屏風」。暁斎にしては丁寧に描いている方だろう (笑)。明治期は大きな価値観の転換期であり、人々の間に戸惑いや不安もあったに違いなく、異形の存在である妖怪たちに、リアリティがあったのではないか。だがここでも、暁斎の描く妖怪たちは楽しそうで、決して怖くだけではない。その意味では、上で見た幽霊画とは少し性質を異にする。
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なんでもできてしまう暁斎は、仏教的な題材も扱っている。これは「龍頭観音」(1886年)。観音の衣の描き方などはさすがだが、どうしても龍の存在感に目が行ってしまうのは私だけか。
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このように、個人のコレクションとは信じられないほど多彩で質の高い作品群で、どんな人でも楽しめること請け合いだ。実はこの展覧会には、世界初公開となる暁斎の春画の数々も展示されていて興味深い。ネット上で春画の画像を公開するのは教育上よろしくないし (笑)、私自身は春画の芸術性自体にそれほど確信が持てずにいるので、ここでご紹介はしないが、ひとつ言えることは、暁斎の春画はどれも非常にユーモラスで、思わずくすっと笑ってしまう。それは、露わな人間性の発露がそこにあるから、ということは言えると思う。その一方、今回改めて気付いたことには、これだけの画家にして、未だ重要文化財指定の暁斎作品がないということだ (私の認識違いでなければ)。上の作品群にも制作年が定かでないものが多く、画鬼という異名を取っただけあり、まさに日々生きることすなわち描くこと、という人であっただけに、絶対的な代表作が少ないということだろうか。例えば上記の「地獄太夫と一休」など、もし日本にあれば重文指定後補になってもおかしくないように思うが、在外作品であるので、そうはならないわけである。暁斎については恐らくこれからますます再発見が進むと思われ、その楽しさを多くの人たちが味わえるよう (「世界が認めた画力」という押しつけ型の認識ではなく、人々が本当に楽しめるよう)、いずれかの作品の重文指定を待ちたいと思う。
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by yokohama7474 | 2017-04-08 12:57 | 美術・旅行